‘89の夏


僕が免許をとったのは、20才の夏だ。1年間浪人してやっと大学に入れたとき、まず僕の第一目標は「クルマの免許を取ること」だった。多くの高校生がそうであるように、クルマを運転することに大きな憧れを持っていた。僕は5月生まれなので、法律的には高校3年生のときに免許を取ることはできた。しかし、大学進学を決めた僕は、免許も欲しいがまずは大学に受からねばならない、と免許を取ることは、とりあえずはあきらめた。
当時はハイソカーブームで、GX71型のマークUが爆発的に売れた時代だ。友人の父親がそれを買った影響もあって、受験勉強の合間には、年齢を偽ってもらってきたマークUのカタログを見ては、自分を奮い立たせたりしたものだった。しかし、「大学にはいる」という意志は禁煙と同じでさほど長くは続かず、かばんの中は参考書から自動車雑誌に変わっていった。結果は、あたりまえのことだが、予備校に進学(?)が決まり、よってクルマの免許取得も1年延期となった。とはいえ、あきらめきれない僕は、せめてエンジンのついたものを、と原付バイクで当面をしのぐことにした。
 そんなこんなで、原付免許をとってから1年と4ヶ月。原付で欲望をごまかしてきた僕は、念願の「普通自動車運転免許」を取得した。真新しい免許証を手にした僕はその夜、さっそく家にあるクルマに乗ってみた。このクルマというのが、父親が残したダイハツ・ミラクオーレだった。父は僕が浪人していたときに亡くなり、彼以外免許を持っている人間がいなかった我が家で、このクオーレは約半年間、ほとんど動くことがなかった。バッテリーがあがっては困るので、ときどき僕がエンジンをかけていたのだけれど、やっと本来の「走る」という役割をまっとうする日が来たのだ。しかし、この季節(7月末)にこのクオーレは、僕にとって少々きつかった。なにせこのクオーレには、クーラーがついてなかったのだ。父親がこのクルマを買ったのは3年前。なんでまたクーラーをつけなかったのか。周りを見渡しても、自家用車でクーラーがないクルマなんてまずなかった。しかしまあ、クルマではクルマである。4つの窓を全開にし、もちろんついていないステレオの代わりに後部座席にラジカセを置き、僕は悠々と夏の夜のドライブに出かけた。その日はたしか、神戸市北区の鈴蘭台のほうまで行った。当時の彼女の実家があるからだ。しかし、地方の大学にいる彼女がそのとき帰ってきていたのか、そして彼女を助手席に乗せたのか、会いに行っただけでこのクオーレには乗らなかったのか、まったく記憶がない。僕が覚えているのは、最大にしていた送風ファンの騒音と、西神戸有料道路のオレンジ色の街灯だけだ。おそらく頭はクルマのことでいっぱいだったのだろう。ミッション車だったが、エンストせずに家まで帰ったことで、僕は「もう運転を恐れることはない」と都合勝手なことを考えていた。

(98/9/6記)