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第二章 魔術の舞台 
 
  
はじめに     
 
 
 
この章では、「魔術師の目」で、プロカメラマンとしてあなたが活躍するための「世間」というものを覗いてみることにしましょう。
そもそも「魔術師」とはどのような人物のことをを指しているのでしょうか。魔術師と並び評されるものとして、「魔女」、「悪魔」などがいるようですが、それらの人達は、どのような属性であるのでしょうか。
ひとは、大脳を発達させることにより、自己と他者との区別をし、自己に都合の良い状況にする「知恵」を身につけたのでしょう。その知恵者が、集団を統率する手段として「宗教」を発明し、他の異なる「宗教」を滅ぼし、従属させ、次第に組織を増大させ、やがて「国家」というものを形成してきたのでしょう。
そもそも、「宗教」とは、ひとの自動行動プロクラムの弱点(プラセボ反応、セットとセッティングによる情報操作)を利用した、イメージを基盤としている「虚構」により成立っているわけです。「自然現象の技」をイメージにより、「ある偉大な人物」の技と摩り替えることにより、他の人達をコントロールしようとするわけです。
その偉大な人物が、他の宗教集団と戦い、そして敗れた者が、勝者側から、「魔術師」、「魔女」、「悪魔」と名付けられたのです。もし、その人達が、敗者ではなく勝者であったとしたら、「博学者」、「民間治療者」、「神」と呼ばれたことでしょう。
ひとは、自己と自己との関係を、自己と他人との関係のようにみなしていくこと、つまり自己と他の人との関係を比較検討することにより、自己だけでは「知覚」できなかったことに気付くようになっていくわけです。このようにして、色々な属性の人達との関係で、意識を広げて(刷り込まれて)行くわけです。
そのようにして意識を広げて(知識を得ること)いく過程で、知恵者の意図により、「見えるものを見えなく」したり、「見えないものを見える」ようにコントロールされてしまうこともありえるわけです。
さて、「庶民」であるあなたが、「世間」という場で、「出世」するということは、「魔術師の目」で眺めると、どのように解釈できるのでしょうか。
プロカメラマンとして成功するための「庶民」「世間」「出世」のキーワードの中で、まず「庶民」という概念を覗いてみましょう。
寿司の等級に、上、中、並(下とは言わない)があるように、ひとの評価にも「並のひと」があります。そのように評価する「お上」から見て、並みの人とは、下人であるわけです。並みの人の呼称として「庶民」が使われるのですが、「庶」という字に注目してください。
「旧民法」には、「庶子」という言葉がありました。正妻ではない人が生んだ子供に対して、実夫が認知することにより、初めて戸籍に編入してもらえたわけです。(正妻の子供は嫡子)そして、人格こそは認められていましたが、嫡子より軽んじられていました。
このことを「庶民」に適合すると、どういうことになるかと言えば、並のひとである「庶民」は、本来が支配者の嫡民(支配者直系のひと)ではないということです。では、誰の末裔かといえば、それは被支配者つまり、魔術師、魔女、悪魔であるわけです。
自分のことを「庶民」というひとは、「魔術師」の末裔であったわけです。
では次に、「世間」という概念を覗いてみましょう。
支配者と被支配者とが住む場は異なります。このことを「日本書記」では、支配者の住む場を「この世」と言い、被支配者の住む場を「黄泉の国」又は「あの世」と表現しています。つまり、位の異なる人達は、住む場も違うのです。庶民は、「この世」ではなく「あの世」(死後の世界を「あの世」とするのは、現世では苦しいことばかりの庶民を使役するために、希望をもたせる目的で、善行(お金?)を積めば「あの世」で楽しいことが待っているとのイメージ作りであり、仏法のまやかし(魔術)です。)を住みかとしているのです。その「この世」と「あの世」との間が「世間」ということです。つまり、「庶民」は「この世」では暮らせないのです。
では、「出世」の概念を覗いてみましょう。
昔のひとは、生活の場面を、「ハレ」と「ケ」とで区別していました。「ハレ」とは、陽のあたる場所で、「ケ」とは陽のあたらない場所のことです。今では「ハレ」は特別な日(ハレ着を身につける日)で、「ケ」は普通の日に使われています。しかし、大昔では、「ハレ」とは、天子の座す王権の場に出仕すること、或いはオオヤケの人達の御前にかしこまることです。つまり、正式(公のことは総て律令・延喜式にのっとり、正しいことになっていた。)の場所や人中(人とは公人や殿上人のことで、もとより庶民は含まれてはいない)に出ることが「ハレ」、つまり「世に出る」ことであり、このことを「出世」というわけです。
このように、魔術師の目でものごとを眺めてみると、そこには今までとは異なる世界が見えてくることでしょう。
 
 
 
影の演出者は誰か     
 
 
 
庶民のプロカメラマンが撮影技術を習得し、市場リサーチをし、ひとびとの求める映像を分析し、それを映像作品として世間に発表したとしても、それですぐ世間に認められ出世できるかは疑問です。
以前にも述べたと思いますが、ひとが時代を創るのではなく、ひとはただ与えられた舞台(時代背景のこと)で、それに合わせて演技(ビジネス活動のこと)することしかできないのです。そのために舞台がどのように時系列的に変化してきているのかを研究し、現在から未来の舞台を見極め、衣装を調え(技術を習得すること)出番を待つ必要があるわけです。
そこで、歴史流れの勉強をするわけです。その勉強法は、多分学校で習った(刷り込まれた)ことを基盤とすることでしょう。しかし、そのような学校教育の一環として学習した歴史観だけでは、庶民であるあなたが活躍する舞台を研究することができるかは疑問です。
なぜならば、その歴史観は「この世」の人達によって創られた「虚構の世界」であるかもしれないからです。ですから、「あの世」の人達の歴史観とを比較検討し、視野を広げてみることが必要になるわけです。その方法とは、この世の歴史を「敗者側から眺める」ことです。
ひとつの例として、明治維新があります。テレビ、映画そして小説などで、忘れかけた頃何度も何度も繰返し再演・上梓されるため、明治維新とは、薩摩藩と長州藩(土佐、宇和島藩も含む)との下級武士の蜂起により、旧い因習で構築された「封建時代」の江戸幕府を倒し、新しい日本の夜明けとなった、というのが主なテーマとなっているようです。
それらの情報は「真実の歴史」(もしあるとしてのことですが)を伝えているのでしょうか。この世のひとにはそうであっても、「魔術師の目」から見ると、一寸ちがう歴史が見えるのです。
慶応四年(1868年)一月三日、徳川幕府軍一万五千と薩長連合軍五千が鳥羽伏見で激突しました。「ランチェスターの法則」によりますと、白兵戦では、武器が同等ならば数が多いほうが断然有利ということになります。(因みにゲリラ戦では、十倍以上の兵員が必要だそうです。)断然有利なはずの幕府軍は、その法則を無視しました。なぜなのか?
それは、薩長連合の影で活躍していた人がいたからです。その名はイギリス公使(謎の多い東インド会社の一員でもあるらしい。)パークスです。パークスは、武器商人グラバーをして薩長連合に最新鋭連射銃を供給し、それに対しフランス公使ロッシュは、アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)で使用済みのゲーベル旧式単発銃を幕府軍に供給したわけです。(武器については諸外国が結託していたという噂もあるようです。このカラクリを知れば、ランチェスターの法則は正しい。)
では何故、薩摩、長州が、協力して幕府に立向かったのか。この世の歴史観では、土佐の坂本竜馬というひとが、幕末の時を愁いて、薩摩と長州とを連合させたということになっているそうですが、彼が彼自身の意志や力量で、そのような行動を起したのでしょうか。
そもそも、何で薩摩と長州なのでしょうか。その疑問は、歴史地図にヒントがあるようです。関が原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、貿易独占のため、さらに敵対しそうな有力な藩を改易・領地がえなどで取締る方針をとったようです。しかし、薩摩である島津藩と長州である毛利藩には、手がつけられなかったようです。二つの藩は、江戸幕府に表向きは従うよう振る舞いながら、裏では大昔から近隣諸国と密貿易をしていたようです。そうです、その二藩は昔から独立国だったのです。
明治維新の舞台裏で、根回しを続けたイギリス(東インド会社)の指導と圧力を見事に隠し切った絶妙の影の演出家は、「明治維新は日本人だけから発生したような外観を呈したこと」に成功したわけです。でも、魔術師の目から「明治維新」を眺めれば、国際的にいって、日本という国がイギリス(東インド会社)の極東代理人となってしまった歴史に見えるわけです。
しかし、影の演出家の手で、「見えるものを見えなくされ」それに対し「見えないものを見えるように」セットされてしまった従順な庶民は、「王政復古」を日本人自らの手で成し遂げたのだと、学校での歴史授業でセッティングされてしまったようです。これが、あなたが、この世で出世できない原因のひとつかもしれません。
疑問に思うには、何故庶民は、その様な皇国史観(万世一系の天皇家というアイデアで、源平唐契・縄文系の異なる民族の庶民を統合する試みのための歴史観。ただし、太平洋戦争前の歴史観は、大和民族単一民族説をとっていなかった。)を刷り込まれて(学習)しまったのでしょうか。
江戸時代までは、西洋で言う「国史」というものが存在していませんでした。日本国は、七世紀に大陸の支配下から分離独立しても、その歴史観は中国式のものでした。
中国式の歴史観を簡単に述べれば、統治する地域を天からの命により治める、その天命を受けた「天子」(皇帝)がかならず一人いて、その天子だけが天下を統治する権利を持っていて、その「正統」は、賢い天子から賢い天子へと譲られ伝わって行く、というものです。
それに対し、西洋での歴史観は、世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史で、その変化は、政治勢力の対立・抗争によって起こる、というものです。
日本の夜明けを影で演出したひと(外国人)が、日本の国史を見て驚くのです。これは歴史ではないと。そこで、明治二十年に、ルードリッヒ・リースというユダヤ系ドイツ人が、帝国大学(当時、何を目的か、帝大の総長はキリスト者に限られていたようです。)に史学科を開設し、この世の日本国史の魔術書(あの世の人から見て)を編纂するわけです。
その魔術書により、明治時代を基点として、庶民に旧時代の悪癖を、下層階級により、改革した、つまり、「封建時代」を「市民革命」により一掃し、神の国を取り戻した、とのイメージ創りを始めたわけです。
例えば、「フューダリズム」を「封建」と訳したり、「レボルーション」を「革命」と訳したりして、影の演出家は情報操作をしたわけです。
「封建」とは、秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることです。下層階級を搾取する制度ではないのです。
「革命」とは、天から統治を命ぜられたひとが、追放や征伐によって奪い取られ、勝ったほうに天命が与えられ、負けたほうからは天命が取り去られることです。下層階級が上層階級の地位を暴力で奪い取ることではないのです。
庶民は、影の演出家により、新しい呪文を与えられ、唱えながら、この世のひとのために使役されているのは、昔も今もかわりないようです。
明治維新を魔術師の目で眺めることにより、今までの歴史観が多少とも変化したことでしょう。そのように、「この世」と「あの世」との歴史観を比較検討することにより、庶民のあなたに相応しい舞台の流れが見えてくることでしょう。
しかし、今の日本は、江戸の鎖国時代と異なり、グローバル化(決して全地球化ではなくアングロサクソンつまり白人文化への同化)の呪文の基に、日本の七世紀当時の政治・経済そっくりの渦の中に突入してしまっているようです。
そこで、あの世のひとが、世間で活躍できるヒントを探すために、魔術師に歴史の旅に出てもらうことにしましょう。
 
 
魔術師の旅     
 
 
 
