国道の歴史


<国道の成り立ち>
 明治9(1876)年6月8日、大政官達第60号として、「道路付橋梁法案」によって、はじめて国道の名称が制定される。同法は明治時代の道路法であるが、このとき道路を、国道、県道、里道の3種類に分類し、それぞれこれを1等、2等、3等に区分した。国道の等級区分は
・1等は東京から各開港場に達するもの(1〜8号)
・2等は東京から伊勢の皇太神宮(9号)各府の本庁、各鎮台に達するもの(10・11号)
・3等は東京から各県庁に達するものおよび各府、各鎮台を連絡するもの(12〜44)
となっている。(鎮台とは陸軍の軍団。東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本の6鎮台があった)
 その後、明治18(1885)年1月6日の大政官布達第1号によって、国道の級別は廃止され、新たに国道44路線の認定が行われた。実質的には、これが最初の国道認定となる。これらの路線は多くが重複しており、現在の国道制定基準とは考え方が大きく異なる。具体的に示すと、1号は日本橋から横浜港まで。2号は日本橋から大阪港。3号は日本橋から神戸港、というように現在のネットワークという視点はなく、発想はあくまでも東京と各拠点を結ぶ一極集中型である。のちに路線が追加され、最終的に60路線・8,712kmとなったが、それ以降は国の交通政策が鉄道優先型の予算配分となり、戦後の昭和27年(1952)、新道路法が制定されるまで大きな変化はない。

<指定区間制度導入>
 その新道路法では国道の再編成が行われ、1級国道と2級国道が指定された。その延長は一挙に24,052kmとなったが、昭和39年(1964)、この級別は廃止され、一般国道となった。このとき、国道の「指定区間制度」が本格的に導入された。「指定区間制度」は、建設大臣が直接管理を行うもので、指定区間以外はそれぞれの知事、つまり都道府県が管理を行う制度である。昭和33年にすでに導入されていたが、国道一元化で、指定区間制度の存在意義はより重要性を増したといえよう。
 この指定区間、58号までの若い番号の国道ほぼ全区間と、交通量の多い3桁国道の一部が指定されている。なお、この指定はあくまでも「区間」の設定なので、ある国道全線が指定されるわけではない。たとえば、国道153号は起点が名古屋で終点は長野県の塩尻だが、指定区間は名古屋〜飯田間である。
 ついでに、法律的にいうと、国道の設定は「一般国道の路線を指定する政令」、指定区間の設定は「一般国道の指定区間を指定する政令」という、なんともややこしい表現を使っている。

<現在国道全459路線>
 昭和39年に、等級が廃止され、翌40年に設定された国道は、222路線、27,205km。その後5回の追加設定が行われ、平成11年4月現在、国道の路線数は459本。延長は、重複区間を含めない距離が約53、300kmとなっている。このうち、指定区間は167路線、約21,445kmである。
(99/7/5記)

国道の経緯
@元一級国道の指定
第一次指定 /昭和27年12月 40路線 9205km
第二次指定 /昭和33年9月  3路線  662km
第三次指定 /昭和37年5月 40路線 2955km

@元二級国道の指定
第一次指定 /昭和28年5月 144路線 14847km
第二次指定 /昭和31年7月  7路線   818km
第三次指定 /昭和37年5月 33路線  3067km
      /昭和38年3月  1路線   32km

@一般国道の指定
   昭和40年3月 222路線 27205km 1〜57、101〜271号
@一般国道の追加指定
   昭和44年12月 71路線 5798km  272〜328号(従来路線の延長も含む)
   昭和47年4月  5路線 276km  58、329〜332号 (沖縄)
   昭和49年11月 73路線 5867km  333〜390号(従来路線の延長も含む)
   昭和56年4月  83路線 5543km  391〜449号(従来路線の延長も含む)
   平成4年4月  111路線 6061km  450〜507号(従来路線の延長も含む)