五木寛之の本




 




生きるヒント1(角川文庫)

−自分の人生を愛するための12章−

1章 歓ぶ
2章 惑う
3章 悲む
4章 買う
5章 喋る
6章 飾る
7章 知る
8章 占う
9章 働く
10章 歌う
11章 笑う
12章 想う




 



生きるヒント2(角川文庫)

−いまの自分を信じるための12章−

気に入ったフレーズを書きつづってみる。

1章 損する

・・・人が気にしている欠点には限りがありません。
 そのことによって<ソンしてる>と思うこともあるでしょう。自分を駄目な、いやな人間だと情けなく思うこともあるでしょう。
 しかし、カミとか、ホトケとか、そのような宗教的な光は、むしろ心貧しき者の上にこそ射すのだと思います。


2章 励ます

 ガン細胞や、病気や、障害を<悪>とみなし、それをやっつけり、戦って勝つ、叩きつぶす、という姿勢には無理があるような気がしてなりません。


3章 感じる

<体が自分に話しかけたがっている>
というのは、おそらくとても曖昧な言い方です。しかし、なんとなく正しい考え方のような感じがする。

4章 任せる

 努力をしたから、その分だけむくわれて当然だという理屈は、ないんじゃないかとぼくは思います。人生とは、思うにまかせぬものなのです。その気になって頑張っても、できないことはできない。
 なにかが働いているのです。自分の力をこえた、目には見えないなにかが。

5章 乱れる

・・・人間も、自然も、この世界も、変なところ、乱れたリズム、いいかげんな仕組み、などをどこかに隠している。そして、その乱れが消えると正常なリズムも働くことができないのではないか。

6章 夢見る

 すべてを何かの手にまかせる。そして、そのまかせるという決心すら、自分がしたのではない。目に見えない大きな光が人間をあたたかく照らして、すべてをその手にゆだねよう、という気持ちに向うからさせてくれるのだ、という。

7章 忘れる

「記憶力にすぐれた人は、想像力に欠けるんだよ。その反対に豊かな想像力にめぐまれた人は、往々にして記憶力に欠けるんだ。人間というものは風船とおなじでね、その大きさはみな同じなのさ。だから片一方を大きくふくらませると、その反対側がくぼむ。物忘れがひどいってことは、また別な面で恵まれていることなんだろう」

8章 教える

 この世に<青い鳥>が必要なら、それは自分の手で作るしかないんだよ、と。はじめっから用意された<青い鳥>つまり希望なんかない。しかし人間にはそれが必要だ。だからこそぼくたちは、それを自分で生み出すしかないんじゃないか。希望も、夢も、幸福も、すべて準備されてはいない。

9章 認める

 そもそも、勝つとか負けるとか、そういう考え方そのものに問題があるのです。私たちは人生をあるがままに受け入れなければならない。

10章 属する

 風のように見えない故郷をもつこと。いま生きている場所を母国と感じること。
 キザなようですが、それが、ぼくの理想なのです。

11章 出会う

 人はこの世を去り、ふたたびこの世へもどってくる。そしてふたたびこの世を去り、またしばらくして帰ってくる。このように人間の生命は、往き還り、還りまた往き、尽きることなく宇宙の大きな流れの中を<往還>する。

12章 愛する

 宗教も科学も、もともとは今よりはるかに雑然としてあやしげなものだったはずです。それが洗練され、形が整えられ、純粋化されてゆき、そして痩せてゆきます。豊かなものが削ぎおとされ、高級になったぶんだけ貧しくなってくる。すべての文化は、そういう運命をたどるようです。
 芝居も、音楽も、お茶も、文芸も、みんなそうです。
  生きるヒント3(角川文庫)

傷ついた心を癒すための12章

1章 楽む
2章 軽く
3章 味う
4章 尽す
5章 墜る
6章 食う
7章 噺す
8章 闘う
9章 注ぐ
10章 許す
11章 悩む
12章 幸せ


2章 軽く・・・蓮如のことば、「人は軽々としたるがよき」。
そして、スペインに住むSという女性のこと。

8章 闘う・・・病気と闘うという考え方、人間は生まれながらにして四百四病を内包しているという考え方。





 



生きるヒント3(角川文庫)

傷ついた心を癒すための12章

1章 楽む
2章 軽く
3章 味う
4章 尽す
5章 墜る
6章 食う
7章 噺す
8章 闘う
9章 注ぐ
10章 許す
11章 悩む
12章 幸せ


2章 軽く・・・蓮如のことば、「人は軽々としたるがよき」。
そして、スペインに住むSという女性のこと。

8章 闘う・・・病気と闘うという考え方、人間は生まれながらにして四百四病を内包しているという考え方。






 


















 


















 



夜明けを待ちながら (幻冬舎文庫) 