魔術師の目から見れば、国家も虚構、宗教も虚構に見えるのです。その虚構の世界に、プロカメラマンはどのようにして活躍していけばよいのでしょうか。
現在が、多くの庶民にとって住み良い世間であるのならば、庶民にとって暗い過去の歴史のことなど知らない方が良いに決まっています。でもどうでしょう。暮らし易いと思いますか。
この国に「いじめ」などなくなれば、大いに住み良い世間になるとは分っていても、学校だけではなく会社など、ひとが群れる場所には何処でも「いじめ」が存在しています。今の学校などでは、いじめを止める立場の教師が、いじめ側に加わることもあるそうです。このような国は、日本以外にもあるのでしょうか。
それでは、いじめは昔はなかったのかといいますと、そうではありません。しかし、昔と今とでは、何かが違うようです。昔は、誰かがいじめられていると、誰かが助け舟をだしてくれていたわけですが、今はどうでしょう。
この国では、何故いじめがなくならないのでしょうか。それは、この国の成立ちにその秘密があるようです。
いじめの構造は、弱い立場の者を周りが寄って集って、言葉や行動で威圧することです。つまり、根底に「差別」があるのです。しかし、不思議なことに、いじめる側もいじめられる側も、あの世のひと、つまり庶民であるのです。本当のいじめっ子は、いじめのキッカケを作ると前面に出ず、側に居て直接手を下さず庶民が庶民をいじめているのをニヤニヤ見ているのです。実は、このいじめ戦術は、「夷を以って夷を制す」(絶対少数が絶対多数をコントロールする戦術。つまり分断して統治せよということ。)の中華思想を実践しているのです。
この国での差別思想の基は「中華思想」です。中華思想とは、世界の中で中国だけがもっとも優れている国である、という思想です。そして、中華の国の外辺にいる者達は、すべて夷(えびす)であるという思想です。つまり、夷は禽獣(鳥や獣)と等しい存在であり、中華と夷との間には、はっきりした区別があるという思想です。これが、中華思想、言葉をかえれば華夷思想です。
そのような差別思想では、夷をこの世のひとの為に使役することができなくなってしまいます。そこで、悪知恵者は、中華思想の分離・差別の思想と並んで、いったん分離したものを結合させるための別な思想を発明するのです。それが、いわゆる「王化思想」です。
王化思想とは、王たるものは本来人格的に徳をそなえているのであって、その徳は自然にその周囲に影響し、周囲のものは自然にその徳により教化される、という思想です。
そのような身勝手な思想に、従わない者(夷)は、夷を以って王化させることを、この国では七世紀以降(鬼、カッバなどの妖怪、実体はまつろわない者達の指導者や神様、などが最初にこの国に現われるのは「日本書紀」からです。)行なわれて来たのです。
その思想を、何時誰がこの国に持ち込んだかというと、唐・新羅連合軍との白村江での敗戦後、奈良の母国百済の滅亡後、日本大和に進駐した唐軍(唐軍の使者郭務宗が中臣・藤原鎌足であるとの説があります。)によるのです。
日本の国史によりますと、七ヶ月の駐留後、七千(そんな少ないはずはない)の唐進駐軍は本国に引上げたことになっているようです。しかし、それは嘘でしよう。太平洋戦争後、日本を占領したアメリカ進駐軍は、今も日本全国に駐留基地を設け居座っているいるのを見れば、唐占領軍が短期間で引上げる訳がないでしょう。
それでは、唐進駐軍が初めて日本国を占領したかというと、そうではなく、それ以前から日本は、近隣諸国からの来訪者で溢れていたのです。何のため。それは、近隣諸国のコロニーとしてです。古の日本は、翡翠(中国皇帝使用は大部分糸魚川の日本産)、砂鉄、銅、硫黄などの鉱物資源や繭、大麻の供給国であったのです。
しかし、七世紀から日本は変わったのです。中華思想、王化思想それと「日本書紀」(藤原鎌足の子、藤原不比等により七百二十年完成。)の三点セットにより、日本国に天皇と鬼(律令制にまつろわない者、つまり庶民)を誕生させたからです。
その戦術は、仏教(庶民の為ではなく貴族のための仏教。その仏教・大乗仏教は紀元一世紀にガンダーラ地方に忽然と現われました。その教えはブッダの教えであるかは甚だ疑問です。何故ならば、ブッダは弟子達に、自分の教えを上流階級のバラモン(司祭階級)が使っているサンスクリットで伝えることを禁じていたからです。では大乗仏教とは何か。大乗仏教の経典のひとつ法華経は、キリスト教(ローマキリスト教ではなく、エジプトのイクナトンからミトラス教の流れを教義とするシリア教会の教え。)の福音書の漢訳との説があります。大乗仏教はどうもシリアの商人達と深い関係があるようです。)を利用することです。これは、明治維新に国の指導者がキリスト者で固められたことと同じようです。
日本書紀では、廃仏派の物部氏と仏教推進派の蘇我氏とが争い、仏法のご加護で蘇我氏が勝利して、この国は仏教国(あの世のひとのための仏の国ではない。あの世のひとのための仏教の流れは、下層階級が使うパーリ語の経典を持つ南方仏教にあるらしい。大乗仏教派は、南方仏教を蔑視して小乗仏教と呼んでいる。)となった、としていますが、それは魔術のようです。物部氏と蘇我氏は新羅系の同族だからです。
日本に昔から住むひとたちのこころには、縄文時代からのアミニズムがあります。その考えは、すべてのものには神様が宿っているというのです。つまり、多神教(これが真のグローバリズムの基)です。それらの神々は、祟りの神です。それらの考えでは、ひとつの神(一神教・権力者)を認めることができません。他の神々に祟られるからです。
この考えを整理すると、あらゆる宗教・権力は受け入れるけれども、ひとつの宗教・権力に従うわけではない、ということです。つまり、現代の日本人の思考構造である、「総論賛成、各論反対」、「ものごとに決着をつけず曖昧にする」という基は、このアミニズム(多神教)にあるわけです。(二元論に基づく一神教はこの対極にある。そこから天国と地獄の世界が発明された。)
そのような思考構造を持っている国を統率するには、魔術が必要です。それが、日本書紀(確実な記録に基ずいているのは、全三十巻のうちの最期の二巻で、それは天武天皇の巻の下巻と持統天皇の巻)です。結論から言ってしまえば、それはヤコブの物語(イスラエルは簒奪者だということの言い訳物語)です。そうです、兄の家督を弟が騙しにより簒奪する、あの旧約聖書に出てくる物語です。
それでは、その兄弟は誰かといえば、天智天皇(百済系、海洋軍団、民族カラー赤)と天武天皇(新羅系、騎馬軍団、民族カラー白)です。日本書紀では、天智天皇が兄で、天武天皇が弟となっているようですが、それも魔術です。(兄弟で自分の娘達を交互に嫁にだしますか。)実際は兄弟ではなく異民族で、歳も逆なのです。
その魔術は、藤原氏(唐、民族カラー黒)が、天武天皇の家督を天智天皇(実は持統天皇が主役)に受け継がせるということです。そして、藤原氏が影で天皇家をコントロールする体制を作ることです。(藤原氏の呪縛は現代も生き続いています。)
藤原不比等の魔術が見抜けなかったのは、天武天皇(敵側)の命により日本書紀は編纂されたというトリックにひっかかっているからです。
この魔術のトリックが解ければ、この世の歴史の舞台裏を知ることができるでしょう。
魔術師の目で、日本の歴史を俯瞰してみれば、以下のようになるでしょう。
縄文時代後期に、黒潮に乗って倭人(小さくて醜いという人)が漂着し日本各地に部落国家を形成するわけです。その部落国家のひとつに九州に卑弥呼の邪馬台国があるわけです。と同時に、半島から進出した出雲族、吉備族などが、畿内の大和に連合国家「大和国」を成立させるわけです。
しかし、そこで問題が生ずるのです。卑弥呼が、畿内の大和国の王と偽り、魏の国に使者を出してしまうのです。何のため。それは、朝貢の見返りの財宝のため。
それでは、「魏志倭人伝」の記述では、邪馬台国が九州では距離が合わないではないか、と思うでしょう。その答えは距離の表示法にあります。それは邪馬台国を特定できないように、「帯方郡」から「不弥国」までを里数で示し、「不弥国」から「邪馬台国」までを日数で示したトリックなわけです。
魏の国は、異民族連合国家を治める技術(魔術)として、皇帝は徳があるため、遠い立派な国からわざわざ使者を遣わして来た、と国内宣伝する必要があるのです。そのための三千字ほどの文書(宣伝コピー)が、「魏志倭人伝」であったわけです。
魏としては、邪馬台国が九州であろうと畿内にあろうと知ったことではないのです。中華思想の魏国では、魏国以外は夷の国だからです。
この魏志倭人伝のトリックは、江戸時代の粋な人達には分かっていて、「ヤマトの祭り」と洒落のめしていたらしいのです。そのこころは、大和(奈良)には海がない、海がないから鯛(ヤマタイのタイにひっかけた)がない、祭礼にはタイがつきものだが、大和の祭りじゃそうもいかない。だから、格好がつかない。メチャクチャだ。台(タイ)なしだ。
さらに、「旧唐書東夷伝・倭国日本」(887〜946)には、初めて「日本」という国名が明記され、「倭国はいにしえの倭奴国なり。(略)日本国は倭国の別種なり、その国、日辺に在るをもって、ゆえに日本をもって名とす。」とあるわけです。
そのようにトリックの答えが分っているにもかかわらず、邪馬台国「九州説・畿内説」の無意味な論争が今も続いているわけです。その原因は、藤原不比等が日本国を支配するために、「日本書紀」を使い、天皇が昔から「日本国」に君臨していた証拠として、異民族の神々を無理に系列化してしまったからです。
邪馬台国の女王卑弥呼は「鬼道に事え」と魏志倭人伝にあるように、魏では、倭国を蔑視していたわけです。それでは、どのような神かといえば、海人族のワダツミである倭人は、天空より海上を照らし、航海の無事を祈るニャンマ神女「アマテル神」(天照神・海照神)であったわけです。
日本書紀を武器に、藤原氏系国家は、奈良に大仏開眼(752)するわけですが、推古天皇即位(592)からの百六十年の間に、なぜそれほどの莫大な財政および文化的大飛躍をなしえたのでしょうか。そこのところは、なぜか学校歴史には明確に記述されていません。さりげなく秦びと(弓月君)が、百二十八の県の民をひきつれ、百済から帰化したと述べているだけです。それは、秦びと(ペルシャ人や西域人)が、日本での養蚕事業開発のための機織奴隷を西域から連れてきたとは言えなかったのでしょう。
低開発国日本に、その富と異民族文化をもたらしたのは、絹商人のペルシャ人達(西域地方の人達)です。それから千数百年後、絹貿易は、明治維新で復活し、東インド会社(イギリス)と結託したことにより、その貿易で得た莫大な資金を基に、新生日本国は先進諸国と軍拡競争に突入していくわけです。(歴史は繰り返す。)
日本の国土は、養蚕事業に適していることを調査した、ペルシャ人達は、ポンビックス・モリという蚕の新種を日本にもたらし、日本国土を養蚕基地としたわけです。その養蚕基地の争奪戦が、日本の裏の歴史に流れているわけです。
その絹商人達の日本のヘッドオフィスが、京都の太秦寺(魔多羅神を祭る。秦氏の長者河勝が、弥勒菩薩を貰い受け建立したといわれています。そこに安置する未来仏の弥勒菩薩とは、ブッタの弟子の弥勒ということになっているようですが、「弥勒」とはサンスクリットの「マイトレイヤ」という発音を中国字に写したもののようですが、元来は、インドのバラモン経典(ヴェーダ)にででくるミトラ、つまりミトラス教のことです。)と言われています。
その太秦寺に出入りしているひとが、聖書(古代ペルシャ語で書かれたもの)を日本にもたらし、その日本語訳を柿野本人麻呂(亡命百済人、ペルシャ語を理解していたらしい。)が執筆中、藤原不比等の知るところとなり、天皇家の皇位継承戦略に利用するわけです。
藤原不比等は、旧約聖書(日本書紀と旧約聖書のテーマはソックリです。あたりまえですけどね。)を戦略書とみたのでしょう。それには大きくわけると二つの戦術が述べられています。ひとつは、王位の簒奪の方法。もうひとつは、自分達に都合よく作り変えた法律を後の人が改ざんすることの禁止方法です。皇位を簒奪し、「不改常典」の呪文で封印してしまえば、永遠にその魔術は生きつづけるわけです。(二十一世紀の今も)
そのような戦略で藤原系王国(黒組)は、百済亡命人(赤組)と新羅亡命人(白組)を配下に、日本を支配したわけですが、本国の唐が異民族に滅ぼされたのと時を同じくして、衰退し赤組軍隊に盗って変えられるのです。
藤原系は、莫大な資金を持ち、蔑みの言葉(海洋民族系の赤組を「阿呆」、騎馬民族系の白組を「馬鹿」)を残して日本の表社会から消えるのです。(秦氏一族は九州に隠棲し、明治維新で復活。)そして、後に残った赤組と白組を戦わせる(夷を以って夷を制す)わけです。赤組軍団(天智天皇系)との、天皇家争奪戦に負けた白組軍団(天武天皇系)は、静岡(賎しい人達の棲む異界という意味)以北へ追いやられるわけです。
日本の歴史のなかで、白組がこの世で活躍できたのは、源頼朝(白組の棲む武蔵国の武士団により挙兵)が天下を取った時、白組の矢野弾左衛門に警察権を与えられた時と、徳川家康(三河ではなく関東世良田の出身らしい。秀吉の陰謀で関東に追いやられる。しかし、そこは白組の世界であったので、勢力を増すことになる。江戸幕府を開く時、弾左衛門を浅草に招聘し、浅草弾左衛門とし警察権を与えた。明治維新では、九州の流れを汲むものが警察権を奪い今日に到っているらしい。)が天下を盗った時(三代将軍は黒組で、騎馬民族系をいじめる為に生類哀れみの法律を作り狩猟を禁止させた。)と、田中角栄氏(嫡民ではなく庶民に人気があったが、陰謀(夷を以って夷を制す)により失脚。新潟は白組のマイホーム・カマクラで、土木事業は白組の仕事)が総理大臣になった時ぐらいかもしれません。(この国の人的構造は「白地」に「赤く」の日本の国旗にヒントがあるようです。)
明治政府主導のローマキリスト教を基盤とする西欧物真似(天平の昔から物真似ですけれど)歴史の魔術にかかってしまった庶民は、藤原系国家成立時と同じように今現在も、庶民同士がいじめあい「バカ、アホウ」と罵り合い、黒組みの戦略に乗せられているわけです。
江戸時代の香りが残るまでは、「シロウトさん(白組・白徒)には手を出しちゃあいけない」ということが、アウトローの世界には残っていたのは、アウトローの人達(平安時代は、朝廷に従わない人達を「悪党」と呼んでいた。)は、「何処の馬の骨かも分らない」虐げられた同族(白組)の人達を庇っていたわけです。
赤組白組の庶民は庶民同士いじめあうのではなく、助け合うことです。それなくしては、何時までも庶民のままです。(赤組白組それぞれ言い分はあっても「それを言っちゃあおしまいだょ。」の映画寅さんのトラブルの時使うセリフは、庶民同士のいじめ解決の方法のヒントを表現しているのかもしれません。)
そのように、今のいじめの根本は、「日本書紀」を利用した人達にあるわけですから、もう一度、日本の国家成立の歴史を「負組みの目」で見直してみるのも、いじめをなくすひとつの方法かもしれません。貴種、賎種といったところで、所詮日本へ亡命して来た身なのですから。
それでは、何故「虚構の世界」にひとびとが暮らしていることに疑問を持たないかを、魔術師の目で覗いてみることにしましょう。
 
