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第三章 サラリーマンからプロカメラマンへ
 
 
道は無限にある
 
 
 
プロカメラマンになることを、山登りにたとえるとすれば、その頂上を目指すための道は、はたして一本道なのでしょうか。
そもそも、どのようにして頂上を目指す登山道ができたのでしょうか。処女山には登山道などありません。そこで、志を胸に初登山家は、その人の考えや経験などを頼りに、未開の地を一歩一歩進んで行くことにより、初めて登山道が出来上がっていくわけです。そのようにして作られた道は、人は易きに流れる傾向があるためか、その後、何人もの後輩達により踏み固められていくわけです。それが、地図などに登山ルートと紹介されることにより既成コースとなるわけです。
そのように既成コースができあがって、登山ガイドブックのような解説書で、記事として掲載されますと、それはもう、頂上を目指す道は無限にあるにもかかわらず、その既成登山道は、頂上を目指す唯一の道のように、新人登山家に信じられてしまうわけです。
その後は、登山ガイドブック片手の登山家が列を成して押し寄せるために、その道は益々踏み固められていくわけです。
プロカメラマンとして一流もしくは有名になることにも、このことはいえるでしょう。
そもそも、写真術が日本に輸入される以前には、カメラマンなど存在していませんでした。しかし、それが時代の流れに乗り、今日のような、誰でもプロカメラマン予備軍の時代になってしまっているわけです。さらに、プロカメラマンになる既成コースも完備なのが現代です。
そのようなプロカメラマン公認コースを歩んで行くことにより、はたして頂上に立てるのでしょうか。
頂上を目指す登山道が、安全で且つ容易であればあるほど、その道を歩いて行こうとする人達は多くなります。そのことにより、その登山道は長蛇の列となることでしょう。
でも、その頂上が広く、そのコースで登山してきた人達全員を収容できるほどであるならば問題はないのですが、その頂上はそれ程広くはないでしょう。さらに、頂上にいる先輩達が、後輩達にその場所を譲り下山してくれれば問題はないのですが、先輩達は旅立ち直前までレリーズを離しません。
そうであるならば、頂上一歩手前の人は、頂上が空くまで待たなければなりません。そして、二歩手前の人は、一歩手前の人の後ろでと、そのように順々に先輩達が動いてくれるまで待たなければならないわけです。
そうなりますと、コースとしては最高だとしても、頂上を極めるには、長い年月が必要になるわけです。麓にいる今からその頂上を目指そうとしている人などは、はたして生あるうちに、その頂点に立てるかは保証の限りではありません。
それでは、今、麓にいる人や中高年の人達は、頂上に行き着くことができないのでしょうか。そんなことはありません。発想の転換をすることにより、道は拓けるのです。
そもそも、今見ている山は、はたしてあなたの目指すべき山なのかも疑問です。時代は流れているのです。もしかしたら、どこかに「平成新山」ができているかもしれません。
しかし、どうしてもその山の頂点に立ちたいと思っているのなら、プロカメラマンの公認コースの既成概念を変えてみることにより、道は拓けるでしょう。その考えとは、「どこから登っても頂上は一つ」、ということです。
考え方を変えることは、その人の行動も変えてしまいます。つまり、考え方の基である言葉には、エネルギーが内在しているからです。
人間は言葉を獲得したことにより、それを利用して考えることができるようになりました。言葉がエネルギーを持っているわけですから、それらの集合である考え方は、ものすごいパワーがあるわけです。
その考えることは、二つの流れに分かれるのです。ひとつは、線的理論的な流れで、もう一つは非線的理論的な流れです。それは別の表現では、科学的(昼の思考)と宗教的(夜の思考)とでも言えるかもしれません。
科学的考え方は、演繹法や帰納法などの理論を発達させ、宇宙の法則性の一部を解明することにより、地球の内在エネルギーを素材として、物質文明社会を発展させてきました。しかし、現代では、あまりにもその考え方が、宗教的考え方より優位になりすぎてしまった結果か、色々なトラブルを起してしまっているようです。
もう一方の考え方の基本は、直感や洞察力などのを利用するため、万人を説得できる科学的エビデンスを提示できないため、その考え方は、あまり評価されていません。それらの考え方は、蓋然性により証明することしかできないからです。
実際に、学校などでは、数学や理科などは、美術や音楽よりも高く評価しているほどです。
そのような現代ですから、何でも科学的か理論的に考えることにより、何でも問題が解けると短絡してしてまうわけです。ですから、一部の人達などは、人生を線的理論的思考のひとつである計画性という物差しで、計算してしまうことになるわけです。
つまり、わたしは昨日生きていた、今日も生きている、だから明日も生きている、というようなことを、理論的に考え、平均値という物差しで、その人達の現在から旅立ちまでのタイムテーブルを作って、理論的に暮らしていくわけです。
または、演繹法などで、人生を考えしまう人もいるわけです。AはB、BはC、だからAはC である、という考え方で、フロカメラマンの卵が、有名プロカメラマンになるには、写真学校を卒業して有名プロカメラマンの助手を経なくてはなれない、と信じ込んでしまうことにもなるわけです。
そこで、直感や洞察力で、プロカメラマンへの既成コースをみてみますと、そのコースが最良ではなく、さらに、頂上への道は無限にあることを知ることでしょう。
そこで、この章では既成コースではなく、別のコースから登山することを考えてみることにしましょう。それが、サラリーマンからプロカメラマンへの道です。
このアプローチの仕方は、履歴、金、コネのない無三階級の人には、大変面白く実践的なゲームとなることでしょう。と言いますのは、人生ゲームとプロカメラマンゲームとが、同時進行で行なわれるからです。サラリーマンとして楽しく人生ゲームができるとすれば、それはそのままプロカメラマンゲームも楽しくなるからです。
それに、それらのミックスゲームは、登山にたとえれば、既成ルートからではなく、未知のルートからの登山だからです。あなたの一寸先は闇なのです。ですから、そのゲームはスリルに満ちたものとなることでしょう。
ひとつひとつ、給料日に登山装備を揃え、誰も登ったことのない道を拓き、それにより頂上を極めることができたとしたら、なんと素晴らしいことでしょう。
あなたが中高年でさらに無三階級であるとしても、無限の知恵を内在していることを忘れないで下さい。あなたの内在エネルギーを効率良く使い、あなたの歩幅で無理なく歩んで行くとしたら、きっとあなたは、頂上に到達できることでしょう。
 
 
あわてることはない
 
 
 
