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プロカメラマンになれる本(3)
自立篇
 
 
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この本のテーマは、如何にして、プロカメラマンとして自立していくのかを、技術として取得するためのヒントを述べることです。
プロカメラマンとして自立する早道は、
@写真の仕事を取ってくる技術と、
Aその仕事を遂行することができる技術と、
Bそして、その仕事をお金と交換する技術とを、修得することです。
そのためには、ひとのこころの流れ、仕事の流れ、お金の流れ、そして人脈の流れを研究し、それらの流れを自己実現の方向へコントロールするための技術を修得することです。
この本の目的は、撮影技術を修得するためではなく、ものの見方や考え方、或は生き方に対し、そのヒントを提示することです。
撮影技術を修得しようとするカメラマンは、他の撮影技術書籍で勉強して下さい。
 
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第一章  こころの流れ  
 
 
    プロカメラマンの自立とは   
 
 
 
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カメラマンを職業としている人なら誰でも、自己の撮影能力を何の束縛もなしに表現したいと思う欲求を持っていることでしょう。
では、現実はどうなのでしょうか。カメラマンという職業は、表面上は自由気ままのように見えるようですが、実際は色々な束縛があるようです。
カメラマンの職業も含めて、あらゆる仕事を遂行する上では、色々な制約や面倒な約束事があるものです。
それは、仕事とは相手の要求を満たすために、自己の技術や能力などを提供し、そのことに対して代償を受け取るゲームですから、自己中心ではなく、他者中心となるからです。つまり、相手の要求に合わせることが、仕事の基本というわけです。
その仕事において、自己のこころをいかなる条件下でもコントロールすることができるとするならば、仕事相手のいかなる要求にも気軽に応じることが可能でしょう。
と言うことは、自己のこころをコントロールする技術を修得することができれば、相手の要求を満たすことと、自己主張との葛藤も回避することも可能でしょう。
そのように考えるとするならば、自己のこころをコントロールできることは、プロカメラマンとして自立するためには絶対必要条件であることが分るでしょう。
それでは、どのようにすれば、仕事上のあらゆる条件下でも自己のこころをコントロールすることができるプロカメラマンになれるのでしょうか。
そこで思いつくのが「心理学」の学習です。しかし、心理学を学ぶだけで、ことは解決するのでしょうか。
物質文明をもたらした知性尊重の西欧文明の基礎である分析的思考の結果か、あらゆることは、分析的思考をすることにより解明できると信じ込んだ多くの人達は、理論的に矛盾を孕んだ原始的な魔術の世界を引きずった「多神教」を蔑視し、契約により選民になれる「一神教」を信じるようになり、更に、その宗教世界の矛盾点に気づいた一部の分析的思考のできる人達は、その宗教世界から決別して、宇宙の根本的原理を理論という言葉を道具として分析する学問である「哲学」を研究するようになっていったのでしょう。
しかし、その崇高な学問である哲学も、ひとのこころの不可思議な働きを哲学用語では分析することが出来なくなった結果か、多分に文学的才能を要する「心理学」を発明したのでしょう。
その心理学は、ひとびとの注目を集めることができたのは、ひとのこころの働きを、文学的に易しく表現したことによるのかもしれません。
そこで、文学的才能で、言葉を道具として、分析機器を駆使して科学的証拠集めとして、理論的にひとのこころを「心理学」すれば、ひとのこころの根本的悩みを解明でき、そのことにより、こころの不可思議をコントロールすることができる方法を、見つけることができると信じたのでしょう。
しかし、その科学的心理学も、時代の流れとともに色々な理論を発明しても、結局、こころを分析すればするほど、その実体もその流れも知ることが出来ないだけでなく、コントロールさえも出来ないと悟った心理学者の中には、その分厚い書物を投げ出し、再び宗教世界へと向かっているようです。
心理学の弱点は、原因が分れば、こころの問題は解決すると考えていることです。そのことは、漢字を多く知っていれば、小説が書けると思っていることと似ています。漢字を知っていることと、文章を上手に書くこととは、次元が異なるのです。
こころは、分析をして、原因を解明したところで、それをコントロールすることはできません。次元が違うからです。
さて、話を現実の世界にもどして、そのこころの流れを考えてみましょう。
例えば、あなたが一所懸命努力して撮影した写真作品を、クライアントに提示したとします。その自信のある作品に対して、「アンタそれでもプロカメラマン?」とか「これがプロの写真?」などとマイナスイメージの評価を、面と向かって言われた場合、あなたの期待に膨らんでいたこころは、憤りとも悲しみとも表現できないような気持ちに落ち込むことでしょう。
それは、自己の写真作品に対しての期待が大きければ大きいほど、その期待に反する対応を相手から受けるとすれば、自己のこころの流れは怒涛のようになり、その流れを抑えようとすればするほど、その流れは沈静するどころか、ますます手がつけられなくなってしまうことでしょう。
そのような時、言葉を道具として、そのこころの流れを自己分析したところで、その解決の糸口を見つけることができないだけではなく、抑えることもできないことは、「心理学」を少しでも勉強したひとには理解できるでしょう。
こころの流れを心理学的に分析することと、その流れをコントロールすることとは別の次元のことであり、「なぜ」とか「どうして」とかの理論的疑問を言葉を道具としてこころを分析したとしても、そのようなこころの流れをコントロールすることができないことは、東洋では、紀元前五百六十五年にインドに生まれたゴータマ・シッタルダ(シャカ)は、菩提樹(一説にはいちぢくの木)の下で悟っていました。
悟りとは、言葉を理論的に展開して思考することではなく、思考を停止し、智恵(般若)を使い、ものごとをあるがままにこころで感じとることです。
そのような、思考を停止し、瞑想により答えを求める非理論的なこころへのアプローチ方法を蔑視する、西欧文明を上位と信じる知性尊重の科学的文化人の中には、理論的ではなく、非理論的に展開するこころの流れについては、それを解決するための何の知識も持ち合わせていないどころか、その流れの存在を無視する傾向があるようです。
しかし、実際にこころは一瞬とも安定せず、流れているのです。
そこで、あなたが、その流れの存在を無視するひとたちの仲間ではなく、その流れの存在を認識し、その流れをコントロールする方法を研究し、それを必要とする時、その技術を実行することができるとするならば、仕事上、クライアントのどのような態度にも応じることができるようになり、仕事も今以上にやり易くなり、さらにクライアントを満足させることにより、その結果、仕事を依頼されることが増えて、プロカメラマンとして楽しく生活ができることでしょう。
そのように考えるならば、プロカメラマンとして自立するとは、撮影技術を修得するだけではなく、自己のこころの流れを、どのような条件下でもコントロールすることができる技術を修得しなければならない、ということが理解できるでしょう。
一般的に、ひとは日常における色々な出来事に対処するために、自分のこころの流れを観察するよりも、その出来事の対象物について観察する傾向があるようです。
例えば、対人関係においてトラブルがあるとすると、自分のこころの反応やその連続の流れについてではなく、相手がどのように反応しているのかなどの情報を得ようとする傾向があるようです。
そして、その相手の反応に対して、「なぜ」とか「どうして」などの疑問を解く言葉により、分析する傾向があるようです。それで事が解決するのであれば、その方法も有意義でしょう。しかし、自分のこころも流れているのと同じに、相手のこころも流れているのです。そのような、安定していないこころを、言葉を道具として分析したとしても、その答えが出るはずはありません。堂々廻りをするだけです。
「あのひとはなぜ、、、」とか「どうしてあのひとは、、、」などと言葉を道具として分析したとしても、流れているこころを分析などできるはずはないのです。その「なぜ」、「どうして」を、何十年間も問い続けているひとは、結構いるものです。
そして、その出ない答えを得ようとして、自己のこころのコントロールを失ってしまうと、自己の殻に篭るか、或はそれを紛らわすために、酒を飲んだり、ギヤンブルをしてこころの乱れを忘れようとする傾向があるようです。篭ることや酒、ギャンブルは否定しません。使い方を考えるべきです。篭ることはエネルギーを充電するために、そして酒やギャンブルは、人生の目的とするのではなく、人生の骨休めと考えるべきです。
そこでこの章では、プロカメラマンとして自立するために、その流れをコントロールする技術の修得の仕方のヒントを中心に話を進めていくことにしましょう。
 
 
なぜ思うようにいかないか   
 
 
 
一般的に、プロカメラマンとして自立するということは、写真の仕事をすることにより暮らしを立てる、と考えられているようです。そこで、そのように自立を望むプロカメラマン予備軍は、写真撮影技術に磨きをかけて、努力するわけですが、そのように撮影技術を修得できれば、すぐにでもプロカメラマンとして自立できるのであれば、この世は幸福なプロカメラマンで溢れていることでしょう。
しかし、どうでしょう。毎年写真学校卒業生が、この世界に送り出されているのに、自立したプロカメラマンは増えているのでしょうか。
写真の需要が多くあった高度成長時代であるならば、その仕事量に比例して、プロカメラマン予備軍も自立できたことでしょう。しかし、低成長あるいはマイナス成長では、プロカメラマン予備軍が市場に供給されたとしても、写真の仕事の需要が、それに比してないわけですから、プランドマーケティングにより新人プロカメラマンが一人自立したとしたら、当然その市場から既存のプロカメラマンが一人抜ける結果になるわけです。
そのようなパイの奪い合いのようなカメラマン市場に、仕事の開拓の仕方や人脈の作り方も知らないプロカメラマン予備軍が、ブランドカメラマンと仕事の獲りあいをしたとしても、勝負にならないことは理解できるでしょう。
それでは、プロカメラマン予備軍は、永遠に自立できないのでしょうか。
そんなことはありません。仕事の開拓の仕方や人脈作りの方法が分れば、ブランドカメラマンと互角に戦えるでしょう。
そして、写真を上手に撮影できることと、写真の仕事を開拓することとは、別の次元のことである、と認識することです。
さて、この世には、物事に行き詰まってしまって「人生は思うように行かない。」と言うひとがいるかと思えば、同じ時の流れにいても物事がトントン拍子でうまく行き、「人生は思うとおりに行く。」と言うひとがいるのはどうしてなのでしょうか。
「人生は思うように行かない」ひとは、運が悪かったから、それとも生まれが悪かったからでしょうか。
運や生まれは、ひとにはコントロールできません。ですから、それらを嘆いたところで、何の解決にもならないでしょう。
では、生まれが悪いひとは、人生が思うように行かないのでしょうか。そのようなことはないでしょう。現在の名家や財閥でも、何代か遡れば、一般レベルの祖先がいるものです。その一般レベルのひとが、何かのキッカケで、時の流れに乗って、財が財を呼び、名家や財閥になれたわけです。この世には、初めから名家や財閥として生まれたひとなどひとりもいないのです。
それでは、何がその分岐点となったのでしょうか。
世間のひとたちの言動をよく観察してみますと、二種類のひとがいることが分るでしょう。
考え方の違いでは、ひとりは、物事を悪い方へ、悪い方へと解釈し、そして、もうひとりは、その同じ物事をよい方へ、よい方へと解釈するのです。
感情については、ひとりは自己の感情に振り回されていて、そして、もうひとりは、自己の感情を上手にコントロールしているのです。
このように異なる考え方や行動は、一体何によるのでしょうか。
その原因のひとつに考えられるのは、幼い頃からの情報のインプットです。
その主な情報とは、
@一生懸命努力すれば成功する。
A悪いことをせず、言われたとおり真面目に働けば成功する。
B偉い人の言うことに従っていれば成功する。
Cよい学校を卒業すれば成功する。
D怠けると人生の落伍者となる。
等など、物心付いた幼児のころから、両親や周りの大人達により、嫌と言うほど聞かされてきたことでしょう。それにより、これらの呪文は、こころの回路に刷り込まれ、強迫観念のように信じ込んでしまっているひとも多くいることでしょう。
それらの呪文を唱えて暮らして行けば、人生の成功者となり、楽しく暮らせるのであれば結構なことです。しかし、それらの呪文で人生はバラ色に染まるのでしょうか。
それらの呪文は、ある条件下では、ご利益を得ることができるかもしれません。その条件下とは「他者中心」で、「自己中心」に考えないということです。
@自分が一所懸命努力したからといって、それを認めてくれる他人がいなければ、そんな努力は無駄骨であるわけです。他人に認められる方法を考えましょう。
A命令するひとは、そのひと自身のために他人を働かせているのです。言われたとおりに働いても、その働きに報われることはないでしょう。自分のスキルアップのために働きましょう。
Bそもそも何が偉いかは、相対的な問題です。偉い人の言うことが必ずしも正しいとは限りません。自分に都合のよいことだけ受け入れましょう。
Cよい学校などイメージで実体などないのです。自分の能力に相応しい学校がよい学校です。偏差値が高いのがよい学校ではないのです。実力の世界では、イメージは通用しません。学歴を誇るひとは、実力のないひとだと考えましょう。
D怠けるとは、別表現では充電期間のことです。充電することで、パワーアップすることができるのです。怠けられる時はおおいに怠けましょう。但し充電のために。
そのように呪文を解釈できるとすれば、ご利益を得ることが可能でしょう。しかし、親達がそれらの呪文を唱える時は、「子羊」のように反抗もせず従順にせよ、と脅しに使うようです。
世の中のシステムが、自分が思うように作動しない時、その原因を外に求めるのではなく、まず自分のこころの中を探してみましょう。そして、不都合な思考回路が見つかったら、それを消去しましょう。
なぜ思うようにいかないかの原因のひとつは、言葉の使い方の技術を正確に修得していないからです。これは、あなたには責任ありません。多分両親がその責を負うことでしょう。それは、子育ての時、両親がポジテイブに言葉を使っていたのではなく、ネガティブに使っていたことが原因のひとつなのです。
言葉には力が潜在しているのです。その言葉が組み合わされ、思考という行動を左右する大きな力になるわけです。ですから、これからは言葉の使い方に注意しましょう。ポジティブな言葉を使うことにより、行動もポジティブになるからです。
話を戻して、
「人生は思うように行く」プロカメラマンは、仕事上の無理難題を、自己中心的に処理しようとするのではなく、相手の本心を読んで、その解決方法を自己の智恵を使い、そしてその結果をよい方へよい方へと解釈することにより、「人生は思うように行く」ことが自然の流れとなるわけです。
例えば、仕事の開拓のために、潜在顧客を訪問して、提示した自信作に対して、その潜在顧客が、「アンタそれでもプロカメラマン」とか、「ウチとしてはこの程度の腕では仕事を発注できないね。」とかを面と向かって言われた場合、それを言われたプロカメラマンが頭にカチンと来て、ドアーを後ろ足でバタンと閉じて帰るのではなく、「この潜在顧客は、自分の撮影技術の未熟さを、授業料も取らずに指摘してくれた」と考え感謝し、その場の自己のこころの流れを上手にコントロールして、「それでは、どのような作品をお望みですか」とか「具体的にどのようにすれば仕事を発注されるのでしょうか。」とかを、その潜在顧客に素直に教えを乞えば、十人に一人ぐらいは、それらの質問に真面目に答えてくれるだけではなく、後々のアドバイザーとなってくれる可能性だってあるわけです。
そのように考えられるプロカメラマンであるならば、仕事を上手にことわられたことにより、後々のお付き合いのキッカケが出来る場合もあるわけです。
しかし、実際問題として、自己に不都合な条件下では、そのような絵に描いたような立派な態度で物事に対処することは、なかなか難しいことでしょう。たとえ、よい方へと考えることは出来たとしても、怒涛のようなこころの流れを上手にコントロールして、それを態度に示すことは、非常に難しいことです。
そこで、どのようにすれば、波立つこころの流れをコントロールすることができるのかを、次に考えてみましょう。
 
 
意志の力は逆作用   
 
 
 
ひとは、こころをコントロールできなくなると、その解決を外に求める傾向があるようです。宗教にそれを求めるのが一般的のようですが、知的なひとは「心理学」に求めるようです。そのことを証明するかのように、知的雑誌の特集には「○○の心理学」というタイトルを多く目にすることでしょう。
心理学って、言葉によりこころを分析することでひとの悩みを簡単に解決することができる、宗教より凄い、学問なのでしょうか。
ひとのこころの働きのひとつとして、感情があります。この本では、感情のことを「こころの流れ」と言っています。その感情について、心理学の本で、コントロールする技術を修得しようと勉強しても、スッキリした説明が得られないのは私だけでしょうか。
例えば、感情について、心理学書や哲学書の索引を調べれば、そのことが納得できるでしょう。たまたま、それらの書籍の索引に感情についての項目があったとしても、その説明は、「感情は持続的で、より平静な情感性を指し、表面にあらわれる身体的変化はわずかである。また広義の感情は、快、不快、情動感情、情念(情熱)、情操などすべての情感的体験を含めていう。」(現代哲学辞典:講談社)のような説明以上は望めないほど、理解するのに困難が生じるでしょう。
そのように理解困難なのは、感情とは固体のように形のあるものではなく、また気体のように眼にみえないものだからでしょう。さらに感情は、長時間その状態を維持することができるものではなく、液体のように流れているからでしょう。
ですから、感情について、理論的科学的用語や最新科学的測定器を駆使してデータを集積し、それらの情報を基にそれを定義しょうと試みても、感情は時の流れに流され、一定の状態を留められないため、感情について納得できる説明はできないのでしょう。
でも、感情を、川の流れに浮かぶ「うたかた」と考えるとすれば、そのイメージを理解することができるかもしれません。川の流れにある「うたかた」は、かつ結びかつ消えてとどまるためしはないのです。
さらに感情は、シャボン玉のように、今赤色になったかと思えば、すぐに緑色になってしまうように刻々と変化しているのです。
そのような捉えどころのない感情をコントロールするのに、科学的にコトバや測定器械を駆使して分析したところで、解決できないことは「現代哲学辞典」を読んだひとには理解できるでしょう。
感情を分析することと、それをコントロールすることとは、次元が異なるのです。
でも、感情は捉えどころがなくても、実際にひとのこころにあり、時としてひとびとを悲しませたり、楽しませたりしているわけです。
何がそのようにさせるのかは分かりませんが、同じ刺激を与えても、ある子は泣くし、他の子は笑うことも日常的にあるわけです。そのように観察すると、感情とは、外界の刺激だけによるのではなく、そのひとのこころの中に、喜怒哀楽の種(子供の頃に構築された潜在回路)があるようです。
それでは、感情を言葉で定義づけすることができないため、それをコントロールする方法は見つからないのでしょうか。
物事を分析し、その原因を解明できなければ、その解決方法が見つからないことはないでしょう。たとえばそれは丁度、最先端医療のアロパシー医学では病気の原因を突き止めないと「くすり」を処方することができませんが、しかし、古来から伝承されている東洋医学の治療方法では、その病気の原因に対してではなく、病人の体質や状態を考慮して「くすり」を処方するようなことです。病気の原因を分析して病名を確定し、その原因を叩くのも治療法のひとつなら、病気の原因を追求するのではなく、そのひとに合った「免疫力」を高める治療もひとつの方法なのです。
しかし、東洋医学は、西洋医学よりも治療法が劣っていると信じられているのは、そのくすりの薬理効果がエビデンス(科学的な証拠による裏付け)に基づいていないからでしょう。
でも、その考え方はおかしいです。治療の目的は、病気を癒すことです。原因を見つけることは、手段のひとつなのです。目的と手段が転倒している医療を揶揄するとすれば、瀕死の病人に向かって、「検査ができるような体力が付いたら来院して下さい。」と言うようなものです。
それに、薬理理論だけが病気を癒すのではありません。自然の法則下にある、いまだ科学的に解明されていない自然治癒力も、有用な治療方法のひとつなのです。
自然治癒力とは、分厚い書籍を読まなければその力を利用できないわけではなく、ことさら学習しなくても、その力を利用することができるのです。自然治癒力は、言葉が発明される以前から存在しているものです。そして、だれにでも内在しているのです。
ひとにはその自然治癒力のほかに、まだまだ未知の力が内在しているようです。最新科学で証明できないことは、存在していないことの証明にはなりません。その科学で証明できない未知の力を利用することにより、こころの流れをコントロールすることができるかもしれません。
そこで、こころの流れをコントロールする理論をコトバで構築するのではなく、実践でこころの流れをコントロールする方法を探してみましょう。
そこで思い出すのが、基礎篇の「リラックスの仕方」を訓練していた状態です。その自律訓練法を実行したひとには、次のような困難が生じたことでしょう。
それは、指示された暗示語を「さりげなく」ではなく、効果を出そうと「一所懸命」に思い浮かべ続けていると、何がなんだか分からないけれど、気がつくとその指示された暗示語とは全然関係ないことを次から次えと考えてしまっていることです。
つまり、効果を早くだそうと、意志の力で「一所懸命」その暗示語を思い続けていると、いつしか暗示語とは全く別のことを考えてしまうわけです。
意志の力を使い一所懸命努力すると上手くいかないなんて、「常識的」に考えればおかしなことです。意志を使い、一所懸命努力することが、物事を成就する早道だと、子供の頃から両親達に学習させられてきませんでしたか。
こころの不可思議には、その逆もあるようです。
そのこころの不可思議とは、忘れようとすればするほど思い出してしまう、ということです。
例えば、何かのミスをしてしまい、必要以上と思われるほど人前で罵倒されてしまった場合、こころの流れは怒涛となり、煮え繰り返ってしまうことでしょう。そのような状態を、「なぜ」とか「どうして」とかで言葉を理論的に使っても沈静出来ない場合、そのことを忘れようとする意図を持って、酒を飲んだり、ギヤンブルをしたりする傾向があるようです。(大人になりきれないひとや子供の場合、弱い者イジメにはしる傾向があるようです。)
そのような解決法を探すのではなく、こころの憂さを転化するような方法で、嫌な思い出をすぐにでも忘れられるならば、この世は幸福者で溢れていることでしょう。しかし、この世で幸福者を探すのは難しいでしょう。
それは、忘れようと、意志の力を利用して一所懸命努力することにより、益々忘れることができなくなるからです。その忘れようと思っていることが、一年前どころか数十年前のことであることなど、別に珍しいことではないでしょう。
そこで、この不可思議な相反するこころの働き、つまり、意志の力で努力して思い続けていると忘れてしまい、それとは逆に、意志の力で努力して忘れようとすればするほどいつまでも忘れられないことを、感情のコントロールに応用できないか、と思いつくわけです。
一般的に、ひとは楽しい思い出を意志の力で努力して思い続けているうちに、いつしかその楽しい思い出は忘れ去られてしまい、それとは逆に、意志の力で努力して、悪い思い出を忘れようとすることにより、何十年も忘れることができないのです。ですから、こころの中には、楽しい思い出が消え去り、悪い思い出だけが残ってしまうわけです。
そこで、その逆をすることにより、幸福者(悪い思い出を消し去り、楽しい思い出を保持しているひと)の仲間になれるかもしれません。
「アンタそれでもプロカメラマン」とクライアントから言われて、こころの流れが乱れてしまった場合、そのことを、酒を飲んだりギャンブルしたりして努力して忘れようとするのではなく、その言われたことによるこころの乱れた状態を、客観的態度で意志の力で努力して思い続けてみることです。
そのこころの乱れが怒りとなっていれば、その怒りの感情を意志の力で努力して思い続けてみるのです。或は、悲しみであるならば、その悲しい状態を、惨めな状態ならその状態を、意志の力で努力して思い続けてみるのです。
そのように思い続けていれば、いつしかはその悪い思い出はこころから消え去ることでしょう。たとえ消え去ることができなくても、酒やギャンブルとは無縁となっていることでしょう。
そのような状態がこころに反映されたとすれば、それはもうこころの流れをコントロールできたことになるわけです。
つまり、意志の力は、こころに対して、逆作用を生じるわけです。
そのようにこころの流れをコントロールする技術を修得できれば、全ては解決できるほどプロカメラマンのビジネスゲームは単純ではありません。
それでは、こころの流れをコントロールするだけでは対処できない場合を、次に考えてみましょう。
 
