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 国道走破のルーツ その2

 
淡路島の岩屋港に着くと、さっそく記念撮影をした。この旅行のために特別に作った揃いのTシャツには後ろ身に「Phoenix Staff 1989 Touring Team」と書かれている。“Phoenix”とは、予備校時代に入り浸りで過ごした喫茶店の名前だ。この旅のメンバーは、みなそこで知り合った。ほとんどは同じ予備校だったのだけれど、学校で出会った記憶は数えるほどだ。会うときはいつもこの喫茶店で青いエプロンをつけていたような気がする。
ともかく、記念撮影を終えて、僕たちは今日の目的地、室戸岬に向かって、本格的に旅をはじめた。ルートは洲本まで国道28号を南下し、そこから県道で海沿いに鳴戸へ。大鳴門橋を渡り、国道11号、徳島から国道55号を走り、夕方には室戸岬に着いた。ここまで家から約270km。事故もなく、無事初日を走り通したことに安堵感を覚えた。キャンプで一夜を明かし、翌日は55号を高知まで走り、その後国道197、439、県道等を利用して四国カルストが展開する天狗高原まで登った。よって、僕の最初の走破国道は55号である。
そのときはとくに意識していなかったけれど。しかし、高知県の須崎から天狗高原までの道のりは激しかった。当時は、国道とはセンターラインが必ずある整備された道だと思っていたのだが、これがとんでもなかった。進むにつれ道幅は狭くなり、ヘアピンカーブもきつくなる。強烈なのは、木材を満載した大型トラックが走っていることだ。見通しがきくところなら待っているのだけれど、急勾配と急カーブが連続する狭い道でこちらは先導のバイクについて行くのがせいいっぱい。対向車が現れたときは助手席の友人が窓から顔を出し、左側の死角部分を「あと30cmだいしょうぶ」などと細かく導いてくれたので難を逃れた。この山道体験のおかげで僕は車両感覚がかなり磨かれたような気がする。友人に感謝!である。
 そして、果てしなく続くかのように思われた急カーブを乗り越えた先には、素晴らしい夕焼けが僕たちを出迎えてくれた。トンネルを抜けていきなり僕の視野に広がった標高1300mの高原での夕焼けは、いまでも鮮烈に僕の瞼に焼き付いている。これほどの感動を持ち得た夕景はいまだに出会ったことがない。そこにたどり着くまでの苦労のうえであることも確かなのだが、僕はこの感動をいつまでも色あせないよう、いまでもときどきアルバムを開く。
その後は四万十川、大歩危峡を経て、開通して間もない瀬戸大橋を渡り、6日間の四国旅行を終えた。このときは詳細な記録をとってなかったので正確にはわからないが、全行程で約1500kmを走った。接触等の些細な事故さえもなく、無事に帰ってこれたことにまずは満足した。
しかし、初めてのクルマでしかも免許取得直後、全泊キャンプで自炊という生活を考えると、「やはり若さだなあ」なんて思ってしまう。いずれにせよ、この旅がきっかけで僕は国道を走り回る、「けったいな趣味」の世界に引き込まれていった。                       (98/9/12記)