プロカメラマンは、何時の時代でも若者達の憧れの職業のひとつであることは事実のようです。その事実を裏付けるように、毎年写真学校を卒業する若者達の数は大変なようです。
しかし、その若者達の数パーセントしか写真業界に生き残れず、プロカメラマンとして独立できないことが証明しているように、現実の問題として、実社会でプロカメラマンとして生活するには、大変困難を要する職業のようです。(ブランドイメージが確立しているカメラマンは別ですが。)
たとえ何かのチャンスを掴み、一時的にマスコミを賑わしたとしても、プロカメラマンとして生活していくためのノウハウや知恵がないとしたら、移ろい易い世間の時代の流れに乗れないため、数年もしないうちに、他の新人プロカメラマン出現のため、そのカメラマンの存在を忘れ去られてしまうほど、浮き沈みが激しいのも写真業界の特徴のひとつであるようです。
そのように表面の華やかさの裏を知らない、そして、一部有名プロカメラマンの活躍ぶりをマスコミからしか情報入手できない若者達は、無謀とも思える装備で、高い山を登ろうと計画してしまうようです。
高い山ならそれなりの重装備が必要なのに、写真学校などやそれらの息のかかった写真雑誌社等のマスコミの一部などは、プロカメラマンの実体をありのままに情報として流しては、自分達のビジネスが成り立ちませんから、夢を現実のように加工した情報を発信することも、場合によってはありえるわけです。
そこで実社会において、自分の能力や実力を客観的に評価する訓練ができていない十代二十代の若者達の一部は、それらの情報を基に、プロカメラマン像を、内なる世界に創ってしまう場合もあるわけです。
この本を読んで、夢を現実にする方法を研究している人ならば問題はないのですが、そうでない若者達の一部は、写真学校を卒業すれば、有名プロカメラマンの助手になれ、そこで二三年修行すれば、プロカメラマンとして独立できると、短絡して考えてしまうこともありえるわけです。
二十代前半の若者であるならば、カメラマンとしての客観的証明もなしに、自身の自惚れを武器に「オレは一流プロカメラマンだ」と広言したとしても、世間は片目をつぶって許してくれるかもしれませんが、中高年の人が、それなりの装備を身につけていないとすれば、登山途中でリタイヤすることは目に見えているし、世間は哀れんでくれても、助けてはくれないでしょう。
それなのに、実際問題として、一流プロカメラマンを目指す人達の中に、そこに到達するための登山道具にはなにが必要か、そしてそれらの装備をどのようにして使うかを研究している人は、いったい何人いることでしょうか。充分な装備もせず、研究もせず、一流プロカメラマンの頂を目指し、その結果、その登山道から離脱してしまった人を、あなたは何人も知っていることでしょう。
人は、人生ゲームを徒競走のよう考え、早く目的地に到達することばかり考えてしまう傾向があるようです。そのために、そのコースの最短コースを計画し、人生のタイムテーブルを作り、現在から旅立ちまでを決めてしまっている人もいるほどです。しかし、その計画は、計画倒となることでしょう。人間には、時間と空間(時代背景)をコントロールできないからです。
さらに、そのように若い時期に、何もかも計画どおり成功し夢の総てを成し遂げてしまったとしたら、後は何もすることがなくなってしまい、あの世へ行くことだけしか残らない、とは考えないようです。
若い時期に、何でも成し遂げてしまおうとすることは、たとえれば、人生の早食いのようなものです。食事中は、料理の盛り付けも鑑賞せず、賞味もせず、腹に収めることだけを考え、食後、その料理を想像により味わうようなものです。食事は、早く食べることが目的ではなく、楽しく賞味することに意義があると同じに、人生ゲームも早く目的地に着くことではなく、楽しく人生ゲームをすることに意義があるわけです。
その結果として、目的地に早く着いてしまった人も、中にはいることでしょう。その人と比べて、現在のあなたが、目的地よりも遥か遠くにいるとしても、焦る必要もありません。人は人、自分は自分、他人の人生ゲームと、あなたの人生ゲームとを比べてみても無意味です。早く目的地に着いてしまった人の人生ゲームは、その人だけのゲームだと同様に、あなたの人生ゲームは、あなた自身のためだけのゲームだからです。
それでは、あなたが現在、あなたの思うような人生ゲームをしていないと感じたら、どのように考えれば、楽しくなるのかを述べてみましょう。
人は、過去の情報を素材として、内なる世界に色々なイメージを創造し、その世界を現実の世界とを比較して、優越感を味わったり、その逆に劣等感に苛まれるのです。
もし、あなたが中高年で、現在プロカメラマンの登山道から遠く離れた職業についていて、いまだに、どのようにしたら登山できるかを思案しているとしたら、毎日もそれほど楽しくはないかもしれません。
若い時期に、写真家協会のメンバーとなり、ある程度プロカメラマンの地盤を築いていなければ、登山し頂上に立つ資格がないと、信じこんでしまっているとしたら、その考えは間違っています。
プロカメラマンとは、写真作品をとおして人々を楽しませたり、感動を与えたりする職業人です。ですから、年令なんて関係ないのです。人々を楽しませ、感動させる写真作品が撮影できる間は、定年にもなりません。
しかし、若いということは「時分の花」ですから、ただ若いというだけで「オーラ」を発することができるわけです。そこに、一寸した才能が芽生えれば、マスコミなどが大騒ぎをしてくれるでしょう。しかし、時がくれば、その「オーラ」もしぼんでしまうのです。
そこで「オーラ」を発生できない年令になってしまった人は、どうすればよいかと言えば、それは「誠の花」となればよいでしょう。「誠の花」とは、その道を極めることにより獲得できる「オーラ」です。この「誠の花」は、「時分の花」とは違い、時がきても、その道を極める研究をしている内は「オーラ」を発し続けることが出来るのです。ですから、中高年の人は、「時分の花」に嫉妬したり、その時期に戻ろうと無駄な努力などしないで、「誠の花」を目指すことです。
つまり、あなたの現在の活動を、大きな山の麓で登山準備をしているところと考えることです。
一流プロカメラマンへの登山準備とは、カメラや被写体をコントロールする技術を修得するだけではないでしょう。その他の準備としては、自分自身の潜在能力とか実力とかを客観的に評価できること、潜在顧客を開拓する技術を修得すること、金銭トラブルを回避するための基礎経理を修得すること、人脈を広げるネットワークをつくること、宣伝広告の原理を知り、そのことを実行できること、等々考えればキリがないほどすることがあるはずです。
それらの登山準備が完璧にできたとすれば、たとえ装備不足のため一度登山に失敗したとしても、今回は成功が望めることでしょう。
そのように考えれば、あなたのこれまでの人生ゲームの総ては、登山準備をしていたことになるのです。あわてることはありません。あなたは今、麓が広い高い山を目指しているのですから。
 
 
 
どこから登っても頂上は一つ
 
 
 
総てに言えることですが、時代の流れが要求すれば、当然その流れに合ったものが出現してきます。
たとえば、コミニュケーション手段としての一昔前のFAX通信は、今やEメールとなり、さらに人々の欲望を満たす方向で進化し続けているのが現状です。
カメラマンの世界もその例にもれません。映像を記録するカメラも銀塩カメラだけではなく、デジタルカメラを現実のものとし、実際にプロカメラマンの道具として活躍しているのが現状です。
そのように人間の欲望を満たすために、技術力が次々と夢のようなカメラを創りだしたおかげで、映像を記録するという行為は、特殊技術者のものではなく、誰でもできる行為となってしまったようです。
つまり、一昔前のカメラマンは、カメラメカニズムの制御をその主な作業としていたわけです。しかし、現在では、それらの作業はエレクトロニクスが解決してしまいました。そうなりますと、当然カメラマンの作業は、他の作業に移らざろうえません。それが一般的に言う、レンズ以前の作業と映像処理(昔は現像と言っていました。)後の作業ということです。
レンズ以前の作業とは、被写体情報についてのことです。映像処理後の作業とは、デザイン・レイアウトさらにアウトプット(昔は印刷と言っていました。)などのことです。
それらのことは、以前でしたらそれらの専門家がいたのですが、商業主義の効率化が仕事間の溶解を招き、さらにエレクトロニクスが匠の技の垣根を取払ってしまいました。
昔のデザイナーの卵は、カラスグチで直線、曲線を書分ける修行を何年もしたものです。しかし、今やパソコンとデザインソフトを買う金力がある人ならば、誰でもすぐにプロデザイナー並みの線を引くことは可能です。時代の流れを読めないカメラマンだけではなくデザイナーも、時代の流れに翻弄されているのが現状です。
そうなりますと、職業間の垣根がなくなりつつある今日、時代の流れを読むことができる気のきいたデザイナーは、カメラマンの分野に進出してきます。さらに、旅行記者、考古学者、挙句の果ては写される側だったモデルまでがこの分野に進出してきているのが現状です。
そのように時代の流れが変化しているのに、現実のプロカメラマン世界の情報を入手していない若者達は、一昔も二昔も古い情報を基に、プロカメラマンへの道を、心に描くわけです。
たとえば、高校卒業後、写真大学もしくは写真専門学校に入学し、そこを卒業と同時に有名広告代理店かデザイン会社にカメラマン社員として入社し、または有名プロカメラマン先生の助手となり、写真界にコネを付けて後、時期をみてプロカメラマンとして独立する、というストーリーです。
一昔前でしたらよいのですが、いまやプロカメラマンの競争相手は、被写体に対しての業界専門知識を持っている、あるいはデザインができる写真を上手に撮ることができる人達なのです。そのような人達と仕事を取り合うのに、写真概論とか現像処理とか一般教養などしか勉強してこなかったカメラマンは、他の武器を装備しなければ戦いにもなりません。(写真学校に行くのが無意味と言っているのではありません。他の分野の専門知識も習得しなさい、と言いたいのです。)
カメラがブラックボックスの時代でしたら、うまく写すことが、プロカメラマンの重要な条件のひとつでした。ですから、写真撮影の仕事を依頼する側も、写す能力の裏付けとして有名プロカメラマンの技術を継承しているカメラマンに仕事を依頼したわけです。撮影技術の裏付けを確認するために、「あなたの師匠はどなたですか。」などの問いかけは今や聞かれなくなってきたほど、エレクトロニクスを多用した撮影補助機材の発達は、撮影の失敗を回避させてきたのです。
その結果、写真は誰にでも写せる、ということが一般的事実となってきたため、写真の仕事を依頼する側の意識も、そのカメラマンの人間性を基本として、そのカメラマンが何を考え、それをカメラを道具としてどのように表現できるか、あるいはその被写体の業界専門知識をどれだけ蓄積しているかに重点を移してきているのが現状です。
そのような時代ですから、現在売出し中のプロカメラマンの履歴を見てみますと、写真学部卒の人達よりも、他学部やまったく写真とは関係ない職業から、独学で写真を研究してきた転職組みの人達が多く見受けられるのです。
現在のプロカメラマン世界は、新しい時代のうねりの中にいるようです。それは、一昔前のカメラマンエリートコースに乗らなくても、プロカメラマンとしてデビューできる時代となっているからです。
極端に言ってしまえば、現在では、前歴が何んであれ、写真の仕事を取ってこれる才能があれば、どのような職業からでもプロカメラマンに変身できるのです。ということは、仕事を取るためのマーケッティグと写真家としての生活を維持していくためのマネイジメントのノウハウを習得できるとすれば、誰でもプロカメラマンに変身することが可能ということです。
そのような考えで、あなたがプロカメラマンに変身する手段を考えてみましょう。
プロカメラマンとして活躍するには、マーケティングとマネイジメントの研究をすることと述べましたが、どのようにすればよいのでしょうか。
一昔前では、有名カメラマン先生の所で助手として修行していれば、ある年月を経れば、慈悲深い先生が仕事を分けてくれることで、独立することも可能だったかもしれません。一昔前は、マーケティングやマネージメントの勉強などしなくても、写真の仕事が沢山あったからです。
ですから、暖簾分けを受ければ、プロカメラマンとして独立できたのです。暖簾わけとは、ブランドイメージの継承です。つまり、有名カメラマンの助手をすることは、ブランドマーケティングをしていることになったのです。そのような理論を知らなくても、有名人から師事を得た人は、その有名人のイメージを継承できたのです。
しかし、カメラマン過剰状態の現在では、そのことは望めないかもしれません。そのためには、自身でブランドを確立する必要があります。その場合、あなたがブランドイメージを勝手に創るのではなく、市場に合わせたブランドを創らなければ、意味がありません。しかし、写真需要家の要求も多様化しているため、どのようなブランドが需要家に受け入れられるか分かりません。そこで、あなた自身のカメラマンとしての市場調査が必要となってくるのです。
これからのカメラマンに要求されていることは、自身の写真技術をアピールすることと同様に、あなたのブランドイメージの確立です。誰でも写すことができる時代ですから、その差別化を図らなければ、有利な仕事ももらえないし、セールスするにも不利が予測されるからです。
ですからまず、あなたがやらなければならないことは、自身のブランドイメージを確立することです。ブランドイメージなどと言うと、何だか難しいことをするように思うかもしれませんが、その基本は、他のカメラマンと何処が違うのかをアピールすることです。その違いとは、写真作風はもとより、自身の生き方、考え方、風貌等等色々考えられるでしょう。
もう一方のマネイジメントを勉強するには、実際の経済活動で実践することです。
それらの二つのことを勉強する手段のひとつとして、実際の会社を、マーケティングとマネイジメントを修得するための学校とみなし、優秀な営業マンとなり活躍することです。
現在あなたがプロカメラマンとして独立できる環境にいないとしても、悲観する必要はありません。あなたは、プロカメラマンの表道を行けないのならば、裏道をいくことで、そのことは解決できるでしょう。どこから登っても頂上は一つなのですから。
 
