買うに値するクルマの条件って何だろう? 

 本棚を整理していたら、十年近く前に読んでいた、沢木耕太郎の『バーボンストリート』というエッセイの本が出てきた。懐かしく思い、久しぶりにその本のページをめくっていたのだが、その中に「寅さん」を題材にして映画評論家のことを書かれている文章があった。彼はこのエッセイのなかで、次のようなことを主張していた。評論家が選ぶ映画ベストテンなどは、なぜこれが選ばれているのかわからない作品ばかりである。自分の判断とは隔たりが大きい。それはおそらく、評論家が身銭をきって映画をみているわけではないからだ。「芸術性が高い」などと評される映画は、見終わってから「金を返せ」という代物ばかりで、大衆的な娯楽作品は常に黙殺されている。
 すなわち、一般人は映画に対して相応の対価を払うわけだから、それに見合う映画なのかどうかという基準を持っているのに対し、評論家はほとんど無料で映画を見て評価を下すので、一般人と評論家の間には大きな「認識のズレ」が発生している、というのだ。
 彼が結論としていいたかったのは、大衆娯楽作品の扱いがあまりにも粗末であることに対する批判である。「寅さん」は、ストーリー的にマンネリで、評論家も批判めいたことしか書かない。けれど、このマンネリ映画が長らく大衆に支持され、いつも多くの客を映画館に呼んでいるのはなぜか。沢木氏はこう述べている。「大事なことは、世の中には同じようなストーリーだから見ないという人ばかりでなく、同じようなストーリーだからこそ見るという人が決して少なくないということだ。(中略) 『男はつらいよ』を見に行く人は、自分の好きな、狎れ親しんだ世界に浸りたいからこそ、千五円からの金を払って映画館に入る。」(注:この本の初版発行は昭和五十九年)
 これを読んで「クルマにも同じことがいえるよなあ」と思った。すべてがそうであるわけではないが、概して評論家が絶賛するクルマは、あまり売れ行きがよくないような気がする。クルマとしての完成度の高さと、それを受け入れる市場とのズレがあるのだろう。完成度が高い、というのはどういうことなのか。これは、視点の違いによって定義もまた変わってくるのだろうが、総括的には、時流に合い、コンセプトがしっかりと煮詰められ、それが具現化されたものは完成度が高いといえるだろう。けれど、このコンセプト、というものが厄介なのだ。
 クルマは嗜好性が高い商品である。そういう商品において、コンセプトを絞るということは、最終的には、ある特定のシーンを想定する、ということだろう。しかし、これは生活のなかでも特別なシチュエーションである。クルマのように生活に大きく影響を与える商品は、この特別以外の、つまり日常の使用状況をも含めた想定をしないと、いわゆる「マニア向け」で終わってしまう。ほとんどの消費者は、そういう日常も含めた生活シーンを想定して、対価に等しいかどうか判断して金を払うわけである。売れるためには、日常も快適でなければいけないわけだ。
 クルマに限らず、ものづくりすべてにいえることだが、小ロット生産というのは、こういうデフレ下ではかなり辛い。メーカーに携わるものとして、売れなければ商品化しにくいという事実は身にしみてわかる。売れなければ、廃止せざるを得ない。バブルの頃のように体力が残っていないから。家電でもそうだが、概して提案型商品というのは、まず売れない。というのは、作り手側がコンセプトを絞っていったとき、往々にしてそのコンセプト提案と、実際の使用状況では、かなり違いがあるのだ。作り手の思いと、買い手の価値判断のズレといってもいい。スポーツカーでも快適性は必要。同乗者に気を配っていないクルマは、いっそ一人乗り仕様にして売ればいい。クルマを「走る」ことだけに視点をおいた批評などの解説を読んでいると、シラけた気分になってしまう。クルマ評論家の方はそのあたりをどのようにお考えか。
 GT−Rのようなクルマを否定するわけではない。夢のあるクルマ、わくわくするようなクルマが無くなってはいけないが、それらが必ずしも我々一般大衆の払う対価に等しいとは限らない。その点、アルテッツアの商品化は見事だ。買う人間の心理と、対価への考え方をしっかり見極めている。アルテッツァに対する評価は、発売前はどの雑誌もおしなべて歓迎ムード一色だったが、発売後は手厳しいものもけっこう見受けられる。これらはすべて、視点が「走り」だけに偏った、独りよがり的解説だ。ある雑誌のインタビュー記事で読んだのだが、設計者はこう考えて仕上げたという。このクルマを買う人でも、運転する9割以上は日常で、特別に「走らせる」シチュエーションはごくわずかである。この二つの状況を両立させるように作り込んだと。
 ターゲットはヤングファミリーのお父さん。家族のことを考えないわけにはいかない。けれど、ごく短い時間だったとしても、ひとりでクルマを操る時間を存分に楽しみたい。そういったお父さんの夢をかなえたアルテッツァはまぶしく映り、同時にトヨタの巧みな商品開発力に感心してしまうのである。

(driver '99/5/20号掲載)