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プロカメラマンになれる本(1)
基礎篇ステップ3
 
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プロカメラマンの道を目標に向かって歩いて行くと、色々なトラブルに遭遇することになるでしょう。その中でも、人間関係のトラブルは必ず起こることでしょう。そこでこのステップ3では、まず、トラブルに遭遇したときに備えて、セルフコントロールの仕方を考えてみましょう。さらに、チャンスはどのようにして巡り会えるのか、そして、もう一度、プロカメラマンになるための心構えを復習することにしましょう。あなたの望みが無限でも、あなたに与えられたエネルギーは有限です。その限りあるエネルギーを目標に向かって有効に使うには、知恵の力が必要です。このステップ3で、そのヒントを見つけることができるでしょう。
 
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第一章 内在エネルギーの使い方
 
 
自己実現への道
 
 
 
極端に言ってしまえば、現在の最新エレクトロニクスカメラと関連機材とを駆使することができるとすれば、一寸写真のセンスがある人なら誰でも、優秀な先生の下で三ヶ月程の撮影テクニック修行をするとすれば、「プロ並の写真」を撮ることは可能かもしれません。
しかし、三十年かけたとしても、マスコミを賑わす有名一流プロカメラマンになれるかは疑問です。写真をプロ並に撮るには、カメラのメカニズムを制御する技術とライティングや被写体のとらえ方などのテクニックを習得できるとすれば可能でしょう。それに対して、一流プロカメラマンとして世間から認めてもらうには、現在一流プロカメラマン達の履歴や道程がそれぞれ異なっていることを考えてみるに、そのようになるための決まった道がないために、難しいことが理解できるでしょう。それではどうして、一流プロカメラマンとそうではないプロカメラマンとがいるのでしょうか。
プロカメラマンとなることは、一人の人間が特別な人格に変身するのではありません。あくまでも、その人の人格を基礎として、その上に写真を上手に撮る技術やそれを販売するビジネス技術を習得することによりなれるのです。ですから、今、一流プロカメラマンとして認めてもらえるプロセスや方法が分からないとしても、一流の人格になれるように修行することはそれなりに意義があることなのです。
つまり、一流プロカメラマンとして世間から認めてもらうには、その人の人間性としての人格が一流であるならば、その目的に早く到達できるということです。なぜならば、基礎がしっかりしていれば、その上に立派な建物を作ることができるからです。
写真を撮ることが、一部の特殊技術を習得した人しかできない時代でしたら、人間として三流だったとしても一流の写真の仕事をクライアントから依頼されたかもしれません。しかし、短期間の修行でプロ並の撮影技術を習得できる現代では、そのカメラマンの人間としての人格は、仕事をクライアントから依頼される条件の重要なひとつとなります。一流の仕事は、それなりの人格を持ったカメラマンへ依頼される時代なのです。
そこで、この章では、あなたが一流の人物になるための方法を考えてみることにしましょう。このことは、プロカメラマンとして一流になるための基礎工事とも考えられるでしょう。大きな立派なビルを建てるには、その基礎工事も大規模となります。基礎工事は、地味な仕事ですが、重要な仕事なのです。
あなたの場合も、プロカメラマンの表面的な派手さに眼を奪われることなく、あなたの人間性を慎重に点検し、もし、不都合な部分が見つかったとしたら、プロカメラマンという建物を構築する前に補修しておくことは、大切なことです。
その補修の方法のひとつとして、あなたの内在エネルギーとは何であるのかを考え、そのエネルギーをあなたの自己実現である建物を構築するために正しく向けるようにすることです。
その基礎工事の基本的考えは、次の四つです。
 
第一、時間と空間は人間にはコントロールできない。好期が来るのを待つだけ。
第二、現在あなたにないものを追求する前に、今あるもので工夫すること。
第三、過去の失敗は素直に受け止める。時間は元にもどらない。
第四、常にあなたの望むプロカメラマン像を、心に映像として持ちつづける。
 
 
 
これらの基本的考えを元に、手段を目的化せず、常に建設的に会話し、怒らず平常心を保ち、お金を有効に使い、時間を貯め、夢をコントロールする方法を身につけたとすれば、あなたには、一流プロカメラマンという建物を構築する基礎工事が完了したことになるのです。そして、その基礎工事が完了したら、あなたの「潜在意識の大工さん」に、あなたの描いた設計図を渡し、その設計図のとおりに材料を組み立ててもらえば、あなたが描いた建物は現実のものとなるのです。そのことが、自己実現できたということです。
現在科学の最先端を行く、宇宙ロケットもLSIコンピュータもそれらを構成する材料は、地球の内在エネルギーを工夫加工することにより造りだされたのです。そのエネルギーを工夫加工することや人類の望みを叶える機械を設計することは、元を質せば、人間の知恵と知識に因るのです。つまり、考え方です。
ですから、知恵と知識のある人は、あらゆる物質の内在エネルギーをコントロールすることができるため、「時」に叶えば、望むものは何でも創り出せることが可能なのです。
あなたも、あなたの内在エネルギーをコントロールする方法を研究することにより、一流プロカメラマンという自己実現への道を進むことができるでしょう。
 
 
 
 
誰にでもある内在エネルギー
 
 
 
 
もし、寿命という人間の生きることに対しての制限がないとすれば、一流プロカメラマンになることは簡単なことかもしれません。一流プロカメラマンになれるあらゆる方法を無限に実行して行くことにより、いつかはその目的に到達できるからです。
しかし、現実には、人間には寿命という、人間にはどうしても解決できない「生かされている」制限があります。ですから、自己実現するには、その制限内で効率良く行動できる方法を考えなければならないわけです。
人間には寿命という生ることへの制限がありますが、その反対給付として創造主は人間に無限の可能性を秘めた「知恵」を授けました。そこで、あなたはその知恵を利用して、「生かされている」時間内で、いかにして自己実現するかを考えることは賢いことです。
人間は機械の一種類だと仮定して「人類が将来の方向を決定するにあたって、タブー、神、国家、科学、理論などに絶対的に依拠しえなくなった今日、自らが自らの価値基準をつくる主体的な人類としての自己統御能力以外に何者も頼れない」とする、サイバネティクスの哲学を応用することにより、自己実現へのヒントが得られるでしょう。
その方法のひとつとして、あなたの将来、つまり一流プロカメラマンを目指すには、あなた自身であなたのための価値基準を作り、それによりあなたのエネルギーを効率良く自己統御することにより自己実現が可能となるわけです。
エレクトロニクスカメラや機材がない時代でしたら、写真を撮るには、経験的なカンでしか写真機のメカニズムを統御することができなかったため、カメラマンという特殊技術者に撮影を依頼しなくてはならない時代もあったのです。
しかし、今日ではカメラそれ自体でピントから露出まで自己統御ができるため、誰でもシャッターを押すだけで、それなりの写真が写せるのです。このような時代ですと、カメラで写真を撮るだけでは、プロカメラマンの存在価値が薄れてしまうでしょう。
このような観点からプロカメラマンの生き方を考えると、カメラテクニックや撮影テーマの絞込みのほかに、会話のテクニック、文章での表現力などを研究すると同時に、人間として魅力ある人格になれるように訓練する必要があることが理解できるでしょう。つまり、人間として一流になれるようにあなた自身の心の研究とそれを統御する方法を考えることです。
人間を自動車に喩えれば、自動車を目的地に到達させるには、エンジンを動かすエネルギーの素であるガソリンが必要です。そのガソリンの必要量も、自動車を運転する人の技術により決まります。それは、ギアチェンジのタイミングとアクセル操作による、エンジンに対するエネルギー効率を上手に統御できるか、できないかにより決まるのです。
平坦な道をローギアでアクセルいっぱい踏んで走ったり、急な坂道をトップギアで登ろうとすれば、ガソリンのエネルギー効率が悪くなり、ガソリンを必要以上に消費してしまうことになります。
自動車の場合、ガス欠になれば、その都度ガソリンスタンドで給油すればよいし、もしその誤操作によりエンジントラブルで故障したとしても、その部品を新品と交換することにより解決できます。
しかし、人間の場合、エネルギーは有限です。それに人体臓器は自動車ほど簡単には交換できません。ですから、寿命という制限内で効率良く内在エネルギーを使わないと、人間という機械は、その目的地に到達する前にポンコツになってしまうでしょう。
自動車を上手に運転する方法は、自動車教習所の先生が教えてくれるでしょう。しかし、人間として、人生という路上を上手に運転する方法は、そのような教習所も適当な先生も見当たらないため、教わることができないでしょう。
色々な先輩達が人生について色々なアドバイスしてくれていますが、それらのことは、あなたが進んで行く一流プロカメラマンの道に対して、ビタッと合うかは疑問です。たぶんそれらは「雪道での誰かの足跡」でしょう。ですから、あなたは、あなたの心の操縦法をあなた自身で考えなくてはならないわけです。
人が物事に取り組み、その物事を達成するには、その人が持っているエネルギー効率を良くすることは大切なことです。このエネルギー効率を良くすることを一般に、「精神の集中」といっています。
しかし、この「精神の集中」を一部の人達は、誤解して解釈しているようです。そのことにより、物事を達成できなかったり、その結果、心の操縦を乱してしまったりしています。
この場合の「精神の集中」とは、物事に向かって一所懸命意識的に努力する緊張を意味しているのではなく、その人の内から自然と湧き出るエネルギーを自己実現の方向性を持って使うことをいっているのです。そして、その人の内から自然と湧き出るエネルギーのことを、「内在エネルギー」といっているのです。
人は誰でも、内在エネルギーを持っていることは確かなことです。しかし、心の操縦法を知らない人達は、ある特別な人達にしか「特別な力」が内在していないと信じているようです。でも、「特別な力」を持つことができるか、できないかは、万人に内在するエネルギーを自己の目標に的確に放出できる方法を知っているか、いないかによるだけです。
たとえば、このことを物を持ち上げることで考えてみましょう。重量挙げの選手は、一般の人達ではとても持ち上げられないと思われるバーベルを、たやすく持ち上げることができます。それでは、重量挙げの訓練をまったくしていない一般の人達は、そのバーベルを持ち上げるためのエネルギーを全く持っていないのでしょうか。そうではないでしょう。その重いバーベルを持ち上げるエネルギーを溜めて、それを一挙に放出する方法と、その重量を支える人体構造を強化する方法を知らないからです。優秀なトレーナーについて訓練をするとすれば、世界記録は無理としても、自己が信じているよりもより重いバーベルを持ち上げる事は、可能でしょう。
他の例として、「火事場のバカ力」があります。
誰にでも潜在しているエネルギーはあるのです。ただその存在を知らないか、知っていても、それを顕在させる方法を知らないため、そのエネルギーを利用できないだけです。
内在エネルギーは、簡単な方法により利用できます。それには、次の二つのことを学べば良いでしょう。
 
 
1.内在エネルギーを顕在化するには、人間の欲のひとつである意志の力を減ずること。
2.希望を持つことにより、内在エネルギーに方向性と目標を与えること。
 
 
 
一般的に、意志力は希望を持つことより、高く評価されているようです。しかし、実社会では、意志の力は目指すところ自己破壊に向かいます。
「何かをしたい」という希望は前進する方向性を持った感情です。それに対して、「何かをする」という意志力は、ものごとを自分の方へ引き寄せようとする感情です。希望と意志力とは方向性が逆なのです。そこで、内在エネルギーの放出を考えてみますと、それは、自己へ向けるのではなく、自己から外へ向ける、つまり前方に向けることを意味しています。
しかし、内在ネルギーは、それ自体で行動できるわけがなく、潜在しているわけですから、それに方向性を与えるのは、「希望」と「意志力」とによるわけです。そこで、その内在エネルギーに方向性を与える、つまり利用する方法として二通り考えられるわけですが、その結果は逆の効果を現します。
「希望」よりも「意志力」を増大させますと、内在エネルギーは外へ向かわず、内へ引っ張られるため放出することができないでしょう。その逆に、「意志力」よりも「希望」を増大させますと、内在エネルギーは外へ向かえるため放出できる、つまり顕在化できることになるわけです。このことは、一寸理解できないかもしれませんが、意志力を減ずる、つまり「無我」になることにより、内在エネルギーを効率良く放出できることは事実なのです。
このことを野球を例にとって考えてみましょう。
九回の裏、一打逆転のチャンス場面で、バッターがホームランを打とうという強い意志を持ちすぎて、三球三振やピッチャーゴロで討ち取られてしまったが、最終バッターは何も考えず、逆転したいという希望を持って無心で振ったバットが会心の当たりであった、などと翌日のスポーツ新聞の談話として、あなたは何度もそのような記事を読んだことがあるでしょう。
誰にでも内在エネルギーがあることが理解できたと思います。その顕在化させる方法を知ったあなたは、一流の道をより一層力強く歩いていけることでしょう。
さらに、このエネルギーの方向性を自己実現に向かわせるために、次の節で、「手段と目的」を考えてみましょう。
 
 
 
 
手段を目的化しないこと
 
 
 
 
手段と目的といえば、すぐ頭に思い浮かぶのは、「人は生きるために食べるのか、食べるために生きるのか」と言う永遠の命題でしょう。
あなたの人生ゲームで、「生きること」を目的にすれば、「食べること」は手段となります。その逆に、「食べること」を目的にすれば、「生きること」は手段になります。つまり、手段と目的とは相対関係にあるわけです。
ですから、人生ゲームにおける永遠の命題の定義は、その人自身の考えにより決めるしか方法はないのです。そこで、あなたが一流プロカメラマンになる目的に対して、あなたの内在エネルギーを効率良く集中させるには、この「手段と目的」について研究する必要があるでしょう。
何年も一所懸命プロカメラマンになる努力しているにもかかわらず、一流にも有名にもなれないのは、もしかしたら、手段を目的化してしまっているからかもしれません。
そこで、あなたが一流プロカメラマンになるための「手段と目的」を、もう一度考えてみましょう。
「手段」とは「目的」を達成するための具体的方法です。あなたの場合、「目的」は一流プロカメラマンとして活躍することでしょう。そのための「前提手段」としては、大きく分けると以下の三つに集約されるでしょう。
 
 
第一、写真を撮るカメラ機材を揃える。
第二、撮影テーマを決め作品を揃える。
第三、作品または撮影技術を販売する方法を考え実行する。
 
 
 
簡単に言ってしまえば、この三つの手段を達成できたとすれば、プロカメラマンとしてスタートできるわけです。さらに以下の三つの手段をクリアできたとすれば、有名か一流プロカメラマンとしてスタートできるのです。
 
 
 
第一、有名スペースで写真展を開催する。
第二、有名出版社から写真集を出版する。
第三、一流マスコミから評価を受ける。
 
 
 