 
 
会社は学校だ
 
 
 
カメラマンとして何年も勉強していながら、未だに自分の思うような写真活動ができていないとしたら、それは多分、仕事の売り込み方を知らないか、あるいは間違った売り込み方をしていたのかもしれません。
人間は、生まれながら皆平等だと言われているようですが、どうもその考え方は違うのではないかと思われます。
たとえば、ここに腕が同等のプロカメラマンが十人いるとします。そして、写真撮影依頼者も同数の十人いるとします。もし、それらの依頼者達が、それぞれのプロカメラマンに、平等にひとりづつ写真撮影の依頼をするとすれば、皆仲良く平等に仕事ができて、万万歳となるわけです。
しかし、現実の世界では、二人のプロカメラマンに八人の撮影依頼者が殺到し、それに対し、二人の依頼者に八人のプロカメラマンが殺到する傾向があるようです。このことを、一般的に、「二八(にっぱち)の法則」と言うそうです。
それでは、その二人の人気のあるプロカメラマンと他の八人のプロカメラマンとの撮影能力差は歴然とあるのかといえば、その差は認めがたいでしょう。なぜならば、現在のエレクトロニクス撮影機材を駆使するとすれば、撮影の失敗など稀ですから。
と言うことは、その人気のあるプロカメラマンは、ただたんに撮影が上手いだけではなく、他に何かの魅力なり能力を持っているのでしょう。つまり、その人気プロカメラマンに撮影依頼をすることにより、他のプロカメラマンにない多大なメリットを依頼者側に与えるイメージを持っているのでしょう。
もし、あなたが八人の仲間だったとしたら、その人気ブロカメラマンを分析し、その結果をあなたのものとすれば、二人の仲間に入れるかもしれません。
おそらくその二人のプロカメラマンは、撮影能力の他に、八人のプロカメラマンが持っていないもの、たとえば、営業センスや接客テクニック、あるいは企画力やブランドマーケティング手法などを修得していたのかもしれません。
もしそうだったとしたら、あなたはそれらのことをこれから修得することは賢いことです。なぜならば、プロカメラマンと言へども、仕事を貰うというその基本は、物やサービスを販売するセールスマンと同じだからです。
一流と言われているセールスマンは、営業センスや接客態度、あるいは販売戦略をたて、そのことを実現させる戦術を考え出す能力に優れています。そこであなたが、その一流セールスマンのそれらのテクニック総てを修得するとすれば、一流プロカメラマンに変身できる可能性が大きくなるということです。
それでは、あなたがそれらのことを何処で修得すればよいかと言えば、そのひとつとして「会社」が考えられるでしょう。
この現実の社会には、社会人として守らなければならない色々なルールがあります。さらに、物やサービスを売ることにも面倒なルールがあります。
あなたを中心に世界が回っているとしたら、あなたの感情の赴くままにルールなど無視して世渡りしていけることでしょう。しかし、あなたを中心には世間は回ってはいません。ですから、セールスにおいての人間関係のトラブルを回避することや、アポイントの取り方、接客の仕方、仕事のもらい方、そしてお金の受け取り方等等セールスマンとして諸々のルールを知り身に付けておくことは、セールスマンだけではなく、これからのプロカメラマンにも必須のことになるのです。
現在、有名プロカメラマンは沢山いると思えますが、その名に恥じないほど実収入がある人は、いったい何人いるのでしょうか。名実とも優れていて、さらに息の長い有名プロカメラマンは、数少ないものです。それら数少ない有名プロカメラマンは、撮影の腕もさることながら、人間的に深みがあったり、人々を楽しませる才能をもっていたりするものです。さらに、人気を持続させるためのブランドマーケッティングや、新たな仕事受注のためのマネイジメントに対する知識や、それらを実践する能力も優れているものです。たとえ、その有名プロカメラマンに、それらの能力がないとしても、宣伝広告や計数に明るいスタッフ達が回りにいて、支えているものです。
もしも、あなたに、それらのスタッフ達を雇えるだけの資産があれば別ですが、もしないとすれば、あなた自身でそれらのことを勉強し、そのノウハウを使えるように研究する必要があるわけです。その手段として、実社会のルールからマーケティング・マネイジメントまでを勉強させてもらいながら、プロカメラマンとしてデビューするための軍資金を貯めることができるサラリーマンになることは、プロカメラマンになれるための戦略のひとつとなるのです。
あなたはまだ、何故にプロカメラマンの道を進むために、サラリーマンにユータウンするのかを理解できないでいるかもしれません。でも、もう一度あなた自身の今いる状態を客観的に観察してみて下さい。
あなたの写真の腕に対しての今の報酬は、あるいは評価は、満足できるものですか。
もし、満足できないものであるならば、サラリーマンにユータウンすることは、目的地に向けて遠回りするように思えても、現実的には、近回りしていることになるのです。
サラリーマンとしてのセールスマンで成功することは、プロカメラマンとして成功するための基本が学べるからです。それも、毎月月謝を払うのではなく、給料(少ないかも知れませんが。)を貰えるのです。
会社は、あなたに社会のルールや営業の仕方、人脈の作り方、金銭トラブルの処理の仕方、人間関係の裏表、等等プロカメラマンとしての営業上の基本を教えてくれることでしょう。そうです、会社はあなたにとっての学校なのです。
 
 
 
営業センスを磨こう
 
 
 