「仕方がない」の発想   
 
 
 
仕事にはトラブルがつきものです。そこで、プロカメラマンとして自立する早道は、仕事上のトラブルを回避する技術を修得するか、または起こってしまったトラブルを上手に処理する技術を修得することです。
それには、自己中心にではなく、仕事相手の気持ちを読んで対処することです。このことは、「営業マンは、勝ったら負け。」と言われていることです。ビジネスゲームでは、真理を相手に語ったところでなんにもなりません。そもそも、トラブルにおいて、どちらが正しいかは神様にも分らないでしょう。それは、トラブルの原因は、相対的なもので、自分が正しければ相手は正しくないし、その逆に、相手が正しければ自分は正しくないからです。
このトラブルの処理の仕方を、昔のひとは、「金持ち喧嘩せず。」とか「商人は損をしているうちに倉が建つ。」と言っているわけです。
そこで、前節で、こころの流れをコントロールする技術を考えたわけですが、仕事をとってくるには、更にビジネスゲームの基礎知識を知る必要があるでしょう。
よく聞く話ですが、学校で優秀な成績で卒業したひとほど営業マンには向いていない、或は、優良会社の営業マンは転職先で活躍はできない、と言われています。
何故でしょう。
学校での優秀とは、与えられた課題を期間内に要領よく纏め上げられる技術力のことを言っているのです。優良会社の営業マンの仕事は、相手先が、その営業マン個人よりもその会社のブランドを信頼して発注しているわけです。
ここのところを理解していないと、新人営業マンも元優良会社の営業マンも、新会社で一日中机に座っていることになってしまうわけです。
営利企業での仕事は、机に座っていてもとれません。それでは、どのようにして仕事をとってくるのでしょうか。
仕事の基本は、相手の要求を自分の能力で満たすことです。それには、自分の能力を必要とする相手を探すことです。探すことが、営業マンの仕事の初歩なのです。しかし、優秀なひとほど、相手が自分を求めてくると信じているわけです。ですから、一日中机に座り、電話が鳴るのを待っているわけです。
何日も待っていても仕事が来ない、そこでやっと獲物を求めて新規開拓となるわけです。
野生の動物でも、獲物を獲得するための技術を修得していない子供の頃、何かの事情でひとに飼育されてしまうと、大人になったから自分で獲物が取れるだろうと考え自然に帰そうとしても、野生の世界に溶け込むことができないようです。野生動物でさえも、子供の頃、親から獲物(仕事)の獲り方の技術を修得させてもらえなければ、生きてはいけないのです。
新人営業マンや転職営業マンも、暫くは机に一日中座っていることが赦されるでしょうが、在る期間がすぎれば、外回りをする羽目になることでしょう。そこで、仕事をとるための技術を修得していれば問題ないのですが、その訓練を受けていないとすれば、子供の頃、両親達から与えられた呪文「一所懸命努力すれば成功する。」を忠実に守って行動することになるわけです。
しかし、仕事は相手在っての仕事です。仕事をとるために、自分中心の努力を一所懸命したからといって、仕事がすぐ手に入ることはないでしょう。
新規の仕事を受注することは、「千三つ」と昔から言われているように大変なことなのです。「千三つ」とは、千回訪問して三つ仕事をもらえれば上々だということです。このことを理解しているのなら、営業周りも苦にならないことでしょう。
しかし、自分中心の世界で暮らしていた優秀なひとや獲物の獲り方の技術を修得していないひとは、前述の両親達の呪文に呪縛され、猪突猛進で仕事獲得を目指すわけです。そのようにして、仕事がとれれば結構なことです。
しかし、上手く行かなかった場合、努力に努力を重ねてしまうことでしょう。目的達成のため、一所懸命努力することは、特別な場合以外は、してはいけないことなのです。それは、無理をするとか死に物狂いで事に当たるとは、自然なことではなく、不自然なことだからです。不自然なことは、当然長続きすることはないでしょう。そこで、その結果が、自己挫折か転職或は再転職となってしまうわけです。
それでは、「千三つ」の呪文を唱えながら、一所懸命努力しても仕事がとれない場合、どのようにしたらよいのでしょうか。
その方法のひとつは、「仕方がない」の発想をすることです。
「仕方がない」の発想とは、状況に対処するための方法が無いと考え、その目標に立向かうことを一時放棄し、あきらめることです。
一般的に、ひとは目標に向かって、短期間にそこへ到達する方法を考え、それを実行する傾向があるようです。そこで、事が上手く行くのなら結構なことですが、計画どうり短期間にその目標に到達できない場合、一度引いて、再度計画を立て直す余裕を持つのではなく、その行き詰まりを解消するために、自己のエネルギーを虚脱状態になるまで一所懸命努力して放出してしまい、それでも解消できない場合、その目標に向かうことを完全に放棄してしまう傾向があるようです。
今流行りの不登校や引き篭もりも、このメカニズムによるのかもしれません。社会のシステムと今まで家庭で学習してきたシステムとの歪みを解消しょうと一所懸命努力した結果、生命エネルギーを過放出してしまい、最後の一線の枯渇を回避するために、潜在意識が内側に篭りエネルギーを充電するための回路を作動させた結果が、子供の場合不登校で、大人の場合引き篭もりなのかもしれません。
不登校や引き篭もりには、生命エネルギーの充電が必要です。焦らずゆっくり休ませ、その充電が完了するのを待つことです。そうすれば、再び行動を起すことでしょう。何故かと言えば、ひとはそのようにできているからです。
さて、仕事を獲得する為の一直線的行動は、学習能力のないニワトリの行動に似ています。
ニワトリをコの字形の金網に入れ、空いている側を背にして金網のすぐ外側に餌を置くと、そのニワトリはその金網の状態を三百六十度調べるのではなく、状況を無視して、その金網に直進して餌を食べようと疲れきるまでその行動をやめようとしないでしょう。そして、最後はその餌の存在を完全に無視してしまうことでしょう。
このことは、ひとの行動にも言えるでしょう。餌(仕事)が欲しければ、その状況を観察して、今していた行動が結果を出せないのなら、その行動を一時止め、全方向を観察してみるのです。そのように観察して、後ろに解決の道があると思われたら、そこへ向かうことです。
問題の解決方法は一つだけではありません。目標に立ち向かうことを完全に諦める前に、「仕方のない」の発想をして、成功の早道と信じていた考えを一時放棄して、現在の状況を客観的に把握して、その情報を基に、今までとは逆の考え方、つまり「失敗しない仕方」を考えてみるのです。
そして、その「成功する仕方」ではなく、「失敗しない仕方」を、結果をみながら何度も何度も、一所懸命努力するのではなく、「千三つ」の呪文を唱えながら「さりげなく」実行し続けたならば、後に残るのは「成功への道」でしょう。
例えば、写真の仕事をもらおうと、潜在顧客を何度も訪問しても、思うような結果が得られない場合、「どうしたら仕事がもらえるか」と考えるのではなく、「どうしたら断られないか」と考えることも、仕事をもらうひとつの方法なのです。
仕事をもらうということを、拡大解釈すれば、その基本は物乞いと同一であると考えることも出来るでしょう。そのように考えられるならば、正攻法で仕事をもらえなくても、その逆の方法で仕事をもらうヒントを「ウパニシャド」の文中に見つけることができるでしょう。
 
かかる人のウパニシャド(聖隠語)は「乞うなかれ」である。喩えれば村落を行乞していたが一物も貰えなかった場合、「おれはこの村の人間のくれるものは食わないぞ」と決心して座り込んでしまうと、却って、往きには彼に拒んだ人達が「あげましょう」といって彼の処へ寄って来るようなものである。これが物乞いの法である。他の場合においても、物乞いの法を守るならば世人の方から「あげましょう」といって寄って来るものである。
 
仕事をもらおうとするその態度が、それを求めた相手のこころに、仕事をあげようとする気持ちを起させない原因となる場合もあるわけです。そのような相手に対しては、「仕事を下さい」と懇願するのではなく、「あなたの仕事などしたくありません」と無視する態度を示すことも、仕事をもらう方法のひとつになるわけです。
実際に、そのような態度で仕事をもらっている芸術家や芸能人を、あなたは何人も知っていることでしょう。
そのような「仕方がない」の発想をして、目標に向かって行っても、解決できない場合もあることでしょう。それは、自己中心に世界が回っていないことと、時の流れはコントロールすることができず、ただ好機を待つしか方法がないからです。
そこで、更に目標に向かって前進するために、新たな方法を考えてみましょう。その方法とは、「全とりかえ」の発想です。
 
「全とりかえ」の発想   
 
 
 
世界は自分中心に回っているのではなく、それに、時間の流れもコントロールすることもできません。しかし、自分の考えや行動が、その回転や流れにたまたま偶然に合ったことにより、自分中心に世界が回っているような錯覚を、誰もが人生で一度や二度は経験していることでしょう。
でも、それは錯覚ですが、自己観察力の欠しいひとは、己の能力を過信して、惨めな結果をみることは、経済界でよく見るパターンです。よく言われているように、超一流経済雑誌に記事としてとり上げられた時が、そのひとのピークなのです。後は、下り坂が待っているだけです。
人生は、偶然の連続で出来ているのです。それも一直線ではなく、山あり谷ありです。そして、頂上にいるひとは、下り坂が待っているし、谷底にいるひとは、登りの道が待っているわけです。頂上にいるひとは自惚れることなく、谷底にいるひとは悲観することなく生きたいものです。
さて、前節で自分の思うような流れに乗れない場合、「仕方がない」の発想で切り抜ける方法を考えました。しかし、その発想では、乗り越えられない壁もあるわけです。その壁とは、時の流れ、ビジネスゲームの流れ、そして世間の流れのことです。
ひとの人生は、一般に、運命という巡り合わせにより左右されるようです。
ひとの運命とは、魔術篇で述べたように、簡単に言えば、時間の流れと所在の移動との交点の連続線のことであるわけです。
そこで、今までの運命が良くないと考え、それを変えよとするには、時間の流れはひとにはコントロールできませんから、ひとのコントロール可能な所在の移動について考えることです。
それでは、その所在の移動とは何かと言えば、それは転業、転職、転社、そして転居など色々と考えられますが、要は、今までの自分の周りの環境を変えることです。
つまり、人生の流れ(運命)=時の流れ×所在(環境)の移動
となるのですから、人生の流れが、自分の思うように流れていない場合、所在(環境)を変えることにより、人生の流れ、つまり、運命も多少変化させることができる理屈になるわけです。
そこで、環境を変えるため、所在の移動をしたところで、そのひと自身も変えなくては、完全とはいえないでしょう。それは、自分自身を含めて身の回りも環境の範疇にあるからです。
更に、性格も変えられたら完璧なのですが、性格=遺伝による素質×生活環境、となるわけですから、生活環境を変えたからといっても、そうはいかないでしょう。
でも、ひとの外観を変えることにより、人生の流れも多少は変化するのです。
そこでまず、現在の自分の身の回りの環境を観察してみて下さい。それらの身の回りのもの全てのものが、今現在の環境を構成している部分ですから、それらの環境の一部分を変えてみることにより、運命の流れも多少は変わる理屈になるわけです。
さて、まずは自分の身体を包んでいるものを点検してみて下さい。
下着は清潔ですか。ズボンやシャツはどうですか。靴はどうですか。髪は整えてありますか。メガネをかけているひとはどのようなセンスのものをしていますか。時計はどういうものを使用していますか。
それらの点検が終わったら、次にプロカメラマンの商売道具について点検してみて下さい。
カメラや三脚、カメラバックはどのようなものを使用していますか。感材はどこのメーカのものですか。
更に、事務所または住居はどうですか。室内は綺麗に整頓されていますか。
そのように、身の回りの環境を構成しているものを客観的に点検した結果、それらのものが一流プロカメラマンのイメージを壊すものであるとしたならば、「全とりかえ」の発想をすることにより、運命の流れも多少変化することでしょう。
「全とりかえ」の発想とは、喩えれば、トランプの「ポーカーゲーム」で、配られたカード五枚が思うようなものでない場合、そのカード五枚全てを取り替えることにより、今より良い組み合わせを期待するようなことです。
潜在顧客を何度も訪問しても、思うように行かない場合、その原因が相手にあるのではなく、自分自身にあると考えられるカメラマンは、新しい流れに乗ることができるでしょう。
ひとは、初対面の人物に対して、そのひとの身に付けているものや服装などの情報により、それらを素材としてイメージ化して人物評価する傾向があるからです。アクセサリーや服装などのブランドマーケテイングは、ひとのその潜在欲求を満たすことにより成功するわけです。
今までのセールスが上手くいかなかったのは、潜在顧客に与えたイメージが、意図するものでなかったからかもしれません。気心が知れている仲ならば、作品自体やその撮影技術だけで勝負できるでしょうが、初対面のひとから信頼感を得るには、まずそのひとの外観の情報が重要な素材となるのです。
そこで外観を取繕うために、自分の目指すプロカメラマン像をこころの中に描いてみましょう。そして、次に、頭のてっぺんからつま先まで、そのイメージに近づけるように身の回りの環境を整えてみましょう。
そのようにして、外観を取繕い自分の目指すプロカメラマン像が完成したら、再び潜在顧客を訪ねてみましょう。そうすれば、今までとは異なる相手の対応の微妙な変化を感じとることができることでしょう。そして、その相手の対応の変化が、自分自身へのリアクションとなり、その結果、自信を湧かせることになるでしょう。(このことは、ビデオで「マイフェアレディ」を見ることで理解できるかもしれません。)
「全とりかえ」の発想とは、つまるところ、今までの身の回りのものを全て破棄し、捨て去ることにより、今までの自分をつくっていたイメージを払拭することにより、新たな運命の出発点とすることです。
しかし、「全とりかえ」の発想を実行して、外観を「変身」させたとしても、それは実像ではなく、イメージにすぎません。一度や二度の仕事であるならば、そのようなイメージ創りで仕事をもらえるかもしれませんが、長い付き合いをするには、実体が伴わなければだめでしょう。メッキはあくまでメッキで、本物とは異なるからです。
ですから、とりあえず目指すプロカメラマン像の外観を執り創ったら、それで終わりとするのではなく、次にその内観も変身させることです。
つまり、精神的な「変身」というわけです。
その精神的変身をするには、まずこころの自己点検をすることです。それは、簡単な方法で行なうことができます。その方法のひとつは、自分の商談会話をレコーダで録音して、後で聞いてみるのです。
ひとのコミニュケーションの手段は、大きく分けるとすれば、二種類となるでしょう。ひとつは態度で、もうひとつは言葉です。態度のほうは、演技をすることにより取繕うことが可能です。しかし、言葉の使い方はそのように上手くはいかないでしょう。なぜならば、何十年間も学習した結果が、現在の言葉の使い方となっているからです。
さて、そのようにして録音した会話を聞いてみましょう。
そのチェックポイントは、話し方のスピード、リズム、音声の高低、話の間のとりかた、相手の話をどれだけ理解して答えているか、そしてその答えはネガティブかポジティブかなどです。
そのようなチェックポイントを自己点検した結果、自分の商談会話の欠陥を客観的に指摘できるならば、今までの言葉の使い方を変えることで、新たな流れに乗ることができるでしょう。
その方法は、人格を変えてみることです。そうは言っても、人格は変えることができるのでしょうか。次に考えてみましょう。
 
人格を変換することとは   
 
 
 