誰にもある潜在信仰心     
 
 
 
ひとは同時にふたつのことをすることはできないようです。更に、以前も述べたと思いますが、ひとは誰かに「ハンマー」を持たせられると、出っ張ったクギを見つけると打ち付け、その逆に「クギ抜き」を持たせられると、クギを抜きにかかる宿命のようなものを持っているようです。
この「ハンマー」や「クギ抜き」を、「ある思想」に置き換えてみると、ひとの基本行動を知ることができるかもしれません。
前節で、魔術師の目から日本の歴史を別の角度から考えたわけですが、理解できましたか。理解できないひとも多くいることと思いますが、それでは「真実の歴史」とは何なのでしょうか。
「歴史」とは、過去にあった「事実」だと考えるのが普通でしょう。それも、昔から語継がれた物語(それは多分、負組の歴史で、直接法ではなく、何かの物語に隠すことが多い。「かぐや姫」の物語は藤原不比等の専横をオチョクル物語。)ではなく、立派な書籍に書かれていればなお更でしょう。
しかし、そう考えては「誰かさん」の思う壷です。それでは「過去にあった事実」というものの正体はなにかと問いただすと、その答えがクリアカットに理解できないのが普通のようです。
何故ならば、自分の都合の良い歴史を創作する場合、実際の人物(実際の聖徳太子と歴史上の聖徳太子は別のようです。西域国の皇子タルトウの日本における事跡を実際の聖徳太子にダブラセているらしい。何のため。大乗仏教の宣伝の為。)、実際の出来事(大化の改新が実際にあったかは疑問です。小規模の争そいごとはあったらしいのですが。ではなんのためその様な虚構を創作したのか。それは、藤原不比等が父である中臣鎌足を表の歴史に登場させるため。)をベースにしていることが多いからです。
歴史とは、角度を替えてみれば、全く逆の世界が現われることもあるのです。つまり、ひとによって考え方や立場が異なるので、色々な歴史書で研究し「過去の事実はこうだった。」と語ったところで、意見の統一などできるわけがないのです。
ですから、負組はクチコミ以外コミニュケーションの手段である媒体を利用することができないため、この世にある歴史書は、勝組に不利な内容の歴史書は焚書されてしまうため、後に残るのは「勝組」のメッセージとなってしまうのです。
では、負組は、ただ黙っていたかと言うとそうではなく、マイナーな手段である「わらべ歌」などで対抗したわけです。そのわらべ歌で、直接メッセージを述べると勝組に反撃されてしまいますから、暗号のように直接には意味が分らないように工夫するわけです。
ですから、わらべ歌を解読するには、暗号解読の基礎知識が必要です。
暗号解読には、大きくふたつの方法に分けられます。ひとつは、「コード式」、もうひとつは「サイファー式」です。
コード式とは、ある言葉を違う言葉で置き換える方法です。例えば、錬金術師が、銅を金星、鉛を土星、鉄を火星というように、或いはある物質を熱して気化させることを鳥を飛立たせるというふうに、違う言葉に置き換えることです。(科学時代の現在でも、錬金術の子供である「化学」は、亀の子(ヘキサコン)やFeゃMgなどの化学記号をコードとして使用しています。)
サイファー式とは、文字や言葉の配列順序を替える方法です。文字を逆から綴ったり(音楽業界人がジャズのことをズージァと言うようなこと。)あるいは、文章と文章との間に無意味な文章を挿入したりする方法です。
例えば、昔から不思議なわらべ歌と言われている「カゴメの歌」をコード式とサイファー式とで解読すると、次のように解釈することができるかもしれません。
鳥を天皇、鶴を騎馬系の白組、亀を海洋系の赤組とし、籠を国、夜明の晩にを年がら年中、つうべったを争っている、後ろの正面は実際の人物とし、それは「カゴメ」を秦氏、と解読できます。つまり、「この国で、白組と赤組が天皇争奪戦を年がら年中しているが、それを影でコントロールしているのは秦氏だよ。」ということです。
ものごとには、表の意味と裏の意味があります。世間にも表と裏があります。思想にも表と裏があります。宗教にも表(顕教)と裏(密教)があります。もしも、この世に勝者も敗者もなければ、表も裏も区別がないわけですが、現実にはそうではありません。
それは、ひとが意志(ものごとをひきつけようとする力のこと。)という欲をもったことが原因です。意志という概念ができるためには、その中心が必要です。それが、「わたし」という認識です。もしも、わたしということを意識しなければ、自己と他者とを区別することもなかったでしょう。区別は差別の基です。さらに、ものの所有に対しても、無頓着でいられたわけです。意志による所有欲は、争いの基です。
さらに、勝者と敗者をつくる原因のひとつに、思想があります。その思想も、民族という虚構に裏打ちされたものであった場合は、火種になる可能性があります。それがさらに、神の国の民などという「選民思想」の虚構となれば最悪です。
選民思想は、一神教を基に内なる結束には多大な効果を発揮しますが、外なるものに対しては差別の根源となります。
前節では、日本の差別の原因のひとつとして日本書紀の魔術的見方を考えました。そこで、この節では、世界での民族差別の原因のひとつ、日本書紀の種本と思われる旧約聖書について、考えてみることにしましょう。
旧約聖書といえば、宗教に興味がないひとでも、その名前は知っていることでしょう。そして、世界で一番旧い「聖なる書物」であると思っていることでしょう。
ひとは悩み事に直面すると、何かに頼ろうとする傾向があるようです。そのひとつに宗教があります。そのようなひとは、生涯に一度は聖書を手にしたことと思います。そして、その聖書を熱心に読めば読むほど、内容について訳がわからなくなってきたことでしょう。旧約聖書を、タルムード(ヘブライ語の「教え」というような意味。)などの解説書の手がかりもなく素直に理解できた人は、天才の部類のひとです。
普通のひとは、その読書の途中で挫折する傾向があります。そこでひとは、ふたつの選択をするのです。ひとつは、その聖書を本棚の隅に追いやること、もうひとつは、この本は「なにかの謎」を含んでいるのではないかと考えることです。
その後者のひとりに、J.G.フレイザーがいます。彼は、聖書を熱心に読んでいるうちに、不思議なことに気付くのです。それは、「同じ物語が繰返し書かれている」、そして「主語が異なる二つの文章がある」、ということです。主語については、エロヒム(神)とヤハウェ(YHWH)の二つがあることです。
しかし、彼は暗号解読の知識がなかったか、あるいはその当時の社会情勢がそれを許さなかったのか、コード式やサイファー式を駆使しての物語内容の解読ではなく、その物語が世界で一番旧いかの方向で研究を始めるのです。そして、1918年5月26日にある本を恐る恐る出版するのです。それが「旧約聖書のフォークロア」です。
その本によりますと、世界中の民話に、聖書そっくりの物語、例えばノアの大洪水物語やバベルの塔の物語など、があるのです。それも、聖書が出版される以前からの旧い古い物語であるのです。どうも、彼は、聖書は各民族の民話の寄せ集めの物語を骨格として語られているのではないか、と考えたようです。
聖書を読んで何か不に落ちないと考えたのは、フレイザーだけではなかったのです。彼に先立つこと1753年、フランスの医師ジャン・アストリックが「もとの覚え書についての推測」という本を、キリスト者からの迫害を逃れるため密かに出版しいてるのです。
彼の疑問は、フレイザーの疑問と同じで、「同じ物語が繰返し出てくる」、そして「主語が二つある」、これはどういうことだ、と考えたわけです。そこで、かれは、聖書を書くにあたって、二つの資料があり、そのふたつの資料から、一つの文章にまとめあげる作業をしているうちに、作業者が、ふたつの資料に関する覚書を、そのまま、くりかえして挿入するという、手違いを起してしまったのではないか、と考えたわけです。それをまとめたのが、その本であったわけです。
その本が出版された時代は、啓蒙時代と言われ、貴族に有利、庶民に不利の権力としてのローマキリスト教(ローマキリスト教はその成立が謎だらけです。「油をそそがれた者」の意味の「メシヤ」をギリシャ語に訳すと「クリストス」となります。これが日本に輸入されると「キリスト」になるわけです。ユダヤ教の分派ナザレびとのイエス派がキリスト教であり、イエスをキリスト「メシア」と受け入れることは、すなわちユダヤ人のローマ打倒運動に加わることを意味しているわけです。それがどういうことで、反ローマが本質のキリスト教が、392年になってローマの国教となって、そのローマキリスト教が、ヨーロッパに根をおろしていた太陽神信仰のミトラス教を絶滅させたのかは、表の歴史書には説明がありません。さらに、ミトラス教の祭祀日の12月25日が、その日に生まれたのではないキリストの誕生日になったのかも説明されていません。)の呪縛からの黎明期であったわけです。その本が基になり、暗号解読の知識がある人達が、聖書を研究し、聖書批判学を発達させていくわけです。
そのような表の研究に対して、カバラ(本来は、ヘブライ語の伝承、言伝えという意味。)など裏の謎解きの研究も行なわれていくわけです。
その裏の研究の合言葉は、「666」です。
あるものの謎を解こうとする場合、その謎を解明しようとする動機が、その方向性を決定する傾向があるようです。
この場合の動機は、巷の陰謀論やノストラダムスのように未来の出来事を知ろうとするのではなく、旧約聖書には「ある瞑想法」が封印されているのではないか、そして、その瞑想法を習得できれば世界の争いごとがなくなるのではないか、ということです。
ある聖書研究者によれば、旧約聖書は、本当は今のものよりもずっとずっと短い物語であって、後から来た人達に都合よくするために何回か書き直されたり、文章を書き加えたりして成立したということです。
それでは、その瞑想法は何処に書かれてあるのでしょうか。
そこで、困ったことには、旧約聖書は複数あることです。ユダヤ教公認は二十四冊、カトリック教公認は四十六冊、そしてプロテスタント公認は三十九冊です。
瞑想法の奥義を探す入口で、この二つの問題、いったいどのテキストを選べばよいのかと、果たして最初に書かれたものは、途中で誰かに改ざんされてはいないか、ということです。
しかし、このことは聖書批判学者達の研究で解決したのです。それは、モーセの五書と言われる、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、そして申命記は、そんなに古い時代に書かれたのではなく、紀元前五世紀あたりだということです。ですから、その異なる冊数の中には、共通してモーセの五書があるのです。そして、研究者によれば、その奥義は、その五書に封印されていると言うのです。
それでは、そのモーセの五書が創作された時代背景はどのようだったかを見ると、その紀元前五世紀前後の時代は人類の叡智の華咲く頃であったわけです。拝火教の教祖ゾロアスター、中国の思想家老子、ギリシャのピタゴラス、インドの仏教開祖のシャカ、ソクラテス、ギリシャの哲学者ターレス等々、ダーウインの生物進化論(脳も生物の一部と考えれば)を逆行するように、偉人賢人のオンパレードです。
現在の科学、化学そして哲学の基本は、その紀元前五世紀前後に確立されている、といっても過言ではないでしょう。
ひとの脳細胞は、その時代と現在とでもそれ程の変化はないでしょう。しかし、ダーウインの進化論からすれば、生物の系は時代の流れとともに複雑化していくわけですが、今現在のひとの脳の働きは紀元前五世紀に比べて進化していると思えますか。
そこで、ひとつの仮説を述べれば、それらの時代の一部の人達は、脳を活性化する奥義を身につけていたのかもしれません。ピタゴラスの定理で有名なターレスの孫弟子のピタゴラスなどは、自分等の秘儀が外部にもれないようピタゴラス教団を組織していたのは有名な話です。
さて、それでは先輩達の研究成果を基に、旧約聖書に封印されている瞑想の奥義を解いていくことにしましょう。
暗号解読の手法のひとつであるサイファー式によりますと、まず、鍵言葉を捜し出し、その鍵言葉により、本文と埋草(どうでもよい文章のこと。)を分け、そして抽出した文章を逆から読んでいくことです。
そして、サイファー式によれば、鍵言葉は、最初か終わりにある、ということです。
それでは、鍵言葉は、旧約聖書の最初の創世記か最後のマラキ書かにあるかというと、そうではないようです。そこで、旧約聖書から新約聖書までを研究した人達の成果によると、どうもナザレ派のイエスは、その奥義を解読し、それを弟子に秘密裏に伝えていたらしいのです。
そこで、新約聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」(ローマキリスト教が強引に新約聖書に組入れた。この書を認めない派もあります。)をみてみますと、不思議な言葉に多く出会うでしょう。