実際の学校を選ぶ場合にも、将来どのような職業に就くのかを考慮するのと同様に、あなたが目指すべき会社は、あなたが将来どのようなプロカメラマンとして活躍したいかを考慮した結果により決めるべきです。
もしも、将来あなたが芸能系プロカメラマンを目指すのであれば、芸能関係の会社を目指すことです。芸術系であれば、芸術関係の会社のように、あなたがプロカメラマンとして活躍する所に近い業界の会社を目指すことは大切です。
目指す会社が決まりましたら、就職活動となるわけですが、もしあなたが年令ピンチ以上の年令であるならば、入社するのに困難が予想されることでしょう。その場合、あなたの人脈の中にその会社関係の人がいるとしたら、就職活動の援護を頼むことは賢いことです。
就職活動とは、「人道」よりも「天道」に近いものですから、あなたがいくら努力したからといって、良い結果が得られる保証などありません。ですから、チャンスに巡り会うまで、数多く受験する覚悟をしておくことは、精神衛生上好ましいことです。
年令ピンチの人は、さらに考えておかなくてはならないことは、正社員としてではなく、臨時社員、あるいはアルバイトでも、入社できるのであれば「可」ということです。目的は、その会社でステップアップして偉くなることではなく、プロカメラマンとして営業していくためのノウハウを勉強することだからです。それには、「名」を捨て「実」を取ることです。
面接をして、運良くあなたが採用となった場合、あなたがチェックしておくことは、給料のことではなく、その会社であなたが履修すべき科目があるのか、そして勉学環境はどうかということです。その基本条件のひとつとして、一日中会社内勤務ではなく、社外に出て多くの人達と知り合うことができるかどうかということです。
条件が合い、運良く目指す会社に入れたとしましょう。
あなたはもう一度、履修科目をチェックしましょう。
1.営業の基本を学ぶ。
2.将来の人脈を作る。
3.業界知識を得る。
4.将来の写真活動のための軍資金を貯める。
5.休日を利用して写真作品を創る。
普通の学校であれば、入学と同時に卒業日の予定がわかりますが、この場合、卒業日は自分で決めなければならないわけです。いずれにしても、上記の科目を履修したとすれば、その日が卒業日となるわけです。
実際の学校と異なり、会社学校には、教科書などありません。ですから、あなたが営業の基本を学ぼうとしても、どのようにして学ぶのか分らないでしよう。その場合、その会社のトップセールスマンをあなたの教科書にすることです。「学ぶ」の語源が、「真似をすること」からきているように、対象となる人の言動を真似することはそれなりに意義のあることなのです。そして、よい教科書に巡り会えたことは、成功の切符を手にしたも同然なのです。
さて、会社の研究開発の成果の商品を、何人かに売らせる場合にも、「二八の法則」が成立ちます。
その法則での優秀なセールスマンは、一般的に、営業センスが良いと言われています。それでは、その営業センスとは、どのようなことなのでしょうか。
世間一般では、営業センスと言えば、すぐ頭に浮かぶ言葉は、「巧言令色」でしょう。立て板に水、言葉巧みに人を言い包めて商品を売ること、と考えられているようです。しかし、その考え方は違います。高速道路での物品売りでは、そのような営業方法でも成功するかもしれませんが、人が末永くセールスマンとして成功するには、リピーターを作らなければできないでしょう。
それでは、リピーターを作る営業方法とは、どのようなことなのでしょうか。それは、優秀なセールスマンを観察すれば分るでしょう。そのセールスマンは、その商品が、抱えている問題を解決できる人を探し出します。そして、その問題を抱えている人の相談にのってあげます。後は、契約書にサインをもらうだけです。
このことは、たとえば、鉱脈が眠っている鉱山を採掘するようなものです。掘り進んで行けば、何時かは鉱脈に突き当たるのは当然です。
しかし、八人のセールスマン達は、鉱脈の事前調査もなしに、いきなり採掘することにより、鉱脈を掘り当てる確率がすごく少ないわけです。
営業センスとは、問題を抱えている人を探し出し、その相談に乗り、その問題に対して相手側に立って解決策を提案することができる技術のことです。
それでは、問題を抱えている人を探し出すには、どのようにするのかと言えば、実社会では、市場調査をおこない、なにが今問題なのかを調べます。
どのような会社でも、仕方は色々ありますが、そのように鉱脈探しを行なっているのです。ですから、あなたが、どこかの会社の営業部に配属となれば、鉱脈探しの勉強ができるわけです。
会社に入り、勉強する前に、肝に銘じておかなければならないことがあります。
実際の学校に入学すると、配布された生徒手帳に、学生として守るべき事柄を簡潔に記した生徒心得などが記載されています。それと同様に、会社学校に入学したら「生徒心得」に照らして行動する必要があるのです。
それでは、あなたが守るべき会社学生心得を述べてみましょう。
心得その1:自分を、どこかの国から来た留学生だと思うこと。
そのような態度で、会社生活をしていれば、たとえ目下の人にでも、分からないことがあれば、素直に聞くことができるでしょう。
心得その2:会社内の政治にはかかわらないこと。
どのような小さな会社でも、派閥があるものです。あなたの目的は、派閥を利用して偉くなるのではなく、勉強するためにサラリーマンとなったのです。八方美人的に行動することで、そのことを回避しましょう。
心得その3:入社した日に、心の中で辞表を書くこと。
その組織に定年までいることはないでしょう。心の中で辞表を書いておくことで、組織内での軋轢に対する抵抗力が付きます。
心得その4:飲み会などの付き合いは、社内の人達ではなく、社外の人達に限ること。
会社の飲み会での主なテーマは、上役の悪口か社内の良からぬ噂です。そのようなことに貴重な時間を使うのは、お金を無駄遣いする以上に「もったいない」ことです。それよりも、社外の人達と飲むことで、貴重な情報が入る場合もあるし、人脈も広がっていく可能性もあります。
心得その5:常に転学を考えておこう。
ひとつの会社で、何から何まで勉強することは不可能ではないかもしれませんが、効率がよくありません。ですから、学ぶべき科目がなくなったら、「転学」することで履修科目を増やしましょう。
心得その6:会社側からではなく、顧客側からの立場で営業すること。
顔を会社の上層部に向けて働くのではなく、顧客の利益を考えて行動することにより、顧客が増えていくことにより、人脈も広がっていくのです。
心得その7:発つ鳥、後を濁さず。
良くあることですが、辞表を提出する時、自分ではカッコイイと思っているのか、叩きつけるようにして出す人を見かけます。人間関係の人脈は繋がっているのです。何処でまたお世話になるのかは分りません。ですから、辞表を提出する時は、辞めた後、再訪できるような状態であることが望ましいのです。
以上の心得が身についたとしたら、あなたの会社内外での行動は、筋の通ったものとなっていることでしょう。そのような考えを基盤として、毎日営業活動に励むとしたら、それはもう、即、毎日営業センスを磨いていることになるのです。
 
 
人脈を広げること
 
 
 
