目次へ
 愛車の話1

 
短いつきあいだったが、ずいぶんいろんな所に行った最初の愛車ファミリア。
 僕の最初の愛車は、実質的にはマツダ・ファミリアだ。クーラーのないダイハツ・ミラ・クオーレには1週間しか乗っていない。初めて買ったクルマ。そのファミリアのグレードは「SUPER XE」で、ステレオ以外はフル装備で、セダンであるにもかかわらず、リヤワイパーがついていた。色はガンメタリックで、5速のマニュアルミッション。1年半落ちで走行距離もまだ1.5万キロのこのクルマを、確か車体価格87万円で購入した記憶がある。このグレードは特別にバンパーが大きく、その1ランク上の雰囲気も気に入っていた。とりあえず四国から帰ってきてからステレオを取り付けた。当時僕はSONYのカーステレオを売るバイトをしていたので、そのつてで安く入手したデッキとスピーカーに、これまた出入りしてた店の好意で、工賃無料で取り付けてもらった。これで最低限の装備は揃った。しかし、やはりじじくさい。どう見てもオヤジ車だ。これを払拭するには、まずはアルミホイールしかない、とこれまた出入りしていた店のつてで、ピレリのタイヤとセットで安く手に入れた。その後はウィンドウフィルムとステッカーチューンで、趣味の悪いクルマに変わっていった。
 ステアリングも革巻きの触感のいいものに換えて(メーカー名は忘れてしまった)、僕の国道走破はますます磨きがかかることになる。あまりにもあちらこちらに出かけていたので、いつどこに行ったのか記憶が定かでないのだが、学生で時間がたっぷりあるという特権と、バブル経済の恩恵によるわりのいいバイトと、学生専用のクレジットカードを手に入れたという、好条件か悪条件なのかよくわからない諸般の条件が揃っていたので、近畿一円はもちろん、中部北陸、中国地方各方面と、僕はこのファミリアで走り回っていた。計画性などはほとんどなく、夜地図を見ていて「この国道走ってみたいな」と思ったら、そのまま県境を2〜3越える、というような行動を繰り返していた。ヒマなので高速は使わなかったし、ガソリンはカードで入れていた。「なんと便利な」と溜まりつつある未払い残高など全然気にしなかった。あとで返済するために必死でバイトすることになるのだが。免許をとった20才は、そのような無計画な旅の連続で終わったが、翌年は綿密な計画をたてて北海道を旅した。最果ての宗谷岬も納沙布岬もこのファミリアで訪れたということもあって、このクルマでの最高の思い出だ。その北海道での走りすぎが悪かったのか、どうも調子が悪くなった。そのころ、僕は年初にでたB13型サニーが気になりだしていた。マニュアルミッションにも飽きがきていたし、渋滞時での疲労も嫌気がさしていた。このB13型サニーにはエアロバージョンが用意されていて、内装の質感とともに憧れが日増しに強くなってきていた。結局その秋に、サニーを買ってしまった。1年と4ヶ月、4万5千キロを走ったファミリアは、いざ別れるとなるとつらいものがあった。最後は伊勢半島を周回する旅で締めくくった。260号がファミリアでの最後の走破国道である。        (98/9/12記)