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 国道走破のルーツ その1

 
教習所に通い初めてしばらくたったころ、浪人時代の友人から、夏休みに四国をまわる旅行を計画している話が舞い込んできた。彼らはほとんどがバイクに乗っていて(しかもほとんどが浪人時代に中型免許をとって乗っていた)1週間のツーリングに出かけるから、僕もいっしょに来い、という。僕はクルマだぜ、というと、キャンプ道具を運ばなければならないからそのほうが都合がいい、という。元来旅好きな僕が、こんな誘いを断るわけがない。
僕は中学生のころから列車で日本中を旅していた。さすがに浪人時代はそれができなくてストレスが溜まっていた。考えるまでもなく、僕はその旅行に参加することを約束し、さっそくその準備にとりかかった。まずは免許を取らなくてはいけない。それと、クルマも適切な物を用意しなければならない。いくらなんでも、真夏にクーラーのない乗用車で旅をすることは避けたかった。それに、この先長い目で見てもクルマを買い換える必要があると思ったので、友人と中古車屋をまわることを始めた。
免許の方は、途中教習所で教官とけんかしたこともあって少し予定が延びてしまっていた。出発日は決まっているので、時期早尚、とも思ったが路上教習が始まったころ、1年半落ちのファミリアを買った。パワーウィンドウなどフル装備の「SUPER XE」というグレードで、走行距離も1.5万キロ。少々親父くさいクルマではあったが、手をいれればそれなりの見栄えがするだろう、と早々と申し込んでしまった。晴れて免許をとった直後の1週間は、そのクーラーのないミラクオーレに乗っていた。ファミリアが納車されたのは、四国出発の前日。実際クルマがやってきて思うことがあった。
「しかし、免許とって1週間。慣れないクルマで、明日から6日間も四国をまわるなんて、考えたら無謀なことかもしれない。親父が生きていたら激怒してただろうな」
そんなことを考えながらも、明日は出発だ。キャンセルするつもりもない。不安と期待を背負って、少しでも慣れておこう、とその夜少しドライブすることにした。友人に譲る予定のクオーレからラジカセをファミリアに移した。そう、このファミリアにもステレオはついていなかった。まあ、でもクーラーがついてるし、なんといっても1500ccだし、望みどおりのマニュアルミッションだし、と楽しげにファミリアのクラッチをつないだ。
 そのようなわけで、僕は慣れないファミリアを操りながら、バイク乗りの友人数名と四国をまわる旅に出た。僕のクルマはひとりでなく、助手席にクルマ・バイク両方とも免許を持っていない友人が乗っていた。ひとりでないのはこころ強い。早朝明石港に集結した僕たちは、快晴の空の下、淡路島の岩屋港行きのフェリーに乗り込んだ。  
(98/9/6記)