この黙示録とは、「イエス・キリストの黙示」の出だしからとったもですが、「黙示」の本来の意味は「覆いをとりのける」ということです。それが、「イエス・キリストの黙示」という出だしにより、どういう訳か「神様のおつげ」と誤解されたり、甚だしいのは、「この世の終わりの神の審きの日のありさまを告げる」との意味に曲解されているようです。
魔術師的解釈をすれば、その「ヨハネの黙示録」の出だしの言葉は、「さあ、イエス派により、邪悪な試みの覆いを取除けるぞ」、となるわけです。
その意気込みは、第二章に次のように記載してあります。
初めであり、終わりである者、死んだことがあるが生き返った者が、次のように言われる。(略)また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人ではなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
黙示録がこの世に現れた二世紀頃から、聖書研究家を悩ませたもののひとつに「666」の謎があります。それでは、その数字は何を意味しているのでしょうか。
第十三章十八節に
ここに、知恵が必要である、思慮あるものは、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
その666を研究した人が、エズラ記の第二章十三節に「アドニカムの子孫は六百六十六人」の言葉を見つけるのですが、どういう意味が分らなかったのです。
さらに研究が進むと、さらに訳がわからなくなっていくのです。次のネヘミヤ記の第七章七節には、「アドニカムの子孫は六百六十七人」となっているのです。
そこで、研究者はエズラ記とネヘミヤ記がそれぞれ引揚者の人数を長々記述し、しかも、その人数がその二つの書では食い違っているのかを調べ、666の謎に挑戦するわけです。その結果、人数の食い違いによりあることを暗示しているのではないかと考たひとがいて、ギリシャ文字による数字の表現方法を「666」に当てはめるのです。それは、Aは1、Rは100、Nは50、Oは70、Uは400、Mは40、そしてEは5とし、「ARNOUME」という言葉を探りあてるのです。その合計は「666」です。そして、その「ARNOUME」とは、「否定する」という意味です。つまり、「アドニカムの子孫は六百六十六」は、アドニカムとは、ヘブライ語で「主はよみがえる」とかの意味とすると、「アドナイ(主)を認めない」ということになるわけです。
そこで、聖書批判学の種を蒔いたジャン・アストリックの疑問に立ち返ってみると、モーセの五書には「なぜ二つの異なる文章があるのか」という疑問がひとつ解決するわけです。
つまり、エロヒム(神)とヤハウェ(YHWH・アドナイ・主)と二つある文章のひとつ、「主」と書かれてある文章を「否定せよ」ということです。
封印を解くひとつは、「神」と書かれてある文章を残し、あとの文章は「埋草」であるから飛ばして読め、ということになるわけです。
ではさらに、その奥義は、モーセの五書のどこにあるのかを、先輩達の研究成果を基に考えてみましょう。
十九世紀中ごろ、K・H・グラーフという学者が、モーセの五書を書いた人々の順序を結論づけました。最初にヤハウィスト(主)、次にエロヒスト(神)、第三が申命典記者、そして最後が祭祀的記者が書いたことを証明してしまったのでした。
聖書批判学者達の研究によれば、モーセの五書の原型である最初のヤハウィストが文書により成文化したのは、どんなに古く見積もっても、せいぜいソロモン王の時代の紀元前八百五十年以降が定説のようです。つまり、イスラエル王国(エロヒスト派)とユダ王国(ソロモン派、ヤハウェ派、サドカイ派、モーセ派)の分裂後ということです。
そこで書かれたことは、ユダ国王のソロモンはヤコブであることの打ち消しのためのレトリックであるわけです。つまり、創世記にある「ヤコブ」が神とすもうを取って、勝った褒美に「イスラエル」となったことにより、ソロモンをヤコブと非難することは、イスラエルを冒涜することになる、との魔術を使ったわけです。
時代が下って、紀元前七二二年イスラエル王国が滅亡してから百年後モーセの五冊目の申命記の基になった書が偶然ヨシヤによって発見されるわけです。(旧約聖書の部品は偶然発見されるのが常のようです。)
そして、紀元前五八六年に、ユダ王国はバビロニア帝国のネブカドネザル王によって滅ぼされるのです。捕囚から約六十年後故郷に帰ったユダ王国の元地主達は、空白の時代に外からやって来た貧しい先住民を追い払う魔術を考え出すのです。それが「ヨベルの年」です。
つまり、エズラという人物が紀元前四四四年にバビロニヤからやってきて、「ユダヤ民族には、こういう事件をどう処理するかという律法が、大昔から制定されているのだ。それも人間が勝手に決めたものではなく、主が、われわれの先祖のモーセに語って、書きのこさせたものだ」と称して分厚い書物を先住民につきつけるわけです。それが、今日の旧約聖書の中のモーセの五書であるわけです。
では、聖書批判学者達は、そのモーセの五書をどのように見ていたのでしょうか。
彼等は、モーセの五書の中でも、出エジプト記の後半の部分、レビ記のほとんど全部、それに民数記の大部分、つまり、モーセの五書の三分の一は、バビロニア捕囚時代か、あるいはそれ以降に、レビ出身のアロンの子孫、祭祀ザドクの血統をひく人達により創作されたと明らかにしたのです。
そこで、気になるダニエル書の言葉を思い出すのです。
第七章の「聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。」と、第十二章の「永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時と、ふた時と、半時である。」という言葉です。
この言葉は何を意味しているのか、鍵言葉のあった「ヨハネの黙示録」を調べてみると、四十二ヶ月と千二百六十日という言葉を繰り返して使っているのが分るでしょう。それらを「年数」に直すと、一年と、二年と、半年と解読できるでしょう。
このダニエル書とヨハネの黙示録の、一と、二と、半分は、いったい何を暗示しているのでしょうか。
ヨハネの黙示録の第十三章五節に、
この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二ヶ月のあいだ活動する権威が与えられた。
とあることは、一体なにを暗示しているのでしょうか。
そこである聖書批判学者が、「一年と、二年と、半年」を、コード式とサイファー式での謎解きを考えるのです。
その方法とは、モーセの五書の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記そして申命記を、サイファー式に順序を逆にし、さらに、コード式で「年」を「書」に置き換えたのです。
つまり、「一年と、二年と、半年」を一書と、二書と、半書とすると、「申命記、レビ記と民数記、そして出エジプト記の後半分」となるわけです。
それではその書等はどのような構成で創作されているかと言えば、それは、「神」ではなく「主」(ザドク派の文章)で語られているわけです。ということは、前述したように、それらの書等は、「埋草」なのだから飛ばして読めといっても、「神」の文章がないわけですから、その三冊半は無視しなさい、ということになるわけです。
それでは、一と、二と、半分の後に、何が現われるというのでしょうか。
ヨハネの黙示録の第十一章十一節に、
三日半(三冊半)の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、かれらが立ち上がったので、それを見た人々(ザドク派)は非常な恐怖心に襲われた。
さらに、十一章十九節に、
そして、天にある神の聖所が開け、聖所の中に契約の箱が見えた。
さらに、第二十一章三節に、
また、御座から大きな声がさけぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共ににあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐっいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」
となり、同章二十二節に、
わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と子羊とが、その聖所なのである。
そして、同章十三節に、
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである。
と、黙示録でヨハネ(十二使徒のヨハネとは別人)は、謎かけしているわけです。
以上のことを、魔術師的に要約すると次のようになるでしょう。
出エジプト記の前半分から創世記へと逆に、「主」で書かれている文章を飛ばし、「神」で書かれている文章を「想念」していけば、いのちの息が体内に入り、永遠のいのちを得る奥義を知ることができ、そのことによりこころの問題が解決するのである。
何故ならば、こころの問題を解決する所は、立派な伽藍にではなく、ひとのこころに聖所があるからである。そして、そこへ到達するためには、瞑想法によりモーセの五書の最初の部分の神の言葉「光あれ」の状態に到達することである。
それでは、旧約聖書に封印されている、その聖所に到達するための瞑想法テクニックを考えてみることにしましょう。
その前に、サイファー式の謎解きを再点検しましょう。
サイファー式の謎解きは、コード式と異なり、各自の知恵の深さ、及びその動機により、答えが異なります。
コード式ならば、百人いれば百人とも同じ謎解きとなるわけです。例えば、化学式を文章に直すと、百人とも同じ文章とならなければ正解ではないのです。
しかし、サイファー式ですと、たとえ本文と埋草とを分けれたとしても、その本文がそのままの意味か、或いは逆の意味かを吟味する必要があるわけです。ここで解釈の違いが出ます。
更に、本文があるとしても、埋草で同じ文章を掲載することで否定することもできるわけです。例えば、ノアの箱舟の物語には、「神」の文章と「主」の文章が同じものが多数あります。そのように複雑に封印したからこそ、敵側(ザドク派)の書物の中に守られて「瞑想の奥義」は今まで生き延びられたのでしょう。
その旧約聖書に瞑想の奥義を封印したひとは、その瞑想法を後世のひとが会得することにより、旧約聖書のトリックが理解できるようにと画策したのでしょう。確かに、そのように精神的に覚醒した後で、ヨハネの黙示録を再読すると、今までとは異なる解釈ができるはずです。
それでは、本題の瞑想の奥義へ入ることにしましょう。
瞑想の出発点は、出エジプト記の、モーセがイスラエルの民をエジプトから脱出させるところからです。
その前に、モーセについて考えておく必要があるでしょう。モーセの生い立ちは、パピルスの籠に入れられ、葦の中に置かれたのを、ファラオの王女が拾い上げた、と言う物語は、メソポタミアのサルゴン王(B.C2350-2300)の生い立ちのコピーであることは、「旧約聖書のフォークロア」に詳しく書かれているとおりです。それでは、モーセは架空の人物かというと、そうではなく、モーセとは古代エジプト語で「子供」という意味だそうです。例えば、トトメスとは、「トトという神の子」のように考えれば、「太陽神の子」はラー・モーセとなるわけです。
ということは、瞑想の奥義の出発点以後の律法を述べまくるモーセは、イスラエルの民をエジプトから導いたモーセではなく、「ヤコブっている」のかもしれません。
 
瞑想法の要点を以下に述べます。
瞑想奥義その1、物質的・享楽的な世界から離脱せよ。
エジプトからの脱出は、奴隷状態からの解放ではありません。そのことは、第十六章三節に「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。」とあるとおりです。
 
瞑想奥義その2、こころから憎んでいるひとを許し、そのひとが困っている時、施しをしなさい。
ヨセフの物語では、憎んでいるひとをこころから許し、且つその憎むべきひとが困っている時、救いの手を差し伸べています。この境地に到達するには、並々ならぬこころのコントロールが必要でしょう。
 
瞑想奥義その3、肉食をやめなさい。
ノアの箱舟の物語は、1872年12月3日の聖書考古学会でジョージ・スミスの発表した、シュメール人の伝説「ギルガメシュの叙事詩」のコピーでしょう。しかし、そのギルガメシュの物語構成は、ノアの箱舟の物語と異なり、主人公ウト=ナピシュティムは神々の仲間となるのです。ノアの箱舟の物語は、封印が二重三重になっているため、サイファー式謎解きのフル回転が必要です。
 