営業マンは人に会うことが仕事の基本です。ですから、あなたが営業マンとして優秀になればなるほど、その業界の色々な人達と巡り会う機会が多くなるわけです。
人に巡り会うことは、簡単なことのように思えますが、それには「縁」が必要です。あなた自身の交友関係を考えてみて下さい。地球には何十億の人達が生活しているのに、あなたを知っている人達は、いったい何人いるのでしょうか。
さらに、親、兄弟、親戚、近所の人達、学生時代の友人、仕事先で知り合った人達、その他何かの縁で知り合った人達など色々といると思えますが、その交友関係の中にあなたのことを十分理解している人は、いったい何人いるのでしょうか。
多少なりともあなたのことを知っていて、さらにあなたのことを十分理解している人は、あなたと何らかの縁により心的接触があった人なのです。あなたと心的接触がなかったならば、それらの人達の心の中には、あなたは存在していないでしょう。
人は、それぞれの自己中心の人生ゲームに日々夢中になっていますから、何らかの印象を心の中に残せない人は、時とともに忘れ去られてしまうことでしょう。
それでは、人脈を作るために、人に知られ、そして理解され、さらに末永く覚えていてもらうには、どのようにしたらよいのかを考えてみることにしましょう。
営業マンとして日々活動していれば、必然的に多くの人達と知り合いになることでしょう。だからと言って、それらの人達皆が、あなたのことを理解し、あなたの人脈となるかは疑問です。何故ならば、人脈となるには、両方向の友好的コミニュケーションが成立していないとできないからです。
例えば、あなたがテレビでよく知っているタレントがいるとします。あなたが、そのタレントのことを全て知っているとしても、そのタレントは、あなたの人脈とはならないでしょう。そのタレントがあなたの人脈に入るには、そのタレントもあなたのことを知っていて、両方向で友好的コミニュケーションがとれる関係にいる必要があるわけです。
さらに、人脈を作る前に考えておかなければならないことは、人脈をどちらの方向で広げていくか、ということです。
このことは、有名ゲームで述べた、同心円の椅子をイメージすると理解し易いでしょう。人脈をどちらの方向へ、と言うことは、あなたが同心円の椅子の一番外側にいて、中心の椅子に座っている人達を目標に人脈を広げていくのか、それとは別に、あなたが椅子の中心に座って、その外側に座る人達に人脈を広げていくのか、ということです。
何故その方向を決める必要があるのかといえば、この二つの異なる方向では、人脈作りのアプローチの仕方が全く違うからです。
人脈作りには、以上二つの問題があるわけですが、まず両方向の友好的コミニュケーションを成立させる方法を考えてみましょう。
ひとは体力的に弱い生物ですから、それを補うように、武器など作り身を守ろうとします。さらに、言葉を利用できますから、その言葉を情報として加工することにより、見えない武器をつくります。そのことを、一般的に、理論武装と表現しています。
ひとの潜在意識には、自動行動プログラムがあります。それらは、身を守る、子孫をのこす、を基本としています。それらの基本的自動行動プログラムも、先天的素質と後天的環境とに創られた性格の鎧を付けると、色々変化してしまうようです。
ひとは、それらの二つの基本プログラムを基に、日々行動しているわけですが、外界の情報を識別する方法は、そのひとの性格の形成要素である考え方により異なるようです。
例えば、思考回路が、人間は基本的に善い性格を持っている、とする性善説にセットされている人と、人間は基本的に悪い性格を持っている、とする性悪説にセットされている人とでは、同じ情報であるとしても、異なる行動をおこすようです。
ですから、純真無垢なあなたが人脈作りをする目的で、目的のひとに近づいたとすると、そのひとが性悪説にセットされているとしたら、先ず身構えることでしょう。そして、あなたについての色々な情報を分析し、あなたが、そのひとにとって「敵」でないと分った時、はじめてあなたを受け入れてくれることでしょう。つまり、両方向での友好的コミニュケーションが成立するわけです。
ですから、あなたが人脈作りのためにアプローチする場合、相手の思考回路がどのようになっているのかを観察した後に、それに合わせた行動をする必要があるわけです。
相手の思考回路を知る方法は簡単です。その人の話す言葉をよく聞くことです。そして、そのひとの言葉の使い方を分析するとすれば、その人の大体の思考回路を推測することが可能でしょう。
それでは、ひとがどのような過程を経て、コミニュケーションを成立させるのかを考えてみましょう。
ひとは、敵か味方かを識別できるまでは、安全と思われる物理的および精神的距離を保つ傾向があるようです。この、人と人との二つの距離の長さを測ることで、コミニュケーションの濃さを知ることができます。
まず、あるところで見知らぬ人と遭遇したとします。その場合、眼により情報収集をします。相手に敵意を見なかった場合、次の行動として、挨拶などの言葉をかけ、その反応を耳で確かめます。敵意を見ず距離が縮まると、あいての体臭を鼻により確かめます。敵意有りの場合、緊張して汗の匂いを発散させるからです。敵意を感じない場合、さらに近寄り、言葉を媒介として相手の腹の探り合いをします。その場合、自分に敵意がないことを示す為に、握手を求めます。その手の握り具合で、相手の反応を確かめます。それらの儀式を経て、コミニュケーションの入り口に入れるわけです。
これらのことは、例えば、選挙運動の時よくみかけるでしょう。立候補者が演説を終えると、群集の中に入り、誰かまわず、言葉をかけ握手をしまくるでしょう。言葉をかけられ握手された人は、心の中にその立候補者が入り込むことにより、後日、投票用紙にその人の名前を記入してしまうわけです。
コミニュケーションを成立させるには、相手に敵意のないことを示すことが基本です。そのためには、あなたは、目的の人と対峙する時は、緊張するのではなく、リラックスする必要があります。どうしても緊張してしまう傾向がある人は、もう一度「リラックスの仕方」を復習することは、その解決方法のひとつとなるでしょう。
人と対峙した時の緊張は、慣れが解決してくれますから、あなたの毎日の営業マンとしての活動がよい訓練となることでしょう。
さて次に、人脈の広げ方を考えてみることにしましょう。
前述しましたように、広げ方には二つの異なる方向があります。その二つは、例えば、中心に向かって広げる仕方を「秀吉型」、そして、裾野に向かって広げる仕方を「教祖型」と呼ぶことにしましょう。
「秀吉型」の人脈作りのアプローチの基本は、そのひとが望む物やサービスを貢ことです。付け届けは、昔も今も、アプローチの重要な手段のひとつだからです。
組織の中で頂点に立っている人の大部分は、自分より優れた能力を保持している人を避ける傾向があるようです。喩えその人にそのような傾向がないとしても、側近がその役目をするようです。
ですから、それらの人達にアプローチをする時は、能力は隠し従順さを示すことは大切です。その従順さを示す表現のひとつとして、物品を貢ことが考えられます。このことは、一般的に慣例化されているでしょう。お中元やお歳暮は、結して目上の人から目下の人には贈らないものです。
目指す人物が、遥か遠くの椅子の場合、先ずあなたの手の届く人からアプローチすることです。そのように外側からひとつづつ内側に向けてアプローチして行くとしたら、必ず目的の人にたどり着くことでしょう。
それでは、「教祖型」の人脈作りを考えてみましょう。
「教祖型」の人脈作りは、ゴルフ会員券を販売する方法と同じです。まず、一次会員に優秀なメンバーを集める必要があります。その優秀なメンバーを核として、順次輪を広げていけばよいのです。
一次会員の優秀なメンバーを集めるためには、あなたは写真に関して一般レベル以上の特技や技法を身に付けている必要があります。
あなたは、毎日の営業活動で、企業の経営者の言動を見聞きできるでしょう。見方を変えて見れば、企業経営者も一種の「教祖」です。なかには、明らかに教祖そのままの人もみうけられるでしょう。そのような人達を観察し、そして研究することで、どのようにしたら「教祖」になれるかを知ることができるでしょう。
いずれにしても、営業マンとして、日々精進していれば、人脈作りのノウハウは勉強できるのです。あなたが、「秀吉型」か「教祖型」かで人脈を広げるかは、あなたがどのようなプロカメラマンを目指しているかによります。あなたの性格や環境に合った人脈作りをすることが一番です。
 
 
舞台衣装を調えること
 
 
 
プロカメラマンとして自立するために、会社学校で営業マンとして履修する基礎科目は、営業センスを磨くこと、そして、人脈を広げることです。それらの技術を修得するためには、目標とする人とのコミニュケーションの取り方が基本です。そこで、営業マンとして実践を通してそれらを学習するわけですが、その具体的方法を考えてみることにしましょう。
コミニュケーションの距離の縮め方は前述しました。視覚、聴覚、臭覚そして触覚の順にその濃さが増していくわけですね。それには、目標とするひとに、何らかの方法でメッセージを伝えることなくしては、その距離は縮まりません。
あなたの場合にも、目標とする人にアプローチをかけるには、コミニュケーションを取る目的で、なんらかのメッセージを伝える方法を考えなければなりません。
ひとは初対面の人物を評価するために、先ず視覚から情報を入力し、そしてその情報を分析する傾向があるようです。
あなたが営業マンとして初めての顧客を訪問したとします。すると、その相手は先ず、挨拶としてお辞儀をする瞬間に、あなたの靴に注目することでしょう。その靴は相手にメッセージを伝えます。高価でなくても綺麗に磨かれていれば、几帳面な印象を与えることでしょう。その反対に、高価であってもよれて踵が磨り減っている靴を履いているとしたら、ルーズな印象を相手に与えることでしょう。
そして、次に服装全体を観察するでしょう。ワイシャツの袖口や襟などは、その分析の重要なポイントになります。さらに、身に付けているアクセサリー類、特に、時計などは、強烈なメッセージを相手に与える道具となります。
このことを応用したのが、ブランド品ビジネスです。実用的には無意味な豪華さも、メッセージ伝達として大いに役立つことにより需要を喚起しているわけです。ですから、その世界では、強烈なメッセージを相手に与える為に、馬鹿馬鹿しい値段(材料費に対して、高価すぎるという意味です。価格の大部分は宣伝広告費らしいとのことです。)であることが、そのブランドビジネスの基本となるわけです。
コミニュケーションというと、言葉を媒介として成立するものだと思っているひとがいるようですが、そのように視覚によるメッセージ伝達は、それにも増して実生活において重要な媒介となっているのです。
そのようにして、相手は外観によりあなたを値踏みして、やおら名刺の肩書きを見るでしょう。あなたの場合、入社間もないですから、その名刺の肩書きによるメッセージ威力はないかもしれません。そして、出身学校などをさりげなく聞くことでしょう。
視覚からの情報入力が済んだら、次は聴覚からの情報収集となります。世間話的な会話の中から、あなたの人物像をイメージしていくのです。その話の中で、有名人や著名人があなたの人脈としているとしたら、それは相手に対して強烈なメッセージとなり、それによりコミニュケーションの距離がぐっと近くなることでしょう。
少し落着いてくると、臭覚が情報収集することでしょう。背広の汗臭さや靴の匂いは消臭しておいたほうが良いかもしれません。
相手があなたに興味を持ったか、あるいはコミニュケーションの取り方を熟知しているひとならば、別れ際に、あなたに握手を求めることでしょう。その握り方であなたの相手に対しての情報を収集するわけです。
日常の営業活動で、初対面のひととのコミニュケーションの流れの概略は、以上のように行なわれることでしょう。
実際に、言葉ではなく、視覚によるメッセージは、見知らぬ相手に情報を伝えます。友達を求める欲求が強い青年期の若者達の服装や髪型、あるいはメイクなどを観察すると、このことが良く理解できるかもしれません。
若者達は、友達を求める手段のひとつとして、髪型や服装、あるいはアクセサリーの小物などに強い興味を示します。それは、コミニュケーションを取るための、メッセージの伝達のひとつとして、視覚によるアプローチが重要であることを本能的(潜在意識の回路にインプットされているプログラムのこと。)に知っているからです。
ここのところに目を付けたマスコミは、それらの情報を紙媒体や電波媒体で企画として発信しています。テレビの若者向けトレンディードラマなどの根底に流れているテーマは、まさにそのものずばりです。
若者が、友達とコミニュケーションを取る手段として、メッセージを伝達するための方法として、マスコミが提供する「奇抜な情報」に踊らされて時のブームを創ることは、何時の時代にもあることなのです。だからといって、若者達を笑えません。大人の世界だって同じことです。あのオジサン達の画一的なビジネスルックやゴルフウェアなども、衣装を合わせて同類となることで、コミニュケーションを上手く取る目的にしているわけですから。
さて、視覚によるメッセージの伝達の重要性が理解できたことにおいて、このことが本当か実験することにしましょう。
まず最初、あなたは、整髪もせず、少しくたびれた服装でちびた靴というスタイルで、営業に出てみましょう。その時の、セールス相手の反応を観察してみましょう。
そして、次の日は、下着から髪型までピシッと決めたスタイルで、営業に出てみて下さい。その時の、セールス相手の反応を、前日と比較してみて下さい。
人間として何ら変化していないのに、服装などの外観を取り繕うことにより、相手は異なる反応を示すことでしょう。このことを一般に、「馬子にも衣装」と表現しています。
そのように、初対面のひとは、外観の情報により、その人物を評価する傾向があるのです。その第一印象は、継続するイメージとなるため、初対面のひとには、あなたがどのような人物であるかのメッセージを伝えるための外観を取り繕うことは、重要なことなのです。
ここでの学習は、あなたがプロカメラマンとして自立していくための良い情報を与えてくれるでしょう。あなたがイメージするプロカメラマンとして営業していくために、そのイメージするような衣装を調える必要があるということです。
どのような職業でも、一流と言われているひとは、それなりの雰囲気のある髪型、衣装そしてアクセサリー等を身に着けているものだからです。
初対面のひととコミニュケーションを取る目的で、外観を取り繕うことでメッセージ伝達し、相手との距離を縮めることは、誰にでもできることですが、それはあくまでも入口に入ったにすぎません。
もう少しコミニュケーションを濃くするには、もう一歩前に進む必要があるのです。その手段として、あなたがどのような人物であるのかを、言葉を道具として表現することが考えられます。
そこで、次節では、あなたの内面を取り繕る方法を考えてみることにしましょう。
 