以上の手段を実行し達成するには、相当なエネルギーを必要とするでしょう。個人にそのパワーがなくても、運良く他の人達のエネルギーを利用することも可能ですが、そのような運の良い人は、いないといえないまでも稀でしょう。
ですから、あなたは、一流プロカメラマンの目的に向かって手段を実行するために、あなたの限られた内在エネルギーを、無目的にではなく、効率良く集中させる方法を考えなければならないわけです。
それではまず、第一手段のカメラ機材を揃えることを考えてみましょう。
あなたはプロカメラマンを目指しているわけですから、当然カメラ機材について人並み以上の知識と興味があることでしょう。カメラ雑誌の新製品広告やそのレポート記事などを熱心に読んでいることでしょう。
さてそこで、「手段と目的」を理解していることが必要になるのです。理解しているとすれば、この第一関門を通過して、次の撮影テーマを決め作品を揃えることに、内在エネルギーを集中できることでしょう。
しかし、理解していないとすれば、次の手段にではなく、最新型カメラやレンズを揃えることにエネルギーを傾注してしまうわけです。新品を購入できない人の中には、中古カメラ店巡りに、内在エネルギーを消費してしまうことにもなりかねます。
あなた自身を点検してみましょう。あなたのエネルギーは、作品を創ることや、それらを発表または販売するのではなく、最新カメラやレンズをいかにして手に入れるかに費やされていませんでしょうか。
プロカメラマンとして活躍するには、プロ機材を揃えることは必要ですが、それは最終目的ではなく、次のステップを目指す手段なのです。
人は、目的に順調に向かっている時は、何が手段で、何が目的かを認識して行動することができます。しかし、何かの原因で目的に到達することが困難になってしまい、そしてその状態を改善できないと諦めた時、一般的にその手段を目的化してしまう傾向があるようです。
プロカメラマンになるための手段を目的化してしまうことにより、目的に到達できなくなってしまうことがあります。
例えば、ある人がプロカメラマンを目指して写真の勉強をしているとします。一所懸命努力しているにもかかわらず、なかなか写真の腕が上達しないとします。そのような状態になってしまっている時、まず自分自身を点検し、何故写真の腕が上達しないのかを自問して、その原因を探究するとすれば、解決の糸口が見つかるかもしれません。
しかし、一般的には、その原因を自分以外のものに、たとえば被写体やカメラ機材に転嫁してしまう傾向があるようです。多分、写真の腕が上達しない原因は、カメラが負うことになるでしょう。自分自身にその原因があるとの考えを、受け入れるには勇気がいるからです。
そのように結論を付けた人は、次にどのような行動をするかと言いますと、写真を上手に撮ることを職業としている人達、つまりプロカメラマン達が使用している世界的有名カメラのカタログ集めにエネルギーを消費することでしょう。
それに追い討ちを駆けるように、カメラメーカーの宣伝広告は、「あなたのカメラは古い」と莫大な広告資金をカメラ雑誌に投下して、迷える人達に暗示を与えます。
迷える人達が、自分の能力を客観的に分析でき、且つプロカメラマンになるための「手段と目的」を理解しているとすれば、その暗示にかからないことにより、無駄なエネルギー消費がおこなわれないでしょう。
しかし、そうでない場合、世界的有名カメラや最新型カメラを手に入れることにより、「目的」つまり、写真の腕を上げられるとの暗示にかかってしまうことでしょう。
そのような暗示が、その人達の潜在意識に入り込んでしまいますと、写真を上手に撮る研究にエネルギーを傾注するのではなく、自分では何故そのようにしているのか理解できないのだけれど、足繁くカメラ店や中古カメラ店を訪問し、あらゆる金策にエネルギーを使い、その「目的」のカメラを手に入れてしまう結果になるのです。
その「目的」のカメラを手に入れることにより問題が解決できれば、それはそれとしてよい手段だったかもしれません。しかし、多分次ぎから次へと「目的」のカメラを購入してしまうことでしょう。なぜならば、そのことは、本来の「目的」ではないからです。
そのような方向に内在エネルギーを傾注してしまえば、良い作品を撮るための次の手段に行き着かないのは、当然でしょう。内在エネルギーは有限だからです。
最新型カメラを何台もブラ下げているにもかかわらず、フィルムを「ケチル」ことのないようにしたいものです。カメラはアクセサリーではありません。写真を撮る道具なのです。
以上述べたように、「手段」を「目的化」してしまったカメラマンが、中古レトロカメラ機材の評論家となってしまった、という話はよく聞く話です。「手段」が「目的化」してしまったとしても、その評論家業で生活を維持できれば、それはそれとして、結構なことです。
写真を撮るということは、その被写体が何であれ、あなたの思考が、カメラという道具を通してフィルムなどの媒体上に表現されるということです。ですから、あなたの思考が目的意識を持つことなしに、あなたが今もっているカメラを最新型カメラに交換して撮影したからといっても、写真のコントラストや解像力においては、以前よりも向上した写真は撮ることは可能ですが、写真の内容には何ら変化はないことでしょう。
つまり、あなたがプロカメラマンとして写真を撮るということは、カメラ用テストチャートを撮ることではなく、あなたの思考をカメラを通して表現することだからです。
以上のことを考慮してカメラ機材の呪縛から解放されたら、次の手段に内在エネルギーを傾注しましょう。
あなたは、写真雑誌などで有名と言われているプロカメラマカの作品を鑑賞して、あなたの作品程すぐれていないのに、何故その雑誌社がそのカメラマンの作品を掲載したのか疑問を持ったことがあることでしょう。
雑誌社は、本を一冊でも多く売り利益追求が目的で、優れた作品を掲載したとしても、本が売れなくては倒産してしまいます。ですから、マーケティングして売れるカメラマンの作品を掲載するのです。その優れていない作品には、かならずそのカメラマンのネームがあることで、このことは証明できるのです。つまり、その作品自体ではなく、そのカメラマンのネームバリューで掲載しているのです。
あなたの作品が優れていると思っても、あなたよりも写真が上手なプロカメラマンが、写真以外の副業をしながら写真活動をしていることを知ることにより、次の手段を目指す必要があることがわかるでしょう。
写真が上手に撮れることは、プロカメラマンとしての目的ではなく、手段のひとつにすぎません。その手段を目的と考えてしまうと、写真が上手に撮ることができれば、雑誌社などから作品掲載の依頼が来るだろうと錯覚してしまうことになります。
そのように依頼されるには、写真を上手に撮る手段の、次の手段をクリアーする必要があります。それは、自分の作品を雑誌社などに売り込む手段を考えることです。
その手段としては、カメラマンとしてのネームバリューを高めるために、有名広告代理店の制作部を退職したとか、写真展を開催したとか、写真集を発行したとかの履歴が必要でしょう。
手段とは目的に到達するための方法です。あなたの目的が一流プロカメラマンとして活躍することでしたら、カメラ機材を揃えること、上手に撮影できること、そして自分の作品を雑誌社に売り込むことなどは、全て手段なのです。
それらの手段を目的化しないことにより、あなたの内在エネルギーは効率良く目的に傾注できるため、あなたは一流プロカメラマンの道を力強く進んで行くことができるでしょう。
さて、次の節で、あなたという人間が効率良くエネルギーを放出できる方法を考えてみましょう。その基本は、情報を維持している物質である人間に、マイナスではなく、プラスの情報を入力することです。
 
 
 
 
言葉は行動に影響を与える
 
 
 
 
一流プロカメラマンになるための修行は、カメラを持っている時だけではありません。誰でもカメラを持っていて、そして上手に写すことができる時代では、日常のなにげない動作や会話などもその修行の対象となるでしょう。つまり、このような時代では、優れた作品を発表するだけではなく、プロカメラマンとしての人間的魅力もそのセールスポイントの重要なひとつとなるからです。
洗練された身のこなしやセンスある会話などは、人々を楽しませることでしょう。そのように楽しい雰囲気を持っているプロカメラマンは、自然の流れとして多くの人達に知られることにより有名にもなっていくことでしょう。
ですから、あなたがそのようなプロカメラマンになれるように、日常の言動を再点検することは意味があることなのです。
人間をハードウェアと考え、それを作動させるソフトウェアを思考と考えれば、人間の言動をコントロールする方法のひとつは、その人の思考をコントロールすることで可能なことがわかるでしょう。
さて、あなたが、あなたの言動を再点検した結果、日常生活の言動の中で、自身が考えている方向で話したり、行動していないと判断できたとしたら、それらの言動を正しい方向で行なうことができるようにコントロールすることが必要です。
あなたが楽しい会話をしたいと思っているのに、あなたの口から刺のある言葉がポンポン飛び出したり、または他人に対して思いやりを持っているのに、それを素直に行動として表せないとしたら、そのことはマイナスにエネルギーを使っていることになります。
そこで、この節で、あなたの日常生活での言動において、マイナスではなくプラスのエネルギーの使い方を考えてみることにしましょう。
人生ゲームにおいて、マイナスのエネルギーを使わないでいることは、それだけプラスのエネルギーを保持していることになりますから、そのような方法で人生ゲームをするとすれば、それだけエネルギーを目標に向けることができるわけです。エネルギーをマイナスに使うのなら、何もしないのも良い方策だということです。そのような生き方で人生ゲームを進める人には、自滅ということはないでしょう。自滅とは、エネルギーをマイナスに使った結果なのですから。
そこでまず、あなたが日常話している「言葉」について考えてみましょう。
あなたが毎日なにげなく話している言葉は、あなた自身が創作した言葉ではないことを理解することは、大切なことです。それでは、あなたの話す言葉はどのようにして、あなたの言葉となったのでしょうか。
それは、あなたの両親を中心に、あなたの歴史を作った人達の言葉の遺産を受け継ぐことにより、あなたはその言葉の所有者となれたのです。このことは、次のように説明できるでしょう。
もし、あなたが日本語を話す日本人に育てられたのではなく、狼に育てられたとしたら、あなたは日本語ではなく、狼語を話すでしょう。もし、あなたが、日本で日本人の両親から生まれたとしても、米語を話すアメリカ人に育てられたとしたら、あなたは日本語ではなく米語を話すことでしょう。
つまり、あなたが日本語を話せるのは、日本語を話す両親等に、育てられた結果によるわけです。あなたは、この世に生まれた時からの学習により、言葉を覚え、それにより思考し、その組み立てにより言葉を使えるようになったのです。人は生まれたままでは言葉を使うことは出来ないのです。言葉を使うには学習が必要なのです。
このことが理解できましたら、あなたの日常話す言葉が、刺のあるものであるとすれば、それを修正する方法がわかるでしょう。それは、あなたの両親等の日常話す言葉を研究することです。
あなたの言葉の全てとは言いませんが、大部分のものは両親等からの贈り物なのですから、あなたの話し方や言葉の使い方を改めるには、まず両親等の会話を客観的に観察することです。その結果、その両親の会話のパターンを解析できたとすれば、あなたの会話のパターンを替えることの糸口を見つけることができるでしょう。
さて、あなたが日常なにげなく動作をしていることも、言葉と同じように、子供の頃からの学習の結果なのです。
動作も学習の結果であるという観点から、人間の行動を考えてみましょう。
言葉の学習は、ゼロから出発して無限に向かいますが、動作の学習は、無限から出発して社会秩序のワク内に収まる方向に向かいます。
子供の行動は何をするか分からなく、無規則無原則です。しかし、年を経るごとに両親等が、その地域の社会規則を躾ることにより、段々その行動は規制されていきます。つまり、行動にたいして、子供から大人への成長は、カオス(混沌)からコスモス(秩序)へ変性していく過程ともいえます。
それでは、社会秩序を維持していくための躾は、どのようにしてできたのでしょうか。
人類の歴史も、子供の成長と同じように、古代人の行動は、無規則無原則であったのでしょう。しかし、そのように古代人が各々勝手に行動していたとしたら、厳しい自然環境下では、生命を維持するのは困難だったのでしょう。時が経ち、その時代の知恵者が現れ、神様という観念を発明し、自然現象を神の行いとし、その怒りに触れない作法としてタブーを発明したのでしょう。古代人もいつまでも古代人のままではなく、子供とおなじように精神的に成長していきます。すると、理屈の裏付け(現在ではエビデンスというそうです)の希薄なタブーでは、精神的に目覚めた人々の行動を規制できなくなると、次の社会秩序を維持する「別の躾」を発明しなければならなくなったのでしょう。それが、神話を体系化した宗教となったのでしょう。それでも、精神の発達の時の流れに逆らえなくなると、知恵者は、国家、倫理、道徳等、次から次えと人々の行動を規制する観念を発明してきたのでしょう。
それらの観念である、タブー、神、宗教、国家、倫理、道徳等は、別の角度から見ると、人間の行動するエネルギーを規制する、つまり社会秩序を維持するための手段ともいえるでしょう。別の言い方をすれば、社会秩序を維持するための躾とは、言葉による行動の呪縛なのです。(現在は新しい躾の発明が切望されているようです。)
言葉は学習により獲得でき、その言葉を構築することにより観念が創られ、その観念は行動を規制するわけです。つまり、あなたの行動は、あなたの使う言葉と考え方とにより影響を受けているのです。そうであるならば、その日常生活で不都合な行動を改めるには、あなたの心の中にある観念を再点検する必要があるでしょう。
あなたの行動は観念により呪縛され、その観念は遺産として受けた言葉により構築されているのです。ということは、あなたの不都合な行動を改める方法のひとつは、その観念を構築しているあなたが日常使っている言葉を分析することです。
あなたがなにげなく日常話している言葉は、あなたの日常行動と連動しています。自分で自分を分析するのが困難な人は、あなたの友人の会話を分析することで、このことが理解できるでしょう。
たとえば、あなたの友人の中で、目的をしっかり持ち、そのための手段を建設的に取組んでいる人と、人生になにも目的も持たず世をすねている人との会話を比較分析してみて下さい。
その結果として、前者の会話を構成している言葉は、肯定的建設的なものが多いことがわかるでしょう。それとは逆に、後者の会話を構成している言葉は、否定的破壊的なものが多いことでしょう。
つまり、言葉は観念を構築し、それにより行動は規制されてしまうのです。ですから、行動を改める方法のひとつは、まずその言葉の使い方を改める必要があることが理解できるでしょう。
さて次に、あなたの人間関係におけるエネルギーの使い方を考えてみましょう。
あなたが有名プロカメラマンとなるためには、それだけ多くの人達と係わることが必要です。あなたに寿命という制限がなく、無限にエネルギーを放出できるならば問題はないのですが、現実にはその制限があります。ですから、人生ゲームで、人間関係に対してのエネルギー効率を考えておく必要があるのです。
もしも、人間関係のトラブルに遭遇してしまったら、その対処の仕方がわからない場合の基本は、エネルギーをマイナスに使わないことです。つまり、否定的破壊的にエネルギーを使わないことです。具体的には、そのような考えを持たない、行動しないということです。
日常においても、他の人達の言動に対して、否定的破壊的な批判をしないことです。そのようにすることは、エネルギーをマイナスに使うことで、エネルギーのロスを意味しています。
人は少しでも自分の立場を良くしようとして、無意識に他人を批判してしまったり、悪口をいってしまう傾向があるようです。その批判が建設的なことが多少なりとも含んでいるとしたら、その批判された人は素直に反省し、それを踏み台にして向上することができるかもしれません。
しかし、その批判が唯の悪口であったとすれば、そのことは他人の足を引っ張ったにすぎません。そのような足を引っ張るための批判を、もしも、あなたが他の人に言ってしまったとしたら、そのことは結果として、あなたの足を引っ張ることになってしまうのです。
なぜならば、あなたの係わっている人間関係は、孤立しているのではなく、輪になってぐるぐる回っているからです。ですから、あなたが他の人の足を引っ張るようなことをしたとすれば、そのことは回り回って、あなたの足を引っ張ってしまう結果となってしまうのです。
「人の欠点を数える人は、自分の欠点を数えることになる。」ということは真理です。
それではどのようにすれば良いかといえば、人間関係において、あなたのエネルギーをプラスに使うには、あなたは他の人の悪い点を探し出して批判するのではなく、少しでも良い点を見出して、そのことを大いに誉めることです。
人は、その人自身でなくても、付けている一寸したアクセサリーひとつでも誉められると、嬉しくなってしまう性質があるようです。あなたが、そのように他の人の良い点を見出して誉めることは、回り回って、自分を誉めていることになるのです。
「他の人の長所を誉められる人は、自分の長所を誉められることになる。」ということは真理です。
それでは、立場が逆となり、あなたが他の人から否定的破壊的な批判をされてしまった場合どのように対処すればよいかと言いますと、あなたはそのことに反撃するのではなく、その批判を無視することです。そのようにすれば、その批判は、それを言った人に回り回って帰っていくことでしょう。
「汝の謀を持って、汝もまた謀られる。」ということは真理です。
さて、この節の最後として、会話の仕方について考えてみましょう。
まず、言葉は行動に影響するということを応用して、あなたが積極的に目標に向かっていける方法を考えてみましょう。そのためには、あなたの友人達の会話を注意して聞いてみましょう。
そのように観察していますと、それらの人達の会話の時制が、話す人の性格に関連して、それぞれ異なっていることに気付くことでしょう。会話における時制とは、英語の授業で習った「過去、現在、未来」ということです。
人は誰でもそれぞれの時制を基に会話をしています。そのような観点から、もう一度友人達の会話を観察してみますと、それらの人達の時制の使い方と性格とに関連性があることがわかると思います。
それは、積極的に人生ゲームをしている人と、そうでない人との会話における時制が、異なっているということです。積極的な人の会話の時制は、過去形ではなく、現在形か未来形でしょう。それに対して、人生ゲームを楽しんでいない人の時制は、おそらく過去形でしょう。
人生は、過去から現在そして未来に向けて流れています。人が時間と空間とをコントロールできるとするならば、時制の問題はありません。しかし、人間にはそのようなことができません。と言うことは、現在を基点としてあなたが考えていることを実際に実現できるのは、過去ではなく、未来の世界においてしかできないのです。
「ああしておけばよかった。」と言うことは、「何もしなかった。」と言う別表現です。
「こうしたい、ああしたい。」と言うことは、積極的に前に進んでいける可能性を意味しています。そのことが成就できるかは神のみぞ知る、です。ですから、あなたが自己実現に向けてエネルギーをプラスに放出する方法のひとつは、あなたの会話の時制を過去形ではなく、未来形にすることです。
つまり、過去形で話すのではなく、未来形で話すことで、あなたの言葉は時の流れに乗れるため、あなたの行動は積極的に未来の世界を目指すことができ、その結果として、あなたの自己実現が可能となるわけです。
あなたの目的は、一流もしくは有名ブロカメラマンとなって活躍することでしょう。と言うことは、あなたの活躍する世界は、現在を基点として過去ではなく、未来にあるわけです。ですから、その目的を達成する方法として、「何々した」とか「何々だった」と過去形で話すのではなく、「何々となりたい」とか「何々となるでしょう」とかの未来形で話し、且つ考えるようにすることです。
そのような時制で、あなたの夢を語るとすれば、そのことは未来の世界で実現することでしょう。あなたの言葉は、あなたの行動に影響を与えるからです。
あなたの日常生活で、なにげなく使っている言葉には、あなたが考えているより遥かに大きなエネルギーが内在しているのです。ですから、そのエネルギーを効率良く利用することで、今にも増して一流プロカメラマンの道を進んで行くことができるでしょう。
 