瞑想奥義その4、日常生活を遮断する場所を設けなさい。
瞑想をするための場所を整えることです。聖書では、パラダイス「エデンの園」となっている所です。しかし、パラダイスの本来の意味は、古代ペルシャ語のパイリディザが語源だそうで、その意味は、城壁などで囲まれた場所のことです。ちなみに、「エデン」とはシュメール語で、原野とか荒野という意味だそうです。つまり、「エデンの園」とは、荒野にある(日常とは掛け離れている)聖域の意味です。
 
瞑想奥義その5、断食をしなさい。
創世記第二章二節に、「そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。」とあることは、サドカイ派が言うところの「安息日」の由来ではありません。その証拠に、第二章四節に、「これが天地創造の由来である。」とあるからです。(この「安息日」の魔術については、次節で述べます。)すべての作業とは、「奥義の1から4」までのことです。その作業が整ったら、瞑想に入る七日前から断食に入ることです。
 
瞑想奥義その6、あなたの現在から過去まで遡る想念をしなさい。
聖書の逆を辿り、人、獣、鳥、魚、星、月、太陽の順に想念し、最後に「光」に到達させるのですが、その「光」とは何なのでしょうか。一般的には、その光は「太陽」だと思っているひともいるようですが、太陽は四日目に創造されているのです。そこで、モーセの五書が創作された紀元前五世紀前後を調べてみると、ピタゴラス教団は、火の玉地動説の奥義を唱えていたらしいのです。その説によれば、天体は大きな火の玉の周りを廻っているのだということです。このことを、現在の天文学で説明すれば、150億年前の「ビッグバン」ということかもしれません。
もしそうだとすれば、その「光」のなかに突入できれば、「物質」と「精神」の融合が可能となるわけです。さらにその先は「無」或いは「空」となり、ヨハネの黙示録の第二十一章三章四章に、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人とともにいまして、人の目から涙を全く拭い取って下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びもない。」境地に入れるわけです。それが、つまり、「わたしはアルパであり、オメガである。」ことになるわけです。
 
以上長々と宗教ぽい話しをしてしまいましたが、言わんとすることは、宗教は虚構の世界であるということです。その虚構も庶民のこころを癒すものであるならば、認めることもできるでしょう。しかし、立派な伽藍を作ったり、立派な法衣を着て庶民を惑わすならば、認めるわけにはいけません。
そもそも、信仰心とは、宗教家により創られたものではなく、生命を慈しむ自然信仰心を利用して、宗教が創られたのです。つまり、縄文的こころである、自然全てに神が宿っているのが本来なのです。(ひとは一神教の神が創ったのではなく、ひとも自然の一部なのです。)
縄文のこころからすれば、一神教は虚構です。相手の神を許すことが宿命的(理論的)にできないからです。つまり、自分側が「天国」であれば、相手側は「地獄」となるからです。あるいは、自分が「神」であれば、相手は「悪魔」となるからです。相手をこころから許すことは、一神教にはできないのです。もし、許してしまえば、一神教は理論的に成立たないからです。
あなたが無宗教であっても、プロカメラマン、それもフォトジャーナリストを目指すのであれば、日本書紀、旧約聖書の虚構性を研究しておく必要があるでしょう。なぜならば、それらは、使われ方により「差別」の武器となるからです。
それではどうして、ひとは、虚構の世界に疑問も持たず、洗脳されてしまうのかを次に考えてみましょう。
 
 
ひとは主を求めて群れをつくる     
 
 
 
ひとは、どのようにして「時」を知ったのでしょうか。
大昔のエジプトでは、ナイル川が定期的に氾濫することに不思議を知ったひとがいて、日の出と一緒に東の空にシリウスが昇って数日すると、洪水が来ることを突き止めました。それが1年であることを知り、そして、太陽が365回昇ることで、1年が365日であることを知ったのです。
さらに時代が下って、バビロニアでは、夕方西の空に、極細い月が見え出すと、それが新しい月の始まりとしたのでした。それはおおよそ30日で、そして、満月が15日目にくることも知ったのです。
大昔の中東での生活リズムは、1年、30日、15日を基本としていたようです。
前節で、モーセの五書の封印のひとつを解いたのですが、誰でも暗号解読の基礎知識があれば解けるようなことが、どうして紀元二世紀から今まで出来なかったのでしょうか。
それは、「セット」としての仕掛け(モーセの五書)がズサンでも、それをカバーする「セッティング」が完璧だったからでしょう。
そのセッティングとは、「安息日の制度」のことです。
安息日とは、六日働いて、七日目に休む、それも食事のための煮炊きもしてはいけないという制度のことです。
それでは、その制度とはいったい何時、何処で制定されたのかと問えば、大抵のひとは、「旧約の天地創造のところに書かれている。」とか「モーセがシナイ山で主から告げられた十戒の中にあるから。」とか言うでしょう。
しかし、暗号の謎解きを知ったひとには、それが答えにならないことは明らかでしょう。それでは、安息日は何時頃からの制度かといえば、聖書批判学者によれば、捕囚時代かそれ以後であることが定説のようです。
その根拠として、ヘブライ語のシャツパース(英語ではSabbath)という言葉の基は、バビロニア語のサツバスあるいはサツバツで、その意味は、毎月の「15日目」ということです。旧約聖書の列王記、ホセア書、アモス書、イザヤ書、エゼキエル書などには、「一日と安息日」あるいは「新月と安息日」と、一対になった言葉で出ています。
このことは、その当時の捕囚以前のヘブライ語のシャツバースでも、七日目ごとの安息日ではなく、「15日目」とか、あるいは「満月」を意味していたことを示しています。
それに反論して、七日目ごとの安息日であることが旧約に書かれている、と言っても、それは、後のひと(ザドク派)がその言葉を後から挿入したことは、聖書批判学者が証明しています。
紀元前六世紀頃になると、バビロニアでは、上弦の月と下弦の月も生活のリズムに取り入れたらしいのです。しかし、それは七日目だけではなく、六日目とか八日目とか一定していなかったらしいのです。
紀元前六世紀といえば、丁度捕囚時代と重なり合います。そして、紀元前五世紀頃に例のモーセの五書が創作されるわけです。
ひとがあるイメージを記憶し、その記憶によりこころにイメージ世界(虚構の世界)を創るには、どのようなタイミングで任意の情報を流せばよいかを、研究したひと達がいました。
そのひと達とは、現代の魔術師のアドマン(広告屋)です。
広告とは、別表現で宣伝とも言われています。宣伝とは、プロパガンダの日本語訳で、その基は、宗教用語で、プロテスタントが、キリストの世界を布教活動することに対して、カソリック側が揶揄して発した言葉です。
多分に嘘っぽい意味合いを含む「宣伝」とは、ひとびとに任意のイメージ世界を吹聴することにより、物やサービスの購買を促進する手段であるわけです。
その手段とは、言葉を道具としておこなわれます。その言葉とは、その時代、時代に合わせて「発明」していくわけです。
その宣伝手段の発明のひとつに、「忘却曲線」というものがあります。(広告業界の世界は、クライアントを惑わすために、色々な造語を発明します。嘘だと思うのなら、今流行りの広告業界用語を、二三年前に発行された広告用語辞典で調べてみるとよいでしょう。多分、そこには目的の言葉は見つからないでしょう。)
ひとが、あるイメージを記憶するには、定期的な情報提供が必要です。だからといって、同じ情報を朝から晩まで流し続ければよいというものではありません。かえって、過剰の情報は、記憶から排除されてしまいます。
そこでアドマンは、その「忘却曲線」の魔術で、クライアントに、虚構世界の維持のために、広告の露出計画を提出するわけです。その方法とは、広告のイメージが記憶から消えかかる寸前に、任意の情報を流せば、記憶が維持することができ販売促進に効果がある、と企画書で説得するわけです。
その記憶を維持するリズムに、「七日のリズム」があります。
昔のテレビ番組の司会者が、その番組の冒頭で、「一週間のご無沙汰です。」と言っていたことは、中高年のひとには記憶に残っているかもしれません。その言葉を聞くことにより、一週間のブランクは消えてしまうのでした。七日目は、記憶の忘却の限界のひとつであるようです。
さらに、ひとに任意のイメージを記憶・保持させるには、毎日ではないほうがよい、ということは、「レミニセンス」の現象について知っているひとには、説明の必要がないでしょう。記憶の再生は、一定期間後のほうが、効果があるからです。
ここまで述べれば、何を言わんとしているか想像できるでしょう。
安息日の設定とは、正に「律法」の記憶・保持には最適な制度であったわけです。一週間ごとに、集会所に集まり、説教師から定期的に情報を提供されていたら、それは記憶に残り、イメージ世界はこころに刷り込まれてしまうわけです。(別の表現では、「ハンマー」を持たされる。)
その布教テクニックを真似て、キリスト教も七日目毎に集会(ミサとはラテン語で「解散」を意味しています。宗教家達は、迷えるひつじ達を解散させた後に何を行なっていたのでしょうか。)を行なってきた為に、その宗教を布教された地域はその思想に感染して、「七日目の休日」が世界に広がっていったわけです。
そこで、また疑問が生じるのです。ひとは、理論として納得できなくても、何故イメージ世界(虚構の世界)に引き込まれてしまうのでしょうか。
その疑問に対する答えのひとつとして、アドマン達の必読書にヒントを見つけることができるかもしれません。
その本とは、謎の人物ルドルフ・ヘスの代作だと言われている「わが闘争」です。
広告業界のひと、それも広告戦略を考え出す広告プランナーの多くの人達は、「わが闘争」を読んでいるようです。
それは、広告が大衆の情動をコントロールすることがその基本であるならば、その具体的方法論が「わが闘争」に述べられているからです。
その「わが闘争」の著者と言われているヒットラーの出現を調べると、世間の舞台はどのようにして創作されていくのかのサンプルとなるでしょう。(ここではヒットラーの業績についての評価はいたしません。あくまでも世間という舞台装置、つまり「セッティング」について述べることにします。)
魔術を宣伝の有力な方法論のひとつであるとするならば、そのサンプルは歴史上に簡単に見つけることができるでしょう。
現代の宣伝広告論に多大な影響を与えた人物のひとりとして、ナチス・ドイツの宣伝担当者ゲッペルス博士を挙げることができるでしょう。彼は、巧みにひとの心理を突き、ドイツ民衆に魔法社会主義のイメージを刷り込み、短期間ではありますが、何千万のひとびとをその舞台で演技させたのです。
その魔法社会主義の首謀者とされてしまった人に、ヒットラーがいます。
ナチス・ドイツは、勝組のマスコミ操作により、一般的に狂気のひと、ヒットラーひとりにより先導された、狂気集団のイメージを創作されてしまっていることは事実のようです。
しかし、彼は本当にただの狂気の人で、彼ひとりだけにより、そのような行動をおこしてしまったのでしょうか。もし、彼が本当の狂気の人であるならば、何千万の人々もその仲間でなくてはならないでしょう。ここのところに、その当時の世間という舞台装置を創作したひとの隠された意図がみられるのです。それは、丁度、虚構の宗教である一神教の出現とダブルように。
アドルフ・ヒットラーは、1889年4月20日、ザルツブルグのブラウナウ・アム・インで生を受けました。彼が多感な画学生の時、一発の凶弾により勃発した第一次世界大戦(1914年〜1918年)に敗れたドイツ帝国は、ワイマール憲法の下に、ドイツ共和国になりました。敗戦のため莫大な賠償金を迫られた政府と同様、ドイツ民衆の生活は、貧困と飢餓のため、動揺していました。そのような状態にドイツ民衆がいることは、ドイツ共和国に、思想改革の下地が出来つつあることを意味していました。(メシアの待望)
そのように世間があるということは、民衆は、救いを求めて、現実の世界を否定する思想を受け入れやすくなっているわけです。その時期に、民衆の前に現われたのが、ハンス・ホルビガー博士です。(ヨシアの出現)
1860年にオーストリア・アルプスのチロル地方の名門生まれの彼の学説は、宇宙は善と悪との闘いであるというゾロアスター教のアイデアに似て、宇宙は火と氷との間の斤力と索引力との永遠の闘争であるという理念に基づいていました。この考え方は、アーリア系の哲学のアイデアの基本に似ているため、当時のワイマール体制はセム族系に金融(政治経済全て)を牛耳られていたので、彼の学説は、当時の正統派科学とはまったく矛盾していたにもかかわらず、虐げられていたアーリア系民衆に除除に受け入れられていったのです。
彼の理論の根本は、魔術の伝統的考えで、天空を支配する法則は、この地上のそれと同一であり、全宇宙は同一の運動に基づく一つのオーガニズムであり、そこでは、全てが全てに反響するというものです。つまり、「天なるごとくまた地も、内なるこどくまた外も」というわけです。
このような魔術的理論も、実生活に苦しめられ、希望も見いだせられない、心身のバランスを崩している民衆には、メシアの到来を示す前兆に思われたのでしょう。
ドイツ民衆には、ハンス・ホルビガー博士は、丁度ローマ帝国圧政下にカナンの地に出現した、ザガリアとエリザベツの息子、洗礼者ヨハネに見えたのかもしれません。そして、そこに現れたのが、イエス派ではなく、ヒットラーの救世主結社であるわけです。
当時のドイツには、色々な秘密結社が存在して、それぞれの目的を目指して活動していました。薔薇十字団結社、フリーメーソン、黄金の暁、ドイツ・ヴリル結社、それに東洋的機構とヒンズー教の影響を受けた、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラバッキー女史の創設した神智論結社、その流れをくむルドルフ・シュタイナーの人智論結社などを数えあげることができるでしょう。
その流れのなかに、「ゲルマン騎士団」から分化した、トゥーレ結社員のエッカルトがいました。彼こそが、ヒットラーに民衆を熱狂させる文章の書き方や演説法を教えこんだ人なのです。
ヒットラーはテンカン気質であると言われていますが、大昔では、それは心霊体現象を受けられる「聖なるひと」であったわけです。エッカルトらのトゥーレ結社員は、ヒットラーの霊媒的な魂のうちに、魔法社会主義のプログラムを刷り込んだのでしょう。その結果、気の弱い画学生は、優秀なアジテータに変身したわけです。
更に、ヒットラーの周りには、色々な人物が登場します。そのひとりに、カール・リューガーがいます。ヒットラーは、リューガーの主宰していた「民族の血」を非常に熱心に愛読したそうです。
謎の人物ルドルフ・ヘスの代作だといわれている、ヒットラーの著書「わが闘争」には、リューガーのことを次のように述べています。
「火刑からまぬがれたユダヤ人子孫のなかから、反ユダヤ主義党派の非常に有能な指導者が生まれた。彼は、大衆をどうすれば興奮させることができるか、どうすれば彼等の注意を一点に集中させそれを維持させることができるかを、その時々の必要に応じてキャッチフレーズを変えていく方法、群集の欲求に合わせてリードしていく方法、などに熟達した人物であった。」
そのようなアーリア系だけではなくセム族の人達のバックアップにより、ヒットラーは、ドイツ民衆の救世主に祭り上げられていくわけです。
さて、そこで疑問が起こるのです。その魔法社会主義の主役は、本当にヒットラーであったのでしょうか。それとも、民衆にヒットラーは踊らされていたのでしょうか。
それは、どちらとも言えないでしょう。魔術(宗教も含む)とは、魔術師とその術にかかるひとたちの特異な精神世界が構築されていないと、その魔術(宗教)自身成立しないからです。つまり、「ニワトリが先か卵が先か」の問答と同じで、その答えは永遠に出ないでしょう。
以上長々と述べてきたことを、信じられない人も多くいることでしょう。それは、あの世のひと(庶民)をこの世の人(支配階級)が、世間(この世に住めない庶民が使役される舞台)において上手にコントロール出来ている証拠です。
この世の人達は、世間という舞台を自分達に都合良くするために、マスコミや公共教育の場において、「臭いものには蓋」をしているからです。
例えば、「秘密結社」と言う言葉を聞いただけで、薄ら笑いをするひとが多くいるようです。秘密結社などは、スパイ映画や小説のなかに登場する荒唐無稽の架空の集団だ、と思っているひとは多くいることは確かです。
しかし、秘密結社は事実存在していて、今現在も庶民を支配者に都合よく使役する目的で活躍しているのです。証拠を示せと言っても、あの世のひと(庶民)に知られるようでは、秘密結社とは言えないでしょう。でも、新聞を丹念に調べてみると、その秘密結社に関する記事が見つかるでしょう。
昭和56年5月22日付き日本経済新聞朝刊に「労相らも秘密結社員」のタイトルで、
「現職閣僚三人をはじめとする政・財界の大物や軍・警察首脳ら、イタリアの支配層を代表する知名人約千人が会員の相互扶助を目的とする秘密結社フリーメーソンに関係していたことが、二十一日、政府によって公表され、国民に強い衝撃を与えている。この組織は「P2」と呼ばれ、有力金融業者のリチオ・ジェッリ氏(国外逃亡中)が創設し「支部長」として支配してきた。名簿は正会員と新規会員、会員候補者の三つに分かれている。正会員リストにはフォスキ労相(キリスト教民主党、DC)、マンカ外国貿易相(社会党)の二閣僚や、連立与党のロンゴ書記長らの大物政治家、トリシ軍参謀長をはじめとする三軍の高級幹部、各秘密警察首脳、司法関係者、銀行家、大企業首脳、新聞社重役など、有力者がずらりと並んでいる。」
これは、多分上層組織の活動方針に合わない行動を起そうとして、その結果の組織潰しのリークでしょう。
(この本は陰謀暴露を目的としていませんので、それ以上秘密結社について知りたいひとは他の書籍で研究して下さい。参考書としては、「赤い盾」がお勧めです。)
プロカメラマンが活躍するための「世間」という舞台は、情報というイメージで構築されていて、そのイメージは、支配層によってマスコミ等を手段としてコントロールされているとするならば、庶民であるプロカメラマンの運命は、決められてしまっているのでしょうか。
 
