21世紀という新しい時代を生き抜くには「ヒト・モノ・カネ」だけでは不十分だ。健康維持にビタミンやミネラルが欠かせないのと同様に、「情報」を積極的に摂取する必要がある。 「情報武装」とよく言われるが、単に機器を揃えることだけが「武装」ではない。以前「IT IS BUSINESS!:システムで企業を変革する」で述べたIS(Intelligence Skill)、つまり情報収集と分析によって蓄積された「知恵を活用する技術」を身に付けることで、時代の先を読み、また予期せぬ事態にも即応できる。刻々と変化し、対応のスピードが要求される現代、ISが欠如して応用が効かない硬直化した経営がどのような結果を生むかは明らかだ。 では、知恵(Intelligence)、すなわち経営に不可欠な先を読む力「先見力」を武装する過程とはいかなるものか、例を挙げながら紹介しよう。 1)行動力 「幸せは歩いて来ない」と歌のフレーズにある通り、ただイスに座ってパソコンや雑誌を眺めていても、有益な情報は決してやって来ない。ヒントは現場にこそある。自ら立ち上がって行動を起こし、己の目で見、耳で聞き、手で触れて感じなければ、生きた情報を集めることなどできない。 新商品を企画する際、ただ机の上で「ああでもない、こうでもない」と議論していても、何も生まれないことは万人が理解している。市場の様々な情報を集め、マーケティング調査でターゲットとなる世代の消費動向や嗜好(しこう)を明らかにすることが企画の第一段階だ。 2)情報力 誰もがはまる落とし穴、それは情報を集めただけで満足してしまうこと。集めた情報を整理し分析する作業を怠っては「宝の持ち腐れ」であり、知恵は決して得られない。 商品企画の第二段階では、調査結果や市場情報を総合的に分析し、どのような形態やパッケージ、味が好まれるのか検討を重ねることで、徐々に新商品の姿を固めていく作業が中心となる。 3)判断力 入手した情報の中には、正しくないもの、今は必要としないものもある。それらの正誤や要、不要を判断して必要なものだけを選択し、さらに分析を加えていかなければ、情報を「活用」したことにはならない。 例えば、調査結果を読み取る際にも判断力は必要だが、企画段階で生まれる多数の試作品を前に、どの商品なら市場で戦えるのか、一点一点に判断を加えていく作業も重要だ。 4)決断力 最終的な決断は、経営トップにのみ与えられた権限である。YesかNoか、答えは二つに一つであり、この決断が企業の死命を決すると言っても過言ではない。 企画された商品を実際に売るのか売らないのか、その決断もトップが行う。ゴーサインを出せば、次の販売戦略立案に向けて、また新たな「行動」が始まる。 5)先見力 「行動→情報(収集・分析)→判断→決断」という一連のサイクルを日々繰り返すことで、先を読む力は次第に蓄積されていく。そもそも「先見の明がある」とは、結果が出て初めて他人が判断することであり、実際に行動している最中は誰もが常に手探り状態であろう。 しかしその周りの暗さが少しでも和らげば、そして少しでも手先の感度が高ければ、より正しい行動に移れるはずである。その助けとなるものが先見力であり、知恵なのだ。 次回は別の角度から情報の「活用」について考えることとする。 |
情報活用に欠かせない「収集」「分析」という2つのステップは、前回紹介した「行動力、情報力、判断力」に置き換えて考えることができる。以前、新聞で見かけた興味深い記事を例に説明しよう。 人との「対話」を重視せよ 昔話でおなじみの桃太郎生誕の地が、全国には22箇所もあると言う。 「桃太郎は『いい子』だとばかり思っていたので、『怠け者』の桃太郎を聞いたときはびっくりして、同時におもしろいと感じました」とは、2002年の「調べる学習コンクール」で審査員特別賞を受賞した小学5年の少女の言葉だ。