 
知的読書をすること
 
 
 
ひとが他人を理解することは、思うほど簡単にはいかないかもしれません。だからこそ、理解し合える人に巡り会えることは、人生ゲームにおける喜びのひとつかもしれません。
コミニュケーションを取るために、目標とするひとにあなた側から何らかのメッセージを伝え、アプローチに成功したとします。しかし、それはコミニュケーションの入口に入ったにすぎません。
次の段階として、コミニュケーションを濃くするために、あなたは、あなたのことを相手に理解してもらう方法を考えなければなりません。
それでは、ひとに理解されるとは、どのようなことなのかを考えてみましょう。
ひとが他人とコミニュケーションをとるためには、その会話における物事の共通の情報が、そのひと達のこころにあらかじめインプットされている必要があります。
例えば、会話においてこのことを考えてみましょう。あなたと誰かが、なにかの話題を話しているとします。その時、その会話における話題についての共通する情報・イメージを共有していないとすれば、その会話はスムーズに行なわれないでしょう。
次のようにも説明できるかもしれません。あなたがまったく英語が理解できないとしたら、英語しか理解できないひとと英語でコミニュケーションを取ることができると思えますか。
コミニュケーションが上手く取れないことのひとつとして考えられることは、同じ日本人だから、子供の頃から日本語を学習してきているために、時間をかけじっくり話し合えば、お互いに理解し合えるであろう、という誤解があります。
ひとは物心がつくようになりますと、視覚器官、聴覚器官、臭覚器官、触覚器官そして味覚器官などから情報を収集しますと、それらの情報を言葉を道具として、こころの中にイメージを構築するようになります。
この言葉を道具としてイメージを構築する訓練を、親子の対話において、乳幼児期から両親達などにさせられてくるわけですが、その学習・訓練の仕方がそれぞれの家庭環境や両親達の嗜好や性格により異なりますから、それぞれの子供達の言葉を道具としてイメージすることも同一ではないわけです。
例えば、嫌煙家と喫煙家との家庭にそれぞれ養育された子供達は、「タバコ」という言葉に対するイメージは異なることでしょう。
言葉は言葉として純粋に独立しているわけではなく、それぞれの学習過程での、「タバコ」のようにイメージを引きずってきているわけです。
物質に対する言葉でもそのようなイメージを引きずっているわけですから、抽象的なことを表す言葉、例えば「幸せ」、「楽しい」などのイメージなどは、数値で計ることができないため、それぞれの人達がどのようなイメージとして、こころの中に構築しているかは、知る術はないでしょう。
さらに、両親達により、言葉と行動の整合性をキチンと学習・訓練させられたのなら別ですが、子供達は、その整合性に疑いを持って成長して行くわけです。
その結果か、ある実験によりますと、コミニュケーションにおける影響力は、言葉は7%、声の質感が38%、そして顔の表情や態度などが55%だそうです。
そのように、言葉はコミニュケーションにおいての影響力は少ないのですが、相手のこころの奥を探るには、色々な情報を与えてくれることは事実です。ただし、感情をコントロールできない、意識している緊張状態でない時にかぎります。つまり、無意識の状態における言動によるということです。
ひとは、長い時間をかけて構築したそれぞれ異なるイメージ世界を、こころの中にもっているのです。それに、言葉に対するイメージもひとそれぞれの基準をもっているのです。例えば、「あのひとは背が高い」、と言う基準は、そのひとに比べてということです。
ここに、あなたが目標とするひとと、コミニュケーションを濃くするヒントがあります。その方法とは、あなたは、あなたの言葉を道具として、あなたを理解してもらおうとするのではなく、相手の言葉を道具として、あなたを理解してもらえれば良いということです。
つまり、あなたは話し手としてではなく、聞き手となればよいのです。そして、相手の言葉のイメージを分析し、それに合わせて、あなたの言葉を使いコミニュケーションをとれば、今よりもコミニュケーショヨンのとりかたが上手になることでしょう。
その訓練の仕方は、色々な人達の話を聞くことですが、人生には限りがあるし、あなたは営業マンとして時間を拘束されているために、話を聞きたいと思っている人に会いに行くことは困難を要するでしょう。その解決策のひとつとして、読書があります。
本を読むとは、考え方を変えてみれば、それは著者とあなたとの対話ともいえるかもしれません。その場合、話し手は著者で、聞き手があなたというわけです。そのように考えれば、色々なタイプの考え方(言葉を使ってイメージを構築すること)を学ぶには、色々なタイプの書籍を読めばよいのですが、人生には限りがあるし、読書時間も制約されるでしょう。
それでは、基本的なひとのこころの不可思議を知るために(理解するために)は、どのような人達の話を聞けばよいのでしょうか。
読書にはルールなどありませんが、それらを知る近道としては、まず宗教分野、次に哲学分野、そして心理学分野の順に読み続ければよいかもしれません。何故そのような流れがよいのかと言えば、誰しもが考えることの、「ひとは何処から来て、何処え行くのだろうか。」という疑問は、宗教書籍が答えてくれることでしょう。そして、「ひととは何者か。」という疑問は、哲学書が答えてくれることでしょう。そして、「ひとはどうしてそのような行動をしてしまうのか。」という疑問は、心理学書が答えてくれることでしょう。
そのような書籍とあなたが対話することにより、世の中には色々な考え方があることが分ることにより、あなたのこころの中のイメージのフレームが広がることでしょう。
イメージのフレームが広がるということは、あらゆる人達の目線に合わせてコミニュケーションがとれることを意味しています。ということは、本を読むということは、コミニュケーションを濃くする訓練にもなるわけです。
あなたが読む分野の書籍が分ったとしても、あなたは、あなたが求める知識や知恵を教えてくれる書籍と巡り会うことが必要です。書籍は、あなたの友人と同様に、その内容が相応しいものでなければなりません。それには、良い出会いのキッカケを作ることも大切です。
あなたは営業マンですから、顧客を訪問するために移動をするでしょう。その移動時間を利用して、書店を訪問すればよいでしょう。もし、あなたがルートセールスをしているとしたら、そのルートに沿って、書店を探し出せば、毎日が「先輩達」と対話できるわけです。
あなたは、そのような方法で、あなたの求める書籍と巡り会ったとします。そうしましたら、その書籍との対話(読むということ)の仕方を考えることです。それには、その書籍の内容と体裁とにより、読書時間を割り振ることも大切かもしれません。
精神を集中させる必要のある書籍や、携帯するには分厚すぎる書籍などは、朝起きて会社へ行く前にとか、会社から帰ってから就寝までの間に読むことがよいかもしれません。
内容が断片的で、且つポケット版であるならば、通勤時間や営業の移動時間などで読めることでしょう。分厚い本でも、章ごとに解体してしまえば、ポケット版になります。
そのようにお膳立てができても、どうしても読書が好きでないひともいるかもしれません。そのようなひとのための読書の仕方を考えてみましょう。
あるひとが、ある書籍を読破しょうとする場合、その読書計画などたてて、総頁数を必要日数で割り、一日の読書頁を決めることは、ありえることです。もし、そのように細密に計画などたてなくても、その書籍を何日で読破しょうと決めることは、一般的のように思えます。
そこで、そのひとは、その計画を実行するために意欲を持って読書にのぞむわけですが、その計画を遂行できるひとは、いったい何人いるのでしょうか。もし、そのようにして計画どおり読破できたとしても、ノルマをこなすような読書法での読書では、その書籍の内容が血肉となることは難しいかもしれません。
一般的に、何故そのような読書法を用いるかといえば、意志とか意欲とかを過大視しているからです。ひとを動かすものは、そのひとの意志や意欲だけではないでしょう。それらはむしろ、ひとを動かすほんの一部をコントロールしているにすぎません。
意志や意欲とは、前述していますように、欲の一種で、内在エネルギーを外側に向けるのではなく、内側に向けてしまうため、それが過ぎると、こころの容積内部の圧力が増してしまうため、その結果、使い方を間違えると、自己破滅の原因にもなりかねません。つまり、意志や意欲の間違った使い方は、体調のバランスを崩す原因となってしまうこともありえるわけです。
ひとの行動は、意識していられるほんの短い時間以外は、潜在意識の回路にインプットされているとおりのことをしているわけです。ですから、あるひとの潜在意識の回路に、読書をするための回路ができていないとすれば、いくら意志や意欲でもって読書しょうとしても、三日もしないうちに、その書籍は「積読」になってしまうわけです。このことは、一般的に、「三日坊主」と表現しています。ひとの意志や意欲は、一般的に、三日しか続かないのです。
昔のひとで、読書中の眠気を覚ますために、腿にキリを当てて一生懸命努力した読書家がいたそうです。しかし、そのような読書法が、一般の人達に通用するかは疑問です。読書をするには、一生懸命努力する必要はないのです。
子供を読書好きにする手段のひとつとして、幼児に絵本を与える時、蜂蜜を表紙に少し付けて、それを幼児に舐めさせてから、絵本を読み聞かせる方法があります。幼児の潜在意識の回路に、蜂蜜の甘さと本をリンクして刷り込むことにより、本に対しての好感度をインプットしてしまうわけです。
でも、今のあなたには、その方法は使えるかどうか疑問です。それでは、どのようにすれば、読書好きになれるのでしょうか。その方法とは、暗示を使って、潜在意識にそのような回路を創ればよいのです。
あなたは、目指す書籍を手に入れたとします。その時、読書をする気になっていたら、そのようにすればよいし、そうでなければ、その書籍を毎日あなたが目にする所に置いておくことです。読む気がなければ、決して読もうとする気を意志や意欲を使って無理に起してはいけません。
それではどのようにすればよいのかと言えば、その書籍を楽しく読んでいるところや、読破して満足しているところを、暗示を使ってこころに描き続けていればよいのです。
その暗示が、あなたの潜在意識に刻印され、そのような回路が出来上がれば、あなたは、あなたの意志や意欲とは関係なしに、あらゆる機会を利用して、楽しんでその書籍を読破できるでしょう。
ひとは、習慣性のことは、無理をせず、何気なくやってしまうのです。習慣性とは、一種の癖のようなものです。ですから、あなたは、暗示を使って「悪癖」ではなく、読書が好きになる「良癖」を創ることにより、読書をすることがアタリマエのことになってしまうのです。つまり、習慣性とは、別の言い方では、潜在意識にそのような回路を持っているということです。
そのようにして、宗教分野、哲学分野そして心理学分野の書籍を読破したことにより、あなたは、コミニュケーションのとりかたの幅が広がることにより、人脈も広がるし、あらゆるタイプのひとの意見を、目線で聞けるようになるため、営業センスも向上することでしょう。
そのようにして読書することにより、あなたは営業マンとして、プロカメラマンとして独立するための基礎科目を修得することができるでしょう。そのようにすることにより、独立するための装備ができたからといって、それだけで、プロカメラマンとして営業できるかは疑問です。
それらの装備が、実社会で実際に役立つか、テストする必要があります。そのためには、その装備を使って模擬戦をする必要があるでしょう。
その方法とは、あなたが営業マンから出門して、いきなりプロカメラマンとして独立するのではなく、休日を利用して、プロカメラマンとして独立できるかを模擬戦をすることです。つまり、ホリデイプロカメラマンとして写真活動をしてみるのです。
 