 
運命はかえられるか     
 
 
 
「運命」という言葉を辞書で調べると、「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。人生は天の命によって支配されているという思想に基ずく。めぐりあわせ。転じて、将来のなりゆき。」などと解説されています。
運命が天命であるのならば、ひとのコントロール外のことなので、その結果の出来事について、たとえ自分の意に添わなくても諦めもつくでしょう。
しかし、国家も宗教も虚構で、その舞台で演じられていることは、この世の人のために創作されたもので、「運命」という天が創作したストーリで時代が流れているのではないことを、前節で述べてきました。つまり、「天」に替わって、この世の人達(支配者)が、自分達の都合の良いように、舞台装置を仕掛け、あの世のひとたち(庶民)を情報操作して、使役してきたのがこの世の歴史ということでしょう。
この世のひとたち(支配者階級)は、何かの目的を目指して計画し、それを実行しているらしいことは、昔から、こころあるひとたちの公然の秘密でした。たとえば、明治維新後からの日本の総理は、あるひとたち(日本人以外のひとたち)により予め決められているらしい、と言うことです。
ひとつの例として、ほんの一昔前、「○○モリヒロ」という例の島津藩の流れを汲む殿様の末裔が、日本国の総理となりました。その当時の電子筆記道具は、パソコンではなく、ワープロという文書作成のみを目的としたものでした。その文字ソフトも幼稚で、義務教育用当用漢字1850文字しかないわけです。当然、漢字にはそれ以上あるわけで、その当用漢字以外の漢字をワープロで使用したい場合は、「作字」をしなければならなかったのです。それ程、もの書者泣かせのワープロなのに、その○○モリヒロ氏が総理に成った時点に発売されたワープロで、「モリヒロ」と入力すると、なんと「護煕」という当用漢字以外の文字が変換されてしまうのでした。
ワープロ文字ソフトのプログラマーは、近未来を知る魔術を使う預言者だったのでしょうか。「モリヒロ」をそのような「大和的でない漢字」で変換してしまうことに疑問を持った一部のひとたちには、そのことが不思議がられたものでした。
そこで、第三十二代アメリカ大統領F.D.ルーズベルトの言葉、「政治には偶然に起きるものはなにもない。何かが起きればそれはそのように計画されていたのだ。」、を思い出すのです。
この余りにも偶然過ぎる出来事は、政治だけではなく、社会情勢にも当て嵌まります。
 
「経済情勢で優越をうるための激しい闘争と市場での絶えざらる投機は、人情酷薄な社会を現出するだろう。そして高尚な政治や、宗教に対して嫌気がさし、金儲けに対する執念だけが、唯一の生甲斐になる。彼らは金でえられる物質的快楽を求め、金を偶像視してしまうだろう。」
 
この予言は、今の日本の社会現状を概説したのではなく、なんと約百年前にヨーロッパで発表されたものです。
そのような観点から今現在の日本の現状を観察すれば、政治家は、悩める庶民に希望を与える政策を提示し、そしてそれを実行するのではなく、右派も左派も党員獲得を名目に金集めに奔走しているし、又、宗教家は、悩める庶民に心温まる創作物語で安らぎを与えるのではなく、コンクリート作りの立派な伽藍や信者を惑わす法衣を作るために悩める信者からの金集めに奔走しているのが現状でしょう。
そのようなシナリオの行き着く先は、「腐敗が隅々まで拡がった社会。巧妙なゴマ化しや、詐欺に近い方法でしか富みをえられない社会。贈賄がはびこり、モラルは、かろうじて法律の制裁によってだけ保たれ、こころからは守られない社会。」になって行くことでしょう。
それでは、プロカメラマンである庶民は、それらのシナリオのとおりに演じることしかできないのでしょうか。ひとは生を受けた時に、もう運命は決められてしまっているのでしょうか。
今現在、「運命」が思う通りいかないひとのための解決方法のひとつとして、前節で述べた旧約聖書の瞑想法があります。その瞑想法の行き着く先は、「無」或いは「空」の境地に入ることです。つまり、「物質」と「精神」とが融合する境地で、そこではひとの悩みの根本である欲の源の「意志」が存在しえない世界です。「我」という意志をコントロール出来ない状態を「悩み」と言っているわけで、それが存在しえないことは、「無」であり「空」であるわけです。そして、「我」がなければ、「虚構」も存在しえないわけです。何故ならば、虚構は「欲」の基盤に構築されたものだからです。
ひとの記憶が虚構の世界を構成しているのであるとすれば、その世界からの脱出のひとつは、その不都合な記憶を消滅させてしまうことです。つまり、電子記憶媒体では、このことを「初期化」と言っていることです。
秘密結社や密教の入門者になるための試練のひとつに、精神的死の儀式があるようです。それは、各組織により異なりますが、骸骨と一緒に洞窟に閉じ込めるとか、絶壁からロープで足を縛って吊るすとか色々あるようですが、共通するところは、臨死体験をすることで、過去の虚構の記憶を抹殺し、新しい組織員に生まれ換わることです。
この事と同じようなことが、その瞑想法をマスターすればできるかもしれません。もし、そこに到らなくても、より簡単なシュルツの自立訓練法をマスターすれば、五感が覚醒し、ものの見方や考えかたのフレームが広がることは、「基礎篇」で述べたとおりです。
そのような覚醒した考え方で、現在の社会という舞台を眺めてみると、表舞台から見ると立派だと思っていた大道具や小道具などか、ベニヤ板や発砲スチロールなどにペンキを塗りたくった物のように見えることでしょう。
魔術師の目からすれば、この世の立派な建物、立派な衣装、立派な肩書き、立派なものなどなど、あらゆるものは、庶民を惑わす虚構の世界を演出する道具にすぎないのです。
例えば、現在の富の象徴のダイヤモンドや金も、見方を換えてみれば唯の物質のひとつにすぎないでしょう。それらを価値あるものにするために、舞台装置や鑑定書などの色々な演出を必要とするわけです。極普通のオバサンには、ダイヤとジルコニアとの区別ができるひとは稀でしょう。金などは、鉄よりも実用価値がありません。金属としては、柔らかすぎて電子部品の接点に使うかの使用方法しかないでしょう。
しかし、そのような物質でも、「愛の深さの証明・いざと言う時の財産」という虚構のシナリオに乗せられてしまうと、庶民の高価な必需品に変わってしまうのです。
そのように覚めた目で「運命」を眺めてみれば、その基本要素は、「時間の流れ」と「社会という舞台の場」の二つであることがわかるでしょう。
ひとの運命というシナリオは、その時の流れと演技する場との交点の連続で進行していく、と考えることもできるかもしれません。
もし、そうであるのならば、「時間と場」について研究することで、自分に都合の良い、或いは、自己実現の運命の流れに乗れるかもしれません。
まず、時間についてですが、それには三つの疑問があります。
第一、時間は実在するか、しないか。
第二、時間は一方向に進むのか、或いは逆方向にも進めるのか。
第三、時間は初めと終わりがあるのか。それとも無限か。
第一の疑問については、今だ納得のいく情報を得ていません。第二の疑問は、エントロピー理論からすれば、時間の可逆性はありえないことで、時間は一方向を目指しているらしい。(宇宙が膨張している条件下として。)第三の疑問については、ヨハネの黙示録の第二十二章十三節「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである。」に答えがあるように思えます。
時間という概念は、今だはっきりとした答えがないようです。それこそ、「天命」であるわけです。
しかし、「場」については、ひとのコントロール下にあるようです。ですから、昔から、その舞台を演出するために色々な小道具、例えば「日本書紀」や「旧約聖書」などを創作させて、支配者は自分達の都合の良い世界を創り出しているわけです。
今現在の場が、たとえ虚構の世界であったとしても、庶民が、「王様の耳はロバの耳」と言ったり、理論的に「裸の王様」を指摘してみたところで、世間からは相手にされることは稀でしょう。
何故ならば、マスコミという伝達媒体も、そこに登場する立派な学者や著名人達も、その虚構世界の構成要素だからです。世間で立派なひととは、この世のひとが、庶民をコントロールする手段のひとつであるわけです。
ですから、それらのひとの多くは、庶民の為に真理を追究するのではなく、この世のひとの為に行動し、その結果の名誉や富を追及しているのです。もし、それらのひとが、庶民の為に真理を追究していたら、この世のひとは、バックアップもしないどころか、無視あるいは社会的抹殺を図ることでしょう。(○○はなかった、と雑誌である組織のプロパガンダに反論記事を書いた編集長は、世界的クライアントの広告ボイコットの結果、クビになったことは、記憶に残っていることでしょう。)
それでは、庶民は、支配者の意図のままに、人生を送らなければならないのでしょうか。
「運命」と似た言葉に「宿命」という言葉があります。その意味は「前世から定まっている運命」とあります。
運命であるならば、そのシナリオは吉凶禍福なので、もしかしたら、という期待が少なからず存在します。しかし、宿命の場合、凶禍が在るのみです。
では、その宿命の「宿」には、どのような意味が含まされているのでしょうか。それでは、「宿」が何故「前世からの」と意味付けされているのかを考えてみましょう。
それは、「宿」に、「星(警察用語で犯人のこと。昔は、異界に棲むひとたちを指していた。)が集まっている有様」を、この世のひとたちが意味付けしていたのです。とすると、「前世からの」因縁とは、「星が群がっていた時代からの因縁であり、運命である」と解釈できるでしょう。
宿と言われる「星」の群がりは、大昔大和朝廷と対峙していた時代、アマテル神を象徴する北辰(妙見・太一)や明神様のアマツミカボシを中心に集まった「反王権勢力」であったわけです。
そのように、天神様も体制側でないことが分れば、童歌の「とうりゃんせ」の「行きはよいよい、帰りは怖い」のフレーズは、「天神を拝んだ後、気を抜いて徒党を組んで帰るな、行きと同じに体制側の人に悟られぬように帰れ」と、負組みの同朋に対する体制側の取締りに対する警告のメッセージであることが理解できるでしょう。
体制側は、反体制勢力の台頭を押し込める為か、星(王化せず漂浪する民)に対して、あなた達の人生のシナリオは負組みのままで「前世から定まっている」と決め付けるために「宿命」という言葉を発明したわけです。
そこで、また疑問が生じるのです。ひとには、考える「力」があり、善悪の区別を知る「理性」もあるのに、何故、七世紀から二十一世紀まで、庶民は庶民のままであったのでしょうか。
 