 
 
怒らず平常心でいること
 
 
 
 
一流プロカメラマンになるための修行は、カメラを持っている時だけではなく、あなたの毎日の総ての言動を正すことが、その目的を達成する手段になることが理解できたと思います。
そのためには、限りある内在エネルギーを効率良く使うために、手段を目的化しないこと、建設的な会話をすること、そして建設的な行動をすることでしたね。しかし、それらのことはあなた自身の問題か、あなた側から社会に向けた言動です。
人間社会におけるコミニュケーションとは、あなた側からの一方通行ではなく、その社会を構成している人達とにおける、お互いの交流を意味しています。
ですから、あなたが一流プロカメラマンになれるように、マイナスではなくプラスの方向でエネルギーを使うことを心掛けていたとしても、人間関係は双方向ですから、予期せぬトラブルが発生することもありえるでしょう。そのためには、あなたは、社会や他の人達からの悪影響や不当な干渉に対処するための方法を、学習しておく必要があるでしょう。
物体に限らず、人間が前方に移動することにおいて、その前進を阻止しようとする摩擦が存在します。人間も含めて、ある物体がある地点からある地点へと移動することは、それまでの安定した状態を変化させることになります。物体だけではなく、人間関係にも現状を保ち続けようとする「慣性の法則」が存在するのです。
あなたが一流プロカメラマンを目指して歩んで行くことにおいても、その行動を阻止しようとする摩擦や反作用が必ず発生することでしょう。
あなたの心のなかでは、今までの安定していると信じている状態から、未知の世界へ向かうことによる不安や恐怖が、あなたの前進行動にブレーキをかけることでしょう。
また、あなたの周囲では、人間関係の感情問題があなたの前進行動に、摩擦を与えることでしょう。
あなたが、現状から前進行動を起すことにより、あなたの内側と外側とからの干渉を受けるのです。ですから、あなたはそれらの「摩擦」を軽減させるための手段としての「潤滑油」を手に入れておく必要があるでしょう。その「潤滑油」とは実際の油ではなく、あなたの知恵ということです。
知恵とは理論ではなく、実践です。ですからその知恵を使えば、カメラマンの道を歩んでいる途中でトラブルに遭遇してしまったとしても、その摩擦を軽減する対処ができるのです。つまり、知恵があれば、あらゆるトラブルにおいて、臨機応変に対処できるのです。
人は感情の動物だといわれています。あなたの一日を振り返ってみれば、その一日は喜怒哀楽の渦巻きであることがわかるでしょう。一寸したことで喜んだり、怒ったり、哀しくなったり、楽しくなったり、まったく人の感情は刻一刻変化するものです。
人の四つの基本感情は、それぞれ対になっています。「喜と怒」と「哀と楽」とです。そして、「喜怒」と「哀楽」とは、動的と静的との対となっています。
それらの四つの感情は、あなたの内在エネルギーに方向性を与えます。「喜と楽」はあなたにプラスのエネルギーを与えるでしょう。しかし、「怒と哀」は、あなたのエネルギーをマイナス方向にしてしまいます。
ですから、あなたが一流プロカメラマンになる修行において、いかにしてプラスのエネルギーを出す「喜と楽」を多くし、その反対に、マイナスのエネルギーを出す「怒と哀」を減ずるかを学習することは大切なことであることが理解できるでしよう。
このことを、マージャンゲームで喩えれば、勝つこと、つまり「あがる」ことができなくても、「ふりこむ」ことをしなければ、そのゲームで大負けすることはないでしょう。
その戦い方を応用して、あなたの人生ゲームで、「あがる」方法を考えながら、「ふりこむ」ことのないように気をつけてゲームを進めて行けば、いつかは「あがる」チャンスに巡り会えることができるということです。
人生ゲームにおける「ふりこみ」とは、「怒り」を意味しています。「怒り」は、マイナスの方向性を持ったエネルギーです。それも、動的でそのエネルギー量も莫大です。
ですから、あなたが一流プロカメラマンの修行の道で、場が悪いと思われる状況に遭遇してしまった時、安全パイを切りながら、その場を「おりる」勇気を持つことです。別の表現では、不都合な状態に陥ってしまった場合、あなたは「怒る」ことで対処しようとするのではなく、「平常」でなにもしないことは良い対処法のひとつなのです。
「平常」でいることは、あなたにとってプラスでもないかわりに、マイナスでもありません。つまり、「平常」はエネルギーを放出していない状態ですから、あなたのエネルギーを保持していることになるのです。
あなたが歩んで行く道程で、あなたに好意を持っている人達だけと係わり合って行ければよいのですが、実際問題としてあなたのことを好意を持っていない人もいるわけです。さらに、あなたが歩んで行く方向には、あなたただ一人ではなく、沢山のカメラマン達がひしめいているのです。一流の道は狭いのです。その狭い道を多くのカメラマン達が歩んで行けば、摩擦は少なからず生じます。
有名ゲームの椅子取りは、中心に向かえば向かうほど、その争奪戦は熾烈を極めます。つまり、他のカメラマンが座ろうとする椅子を、あなたも狙うことになるからです。
動物世界での闘争では、力の強いものが弱いものを支配するルールが確立しているようです。しかし、人間世界での闘争は、腕力から知力へと変化しているようです。その結果、人間同士の闘争は、心理戦や神経戦となってしまいました。大きな闘争は訴訟により、小さな闘争は、足の引っ張り合いとなります。
日常生活における人の行動のなかから、他人の足を引っ張る行為をなくしてしまえば、人々の日常生活は今より楽しくなるのは確実でしょう。しかし、実際問題として、足の引張り合いは日常茶飯事です。ですから、それに対処する方法を学習しておくことは必要です。
一番悪い対処の仕方は、あなたの足を引っ張った人に復讐や仕返しをすることです。
人は、誰かに足を引っ張られると、その仕返しに足を引っ張り返そうとします。引っ張ったのが誰かわからない場合、人はその社会や時の権力者の足を、その代償として引っ張り返そうとする傾向があるようです。
たとえば、人生に挫折してしまった人が、その原因を社会や時の権力者に転嫁してしまい、その結果、何の罪もない人達を傷つけたり、反社会的行動をすることは、新聞の三面記事を賑わす主なストーリとなっています。
もし、あなたが、他の人に足を引っ張られてしまった時の対処の仕方を考えるとすれば、その最良の対処法は、「平常」でいることです。あなたがそのことに対して反応を示さないとすれば、エネルギーをマイナスに使わないため、その阻止行動としての足の引っ張りは、失敗に終わることになるからです。
そして、あなたは、そのことに対して「ゆるす」ことです。通常の神経の持ち主であるならば、その「ゆるす」ことは後悔の感情を喚起させます。ですから、その対処法は、エネルギーを使わない反撃となるのです。
大木としなやかな草木とでは、どちらが風に強いか考えて下さい。外観によれば、大木の方が風に対する抵抗力が強いと思われるでしょう。しかし、台風の後でダメージを多く受けているのは、草木ではなく大木の方です。
それは、しなやかな草木は、いくら強い風が吹こうとも、そのなすがまま逆らわずにいるからです。つまり、風に対抗しようとせず、その勝手な行動を「ゆるす」ために根がもぎ取られることはないのです。
それでは、あなたがマイナスのエネルギーを放出しないために、人は何故怒るのかを考えてみましょう。
人間は皆平等だということになっているようですが、よく観察してみますと、その性格は不平等に作られてしまっているようです。そのひとつに、怒りについての反応の不平等です。
人が初めて怒るのは、出生の時だといわれています。そう言えば、出世時の赤ん坊のあの泣き声は、この世に生まれて来たことを喜んで泣いているのではなく、怒っているように感じられます。母親の体内の安全快適な羊水の中から、この世に放出されてしまったことに対して泣き叫んでいるのが、あの怒ったような泣き声なのでしょうか。
この世に怒りの一声を挙げた赤ん坊は、DNAの設計図を基に、生活環境という材料を使い、その赤ん坊の性格が形成されていくわけです。
赤ん坊は、安全快適な羊水からこの世に放出された代償を母親達に求めます。その代償とは四つの欲求に分けられます。それらの欲求とは、お腹が空いた時オッパイを飲むこと、排泄の世話をしてもらうこと、安心して眠れるようにしてもらうこと、そして温かい触れ合いを与えてもらうこと等です。
ですから、赤ん坊が泣き叫んだら、つまり怒ったら、その四つのうちのどれかの欲求を満たしてあげることです。すると、すぐに泣き止むことでしょう。この時の欲求の満たされ方で、その赤ん坊の基礎人格が形成されていくわけです。そのように、乳幼児から幼児への世話においての欲求を満たす、あるいはガマンさせる訓練のされ方により、その人の基本人格が形成されていくわけです。このことを「三つ子の魂百までも」といっているわけです。
やがて子供から大人へと成長していくわけです。その過程において、肉体的変化は年齢とともに成長していきますが、精神的な成長は個人差が著しく年齢に比例するかは疑問です。ですから、肉体的に大人となった人のなかには、精神的に幼児性を留めている人も多くいるわけです。
とは言っても、四つの欲求は、総ての大人の潜在意識のなかに多少残存しています。しかし、その欲求にたいする訓練がうまくいった人は、たとえその潜在欲求が出てきたとしても、別の方向へ昇華させることがで可能となるでしょう。でも、その訓練がうまくできなかった人は、大人となって、妙な癖や嗜好となって顕在化することでしょう。
それらの癖や嗜好は、世間で大人の行為として認められる方向にカモフラージュされて現れます。たとえば、オッパイを吸いたい欲求を潜在意識に強く持っている人は、「指しゃぶり」ができないため、その代償としてタバコやパイプを口にくわえ続けることでしょう。また、安心して眠ることの欲求を潜在意識に強く持っている人は、実際は必要量は眠っているのに眠っていないと思い込む「不眠症」となって現れるかもしれません。さらに、触れ合いの欲求を潜在意識に強く持っていて、その訓練がうまくいかなかった人は、潜在的対人恐怖症となっているかもしれません。
いずれにしても、欲求に対する乳幼児期から幼児期での訓練がうまく行かなかった人は、それらの欲求が満たされないと、訓練がうまく行った人に比べて、不都合が生じてしまった時、強く「怒り」が込み上げてくる傾向があるようです。
それでは、何故怒りやすい性格ができるのかの話に戻りましょう。
性格は、遺産としての素質と環境とにより作られるということですから、怒りやすい人とは、そのように怒りやすい性格として作られたともいえるでしょう。つまり、四つの欲求に対する訓練の失敗により「怒りやすい」性格が作られてしまったのです。
怒りやすい性格は、とくに「ふれあい」の訓練の失敗によるようです。
あなたにも経験があると思いますが、自分が良いと思った行動が世間から無視されたり、正当に評価されなかった場合、悲しくなると同時に、心の底から怒りに似た感情が湧きあがってくることがあるでしょう。あなたにセールスの経験があれば、このことは理解できるでしょう。その経験がなくても、立場が変わり、あなたが、セールスマンの申し出を断ったと同時に、それまで愛想の良かったセールスマンが急に怒り出した、などの経験があることでしょう。
その反対に、あなたの一寸した行動が、他の人から認めてもらえたり、評価されたりすると無性に嬉しくなってしまうものです。この、人から認めてもらえるということは、文字どうり目にとめる、つまり、目による「ふれあい」ということです。
ですから、この「ふれあい」に対処する方法を学習していない人は、一寸した不都合な態度を他の人から受けたとしても、それにたいして過剰に緊張、つまり、「怒る」ことになってしまうのです。
もしも、あなたが怒りやすい性格の持ち主であるとすれば、その性格を変える方法を研究する必要があるでしょう。「怒り」はマイナスのエネルギーを莫大に放出するからです。
その方法のひとつとして、あなたの潜在意識にあるその怒りのパターンの回路を消滅させ、新たに怒りに対処できる回路を創ればよいでしょう。
あなたは、乳幼児期から幼児期にかけての育児という訓練で、「怒る」ようにされてきていることにより、現在の性格となってしまったのですから、再訓練することにより「怒らない」性格を再構築することは可能でしょう。
現実の世界では、人間には時間と空間をコントロールすることはできません。しかし、イメージの世界では可能です。ですから、イメージの世界で、幼児に退行し、イメージの世界で人格の再構築をするのです。その手段としては、暗示の力を使うのです。その時の暗示語は、「わたしの欲求は満たされている。」です。その暗示が潜在意識に入り込み、不都合な回路が消滅することにより、あなたの性格の変性が可能となるでしょう。
暗示のかけ方は、あなたはステップ2で習得していると思われますので、ここでは省略しますが、暗示のかけ方を間違えてしまっている人もいるかと思われますので、逆暗示について述べてみましょう。
あなたはゴルフをしますか。ゴルフコースには砂地の窪みのバンカーがあります。たいていホール近くか目標近くにあります。あと一打でグリーンに乗せることができると思った時、そのバンカーが目に入るとどういうわけか、打った白い球は一直線にそのバンカーに吸い込まれてしまった、という経験は一度や二度ではないでしょう。
それは、そのコースの設計者が、ゲームを面白くするために、心理的にバンカーに打ち込むように設計した結果によるのです。
それでは、その設計者は、プレーヤーに魔術をかけることができる魔術師かといいますと、そうではないのです。その設計者は、人間の心理を知っていることにより、魔のバンカーを設計できたのです。
魔術とは、魔術師が創ったイメージを態度や言語などの暗示を使って、相手の心にそのイメージを伝達する手段です。と言うことは、その魔のバンカーの設計者は、人間の心理を応用して、つまり、逆暗示を利用して、あなたにそのバンカーに向けて球を打つようにイメージを与えたのです。
このことは、次のように説明できるでしょう。つまり、あなたがそのバンカーを目にして、「あのバンカーに球が飛び込みませんように」と、人の欲のひとつである「意志の力」を使って強く祈る暗示が、あなたの望む逆の暗示となってしまい、結果として、球はバンカー一直線となってしまったのです。
自分の方向にエネルギーを無理に引っ張り込もうとする意志力を用いた強い暗示は、内在エネルギーをマイナスに強く放出するために、その暗示と逆のことをさせる結果となるのです。このことを、逆暗示といっているのです。
ですから、あなたが一流プロカメラマンになるための修行に、マイナスのエネルギーを使わせている「怒り」を消滅させるためには、イメージの世界で、逆暗示にかからないように暗示を使い、あなたの潜在意識にある不都合な回路を消すことです。
そのことができた時、あなたの心には「怒り」は存在しなくなり、たとえ不都合な状況に遭遇してしまっても、「平常」の状態を保てることでしょう。
そのことにより、あなたの内在エネルギーは、マイナスに放出されることなく、保持されるため、今よりも力強く一流プロカメラマンの道を進んでいくことができるでしょう。
 