ストーリーの異なる桃太郎話50話を、桃の流れる音、桃太郎の産声、鬼退治の方法などで克明に分類して「桃太郎話比較研究」をまとめ上げ、「大学生も及ばない論理性、情報蓄積性…」で審査員を驚嘆させたそうだ。 このように、先入観を捨てて様々な情報に接し、ささいと思われることに「気付き」、自分なりの何かを「発見」することが「収集」であり(=行動力)、得られた一つひとつの情報をただ漫然と眺めるのではなく、それらを分類し、比較検討して新しい意味を読み取り、知恵に換える過程こそが「分析」だと言えよう(=情報力、判断力)。また、繰り返し述べてきたように、この作業を人任せにしていては、己の知恵として蓄積されることは決してない。常識や良識は人の話を聞いたり本を読んだりして身に付けることができるが、知恵は誰も授けてくれることはない。 「情報」と名の付くものはいくらでもある。テレビやラジオ、新聞、雑誌、インターネット、また他人との会話の中にも、駅までの道のりにも、通勤電車の中吊り広告にも、ちょっと立ち寄った居酒屋にも、雑多な情報が一見無造作に存在するものだ。 「すべての人はチャンスに遭遇している。ただ、多くの人がそれに気が付かないだけだ」とは、アメリカの実業家の名言だ。まずはあらゆる情報源に意識的に接し、ときには今まで目を向けなかった対象にも興味を持ち、常に「これは何だろう?」という幼児のごとき知的好奇心をもって物事を見、「気付き、発見」すること、そしてささいな事柄にも「なるほど!」と感動するトレーニングを日頃から積めば、より有益な情報を収集することができるだろう。 また様々な情報源のなかで忘れてはならないのが、人との「対話」である。特に経営の現場では、個人と個人との対話に時間を費やしてこそ、生き生きとした役に立つ情報が得られるというものだ。対話とはすなわち「情報交換」であり、一人では体験できない多くのことを、他人の行動を通じて追体験することでもある。 情報は「情けに報いる」と書く。つまり与えてこそ与えられるものだ。貪欲に収集しようとするあまり根掘り葉掘り聞き回って煙たがられる人や、「俺が俺が」と一人しゃべりまくって周囲の失笑を買う人がいるが、かえって逆効果だ。「聞き上手は話し上手」と言うように、相手の話をよく聞いてうまく情報を引き出す一方で、自分の持っている情報を相手に与えなければ信頼関係を築くことはできない。 次回は、企業における「情報」の公開、共有の方法について考えてみよう。 |
個人対個人の情報「交換」はもちろん、企業において「情けに報いる」姿勢、すなわち情報の「公開と共有」が必要不可欠であることは、ここまで回を重ねれば皆さんもご承知だろう。 ワイパーも役に立たないような土砂降りの中では、日頃乱暴な運転をしている者も思わずスピードを落として慎重に運転するようになる。前方を見通せれば、たとえ悪路でも各自の技術に応じて走れるが、先が見えないのにうっかりアクセルを踏むわけにもいかない。 「構成員すべてに先の見える経営」を確立せよ 経営情報を一切公開せず、部長などの上級管理職ですら自社の業績を正確に把握できない旧体質の企業の話を耳にすることもあるが、このような職場では士気の高揚など期待できまい。社員にとっては、先の見えない豪雨の中を、ただ後ろから「走れ走れ」と煽られているようなもの。「情けに報いる」姿勢とはほど遠い秘密経営では、生き残りは到底不可能と言っても過言ではない。 またどの企業でも、優位性を保つために自分ひとりで情報を独占してしまう「勘(違い)理職」や、「そんなこと聞いていません」という言い訳ばかりが得意な「開(き直り)社員」の部下がいると思う。経営の迅速化を阻むこの悪循環を断つためには、経営情報の「公開と共有」を全社でシステム化し、「構成員すべてに先の見える経営」を確立することが急務だ。 創業時の企業なら、少数の社員が互いにほぼ対等な関係で意見を出し合って、運営していくこともできる。しかし、規模が拡大して社員が増えるにしたがい、最先端で働く者、それをいくつかのチームに編成して管理する者、さらに複数のチームを統括する者が必要になってくる。 