外観を整えたり内観を変える目的は、潜在顧客との良好なコミニュケーションをとることです。それでは、そのコミニュケーションとは、そもそもどういうことなのでしょうか。
言語を持たない時代のコミニュケーションとは、ひとにおいては、生き残りのための技術であったわけです。その技術とは、脳の発達で言語を道具として利用できると伴に複雑に変化してしまいましたが、基本的には、敵か味方か識別することと、子孫を増やすためのものでした。見知らぬ者と遭遇した時、相手の外観や一寸した動作の変化で、生死を争う相手か、或は生殖に相応しい相手かを一瞬の内に識別するための技術が、コミニュケーションの基本であったわけです。
しかし、言語を使う技術が発達してしまうと、コミニュケーション情報を解析する対象が、動作と言葉の二つになってしまうわけです。そこで、動作と言葉が同じ情報を発信しているのなら問題はないのですが、動作と言葉のメッセージが相反することもあるわけです。そこに、猜疑心が生まれるわけです。その猜疑心を払拭するために、色々なコミニュケーション技術が、今日まで発明されて来ているわけです。
さて、現在でもビジネスにおける初対面のひとに対する相手のこころの状態は、大昔と少しも変わらないでしょう。初対面のひとに対する相手側のこころの奥には猜疑心があるわけです。でも、意識下での態度や言葉はコントロールできますから、無駄な争いは避け生き残りのため、表面上は穏やかに取繕うことで、トラブルを回避しているわけです。
そこで、ビジネス場面では、その猜疑心を消滅させる目的で、自分は何者であるかを証明するための名刺などを、初対面の相手に提示するわけです。その名刺にブランドカンパニーの社名があるとしたら、感染魔術により、そのひとは相手に信用されるわけです。更に相手は、初対面のひとの情報を得ようと、爪先から頭の天辺までを観察するわけです。そして、二三質問するのです。その答えに、出身地が同じ、卒業学校が同じ、或は共通の知人がいれば、コミニュケーションはぐっと近くなるわけです。
そのようなコミニュケーション手段、或は技術で当面は取り繕うことができるかもしれませんが、こころの奥には原初的な識別回路が、相手の動向をチェックしているわけです。そのひとつが、直感です。
ひとの情報処理は、各器官からの入力情報を、脳の各部分に蓄積された過去の情報と照らし合わせて、それを基に修正を加えながら行なうわけです。そのような経路で情報を処理していたら、タイムラグのため、不穏な相手側の一瞬の攻撃をかわせない場合も想定されるでしょう。そこで、そのようにならないために、ひとには別の情報識別装置があるのです。その装置は、脳の眼窩上皮質の回路にあるのです。その装置の働きは、異常を感知することです。
物事に囚われてしまう強迫性障害のひとは、この異常感知装置の反応が、一般のひとに比べて極端に盛んのようです。そして、同じ動作を繰り返し行なうことは、この装置警報解除のスイッチが押されないためのようです。現在の研究では、神経伝達物質を使うことで、その行動をコントロールすることが可能のようです。
それでは、直感は何を情報源として、判断を下すのでしょうか。
ここにギターがあるとします。そこで、同じ太さの二本の弦を、同じ音が出るように張ります。そして、一方の弦を弾いてみましょう。そうしますと、物理的になにもしない弦が、震え出します。その結果、二本の弦は同じ音をだします。このことを共鳴といいます。
しかし、一方の弦の張りを少しづつかえていくと、共鳴は消えてしまうのです。更に張りを強く調整していくと、その張りが、ある所まで行くと、又共鳴が発生するのです。共鳴は、調整可能であることを覚えておいて下さい。
さて、「想像力顕微鏡」でひとを観察してみましょう。ひとの細胞が見えます。その細胞にズームアップすると、それを構成している蛋白分子が見えるでしょう。更にズームアップしていくと、蛋白分子を構成している原子が見えるでしょう。更にズームアップすれば、原子核の周りをグルグルまわる中性子が見えるでしょう。更にズームアップすると、光と振動で瞬時に変化しているクオークというものが見えるでしょう。更にズームアップすると、そこにはもう「波動」しかありません。という言は、ひとは「波動」で構成されているのかもしれません。
それでは、その「波動」からズームアウトしていきましょう。心臓の細胞が規則正しく脈打っているのが見えるでしょう。そのシステム化された「波動」は、いったい何によって制御されているのでしょうか。更に脳のほうに移動してみましょう。各ニューロン間は、電気信号のパルスにより情報を交換しているのが見えるでしょう。そのパルスは一瞬の内、波紋のように広がっているのが見えるでしょう。その波紋は、脳がリラックスしていたり、興奮したりの働き状態により、ある種の波を形成しているのがわかるでしょう。
そのように、ひとのからだは、「波動」により各細胞間の情報を交換しているのです。その「波動」を、東洋では「気」と言っているようです。
「気」は、ひとの五感では認識できないけれども存在しています。視覚や聴覚などの感覚器官が捕らえられない情報を、体が感じることは、誰でも一度や二度は経験していることでしょう。それらは、「殺気」や「胸騒ぎ」などと表現されているものです。それらは「科学的」に証明することは困難ですが、時空を超越した情報を、ひとびとにもたらすことは、否定できないでしょう。
この「気」については、日常の動作においてとり入れられています。例えば、周囲に対して「気を配ったり」、又、間違いがないように「気をつけたり」しているでしょう。昔の子供などは、童歌の「カゴメの歌」を歌いながら、「後ろの正面」のひとを、両手で目隠ししながら「気」で当てる遊びにとりいれていました。
そのように、ひとには生き残りの技術として、「気」による潜在情報収集能力もあるわけです。
そこで、初対面のひとと対峙した時、動作や言葉で友好関係を確認したとしても、その「気」による判断もあるわけです。その場合、言葉では、何故「気に入る」か、「気に入らない」かを説明することができないでしょう。強いて言えば、「何となく」とか「どうしても」とかが答えとなることでしょう。
その「気に入る」とか「気に入らない」とかは、一般的に日常会話では、「波長が合う」、或は「合わない」と表現していることと同じです。
それでは、その波長が合わないひととのコミニュケーションは、どのようにしたらよいのでしょうか。
その方法のひとつとして、ギターの調弦のように、こころが共鳴する閾値を探してみることです。身体が共鳴するとは、こころが通じ合うことだからです。
ひとは無駄な闘争を避けるために、「智恵」を使うことがあります。その「智恵」とは、意識下で動作や言葉をコントロールすることです。しかし、潜在意識は、その作為を「直感」で見抜いています。
そのようにして表面上友好関係を取繕ってみたところで、自分が相手と波長が合わないと潜在意識下で感じとっていることは、相手もそのように感じていることでしょう。しかし、ひとは、一時的に感情をコントロールすることが可能ですから、その場は何とか「言葉」で取繕うこともできるでしょう。
ひとには、学習能力があります。そこで、フィードバックの手法で、解決を図ってみることにしましょう。
自分の動作が、相手の動作を誘発して、それが再び自分の動作に影響を与える、ということを「フィードバック」と言います。このことを応用することで、こころの糸を調弦することが出来るかも知れません。
その方法のひとつとして、自身のこころの流れをコントロールすることを考えてみましょう。
それでは、こころは何処にあるのでしょうか。多くのひとは、心臓の辺りを指差します。では、そのこころを所有している「私」は、何処にあるのでしょう。多くのひとは、自分の鼻の辺りを指差します。その指差した処の延長線上に、脳の前頭葉があります。そうです、「私」とは、その前頭葉で各回路からの情報により合成された「概念」なのです。
その「私」の「こころの流れ」を、生物学的あるいは医学的に調整しようと試みた結果、それらをコントロールしているであろう物質が発見されてきました。それらは、神経伝達物質と呼ばれ、現在では五十種類あまりあるようです。
主なものとして、
ドーパミン
脳のいろいろな場所で喚起レベルをコントロールし、身体面の動機づけを与える。
セロトニン
気分や不安感に大きな影響を及ぼす。それ以外にも、睡眠や食欲、或は血圧にも関係している。
アセチルコリン
脳のなかで注意、学習、記憶に関する領域をコントロールする。
ノルアドレナリン
興奮性の化学物質で、身体的、精神的に高ぶった状態を作り出し、気分を高揚させる。
グルタミン酸塩
興奮性の神経伝達物質の代表で、学習や長期記憶を受け持つニューロンの結びつきを強める。
エンケファリン・エンドルフィン
脳内で合成される一種の麻酔薬で、痛みをやわらげ、ストレスを減らし、浮かんでいるような感覚を引き起こす。呼吸などの身体機能を低下させ、依存性状態を作り出すことがある。
現代医学の発達は、こころの流れをコントロールする物質の解明には、眼を見張るものがあります。しかし、「何故」の答えは用意できても、「如何して」の答えは明確にできないようです。神経伝達物質が、増減すると身体のコントロールが困難になることは分っていても、それでは、今まで普通に生活していたひとが、「如何して」神経伝達物質をコントロールできなくなってしまうのでしょうか。自然の摂理なのでしょうか。それとも、運命なのでしょうか。
運命と諦める前に、こころの流れをコントロールしている「私」である「脳」は、どのようにして開発されて来たかを考えてみましょう。
地球誕生間もなく、原子が集まり分子となり、それが巨大蛋白分子となり、やがて海に生物が誕生したことは、生物の教科書に書かれているとおりです。
ひとの脳の始まりは、海に棲む魚が、身体の各部を制御するためのコントロール中枢と身体の各部分を神経で連結するために、一本の管を発達させたことによるのです。
魚の脳は、脊椎の先のふくらみに過ぎなかったものが、やがて神経が役割を分担して、分子に反応するところは臭覚をつかさどり、光に反応するところは眼になっていくように、独自の回路を作るようになっていくわけです。
やがて、海から陸に上がり爬虫類に進化するようになると、運動神経が発達して、それを専門に管理する小脳が開発され、機械的に運動を管理する意識をもたない脳幹と繋がって行くわけです。ひとの脳の脳幹も、基本的には今もその当時とほとんど変わっていないようです。
爬虫類から定温に身体を進化させるようになると、脳幹の上に、更に回路を開発するのです。それらは、視覚、臭覚、聴覚を総合的に活用できる視床、原始的な記憶システムである扁桃体と海馬、そして外からの刺激により敏感に反応するための視床下部などです。
それらの回路は、まとめて大脳辺縁系と呼ばれていますが、情動はここで生み出されていますが、この時点では、まだ意識は生まれていません。
やがて哺乳類として進化している間に、感覚回路に触発されて、古い回路の上に薄い細胞基質が開発されていくわけです。そこでは、薄い割に沢山の神経接続がおこなわれていて、やがて意識の源である皮質に変化していくわけです。
ひとへと進化した哺乳動物は、その皮質が非常に大きくなってしまったため、小脳は後ろに押しやられてしまうわけです。その発達が著しいのは、思考、計画、組織化そして意思疎通(コミニュケーション)を行なう回路でした。
やがて、言語という道具を開発したひとは、原始人から現代人へと進化していくわけです。言葉を道具として使用できるようになると、色々多くのことを考えられるようになり、それに伴って、新しい脳の組織回路が必要になってくるわけです。その新しい組織回路とは、前頭葉で、新しく開発された大脳新皮質の多くを占めるようになり、特に開発が著しいのは、前頭前野と呼ばれている所です。そこが、ひとが「私」と指差した所です。
そのように、何の力(或るひとは、それを「神」と言っています。)か分りませんが、長い時を経て開発されてきた「私」が、何故コントロールを失ってしまうことがあるのでしょうか。
そのように開発されて来たひとの脳も、生まれたときから完璧に作動できるわけではないようです。そこで、どのようにして、ひとの脳の回路が作動して行くのかを考えてみましょう。
赤ん坊の脳は、生物の進化に比例して形成されているようです。その進化とは、魚→爬虫類→哺乳類→ひとの流れです。脳もその順序で形成されているようです。しかし、ひととしての脳は未完のままで、この世に生まされているようです。
それらは、聴覚と視覚の連絡、網膜と視床(音を認知するところ)との連絡などです。更に、意識的な感情体験(私という概念)と結びつく回路は機能前の状態であるわけです。
赤ん坊は、無意識の感情で行動しているのですが、それは、認識できる感情(私と他人を区別できること)は、生存のためにはそれほど重要でないためです。
それでは、意識がないのであるならば、幼い時にトラウマを受けても大丈夫であるかといえば、そうではなく、無意識の感情は、厳密な意味では、経験したことにはならないけれども、脳にはそのままの形で記憶されてしまいます。
一般に、三歳以前の出来事を覚えていないのは、海馬(意識的な長期保存場所)が、十分に成長していないからです。
しかし、感情に結びつく回路は脳の奥深くにあって、出生と同時に働き始める「扁桃体」という小さな回路に蓄えられるのです。幼い頃に受けたこころのキズの基は、この扁桃体に記憶されているのです。
赤ん坊が成長すると伴に、神経細胞の髄鞘形成が進んで行き、脳の各回路との接続が徐々におこなわれていくわけです。
一番最初に接続されるのは、空間を認識する頭頂葉です。「いないないバー」を楽しむ回路がそれです。
生後六ヶ月頃から、認知の回路が作動するようです。更に、六ヶ月して一歳頃になると、大脳辺縁系の衝動をコントロールできるようになるので、本能ではなく、気に入ることをする、つまり認識することができるようになるわけです。
生後一年半を過ぎる頃になると、言語回路が活発に活動してくるわけです。しかし、言語を理解するウェルニッケ領域のほうが、発話能力をつかさどるプローカ領域よりも早く発達するので、親の言葉は理解できても、言葉で反応できない時期でもあるわけです。「タダをこねる」とは、この反応のことなのです。
そのように、ひとの脳が完成するには、更なる時が必要になっているのです。
注意を必要とするのに大きな役割を果たす網様体の回路が完成するには、髄鞘形成が進行する思春期を経なければなりません。ですから、思春期の子供達は、各回路の接続が上手く行かない為、意識を上手にコントロールすることが困難な為、あらゆることに注意が散漫し、注意力が持続しないことは「アタリマエ」のことなのです。その髄鞘形成が完了するのは、成人してからなのです。
そのようにして、ひとが成人したとしても、その成長過程での回路に入力された情報により、そのひとだけの精神の回路が出来上がってしまっているわけです。それを一般では、「性格」と言っているわけです。
ですから、「性格」は、個人個人異なっているわけですから、同じ物を見たり、聞いたりしたとしても、各自同じ反応をすることは稀なわけです。
「性格」とは、長い期間における、そのひとなりの思考傾向と言うこともできるでしょう。
ひととのコミニュケーションを調整するために、相手の性格に、自分の性格を合わせることは不可能ではないにしても、過大なエネルギーを必要とすることでしょう。何故ならば、性格とは、遺伝形質と生後の環境により形成されているからです。
では、ひとの性格は、変えることが出来ないのでしょうか。
性格は、遺伝形質が作用していますから、完全に変えることはできないでしょう。しかし、性格と類似する「人格」は、変えることができるかもしれません。
「人格」とは、ある固体の認識的、感情的、意志的および身体的な諸特徴の体制化された総体、と広辞苑にはでていますが、詰まるところ、生得的な「思考傾向」であるわけです。
小説「宮本武蔵」は、世の中が不穏な状態に突入している時に、よく読まれる傾向があるようです。その原因のひとつに、どうしょうも無い不良少年が、立派な武士に変身するところにあるのかもしれません。つまり、人格の変成です。
小説「宮本武蔵」では、不良少年「タケゾウ」は、城の屋根裏部屋で三年間幽閉され、その間これまでの人脈や生活環境を強制的に断たれ、その期間そこで、書籍を黙読することにより自己の歴史を遡り、先祖の歴史を遡り、そして人類の歴史を遡り、その新たな知識を基に瞑想することにより、こころに一条の光を見出すことにより、「ムサシ」に人格が変成するわけです。
小説では、その幽閉の前に、「タケゾウ」を沢庵和尚が木に何日間か吊るし、仮死状態にさせる場面がありますが、その方法は、死に直面させることにより、脳の回路を初期化していることになるわけです。それは、前に述べた旧約聖書の瞑想法の、断食と同じ効果があります。
そのようにして人格を変成した「ムサシ」は、以前の「タケゾウ」の痕跡を全て消去しているかといえば、そうではないでしょう。変成したのは、思考回路だけです。
ひとをハードウェアと考えれば、そのソフトウェアは二つ考えられます。ひとつは、先祖から引き継いだ「情動系回路」、そしてもうひとつが、生後学習により修得した「思考系回路」です。
情動系回路とは、「今を生きるための回路」で、動物的に生命を維持増進させるプログラムを司ります。脳の場所で言えば、大脳辺縁系です。
思考系回路とは、「未来を生きるための回路」で、ひととして生きていくためのプログラムを司ります。脳の場所で言えば、前頭葉系です。
その情動系回路と思考系回路とにより創り出される身体的な諸特徴を、「性格」と言い、思考系回路により創り出される身体的な諸特徴を、「人格」と言うわけです。
情動系回路と思考系回路とが、同じベクトルを持っているのならば、人生において問題は発生しないでしょう。しかし、ベクトルが異なってしまった時は、どうなるのでしょう。
そのことは、「分っちゃいるけど(思考系回路)、やめられない(情動系回路)。」とか、「一本(ペン・理想・思考)より、二本(箸・食べること)の方が強い。」と言うように、思考系回路より情動系回路が優位になる傾向があるわけです。
ですから、人格を変成したからといって、こころの流れを全てコントロールすることが出来るわけではないのです。しかし、人格を変成することにより、こころの広さが変わることにより、相手のこころを受け入れられる許容量が増すことは事実です。つまり、共鳴する音域が広がるわけです。
それでは、こころの流れを更にコントロールするために、情動系回路を変成することはできないのでしょうか。
情動系回路は、学習により修得した思考系回路と異なり、遺伝的形質によるわけですから、変成はできないとしても、何かの方法で情動系回路をコントロールすることを、次に考えてみましょう。
 
行動パターンを変換すること   
 
 
 
脳のメカニズムに対する研究には、眼を見張るものがあります。そのひとつに、情動系回路の解明があります。それにより、何故「分っちゃいるけど、やめられない。」か、が納得できるでしょう。
その行動パターンは、次のようなメカニズムによるようです。
まず外からの刺激を、身体の各感覚器により大脳辺縁系が認知します。それが欲求として(潜在意識により)意識される衝動を作りだします。その欲求を満たすために新皮質(意識)が身体に色々な指示をだします。その活動に対してのリアクションを各感覚器が、大脳辺縁系に送り返すと、その報酬として大脳辺縁系はエンドルフィンなどの麻薬物質に似た神経伝達物質を分泌し、それによりドーパミン濃度が上がることにより脳に満足感が生みだされるわけです。
このメカニズムを知れば、何故パチンコやスロットに「ハマル」か説明できるでしょう。そのゲームで当たりを引くと、脳内に麻薬物質が放出され、ドーパミン濃度が上がるわけですから、その結果、身震いするような快感を得られるわけです。その快感を追い求めることが「ハマル」ということです。病的に「ハマル」には、更に快感の思い出を保持するための記憶のメカニズムも絡んでいます。
それでは、その「ハマル」メカニズムを応用して、バクチではなく、コミニュケーションを円滑にするために、こころの流れをコントロールする方法を考えてみましょう。
その「ハマル」メカニズムを「アメ」とすれば、当然それを制御する「ムチ」(セロトニンなどを枯渇させること。)も存在するわけです。
「アメ」は、別の見方をすれば、エネルギー放出のメカニズムです。そのように、「アメ」を舐め続けていれば、充電もせずエネルギーを放出し続けていることになるので、やがて身体エネルギーが枯渇してしまうでしょう。そこで、それを制御するための「ムチ」で、エネルギーの放出を止めるわけです。
この「アメとムチ」のメカニズムが程よく調和していれば、ひとの身体は健康状態(健康なひとなど、この世にはひとりもいません。たまたま健康状態にいるひとを健康人、たまたま調子の悪いひとを病人と言っているだけです。)を保てるわけです。
この「アメとムチ」のメカニズムは、情動系回路だけでひとが作動しているのならよいのですが、ひとにはもうひとつの思考系回路があるわけです。この思考系回路は、言葉という道具を利用して、色々なトリック(思想やイメージ)を考えだしてしまうのです。
そこで、「アメとムチ」のメカニズムが、思考系回路が考え出した「理論」と合っていれば問題が発生したとしても、致命的にならないけれど、それが合っていないと、身体メカニズムを狂わす原因となってしまうこともあるわけです。
例えば、パチンコで負けたとします。「アメとムチ」だけで作動していれば、負けたことにより、快の神経伝達物質が制御され(ムチ打たれ)、心身は「うつ」状態になるため、なにもする気が起きることがなく、その後の行動は抑制される方向に向かうわけです。しかし、思考系回路に「お前はギヤンブルに強い。」、或は、勝利できるとの「思考やイメージ」をパチンコ情報誌などで刷り込まれてしまっている場合、その負けを素直に認めるのではなく、データを集め理論武装したり、過去の勝利の記憶を呼び覚ましたりして、「アメとムチ」のメカニズムに再挑戦してしまうことになるわけです。その結果は、マチキン(サラリーローン)一直線であることは、新聞の三面記事でよく見かけるストーリです。
さて、色々なタイプのひととコミニュケーションを上手にとるには、前節で述べたように人格の幅を、先輩達の言動を学習することにより広げることですが、更に身体エネルギーの保持増進を図ることも必要です。それには、「アメとムチ」のメカニズムにおいて、「ムチ」にあわないようにすることです。
でも、「アメ」を求めれば、「ムチ」にあうこともたまにはあることでしょう。そこで、「ムチ」にあってしまった場合、そこから脱出するために、こころの流れを調節する仕方を考えてみましょう。
情動系回路と思考系回路のトラブルでは、思考系回路が勝つことは稀です。それは、そのようにひとは創られているからです。そこで智恵を働かせることができるのであれば、そのトラブルも回避できることでしょう。
しかし、ひとは、その解決を図る仕方として、「考える」ことを最重要視してしまう傾向があるようです。それは、そのように「よく考えれば必ず答えが見つかる。」、あるいは「腹を割って話し合えば問題は必ず解決する。」と、家庭や学校で呪文をかけられてきたからです。この世には、真剣に考えても答えがでない問題など、山ほどあるのが現実です。
その考え過ぎの結果が、心身の「うつ」です。うつ状態とは、「もう考えるのは止めて、エネルギーを蓄えましょう。」と、こころの奥から発信された「サイン」のひとつなのです。「うつ」状態とは、脳生理学的観点ではなく、別の観点からみれば、それはエネルギーの充電期間なのです。そのような状態にさせた原因は、思考系回路と情動系回路とのトラブルにより、身体エネルギーの枯渇によるのです。
それでは、うつ状態からの脱出方法はどのようにしたらよいのでしょうか。それには、まず「考えることを止める」ことです。
そうは言っても、この考えることを止めることは、口で言うほど簡単ではありません。自分でトライしてみれば、何も考えないようにすることが、どれだけ大変なことか理解できるでしょう。瞑想をしている時、雑念が浮かばないひとなどいないでしょう。
「うつ」をこころが壊れた状態だと考えれば、修理をすればよいのです。今まで正常に作動していた物が壊れた場合、修理をします。こころも壊れたら修理をすればよいのです。
一般に、修理の仕方は二つあります。ひとつは、専門家による修理方法で、もうひとつは素人修理方法とです。どちらが良いかは、その故障した物が直ればよいわけで、問題はその方法ではありません。
例えば、ここに映らなくなってしまったテレビジョンがあるとします。普通、電気屋さんへ修理に出すでしょう。それが一般的修理方法だからです。しかし、あるリサイクルショップでは、まったく信じられない方法で、映らなくなってしまったテレビジョンを再生(修理ではありません。)しているのです。
その方法とは、物理的外傷を検査して、何もなければ、カバーを外し、中性洗剤を薄めた液をテレビジョンにたっぷりかけて、その後は、ぬるま湯で中性洗剤を洗い流し、後は乾燥させるだけです。そのような方法で、数台の内、何台かは映るようになるようです。
ひとが「うつ」状態になってしまった時、そのようなぬるま湯をかけるだけで再生できれば結構なことでしょう。脳のメカニズムを知ることも、くすりを飲むことも、カウンセリングも、更に宗教ポイ理屈もいらないからです。
ひとにも、そのようにして、心身の乱れを再生する方法はないのでしょうか。
インドのアーユルベーダに、温めたオリーブ油を頭部に垂れ流す療法があるようです。では、本邦にはそのような療法はないのでしょうか。それがあるのです。その方法とは、白隠禅師の「ナンソの法」がそれです。
白隠禅師は、悟りを得ようとあらゆる難解な仏典を勉強しているうちにノイローゼ(流行言葉では「うつ」)になってしまったのです。そこで、ノイローゼから立ち直るために、「ナンソの法」を実践したのでした。その結果、こころが再生すると悟りが訪れたのです。
その悟りとは、
 
自己の本当の相を観る修行は、別に難しいものではない。ゆったりと呼吸をし気持ちを落ち着ければよい。そのようにすれば、仏の悟りも、自己の悟りも特別変わっていないことが分るだろう。なぜならば、自分自身のこころの中に、すべてが存在しているからだ。実在は自分以外のなにものでもない。これを外に求めるから、様々な迷いが生じるのだ。難解な書籍に答えを求めて、何と時間を無駄に費やしてきたことか。今悟った、自分自身が仏であったのだ。
 