 
 
お金は使い、時間は貯める
 
 
 
 
 
人生において、お金と時間とが無限にあるとすれば、人間の悩みの九十九パーセントは解決できるでしょう。しかし、現実にはそうではありませんから、人の悩みは尽きないのです。でも、それらの悩みも知恵を使うことにより、解決の糸口を見つけることは可能でしょう。
あなたは、家庭や学校で、「お金と時間」の使い方を学習してきているのですから、今更、そのことに付いて再学習することなど、一流プロカメラマンになるための修行に関係ないのではないかと思っていることでしょう。
ところで、あなたが学習してきたことは、あなたの人生で役に立ちましたか。
一般的に言って、「お金と時間」に付いて、「お金は貯める」そして「時間は有効に使う」ように学習させているようです。一寸考えれば、それらの考え方は、人生ゲームで有効な手段のように思えます。しかし、そのような思考パターンで人生ゲームを行なうとすれば、限りある内在エネルギーを有効に使うのではなく、制限を設けてしまうことになってしまうのです。
ではまず、お金について考えてみましょう。
あなたが子供の頃、お金は大切なものだと学習させられたと同時に、子供の時からお金のことなど考えるとロクな人物にしかならないと学習させられて来たと思います。また、お金について全く学習してこなかったのならそれはそれでよいのですが、お金を「汚いもの」とか「悪の素」とか学習させられてしまった人も実際にいるようです。そこで、お金とは何かをもう一度考えてみることにしましょう。
お金は大切なものですけれども、自分の命ほど大切ではありません。しかし、お金には人の心を支配する魔力があるようです。ですから、その実体を見極めておく必要があるでしょう。
お金は、お金自体に価値はないのです。それを裏付ける信用があってこそ、お金の価値は認められるのです。信用のないお金は、ただの紙切れか金属です。その信用も、為替という値踏みで、毎日刻々と変動しているのです。さらに世間の人達の心理状態により、その価値は変動しているのです。
お金というと、絶対の信頼に裏付けされていて、不動の価値を永遠に保ち続けられるように思えますが、その実体は不安定なものなのです。その実体とは、ものとものを交換するための、媒介物にすぎないのです。
そのように考えれば、お金を手に入れることは、人生の主目的ではなく、手段だということが理解できると思います。なぜならば、媒介物をいくら多く集めても、手段は手段にすぎず、目的とはならないからです。しかし、多くの人のなかには手段を目的化してしまい、人生の大部分をその媒介物を集めることに費やしてしまう人も実際にいるのです。
そのように、お金の「手段と目的」を考えておかないと、あなたの内在エネルギーは、一流プロカメラマンになるという自己実現のために使われなくなってしまいます。
人は、「無駄遣いをしない」ことを人生の教訓のひとつとする傾向があるようです。必要でない物を購入してしまった、ということを無駄遣いと考えているようです。しかし、その無駄遣いも一回であるならば、「無駄遣いとはなにか」を勉強するための授業料となるのです。
本当の無駄遣いとは、倹約に倹約を重ね、したいことも我慢してお金を溜め込んで、あの世へ旅立ってしまうことです。それは、「お金は墓場までしか運べない」という教訓しか得られないからです。それも、あの世に行ってしまってからの教訓です。
それでは、あなたはどうすればよいかと言えば、お金本来の働きをさせることです。つまり、あなたの望むものと交換できるように有効に使うことを考えることです。
今のあなたの立場では、一カット何千円でしかの仕事しか依頼されないかもしれませんが、あなたが世間から、一流あるいは有名カメラマンと認めてもらえるとしたら、そのギャラはアップすることでしょう。ですから、あなたは、お金を溜め込むのではなく、そのようなカメラマンになれる方向で、有効に使う方法を考える必要があるわけです。
お金の価値は変動する、と述べましたね。変動とは、高くなったり、低くなったりすることです。そのお金の変動とは、為替を除けば、インフレーション(物のほうがお金より優位な状態)とデフレーション(お金のほうが物よりも優位な状態)の状態で起こります。
それらは、どれも人間の欲である希望と恐怖の心理で起こる現象です。その相反する二つの状態では、お金の使い方も異なります。
お金が不動のものであると信じている人には理解できないかもしれませんが、お金は交換のためのただの媒介物にすぎないのです。ですから、インフレの場合、目的物を手に入れるには、「借金」をする方が、お金を貯めてから目的物を手に入れるより有利です。反対に、デフレの場合、現金取引が基本で、クレジットカードでの支払の「借金」は、地獄行きの切符となることでしょう。このことを頭に入れておけば、世間がどのような経済状態でも、人生ゲームに迷い込むことなく、有利なお金の使い方ができることでしょう。
それでは、あなたはどのようにしてお金を有効に使うか考えてみましょう。
その基本は、あなたの収入から生活資金を差し引き、その余剰金をあなたの目的のものに交換することです。あなたの目的のものとは、そのステージにより異なるでしょう。もしも、写真機材が充実していない場合は写真機材であったり、プロとして発表できる作品がない場合は作品であったり、発表する手段がない場合は作品を発表することだったりするわけですが、それらの目的のものも、最終目的に到達するための手段であるわけです。
そのようにしてお金を使うことは、あなたにとって実際に貯金をしている以上に、貯金をしていることに、結果としてなるのです。
たとえば、写真展開催のためにお金を使うことは、たとえその小さな活動が、結果からして失敗となってしまったとしても、その事実はあなたの履歴に残るからです。その履歴も時系列的にあれば、それは立派な写真活動の実績となります。
お金の価値は日々変動しています。しかし、あなたの行なった写真展の実績は、あなたのカメラマンとしての成長と共に、毎年毎年価値を上げて行くことでしょう。なぜならば、過ぎ去った日々は、どんなにお金を積んだとしても買い戻せないからです。
さて、次に「時間の貯め方」について考えてみましょう。
時間については、あなたは家庭や学校で、有効に使うように学習させられてきたことでしょう。たとえば、学校では、時間割表などのタイムスケジュールで分刻みに仕事を消化するように学習してきたことでしょう。あるいは、年間スケジュールに合わせて、時間の消費を強いられたかもしれません。
時間は誰にでも平等に与えられていて、一日につき二十四時間と決められしまっているように思っているようです。それに時間は貯めておくことができない、と思ってしまっているようです。ですから、その二十四時間を一日で使い切るために、一般の人達は計画を立て、有効に時間を消費するように考えてしまう傾向があるようです。
一寸知識のある人などは、人が生まれてから死ぬまでの年数を計算して、何歳で結婚して、何歳までに家を建て、そして何歳で死ぬなどと、人生の時間割表を作って、そのタイムテーブルに沿って時間を消費していることもありえるわけです。
しかし、人生は、その人中心に回ってはおりません。人は、偉大な力により生かされているのです。時間と空間は、人にはコントロールできないのです。ですから、自分勝手に作った人生の時間割表どうりに、時間を使うことなどできないのです。
時間は誰にでも平等に与えられていますが、心理的には時間は平等ではありません。若者と老人との心理的時間は、異なるのです。
物理的時間は、両者とも同じとしても、心理的時間は、老人よりも若者のほうが長く感じられるでしょう。同じ一日でも、老人の一日は、アッというまに過ぎてしまうようです。それは、年とともに人間の感覚活動が鈍るのと、同じ動作の繰返しや見慣れた事は、脳細胞が無視することにより記憶に残らないため、一日を振り返ると「アッ」というまに過ぎてしまったと感じるのです。
このことは、見知らぬ土地へ旅にでることで理解できるでしょう。旅先では、一瞬一瞬が未知の世界ですから、それらのことが刺激となり脳細胞が記憶に留めるため、その旅の一日は振り返ると長く感じられるのです。心理的時間は、その人の生き方により差ができるのです。毎日の習慣性動作を変えることにより、一日は長くもなり、短くもなるのです。人生それ自体旅なのですから。
それでは、あなたの「時間」を有効に使うにはどのように考えればよいのでしょうか。
その方法のひとつとして、「時間を貯める」ことが考えられるでしょう。この「時間を貯める」ということは比喩です。
一般的に言って、人は生活を重ねることにより知識や知恵を蓄えます。その知識や知恵は、他の人達に伝達することが可能です。その伝達手段としては、語り、書物、映像などがあります。そこで、それらの先輩達が時間を費やして収集した知識や知恵を、あなたが得ることを、ここでは「時間を貯める」と言っているのです。
語部に会うことは難しいとしても、図書館や書店で目的の情報を持った書物を手に入れることは可能でしょう。その書物によれば、先輩達の時間を凝縮した知識や知恵を、時間と空間を超越して得ることが可能でしょう。つまり、「時間を貯める」とは、読書により疑似体験することにより、先輩達の時間を借りることなのです。
さて、以上のような考え方をもとに、「お金と時間」の関係を考えてみましょう。
 
 
昔々ある所である人が、川に五文のお金を落としてしまいました。その夜は月夜ではなかったので、その人は十文で松明を買ってきて、その明かりで落とした五文を探しあてました。めでたしめでたし。
 
 
 
このたとえ話は、「お金と時間」の使い方を考えるには色々な示唆を与えてくれます。はたして、そのように行動したことは、その人にとって有効な手段だったのでしょうか。その結論は、個々の人達の考え方によります。あなたはどう考えますか。
「お金と時間」について、若者と年配との考え方は、同じではないようです。それは、それらの関係が反比例しているからのようです。
一般的に言って、若者には「時間(ひま)」はあるようだけれども「お金」がないようです。それに対して、年配には「お金」があるようだけれども「時間」がないようです。この関係において、若者と年配とはそれぞれの内在エネルギーをマイナスに使っているようです。
たとえば、若者はそのヒマを有効に自己実現に向けて使うのではなく、ヒマ潰しのレジャーや一寸ばかりの贅沢や義理の付き合いのための資金稼ぎのために、時間を安く切り売りしているようです。それに対して、年配のほうは、お金を有効に使うのではなく、戻らぬ青春を取り戻そうと無駄な努力をし、その結果若者の行動に対して、嫉妬してしまうようです。
若者が通帳の所持金を数えることと、年配が年齢を取り戻そうと無駄な努力をすることは、人生における悲劇のひとつでしょう。ですから、そのような悲劇の主人公とならないために、ヒマのある人は所持金を数えるのではなく、ヒマを有効に使う方法を考える事です。また、お金のある人は、お金の有効な使い方を考えることです。
「お金は使い、時間を貯める」ことに、内在エネルギーを有効に使うことで、あなたは一流プロカメラマンの道を目標に向かって歩んで行けるのです。
 
 
 
 
 
夢から現実へ
 
 
 
