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 エッセイ〜暁光

 
 夜に旅立つのが好きである。意図的に9時以降に出発することが多い。まず、クルマの量が減る。出発時に渋滞では、高揚していた気持ちも萎えてしまう。それに、旅に出るというのは、日常からの脱却であるのだが、人々が1日の生活を終え休息に入ろうとするときに反するあらたな生活の始動という行為が、脱却意識をさらに高めようとする。夜の持つ狭い視野が、不必要なものを闇で包むことによって逆に自分の世界をよりクリアに浮き立たせる。つまり、独自の世界に浸ることができるわけだ。こころなしか、スピーカーから流れるバラードも、より音に重みを増して車内を染めていくかのようだ。ハンドルの奥にあるインパネのメータースケールはくっきりとその存在を誇示し、ステレオのイルミネーションは、青くコンソールを照らし出している。そんな小さな空間に身を置いて、幹線道路を少し流し、ドライブインのネオンが輝くバイパスのインターチェンジに着く。夜のインターは道路を照らすオレンジ色の照明灯が幾つも並び、長距離トラックがイエローハロゲンのフォグランプを点けたまま巨体を休めている。この空気なのだ。俺をかき立てるのは。アスファルトを照らす灯り、テールライトの光跡、くすぶったアイドリングの音。新潟、長崎、習志野。様々なナンバーの車両が、バイパスのランプに吸い込まれていく。そして、僕も同じように吸い込まれていく。
 孤独な走りは、このまま永遠に続くんじゃないかというような気持ちにさせる。助手席に置いてあるカセットテープやCDはデッキに飲み込まれ、一通り仕事を終えればに吐き出される。それらを何度も繰り返される。時計の長針は何度も回り続ける。道路に立てられてある市町村の看板が次々と後方へ去っていく。やはり、この闇は永遠に続くんじゃ無いかと思う。ふと、ルームミラーを見ると、黒一色だったミラーの中は、その小さなスクリーンに山の稜線を浮かび上がらせ、その上には濃紺の空が広がっている。夜明けだ。明星が見える。
 山間部を抜けて、道は海沿いに変わった。漁に出て行く漁船が沖へと向かっている。まだ明け切らぬ空は、それでもすっかり白みをおびはじめた。ヘッドライトを消してフォグランプだけが前方を照らす。左前方に「P」のマークが見える。ウィンカーを出し、海が臨める小さなパーキングにクルマを寄せた。太陽が現れるまでの僅かな時間を、熱い缶コーヒーで一息つく。クルマのトリップメーターは、400キロ近い数字を示していた。徹夜明けの、この瞬間が好きだ。
(97/12/3記)