 
ホリデイプロカメラマンになろう
 
 
 
あなたはサラリーマンとなり、営業活動をしながら、営業センスを磨くことや人脈を広げることができたことにより、以前のあなたとは違う立場にいるわけです。
どのようにすれば潜在顧客を開拓できるかのノウハウ、そして、見知らぬ人とのアポイントの取り方、営業マンとしての身だしなみの調え方、セールスのためのコミニュケーションのとりかた、そのように行動した結果による今までになかった人脈の広がり、さらに、色々な分野の書籍を読んだことによるイメージのフレームの拡大、それによる人間的な幅の広さ等等、営業マンとして活動したことにより、以前のあなたから営業のプロフェッショナルに変身できたわけです。
さてそこで、会社学校で修得したそれらの技術が、プロカメラマンとして独立するために、実社会で通用するのかどうかを確認するために、「プロンメラマンになれる」ための前哨戦としての模擬戦をするわけです。
だからといっても、まだ会社学校を卒業したのではないですから、その模擬戦は、会社の就業時間以外の時間でおこなうわけです。その時間とは、休日、有給休暇などです。それらを合わせると、一般的な会社では、年に百日は下らないでしょう。それらの休みを利用して、ホリデイプロカメラマンとして写真活動をするわけです。
でも、あなたの今の身分は、プロカメラマンではなくサラリーマンであるわけですから、それに相応しい模擬戦場を探さなければなりません。
ホリデイプロカメラマンは、時間が拘束されているため、クライアント(顧客)の撮影依頼に合わせて仕事をこなすことは困難を要するでしょう。撮影依頼の仕事は、ただ目的物を撮影するだけではなく、事前の打ち合わせとか、撮影後の現像処理、さらには写真の納品など、色々な雑事があるものです。さらに、プロカメラマンの卵に撮影を依頼する仕事は、その場限りのものが多いと思えますから、それらのアルバイト的写真の仕事をしていても、小遣い稼ぎにはなるかもしれませんが、有名プロカメラマンの道へは進んで行けないかもしれません。
それではホリデイプロカメラマンは、どのような分野を目指せばよいのでしょうか。
その分野の条件としては、写真作品を創るための時間を制約されない、その分野のテーマを撮影し続けられること、写真作品を創るための雑事に煩らうことがないこと、作品の販売が委託できること、等等です。
それらの条件を満たす分野のひとつとして、ストックフォトの分野があります。前述しておりますように、ストックフォトとは、お客さまからの撮影依頼ではなく、カメラマン自身による見込み生産により写真作品を創り、その写真作品を販売または貸出すことです。
この分野は、広く業界一般に認知され、需要も多いですから、質の高い写真作品を創れるカメラマンであれば、自分の思うテーマを自分のペースで撮影し、それを委託販売または貸出すことは可能です。
ホリデイプロカメラマンは、サラリーマンとして定期収入(高額でなくても)がありますから、じっくり時間をかけてテーマの写真作品を創ることが可能でしょう。そのように、質の高い写真作品を時間をかけて創りだすことにより、有名プロカメラマンへの道を歩んで行けるわけです。
つまり、ホリデイプロカメラマンとして模擬戦をするには、ストックフォトの分野で、あなたは「写真作家」となり、創作活動に励めばよいのです。
そのように、写真作家として撮影した作品を、ストックフォトエイジェンシーに貸出し委託をすることにより、あなたの作品の客観的評価を得られることでしょう。
ホリデイプロカメラマンとは、プロカメラマン一歩手前のことですから、アマチュアカメラマンと本質的に異なります。それは、あなたが写真作品を創ることは、自己満足や自己顕示のためにするのではなく、お客様に買って頂くことを前提とするからです。そのためには、市場性のある写真作品を創ることを常に考えていなければなりません。
市場性についての学習は、営業マンとして活動していれば、それらの情報は自然と集まってくることでしょう。さらに日常の営業行動は、それ自体情報収集活動となっているのです。朝の営業に出る前の新聞、営業移動の駅張りのポスター、電車の中吊りポスター、出先で一寸寄った書店での雑誌の立読み、お客様との商談話、その他ありとあらゆる行動は、市場性の情報収集となることでしょう。それらの情報を素材として、テーマを選び、それに沿って写真作品を創って行けば、それはもうプロカメラマンの道を歩んでいることになるのです。
あなたがアマチュアカメラマンであるならば、写真作品を自慢するために雑誌のコンテストなどに応募することで、写真活動は完結することでしょう。
しかし、あなたはホリデイプロカメラマンといえども、プロカメラマンの仲間なのですから、いかにしたら世間から有名プロカメラマンとして認めてもらえるのかの戦略を練り、そして、それを実行するための戦術を考えなければなりません。
ホリデイプロカメラマンとして、プロカメラマンになるための戦略として考えられることは二つです。ひとつは、写真展開催、そしてもうひとつは写真集作りです。そして、それらの写真活動を世間に発表することにより、プロカメラマンとして認めてもらうことです。
それでは、その戦略を成功させるための戦術としては、どのようなことが考えられるのでしょうか。それらの写真活動をするための写真作品は、休日を利用して創ることです。そして、その写真作品をストックフォトエイジェンシーに預けることです。それにより、あなたの写真作家としての腕やテーマ選びの客観的評価を得られるでしょう。そのようにして、あなたの写真作家としての市場調査をしながら、あなたの目的のテーマが完結したら、その写真作品の写真展開催と写真集作りを企画することです。
その場合、あなたの営業技術を生かして、まずスポンサー探しをすることです。スポンサーが見つかったら、それらの協賛を得て、写真展や写真集が現実のものとなることでしょう。しかし、スポンサーが見つからなかったとしても、次の手があります。
あなたは、サラリーマンとして定期収入があるわけですから、写真活動資金を貯めることは可能でしょう。そのようにして活動資金ができたら、それらを使って、写真展開催や写真集作りを行なえばよいのです。
そのようにして、写真展を開催し、その会場で写真集を販売できたら、それはもうプロカメラマンとしてデビューしたことになります。そのようなことを、定期的に行なっていくことにより、有名プロカメラマンの道を歩んでいることになるのです。
 