 
呪文は思考回路を固定化する     
 
 
 
この本はプロカメラマンが敗者復活のためのヒントを述べることを第一の目的としていますので、体制、反体制と言った刺激的な言葉がでできても、庶民をして、この世を転覆させる革命のためのアジテーションではありません。
魔術的に言えば、体制も反体制も欲に憑かれたひとたちの舞台です。では、善良な庶民が敗者復活するには、どのような舞台を考えたらよいのでしょうか。
そのひとつに非体制という舞台が考えられます。非体制とは、体制側でもなく反体制側でもないことです。
「非」とは、「あらず」ということで「何々ではない」「何々とはちがう」ということで、体制や反体制の舞台には「いない」ことを意味しています。このことを別の表現では、「何々を認めるけれど、何々に従うわけではない。」という生き方です。
敗者とは、前に進むためのエネルギーが枯渇している状態のひとを言う訳です。ですから、前に進むためのエネルギーを充電しさえすれば、敗者から復活するための準備ができるわけです。そのためには、欲を捨てて非体制に暮らすことは、敗者復活へのひとつの脱出方法になるわけです。
さて、そのように「非体制」的考え方で物事を観察して見ますと、今までとは違う舞台が見えてくることでしょう。
ではまず、「民主主義」という舞台を構築している「呪文」を考えてみましょう。
日本語訳の民主主義の元は、英語のデモクラシー(democracy)で、それはギリシャ語からの借り物で、その意味するところは「町内会政治」のことです。それには全員参加の前提があったのです。ところがどうでしょう、今の民主主義には投票の放棄や棄権が許されています。さらに、参加放棄の罰則もありません。
そもそも、民主主義とは虚構に基づいた舞台なのです。民主主義の制度は、ひとは皆平等にできていて、自由な意志で行動を決断できる素晴らしい能力を持っている、という絵に描いたような虚構を前提にして、一パーセントの国民(東部エスタブリシュメント)が九十九パーセントの国民を支配する、アメリカ革命を正当化する目的で発明された呪文なのです。
ひとの脳は、自立できるほど完全ではないことを第一章で述べました。ひとは、情報のインプットをコントロールされてしまえば、そのひとの行動であるアウトプットは決まったも同然になってしまうのです。その目的の為に、マスメディアは支配階級にコントロールされているわけです。(米国のマスメデイアの大株主を調べてみましょう。)
つまり、多くのひとたちは、毎日自分でしていることも自分で分らず、又自分の生き方も自分で決めるだけの智恵も発揮できないでいるのです。それは、支配者のスリーエス政策のおかげです。毎日、ひととして生きる理性を刺激する情報ではなく、情念情動を刺激する芸能・スポーツ情報をマスメデイアで垂れ流し、そのように仕向けられているからです。(理性と情念は同時に作動しません。)
さらに民主主義は虚構であるとの証明は、「皆で皆を支える」と言う呪文を唱えているからです。これは、理論の矛盾です。自分で自分を支えることはできても、更に他人を支えるだけの能力・金力などあるひとは、世間にいったい何人いるのでしょうか。民主主義の言うように、皆が皆平等であるならば、「皆が皆を支える」必要性など初めからないのではないでしょうか。
日本の敗戦のドサクサに持ち込まれた民主主義という「呪文」をもう一度点検してみましょう。それにより、真面目にひとは平等にできているから自分を犠牲にしてまでも他人を助けなければならないと信じているひとの肩の荷が下りることや、エネルギーが枯渇しているのに無理をして皆に合わせようとする強迫概念に囚われていたひとには、今までとは違う舞台が現われるかもしれません。
ひとは、考え方や生き方あるいは生命エネルギーが、ひとりひとり違っているのです。無理をして皆に合わせることもないし、その必要性もないのです。
民主主義の呪文の呪縛から開放され、庶民が自立して、自分の生き方やその方法を知ってしまうと、支配者は困るのです。庶民が自立してしまえば、支配者など必要としないからです。
そこで支配者は、庶民を庶民のままの状態にするために、色々な呪文を発明するのです。
呪文とは、一定の手続きの下で唱えると、ひとの行動を積極的に統御できると考えられる文節や語句または意味不明(当事者だけに理解可能)な文字の羅列などのことです。その効力もある条件が整わなければ発揮できません。
そのために支配者は、呪文の「セット」を完成するために、下準備としての「セッティング」のために色々な仕掛けを考えるわけです。
庶民は、この世に初めから庶民として存在していたわけではなく、そのように仕向けられたために、その地位にいるわけです。その庶民を庶民たらしめる基本的セッティングの流れは以下のようです。
1.マスコミを利用して不安を増幅させて、庶民の意識を混乱させる。
2.支配者に刃向わないように、庶民同士を戦わせエネルギーを消耗させる。
3.有名知識階級をコントロールして、支配者に都合の良い情報を流す。
4.庶民を威圧するような立派な伽藍を創り、人民の望むスローガンを発明し、新しい世界の到来を告げる。
5.方向性を見失った庶民に、神に代わって救済の手を差し伸べる。
6.その救済者から「呪文」を発することにより、初めてその効力が発揮されるわけです。
その呪文とは、例えば「民主主義」「自由、平等、博愛」「愛は世界を救う」「世界はひとつ」「万国の人民は団結せよ」「グローバルスタンダード」等など。
庶民がいかに、支配者の情報操作により虚構世界のトリックに騙されていたのか、歴史を一寸遡ってみましょう。
二昔前、世界には、社会主義国と資本主義国との敵対する国々があったことになっていました。(この考え方は一神教の基本です。)その国々とは、ソ連と米国とです。
表の歴史舞台では、その両国は冷戦状態ということになっていました。しかし、魔術的にその舞台を裏側から眺めると、どうもその敵対する二国はお金を媒体として繋がっていたらしいのです。
その社会主義対資本主義の冷戦構造の舞台を作ったのは、国際金融シンジケート(この本は陰謀暴露のためではないので、もっと知りたい人は他の書籍で研究して下さい。ひとつ面白いヒントを差し上げましょう。日本国の「心臓」・株式会社日本銀行の成立と38パーセントを持つ株主を調べてみましょう。明治維新の舞台裏が覗けるかもしれません。)ですが、その初舞台に登場する人物達を魔術的にみてみましょう。
初舞台のロシヤ革命と言えば、その主役はトロッキーとレーニンでしょう。
教科書的に、ロシヤ革命を説明するとすれば、「ツアーの専横圧制に虐げられた貧しい農民が我慢の限界を超え、鍬と鎌を手にとって革命に立ち上がり帝政を倒し、市民平等の社会主義国を建設した。」と言う事でしょう。そのように考える一般庶民は、その革命の主人公達は、革命前から当然ロシヤに居たと思っていたことでしょう。しかし、事実は違うのです。
そこでまずトロッキーについて見てみましょう。
トロッキーは、ロシヤ革命の前年、1916年フランスから追放され、途中マドリッド警察に逮捕され、牢獄生活を経て、1917年1月13日アメリカに亡命したのでした。そこでの三ヶ月の生活は、電話や冷蔵庫があり、時には運転手付自動車で旅行できるほど優雅な状態だったそうです。その主な収入は、マスコミへの寄稿とドイツやイギリスからの援助だったそうです。そして、二月革命後(レーニン・トロッキーにより倒されたのはケレンスキー政権、これを十月革命・ボルシェビキ革命という。)、トロッキーは、ウォールストリートの金融業者や商社マンなど「赤十字ミッション」総勢二百四十名ほどを引き連れて、革命後のロシヤに旅立ったのでした。
一方のロシヤ革命の主役と言われているレーニンは、1914年8月から約二年半スイスの古都チューリッヒで、亡命生活を送っていたのでした。ケレンスキーの二月革命の成功を知ったレーニンは、かの有名なドイツ政府の鷲の国章で封印された「封印列車」で、スイスから交戦中のドイツを経てペトログラードに向かうわけです。そこで待っていたのは、革命の同士と国際金融の資本家の代理人と莫大な資本主義国の援助資金であったのです。
帝政ニコライ二世の政権を打倒したケレンスキー政権を、資本主義の資金により打倒したトロッキー・レーニンとは、一体何者だったのでしょうか。(レーニンの本名はウラジミール・ウリヤノフです。では、何故本名を名乗らなかったのでしょうか。そこに共産主義の本質がみえてしまうからです。実は、資本主義と共産主義は同じ母から生まれたのです。)
そのような謎の人物により構築されたソビエット連邦が、資本主義の総本山米国と冷戦するとは、一体どのようなシナリオが描かれていたのでしょうか。
二十世紀当時、ソ連脅威論などと声高に叫んで、国土防衛などとアジッても、マスコミの宇宙開発記事を別の角度から解釈できたひとであるならば、その虚構のシナリオに騙されることもなかったでしょう。
ソ連と米国の宇宙船が互いにドッキングできるには、共通の接続部品がなければできないし、コントロールの仕方も共通でなければできないことが分れば、後の説明も必要ないでしょう。
ソ連と米国は、建国当初から、宇宙でドッキングできるネットワークにいたわけです。
では何故、そのようなソ連対米国の冷戦世界の虚構を創ったかと言えば、「夷を以って、夷を制す」戦略で、諸国間に戦争の不安をばら撒き、地域紛争を煽り、両国から武器を輸出して、ターゲット国家の財政を傾かせ、国民のエネルギーを疲弊させるのが目的のひとつだったのでしょう。
不安を創ることは、支配者が庶民をコントロールするための必要条件なのです。
一神教の虚構の世界の支配者たちの考え方は、旧約聖書の世界から現代まで同じようです。敵を創り、味方でなければ敵と見なすと脅し、味方に付け散々利用し、後は見殺しというわけです。(中東紛争の解決策のひとつは、一神教の虚構に庶民が気付くことです。)
一神教の虚構世界では、悪魔の帝国を打倒することは当然のことかもしれませんが、多神教の世界観では、神も悪魔も同じ仲間なのです。
一神教の異教との永遠の闘いと異なり、多神教である縄文の流れにある日本国では、異質なものを融合し飲み込むこころの広さがありました。
日本の歴史を影で支えたひとの中には、異教の外国人が多く見受けられるのがその証拠です。それは、古代日本だけでなく、中世にも多くの外国人がその影響力を日本の歴史に与えています。
例えば、織田信長の家臣蒲生氏郷の家臣山科羅久呂左衛門勝成が、そのひとです。彼は信長の家臣達に、鉄砲術や兵法の指南をしたり、三本マストの軍艦や大砲づくりに関与したり、航海術、天文学、測量、築城法などを伝授したのでした。
その山科勝成の本名は、ロルテスと言い、イタリアからの来訪者だったのです。
さらに時代が下り、徳川家康の外交顧問にも外国人が登場します。東京駅の八重洲口の名称の元であるヤン・ヨーステンは、家康に、ポルトガルやイスパニヤの世界戦略を説いたことは有名な話です。それが鎖国の原因のひとつとなったからです。
そのポルトガルやイスパニアの世界戦略とは、目的の国に先ず宣教師を送り込み、その国の情報を収集させ、次に軍隊を送り込んで征服するというやりかたです。
よく知識人が言うには、家康が鎖国をしていなければ、日本は欧米と肩を並べられるほどの文明国になっていただろう、と言うことです。しかし、それは甘い考えで、もし家康が鎖国をしていなければ、日本はそれらの国の植民地となっていたかもしれません。
世界史でも日本史でも、角度を替えてみれば、違う世界が現われるのに、学校教育という「呪文」で思考を固定化されてしまったひとには、支配者達の世界観を刷り込まされるだけです。
物事には、表と裏があるのです。
もし、あなたが今現在、敗者の立場にいるとしたら、今まで刷り込まされた「呪文」を疑ってみることが、その舞台からの脱出のひとつとなるかもしれません。
 