読者からの手紙に対して答えていく形式の文章。語り口調なのでとても読みやすい。

第九夜の「自己責任」では、市場原理主義に話が及び、この先誰も何も頼りにできなくなる社会になると警告している。








戒厳令の夜 新潮文庫

スペインの天才画家が描いた絵をめぐる壮大なスケールの物語。
この戒厳令は1973年チリの軍事クーデターを指しているが、福岡の博多から話しは始まる。

あとがきには1976年・横浜とある。五木氏は1932年生まれだから44歳のときの作品ということになる。氏はこのあとがきで
「予感としてあるのは、今後世界は間違いなく<戒厳令の時代>に属するようになるだろう・・・」と述べている。
残念ながら、それは現代の管理社会と不条理な殺人事件が繰り返されるこの時代を言い当てている。




 



人間の関係(ポプラ社)

『人間は「関係」がすべてである』という考えにもとづくエッセイ。気に入った一節を。

 たとえば、革命家というのは、世のため、人のために革命に身をささげても、最後には民衆から裏切られ、追放され、処刑される。これが正しい革命家のあり方だと、ぼくはずっと思ってきました。
 それと同じで、自分の行為は決してむくわれない。そう思いながらも一生懸命尽くし、見返りを求めない。すべて裏切られても仕方ないし、ひょっとしてほんの少しでも相手がそれに対して好意をしめしてくれたなら、飛び上がって喜べばいい。







蒼ざめた馬を見よ 文春文庫


ソ連の作家が書いた幻の原稿を追う日本人の物語。新聞社を辞めた主人公がソ連で活躍するストーリ。だが裏に政治の闇。直木賞受賞作。
そのほか、下記の4点を収録。
「赤い広場の女」・・・仕事に疲れてモスクワへ。そこで友人の恋人と街を歩く。
「バルカンの星の下に」・・・旅先で大学教師の奇妙な夫婦と出会った話。
「弔いのバラード」・・・保育園の保母をしている混血女性が絵を描き、出版社が彼女の人生を利用する。
「天使の墓場」・・・高校生を率いていた若い教師が山で遭難し、そこへ米軍機が墜落する。
初版:1974年




 



恋歌 講談社文庫


主人公はレコード会社の部長。戦争の傷を引きずる夫婦と、交通事故がきっかけで知り合った姉妹。
500ページ近くの長編。読み終えて、じんわりと心が温かくなった。昭和のいい時代の物語、という気がする。残酷になりすぎない展開が五木氏のすばらしさだと思う。
初版は1971年。




 



蓮如物語 (角川文庫)

蓮如の生涯を年少者向けにやさしく書かれている。中学生くらいになると反抗心が出てくるので、できれば小学校高学年までに読ませたい。もちろん、大人でも仏教を理解する取っ付きに最適。大きい活字で文字の間隔も大きくとってあるので、すぐに読了できる。





 



人間の覚悟(新潮新書)


自分にとって大事だと思った場所を書き出してみる。

 下降していく社会と、個人的には上昇していこうとする人たちの摩擦、どこにも出口の見えない閉塞した社会、うだつのあがらない自分自身へのやり場のない怒り、なんとか自己を啓発をしてもっと幸せをつかむのだという姿勢は否定しませんし、抑圧されたまま発酵してガスが出ているような鬱の気分が、多くの人を心の病に向かわせているのではないでしょうか。
(「第三章 下山の哲学を持つ」より)

 社会の体制という縦糸も、会社や家族という横糸も切れてしまえば、やはり人は孤独を感じざるを得ないでしょうし、自分の悲しみや孤独を訴える家族が解体し、親にも話せない、親友もいないとなればブログに書き込むぐらいしか内のだろうと思いますが、結局は満たされない気持ちが残るはずです。
(「第三章 下山の哲学を持つ」より)

 数年前、ある地方で子供の誘拐事件が起きたとき、学校で「知らない人に道を聞かれたら、走って逃げなさい」と教えたことが問題になりました。他人に道を聞かれて逃げ出すように教えることが教育として正しいかどうか、という議論がありましたが、人間には身を守るための警戒心や注意力と同時に、やはり「信じる」ということも必要です。
 これはとても難しいことですが、「信じること」と「疑うこと」、その二つを両手に持って生きなければならないのです。
(「第五章 他力の風にまかせること」より)

 結局、どうしたところで自力には限界があるような気がします。私には人をけしかける気はありません。社会主義の幽霊であれ、資本主義の断末魔であれ、やはり他力なのだと考える人間にとって、あらゆることのすべては自力で成し遂げられるという考え方は、幻想としか思えないのです。
(「第五章 他力の風にまかせること」より)

 自分の存在自体に、何か世のため人のためになることがあるのを、忘れてはいけません。私自身、美しい人を見ると何となく心がなごむし、すごいミニスカートを見たら、あれもお布施だな、世間に対する施しの一つだとありがたく思うようになりました。
(「最終章 人間の覚悟」より)

 戦後六十年を振り返ってみても最悪の時代が、これから「来るぞ、来るぞ」ではなく、今「来てしまった」のです。明けない白夜のような鬱の時代は十年や二十年で終わることはないでしょう。躁の時代と同じ五十年ぐらいは続くかもしれません。
 歴史を見ればわかるように、時代の流れはそうやって何十年かおきに坂を上ったり下ったりするものです。全てが移り変わっていくなかで、人は「坂の下の雲」を眺め、谷底の地獄を見つめなければならない時がある。だからこそ「覚悟」が要るのです。
(「最終章 人間の覚悟」より)