と言うことです。
その「ナンソの法」とは、温かいバターのようなものが、頭に在り、それが体温で融けて頭から後頭部、後頭部から首筋、首筋から肩へとゆっくり流れる様を「想念」するだけです。その方法は、リサイクルショップの再生と同じことです。悪いものをイメージを駆使して洗い流すことにより、こころの流れが再生できることもあるのです。
さて、そのようにして、心身をリフレッシュしたら、次は、より良いコミニュケーションを確立するために、好ましい行動がとれるようにすることです。
ひとの日常行動の大部分は、意識して行なっているのではなく、無意識によるものです。その無意識がコントロールしている日常行動を、いかにして望ましい行動に変えていくかを考えてみましょう。
一般的に、ひとが目標を成就しようと思うと、まず計画をたてます。そして、その計画を遂行できるように、精神に渇をいれる目的で、必勝とかガンバロー的スローガンを書いて、壁などに貼るようです。
そのように、青春一直線的行動で、ことが成就できればバンバンザイです。しかし、どうでしょう、その希望溢れる計画は、三日も過ぎれば重荷となることでしょう。
何故そう言えるかは、情動系回路のプログラムを無視した、思考系回路だけによる意志の力は、三日が限度だからです。俗に言う、「三日坊主」がそれです。
しかし、悪癖は、意志の力で止めようと努力しても、なかなか止めることができないでしょう。
可笑しなことです。一方は、ねじり鉢巻で意志の力で、一所懸命努力しても目標達成を「行うことができない」のに、もう一方は、悪癖を止めようと一所懸命努力しても「行なってしまう」のです。これは何故でしょうか。
それは、「身体を動かす回路」と「こころを動かす回路」が異なるからです。そこを理解していないと、こころが身体を全てコントロールしていると誤解してしまうでしょう。
身体は、ニューロン(ギリシャ語・神経の意)とホルモン(ギリシャ語・呼び覚ますの意)により影響を強く受けています。その二つの身体影響系物質は、言葉を理解できません。簡単に言ってしまえば、言葉を理解できないものは、言葉でコントロールできないわけです。
しかし、言葉を固めた意志の力でも、時には身体をコントロールできます。例えば、走ろうと思えば走れるし、歩みを止めようと思えば止められます。それだったら、意志の力で、努力すれば何でもできる理屈になるわけです。
でも、意志の力だけでは、身体を全てコントロールできません。それでは、身体は何よってコントロールされているのでしょうか。
身体の動きは、二重構造になっているようです。それは、意識下による行動と意識外、つまり無意識下による行動とです。
意識とは、「我思う故に我在り」と言うことで、「私」という主人公が居る世界です。それに対して、無意識とは、「私」が居ない世界です。それでは、「私」の居ない世界では、誰が身体をコントロールしているのでしょうか。
それは、情動系回路にある自動行動プログラムによるのです。そのプログラムは、先祖からの贈物で、その基本は「身体の生き残り」です。身体の生き残りプログラムは、倫理的に良いとか悪いとかの判断ではなく、生きるか死ぬかをその判断基準にしています。
その「私」の居ない世界での自動行動プログラムは、情動系回路に組み込まれて、身体の生き残りのために、日夜活用されているわけです。
その生き残りのためのプログラムも、時として場違いなところで現れてしまうこともあるのです。
それは、強迫性障害の場合、一種の儀式、例えば手を何回も洗う、戸締りを何回も確認する、あるいは数字にこだわるなどです。一般に、それらを行なう人は性格の問題で、後天的に身につけた個人的な記憶だと思っているようですが、それは、自動行動プログラムに刷り込まれている生き残りの行動なわけです。
手を洗うということは、清潔を保つためで、何かおかしなことがないかを確認することは、安全のためで、数字にこだわることは、秩序とバランスを保つことなどです。それらは、大昔、ひとが火や武器を発明していない暗い穴倉に隠れ住んでいた時代では、身体の生き残りのために必要なプログラムであったわけです。
しかし、身体的安全であると思われる現在の状況で、それらのプログラムが、時として現われて問題になっているのは、本来のプログラム意図から離れて孤立して出現しまっているため、誇張された行動となり目立っているだけです。それらは、一寸先が闇の危険溢れる世界では、生き残りの為には絶対に必要な行動だったのです。
このことは、アレルギー反応と同じで、ばい菌が化学の力で脅威でなくなったため、身体の免疫系が、本来の戦う相手がいないため、花粉などの取るに足らないものを「敵」とみなし過剰攻撃しているようなことです。
アレルギー反応を改善する方法に、アレルゲンに少しずつ被爆させ免疫力を高める減感作療法があるように、その問題行動を改めるには、その行動の背景を認識する認知療法や行動療法、或は薬物療法などがあるようです。
いずれにしても、強迫性障害の問題行動は、思考系回路を総動員して理論的解決策を発明したとしても、「言葉で」その行動を改めることは困難が予測されます。つまり、「分っちゃいるけど、やめられない。」のです。
それでは、その問題行動を指令している自動行動プログラムに働きかける方法はないのでしょうか。
情動系回路は、言葉ではコントロールできません。それでは、どのような方法があるのか考えてみましょう。
強迫性障害のひとは、とても善良なひとが多く、誤った道に進むことを何としても避けようとし、道徳観があり、徹底的に正直であろうとする傾向があるようです。その為か、宗教の道に入って行くひとが多くいるようです。
宗教組織には独特な儀式があり、その儀式に埋没することにより、自己の問題儀式を一時的に忘れさせてくれるようです。その教祖の言動や宗教儀式も世間的常識から外れていればいるほど、そのひとたちには魅力があるようです。それは、自己の問題儀式がちっぽけなものに感じられるからです。
更に、同じ悩みを持ったひとたちといることは、波長が合うため居心地がよいようです。最近の若いひとたちの新興宗教ブームには、そのような背景が見て取れます。
宗教がある種のこころの問題を解決することは事実です。それでは、それは、その宗教の教祖や儀式によるかは疑問です。その答えは、白隠禅師が述べているように、調息にあるのです。つまり、呼吸のことです。
こころの問題を解決する目的の技法、例えば、禅、ヨーガ、自立訓練法、各種の瞑想法などは、必ず呼吸の調整がその基本となっているようです。
身体をコントロールする機能のひとつとして、神経系があります。主なものは、自律神経系で、それは、交感神経と副交感神経に分けられるようです。その交感神経と副交感神経は、原則として反対の機能を発揮しているようです。
例えば、心臓において、交感神経は促進作用(パワーアップ)を示し、副交感神経は抑制作用(リラックス)を示します。しかし、腸の場合、交感神経が抑制作用を示し、副交感神経が促進作用を示します。そのように、身体の各臓器は、交感神経と副交感神経が同時に分布していて、ひとが意識していなくても、それらの拮抗作用により各臓器のバランスが維持されているのです。
そのようにひとの臓器は、自動行動プログラムにより管理されていますが、ただひとつ、肺臓だけは、ひとの意志を多少なりとも反映することができるようです。試しに、意志の力で、息を吐いたり吸ったりしてみて下さい。生命の危険を脅かされない範囲で、肺の動きを呼吸という手段で、コントロールできることが分るでしょう。
普通の呼吸では、吸息の時に気道が広がり、呼息の時には狭くなりますが、これは気道壁の筋肉が呼吸に伴って、収縮・弛緩するからです。その気道壁の筋肉の収縮・弛緩は、副交感神経を多く含む迷走神経と交感神経とでコントロールされているのです。
呼吸において、息を吐く時は迷走神経で、息を吸う時は交感神経が作用するようです。つまり、吐く時は筋肉の緊張を、吸う時は筋肉の弛緩を示します。
このことは、例えば、ゴルフをする時に実感できるでしょう。息を吸いながらテークバックをし、トップで息を止め、ダウンスイングに入ると同時に息を吐くでしょう。それは、何にを意味しているのかと言えば、息を吸うことは弛緩で、エネルギーを蓄えることで、トップできり返し、息を吐くことで緊張、つまりエネルギーを放出するわけです。ゴルフのスイングの時、その逆をしてみると、呼吸がいかに筋肉をコントロールしているかを理解できるでしょう。息を吸いながらダウンスイングしたとしたら、ボールは通常より飛ばないでしょう。
以上のことを簡単にまとめますと、呼吸をコントロールすることにより、身体の筋肉をパワーアップさせたり、またはリラックスさせたりすることができるということです。
身体が問題行動を起している時の筋肉を調べてみて下さい。それは多分、リラックスしているのではなく、コリコリに緊張していることでしょう。
極一般的な日常行動は、筋肉の緊張の後は、リラックスすることにより筋肉の疲労を回復することができるわけです。仕事の後、「一服する。」ということです。一服すると言うことは、息を吸うことを意味していて、息を吸うことは、それはリラックスするということになるわけです。
しかし、身体が常に緊張状態であるひとは、呼吸が浅いか乱れている傾向があるようです。そこでもし、身体がその様な状態であるならば、呼吸を調整することで、身体の緊張を解きほぐすことができるでしょう。
その方法は簡単です。緊張状態をつくる吐く息ではなく、リラックス状態をつくる吸気にさりげなく注意を向けているだけでよいからです。時間をかけてゆっくり息を吸い、少し止めて、自然な状態で息を一気に吐けばよいのです。その時の姿勢は、座っていてもよいし、寝ていてもよいのです。不自然な座禅やヨーガのポーズも必要ないでしょう。
その様に、さりげない態度で、呼吸の調整をしていれば、今までの不必要な身体の緊張は解きほぐされていくことでしょう。その効果が現われるのは、ひとによりますが、「三日、三月、三年」の内でしょう。そのエビデンスはありませんが、それは自然治癒力のサイクルのようです。
呼吸法により、身体がリラックスできたかを知るには、食事と睡眠をチェックすればよいでしょう。身体からの不調の警告は、基本的に二つです。食欲がない、眠れないという信号は、交感神経と副交感神経とのバランスが崩れていることにより、身体が過度な緊張状態にあることを警告しているのです。
食欲が増し、よく眠れるようになったということは、それは交感神経と副交感神経とのバランスが保たれている状態であるわけです。それは、情動系回路が正常であるということを意味しています。
その様に呼吸法で、情動系回路を回復させたとしても、問題行動は完全に改められないかもしれません。それは、思考系回路にも問題が潜んでいるかもしれないからです。
ひとの行動は、情動系回路と思考系回路とのバランスによりコントロールされているわけですから、問題行動は、その二つを改めないと、解決できないでしょう。
そこで、こころの問題を解決する専門家のひとたちを訪ねてみましょう。
精神分析家は言うでしょう。そのこころの問題は、幼い時受けたトラウマによるのです。こころを催眠により退行させて、その問題点を探り、それを認識し、昇華させれば、こころの問題は解決します。
薬物治療家は言うでしょう。そのこころの問題は、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れているだけです。よいおくすりがあります。おくすりを指示どおり飲んでいれば、こころの問題は解決します。
キリスト者は言うでしょう。そのこころの問題は、日々の行いによるのです。悔い改めましょう。神に祈れば、こころの問題は解決します。
大乗仏教者は言うでしょう。そのこころの問題は、前世の行いによるのです。輪廻転生の悪循環を断つために、先祖を供養し、徳を積み、お布施をし、お経を唱えれば、こころの問題は解決するでしょう。
ひとの思考系回路は、色々なトリックを考えるものです。それでは、それらの専門家達のアドバイスは、問題解決に有効なのでしょうか。それは、相談するひとによるでしょう。そのひとが、そのアドバイスを信じることができれば有効ですが、信じなければ無効でしょう。
それは、催眠術と同じで、催眠術は、術師が催眠をかけるから催眠術にかかるのではなく、かけられるひとが勝手にその術にかかることにより、催眠術にかかるのです。もし、かけられるひとが、その催眠術師の技術を信じていなければ、絶対に催眠術にはかからないのです。
では、信じるということは、一体どういうことなのでしょうか。
辞書によると、「正しいとして疑わないこと。」とありますが、それでは「誰」が疑わないのでしょうか。それは、意識の世界にいる「私」です。
「私」が「正しいとして疑わない」ことを、「信じる」ということならば、その「私」はなにを基準に正しいと判断するのでしょうか。
四人の専門家達のアドバイスを、全て信じるひともいるでしょう。しかし、その全てを信じないひともいることでしょう。その信じるひとも、そのアドバイスの内容を信じるのか、そのアドバイスを言っている人物のバックグラウンドを物語る肩書きの立派さを信じているのかは分りません。
そのようにドンドン言葉により「信じる」ことを分析していくと、何が何だか分らなくなることでしょう。それもそのはず、言葉により構築された思想(信じるということも含む)は、より魅力ある思想により変成されてしまうからです。
「信じる」ということは、思想の別形体で、考え方の別表現であるわけです。ですから、自身のこころにある考え方と同じ内容の「思想」であれば、それはこころに受け入れられます。そのこころに受け入れられることを、「信じる」といっているわけです。
このことを応用しているのが、宣伝広告のブランドマーケティングでしょう。
ブランドを潜在顧客に「信じ込ませる」ことにより、物やサービスの販売促進を狙っているわけです。そのために、より魅力ある思想を「キャッチコピー」に凝縮して、テレビや新聞などのマス媒体で何遍も露出することにより「信じさせ」、絶対に必要で無い物までも購買させているのです。
その宣伝広告の基本は、「刷り込み」です。「嘘も百辺唱えれば真実となる。」と、誰かが言っていたようですが、刷り込みが成功すれば、「白も黒」と「信じて」しまうこともあるのです。
その刷り込みは、何により完成するのでしょうか。それは、記憶です。
脳のブレインマッピングによれば、記憶は種類ごとに、その保存や取り出し方が異なっており、更に、記憶に関している脳の領域もたくさんあるようです。
しかし、その基本は同じで、記憶はニューロン集団の連合であるということです。ひとつのニューロンが刺激を受け、隣のニューロンに刺激を伝達し、その伝達がその隣へと、広がって行き、それがひとつの集団となり、その集団が他の集団と連合していくことにより、思想や観念、或は妄想などになり、記憶として脳に保持されていくわけです。
その記憶には、脳のいろいろな場所がかかわっているようです。
側頭葉 皮質に長期記憶を植え付ける。
被殻 動作の手順記憶が保管される。
海馬 個人的な記憶や道順の記憶を定着させたり、取り出したりする。
扁桃体 無意識に深く傷ついた記憶がここに蓄えられる。
尾状核 遺伝子によって記号化された記憶、つまり「本能」はここから発生している。
そのように、記憶はいろいろな場所にあり、各保存所と連絡をとりながら、それぞれの働きをしているのです。例えば、長期記憶となるであろう経験は、まず海馬に送られ、そこに二三年保管され、その間、その経験は何度も繰り返し再現され、それがやがて皮質に焼き付けられる(刷り込まれる)と、海馬の力を借りなくても記憶を喚起できるわけです。
その海馬による、皮質に刷り込ますための経験の再現は、昼より夜に行なわれているようです。夢の一部は、起きている時の出来事を海馬により再現されているわけで、昔のひとが、「寝る前に争いごとをしてはならない。夢に見るぞ。」と言っていたのは、このことをいっていたわけです。それに対して、寝る前の子供に、楽しい物語を語ってあげることは、智恵ある親の行動です。
さて、信じることは、行動に影響を与えるわけですから、今までの行動が、問題行動であるとしたら、今まである記憶を、消し去ってしまえばよいわけです。つまり、記憶の初期化です。
しかし、記憶の保管場所により、初期化が可能なものと、そうでないものとがあるわけです。初期化が可能なのは、皮質の記憶でしょう。それは、思考回路系情報であるわけですから、より魅力的な思想を与えれば、今まで信じていた思想を改めることが、比較的簡単にできるでしょう。
しかし、被殻、海馬、篇桃体そして尾状核にある古い記憶は、思考回路の言葉を道具として初期化は難しいでしょう。そもそも、それらの記憶はイメージとなって固まっているわけですから、言葉では如何ともしがたいわけです。
それでは、どのようにしたら良いかを考えてみましょう。
問題行動を起していると信じられている、不登校の子供の行動を観察してみましょう。
不登校の原因は、今だはっきりしていないようですが、その子供達に共通していることは、「恐怖」です。その恐怖の対象は、そのこどもの今までの生活環境によるようですが、この本は不登校対策ではなく、復活プロカメラマンになるためのヒントを述べることですから、話を先に進めましょう。
その子供達は、ある一定のプロセスをたどることにより、「自立」して行くようです。そのプロセスは、大の大人が真似をするには大いに勇気が必要ですが、復活のためのヒントを多く含んでいるようです。
そのプロセスとは、不登校初期では、昼夜逆転、暗い部屋にひきこもり、一日中じっとして動きません。やがて、エネルギーが蓄えられてくると、親などに当たれる環境の子供は、親に「クソババア!クソジジィ!」と言いながら暴力を振るうようです。
親に暴力が出来ない時は、ドアーや壁が代用されるようです。その時の子供の無意識は何を求めているかと言えば、親が自分を無限に受け入れてくれるか、ということです。暴力が受け入れてくれたと感じたら、次は、「アレを買え、今すぐコレをしろ!」の無理難題の要求です。その要求が満たされたと感じたら、次に想像もできないことが起こるのです。それは、「幼児がえり」です。
その幼児がえりは、その子供の「ボタンの架け違い」の時期に戻るようです。或る子供は「バブバフ」かもしれませんが、或る子供は「ママぬいくるみがほしいでッゥ。」と幼児言葉で要求するかもしれません。
身体が、母親よりも大きくなった子供の突然の幼児がえりに、ビックリする親もいることでしょう。
そのような一連の行動は、何によって為されたのでしょうか。
それは、子供達が思考系回路を駆使して考えて行なっているのではなく、情動系回路にある自動行動プログラムの自己修復プログラムが作動したからでしょう。
そのように、幼児がえりでの、子供の要求に対しての適切な親の行動により、子供達は見る見るうちに、「自立」に向かって動き出すのです。その子供の行動は、育児の再現と言っても良いほどです。添い寝を要求したり、童話を読むことを要求したり、親の布団に潜り込んできたり、仕事をしている時後ろから抱き付いてきたりと、様々です。
でも、適切に対処したとしたとしても「自立」には、どの位の時期を必要とするのかは分りません。大雑把に言えば、「三日、三月、三年」かもしれません。
いずれにしても、不登校の子供の「自立」への出発点は、「幼児がえり」からです。
そもそも、幼児がえりとは、いったい何なのでしょうか。それは、記憶の初期化かもしれません。今までの自分の問題プログラムを消去するための行動なのかもしれません。つまり、人格形成の零からのやり直しです。
さて、問題行動を起している大人の「自立」の出発点は、それでは何処なのでしょうか。
十代二十代ならまだしも、いい年をした大人が、幼児がえりをするにはよっぽどの覚悟がいるし、出来たとしても、年老いた親がするわけにはいがず、親の役をするひとがいないでしょう。
では、大人の記憶の初期化は、どのようにすればよいのでしょうか。
 
こころの流れに希望をのせて   
 
 
 