 
舞台はこころの中にある     
 
 
 
ひとの欲望は無限でも、生命エネルギーは有限です。
そのように、無限と有限とのアンバランス状態で、人生という舞台で自己実現に向けて、役を演じるには「智恵」が必要です。
ひとが、神のようにあらゆることをコントロールできるとすれば、人生における自己実現などは、簡単なことかもしれません。しかし、ひとには欲望を抑えることはできませんし、自己実現に向けて無限に挑戦するエネルギーもありません。
欲望とは、「欲しがること」で、何が欲しいのかを分っているひとならば、その欲しい物を手に入れる手段を考えれば、事は解決するわけです。しかし、多くのひとたちは、そのひとたちの人生において、自分が本当に欲しい物が何であるのかを知っているひとは稀のようです。
更に、欲望には、「足りないと思う」ことを満たそうとする力が働きます。その「足りないもの」が何であるのかを知り、それを満たす手段を考えられるひとであるならば、事は解決するわけです。しかし、何が足りないかを知っているひとも稀のようです。
そのようなひとたちが、世間という舞台で、両親か誰かから与えられた線路を直走り、目指すゴールに辿り着ければ、万万歳です。しかし、どうでしょう。
良い学校を卒業し、良い会社に就職し、楽しい家庭を築き、定年まで無事勤め上げ、退職金でアパートを購入し、お迎えが来るまで悠悠自適に余生を楽しみ、家族に看取られ自宅からあの世へ旅立てる、なんてことができるひとは一体何人いることでしょう。
そのような絵に描いたような幸福路線から脱線したひとは、人生の落伍者となってしまうのでしょうか。
そもそもひとは、何の為めに生まされて来たのでしょうか。(生まれて来たは間違えです。自分の意志に関係なくこの世に出て来たわけですから。)よい学校に入学する為、よい会社に就社する為、お金儲けをする為、更に偉くなる為なのでしょうか。
「人生にはどのような意味があるのか。」を、色々調べてみますと、行き着くところは「分らない。」ということが実状のようです。訳知りの「宗教書」もなんだか嘘っぽいし、「哲学書」は難しい漢字を書き連ね一体何を言いたいのか理解不能です。(個人的かもしれませんが。)
もしかしたら、「人生の意味」なんて、誰かが発明した「呪文」なのかもしれません。
話は一寸飛びますが、現在、「親友」と言う呪文に呪縛されている若者が多くいるようです。
「親友」などどいう概念は、相対的なもので、自分が「親友」だと信じていても、相手は「唯の暇つぶしの相手」と思っているかもしれません。その反対も考えられます。
その様な不安を解消する目的で携帯電話が売れているようです。つまり、「親友不安定症候群」が、自己確認のために、常に、「親友」と思われる「唯の暇つぶしのひと」とのコミニュケーションを繋げる道具としているようです。なかには、携帯電話を枕もとに置くだけではなく、握り締めて眠る若者もいるようです。
本当の「親友」であるならば、頻回に連絡をとらなくても相手の気持ちが分るはずなのですが。
しかし、現代の魔術師・広告屋さんのプランナーは、「他のひとには親友がいますよ。あなたには親友がいないようですね。寂しいですね。」というようなイメージ創りで、購買商品を宣伝しています。
「親友」とは絵に描いた餅であると考えられるほど「智恵」のあるひとならば、そのような広告戦略に乗らないでしょう。しかし、どうでしょう。巷には、所かまわず携帯電話をかけまくる「親友不安定症候群」が多く見受けられることでしょう。
もしかしたら、「人生の意味」も、「親友」と同じことが言えるのかもしれません。
他人のエネルギーを利用しようと考えるひと(支配者)が、色々な「人生の意味」を舞台として創作しているのかもしれません。
今、社会問題となって来ている「不登校」なども、「人生の意味」に対する、子供からの「無意識」の問題提起なのかもしれません。
現在の義務教育制度は、明治維新の富国強兵からの流れの中にあって、国民教育の平等の名の基に、お国の為めに、歯車としての画一的人格を形成するための手段となっているように感じられます。例えば、授業中に、その子にとっては重要な質問をしたとしても、その質問が学習指導要領にないことだと、先生は無視することがあるようです。
先生も、大変で、「聖職」ではなく「労働者」となってしまった現在、校長だけでなく、PTAの父兄からも日常態度を監視されているわけです。
そのような、息苦しい教育環境で、普通の神経であるならば我慢ができても、ナイーブなこころを持った子供であるならば、「先生に教科書にない質問ができないで、ただ機械的に記憶させられているだけならば、学校へ行って勉強する意味などないじゃん。」となるわけです。
義務教育という、国から与えられた舞台が演じ難いと感じた子供であるならば、「不登校」もできるでしょうが、おとなであるならば、会社舞台が気に入らないと思っても、「出社拒否」をしてしまえば明日の生活も間々ならなくなってしまうし、社会舞台が気に入らないからといって、「隠遁生活」をすることもできないでしょう。
そこで「智恵」が必要となってくるわけです。
この本を読んでいる人は、人生において何らかの問題を抱えているのかもしれません。もし、そうだとしたら、そのような問題を解決する方法のひとつは、今いる舞台をさっさと降りて、その舞台裏をじっくり点検してみることです。
ひとは、学び、学習することで、自立して、人生という「旅」を、何を目標とするかは個人の趣味や資質によりますが、続けていけるわけですが、その学び、学習することにおける情報の与えられ方により、その旅の仕方が異なってしまうでしょう。
ひとによっては、人生という旅を楽しく続けられるひともいれば、苦しみもがき途中で挫折してしまうひともいることでしょう。
では、人生の旅の途中で挫折してしまっているひとは、これからの旅は続けられないのでしょうか。
多くの人は、人生の旅を、人生という一本線路を列車に乗って目標に向かって進む、という風に考えてしまっているようです。
例えば、人生を次のように考えてしまっているようです。
この世に生を受け初めて下車する駅は、「家庭」です。そこで、ひととして基本的な動作や言葉の使い方を学習するのです。そして、時が来て、その次の下車駅は、「幼稚園」かもしれません。中には、「幼稚園」を通り過ぎ「小学校」という駅まで進んでしまうひともいるかもしれません。その「幼稚園」や「小学校」という駅では、社会生活の基本である、集団生活の学習がまっているわけです。そのようにして、人生の旅は、義務教育の「中学校」までは同じ線路を行くわけですが、それからの旅は、それぞれの路線に分れていくわけです。あるひとは「高校」へ、或いは「就職」へと続いて行くわけです。そのように、色々なステージの「駅」があるわけですが。最終駅は「あの世」です。
おそらく、多くの人は、「幸福駅」での下車を目指していることでしょう。しかし、その駅に辿り着けるひとは、一体何人いるのでしょうか。
そのような旅を途中で下車してしまったひとには、その先の線路が「幸福駅」に繋がっていると信じているかもしれません。ですから、そのようなひとは、脱落してしまったことに後悔し、そして、先行きの不安を感じてしまうのかもしれません。ですから、そのようなひとは、進むべき線路がないと思ってしまうため、前に進む事ができないと悲観し本来の目標を諦め、その代償として「あの世」が目標になってしまうこともありえるわけです。
なかには、やっとの思いで下車したのを、周りからの圧力で無理をしてその虚構線路に復帰しょうともがき、生命ネルギーを枯渇させてしまうひともいるようです。
しかし、そのような絵に描いたような人生一直線を、別の角度、つまり、魔術的に観察してみれば、そのような「学校・会社・家庭あるいは個々の人世のステージ」である「駅」とは、誰かの考えた虚構舞台であることが分るでしょう。
今の学校制度や株式会社制度などは、人類開闢以来からあったわけではなく、明治維新以降西洋文化(イギリス式とドイツ式)の物真似で、俄かに創作された制度なのです。誰かが、何らかの目的のために、そのような「駅」を創り、線路を創り、列車を創り、庶民を乗せたわけです。
実際、人生は、そのような一本線路ではないのです。無限に線路はあるのです。その線路が無限にあることを悟られると、あるひとたちには不都合なのです。
ひとには、人生において、それぞれの生き方があるわけで、百人いれば、百の線路があるのです。しかし、そのように庶民がバラバラでは、そのエネルギーを束ねて利用しようと考えているひとたちには、困るのです。
そこで、色々な舞台を創作して、「夷を以って、夷を制す」るために、庶民を、対立するように囲い込むわけです。
その基本が、宗教で言えば、天国と地獄の対立の「一神教」で、政治で言えば、「共産主義対資本主義」、社会で言えば、「独裁主義対民主主義」の対立などです。でも、それらの対立は表面的で、根っこは「閨閥やお金」で繋がっているのです。つまり、それらのマスコミなどで宣伝されている表舞台は、支配者が、裏の舞台を知らない庶民をコントロールする為の虚構舞台なのです。
貧しい庶民の味方と信じられていた巨大財閥出の「マルクス」、素性を知られないように偽名を使う、ウラジミール・ウリヤノフと言う「レーニン」、レープ・プロシンシュタインと言う「トロッキー」など、二十世紀の虚構世界史の主役が演じるトリックを知らない知的純朴な庶民は、虚構舞台に載せられ無駄にエネルギーを吸い取られてしまい、自分本来の目標を目指せなくなってしまったのです。
二十世紀におけるソ連対米国の図式のトリックは、米国の中枢、金融機関、マスコミ機関(映画俳優も含む)の多くの支配者は、「ロシヤ」からの移民の子孫で構成されていることが分れば、それ以上の説明は必要ないでしょう。
それでは虚構世界の舞台で、どのようにして、人生の旅を考えていけばよいのかと言えば、そのひとつの方法は、縄文のこころ、つまり、あらゆるものに「偉大な力が宿っている」と考え、一神教的に「善と悪」と物事を単純に分ける考えの呪縛に陥らないことです。(味方に付かなければ、敵と見なす、というロジックなど。)
曖昧さ、つまり、「認めるが、従うわけではない。」、「総論賛成、各論反対」もひとつの智恵ある生き方なのです。
情報洪水の中、色々な「舞台」が、支配者がコントロールするマスコミから流れてきています。このような状態では、自分を見詰め直し、自分に相応しい舞台を見つけるのが困難でしょう。ですから、情報整理の目的で、「こころの鎖国」をすることもひとつの方法でしょう。
例えば、今いる舞台が演じ難いと感じられるならば、「こころの鎖国」をし、エネルギーを蓄えることも、人生の旅の途中では必要なことなのかもしれません。もし、人生の旅に疲れたと感じたら、まず休むことです。じっくり休んでエネルギーを充電することです。そうすれば、今まで見えなかった「自分に相応しい舞台」が見えてくるかもしれません。それに、途中で休んだからといって、人生の目標は消えるわけではありません。
江戸時代のように、出島だけを解放し、鎖国をすることにより、日本独特の文化を醸成したように、「こころの鎖国」をすることにより、そのひと独自の「舞台」を創ることができるかもしれません。
そうです、舞台を創る材料は、外から与えられるのではなく、そのひとのこころの中にあるのです。
ゆっくり休んで、自分の舞台を見つけたら、次は、その舞台で演じる為のシナリオを考えることです。