 
人は、何故就寝中に夢を見るのでしょうか。夢とは何なのでしょうか。夢を有効に利用する方法はあるのでしょうか。
あなたは毎晩夢を見ています。見ていなかったと思っていても、それはあなたの意識に、その夢が記録されなかっただけのことです。
夢については昔から色々な話があります。夢のお告げなどは、昔話によく出てくるテーマのひとつです。科学時代の現代でも、夢のお告げは、人々に色々な示唆を与えていることは、巷でよく聞く話です。しかし、そのメカニズムや何の目的で見るのかは、科学時代の現代でも完全に解明されていないようです。
科学機器の発達により、脳は信号である電気化学的インパルス(セロトニンとかノルアドレナリンとかの脳内伝達物質とかいうそうです)により刺激をうけて活動していることが分かってきたようです。それらの物質を介在して、脳は脳波という五百万分の一から五千万分の一ポルトの電位を持った脳電流でコントロールされているようです。人間の身体をコントロールしている脳の神経系統も、コンピュータ回路と同様に、微弱電流により制御されているようです。
脳電流の存在は、1875年頃、イギリス人のリチャード・ケートンという人により発見されていたようです。そして、その脳電流は、1920年代に、ハンス・ベルガーという人の研究発表により、世間に知られるようになりましたが、当時の人達は、彼の研究発表を非科学的だと非難して、その研究発表を評価しなかったそうです。
現代では、脳波記録(EEG)は広く利用され、自動車事故で頭部を負傷した人は、必ず病院でその検査を受けるほどです。そのように、脳波の研究が広く行なわれるようになった結果、人が夢を見ている時期を知ることができたのです。
その時期とは、レム(REM)期といわれている、就寝中に眼球が早く動く(Rapid Eye Movement)時期に、夢を見ているらしいことが分かったのです。このレム期は、個人差もあるらしいのですが、おおよそ二時間周期に現れるそうです。つまり、人はおおよそ二時間おきに、何かの夢を見ているらしいのです。
現代科学では、脳の全メカニズムを解明する一歩手前まで来ているようですが、人は何故夢を見るのかは、依然として闇の中です。
夢の分析といえば、心理学者のフロイドなどがいるようですが、現代の人達を納得させるには時代の流れから外れてしまっているようです。心理学も時代の流れに流されているようです。
昔から、夢にたいする色々な解釈があるようですが、何故、人が夢を見るのかは、今後の心理学者達の研究に任せることにして、その夢のエネルギーを利用して、あなたの自己実現を可能にする方法を考えてみましょう。
機械のメカニズムを知ることなしに、それを利用することは可能です。たとえばテレビです。あなたは、テレビがどのようなメカニズムで映像を映し出しているのかを知ることなしに、テレビを楽しんで見ていることでしょう。
あなたがテレビを楽しむには、コードを電源につなぎ、スイッチを入れ、そして見たいチャンネルに合わせるだけです。
このことと同じように、あなたは夢のメカニズムを知らなくても、それを利用することが可能でしょう。そのようにするには、夢をコントロールするための基本操作を知ればよいのです。
まず始めに、あなたが眠れば頭脳も眠ってしまうのかを点検してみることにしましょう。
あなたは寝る前に「明朝七時に目が覚める」と暗示を使って潜在意識に刻印してみましょう。暗示をする時、「覚ます」ではなく「覚める」と言うことに注意して下さい。「覚ます」と暗示をすることは、あなたの欲のひとつである意志力を使うことになりますから、その暗示が逆暗示となってしまい、「覚めない」ことになってしまうでしょう。ですから、偉大な力によりあなたを覚ましてくれることにより「覚める」と暗示をかけるのです。その暗示がうまくかかった場合、あなたは目覚し時計の助けなしに、その指定時間に自然と目覚めていることでしょう。
あなたの頭脳も潜在意識も眠らないのです。頭脳の方は、覚醒時期に使われていた脳細胞に代わり、他の分野の脳細胞が活動するようです。潜在意識の方は、覚醒時期に活躍している意識の関所が開店休業状態になっているため、あなたの学習の結果の思考パターンの回路から解放されるため、覚醒時期に意識の力により抑圧されていた回路が作動し易くなるようです。この時に、意識下に蓄積されている時空を越えた情報が、昼間の抑圧から解放され、あるイメージを形成することにより「夢」が現れるのかもしれません。このことは、あくまでも仮説です。でも、次のような実験をすることにより、寝る前に与えられた情報が、夢に影響を与えることが理解できると思います。
次の実験は、あなたは寝る前に、昔の、例えば学生時代の楽しい思い出のある懐かしいレコード(CD)を聞きながら、卒業アルバムを見るのです。出来れば、学生時代に親しかった友人に電話をして、楽しい昔話などをしてみるのです。そのようにして、楽しい思い出に浸った後に、あなたは床に着くのです。そうしますと、多分あなたは、夢のなかで学生時代を楽しむことでしょう。
そのような学生時代に楽しい思い出がない人は、寝る前に楽しい御伽噺などの本を、眠くなるまでさりげなく読み続けるのです。そうしますと、あなたの夢の中に、その物語の一部が出てくることでしょう。
そのような実験結果から推測してみますと、寝る前の刺激あるいは情報は、睡眠中の夢に重要な影響を与えることが理解できるでしょう。心理学など知らない昔の人でも、「寝る前に、争いごとをしてはいけません。」と言っていたのは、体験的にこの夢のメカニズムを知っていたのかも知れません。
現代でも、子供の就寝前にお母さんが語るお話は、その子供の人格形成に重要な影響を与える、と主張している心理学者もいるのです。
さて、それらの二つの実験から、あなたの夢をコントロールして、そのエネルギーを利用するヒントが得られるでしょう。
それは、夢は一方的に見せられるのではなく、自分が望む方向で見ることが可能であるということです。ですから、自分が望む夢を、自分が進むべき方向に導いてくれるようにコントロール出来るとすれば、そのことが潜在意識に刻印され、意識下にあなたの望ましい思考回路が形成され、その結果、覚醒時期におけるあなたのなにげない動作は、あなたの望む方向に向かうため、夢の世界は、現実の世界に現れるのです。このことを英語では、「Dream come true.」と言うそうです。
夢は、あなたの昼間の生活に重要な影響を与えていることについては、異論の余地はないでしょう。夢見の良い日は、その一日は何となく楽しくなるものです。それに、夢に見たことが、現実のこととなった、ということはよく聞く話です。
ですから、あなたが一流プロカメラマンとなる自己実現を目指すには、この夢のエネルギーを利用すべきです。なぜならば、あなたの人生の三分の一は、眠っているのですから。
夢の場合、あなたの内なる世界での視覚ということですから、たとえあなたの現在が不都合な状態であるとしても、あなたが一流プロカメラマンとして、あなたの望む一流の仕事をしているところを視覚することは可能でしょう。
しかし、その視覚は、あくまでも、外なる世界、つまり、現実の世界での出来事ではない、と認識しておく必要があります。と言いますのは、内なる世界のことと、外なる世界のこととを区別することなく、うちなる世界のことを他の人達に語ることにより、思わぬ誤解を招くことになってしまう場合があるからです。つまり、幻視幻覚を見る人と思われてしまう可能性があるからです。
ですから、もしあなたの夢を他の人達に語る場合、その時制は未来形にすることです。そのような時制で語るとすれば、あなたの語る夢と現在のあなたの状態とは矛盾しませんから。
 
さて次にあなたの望む夢を見る方法を考えてみましょう。
それには、あなたのサクセスストーリーを創作する必要があるでしょう。まず始めに、あなたの望むプロカメラマン像を創りだすことです。芸術家カメラマン、芸能カメラマン、フォトジャーナリストあるいはネイチャーフォトカメラマンなどの目標を決めることです。つまり、あなたのゴール地点のことです。
そのようなことが決まりましたら、次にあなたの現在いる状態をよく観察してみることです。つまり、スタート地点です。
そのようにして、スタート地点とゴール地点とが決まりましたら、スタート地点からゴール地点にたどり着くまでの御伽噺を創作するのです。
御伽噺を創作する場合、考えておくことがあります。それは、御伽噺は、現実話と異なり、時間と空間とが曖昧であるということです。ですから、あなたが御伽噺を創作するには、「むかしむかし、あるところで」のように、時間と空間を縛らないことです。
人間には、時間と空間とをコントロールすることはできません。ですから、「何時どうなって、何処でこうなって、何歳でこうなる。」という書き方ではなく、漠然とした構成にするのです。もし、アイデアが思い浮かばない場合、あなたの好きな御伽噺を参考に創作するのもよい方法のひとつです。
あなたはこの世にあなたの意志で「生まれた」のではなく、偉大な力により「生まされた」のです。そういうあなたが、あなたの意志をもってすれば、何事も成就できると思っていても、偉大な力の協力がなければ何もできないのです。人が、自己実現できるのは、準備をして好期がくるのを諦めずに待つことだけです。
そのような考えで、あなたの成功物語を創作したならば、後はその物語を繰返し繰返し暗唱できるまで就寝前に読みつづけることです。そのようにして、その物語をさりげなく読んでいるとすれば、その物語はあなたの潜在意識に刻印され、その結果、あなたの夢は現実の世界に現れることでしょう。
以上、内在エネルギーの使い方を考えてきたわけですが、あなたの問題を解決するのは、あなた自身なのです。内在エネルギーの使い方を習得したあなたは、先輩達の知識や知恵をヒントとして、自己実現の道を目標に向かって歩んで行くことが出来るでしょう。あなたには出来ます。
 
 
第二章 チャンスをつかむ法
 
 
思考パターンを変えること
 
 
 
この世にチャンスに強い人とそうでない人がいることは事実です。あなたの周りの人達を観察するとすれば、同じ人間なのに、何故そのような差が出来てしまったかのサンプルのような人達が沢山いることがわかるでしょう。
一所懸命努力し真面目に写真活動をしているにもかかわらず、生活に余裕もなく人生を楽しめないカメラマンもいれば、さしたる努力もなしに自由気ままに楽しく暮らしているうちに有名になってしまったカメラマンなどが観察されることでしょう。
では、それらのカメラマン達の差は何によるかは、ステップ1で述べたとおりですが、原因はそれら外面的な要因だけではなく、そのカメラマンの内面的な要因もあるようです。そこでこの章では、あなたがチャンスに強いカメラマンとなれるように考えてみることにしましょう。
一体、チャンスに強い人とは、どのような能力を持った人なのでしょうか。そのひとつとして考えられるのは、時代の流れを読み摂ることができる予知能力に優れた人でしょう。さらに、そのチャンスに対処できる行動力も兼ね備えていなければ、せっかくチャンスの芽を予知したとしても、そのチャンスの芽を開花させることができないでしょう。
ということは、人はチャンスの舞台は作り出すことが出来ませんから、その舞台としての時代背景に合わせられる能力と、その要求される演技ができる能力とがある人が、チャンスに強い人ともいえるでしょう。つまり、あらゆる舞台(チャンス)において、その要求する演技(実行力)をこなせる人が、チャンスに強い人ということです。
それでは、その行動力はどのようにして習得できるのでしょうか。それは、第一章で述べましたように、「言葉は行動に影響を与える」わけですから、あなたの日常使用している言葉を、自己実現に向けて行動できるように、構築すればよいでしょう。つまり、考え方を、チャンスに強くなるように変えるとすれば、その結果として、行動力もチャンスに対処できるようになるということです。
それではチャンスとは、何なのでしょうか。チャンスとは、あなたの目指す方向に進んでいない時、何かのキッカケで、その方向があなたの目指す方向に変わり、結果として、あなたの望んでいたゴールに行き着くことができ、そして、その道程を振り返った時、あなたの目指す方向に変えてくれたキッカケのことです。
このことを別の表現では、あなたが汽車だとして、何本か線路が分かれている分岐点の前にいるとして、その時、あなたの汽車が行くべき線路を決めるポイントを設定してくれる鉄道員のことを、キッカケと考えることもできるでしょう。その時は、あなたは何処へ向かっているかは知る術はありません。あくまでも、時間を振り返った時に分かるのがチャンスということです。このことを、「チャンスには後ろ髪はない」と表現している人もいます。
しかし、それらのキッカケが、あなたに行くべき道を指し示したとしても、あなたの考えがそれらのキッカケに従わないとしたら、そのキッカケはチャンスとはならなくなってしまうことでしょう。
チャンスとは、その時点ではチャンスだと知ることができません。あくまでも、結果から振り返った時点からの判断ですから、あらゆる舞台をチャンス場面だと考えられる人達は、必然的にチャンスに強い人達となるわけです。
たとえば、あなたが有名写真学校を優秀な成績で卒業したにもかかわらず、夢に描いていたプロカメラマンとして独立できなくて、生活維持のため仕方なしに貸しスタジオのアシスタントとして暮らしているとしても、その現状に不満をもち続けるのではなく、一流プロカメラマンの仕事振りを、奨学金(低賃金かもしれませんが)を支給されながら、学習させてもらっていると考えれば、毎日の退屈であったスタジオワークも楽しくなり、その結果、必然的に貸しスタジオのお客様(プロカメラマン、広告代理店社員、デザイナー、ディレクターなど)達に快く思われることにより、「有名ゲーム」に参加できるチャンスに巡り会えることになるかもしれません。
または、写真学校を卒業したにもかかわらず、プロカメラマンの職に就けなくて、サラリーマンとして生活維持をしているとしても、プロカメラマンとして独立した時を考えて、営業センスを、奨学金(薄給かもしれませんが)を支給されながら勉強していると考えれば、毎日のルーティンワークも今よりは楽しくなることでしょう。そのように楽しく営業活動をしながら、人脈作りをして行けば、営業活動中に思わぬところでチャンスに巡り会えるかもしれません。
いずれにしても、ひとは明日の事を知る術を持っておりません。ですから、現在の生活があなたの望む方向で暮らしていないとしても、考え方を変えてみることにより、思考パターンが変わり、今まで見えなかったことが突然見えることにより、チャンスの芽を見つける確率が高まることでしょう。つまり、今よりもチャンスに強い人になれるでしょう。
日常生活での基本は、不平不満を言わないことです。一時的にガス抜きはできるとしても、そのような事を言っても未来は変わりません。その代わり不幸を呼ぶことになるかもしれません。「類は類を呼ぶ」ということは真理なのですから。
ですから、あなたは、思考パターンを変えることにより人生を楽しむことです。現在の仕事を、思考パターンを変えることにより人生を楽しむことです。楽しい人には、自然と人々が集まって来ます。ひとが集まるところには、チャンスも芽を出すのです。
さて、人生もゲームだと考えれば、野球ゲームと同じように、ピンチもあればチャンスもあることでしょう。そのようなビンチとチャンスとは相対関係にありますから、ピンチもチャンスと考えられる人は、そう考えられない人に比べれば、二倍チャンスに巡り会えることになるわけです。
たとえば、野球ゲームで、一点差最終回ツゥアウト満塁で、バッター四番強打者のサヨナラ逆転の場面では、ピッチャーにとっては最悪のピンチ場面です。しかし、考え方を変えて見れば、その場面でピッチャーが力投して、四番強打者を討ち取ったとしたら、そのピンチ場面は、ピッチャーの腕の見せ所となることでしょう。
いずれにしても、あなたが、あなたの人生ゲームで最悪な場面にいると思い込んでしまっていても、別の角度から見ることにより、つまり思考パターンを変えることにより、その場面がチャンスの場面に変わることでしょう。
あなたが一流プロカメラマンとなれるように日々暮らして行くことにおいて、チャンスの芽を見つけるだけではなく、ピンチ状態に陥ることも予測されることでしょう。
そのような場面を想定して、ピンチ場面に遭遇してしまっても、チャンス場面に巡り会えたと思考パターンを変えることにより、動揺せず対処できる心構えを考えておくことは賢い方法のひとつです。
その方法のひとつとして、有利な場面はより有利に、不利な場面も有利にしてしまう言葉(呪文)を、潜在意識の回路に思考パターンとして刻印してしまえばよいのです。なぜならば、あなたの言葉は、あなたの行動に影響を与えるからです。
マネーゲームである株式投資は、人生ゲームに似ているところがあります。それは、自分中心にゲームが進んで行くだろうという、希望の錯覚を与えることがあるということです。
人生ゲームでは、時間と空間(舞台背景)をコントロールできません。マネーゲームでは、あなたが動かせるのは、買いと売りの二回しかできません。後は、あなたの意志や考えとは無関係に、その相場は時の流れに流されて行くわけです。マネーゲームでも、人生ゲームと同じように、その流れをコントロールできないのです。
ですから、そのゲームで勝つには、人生ゲームと同じように、その流れをカンを頼りに予知あるいは予測するしか方法はないのです。
マネーゲームも人生ゲームも、最高学府の経済学部を優秀な成績で卒業したとしても、明日どうなるのか一寸先も知ることはではません。人生ゲームもマネーゲームも一寸先は闇なのです。しかし、経済学の知識や世界経済動向の学問的知識がなくても、それらのゲームを楽しんで、且つ成功している人達がいることは事実です。
そこで、マネーゲームで成功している人達が使用している呪文を研究することで、人生ゲームをいかにして楽しんで勝つかの、思考パターンを探究してみることにしましょう。
マネーゲームの上手な人も下手な人も、二つの動作しかしません。それは、買いと売りです。(プロやセミプロは売りからはいることもあるようです。)その差額が儲け、つまりそのゲームで勝ったということになるのです。つまり、安いところで買い、高くなったところで売ればよいのです。
この単純なゲームでも、ある人は常に高い確率で勝者となるのです。しかし、ある人などは、つねに敗者となってしまうのです。それでは、その二者を分ける根本的原因は何かといえば、そのゲーム場面を予知あるいは予測する相場感、つまり、思考パターンによるわけです。
それでは、その勝者が使う呪文(思考パターン)を研究してみましょう。
 