ひとの言動が、記憶に影響されるのならば、もし、その言動に問題があり、それを修正したいと望むのならば、その問題を起す原因の記憶を消去して、新たに望む記憶を刷り込むとすれば、望む言動を行なうことができる理屈になるわけです。
そこで、言動を改めるために記憶の修正を行なうわけですが、その修正個所は、大きく分けて二つあるわけです。ひとつは、情動系回路で、もうひとつが思考系回路です。
そこで、前節でそのふたつの修正方法を考えたのですが、大人の情動系回路は、子供の修正方法で行なうには、不都合であると述べました。
そこで、この節では、おとなの情動系回路にある不都合な記憶を消去して、新たな記憶の刷り込み方を考えてみることにしましょう。
電子媒体の記憶の消去は、初期化のプログラムを使用することで簡単にできます。それでは、ひとの場合はどうなのでしょう。
初期化とは、記憶のない状態を言います。ひとの場合で、そのような状態を探してみましょう。すると、思い当たる事が二三浮かぶでしょう。そのひとつに、極々親しい身近なひとの突然の悲しい知らせを聞いた時です。思い出して下さい、その時、呼吸が止まり、一瞬心臓も停止したように感じたことでしょう。そのような状態を一般的に、「頭の中が真っ白になった。」と表現しているでしょう。
ひとが受けるストレスの強さは、死に直面した時を除けば、「悲しみ」と「恐怖」でしょう。それらの強いストレス下にあるひとの顔の表情の特徴は、表情の固定化です。つまり、物質のような顔の状態です。
一般に、ひとの顔の表情は、プログラムとして、自動行動プログラムの中に組み込まれています。その基本的表情は、悲しみ、満足、嫌悪、怒り、そして恐怖です。それらは、感情という情報操作により、その基本的表情の組合せで、日常生活場面で刻一刻変化して表現されているわけです。
その感情作りの材料としての情報を流す器官のひとつとして、扁桃体があります。その扁桃体には、恐怖と怒りの情報が記憶として保持されています。
怒りと恐怖は、問題行動の重要素です。言葉でその二つの感情の素をコントロールしようとしてできないことが、更に強いストレス下では、消失し現われることがないわけです。
身体のメカニズムの一時停止。顔の表情の固定化。感情の消失。これらのことは、一瞬ではありますが、記憶の消去とも考えられるでしょう。つまり、一時的な記憶の初期化です。
このメカニズムは、人格変成の専門家には昔から熟知されていて、技術として応用されています。
宗教専門家は、断食などにより身体極限の状態に自身を追い込むことにより、人格の変成を図ろうとします。
結社組織の構成員を洗脳するには、死の儀式(骸骨を抱いて穴に埋める。ナイフで血を流し、血判状を作る等。)を通過させることにより、組織員としての人格変成を図るわけです。
企業向けセミナーでは、企業戦士育成のために、今までの人格を徹底的に破壊(初期化)する目的で、死ぬほど恥ずかしいことを人前でさせることでしょう。
小説「宮本武蔵」では、前述したように、身体が極限状態になるまで、タケゾウを木に吊るすわけです。
いずれにしても、強いストレスは、人格を変成させます。よい方向で行けば、これほど簡単な人格変成の方法はないでしょう。しかし、悪い方向に行ってしまうと、新たな問題が生じるかもしれません。それは、心的外傷後ストレス障害です。
つまり、従来の記憶を消去するための、新たなストレスが、消去ではなく、扁桃体に焼き付けられてしまった場合、もう自分ではコントロールできないため、身体が自動的に反応してしまい、その感覚が完全にリプレイされながら、トラウマを再体験することになってしまうこともあるのです。
では、問題行動を改めるために、自動行動プログラムを新たにするには、どのような方法があるかを考えてみましょう。
以上で述べた人格変成の方法をハードプログラムとすれば、瞑想はソフトプログラムとも言えるでしょう。思考系回路の停止、情動系回路の抑制を行なうこと、つまり、瞑想はソフトな「死の儀式」であるわけです。
紀元前五世紀前後の偉人賢人の輩出は、何が原因であるかを、以前仮説とした述べました。それは、当時、脳の尾状核に遺伝子により記号化されて記憶されている宇宙的規模の情報を、何らかの方法で探り出す、アラジンの魔法のランプの中に居る魔人を呼び出す「呪文」のようなものを、極少数の智恵あるひとたちが知っていて、利用していたからではないかということです。
その技術のひとつは、紀元前五世紀頃創作された「旧約聖書」の一部に封印されているのではないかということを、「魔術篇」の「誰にでもある潜在信仰心」で述べました。その方法は、瞑想により光の中に到達することでしたね。
光と人格変成の関係は、古今東西言われていることで、あの「空海」も瞑想していると、口の中に光が飛び込んできた、と述べているようです。
瞑想方法は、色々ありますから、瞑想の専門書で勉強して下さい。いずれにしても、瞑想の基本は「呼吸」にあるわけです。ですから、自分に合った瞑想法(呼吸法)を見つけることは大切です。
さて、自分に合った瞑想法で光の中に到達できたとしたら、それは、初期化が完成したことを意味していますから、次の行動を起すことです。
その行動とは、望ましい行動の「刷り込み」です。
その刷り込みの方法は簡単です。ここでは「何を」刷り込むか決まっているからです。それは、「プロカメラマンになるための好ましい行動を起すこと」です。
しかし、この簡単なメカニズムによる刷り込みも、ある呪文により、思うように刷り込めないのです。その呪文とは、「自由意志」という概念です。
「自由意志」とは、「私」が「私の意志」により、「私」を「自由に」コントロールできるという幻想です。
今を生きるのが情動系回路とすれば、思考系回路は明日を生きることを目指します。しかし、一秒先も、ひとは見ることも知ることもできません。見えないことや知ることができないことは、ひとに恐怖感を与えます。恐怖感は前進を阻止します。そこで、色々なトリックを考え出す思考系回路は、ひとに希望を持たすために、ひとつの幻想を発明したのです。それが、「ひとは自分で何でもできます。」を意味する「自由意志」です。
しかし、実際は、ひとは「ハンマー」を持たせられると、出っ張ったクギを探し出し、それを叩こうとするし、又、「くぎ抜き」を持たせられると、打ち付けられたクギを抜きにかかります。ひとは、他人の言動を気にして、与えられたことを信じて、自分の頭で考えることをしないのです。
いやそんなことはない、と思っていても、現実はそうなのです。宗教教団は、そのメカニズムを基に成立しているのです。その宗教組織の布教メカニズムを応用した、不必要なものでも購買させてしまう宣伝広告(プロパガンダ)の繁栄をみれば分るでしょう。
宣伝広告のプロは、ひとびとのイメージを、クライアントの都合の良いイメージに変換させる目的で、人口統計や心理統計に依拠するのです。
人口統計のデータは、年令、性別、経済状態による嗜好の相違を教えてくれます。心理統計のデータは、ひとが内在させているファンタジーやごく個人的な性癖についての情報を教えてくれます。
そのようなデータは、消費者のパーソナルなプロフィールを提供してくれることにより、宣伝広告のプロは、彼らの宣伝広告を、ひとびとのプロフィールに合うように作成できるのです。
そのようになると、宣伝広告のプロは、ひとびとを自由にコントロールすることができるようになり、その結果、買わなくてもよい物までも購買してしまうわけです。
ひとは、全て自分自身の判断(自由意志)で商品を買う決断を下していると信じているようですが、実際はそうではありません。ひとびとはそのメカニズムを知らないだけで、実際そのような条件下の「自由意志」で日常生活をしているのです。
ブランドマーケティングなどは、その良い例でしょう。高級嗜好に弱いひとに向かって、長期間にわたって刷り込みを行なうことで、「マーク」が物語りをするのですから。
「私」は、外からの刷り込みに影響を受け、コントロールされているだけではありません。ひとの意志は、外部の情報を基に、今までの蓄積された記憶を材料にして、思考回路を駆使して、ひとつのイメージとして構築し、固定化したものです。その情報を外部から得るための感覚器官は、「私」ではなく、自動行動プログラムによりコントロールされているのです。
例えば視覚、自動車を運転して、時速50キロメートルの公道から、高速道路に入り、加速し時速100キロメートル以上のスピードをキープして運転したことを思い出して下さい。始めは、早く感じたスピード感も、時間が経つにつれ、スピード感がなくなってくるのを感じたことでしょう。前方の車と同じ速度で運転していると、100キロメートル以上のスピード感を視覚できなかったことでしょう。そして、今度は、高速道路から、時速50キロメートルの公道に下りてみましょう。すると、町の時間の流れがスローモーションのように視覚できるでしょう。しかし、数秒もすると、また元の感覚に戻ることでしょう。
聴覚も同じです。寝る前に、ラジオをつけるのです。すると、神経が沈静していく過程で、ボリュームを何度も下げることになるでしょう。
そのように、「私」は自由意志の下で全て行動しているわけではなく、情報収集器官の視覚も聴覚も自動行動プログラムにより管理されているのです。
意識的な(自由意志のコントロール下)レベルにおいては、ひとは物事の善悪とか、自分自身の利害関係とか、その他個人的な嗜好の動機から、対象物を取捨選択したり、合理化したりすることができます。つまり、あるものを、受け入れるか、拒絶するか、考慮に入れるかどうかを、自由意志で決めることができます。
しかし、自動行動プログラム(潜在意識)に与えられた情報(生き残りのための情報)に対しては、意識を越えて入力してしまうため、合理的に選択したり、防御したりする可能性はまったく無いに等しいのです。
「私」は、自分の行動を全てコントロールできるという「自由意志」の幻想から目が覚めたら、次の行動に移りましょう。
その行動とは、刷り込む「何か」を明確にすることです。
この本において自動行動プログラムに刷り込むことは、プロカメラマンになることです。そのために、その目標に到達するための言動を、二つの回路に刷り込み、それを情報として保持させることです。
そのひとつの回路である思考系回路は、より魅力的な思想を与えること(ハンマーを持たせること)により簡単に刷り直しは可能です。思考は言葉を道具として構築されたトリック(虚構)ですから、既成の思考を初期化するには、その思考の矛盾点を突いて、それに代わる新しい思想(クギ抜きを持たせること)を刷り込めばよいからです。
しかし、情動系回路への刷り込みは、理論的な言葉では刷り直しが困難です。情動系回路は、言葉ではコントロールできないからです。それではどのような方法で刷り込むことができるのでしょうか。その方法は、言葉ではなく、イメージです。そのイメージ作りの材料は、視覚と聴覚からの情報です。
前述しましたように、生き残りのための情報は、意識を越えて無意識(潜在意識)にダイレクトに到達します。その生き残りの情報とは、要約すれば二つです。ひとつは「死」、そしてもうひとつは「生殖」です。このふたつの情報を含んだイメージは、ダイレクトに潜在意識下の情動系回路に到達します。
このことは、広告業界では、サブリミナル・テクニックとしての技術が確立していることは、魔術篇で述べたとおりです。
成功した広告戦略のベースには、「死」或は「生殖」のイメージを含んだメッセージを、サブリミナル(潜在意識)に働きかけた結果によるわけです。
意識下における認識がたとえどのように立派に脚色されていようとも、ひとの言動をコントロールするには情動系回路が作動しなければ、ひとは行動を起さないのです。その情動系回路は潜在意識のコントロール下にあるわけです。
つまり、成功する宣伝広告とは、意識下では理想的なメッセージを伝え、潜在意識下では「死」或は「生殖」のイメージを伝えることです。
例えば、男が女を射止めるイメージがあります。そのイメージは、大抵のひと達には思い浮かぶことでしょう。そうです、ハートのマークに矢が突き刺さったものです。
意識下の解釈では、「ハートは女性の心臓」で、「矢は男の思い」ということになっているようです。しかし、よく考えてみると何か変なのです。心臓がハートマークに似ていないということはさておき、ハートに矢を突き刺したら、その女性は死んでしまいます。そして、その矢の突き刺さる位置は、決まってハートの真中です。
何故、ひとの生死を司る臓器である心臓の真中を、矢で射抜くことが、男が女を手に入れるイメージとして認識されているのでしょうか。意識下の解釈では、納得できなくても、一流のマスコミや文化人などが、堂々とその表のイメージを吹聴していれば、思考系回路は、よりもっともらしい思想に染まってしまう為、何の疑問も意識下では生じないわけです。
しかし、潜在意識下では、その本当の意味をちゃんと理解しているのです。それは、ハートとは女性性器のシンボルで、矢とは男性性器のシンボルなのです。だから、矢はハートの真中に突き刺さらなければならないわけです。
潜在意識下でそのように理解できるのに、何故意識下では同じように理解できないかは、「思想は、より良いと信じられる思想に簡単に染まる。」ということが理解できれば、それ以上の説明は必要ないでしょう。
一般的に、潜在意識の気づきに、意識が反応し、その合理的理論展開により、明日の為の生き残り戦略を考えているわけです。しかし、宣伝広告のプロは、意識と潜在意識をコントロールする技術により、そのメカニズムを不必要な物品を販促する宣伝広告テクニックに悪用しているのです。
意識は、権威に弱いのです。有名人、権威者からの推薦広告は、宣伝広告テクニックの基本中の基本です。そのために、ひとをコントロールするための権威を創作する必要があるわけです。有名学者、著名文化人、大芸術家、有名評論家そして人徳政治家等等、色々な権威者が存在する必要性がそこにあるのです。それらの権威者は、現代の祭祀者なのです。それらの口から述べられる言葉は、呪文となり、ひとびとの意識をコントロールしているのです。
言葉に「本音と建前」があるように、物事の受け取り方にも、「意識と無意識」とがあることを認識しましょう。
さて、ひとの言動をリニューアルするために、思考系回路と情動系回路を初期化し、情報の刷り直しをするわけですが、その方法のヒントを、宣伝広告テクニックのなかに見つけることが出来るでしょう。
宣伝広告の場合、潜在顧客とのコミニュケーションの手段として、視覚へのポスターなどのビジュアル、そして聴覚へのCMソングがあります。その視覚と聴覚へ任意の情報を伝えることにより、ひとびとの意識そして無意識をコントロールして、クライアント商品の販売促進を図るわけです。
それでは、問題行動を改めようとするひとは、どのようにして新たな情報を刷り込めばよいのでしょうか。それにはまず、自分の望む行動及びその目標について、宣伝広告テクニックのように、言葉ではなく映像としてイメージ化することです。
言葉でもって自分の望む行動及びその目標を書き、その文章を意識及び潜在意識に刷り込もうとしても、思考系回路へはなんとか刷り込めたとしても、情動系回路への刷り込みは成功しないかもしれません。情動系回路は言葉を理解できないからです。それらに働きかけられるのは映像と音だけです。
そのように自分が望む映像をイメージ化できましたら、次に刷り込み方法を考えてみましょう。
情動系回路は、生き残りのための情報を収集することを第一の目的としていますので、一瞬の情報でも入力は可能です。そのメカニズムを応用したものが、宣伝広告映像におけるサブリミナル・テクニックです。何十分の一秒における映像でも、その情報が生き残りのためであるのならば、潜在意識は、意識を飛び越えて、その情報を把握できます。しかし、意識が覚醒していれば、その潜在能力は発揮できないようです。意識が潜在意識の情報処理を無視してしまうからです。
刷り込みのためには、意識が覚醒するのではなく、朦朧としてもらわなくてはならない訳は、意識とは、潜在意識へ入る前の情報チェック機関の門番であるからです。意識が覚醒しているということは、それだけ検査が厳しいことを意味し、その反対に、意識が朦朧としてしていれば、それだけ検査が甘くなるわけです。
意識を朦朧とさせるテクニックは、宗教儀式にみられるでしょう。聴覚は、単調なリズムの繰り返しに弱いのです。お経や牧師の単調なお説教を聴いているうちに眠くなってしまったことを経験しているひとは多くいることでしょう。興味のない授業などもその範疇に入るでしょう。
いずれにしても、意識を朦朧とさせることは、情動系回路への刷り込みの基本です。そのように意識を朦朧とさせているうちに、刷り込むイメージをこころに思い浮かべるのです。ここで断っておかなくてはならいことは、朦朧とは、意識が眠っている状態ではないということです。意識が眠ってしまっているのならば、情動系回路への刷り込みは成功しないでしょう。
その朦朧の状態とは、瞑想で三昧に入っている状態に似ているでしょう。覚醒と眠りの中間の状態は、潜在意識への働きかけには最適です。その状態で情動系回路を司る潜在意識に働きかけることにより、無意識の言動がコントロールできるわけです。
しかし、一回や二回で刷り直しは完了しません。ひとの基本的性格は、大体三歳で確定してしまうそうです。あらゆる情報を蓄えられる海馬から、大脳皮質への情報の焼き付けは、毎晩見る夢として行なわれるわけですが、その情報が定着するには三年程かかるようです。昔のひとは、大脳生理学など分らなくても、「石の上にも三年」との格言を残しています。そのように、刷り込みに三年をかけたものが、瞬時に刷り直しなどできません。ですから、気長に刷り直しを行なうことです。
その方法のひとつとして、ユダヤ・キリスト教の刷り込みテクニックを真似ることです。安息日を真似て、七日目ごとに、刷り込みを行なうことです。毎日毎日行うことは、記憶力を増すことにならないからです。好きな音楽を毎日毎日聞いている内に、やがてその大好きな音楽が意識外のものになってしまうことを理解できれば、このことが分るでしょう。それよりも、ある一定の間隔を置いて刷り込むほうが、記憶が保持されやすいのです。レミニセンス現象のように、刷り込んだ情報は、その直後よりも後の方が、思い出しやすいからです。
そのようにして刷り直しをしたとしても、全ての言動をリニューアルすることはできないでしょう。それは、遥か彼方の先祖からの遺産としての遺伝子に刷り込まれた記憶は、刷り直しができないからです。しかし、生後、躾あるいは学習の名目で刷り込まれた情報は、刷り直しが可能でしょう。
今の生活状態が、望むものでないのならば、それは多分、社会の問題ではなく、ひとのこころの問題でしょう。そしてそのこころの問題は、多分そのひとの責任ではなく、親を含めた三歳までの養育環境によるのです。しかし、社会や親を恨んでも何の解決にもなりません。その親も、先代の親からの被害者なのですから。
これから先、何年生かされるのかは分りませんが、人生はやり直しが出来ません。ただただあの世に向かって進んで行くだけです。生まれ変われるものならば、人生はやり直しができます。しかし、ひとは生まれ変われません。
でも、ひとには誰にでも「今を生きるため」の「智恵力」があり、また「明日を生きるため」の「想像力」もあるのです。このふたつの力を利用することにより、これからの人生も変えることが出来るでしょう。何故ならば、そのふたつの力は、あらゆる問題を解決することができるからです。そして、そのふたつの力をコントロールできることにより、「こころの自立」が達成されるのです。
プロカメラマンになりたいのならば、そして、人生を楽しみたいのならば、それに相応しい言動を行なうことです。そのためには、外に問題の解決を求めるのではなく、こころの流れをコントロールする技術を修得し、その流れに、成りたい自分のイメージを浮かべることです。潜在意識に受け入れられ、情動系回路に刷り込まれた情報は、やがて現実の世界に現われるでしょう。つまり、こころの流れに希望をのせることで、目的の地に必ず辿り着けるのです。
 
第二章  仕事と遊び  
 
 
    何をたよりに生きようか   
 
 
自立するということが、他のひとたちの力を頼ることなしに、自分の力だけで人生を歩んで行くのならば、どのような方法で暮らして行けばよいと言うのでしょうか。
こころが自立することにより、今まで見えなかったことが見えるようになることでしょう。でも、そのことは良いことばかりではないでしょう。つまり、こころが自立するということは、今まで権威者から教育あるいは学習の名目で刷り込まれ真実と信じていたことが、こころが覚醒することにより、虚構であると知ることにもなってしまうことになるからです。
眠っていた脳細胞が覚醒すれば、今までとは異なる世界が現われます。迷える子羊であるならば、神の思し召しで何んにも考えることなしに暮らして行けたわけです。しかし、覚醒した羊は、果たして神の言葉を今までどおり素直に信じることが出来るのでしょうか。
ひとは、生まれただけではひととして自立できません。ひとは、三歳頃(大脳皮質の各ブロックとの連絡網完成期)までに、親を含め他のひとたちに養育される経験を持たなければ、ひととして生きることもできないのです。その養育期間を例えば狼に育てられたとすれば、大脳の配線構造が「狼少年型」となり、後から教育として、ひとの言動を刷り込もうと努力しても、ひととして自立はできないでしょう。
小説ターザンでは、チンパンジーに養育され、後にひととしての言動を刷り込まれて、ひととして自立し、そして、ひとの欺瞞に満ちた社会に失望し、再び森に帰っていくようですが、そのようなことは現実には起こりえないことです。「私」が創造される期間をチンパンジーに養育されたとしたら、そのひとの人格の基本(配線パターン)はチンパンジーとなっていることでしょう。
そのようにして創造される「私」が、他のひとの助けもなしに「自立」することなどできるものなでしょうか。
二三歳に「私」(思考系回路による幻想としての人格)を認識したひとも、そこですぐに自立できるわけではなく、両親やその他のひとたちの保護や養育の手助けが、それから十数年も続くのです。今の法律では、成人となるには二十歳を基準としているようです。しかし、成人式を迎えても、自他伴に自立していると認識できるひとは、一体何人いることでしょうか。
さて、ひとの自立の条件を大きく分けるとすれば、二つあります。ひとつは、こころの自立(精神的自立)で、そしてもうひとつは経済的自立です。
こころの自立に関しての書籍は、本屋さんに沢山見受けられます。しかし、経済的自立に関しての書籍は、それ程多くはないようです。ましてや、プロカメラマン向けの経済的自立についての書籍は、今だ見た記憶がありません。
そこで、プロカメラマンの経済的自立についてのヒントをここで考えてみることにしましょう。
ひとが生きて行く為に、何が必要かを次のような物語で考えてみましょう。その物語とは、
 
むかしむかし、中東のある国で革命が起こりました。そこで、その国のお金持ち達が、お金を出し合い大きな船をチャータして脱出しました。二三日もすると船旅も退屈になってきます。そこで、この船の中で誰が一番裕福かの自慢話をすることになりました。
先ず始めに、羊飼いの親方が言いました。「この船で一番の裕福者はこのオレ様だ。甲板の羊たちを見るがよい。百頭もの羊を持っているヤツは、この船にはおらんだろう。」
そういい終わらないうちに、商人が言いました。「いいや、オレ様の方が裕福さ。羊は草がなければ乳が出ない。それに餌代だってばかにならない。そこえゆくと、紙幣のお金は、どこへでも簡単に運べるし、欲しい物は何だって買うことが出来るのさ。」そう言って、カバンの中の沢山の紙幣を皆に見せました。
それを見た両替商が言いました。「あんたの紙幣は紙屑同然さ。革命で倒れた国の紙幣なんてお金ではないんだぞ。それはタダの紙屑さ。それに比べて、オレ様は金貨を沢山持っている。これならば、どんな国でも通用する。だから、オレ様がこの船で一番の裕福者だ。」
皆がその話に納得しているのに、旅の導師だけは納得しないようです。そこで、両替商が聞きました。「お見かけしたところ、導師は何も物を持っておらんようですな。それだったら、オレ様がこの船で一番の裕福者だと何故認めなさらないんじゃ。」すると、導師が言いました。「もう暫くすると、誰が一番裕福者か分るだろう。」
暫くすると、北風が強く吹き付け、船は木の葉のように波にもまれ、やがて、船は沈没してしまいました。全乗組員は、着の身着のままで、やっとのことで岸に辿り着きました。そこで導師が皆に言いました。「物はいつかはなくなる。しかし、智恵力と想像力だけは無限だ。無くなることもないものを、誰もが持っていることを忘れないように。」そう言って、導師は去って行きました。
 
一般的にひとは、金の卵を産むにわとりを探すのではなく、金の卵を集めようとしているようです。それは、金の卵と異なり、金の卵を産むにわとりは、ひとの目には見えないからです。、そのにわとりとは、比喩で実は、「智恵力」と「想像力」のことなのです。そのふたつの力がひとつになると(この瞬間を一般的には「ひらめき」と言っています。)、ある問題を解決することができ、その結果として「金の卵」が手に入ることになるわけです。
それでは、問題解決するための問題(仕事)とは、何処にあるのでしょうか。
 
旅の導師は、やがて賑やかな街に辿り着きました。
導師はこの街の様子を聞こうと、暇そうにしている客待ち籠の人足に尋ねました。「この街で一番裕福な者と一番貧乏な者の家を知っておるか。」「ワシら、この街で生まれたもんで、この街のことならなんでも知っとるよ。」「では、教えていただけるかな。」「ようござんす。籠にお乗りなせい。」「お金はもっておらんぞ。それでもよいか。」それを聞いた人足が、相棒とごそごそ相談を始めました。「お金はもっておらんが、それを手に入れる方法を教えることができる。それでどうかな。」人足達は互いに頷いて、「ようござんす。お連れしましょう。乗っておくんなせい。」
人足達は、それらの家に導師を案内し終わりました。「ところでダンナ、尋ねた用件は何で。」「この街が住み易いかどうかを知りたかったのじゃ。」「そんなことなら、ワシらに聞けば済むってことよ。何で金持ちと貧乏人なんで。」「それらの者達に尋ねると、この街で何が足りていて、何が足りていないか解かるからじゃ。」「オレ達には、理解できねえことだ。それよりも、約束のこと早く教えてくんな。」
導師は、懐から紙と筆を取り出し、さらさらと何かを書いて、その半紙ほどの紙を人足に渡しました。「なんでい、こんな紙切れでお金が手に入るんか。」「その紙を籠の目立つ所に貼るのじゃ。そうすれば、客が列をなすだろう。」そう言って、導師は立ち去りました。その紙には、「道に迷っている方へ。この街のことなら何処へでもご案内できます。」と書かれてありました。
 
