確か中学3年のときだと思います。友人たちと3人で自転車に乗りどこかへ向かっていたときのことですが、友人の一人が急自転車を止め地面から何かを拾い上げました。その友人のところへ近づいてみると、手には折りたたんだ1万円札がありました。誰かが道路で落としたのでしょう。
さてその1万円を交番に届けるべきか。3人でどのような会話をしたのかほとんど覚えてないのですが、さして議論した記憶もないので、わりとすんなり「俺たちで山分けしよう」ということになったのだと思います。
スーパーかどこかで小さいものを買って千円札に崩し、拾った友人には4000円、私ともう一人の友人には3000円ずつで山分けしました。
当時中学生としては、3000円はけっこうなこづかいです。記憶では親からもらっていたこづかいの1ヶ月分ぐらいだったと思います。それほどの臨時収入があったのですから、以前から欲しかったものを買うとか何か有意義に使えるはずなのですが。。。
それが、なぜかその3000円を何に使ったのか、当時の自分としてもさっぱりわからなかったのです。いわゆる「気がついたらなくなっていた」という感覚です。
15歳の私はその時、拾ったお金を届けず勝手に使うというような道理に反して得たお金は、けっして手元にも残らず自分への有効な使い道も成立しないものだと感じたのです。これはかなり強い印象で教訓として私の中に残りました。
ただし、それ以降、お金を拾ったことはありませんし、棚ボタ的にお金が入ってきたこともありません。
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