今では世界中に広まっている「ピラミッド型組織」は、19世紀後半にプロイセン(現在のドイツ)軍の参謀が考案したものだ。それが以後各国の軍隊に留まらず、フォードを始めとする多くの企業に採用されたのは、ごく自然な流れだと言えよう。 フラットな「ネットワーク型組織」でなければITは生きない ただ、本物のピラミッドに外からは見えない玄室があるように、ピラミッド型組織も内部に不透明な部分が生じる可能性がある。そして、それが腐敗の温床となることは、数々の不祥事を見れば想像に難くない。 また組織の肥大化に伴い、上下左右の情報伝達に時間がかかり過ぎたり、時には情報そのものが歪んで伝えられたりするようになる。さらに末端の人間が自ら考えることを止め「指示待ち」に徹するようになると、組織はますます硬直化していく。 20世紀には抜群の安定性を誇ったピラミッド型組織も、今や急激な時代の変化に対応できなくなっている。ITの波がどんどん侵食して、崩壊の度を速めている。当社ではIT時代を見越して、部門間の壁を取り払いフラットな「ネットワーク型組織」をいち早く構築した。 人間の神経組織のごとく張り巡らされたネットワークを通じ、様々な指示や情報が縦横無尽に行き交う組織でこそ、ITもその能力を十分に発揮できる。そしてその結果、当社の現在の好業績が実現されたと自負している。「人が組織を動かす」。状況に即した組織を模索し、常に自己変革を試みなければ、時代の勝者となることはかなわないだろう。 次回は、当社の経営手法の根幹を成す「仮説検証」について解説しよう。 |
「仮説検証」は、当社を特徴付けるキーワードの1つだ。本来は統計分野で確立された手法だが、私が経営の現場に応用してから約10年が経過した。その成果は今、はっきりと業績に表れている。 まずは、「仮説検証」の定義から説明しよう。「ビジネスの動きに仮説を立て、実行し、事実を詳細に把握し、仮説との差異を検証する一連の流れ」。これが一般的な定義だ。新入社員が最初に教わる業務の基本、「プラン(計画)・ドゥ(実行)・チェック(検討)」と言い換えればより理解し易いだろう。また、先述の「情報を収集、分析して“知恵”へ変換する」という情報活用のステップも、仮説検証の流れに置き換えることができる。 仮説検証とは「プラン(計画)・ドゥ(実行)・チェック(検討)」 皆さんが青春を謳歌していた頃、ぜひ交際したい異性がいた場合に、どのような行動をとっただろうか。私は男なのでその前提で話をすると、まず彼女の趣味などの情報を周囲の友人たちから得て共通の話題を準備し(プラン)、機会を見計らって話しかけるだろう(ドゥ)。そして会話を重ねてより多くの情報を収集し、彼女の反応を窺ってその気がありそうだと判断すれば(チェック)、次の段階に進んでデートに誘う。 もちろん、好みの食べ物をリサーチするのは当たり前。レストランで食事をしたり、プレゼントを買ったりして次第に親密度を深めていくはずだ。この先はご想像にお任せするとして、このように経験を積んで女性一般の行動パターンや趣味に詳しくなり、さらに次の女性との交際に活かす、という繰り返しがあったのではなかろうか。 卑近な例ではあるが、ここで私が強調したいのは、この仮説と検証の繰り返しは誰もが特に意識せずに日々行なっているものであり、何も難しく考える必要はないということだ。 「仮説検証」は、この当たり前のステップを意図的にビジネスに取り入れ、特に「データ(=情報)」と、行動の「スピード化」を重視した点が特徴だ。不況の荒海の中で漠然とした経験と勘だけに頼って船を操るのではなく、ITを駆使して蓄積したデータを羅針盤とし、すばやい判断で企業を正しい方向に導く「仮説検証経営」こそが、この変化の時代には必要だと言えよう。 膨大なデータから「意味」を読み取れるのは人間だけ コンピュータを始めとするITの進歩、それを利用するノウハウの開発によって、扱う情報量は飛躍的に増えた。