呪文その一、「もうはまだなり、まだはもうなり」
 
 
この思考パターンは、今が売りか買いかのチャンスだと思って行動してしまったが、それはそれほどのチャンスではなく、後にもっと大きなチャンスがあった。その反対に、まだ行動のチャンスではないと待っていたが、結果からみると、その時点が最大のチャンス場面であった、ということを表現しています。
この思考パターンを、あなたの写真活動に応用してみるとすれば、「もう自分はプロカメラマンとして売り出せる」実力があると思って行動してしまったが、世間はそう甘くはなく、「まだプロカメラマンとしての修行が必要であった」かもしれません。
その反対に、「まだプロカメラマンとして売り出す」時期ではないと思っていても、「もう十分に独立できる実力がある」とも考えられるわけです。
チャンス場面におけるひとの行動は、往々にして間違いを犯すようです。それは、欲のひとつである意志が、意識により集めた情報を分析する時、欲目でものごとを自分の都合の良いように判断してしまう傾向があるからです。ですから、マネーゲームの名人は、意識による情報収集はしますが、チャンス場面における行動の決断は、この呪文を唱えながら潜在意識の「ひらめき」を重視するようです。
あなたの人生において、重要な決断をしなければならない場面に遭遇するのは、一度や二度ではないでしょう。そのような目の前に来る好機に対して決断をする時、意識による分析の結果を重視するのではなく、潜在意識に「私は正しい判断をする」と祈るのです。そのことにより、何らかの「ひらめき」を得たら、そのような行動をすればよいでしょう。
誰にも人生の一寸先は見えないのです。あなたの道は、あなた自身が切開くことにより作られていくのです。そして、その決断の結果が良ければ、そのまま進んで行けば良いでしょう。しかし、その行動の結果により、あなたにとって不都合が生じてしまったとしたら、「もうはまだなり、まだはもうなり」と呪文を唱えれば、その思考パターンにより、あなたは、後退するのではなく、その行動結果を踏み台として、前進して行くことができるでしょう。
「もうはまだなり、まだはもうなり」の呪文は、後悔の感情を消失させるパワーがあるからです。
 
 
呪文その二、「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」
 
 
この呪文は、相場が短期間で急上昇すればするほど、下降するのも短期間であり、その反対に、急な下げは急な上げともなる、ということを表現しています。つまり、急な変化に対して、はしゃいだり、慌てることを戒める呪文です。
この思考パターンをあなたの人生ゲームに応用して考えてみましょう。
あなたが何かのチャンスを掴み、短期間のうちにプロカメラマンとして有名になったとしても、何かのスキャンダルでピンチとなり、短期間のうちに世間から存在を忘れられてしまう、ということになるかもしれません。
その反対に、何かのスキャンダルで「アッ」という間に、奈落の底に落ちてしまったとしても、何かのチャンスを掴んで「アッ」という間にプロカメラマンとして復活できるかもしれません。
人生総て「塞翁が馬」です。つまり、よいことは悪いことの始まりでもあり、またその反対に、悪いことはよいことの始まりでもあるわけです。人生一寸先も知ることができないし、よい悪いと言ったって、その状態がずっと続く保証などなにもないのです。ですから、あなたがよいと思ったことは、そうすればよいし、もしそのようにした結果がよければ、「山高ければ谷深し」と考え、不必要にはしゃぐことを戒め、その反対に、行動の結果が悪ければ、「谷深ければ山高し」と考え、落ち込まずうろたえないことです。
「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」の呪文は、冷静に判断できる状態を創りだすことにより、あなたの行動は落着きを得ることでしょう。
 
 
呪文その三、「人の行く裏に道あり花の山」
 
 
この呪文は、皆と同じ行動をするのではなく、「百万人行けども我行かん」という迎合行動を戒め、皆と逆の行動をとることにより相場に勝つことができることを表現しています。
この思考パターンをあなたの人生ゲームに応用して考えてみましょう。
あなたが有名写真学校を卒業し、友人の多くがプロカメラマンとして活躍しているのに、スタジオアシスタントとして毎日を暮らしているとしても、心配することはなく、別ルートにより、プロカメラマンとしてデビューできるとも考えられるでしょう。
多くのプロカメラマン予備軍がひしめき合う人生コースに外れて、ひとり寂しく人生の裏道をひとり歩いているとしても、焦ることはないのです。
その表道が、ある人達にとってはプロカメラマンへの道だとしても、プロカメラマン予備軍でひしめき合いながらではの行進では、たとえその道に美しい花があったとしても、立ち止まってゆっくり鑑賞している暇もないでしょう。
ですから、現在あなたが歩いている裏道に、花が咲いていないからといって、表道を行く人達を羨むこともないでしょう。
「花の山」を心に思いながら、今の裏道を自分の歩幅で歩いて行けば、必ず「花の山」に行き着くことができるでしょう。その場合、あなたは思う存分誰にも邪魔されずにゆっくりとその花を観賞することができるのです。
勝負師は孤独なものです。あなたも、人生ゲームを行なっている時に、孤独感に苛まれることもあるでしょう。その時、「人の行く裏に道あり花の山」の呪文は、あなたの孤独感を和らげてくれることでしょう。
以上、三つの思考パターン(呪文)を考えてきましたが、これらが言っていることは、結局ものごとには決まりなどなく、それはその状態をどう考え、それに対して、どのように対処するかにより決まるということです。
ということは、チャンスに強い人とは、ピンチにも強い人ともいえるでしょう。
一般の人達は、チャンスとピンチとを別々に考えてしまい、チャンスの時ははしゃぎ、そして、ピンチの時は慌てるのです。
チャンスに強い人は、ピンチ場面もチャンス場面に変えてしまう思考パターン(呪文)を潜在意識の回路に持っていますから、一般の人達の二倍もチャンスに巡り会うことになってしまうのです。
同じ人生なのに、何が原因で、その人達に差を付けるかは、その人達の持っている思考パターンによることが理解できたと思います。このことを知ったあなたは、チャンスに強い人となっていることでしょう。
 
 
チャンスは人間関係にある
 
 
 
前節での三つの呪文は、ピンチ場面に遭遇し結果が悪かった時、それを唱えることにより、内在エネルギーを充電させる働きをしますから、その結果、落ち込んでしまった心を癒し、そして、再出発を可能にさせることができることでしょう。
そのようにすることで、人生ゲームにおいて何度かの挫折を乗り越え、あなたは目標に向かって歩いていくわけですが、その方向性を見極める必要があると同時に、人の心、つまり性格を理解しておくことも大切でしょう。
世界があなたを中心に回っていれば、他の人達の性格について研究することもないでしょう。しかし、世界はあなたを中心には回ってはいません。それに、世間の人達は、それぞれの人生ゲームに夢中になっていることにより、何の利害関係もないカメラマンのあなたのことを、自ら進んで理解し、応援してくれることもないでしょう。ですから、あなたは、あなた自身から他の人達と友好関係を築く必要があるわけです。
その場合、相手の性格を理解しているとすれば、いらぬトラブルも回避することもできることでしょう。そこでまず、対組織について考えてみることにしましょう。
人の集まりにおいて、その組織の性格は二つに分けられるようです。ひとつはピラミッド組織と、もうひとつはサークル型組織とです。このことを喩えると、前者が権力構造のイヌ型で、後者が自由気ままなネコ型とも考えることができるでしょう。
イヌ型の組織は、上下関係が確立されています。喩えて言えば、体育会系組織です。イヌは日常生活において、常に上下関係に気を配りながら活動しています。そのような組織にあなたが接触する時、気おつけておかなければならないことは、言葉と行動です。
あなたが有名もしくは一流と世間が認められているプロカメラマンであるならば、それらの組織と接触する場合、偉そうに振舞っても、それは権威を付けることになるかもしれませんが、そうでない場合、不都合が生じることでしょう。
そのような組織と接触する場合、あなたは敬語を使い、行動を慎み深くすることにより、その組織との関係をトラブルなしに維持することができるでしょう。
組織がイヌ型の場合、あなたはその組織のボスに気に入られることにより、あなたの目的を達成することができるでしょう。この組織の場合、トップダゥンセールスができるからです。ですから、あなたは、その組織のボスの性格を理解した上で、その組織と接触を図ることは賢い方法です。
ネコ型組織は、横並びの組織です。喩えて言えば、音楽同好会系組織です。会社組織であったとしても、肩書きで呼び合わないことが多いようです。イヌ型組織の場合、○○社長とか○○部長とかの肩書きは重要ですが、ネコ型では、社長も部長も「さん」づけで横並びです。イヌ型の組織の性格は、そのボスの性格を反映していますが、ネコ型の場合、全体の雰囲気を理解することが必要でしょう。
ネコ型組織の場合、個人個人の性格を自由に表現していますから、その組織のボスと仲良くなったからといって、その組織に受け入れられたことにはならないでしょう。この組織ではトップダゥンビジネスを行なうことはできません。他のメンバーから反発を食らうでしょう。この組織の場合は、個々のメンバーと友好関係を築く必要があるでしょう。
いづれにしても、あなたが目指す組織と接触を図る場合、その組織の性格について事前に情報を集め、その組織の特徴に合わせ行動することにより、あなたの目的をスムーズに達成できることでしょう。
組織は個人で構成されていますから、その個人の性格に付いての情報を入手できるとすれば、さらにスムーズに目的を達成することが可能でしょう。
営業を経験している人には、理解できるかもしれませんが、営業でいろいろな人達と接触していると、それらの人達の性格に、ある種の特徴があることに気付くことでしょう。
威張っている人達、愛想の良い人達、要領の良い人達、すぐ怒る人達、素直な人達などを思い浮かべると、それらの性格の人達の何人かを思い出すことができるでしょう。
古代から現代まで、ひとは自分の人生ゲームを有利にできるようにと、いろいろな性格分析を発明してきているようです。血液型や生年月日それに姓名が主な分析要素のようです。それらを素に性格分析が行なわれ、それらが今日まで、ある程度世間から支持されているということは、なんらかの根拠があるのかもしれません。
そこで、ここでは姓による性格分析を考えてみることにしましょう。
その姓による分析の前に、日本国の成立について一寸復習することにしましょう。なぜならば、高貴な人達と異なり、庶民の姓は、日本国を経営するための税(租庸調)を徴収し、組織を円滑に運営するために付けられたからです。組織を運営するには、命令と服従とがなければできません。支配するための大組織などなければ、姓など付ける必要はないのです。名前だけで充分です。
日本国の成立はおよそ七世紀だそうです。大陸からの亡命者と土着の支配者との連合で、日本国の基盤を創ったそうです。(詳しくは歴史書で勉強して下さい。)その時に、支配者が臣民を使役するために、集落ごとに記号を付けたのが姓のようです。姓は支配者が被支配者を統率するために付けた記号なのです。渡来系の少ない人数で、多くの見知らぬ先住民を統率するには、原住民系か渡来系かなどの情報を瞬時に認識する必要があったのでしょう。(現在ではバーコードで個人を管理する方法を研究中だそうです。)そのための手段として、集団ごとに姓をつけたらしいのです。
現在でもその名残か、区役所でのハンコは名前ではなく、姓を用いたものでなくては受け付けてくれないでしょう。本人を唯確認するためだけであるのならば、理屈からいえば、ハンコに太郎や花子などの名前を用いたものでもよいはずだからです。
(以下に述べることは歴史的でもなく科学的でもありません。ある言い伝えによります。)
姓については、その頃から現在まで連綿として続いているのではなく、名もない人達は明治維新の時、姓を初めてつけた人達もいるようですから、ここでの話は、あくまでも人の性格を姓から分析するひとつの考え方(ヒント)と思って下さい。
その言い伝えによりますと、日本の七世紀前の先住民は、五つの民族に分けられるそうです。それらの民族に、支配者は、「あ列」、「い列」、「う列」、「え列」、それに「お列」の姓を付けたようです。
例えば、「あ列」とは、姓の上に、あかさたなはまやらわ、の文字が付く姓です。例えば、粟田さん、加藤さん、坂田さん、田中さん、中村さんとかの姓を持った人達です。
そのように、それぞれを「あいうえお」列の姓に分けていくと、おおよそ五つの民族の性格の特徴が現れるようです。それでは、それぞれの民族の性格の特徴を簡単に述べてみましょう。
 
「あ列」、この人達の性格の基本はお人よしです。気が小さいですが、場合によっては威張っている人もいますが、ねちっこい性格ではないのでなんとなく親しみのある人達が、多いようです。この人達と接触する時は、打ち解ければ、本音で話しができるかもしれません。反体制的。
 