金の卵を手に入れるためには、まず、それを産むにわとりを探すことです。そのにわとりが自分の所に居ることを知っているひとは、次に、そのにわとりに仕事をさせることです。にわとりは、仕事をしなければ、卵は産みません。そこで、仕事を探すわけですが、何処に仕事があるのでしょうか。
旅の導師は、金持ちと貧乏人を訪ね、情報収集しました。このことは、広告業界では、「マーケティングリサーチ」と呼んでいることです。
ひとが仕事を探す基本は、自分に足りているものと足りていないものとをチェックすることです。そして、次に、社会(マーケット)で今足りているものと足りていないものを調べることです。
足りていないものは、それを穴埋めするエネルギーを要求します。その要求に、自分の足りているもので対処することが、仕事の基本であるわけです。
例えば、乳児が泣いています。それは、「仕事」を母親に要求しているとも考えられるでしょう。そして、泣いている乳児が、オッパイが欲しいのか、オムツが濡れているのか、はたまた遊んで欲しいのかを見極め、それらの欲求を母親が満たしてあげるとすれば、乳児はニッコリと笑顔を示すわけです。
実際の仕事の基本も、乳児での仕事と同じです。この場合、「ニッコリ笑顔」が「お金」ということになります。
現実の世間で足りていないものは、時代の流れにより刻々と変化していきます。では、これからの近未来では、一体何が足りなくなるのでしょうか。
未来を知ることが出来れば、この世は幸福者や成功者で満ち溢れてしまうことでしょう。しかし、そのようなひとたちを現実の世界で探すには、困難が生じることでしょう。では、未来を知ることは出来ないのでしょうか。
 
旅の導師が街を歩いて行くと、ひとだかりが目に止まりました。近づいて行くと、なにやら言い争いが聞こえてきます。「なにかあったんですかな。」導師がひとの輪の端に居る背伸びして見ているひとに聞くと、「客が予言が当たらなかったんで、相場でスッタお金を返せと預言者にどなりこんでいるわけださ。」
導師がひとの輪の中へゆっくり割入って行くと、「導師さま、この男をなだめてくださらんか、お願いします。」預言者は困り果てていたところにチャンスとばかりに助けを求めました。「どういうことか聞かせてくれんか。」導師は、腹の出っ張った男に向かって言いました。「よく聞いてくれ。」男は身振り手振りを交えて言うには、今年の春、預言者に今年の秋の収穫を占ってもらったら、今年は大旱魃になり不作の年になるだろう、ということだったので、それでもって、穀物相場で全財産「ウリ」に掛けたところ、予言が外れて、全財産無くしてしまった、この責任を全て預言者がとれ、ということでした。
「では聞くが、去年も預言者に聞いて相場を張ったのかな。」「もちろんでっさ。」「それでどうじゃった。」「去年はたんまり儲けさせていただきやした。」「ところで占い師に聞くが、去年は儲けのお裾分けを頂いたのかな。」「いいえ、予言料金だけで。」導師は、男に向かって、「去年予言で儲けて、お裾分けをしない者が、損した時だけ無心するとは、いかがなものかな。それに、相場とは、美人コンテストで一位の者を当てるようなもので、自分の選んだ者は大体外れるものじゃ。」周りで聞いていた群集も、導師の話に頷くと、それを見た男は、地面にペッと唾を吐いて立ち去りました。
「ありがとうございます。」預言者は導師にお礼を言うと、導師が「ところで、収穫の予言はどのようにして行なうのじゃ。」「それは秘密ですが、今回は特別にお教えしましょう。」そう言うと、導師の耳元で小声で言いました。「カマキリの巣が例年より下にあれば旱魃、上にあれば雨が多く降る、という事です。」「なるほど理に叶っている。」「ところで導師さま、本当にこの世の未来を予測できるものなのでしょうか。」「ふむ、難しい質問じゃ。未来を予測することは困難かも知れんが、その種なら分る。」「未来の種とは何ですか。何処で手に入るのですか。」「それはこころの中にある。こころの乾きが未来の種じゃ。」そう言って、導師は立ち去りました。
 
ひとは一秒先の世界も知ることが出来ません。そこで、その渇きを癒すことを「仕事」にするひとの需要があるわけです。宗教などもその範疇にはいるでしょう。ひとには、未来にたいする「精神的不安」と「物質的不安」とが誰にでもあるようです。そこで、「預言者」はいつの時代でも、ひとびとのこころの乾きを癒すために必要とされているのです。
現代のひとは、物語の預言者の行動を笑えません。それは、現在でも、その物語と基本的に同じことが日常的に行なわれているからです。現代では、物質的渇きの根源である経済金融業界の預言者として、「経済学者」、「経済アナリスト」そして「エコノミスト」などが考えられます。でも、科学時代の現代のそれらのひとたちの「予言」は、本当に「たより」にできるものなのでしょうか。もし、たよりにできるものならば、現在のような不況など、簡単に克服できたことでしょう。
そもそも、現代経済学によるの経済予測(予言)は実際に役に立っているのでしょうか。
現代経済学が、どのようにしてひとびとを惑わすようになったかを簡単に述べますと、それは、単なる統計学上の意味を、「科学上の重要性」と同一視したことによるようです。これは、医学にも言えることです。統計学は、単なる仮説により成立つ学問です。それは、科学ではなく、予言の範疇です。
現代人は、「科学」の絶対信奉者です。「科学」に信仰心を持っていると言ってもよいかもしれません。
現代経済学の誤りは、単なる黒板上の統計による存在証明を、科学上の真理とみなしてしまったことによるのです。(広告業界では、ブレゼンテーションで、このテクニックで「広告リーチ率」なる数式でもってクライアントを幻惑させています。)
さらに、それらの擬似科学的経済学を実際に経済政策に適用して、ひとびとの生活における消費行動を「予言」し、管理しようと試みる過ちを犯してしまったようです。
現代経済学の「たより」にできない本質は、コンピュータを駆使して数学的証明手続きを重んじることにより、ひとびとのこころの中の渇望を無視したことにあるようです。
物質にたいする渇望を解決する答えのヒントは、黒板上にある数式にあるのではなく、ひとびとの実生活のなかにあるはずです。
では、物質ではなく精神的渇望にたいする「宗教」は、「たより」にできるものなのでしょうか。
キリスト教についての虚構性は以前述べましたので、ここでは大乗仏教について考えてみましょう。
書店に行けばわかるように、仏教に関する書籍は沢山あります。それは、万巻の書といってもよいかもしれません。しかし、ブッダは教えを書き残してはいないのです。
ブッダの入滅直後、ラージャグリハに集まった修行僧たちに、ブッダの愛弟子のアーナンダが、師の説法を一語一語復唱してみせた、その記憶力のもとが、仏典の基となったようです。
では、ブッダはどのような説法をしていたのでしょうか。
 
「修行僧たちよ。修行僧は二つの極端に偏ってはならない。ふたつの極端とは何か。一方には官能的快楽、低く、卑しく、世俗的で、下等で、無益なもの、の喜びにふけるものがある。もう一方には苦行、苦しく、下等で、これも無益なもの、にふけることがある。修行僧たちよ、完成した者(如来)は、これらの極端を捨て、中道を見出した。これにより、洞察と認識とが得られ、寂滅、悟り、目覚め、涅槃にいたるのである。」
 
ブッダは、人生における苦悩を避ける方法を「八正道」に求めたのです。その「八正道」とは、政見(正しい見識)、正思(正しい決意)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい瞑想)です。
ブッダのそのようなシンプルな教えが、後になって、解釈の違いにより二つに分裂するのです。ひとつが、日本に渡来の大乗仏教で、もうひとつが南方仏教です。
インドの方言のマガディ語のブッダの説法が、パーリ語の仏典となり、それがサンスクリット語の仏典となり、さらに漢語となり、それを日本語に翻訳したのが、日本の仏典であるわけです。何人ものひとたちの解釈による「書物」は、果たしてブッタの言葉が生かされているのでしょうか。
ひとが「自立」するには、「精神的自立」と「物質的自立」のふたつの関所を通らなければなりません。そのために、ひとの思考系回路は、明日への生き残りの為、「宗教」や「経済学」などのトリック(虚構)を考え出してきたわけです。しかし、それらのお金集めの為の「宗教」や世界金融シンジケートにコントロールされた「経済学」のトリックは、一般庶民の今の生活状態の渇望を満たすことができているのでしょうか。
もし、それらのものに「たよれない」のであれば、それでは、ひとは「何をたよりに」生きていけばよいというのでしょうか。
「自立」とは、自分以外にたよるものが無い、と悟ることから始まるのです。そして、ひとには、「智恵力」と「想像力」の無限の力があることに気づくことから始まるのです。
それでは、実生活で「自立」するにはどのようにすればよいかを、次に考えてみましょう。
 
    仕事の基本はかわらない   
 
 
プロカメラマンとして自立していくには、仕事をして収入を得なければならないでしょう。一昔前でしたら、プロカメラマンの仕事の流れは大体決まっていたわけです。被写体は何かは別としても、カメラで撮影し、フィルムを現像し、それをクライアントに渡せば、後は集金をするだけでした。
しかし、現在では、プロカメラマンの仕事の流れは激変してしまっているのです。
それは、銀塩フィルムだけではなく、デジタル記憶媒体もあるわけです。そして、そのデジタル記憶媒体は、現像という化学反応をさせなくても、パソコン上で被写体を像として確認出来るのです。さらに、その像は、インターネットにより遣り取りできるのです。
従来の銀塩カメラでしたら、撮影時の確認はポラを切らないとできませんでした。しかし、デジカメは、撮影したその時点で、その像を瞬時に確認できるのです。
デジカメの出現により、プロカメラマンの仕事の流れも概念も変わってきたようです。
物やサービスの流れは、著名な経済学者に教わらなくても分ります。同じ物だったら、安い方に需要があります。同じ値段でしたら、より機能が優れた物に需要があります。
ひとの能力にも、同じことが言えます。
銀塩カメラしか使えないプロカメラマンより、銀塩もデジカメも使えるプロカメラマンは需要があるでしょう。
では、デジカメの技術は、どこで修得すればよいのでしょうか。
現在の各種専門学校の写真科の紹介ページは、数十年前と比べるとホンノ少ししかないようです。これは何を意味しているかと言えば、写真を学びたい生徒の減少かもしれません。でも、街中を見渡せば分るように、カメラを持った若者は多く見られます。しかし、そのカメラの多くは、銀塩ではなくデジカメでしょう。
銀塩カメラは、デジカメに比べてその操作は、ひとの感に頼ることが多くありました。ですから、勘違いにより撮影の失敗も当然あるわけです。しかし、デジカメの場合、プロもアマも、撮影上の技術の差は多くは認められないようです。たとえ、撮影で意図することができなくても、事後処理で修復は可能だからです。
銀塩カメラの場合、事後処理は、その道の匠の技術が必要でした。しかし、デジカメの場合、パソコンと情報処理のソフトウエァがあれば、誰でも簡単に画像処理ができてしまうのです。
そうです、デジカメは、銀塩カメラと似て非なるものなのです。ですから、その技術も、従来と異なるのです。つまり、デジカメを駆使するには、コンピュータの基礎知識が必要なわけです。
現在のチラシ制作過程を知ればこのことは理解できるかもしれません。
以前でしたら、チラシに製品写真が必要な場合、撮影が終わると、フィルムをプロラボに現像に出して、数時間後に製品である「写真」を取りに行き、それをクライアントに届けたわけです。しかし、今や簡単な写真でしたら、デジカメで撮り、そのデジカメの記憶媒体をクライアントに渡せばよいのです。現像行程はいらないことにより、制作時間の短縮が図れるのです。
更に、デジカメ・カメラマンがパソコンに強い場合などは、自宅のパソコンで画像処理したものを、画像がそれ程重くない時など、パソコンネットを使い、その画像を送ることなど実際に行なわれています。
被写体を撮影することは同じでも、銀塩とデジカメとでは、その技術も機能も異なるのです。デジカメの技術は、従来の写真学校では修得が無理でしょう。ひょっとして、コンピュータ専門校がプロカメラマン養成の場となるかもしれません。
時代は流れているのです。そして、仕事の内容も時代の流れに合わせるように、変化して行くのです。
ひとは、そのように流れて行く時代に合わせて日々の暮らしを成り立たせる為に、仕事の技術を学んで行くわけです。
仕事の流れをズームアウトしてみて見ましょう。
狩猟・農業時代でしたら、足腰が強いひとが優位でした。ですから、そのような時代では、身体の優れた人がリーダになれたわけです。
ひとには、身体をコントロールするための情動系回路があると同時に、色々なトリックを考え出す思考系回路もあるわけです。
身体が脆弱でも、考える力があるひとが、ひとの働きを器械にさせることを発明していくわけです。その帰結が、産業革命となり、器械がひとに代わって働く為、思考系回路ではなく、ただの身体だけが頑強なひとは優位でなくなるわけです。産業革命時代の器械は自立装置がないため、ひとの手を必要とするわけです。それが技術者です。ですから、その技術を修得したひとが優位になれたわけです。
器械はひとと異なり、疲れを知りません。やがて、需要より供給が多くなるわけです。すると、余剰製品を何処かに売りに行かなくては成らないわけです。流通の問題がおこるわけです。更に、在庫の調整や工場での労務管理を必要とするわけです。そこで、技術者と異なる管理をするひとの需要がおこるわけです。技術者のブルーカラー(汚れ服)に対するホワイトカラー(白い清潔なシャツ)の管理者の出現です。
管理するためには、色々な技術が必要です。更に、色々なひとたちと接する為、教養も必要です。そこで、それら経理、法律そして流通管理のことを修得する学校が流行るわけです。
そこで、良い仕事を得るための人生の流れができるわけです。その流れとは、良い生活を手に入れるには、給料の良い会社に就職すること。そのためには、良い学校を卒業すること。よい学校に入学するには、一所懸命に受験勉強をすること。ざっと、このような流れは、つい最近の二十世紀には通用していたわけです。
少し前の時代でしたら、良い生活をするには、ホワイトカラーの管理職になればよかったのです。しかし、二十世紀末に、思考系回路はとんでもないもの発明してしまったのです。それは、コンピュータです。
ひとの身体の代わりが「器械」だとすれば、ひとの脳の代わりが「コンピュータ」となるでしょう。つまり、ひとの脳の働きの、記憶、計算、管理はコンピュータが行なうことができるのです。つまり、工場から器械により労働者が追い出されたと同じように、会社からコンピュータによりホワイトカラーが追い出されているのが現在なのです。
現在の社会の混乱の原因のひとつは、時代の流れが、従来の流れと異なってきたと認識していないことにあるようです。
以上の流れを簡単に述べますと、狩猟・農業時代→産業時代→流通時代→情報時代、となるでしょう。現在は、情報時代にあるわけです。ですから、従来の流通時代でのルールでは、事は上手くいかないわけです。
では、情報時代において、どのようにしたらプロカメラマンとして生計が立てられるかのヒントを考えてみましょう。
流通時代と情報時代における仕事をゲームと考えれば、情報時代での仕事の内容が流通時代と比べて激変していることが理解できるでしょう。
流通時代のゲームのルールは、売れ筋をいち早く仕入れ、それを安く大量に販売することでした。
物の流れとしては、生産者→卸→小売店→消費者でした。
サービスとしては、情報提供者→情報加工業者(プロダクション等)→情報発信社(出版社、新聞社、放送局など)→消費者でした。
物やサービスを競合他社より有利に販売するために、流通時代では、「権威(ブランド・肩書き)」が必要でした。それらの権威とは、物の場合は有名デザイナーや有名小売店の包装紙で、サービスの場合は有名作家や有名評論家そして世界的有名芸能人の肩書き等です。
つまり、流通時代では、虚構である「権威」を創造することに長けている部門、物の場合は「小売店」が、サービスの場合は「情報発信社」がそのゲームの主役だったのです。ですから、それらの時代では、物やサービスは、「小売店」や「情報発信社」の威光によりゲームが進められていたわけです。
では、情報時代では、どのようにゲームが変化してしまったのでしょうか。その変化は、二つに集約できるでしょう。ひとつは「中抜き」、そしてもうひとつは「ボーダレス」です。
情報時代でのコンピュータネットワークにより、コミニュケーションが激変してしまったことにより、必ずしも「小売店」や「情報発信社」などの中継者は必要とされなくなってしまったのです。
例えば、或る物が欲しいと思えば、以前でしたら「小売店」へ行きました。しかし、今では、パソコンがその要求を満たします。又、作家としてデビューしたいと思ったら、以前でしたら「情報発信社」の出版社へ売り込みに行かなければ成りませんでした。しかし、今では、パソコンとサーバーとがあれば、個人により情報は広く発信できるのです。
つまり、情報時代の物、サービスの流れは、変化してしまったのです。
物の流れとしては、生産者(パソコンネット)→消費者となり、
サービスの流れとしては、情報提供者(パソコンネット)→消費者となってしまったのです。
「中抜き」とは、コンピュータネットワークにより、今まで必要であったものが、必要でなくなったということです。これは、会社組織でいえば、パソコンにより中間管理職がリストラされたことに似ているかもしれません。
「中抜き」されると、どのように流通ゲームが変化するかといえば、それは「権威」の失墜です。
もともと、権威とは、思考系回路が明日を生きるために発明したトリック(虚構)なのです。流通時代においては、例えば情報分野では、権威者により情報操作をすることにより、色々な思想操作をすることができたわけです。ある組織にコントロールされた著名な大学教授が、権威ある「学会」でその組織に有利な論文を発表し、それを「権威」ある新聞社が掲載すれば、何も知らない(情報制限されている)ひとたちは、その情報を「真実」だと信じ込んでしまうでしょう。
例えば、「○○○の日記」というのを大昔小学校の授業で学習させられました。その物語は、文部省推薦図書で、歴史的事実であるとのふれ込みでした。戦時下の可哀相な十二歳の少女は、残酷な戦争の犠牲となってしまったのでした。当時の学童たちは、その著者である少女に深い感銘と敵国に憎しみを抱いたものでした。しかし、時が経ち、イギリスの歴史家、デヴィッド・アーヴィングが、1988年のトロント裁判で、日記の一部はボールペンで書かれてあることを証言したのでした。少女が亡くなったのは1945年で、ボールペンが市販されたのは1951年以降だったのです。
権威を作る「情報発信社」は、色々なトリックを発明して「神話」を創造し、権威者を利用して、何も知らない読者を騙していたわけです。
情報の統制がパソコンネットで崩壊した結果の「権威」の失墜は、どのような変化を与えるかといえば、専門家と非専門家との壁がなくなることです。つまり、「ボーダレス」です。
情報時代では、知識の流れもその範疇に入ります。流通時代では、知識を得るには「学校」へ通わなければなりませんでした。知識は、学校の「教師」が独占していたわけです。
しかし、情報時代では、大学で学習する内容の知識など、全世界の図書館へパソコンでアクセスできる技術を持っているひとでしたら、瞬時に手に入れることが可能です。知りたいことは、学校という「中継ぎ」を通さなくても入手できる時代なのです。それも、権威者からの一方的な情報ではなく、別の角度からの情報も簡単に手に入れることが出来るのです。
ゲームは変わったのです。そして、そのルールも変わったのです。
それでは、情報時代における仕事は、どのようにしたら探せるのでしょうか。
情報時代といえども、そのゲームをしているひとたちが、今までのひとたちと違うということはないのです。ゲームやルールが変わっただけなのです。ですから、流通時代のゲームやルールを忘れることです。そして、情報時代の物やサービスの流れを見極めることです。
時代がどのように変化しようとも、物やサービスの流れの行き着く先は、決まっているのです。それはお客様である消費者なのです。
現在は、江戸時代に喩えれば、バブルの元禄時代から享保の改革に向かっているようです。バブルに踊った武士階級は没落の一途を辿り、商才のある小売商人の出番となるわけです。
「権威」で飯が食えなくなると、生活の糧をえる手段として、武士も商人とならざるをえません。そこで、武士階級から商人に変身した先輩である、石田梅岩のビジネスにおける考え方をみてみましょう。
 
学者−−−それならば商人の心得はどうしたらよいでしょうか。
答え−−−前にも言ったように、「一事によって万事を知る」ことが第一です。一例をあげれば、武士は君主のために生命を惜しまなければ士とはいわれないでしょう。商人もこれさえ知っていれば、自分の道がはっきりわかります。買ってもらう人に自分が養われていると考え、相手を大切にして正直にすれば、たいていの場合に買い手の満足が得られます。買い手が満足するように、身を入れて努力すれば、暮らしの心配もなくなるでしょう。
 
どのような時代でも、仕事の基本はかわらないのです。仕事の基本を忠実に守っていれば、たとえ時代の流れが変化し一時的に落ち込んでしまっても、また新しいゲームやルールを知ることにより、這い上がれることが出来るのです。
仕事は楽しくできることに越したことはありません。それでは、楽しく仕事をするためのヒントを次に考えてみましょう。
    仕事と遊び   
 