しかし、膨大なデータから「意味」を読み取り次の仮説に活かせるのは、人間の頭脳や知性、そして感性しかないことを改めて強調しておきたい。 市場予測の精度は、社員の能力に左右されると言っても過言ではない。重要なのは「全社員がマーケッター」という考えのもと、各人が情報の発信者であり受信者でもあるという自覚を持たせ、「情報感度」を高めるよう常に指導することだ。 現場で収集された様々な情報はネットワーク型組織の中で共有され、企業力の源である「知恵」として蓄積されていく。この知恵の「質と量」が、企業が繁栄を続けるカギであることも忘れてはならない。 以上、情報に関する私の考えを述べてきたが、次回からは当社の事例を紹介しながら、より実践的な「情報活用」について考えていくこととしよう。 |
私は根っからの文系人間で、今もコンピュータに関しては全くの素人だ。そんな人間が「IT」活用経営で注目されるというのも妙な気分だが、物事の「仕組み」は理解しているつもりだ。 仕組みが分かれば、目標達成に向けてどんな手段で何をすべきかが明らかになる。ビジョンを示した後は、「餅は餅屋」で専門スタッフに任せればよい。文系人間ならではのアイデアと、「不可能です」と躊躇しながらも最終的には具現化してくれる優秀な理系社員に支えられ、当社のIT化は進んできた。 36年前米国で初めてコンピュータを見た その始まりは36年も前に遡る。 創業から20年、事業は順調に拡大し、渋谷から現在の東京・大森に新社屋を移転した1969年、創業者の父から米国行きの片道切符を手渡された。当時私は営業部長だったので、単身ロサンゼルスに乗り込んで、売場を作ることを命じられたのだ。幸い父の知人の助けを借りて、ロサンゼルスのショッピングセンター内に、当社の製品を並べてもらえることになった。 だが息つく暇もなく、父からニューヨーク行きの指示が下った。世界有数の百貨店、メイシーズを見学せよとのことだった。 ある日、売場のゼネラルマネジャーが、それまで見たこともない機械を見せてくれた。タイプライターのような端末なのだが、カチャカチャたたくとダンボールがベルトコンベヤーに乗ってポンと出てきたのだ。まるで手品のような光景に私は驚くばかりだった。 実は、バーコードを利用した店内物流システムの実証実験中であり、その端末こそコンピュータだった。技術や機能などの詳細はさっぱりわからなかったが、ただ日本と米国の技術レベルの大きな隔たりだけは痛感できた。思えばこのカルチャーショックが、私とITとの初めての出会いだった。もちろんITという言葉は、当時その萌芽さえなかったが。 数値データの重要性は以前から強く感じていたので、帰国後さっそく父に詳細を報告し、コンピュータ化の必要性を説明した。しかし導入に対して、社内の意見は賛否両論に分かれた。特に役員会議では、「生産設備の拡充を優先すべきだ」「小さい会社には必要ない」と反対する声が大半だった。 「零細企業だからこそコンピュータが必要」 それでも父は、「零細企業だからこそコンピュータが必要なのだ」と言い切り、導入に踏み切った。その先見性と英断のおかげで、1971年にはコンピュータを店舗の在庫管理に活用し始めた。 当時の経常利益額を考えるとかなり高額の投資であり、父にとってはまさに清水の舞台から飛び降りるような決断だったに違いない。しかしあの時の父の一言に、「よし、やるぞ」と思わずこぶしに力が入ったのを、今でもはっきりと覚えている。 運命の出会いから長い時が流れた。父の一言は今も耳に響いており、社長業を引き継いだ私のこぶしはまだ固く握りしめられている。この春、決意も新たに、さらに高次の情報システムをスタートさせたばかり。だが今後も、当社のIT化への挑戦に終わりが来ることはないだろう。 次回はITによって効率化した業務の数々と、ソフトの開発についてご紹介しよう。 |