 
 
「い列」、この人達の性格の基本は環境を理解し、分析する力が優れています。秘めた心を持った人が多いようですから、言動の表面だけで、この人達の性格を分析できません。頭の良い人達が多いですから、「あ列」や「お列」の人達は、場合によっては、利用されてしまうことにもなってしまいます。味方にすると、これほど頼りがいのある人はいないかもしれません。この人達と接触する時は、自分の持っている情報を総て語らないほうがよいかもしれません。日和見的。
 
 
 
「う列」、この人達の性格の基本は上昇志向でしょう。威張っている人達が多いのも特徴のようです。組織を作ったり、指図をすることが好きな人達が多いようです。この人達と接触する時は、つねに一歩下がる気持ちでいるとよいようです。体制的。
 
 
「え列」、この人達の性格の基本は意固地のようです。その結果かもしれませんが、対人関係の苦手な人達が多いようです。それに、怒りぽい人が多いようです。この人達と接触する場合は、言動に注意しましょう。反抗的。
 
 
「お列」、この人達の性格の基本は頑固のようです。自分の意見を押し通そうとしますが、納得すれば、受け入れてくれます。ですから、この人達と接触する時は、自分の意図を充分時間をかけて説明する必要があるでしょう。反体制的。
 
 
以上の性格分類の科学的論拠(流行り言葉ではエビデンスと言うそうですが)はありません。しかし、人と人とのコミニュケーションにおいて濃密な関係である結婚について、この五つの民族を考えると、それらの分類がいい加減なものではないことが理解できるように思えます。
明治維新前の結婚相手は、本人どおしの選択ではなく、親や親類等が決めていたそうです。その基準は、同じ血が流れている同族だったそうです。結婚式当日、本人どうしが初顔合わせなどは当たり前の世界だったそうです。それでも、現在と環境の違いもあったかもしれませんが、生涯を仲良く添い遂げた人達が多くいたそうです。
翻って、民主主義の自由に配偶者を選択できる現代では、封建時代(この言葉は学校で間違ったイメージを刷り込んでしまったようです。)と異なり、親や親類等の推薦など無視して、本人達が恋愛などして理想的な配偶者を選んだつもりでいても、成田離婚などは珍しくもなんともなくなっているほどです。
何故でしょうか。その理由のひとつとして考えられるのは、血の流れです。血の流れは、先祖のDNAを活性化させます。理屈を超えた魂の叫びを呼び起こします。
正常な精神状態であるならば、ひとは人格を取り繕えます。つまり、演技ができます。しかし、争いごと、例えば些細な口喧嘩であったとしても、体調不調の時などは精神のバランスが崩れます。その時に、地が出るのです。その結婚の組み合わせが最悪の時などは、話し合えば(このことも学校では間違って教えてしまっているようです。話合えば何でも解決できますと)話合うほど、お互いの民族の血の違いが露呈してきてしまうようです。そして、最後の結論が、離婚となるわけです。
高ビの三高狙いの知識に溢れている人は、心の叫びを理解できる知恵ある人に比べれば、良き配偶者に巡り会うチャンスは少ないかもしれません。
このことを実証してみましょう。あなたは、近所の結婚式場に行くのです。そこには当日式を挙げる両家の姓が明記してあるカンバンを目にすることができるでしょう。その組み合わせを調べてみて下さい。同列姓と異列姓との数を調べてみて下さい。但し、「あ列」と「お列」とは最良ではないかもしれませんが、同列と考えて下さい。その時、同列の組合せが多いことに気付くことでしょう。
さらに今度は、あなたの周りで離婚した人達の組合せ姓を調べてみて下さい。その場合、異列の組合せが多いことに気付くことでしょう。
近代化、科学時代の現代でも、血の流れによる相性は存在するのです。
そこで、あなたがチャンスに巡り会うためにコミニュケーションをとろおとする場合、相性ということも考える必要があるわけです。
対組織との場合、もしあなたがイヌ型の性格の持主であるとすれば、ネコ型ではなくイヌ型の組織と接触することで、無理なくコミニュケーションがとれることでしょう。ネコ型の性格の持主であるならば、ネコ型の組織が相性が合うはずです。
組織がイヌ型かネコ型かを判別する方法のひとつは、その構成員のボスに対する態度で分かるでしょう。茶坊主がいる所はイヌ型組織で、社長が頼りない所はだいたいネコ型組織でしょう。
そして、目指す組織と接触できましたら、あなたの写真活動を支援してくれるシンパを作ることです。それには、あなたと同列の姓の人とコミニュケーションをとることにより達成できるでしょう。
唯闇雲に多くの人達とコミニュケーションをとることに比べて、数は少なくても同列の姓を持つ人達と濃密なコミニュケーションをとることで、あなたにチャンスを与えてくれる確率が高くなることは、もう説明する必要はないでしょう。
あなたにチャンスを与えてくれるのは、物ではなく人です。人間関係です。誰とコミニュケーションをとればよいかを知ったあなたは、チャンスの種子を見つけたも同然です。
 
 
チャンスの種子を蒔くこと
 
 
 
あなたがチャンスの種子を見つけたからといって、それを蒔かなければ芽は出ないでしょう。そこでこの節で、種子の蒔き方を考えてみることにしましょう。
お百姓さんは、種子を畑に蒔く時、ただの思いつきで蒔いているのではなく、その種子に合う季節と土壌(アルカリ性とか酸性)を調べてから蒔いているのです。そのように種子は発芽条件に合った仕方で蒔かれているのです。蒔かれたあとは、お百姓さんが手入れをしなくても、転変地変がなければ、自然の流れとしてその種子にインプトされたとおりに発芽するわけです。
そのことと同じように、あなたのチャンスの種子を蒔く時も、前もって蒔く時期と土壌(場所)を調べておく必要があるでしょう。それでは、蒔く時期はどのように決めたらよいのか、そして、あなたの場合の畑とは、何処にあるのでしょうか。
そのヒントは、優秀な保険セールスマンに見つけることができるでしょう。
保険のセールスをする場合、そのセールス先を何処にするかで、その人の将来が決定してしまうと言っても過言ではないでしょう。一般レベルの人は、親兄弟そして親戚一同にセールスをかけるでしょう。一寸レベルを上げる人は、同級生や同窓生にセールスをかけることでしょう。
しかし、セールス先がそれらでは、行き着く先が見えてしまいます。それに、それらの対象者が果たして保険のセールス対象になるかは疑問です。もしかしたら、それらの人達は、もうそれぞれの親戚の保険セールスマンと契約をしているかもしれませんから。
それではトップセールスマンはどのようにして顧客を開拓(チャンスの種子を蒔く)するのでしょうか。
その方法のひとつは、金持ちの集まるサークルの一員になることで、セールスのチャンスの種子を蒔くのです。暇な金持ちの集まるところは大体決まっています。有名ゴルフクラブ、有名テニスクラブ、お茶の会などなど色々思い付くことができるでしょう。それらの会員になることに、まずエネルギーを使うのです。
でも、会員になったからといっても、決して自分が保険のセールスマンであることを言わないし、セールスもしないのです。その代わり、その会の運営に全精力を尽くすのです。そのようにしていると、回りの会員から、あなたは何をしているのですか、と訊ねられるのです。その時、徐に自分が保険のセールスマンであることを告げるのです。その後は、契約書にサインをもらうことになるのです。
保険であれ自動車であれ、トップセールスマンの種子の蒔き方は大体以上の仕方が基本です。セールスのコツは、セールスをしないことです。目的の相手から話し掛けられるように仕向けることです。
しかし、以上の方法は万人にはできないとは言えないけれど、それらの会員になるにもチャンスがなければなれないでしょう。有名なクラブほど、敷居が高いからです。
それでは、あなたにも出来る種子蒔きのヒントが得られる、他の分野のトップセールスマンの行動をみることにしましょう。
医師が使う医薬品をセールスする人を「MR」と言います。この世界のセールス競争は熾烈を極めています。医薬品の研究・開発費は莫大な資本を必要とします。それを営業で回収するために、各医薬品会社は、自社製品のシェアアップに凌ぎを削っているのです。
MRは医薬品を医師達にセールスするために、色々な医薬情報を提供します。その情報も化学的に裏付けされた情報が多いため、文化系よりも理数系それも医薬系の大学出身者が有利と言われています。しかし、文科系出身のMRでも優秀な人も中にはいるのです。
それではその文科系MRはどのようにしてトップセールスマンになったかを述べてみましょう。(この話は本人から直接聞いた話です。)そのMRの趣味は、スキーとサーフィンです。それらを武器にチャンスの種子を蒔く計画をたてたのです。
有名な医学教授は各製薬企業が狙っています。その教授に自社製品を認めてもらい、そして実際に患者さんに処方してもらい、その結果を医学会で臨床発表してもらうことにより、他の医師達への影響力が期待できるからです。影響力が強ければ強い教授ほど超多忙です。ですから、一介のMRがアポイントを取ることは、砂漠でオアシスを探し当てるより難しいことなのです。
ですから、各社のMR達は、色々な手を使ってアポイントをとろうと日夜活動しているのです。目指す教授にアポイントを取る方法のひとつに、教授が興味を示す情報を入手することがあります。そのような情報を入手していることを知らせれば、アポイントを取れる確率が高くなるからです。だからといって、その情報を進んで教えてくれる人はいません。そこで考えたのは、その教授と接触のある看護婦さん達と仲良くなることでした。
その手段として、自分の趣味を生かしたのです。目指す教授が興味を示す情報を持っているであろう看護婦さん達を、マイクロバスをチャータして夏は海に、冬はスキーに誘って仲良くなったのです。種子蒔きには、蒔く時期と土壌の性質を分析するための時間が必要です。そのようにして、時間をかけて仲良くなった看護婦さん達からの情報を素に、目指す教授の興味を引くような情報を収集して、アポイントを取ることにより、医薬品セールスのチャンスを広げていったのです。この方法はあなたの種子蒔きに応用できるでしょう。
まずあなたの目指す組織に直接種子蒔きができないのであるならば、その組織の構成員に接触することから始めるのです。例えば、その組織が出版社であるのならば、その編集長に何の面識もなければ、アポイントを取ることが難しいでしょう。しかし、編集員や従業員ではどうでしょう。そのように、最終目標を目指す前に、その前の人、それでもダメな場合はその前の人と、目標のレベルを下げるとすれば、その種子蒔きの可能性は広がっていくことでしょう。
人脈は繋がっていますから、思わぬ人が思わぬ人と知己である場合もあるわけです。ですから、あなたが、こんな所にチャンスの種子を蒔いても無駄だと思っている所が、もしかしたら、チャンスの芽を出す条件の畑かもしれません。そのために、あなたは、なにかのキッカケで知り合いになった人達の名簿を作成しておくことは、それなりに意義のあることなのです。
その名簿に記載されていく人達の情報が多くなればなるほど、あなたのチャンスの発芽条件が整っていくことになるのです。なぜならば、それが、あなたの「畑」なのですから。
見ず知らずの人達と知り合いになるには、あなたの情報を知らせる必要があるでしょう。その手段のひとつとして名刺があります。あなたは、あなたのカメラマンとしての印象を与える名刺を随時持っている必要があります。名刺とは、コンパクトの宣伝チラシなのです。そのチラシをあなたの人生ゲームで知り合った人達に、配るのです。
そして、その見返りに受け取った名刺を整理しておくのです。できれば、その名刺の余白に、その人の家族構成とか、その人の生年月日などの情報を記載しておくことです。その情報は種子の発芽条件を高めます。と言いますのは、自分の誕生日に、思いがけない人からバースディカード、それも洒落た写真のものであるのならば、喜ばない人は稀でしょう。
しかし、そのようにチャンスの種子をあらゆる所に蒔いたとしても、発芽するとは限りません。ひとは、それぞれの人生ゲームに夢中になっているからです。いくら蒔いても発芽しない場合、それではどのように考えればよいのでしょうか。
 
 
希望を持ってあきらめないこと
 
 
 
