おおやんのこと (2)


大山のブログで病気のことを知った僕はすぐに彼の携帯にメールしたが、1時間たっても2時間たっても返事は来なかった。待っていられず、今度は電話してみたが、彼は出なかった。何度電話しても出ないので、うっつん氏に電話して、僕はあらためて彼の状態を知ることになる。転移あり、ステージ4という事実。
翌日だっただろうか、彼から短いメールの返信があった。そこには「自分でも信じられない。現実をうまく受け入れられない」と書かれてあった。僕も、まったく同じだった。

いったいどういう状況なのか、医者は何と言っているのか。詳しく聞きたいと思ったが、本人に直接そんなことは聞けない。そこで僕は、息子が入院している病院で担当の看護師さんに彼の病気のことを聞いてみることにした。
転移状況と投与する薬を説明する。担当の看護師さんは「カルテを見てないから何とも言えないけど・・・」という前置きのあと、
「その内容からすると、年内もつかもたないか、ということも、あり得ます・・・」

それを聞き、僕はできる限り、彼と会うようにしようと決めた。
彼が初めて抗がん剤を投与する日、仕事は午後半休にして明石の病院へ見舞いに行った。お盆の期間なので仕事の会議や来客がなかったことが幸いだった。
ベッドで点滴を受けていた大山は、外見はこれまでと何ら変わらない様子だ。ただ、本人は少し気持ちが落ち込んでいるように見えたが、また撮影会しようということで、その日は明るく過ごせたと思う。




この日は生まれ育った地元を撮り歩き。2011年10月9日


9月の下旬、大山と須磨寺へ行った。がん封じの御利益があるとのことで大山から「須磨寺行こうよ。そのあと近くで撮影しよう」と言ってきたのだ。撮影は列車を待っている間、立っているのはしんどいだろうと思い、アウトドアショップで折りたたみの椅子を買い、それをクルマに積んで彼を迎えに行った。須磨寺を参ったあと、山陽電車やJRを夕方まで撮影した。大山は少し疲れていたようにも見えたが、走ってくる列車に楽しそうにカメラを向けていた。そして夜、きちんとブログにもその内容をアップしていた。

抗がん剤投与時期以外は仕事にも通い、順調にみえた闘病生活だったが、11月初旬、痛みがひどくなったようで急遽入院することになる。僕は大阪から新快速に乗り、入院先の病院へ何度か通った。
あれは入院してすぐぐらいだったかな。病院へ行く前日、ふと新しいカメラが欲しくなった。しばらく写真を撮ることがなく、カメラを買うなんてしばらくの間まったく考えたこともなかったのに、なぜかその夜はそう思ったのだ。
そして翌日、明石へ向かう前に梅田のカメラ店で唐突にそのカメラを買う。昼食の間に充電してもらい、新しいカメラを持って大山の入院先へ向かった。大山は、痛み止めの影響もあってか、すこしぐったりしていた。
「さっきカメラ買ったんだわ。これ」と見せると、むくっと起きて「なに! カメラ買っただと? 目が覚めた!」といって私の小さいカメラを触りだした。やはりカメラ好きなのである。彼も私も。

大山は毎日ていねいに闘病内容をブログに1日何度もアップしていた。それを見て、僕たちは彼がどんな症状でどんな薬を入れていて、何をどれぐらい食べたかをリアルに知ることができていた。
逆に更新が途切れると「大丈夫だろうか? 何かよくない状況なんだろうか」と、やきもきしたりもした。
少しずつ病が彼を侵し、体力が低下していることがわかる。その内容から、文章に直接的に表現していなくても、彼の気力も少しずつ衰えていることが感じられた。

そんな中、彼のブログに突然、発売されたばかりのカメラの写真がアップされる。アマゾンから送られて来てそのままの状態で、箱が梱包用のラッピングのままだ。ブログには
「S氏への逆襲。うれしい」と書かれてあった。S氏とは僕のことだ。それを見て、僕もうれしくなった。

翌日、レンズがボディにうまくはまらないので見に来てほしいとメールが来た。他にも手伝うことがあるみたいなので、その週末にまた病院へ向かった。
大山はその頃、個室に移動していた。病室で会った彼は、10日前に来たときの彼とは明らかに違っていた。
カメラのボディとレンズは正常だった。もう、レンズを装着して回転させる力さえもなくなりつつあったのだろう。
大山のその新しいカメラで、いっしょに来ていたうっつん氏と共に記念写真を撮った。僕たちは昔から何かあると、いや何もなくても記念写真を撮っていた。この日も、べつに特別ではなく、いつものようにセルフタイマーで記念写真を撮った。

そのあと、僕は彼の携帯を触り、新しいカメラの購入者特典であるカメラパーツの申し込みをした。悪戦苦闘したが、これはなんとか成功した。しかし、もうひとつの特典であるキャッシュバックの申し込みは途中までしかできなかった。この先はパソコンがいる。こんど奥さんにパソコンを持って来てもらって登録することに決めた。
それが、先週の、土曜日の話だ。

今朝、彼が旅立ったことを知らせる連絡が入った。夜中の2時半頃に亡くなったとのこと。
先週土曜日の帰り、僕は新快速の車内で半ば放心状態だった。なんとなく、彼と会うのはこれが最後のような気がしていたからだ。家族や病院の方から何か聞いたわけではない。ただ、なんとなくそう思っただけのことだ。
結果的に、それは的中した。




赤穂市で新幹線を撮影。 2014年4月27日




BACK  NEXT