 
年令的ではなく、精神的な意味で、「おとな」と「こども」との境界線は、「仕事」と「遊び」との区別が付くか、ということかもしれません。
ひとが、小鳥のように毎日空を自由に飛び回って暮らしていけたら、なんと素晴らしい人生を送れることでしょう。更に、小鳥であるならば、ひとに比べて思考系回路が発達していないため、毎日の暮らし向きや将来の不安に対して考えることもないのかもしれません。
それに比べて、ひとはどうでしょう。ひとの脳は、外界に適応するために、今を生きるための情動系回路の他に、明日を生き残るための思考系回路を発達させてきました。この二つの回路がバランス良く保たれていれば、外界の刺激に上手く反応できるために、人生におけるあらゆるトラブルも回避することが可能でしょう。
しかし、この二つの回路は、ベクトルが異なるのです。そのため、その取り扱いを誤ると、色々な不都合が発生してしまうことになるのです。そのように、ひとの行動は、小鳥に比べて複雑なメカニズムにより制御されているのです。
このひとの行動メカニズム機構を自動車に喩えれば、情動系回路がアクセルで、思考系回路がブレーキと言えるかもしれません。そして、それらをコントロールするのが「私」で、その「私」をコントロールしているのが「意識と潜在意識」となるでしょう。
意識は思考系回路(ブレーキ)をコントロールします。そして、潜在意識が情動系回路(アクセル)をコントロールします。そこで、「私」の意識と潜在意識とが同じベクトルでいられるのであれば、アクセルとブレーキを上手く制御できるため、自動車を任意の方向で走らせることができるでしょう。
しかし、何らかの不都合で、「私」の中で、意識と潜在意識とが拮抗してしまった場合は、アクセルとブレーキとの制御は難しくなることでしょう。情動系回路が思考系回路を無視すれば、自動車は猛スピードで驀進することでしょう。その反対に、思考系回路が情動系回路を押さえ込めば、自動車は少しも前に進めないでしょう。進めないどころか、車のクラッチ機構が摩擦熱のため破損して、自動車自体が使い物にならなくなってしまうことでしょう。
ひとを上手に運転する(自分を上手くコントロールする)には、自動車を上手に運転するには自動車教習所で訓練しなければならないように、生まれたそのままでは上手に運転できない為、人間教習所(家庭、学校等)で訓練を受けなくてはならないのです。
その人間教習所で人格形成時に、「私」の運転技術を修得していなければ、人生という路上で色々なトラブルが発生してしまうことになるでしょう。
そのひとつが「悩み」です。悩みとは、情動系回路の行動指示に対して、思考系回路がストップをかけて、進路がとれない状態のことです。この状態は、二つの回路のエネルギー衝突ですから、前に進もうとしても動けないため、やがてエネルギーの枯渇となり、精神的と身体的との疲弊をまねくことでしょう。その結果がガス欠のノイローゼ、流行り言葉では「うつ」と言っていることです。
思考系回路が発達していない小鳥が、「うつ」になったということは聞いたことなどありません。小鳥は、思考系回路ではなく、情動系回路の今を生き残る為だけにエネルギーを使っているからです。
では、その人間教習所では何を訓練しているかと言えば、主に受験勉強という暗記ゲームを行なっているわけです。やっと最近、そのゲームの弊害が認識されたためか、「ゆとり教育」などのレトリックを発明して、子供のためではなく、公務員教師のための週休二日制を実現させました。そのため、子供は土曜日は塾通いです。
しかし、明治の富国強兵の時代ではなく、今の情報時代では、「歯車人間」は必要ではないことが、教養ある教育者には今だ理解されていないようです。国語算数理科社会と同じように、ひとのこころのメカニズムをコントロールさせることを子供の頃から学習させ、個性を発揮させることは、情報時代を生き残るには大切なことなのです。
さらに、人間教習所で、人格形成時にお金に対しての教育をすることも大切なことなのです。
世間一般では、子供が遊ぶのではなく、仕事をしてお金を稼ぐことは「悪いこと」と考え、それに対して、大人が仕事をするのではなく、遊びでお金を浪費することは「悪いこと」、と考えているようです。
その延長線上で、お金を報酬目当てに仕事をすることは、無料奉仕のボランテアの仕事に比べて、卑しいイメージを与えているようです。さらに、お金を条件に仕事をすることを「悪い」ことと考え、無料奉仕のボランテアは「良い」ことと考えているようです。それでは、仕事の仕方に、善悪などあるのでしょうか。
そこで、子供の頃から子守や薪売りでお金を稼いでいた二宮尊徳が、善悪に対してどのように考えていたのかをみてみましょう。
 
翁曰、善悪の論甚むずかし。本来を論ずれば、善も無し悪も無し。善と云て分かつ故に、悪と云物出来るなり。元人身の私より成れる物にて、人道上の物なり。故に人なければ善悪なし、人ありて後に善悪はある也。故に人は荒蕪を開くを善とし、田畑を荒らすを悪となせども、猪鹿の方にては、開拓を悪とし荒らすを善とするなるべし。世法盗を悪とすれども、盗中間にては、盗を善とし是を制する者を悪とするならん。然れば、如何なる物是善ぞ、如何なる物是悪ぞ。此理明弁し難し。
 
尊徳の考えでは、善悪は相対的なもので、立場が替われば善も悪になり、又悪も善になるということで、単純に善悪の線引きはできないということです。この考え方は正に、キリスト教的単純な善悪二元論ではなく、全てを飲み込む縄文的(あらゆるものに神が宿っていると考える善悪の区別が曖昧な多神教的)考え方と言えるかもしれません。
そのような尊徳的考え方であらゆる仕事の内容を認識できれば、仕事の種類に「善悪」も「貴賎」も区別をつけることもなくなるため、仕事の幅も広がり、どのような種類の仕事でも楽しく出来るかもしれません。
しかし、実際にはどうでしょう。この国では大昔から、現在の学校での子供同士のイジメのようなことを、体制側が弱い立場の者に行なっていたのです。それが制度上廃止されたのが、明治4年8月28日の賎民廃止令です。
 
布告
エタ・非人等の称廃せられ候条、自今身分職業とも平民同様たるべき事。
 
そのように発令された差別廃止の制度も、実際、差別をこの世からなくしたのではないことは、明治維新政府の為政者の言動を調べれば理解できるでしょう。
そのひとりに福沢諭吉がいます。彼は「学問のすすめ」の中で、「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となる」の言葉は赦せるとしても、「無学なる者は貧人となり下人となるなり」と平民を脅して、学問の無い者を「愚民」呼ばわりしているのです。このような功利主義的人物が日本の教育界の創始者であったことが、新たな教育差別を生み出していくわけです。
楽しく人生を暮らしていくことと、学問のあるなしは関係ないことです。学問がなければ、貧人、下人になるわけでもありません。情報時代では、真理を追究するための学問ではなく、給料の高い会社に就社するために他人を蹴落とすための暗記力主体の学問などなくても、ひととしての道に外れることなく楽しく仕事ができさえすれば、貴人にも冨人にもなれるのです。
そこで、そのような差別がどのようにして、この国に生まれたのかを考えてみることにしましょう。
お化けも、その正体を突き詰めれば、ある物体をこころの中で勝手に創造したにすぎません。それでは、その差別は、誰によってどのようにして創造されたのでしょうか。
いつの時代でも、歴史の流れは「支配する者」と「支配される者」とで構成されてきています。前者は少数で圧倒的な武器を持ち、後者は多数ではあるが武器を取上げられてしまい、今や戦う意識もなく無気力な状態にいるわけです。
支配する側の武器とは、軍隊や警察力だけではありません。最も強力な武器は「歴史」です。この武器が強力なのは、目には見えませんが、敵側のこころを劣位にし、戦う前に戦う気力を奪い取ってしまうからです。
明治維新が成功し、江戸時代の古い因習が、明治元年とともに「新しい夜明」を迎えたかのようなイメージを持っているひとたちが多くいることでしょう。更に、歴史も江戸時代から明治時代に、ページを捲るように劇的に変化したように信じているひとも多くいることでしょう。
しかし、実際は異なるようです。
明治新政府は、欧米との交流において気づいたことがありました。そのひとつに、欧米に対抗できるような、日本建国から現在までの歴史書がないということです。そこで、1887年(明治維新から二十年後)ユダヤ系ドイツ人ルードヴィヒ・リースという人を、東京に創設させたばかりの帝国大学(東大)の史学科の教授に招聘するわけです。ここから魔術国家「神国日本」が誕生するのです。
現在のマスコミのタブーのひとつとして、「天皇」と「部落」の問題があります。それは、この二つの問題を追及して行くと、ひとつの問題に収束してしまうからです。ですから、支配する側は、この問題をタブーとしてきたわけです。
しかし、支配する側が、ある目的をもって史学学会やマスコミ中枢をコントロールしたとしても、ひとの遺産としての記憶までもコントロールすることはできません。
これから述べる「支配される側からの歴史」は、敗者の歴史は勝者により焚書されてしまっているため、断片的な情報、それも伝聞という情報なので、文献などの証拠を提示できるわけではありません。更に、記憶としての情報なので、時系列的に疑問も生じるかもしれません。そして、歴史を眺める視点が敗者側なので、学校で学習した歴史(勝者側の歴史)と異なるかもしれません。そのようなことを基盤として話を進めていくことにしましょう。
日本での差別が、明治4年に制度上終わったと述べました。その差別のことを、学校では、「士農工商エタ非人」と教えていました。しかし、それは間違いです。「士農工商」までは「ひと」で、エタ非人は「異界の人達」であったわけです。ひととしての同系列での差別などではなかったのです。そのエタ非人にも区別がありました。非人は、「士農工商」のひとが罪を犯した結果です。それに、野非人は十年以内に功労が認められれば「ひと」になれるチャンスがあるのです。それに比べて、エタはエタのままで生涯を終えるのです。それではエタとは何者なのでしょうか。明治4年の賎民廃止令で、新平民のエタの支配者十三代弾直樹(左衛門)の祖先は誰だったのでしょうか。
その糸口が、明治二十五年六月二十五日の「朝野新聞」に掲載されていました。
 
浅草区亀岡町(往時は新町と伝ふ)に住む弾直樹と伝ふ人なん、往昔よりエタの君主と仰がれたる弾左衛門の後裔なりける。抑も弾家の祖先は鎌倉の長吏藤原弾左衛門頼兼(弾左衛門を単名と思ふは誤りにて弾は氏、名は左衛門その姓は藤原なりとぞいふなる)にてその先は秦より帰化し世々秦を以って氏とせり。抑も我国において秦の帰化人と称するものは始皇の子扶蘇の後なり。史を按ずるに秦皇の崩後扶蘇逃れてかいはくに入り居ること五世にして韓に遷りしが、其の裔弓月君なるもの応神天皇の十四年を以って百二十七県の民を率い、金銀玉はくを齎して帰化し、大和国朝津沼腋上地を賜ひ、其民を緒郡に分置して養蚕織絹の事に従はしめしに、献る処の絹ぱく柔軟にしてよく肌膚にかなふを以って天皇特に波多の姓を賜へりと。是れ秦の字に「はだ」の訓を付したる所以也。其後この族より秦左衛門尉武虎といふもの出て武勇を以って平正盛に事へたりしが、適ま正盛の女の姿色艶麗いとろう丈けてたをやかなるに掛想し筆に想ひを匂はしてほのめかしけれども、翠帳のうち春なほ浅く高嶺の花のえも折られず、いよいよ想ひ余りて寧ろ奪ひ去りてもと謀りけることの端なく漏れて正盛の怒りに触れ、日頃股肱としも頼む武虎にかかる不義の振舞あらんとは奇怪なり、いで物見せんとて討手を差向けたるよし、武虎逸早くも聞きて夜に紛れて跡を暗まし関東は源氏の根拠なれば、屈きょうの隠れ処なりとて鎌倉さして落ち延びぬ。此れより武虎は鎌倉長吏(エタの古称)の頭領と成りて秦氏を弾氏と改め、自ら韜晦しけるとなん。
 
以上の記事を全て信じることはできないでしょう。しかし、「エタ」を解明するための二三のヒントが見受けられます。
以前、悪魔(ルシファー)は、敵側の神で、闘いに敗れた者であると述べました。勝者は常に、敵対する者を再び這い上がれないように思索を練ります。そのひとつが、「ひと」以外の存在とする「辱め」です。それが、差別の基です。
中世ヨーロッパでは、キリスト教が、医療行為を独占する目的のひとつとして、草木や小動物の内臓を煮詰めての薬で、病人を治療していた民間治療者の婦人達を、「魔女」のレッテルを貼ることにより、聖なるキリスト教会は魔女裁判を行い、火炙りにして虐殺していました。
日本では、七世紀以降、あるひとたちを貶める目的で、カッパ、鬼、土蜘蛛、大蛇、天狗(山にいるカッパ)などの妖怪を発明してきました。しかし、実際は、それらの妖怪達は、闘いに敗れた側の神様であったわけです。
そのような視点で、朝野新聞記事の「エタ」を考えてみれば、その祖先は「藤原氏」であるということです。それでは、その藤原氏とはどのような素性のひとたちなのでしょうか。敗者側から調べますと、この藤原氏は、歴史上不思議な存在です。
学校での歴史教科書では、藤原氏とは、「大化の改新」で活躍した中臣鎌足(中臣鎌子が後に鎌足となった。何故、「足」をタリの、古朝鮮読みをしているのでしょうか。)が、褒美として天皇からの賜命された「姓」である、との説明です。しかし、東大系歴史学者ではないひとたちによりますと、この「大化の改新」はフィクションではないかということです。更に、その中臣鎌足の出自はどこかというと、定かではないのです。茨城の鹿島出であるとの説もあるようですが、どうも腑に落ちないのです。そのような「日本国の夜明」の基礎を創った立派な人物の出自が、「日本書紀」に掲載されていないことは、いったい何を意味しているのでしょうか。
そこで、朝野新聞記事に述べられているように、藤原氏の祖先は「秦氏」であるのかと調べてみますと、この秦氏も謎の一族であるわけです。
どうも、明治二十年以降に創作された、外国人の指導による「日本国歴史」には、なにかを隠蔽しているのではないか、と考えることは勘ぐり過ぎなのでしょうか。
そこで闇の日本史を調べることにより、その覆いを取り除けてみましょう。
「日本史の黙示録」を解くヒントは、「エタ」、「藤原氏」、「秦氏」です。
 
歴史を勉強するとは、仏教伝来ゴミヤサン(538年)のように、受験勉強のための歴史年代を暗記をすることではありません。明日を生き残る為の情報を得ることが、その目的のひとつなのです。
何故、過去の出来事を知ることが、明日を生き残る為になるのかと言えば、それは、ひとの行動は、過去に刷り込まれた(学習させられた)情報に左右されるからです。このことを一般に、「歴史は繰り返される。」と言っていることです。
例えば、ポマードの首相は、国際金融機関の侵入を防御する壁を崩すキッカケを作りました。その結果、外国金融資本の侵入で、今や日本経済は壊滅状態です。そして、ワープロの首相は、突然真夜中に消費税を3%から5%に上げました。その増税分はいったい何処に行ってしまったのでしょうか。そのふたつの理解不能の行動は、どう考えても庶民の生活を守るためだとは考え難いことだったのです。
それでは、その二人は、誰の指令で、誰のためにそのような行動を行なったのでしょうか。ニッケイヨクヨムを読んでも、サッパリ分りません。
しかし、その二人の首相は、実は藤原氏の末裔であるとの情報を持っていたとしたら、大体の想像はついたことでしょう。
歴史などを勉強しても、一銭にもならないと考えているひとには、七世紀に突然日本に出現した藤原氏一族が、現在の日本国の中枢(天皇の後ろに隠れて)で、今も活躍(?)していることなど、信じることが出来ないでしょう。更に、日本古来の風習にはユダヤ・キリスト教に影響されているものがある、と言っても、学校で日本歴史を学習したひとたちには、誰も信じることはできないかもしれません。
 
四世紀の終わり頃、日本の差別発祥の地「京都」に、ある一族、約一万八千六百名が、半島から訪れるのです。彼らは、秦の始皇帝の末裔の秦一族と名乗り、絹、麻、木綿織物、土木技術、瓦の製造、刀剣、金細工、酒造さらに遊芸楽器演奏などの技術者集団だったのです。
秦一族の来島はその後も続き、主として半島を島伝いに、そして、中国から海路の、ふたつのルートを使っていたことを覚えておいてください。
中国では、「南船北馬」と言って、ひとや物の移動は、南方(海洋民族)では「船」で、北方(騎馬民族)では「馬」を利用していたのです。そして、馬を伴って来たひとたちも、船できたひとたちも、皆、「秦」と名のっていました。
彼ら秦一族は、京都右京区太秦(うずまさ)に、大酒神社(おおさけじんじゃ。元は大辟神社と称されていた。)を創建するのです。この神社は、不思議な神社で、天台宗の覚深(かくじん)は、「天竺・支那・扶桑の神なりや、その義知りがたし。支那の神にあらず、また日本の神にもあらざれば、知らざる人疑い起こす輩もあるべきことなり。」と述べています。その祭りは、魔多羅神の祭り、後に「牛祭り」と言い、「おどるもあり。はねるもあり。ひとえに百鬼夜行に異ならず。」と言われるほど、意味不明の祭りだったそうです。
それでは、大酒神社の元である「大辟」とはどのような意味であるかと言えば、「大」は「ダー」で、「辟」は「ビ」と読み、中国語では、ダビデ大王は、大闢(ダービー)大王と表記しています。つまり、大辟神社とは、イスラエルのダビデ大王の神社と読めるわけです。
更に、秦酒公(はたのさけきみ)の六代目秦河勝(はたのかわかつ)は、新羅国が太子に献上した弥勒菩薩を納めるために、「広隆寺」を建立しました。広隆寺は山号を峰岡山と称し、別名は、峰岡寺、秦寺、大秦寺、太秦寺、秦公寺、葛野寺、桂林寺、草野寺、そして、「景教寺」と呼ばれていました。それでは、その景教とは何かといえば、それは、キリスト教の異端とされるネストリウス教であるわけです。更に、弥勒菩薩とは、釈迦の弟子で、釈迦の次にこの世に現われる未来仏ということになっていますが、その「弥勒」とは、サンスクリット語のマイトレイヤの発音を中国語で表したもので、元来はインドのバラモン経典(ヴェーダ)にででくるミトラ、つまり、キリスト教に多大な影響を与えた、太陽信仰のミトラスの神(一世紀頃、キリスト教徒により壊滅)であるわけです。
 
時代が飛んで、穢多頭の弾左衛門の仕事を、「朝野新聞」で調べてみましょう。
 
関東の穢多無慮一万戸。之れを総轄したるものを弾左衛門といふ。弾左衛門は実に関東穢多の中央政府とも主権者ともいふべきものにて、今当時の実際に就いて聞く所一として奇警ならざるはなし。試にそが生活の有様を問へ云く、少くとも万石以上の一諸侯に比すべしと。そが貸殖の有様を問へば云く殆んど東洋の「ロスチャイルド」ともいふべき財産ありしと。そが第宅の有様を問へば云く中爵門大玄関溝へにして門外幾百の家は挙げて皆その家来の居宅なりしと。
 
穢多は、被差別民であるから貧困かと言うと、そうではなく、東洋のロスチャイルドのように財産があるということです。更に、関東に家来が一万戸もいるということです。では、その家来達は、何を「仕事」にしていたのでしょうか。
その「仕事」を系統別に分けると、武器、防具そして馬具など、皮革による軍事物資生産の仕事。城作りなどの土木の仕事。灯心、草履などの生活物資生産の仕事。渡守、山守、関守などの見張りの仕事。戦況を占う陰陽師。筆結。墨師。そして、獅子舞、傀儡子、舞舞、猿楽(能の基)、鉢たたき、放下などの芸能の仕事などをシノギとしていたようです。
「風姿花伝」の著者、世阿弥は、「猿楽の租は秦河勝である。」と述べています。
秦氏と弾左衛門との「仕事」は、千数百年の時空を越えてオーバーラップしている事実は、一体何を意味しているのでしょうか。
 
「ペンは剣よりも強し。」の言葉の意味を問えば、一般的な答えとして「正義は勝つ。」或は、「言論は武器に勝る。」などとなるでしょう。しかし、原文の意味は、「ペン(言論)は剣(武力)より残酷だ。」ということです。
翻訳者が意図してか、或は読解力不足のためか、原文を誤訳してしまったものが、この国ではひとり歩きしているのが現状です。
「言葉は残酷だ。」の意味は、ひとのこころに入り込み記憶された言葉は、その言葉がそのひとの口から、他のひとへ発せられ、それを受けたひとの記憶に入り込み、そのようにな連続性で永遠に言葉の呪力は続いて行くからです。だから差別語は、どんなに時が経っても消滅しない。
この言葉の呪力を理解しているひとは、これを武器として利用することを考えるでしょう。そのひとつが「歴史」です。歴史は恐ろしい武器なのです。
ひとは、一度刷り込まれてしまった記憶を消すことには困難を生じます。ましてや、刷り込まれたことを変更することは、それ以上の困難を生じます。
言葉により創られた記憶は、思考に影響を与えます。そして、その思考は、行動を左右します。と言うことは、「言葉」をコントロールすることにより、他のひとをコントロールできる理屈が成立つわけです。ですから、ペンは武器より残酷なのです。
では、「穢多」の言葉を、誰が、どのようにしてひとびとの記憶に刷り込んだのでしょうか。
穢多の文字が、日本の文献上に登場するのが鎌倉時代の「塵袋」の中です。
 
天竺にセンダラというは屠者なり、生き物を殺して売る、エタ体の悪人なり。
 
この「天竺(インド)」の言葉で分るように、この国に差別語を持ち込んだのは、紀元一世紀、インド北部に忽然と現われた大乗仏教徒です。(自分たちは南方仏教より偉いんだということで「大乗(大きな乗り物)」と称していた。ちなみに南方仏教を「小乗仏教」とし、蔑視していた。)
もともと釈迦の仏教には差別語も差別思想もなかったのですが、釈迦の入滅後数百年も経つと、釈迦の教えを勝手に解釈するどころか、ヒンドゥー教の教義に染まっていくわけです。元々の仏教には、仏像もなければ(釈迦は仏像を作ることを厳禁していた。)、加持祈祷もないし、閻魔様もいませんでした。それらは、ヒンドゥー教の影響です。
インドのカースト制の思想を日本に持ち込んだ大乗仏教徒達は、釈迦の教えを勝手に解釈した仏典や仏教説話で「穢れ」の概念を、日本の支配者層に刷り込んでいくのです。
それでは、その大乗仏教の「穢れの思想」を日本に招き入れ、利用したひとは誰なのでしょうか。
 