 
プロカメラマンになれる日--卒業日は自分で決める
 
 
 
神様がどのような意図で、ひとのこころに自動行動プログラムをインプットしたかを知る術をもっておりませんが、その取り扱い方を知らない場合、このプログラムが、不都合を起してしまうこともあるのです。
例えば、誰かが、あるひとの手にハンマーを持たせたとしますと、そのひとは、出っ張っているクギを血眼になり探し出し、そして、それを打ち付ける行動を起します。
そのひとが、ハンマーで出っ張ったクギを打つことに目的を持っているのなら、それはそれでよいでしょう。しかし、今度は、そのハンマーを取上げ、替わりにクギ抜きをもたせますと、出っ張っているクギを探すところまでは同じですが、今度はそのクギを抜きにかかることでしょう。
つまり、ひとは、自分の目的は何か、そして、その手段は何かを考えず、さらに、何故にその物が手にあるのかを認識し、そして理解していないとすれば、誰かに与えられた課題を解決しようと、直線的な行動を起してしまう傾向があるのです。
このことは道具だけではありません。考え方やイメージもその手段となってしまうのです。
考える訓練が上手く出来ていないひとなどは、あるイメージができてしまいますと、その他の選択など考えることもなく、そのイメージ実現一直線になってしまうこともありえるのです。
例えば、日本の経済が悪いのは、行政の構造が悪いからだとの高名な経済学者のイメージ創りに惑わされた結果か、企業の二三など潰れて多少の犠牲者が出てもしかたない、何が何でも「構造改革だ!」と叫んでいる偉いひとも実際にいるのです。よぉく考えてみれば、人民が泣くような構造改革っていったい何なんでしょうか。
さてそこで、あなたがプロカメラマンとして独立するということを、今一度考えてみましょう。
あなたがホリディプロカメラマンとして模擬戦をして、実際のプロカメラマンの活動実体を知ることができたことでしょう。そのひとつとしては、他人からお金を貰う目的で写真活動をしたことです。それは、あなたがイメージしていたことと同じでしたか。
あなたが考えていたプロカメラマンのイメージと実際のホリディプロカメラマンの写真活動が同じであれば、何も問題はありません。そのまま今の写真活動を続けていれば、近い将来自立したプロカメラマンになれるでしょう。
しかし、同じでなかったひとは、もう一度、プロカメラマンとはどのような職業で、どのようにしてビジネスをするのかを考え直す必要があるでしょう。
あなたが仙人であるならば、お金のことなど考えなくてもよいでしょう。しかし、あなたは霞みを食べて暮らすことはできないのです。プロとは、その道で凌がなくてはならないのです。
そこで、あなたのプロカメラマンのイメージが、模擬戦での実態と合わないのであるならば、それを修正することは大切です。なぜならば、こころにあるイメージは、あなたの日常行動に影響を与えるからです。
あなた中心に世界が回っているのであるならば、あなたの思う通りに写真活動をすることは可能でしょう。しかし、今は、あなたは、世間という舞台における一役者にすぎません。ですから、あなたは、プロとして要求される演技をする必要があるのです。何故ならば、あなたは、お金を払うのではなく、お客様の方がお金を払う側だからです。そこが、アマとプロとの違いのひとつなのです。
そもそも、あなたのプロカメラマンのイメージは、どのようにして構築されたのかを今一度考えて下さい。
ひとは、外界からの情報を素材として、それらを自身の希望や欲望により、再構築してイメージを創りあげるのです。
その場合、それらの情報は、生活臭のないものが多く取り入れられるでしょう。ですから、それらの情報を発信する所(マスコミ)も、生活臭のない情報を加工する傾向にあるわけです。つまり、平たい言葉で言えば、キレイゴトの情報が巷に溢れているのです。
そのようなキレイゴトの世界ではなく、実体はどうなのかを知るために、会社学校に入学して実社会で実習をしたわけですから、それらの経験を基にプロカメラマンのイメージを再構築することは、賢いことです。
そのように、プロカメラマンのイメージと実際のホリディプロカメラマンとの写真活動とが重なり合ってきたならば、そして、ホリディプロカメラマンの収入が、サラリーマンとしての給料とが近似値となってきた時が、そろそろ会社学校の卒業日を考える時期でしょう。
プロカメラマンとは、就業と失業とが隣合せの職業です。景気の良い時は仕事に追いまわされたとしても、そうでない時は仕事を追いかけなければならないかもしれません。そのような時を想定して、無収入でも三年間は持ちこたえる資産を貯めることは、人生が楽しくなるか、そうでないかの分岐点となることでしょう。
それでは、何時がプロカメラマンとして独立する時期であるかは、ひとそれぞれ考え方があるわけですから、一概に言えないでしょう。
では、どのように考えればよいのかと言えば、それはあなたの潜在意識に聞くことです。
ひとのこころには、二つの回路があります。ひとつは、言葉を道具として構築した思考回路(理論・昼)と知恵のソフトを内在した回路(直感・夜)です。
そのように、ひとには考える回路が二つあるのに、知識尊重の現代では、前者を優位に、そして後者を劣位あるいは無視してしまう傾向にあるようです。
しかし、この二つの回路は車の両輪のようなもので、片一方だけでは、ことは上手くいかないでしょう。現代の問題解決の失敗の多くは、知識尊重の結果かもしれません。
「求めよ、さらば与えられん」とは、一心に神に祈れば、何でも希望が叶う、ではなく、箴言にある「日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人は幸いである。それは、わたしを得る者は命を得、主から望みを得るからである」ということです。
ここでの「わたし」とは「知恵」を指しているのです。知恵とは、この世の初めからあるもので、それは勉学により得られるものではなく、誰にでも生まれながらにして内在しているものです。それは、自分のこころの無限の力に気付くことにより、この世の仕組みを悟ることなのです。
この「知恵」のことは、古く世界に知られていて、ギリシャ流では「グノーシス」、また、インド流ならば「ハンニャ」、そして中国流なら「般若」と言われています。
あなたは、この本で潜在意識への働きかけの方法と暗示の手法の基礎を修得しているわけですから、「知識」と「知恵」の融合方法を知ることは容易いことでしょう。
困った事とか、判断のつかない事に遭遇してしまった時、知識で解決できない場合、思考回路を停止することです。そして、知恵の回路を作動させることです。
人生ゲームにおける諸問題の解決方法の基礎を知ったことにより、あなたはプロカメラマンへの旅立ちの準備ができたのです。
さあ、あなたの潜在意識に聞いてみなさい。「プロカメラマンになれる」、かと。
 
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プロカメラマン(1)基礎篇完