日本には、二つの文化圏があります。ひとつは落葉樹林文化圏(狩猟・採取)と、もうひとつは照葉樹林文化圏(農耕)とです。食料確保の行動は、その土地の植物の植生に作用されます。ですから、それらの文化圏に生活する人たちの行動も思想も自ずから異なるわけです。その文化圏の境界線は、東海の名古屋と北陸の富山を結んだ線で、東西に分けられます。
大乗仏教による、屠殺に対しての「穢れ」の差別意識が、東日本(騎馬系民族の渡来地)より、西日本(農耕系民族の渡来地)に強いのは、この文化圏の違いかもしれません。
騎馬系民族の屠殺は、農耕系民族が穀物を食べるのと同じことなのですが、文化が異なれば、その解釈も異なってしまうのです。つまり、気候の違いも、衣料に影響を与えます。裸同然で生活できる温暖な地域と、マイナス数十度の厳寒地域では、衣服にも違いがでるのは当然でしょう。厳冬に暮らす民族が、毛皮で身体の保温を保つことは必然のことです。そのことは、温かい地域に暮らすインドの仏教徒には理解できないことでしょう。
狩猟民族の流れを汲む東日本の住民には、屠殺は生活の基盤であり「穢れ」なとではないのです。だから、東日本では、西日本ほど、今も「穢多」の差別が弱いのかもしれません。
その文化圏の違いは、日本国だけではなく、大陸までも含んでいます。そして、大陸の争乱から逃れる為の来訪者も、日本のそれぞれの文化圏に入植していくわけです。
日本には、縄文時代以来の考え方がありました。その考え方は、モノや植物に神(シン・ジン)が宿るということです。それは、ひとの力の及ばない「モノ」であったわけです。「モノ」には神の意味があったわけです。しかし、八世紀になると、「モノ」は悪の代名詞「鬼」と変化させられていくのです。
このような改ざんを行なったひとの行動を突き詰めれば、差別語を何故この国で使用したのかを解明できるかもしれません。その謎のひとを解明する鍵は「聖書」です。
ミステリー小説の醍醐味は、事件が起こり、それに係わった生き残りグループの中で、最も犯人らしくない人が、真犯人であることを突き止め、その動機を解明することです。
現在の世界をコントロールしているひとは誰であるかは、世界で最高の武器である歴史書をもっている民族を探し出せば、自ずと解明できるでしょう。それでは、大昔から現在まで「生き残っている」歴史書は何かといえば、先ず、「聖書」が考えられるでしょう。
つまり、世界最高の武器である聖書をもっている民族が、良い意味でも、悪い意味でも、この世界をコントロールしているのです。
それでは、日本の国をコントロールしている一族は誰でしょうか。日本での最大の武器としては、古事記と日本書紀が思い浮かぶでしょう。しかし、古事記は三巻で、それに対し、日本書紀は三十巻です。いや、古事記は四十四巻あるぞ、と言っても、それは「古事記伝」で、江戸時代に、本居宣長が著したものです。
何故、本居宣長が、古事記伝を著したかと言えば、日本書記は「漢国の言」で記されていて、「後代の意」に汚されている、それに対し、古事記は、「古の語言のまま」で記されている、「皇国の古言」を解明すれば、「上代の清らかなる正実」が得られる、と考えたようです。
つまり、日本書記は、「中国語」で書かれているではないか、それに対して、古事記は「大和言葉」で書かれている、だから、古事記の文章を解明すれば、昔の正しい事柄を知ることができる、と言う訳です。
しかし、古事記全三巻は、中途半端な書物です。と言うことは、日本最大の武器は、日本書記となるわけです。つまり、日本の国をコントロールしていた、そして、今もしているのは、日本書紀を創作させ、今日まで利用している一族になるわけです。その一族が、ある目的で差別語「穢多」を、大乗仏教を利用して日本国中に広めさせたのです。
それでは、その日本書紀は、どのようにして創作されたのでしょうか。
日本書紀を研究したひとによりますと、漢語の文章が、全体をとおして一貫していないと言うことです。特に、「分注」の割書き(説明文)におかしいところがある、と言うことです。その分析によりますと、三つに分類されるのです。
それらは、A群−漢語と日本の風習を完全に理解している、B群−漢語は完璧だが、日本の風習を理解していない、そして、C群−漢語は不完全だが、日本の風習は理解している、と言うことです。
更に、不思議なのは、どうもB群は、A群よりも先に書かれているようなのです。
そこで思い出すのは、「旧約聖書」です。旧約聖書の創世記から始まるモーセの五書は、年代的には、後の物語より、年代的に新しいのです。
更に、日本書記と聖書に共通することは、日本書紀の巻末にある「不改常典」と、ヨハネの黙示録第二十二章十八節「この預言書の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加えれる者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加える。」ということです。
それでは、日本書紀のライターは誰かと言うと、B群は、続守言(ショクシュゲン)と薩弘格(サツコウカク)と言う唐人で、C群の三十巻は、紀清人と推測されています。しかし、A群の「神代から安康」までを誰が書いたか特定できないようです。
そこで、当時、漢語が完璧で日本の風習を良く知っているひとを探してみると、「日本書紀」天武十年、十二月の記に「柿本臣佐留(さる)」の名が記されています。柿本臣佐留とは、百済からの亡命者で、中国語が完璧な歌人「柿本人麻呂」のことです。
それでは何故、佐留(さる)などの言葉を名前に付けられてしまったのでしょうか。
佐留(猿)という言葉は、歴史上いろいろな時代に出てきます。例えば、神代に出てくる「猿田彦」、秦氏が基の「猿楽」、更に時代が下がって、織田信長は秀吉に向かって「猿」と言っていました。秀吉の顔が猿に似ているからと言うのが定説ですが、秀吉の肖像画を見ると、その顔は、「猿」というよりも、「ねずみ」或は「きつね」に似ています。更に、徳川家康が、豊臣秀吉の策略により、穢戸(えど・江戸)へ移り住む時、弾左衛門が馬のお守りに、猿飼(大道芸人の猿回しとは異なる。渡来系騎馬民族の末裔。)を使わしたのは、馬の守護神が「猿」であることを、徳川家康(家康が弾左衛門を穢戸へ招いた。)も知っていたからです。
では、猿(佐留)とは、本来はどのような意味だってのでしょうか。それは、「渡ってきた」、つまり、「渡来」ということです。ですから、猿田彦とは、「渡来人の彦」で、猿楽とは、「渡来の踊り」です。しかし、時代が下がると、本来の意味が忘れられてしまい、「人間に似ているが劣ったヤツ」、との蔑称に変化して行くわけです。しかし、信長は、秀吉の家系を知っていたのかも知れません。(秀吉の周りには、一夜城を作る土木関係者及び間者(スパイ)としての漂白の民がいました。)
それでは、差別語を利用した「真犯人」を特定しましょう。それは、藤原不比等です。
では何の為に、差別語「穢多」を広めたのでしょうか。それは、ライバルの新羅系(騎馬民族系)を追い落とし、日本を乗っ取る為です。(藤原氏の世を「平安時代」と言います。そして、現在の年号は「平成」です。これは、偶然なのでしょうか。)
藤原氏が日本国を乗っ取るための武器は、中国語で書かれた「日本書記」です。そして、その種本は、「百済記」、「百済本記」、そして「聖書」です。
では、藤原氏の姓は、何を語源としているのでしょうか。それは、韓国語の「ブルボン」と言われています。そして、その意味は「日の国」です。つまり、この国で「貴種」とされた藤原氏とは、百済からの渡来者(猿)だったのです。
 
日本国以外で、「部落」と言えば、村ほどでもない、一族郎党の住む小さな集合体を意味しているでしょう。しかし、この日本では、「部落」と言えば、その前に「特殊」の文字が付け加えられてしまうのです。(特に、今でも西日本においては顕著のようです。)では、その政治的意味付けされてしまった「部落」は、この国では何時代に発明されたのでしょうか。
その「部落」が発明されたのは、どうも藤原氏の時代、つまり「平安時代」のようです。それでは、その藤原氏の時代になる前に、この国で覇権を競っていた部族は何かといえば、それらは、「源平藤橘」でしょう。
「源」とは、源氏系(新羅系騎馬民族)で、「藤」とは、百済系海洋民族で、「橘」とは、契丹(トルコ系)民族です。では、「平」の平氏とは何処からの民族なのでしょうか。
その謎解きのヒントは、平氏の民族カラーである「赤」にあるようです。(因みに、源氏は「白」です。江戸時代、川越人側は「赤フン」で、馬方は「白フン」で区別されていた。)
日本に、半島から秦氏を名乗って上陸した民族は、元々の半島の民族ではなく、大陸内部の争乱を逃れて、騎馬系は中央アジアから、海洋系は中東からインド・中国を経て遥々半島にやって来たのです。
騎馬系のルートは、紀元前からあるシルクロードからですが、では、海洋系のルートは、どこからなのでしょうか。
奈良の正倉院の宝物の中には、遠くペルシャを越えて、エジプトの螺鈿技術の才を極めた美術品も多くあります。それらの緻密で精巧な美術品は、ラクダの背中に揺られてシルクロードを東に辿り、遥々日本へ来たと言うのでしょうか。
インドでは、大昔から現在までも、三角帆を張った木造船「ダウ」が、インドとアフリカ大陸との交易に活躍しています。エンジンがなくても、帆と海流とがあれば、広い世界を陸路より快適に短時間に移動が可能なのです。
ひとや物の移動に付いて、海路による歴史的役割の軽視は、海上文化の担い手を、漁民、漂海民族や土地に住めない弱小民族などの下層民のものとする先入観に基づくのか、或は、知られては不都合の為に隠蔽する政治的意味合いによるのかもしれません。
紀元前千二百年頃、中東カナンの地に、海洋民族が出現するのです。かれらは多民族から構成された海洋商人達で、識別のため「赤い衣装」を纏っていました。その「赤い衣装の商人」のことを、ギリシャ語で「フェニケス」後にフェニキア人と呼ばれていました。
そのフェニキア人商人達は、大型構造船と大きな帆で地中海、アラビア海、そしてインド洋で活躍していましたが、紀元前四世紀にアレキサンダー大王の中東進出で、その活路が塞がれ、その「赤い衣装の商人達」はやがて歴史から消えてしまうのです。
中東から日本までの航海は、陸路のシルクロードよりも安全で短期間で到達可能でしょう。インド洋を海流とモンスーンと海表面に発生する吹送流を帆に受ければ、フィリッピンまではエンジンがなくても到達できます。更に、夏であれば、黒潮に乗れば、対馬海流により、朝鮮半島南端、又は、北九州にたどり着くことでしょう。それとは逆に南下するには、冬の北風を利用すればよいのです。
更に時代が下がり、紀元前二百十九年、総勢三千名の集団が船団を組み、中国大陸から桃源郷を目指すのです。それを先導したのが、秦の始皇帝から不老長寿の仙薬を求められた「徐福」です。徐福到来の伝説は、半島だけではなく日本全国にもあります。
日本へ到達した「赤」を民族カラーとする海洋民族「平氏」は、ペルシャ(西アジア全体を含む地域を平安時代はペルシャと言っていた。)の末裔だったのです。
ここで、「源平藤橘」の渡来民族ルーツが解明されたわけです。
日本民族とは、先住民族の縄文人をベースにした多民族国家だったのです。いや違う、日本は大和民族で単一民族だ、と言っても、その皇国史観は、第二次世界大戦中に発明されたものです。
では、虚構民族・単一大和民族を纏める「天皇」はどのような策略で発明されたのでしょうか。
その解明により、中国語で書かれた「日本書紀」を武器として藤原氏が「平・橘」を利用して、源氏の騎馬民族を「穢多」、「部落」の差別セットで、如何にして落とし込んだかを理解できるでしょう。
歴史は、医学が純粋な科学ではないのと同じように、科学ではありません。それは、不可思議なこころの問題が介在するからです。では、歴史書は何かと言えば、それは文学書とでも言えるでしょう。歴史という物語を書くということは、何かの目的があるからです。その目的のひとつは、こころの問題を解決するためです。
例えば、勝者の場合、以前の不都合な履歴を消し、自分がどれほど偉いか、そして、自分の祖先は如何に偉大であったかを述べることです。それに対して、敗者の場合、自分を落とし込んだ勝者の実態を暴き、今の自分の姿は仮であって、本当の姿は別にあり、祖先は高貴であった、と言うことを述べることです。
そこで、敗者の側から勝者の歴史書である日本書紀を眺めてみることにしましょう。
日本書紀によりますと、神武天皇は紀元前六百六十年に活躍したそうです。しかし、中国の史料によりますと、「倭国」は六百七十年を最後に姿を消し、替わって「日本国」は七百一年、はじめて唐に使いを遣わしたそうです。その倭国が消滅した六百七十年とは、天智天皇の即位第三年ということです。
と言うことは、日本国で最初の天皇とは、「天智天皇」か「天武天皇」かその御后の「持統天皇」か、はたまた天武天皇と持統天皇の孫の「文武天皇」のいづれかでなければ、中国の史料と辻褄が合わないでしょう。
更に、天皇家は万世一系であると言われていますが、壬申の乱(672年)後と明治維新(1868年)とで、天皇家の血脈が取り替わっているようです。つまり、天智天皇(海洋系)と天武天皇(騎馬系)は、日本書記で言うところの兄弟(日本書紀とは逆で天武天皇が年長)ではなく、そして、明治維新での「北朝系」睦仁天皇が明治天皇になったのではなく、「南朝系」大室寅之祐が明治天皇に変身した、と敗者の歴史では語られているようです。
では、そのようなトリックを考えたのは誰でしょうか。
そこで、「カゴメの歌」を思い出してください。鶴(騎馬系)と亀(海洋系)を戦わせ、その後ろで操るのは「カゴメ(ヘキサグラム・藤原氏の子孫は666。)」である「秦氏」でしたね。それでは、その「秦氏」とは何者かと言えば、それは「藤原氏」であるわけです。
ここまで来れば、闇の日本史の半分が解明できたも同然です。
ひとの思考系回路は、明日を生き残る為に、色々な虚構を考え出します。そのひとつに、「民族」という概念があります。
この民族の概念は、第一次世界大戦前年の千九百十三年(大正時代)に、日本で発明されたのです。その定義は、ソ連のスターリンによる、「民族とは、言葉、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である。」からの借用です。しかし、その論文の題名は、「マルクス主義と国民問題」であり、その定義は、「国民(ナーツィヤ)」についてであるわけです。その国民主義のことを、「民族主義」と訳してしまったのが、この国での「民族」の概念の始まりと言うわけです。
日本人の潜在意識下には、五つの部族(源平藤橘+先住民)から構成された日本国のイメージがありますから、スターリンの論文を理解するのに、「国民」を構成する単位を更に分ける「民族」の訳語が必要であったのでしょう。
その「民族」を束ねるものは何かと言えば、そのひとつに「宗教」があります。
では、日本で天皇が発明された時代では、どのような種類の宗教があったのでしょうか。
学校での歴史授業では、その七世紀での重要項目に「大化の改新(645年)」があります。何故、その大化の改新が、日本の歴史で重要かといえば、その意味はふたつあります。ひとつは、天皇制の始まりを示すことと、藤原鎌足の登場です。しかし、闇の日本史では、それらのふたつは虚構となっています。
大化の改新では、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、蘇我入鹿を滅ぼすことになっておりますが、では、その蘇我氏とは、どのような部族であったのでしょうか。
教科書的には、蘇我氏は聖徳太子と共謀して、土着の豪族で反仏教派の物部氏(この国では古くから、「モノ」とは「神」の意味がある。)を滅ぼし、仏教を導入したことになっております。では、その「神道」を奉ずる物部氏を滅ぼした、仏教派の聖徳太子とは何者であったのでしょうか。
昔から、聖徳太子はキリストではないかと囁かれていました。その根拠に馬屋で生まれたからというものです。しかし、聖徳太子の影には、もうひとりの人物が見えるのです。それは「ダビデ」です。
蘇我氏と物部氏との闘いで、蘇我氏は何度攻撃しても、物部氏を攻め落とせません。そこで十三歳の聖徳太子が登場して、「いまもし我をして敵に勝たしめたまわば、必ず護世四王のために寺を起しましょうぞ。」と願掛けを行うことにより、その強大な物部守屋は自ら崩れてしまったと言うことです。
この物語は、旧約聖書の「サムエル記上」のダビデの少年時代の事績に似ています。サウルとイスラエルは、ペリシテびとに何度対峙しても敵いません。そこで、ペリシテの大男のゴリアテに、少年のダビデは挑み、ゴリアテを打ち負かしてしまうのです。
そこで不思議に思うのは、天智天皇が、神道派の物部氏を滅ぼし(日本書紀では蘇我氏と聖徳太子が滅ぼしたことになっているが、それは疑問です。)、仏教を導入したのなら、万世一系であるはずの現在の天皇家も「神道派」ではなく、「仏教派」でなくてはならないわけです。
そこで、西垣晴次著書「お伊勢まいり」の第一章「伊勢神宮、昔と今」を読むと、
 
明治天皇の神宮参拝を天皇として史上最初のことだというと、疑問をもつ人もいるかもしれない。一般に、伊勢神宮は皇室の氏神であり天皇家の祖神をまつる神社であると理解されている。だとすると、自分の家の氏神に一家・一族の主の地位にある天皇が明治二年まで全くその社前にぬかずいたことがないというのはおかしいのではないかという疑問である。
さらに、もう一つ注意すべきは、古代以来永年にわたって天皇の神宮参拝の事実がなかったのに、明治になってはじめて参拝があったのは、神宮と天皇、神宮と国家との関係が変化し、神宮自体の性格もそれまでとは変わったことを示すものにほかならない。
 
伊勢神宮に奉仕する王権の皇女、王女が斎王として送り込ませたのは、七世紀後半の天武天皇時代からです。しかし、後醍醐天皇の時代(1318年)以降は、その制度は廃絶されてしまい、再開されたのは、明治二年であったのです。
そこから推測すると、日本国最初の天皇である天智天皇は仏教派で、壬申の乱後の天武天皇は神道派で、それ以降の天皇は伊勢神宮へ参拝していないわけですから神道派ではないということは仏教派で、明治天皇は神道派であるということです。
それでは、伊勢神宮とはどのような闇の歴史があるのでしょうか。
伊勢は元々は、近江付近にあったものが、三世紀頃半島から侵入してきた部族に追いやられ、今の伊勢に五十余年の歳月をついやして辿り着いたようです。風土記の伊勢国号の由来によりますと、
 
そもそも伊勢の国は天日分命(あめのひわけのみこと)が平定した国である。天日分命は神武天皇が九州から東の国を征討された時、天皇に従って紀伊の国(和歌山)の熊野の村についた。その時、天日分に命令して「はるか天津の方に国がある。ただちにその国をたいらげよ」といわれて、将軍として標の剣を賜った。天日分は東に入ること数百里であった。その村に神があって名を伊勢津彦といった。その神が神武天皇に国を明渡すことを嫌がったので、天日分が殺そうとしたところ、神は恐れて「私の国はことごとく天孫にたてまつりましょう」と誓い、東の方へ去っていった。
 
この物語は、穢多の弾左衛門が、鎌倉へ逃亡するストーリと似ています。つまり、都落ちです。三世紀での伊勢以北は、異界であったのです。十二世紀の鎌倉以北も異界であり、十七世紀の穢戸(江戸)以北も異界であったのです。
では、天武天皇は、何故異界の伊勢神宮を奉ったかといえば、それは、壬申の乱の時、その伊勢にいる異界の「鬼」達のバックアップを受けたからです。
ここまでくれば、「穢多」と「部落」の歴史背景が読み取れるでしょう。
藤原不比等は、天智天皇の娘である、天武天皇の后、「持統天皇」をコントロールして、天武天皇派の武将ら一族郎党を、仏教を利用して、「夷(海洋系)を持って、夷(騎馬系)を制す。」の戦略で、「穢多」に落とし込め、橋の無い中州に閉じ込め、そこを「部落」としたわけです。そこから、河原者→河衆→カッパとなるわけです。
「穢多」も「部落」も、その発生は平安時代まで遡るのです。そして、その差別も、現在も続いているのです。日本書紀の呪縛がある限り、この物語は永遠に続くでしょう。「ペンは剣より残酷です。」
お化けの正体を知ってしまえば、それほど怖くわないのと同様に、差別の根源を知ってしまえば、差別をされても卑屈になることも無いでしょう。なにしろ、「穢多」は、天武天皇の流れに居るわけですから。貴賎も善悪も、所詮ひとの思考系回路が、明日を生き残る為に、勝手に考え出した概念にすぎないのです。
江戸時代も残りわずかな時、浅草の穢多頭、第十参代弾左衛門宅へ、薩摩藩の使者が秘密裏に訪れるのです。「島津家も弾家も、古は秦族ぞ。家紋も同じぞ。つまり、同族ぞ。」と、倒幕を誘うのです。
島津氏の元は、藤原氏とも言われ、平安末期、九州の南端に京都から侵入してきた部族です。先住民を制圧し地盤を固め、琉球王国を支配し、江戸時代、鎖国の禁を破り、諸外国との密貿易を行っていました。諸外国との貿易で使用の船に、「日の丸」の旗を付けていました。日の丸は、古来よりいろいろな形で使用されていましたが、日本の印にすることを江戸幕府に提案したのは、島津家です。鎖国を進める幕府には、諸外国に対する日本国という意識はありませんでした。
江戸末期、諸外国船が開国を求め多数日本国に来るようになり、日本の船との識別が要求されていたのです。更に、東アジアの欧米列国による植民地化に危機を感じた幕府は、部族を超えて団結する必要を感じていたのです。
そこで、1854年(安政元年)、幕府は「日の丸」を我国の総船印にすることを決定したのです。
そこで思い出すのが、藤原氏の語源です。それから連想すれば、藤原氏→ブルボン→日の国→日本→日の丸→国旗となるわけです。
以上、述べてきた「穢多・秦氏・藤原氏」の物語は、学校で学習してきた歴史とは掛け離れているかもしれません。しかし、物事には、表と裏があるのです。その両方の物語を知ることにより、歴史が立体的に見えるのです。そのように見えることができれば、思考の視野が広がる為、ある目的を持っているひとの「策略」を見抜くことができるでしょう。
時代の流れは、昔も今も止まってはいません。しかし、ひとの思考回路のパターンは、昔も今もそれ程変化していません。と言うことは、昔のひとの行動を分析することにより、未来の時代の流れを予測できることが可能なわけです。つまり、「歴史は繰り返される。」のです。
さて、もし、平成の現在が、古の平安時代の流れを辿っているとしたら、その次の流れは、武士の時代になるわけです。つまり、バブルの時代を謳歌していた平成時代のサラリーマン貴族は、虐げられていた野武士にとって代わられるわけです。
では、平成時代の野武士とは、どのようなタイプのひと達で、どのようにして仕事を獲得していくのでしょうか。
そこで、次章で、未来の流れに乗って、生き抜くためのヒントを考えてみましょう。