 
前節で考えてきたことを簡単に述べれば、プロカメラマンとしてデビューするためのチャンスを掴むためには、あなたのカメラマンとしての写真活動を理解し、バックアップしてくれる人達に巡り会うために、出来る範囲の手段をとり、それを実行しなさい、と言うことです。このことを、チャンスの種子を蒔くと言ったわけです。
蒔いたことにより、発芽すればよいのですが、時として発芽しない場合もあるかもしれません。その時は、「蒔いた時期」と「畑の状態」を再点検することです。
それではまず、どのような時期に種子を蒔いたらよいかを考えてみましょう。
ひとが成功するにはチャンスが必要だということは理解できても、実際にチャンスが何処にあって、これがチャンスですと教えてくれる人もいません。だから、自分ひとりでチャンスに巡り会う方法を考えなければならないわけです。
社会経験が浅く短い、自分中心に世界が回っていると思っているカメラマンの卵は、自分自身の価値判断により素晴らしい写真作品が多く集まったから、写真展を開催しようと思っていても、それが成功するかは疑問です。多分、その写真活動を、そのカメラマン自身が思うほどの感激を持って鑑賞してくれるひとは、いないとはいえないまでも、稀でしょう。
つまり、その写真展は、そのカメラマンが気にするほど、世間の人達は気にもとめないでしょう。ひとは、それぞれの自分に都合の良い価値基準で行動しているからです。
それでは、その写真展の作品が人々が求めるものであったとしたら、どうでしょうか。
ひとは、十人十色と言われるごとく、ひとそれぞれに個性もあれば嗜好も異なります。ましてや、百人いたら、百人に好まれるものなど稀です。ないといっても良いかもしれません。それでは、ひとが集まる写真展を開催するには、どのような写真作品を集めればよいのでしょうか。
そのヒントは、広告のビジュアル創りにみることができるでしょう。広告の原点は、見ず知らずの人達に、ある商品やサービスを手に入れることにより、あなたの生活がハッピーになりますよ、と暗示をかけて、それらを購買させることです。
そこで訴求対象物(宣伝品)をテレビや新聞などの媒体を使い、潜在顧客に知らせるのです。そのために、その商品なりサービスのイメージを湧かせる名前(業界用語ではネーミングというそうです。)を付け、その商品の注目度をあげるために視覚効果を考えるのです。
広告は、魔術と同じで、人々がその暗示にかからないと、コマーシャルメッセージが伝わりません。ですから、潜在顧客に暗示をかけるには、どのようにしたらよいかを広告代理店は研究するわけです。(潜在顧客に暗示をかける前に、広告マンは意味不明の業界広告用語を発明して、広告の仕事をもらうためにクライアントを暗示にかけるのです。)
暗示を潜在顧客にかけるには、まず第一に潜在顧客の注意を引く必要があります。そこでアイキャッチャーとしてのビジュアルが必要になるのです。
それでは、一般の人達の注目を集めるビジュアルとは、どのようなものでしょうか。
それらは、「スリーB」で表すことができるでしょう。スリーBとは、Beauty,Baby,そしてBeastです。Beautyとは、美人や美しい風景など、美しいもの全般です。Babyとは、動物であれ人間であれ子供のことです。Beastとは、動物のことです。これらに対して、ひとは、老若男女にかかわらず、興味を示します。
あなたが巷で目にする広告の中には、全部とはいえませんが、大部分の広告はスリーBを素材として、ビジュアルが創られているはずです。それらスリーBを広告のビジュアルに使うのは、潜在顧客の眼に触れる確率が高くなるからです。
このことは、あなたの作品のテーマを決めるヒントになるかもしれません。あなたの写真展が多くのひとを呼べなかった場合、次の写真展を開催するための作品創りを考えているのなら、その分野がなんであれ、スリーBをベースにすることです。そのような要素を含んだ作品であるとすれば、あなたの開催する写真展は多くの人達を集めることができることでしょう。
あなたが、そのような写真展を開催する時や写真集を発行する時が、チャンスの種子蒔きの時期なのです。
それでは次に、発芽に適した「畑」について考えてみましょう。
ひとは平等だということになっているようですが、よぉく観察してみると、どうも違うように思えます。その違いとは何でしょうか。その違いのひとつとして、エネルギーがあります。
どうもひとは二種類に分けることができるようです。それらは、ひとにエネルギーを与えることができるひとと、その反対に、他人のエネルギーを吸い取るひととです。
この身体から放出するエネルギーのことを、東洋では「気」と呼んでいるようです。体に気が満ちている「元気」なひとは前者で、気が枯渇している「病気」のひとは後者ということになります。しかし、本来、元気な人とか病気の人などはいないのです。「元気」、「病気」といっても、それは、その時のひとの一時的状態であって、ずうっと続くわけではなく、時の流れによっては、「元気」なひとも何かのキッカケで、「病気」の状態にもなるし、その逆にもなるわけです。
それでは、その「元気」な状態のひとを観察してみることにしましょう。「元気」な状態のひとは、エネルギーが波動として体から放出されているため、かすかに、輪郭が浮き出たように感じられることでしょう。その力が強い人などは、輪郭が光輝いてみえることがあるかもしれません。
こんなことを経験したことがありませんか。例えば、あなたが今よりも社会の常識に囚われていない純真な心を持っていた小学生の頃、心に思っている人が、教室に現れた時、その教室がパァット明るく感じられたことなど。
このことは、実際の宗教のプロパガンダでは利用されていることです。聖人の輪郭を光り輝くように後光を描写した絵など、宣伝用パンフレットなどで何度も見たことがあることでしょう。
実際に、あなただって撮影テクニックとしてこのことを経験しているはずです。ポートレート撮影の実習の時、威厳を演出するためや溌剌さを表現するための手段として、被写体のバックにスポットを当てたことなどあるでしょう。さらに、引き伸ばしの時、覆い焼きなどをして、被者体の輪郭を白くボーッとさせたことなど経験していることでしょう。
元気なひとは、実際にエネルギーの波動を放出しているのです。ひとの眼に見えないものは存在していないという「科学の信仰心」が、それらを見ることをさまたげているのです。そのような体から放出されているエネルギーのことを、神秘主義者は「オーラ」と呼んでいます。
このオーラを発している人は、エネルギーを吸収しょうとしている人達を引きつけます。巷では、そのひとのことを「スター」と呼んでいます。
ここに、あなたがチャンスの種子を蒔く「畑」のヒントがあります。それは、オーラを発している人とコミニュケーション(種子を蒔くこと)をとることです。そのような人は、今は無名であったとしても、何れ時の流れに乗り有名になる可能性があるからです。なぜならば、そのような人には、自然と人々が集まってくるからです。
あなたがオーラを見ることができないならば、違う方法で「畑」を探すことができるでしょう。その方法とは簡単です。その人と会った後のあなたの状態を調べればよいのです。楽しかったり、心が満たされていれば、そのひとはオーラを発しているひとなのです。
以上に述べたように、チャンスの種子の「蒔く時期」と発芽条件の良い「畑」について知ったあなたは、今にも増して、チャンスに巡り会う確率が高くなっていることでしょう。
雪だるまを作る場合でも、始めは雪の「おにぎり」から始めるわけです。それを雪の中でころがしているうちに、段々と大きくなり、そのことにより心に描いた大きな雪だるまができるのです。
あなたの写真活動も、それと同じです。たとえ今は小さな写真活動でも、その活動を結果を見て諦めず続けて行くとすれば、やがていつかは大きな写真活動となっていることでしょう。そのためには、自分の実力以上に無理をしないで、楽しく写真活動を行い、人々を楽しくさせる企画を考え、そして実行し、あなたをカメラマンとして認めてくれる人達に巡り会うことを、希望を持って諦めないでいることです。
希望を持ちつづけられる人には、前進あるのみです。それも成功を目指した前進です。
あなたが希望を持って諦めることがなければ、きっとチャンスに巡り会うことができることでしょう。
 
 
ピンチの時がチャンスだ
 
 
 
 
チャンスに強い人とは、ピンチ場面もチャンス場面に変えてしまう知恵を持っている人のことです。前節で、あなたがチャンスに強くなる方法として、思考パターンを変えることを提案しましたね。そこで、この節では、さらにチャンスに強くなる方法として、ピンチ場面からの脱出方法を考えてみることにしましょう。
ピンチ場面から脱出できたことは、それはチャンス場面への突入を意味していますから、そこからの脱出方法を知ることにより、よりチャンスに強い人になれるわけです。
ピンチ場面とは、簡単に言ってしまえば、あなたの思考が悪い方向で固定化してしまい、そのことにより前進できない状態でいることです。
次のようにも説明できるでしょう。ピンチに陥り易い人とは、希望を自己実現させるために、知恵を軽視し、欲のひとつである意志力を重視する人です。ひとの意志力などでは、宇宙の法則をコントロールできないからです。それに対して、知恵は宇宙の法則には逆らいません。ですから、意志力は、知恵の裏付けがないとすれば、自己実現を成就させることができないのです。
つまり、ピンチを招き易い人とは、自己中心の視野の狭い性格で、物事にこだわる人とも言えるかもしれません。
前節では、ことに失敗してしまったために、内在エネルギーを充電する方法として、三つの呪文を唱えることを述べました。それらの呪文は、「まだはもうなり、もうはまだなり」、「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」、「人の行く裏に道あり花の山」です。この三つの呪文は、エネルギーの充電だけではなく、心の視野を広げる効果もあるのです。
物事は見方により、同一物でも異なって見えますから、固定化した視野の狭い見方をしないとすれば、物事はどのようにも見えることになるのです。その考え方からすれば、ピンチはチャンスとなり、その逆に、チャンスもピンチとなるわけです。ですから、もし、あなたの現在が、ピンチ場面であるとしても、見方を変えることにより(視野を広げることにより)道が拓けることでしょう。ピンチ場面は、チャンス場面だからです。
さて、あなたがプロカメラマンの道を歩んで行く道程で、三つのピンチ場面に遭遇することが予測されます。それらは、年令ピンチ、金銭ピンチそして精神ピンチです。
特別な精神修養をしていない一般レベルの人達でも、それらのピンチ場面に遭遇したとしても、それらのピンチ場面をチャンス場面に変えてしまう方法を知っているとすれば、何も恐れることはないでしょう。
見る角度を変えて、それらのピンチ場面を見てみれば、人生ゲームにおいてそれらのピンチ場面に遭遇するということは、あなたの単調な日常生活にメリハリをつける場面とも考えられるでしょう。さらに、ピンチ場面に遭遇することは、あなたの知恵の深さを量るためのパズルとも考えられるかもしれません。
人生ゲームにおいて、ピンチ状態にあなたが陥ってしまったということは、従来の路線から必然的に針路変更をしなければならない状態の一歩手前にいることを意味しています。つまり、人生ゲームの路線の分岐点の一歩手前にいるということです。
ですから、あなたのその分岐点での未来の路線の取り方如何により、以前の状態からの大躍進の可能性を秘めている、と考えられなくもないのです。つまり、ピンチ場面は、変身のチャンス場面と考えられるのです。
それでは、まず年令ピンチの脱出方法を考えてみましょう。
年令ピンチとはどういう状態かを説明するには、あなたが二十五歳以上であれば簡単です。新聞の一流会社といわれている求人広告をみるとすれば、そのことが分かるでしょう。その求人広告の年令制限は、その職種の未経験者であるならば、その年令分岐点は二十五歳が圧倒的に多いでしょう。
つまり、世間では、二十五歳までは職種の未経験者でも通るのです。なんの特殊免許も職歴もない二十五歳の仕事は、「足」の仕事しかないのです。世間では、二十五歳までは、子供と見なしているのです。(どの色でも染まるという意味で。)
このことは、写真界でもいえるでしょう。あなたが写真学校でない学校を卒業して、さらに写真業界が認めるような写真活動をしていなかった場合、あなたがその年令分岐点をこえているとしたら、写真界で「足」以外の仕事を見つけるのは難しいかもしれません。
プロカメラマンの仕事には、年令制限などありません。しかし、その仕事の内容により、漠然とした年令区分があるようです。
華々しい雑誌社の仕事は、時間との勝負です。ですから、その業界のカメラマンも、時間との戦いに参加するわけです。雑誌社の仕事は、グラビアなどの経費を多くかけられる仕事を除いて、カメラマンの腕以上に体力勝負なのです。徹夜、朝駆けなど当たり前です。原稿の締め切りは決まっていますので、それまでに撮影を完了し、レイアウトし、入稿原稿を作らねばならないからです。
雑誌社が二人のカメラマンから一人を選ぶには、腕が同等であるならば、年令の若いカメラマンの方でしょう。カメラの腕が良くても、年令には勝てません。
そのように考えてみますと、プロカメラマンには年令制限はないといっても、仕事の内容によっては、制限があるようです。
それでは、中高年齢でこれからプロカメラマンとしてデビューしようと考えているひとは、どのようにして年令ピンチから脱出すればよいのでしょうか。
その方法のひとつは、若くないということを逆手にとって、若者との差別化を図ることです。たとえば、作家としての写真家を目指すのはどうでしょうか。体力では若者に負けるとしても、知力や社会経験では負けないでしょう。そのように年令に裏打ちされた情報を基に写真作品を撮影できるとすれば、年令の壁などないも同然です。年令を感じたら、「足」の仕事ではなく、まず「手」を使う技術を必要とする分野を開拓することです。さらに「顔」、「頭」の分野も年令は関係ないでしょう。
ひと昔かし前、著名で高齢の写真作家が脳梗塞で倒れ、リハビリで復帰したものの、左脳マヒの為、身体の右側にマヒが残ってしまいました。さらに、視力は衰え物を正確に見ることもできなくなってしまったそうです。しかし、撮影意欲は衰えず、弟子に構図を指図し、フレームを決めさせ、露出とピントを任せ、不自由な左手にレリーズを持ち、旅立ちの直前まで撮影していたそうです。
現代では弟子がいなくても、写真の仕事は意欲とセンスとがあれば、年令に関係なくできるでしょう。現在の写真機材はコンパクトになり、さらに露出とピントはカメラ自身で制御できるからです。
あなたが年令的に若くはないということは、それだけ仕事の選択の範囲が狭くなるということです。しかし、このことも考え方を変えてみるとすれば、それだけあなたのできる仕事の範囲の的が絞られることになるわけです。
なんでもできる状態とは、なんにもすることができないことを意味しています。若いということがそれです。一つの可能性を目指すということは、無限の可能性を否定してしまいます。ですから、このことに気付いていない一部の若者は、自分には無限の可能性があると錯覚していることにより、より面白いことを次から次えと探し続けることにより、何も成就することもなく、ただ時を過ごしてしまうことになってしまうのです。
このように考えてみますと、年令ピンチは、プロカメラマンとしての仕事の分野を絞り込む、チャンス場面であることが理解できるでしょう。このことを理解し、実行するとすれば、あなたは年令ピンチから脱出することができるでしょう。
年令ピンチに陥ってしまったら、「まだはもうなり、もうはまだなり」と呪文を唱えましょう。その呪文により、なんらかのヒラメキを感じることができるでしょう。
それでは次に金銭ピンチからの脱出方法を考えてみることにしましょう。
金銭ピンチとは色々な場面が考えられます。生活維持費がない。カメラやフィルムが買えない。撮影旅費がない。写真展を開催する資金がない。金銭ピンチは考えれば考えるほどキリがありません。人間の悩みの九十パーセントはお金で解決できる、と言ったひともいるほど、お金のないことは、人に悩みを与えるようです。しかし、たとえお金がなくても、人には知恵という無限の資産があるということを忘れてはいけません。
金銭ピンチは、年令ピンチほど深刻なものではないでしょう。時間は貯めたり、増やしたりできませんが、お金は貯めたり、増やしたりできるからです。
そのようにコントロールできるものを、あなたがコントロールできない結果、金銭ピンチに陥ってしまっているとすれば、それは、お金を粗末に扱っていると、天が啓示をしている、と考えることです。
一般的な金銭ピンチとは、たとえばあなたの収入が百しかないのに、百以上の支出をしてしまった状態のことです。どうしてそのような状態に陥ってしまうかといいますと、人には楽観予測があるからです。楽観予測とは、ものごとを、周りの状況を客観的に判断しないで、自分に都合の良い方向に展開すると考えてしまうことです。
ひとには未来を知る術はありません。一寸先は闇だと考え、慎重に人生ゲームを進められる人ならば、金銭ピンチに陥ることはありません。
しかし、一般の多くの人達は、たまたま何かのキッカケで事がうまくいくと、それも続けて二度三度もあると、多分その次もうまくいくだろうと考えてしまい、さらにそのような状態がこれからもずうっと続いて行くように予測してしまう傾向があるようです。そして、そのようなことがうまくいく状態を基盤として、生活設計をたててしまうわけです。
ことがそのように良い方向で進んで行けばよいのですが、人生一寸先は闇です。何が起こるか分かりません。ましてや、良い事も悪い事も永遠に続くことはないのです。そこで何かのキッカケでつまづくこともあるでしょう。そのような順風満帆の時、突然ことがうまくいかないと、一般的に、その楽観予測を一変して、悪いことがずうっと続いて行くと考えてしまい、その結果、悲観予測をたててしまうことにより、混乱を生じてしまうわけです。その混乱を解決できない状態が、金銭ピンチということです。
そのような金銭ピンチに陥ってしまったとしても、次のような考え方で対処するとすれば、金銭ピンチから脱出が可能でしょう。
あるサラリーマンがいるとします。その人は、自宅から仕事場へ自転車で通勤しているとします。そうしているうちに、会社の業績が良くなり、賃上げで給料が少し上がって、金銭的余裕が少しできたとします。そうしますと、自転車では、足も疲れるし、雨の時は濡れてしまいますから、バスで通勤することにしました。
またしばらくすると再賃上げ金銭的余裕が以前よりできたとします。そうしますと、バス停で待つことの不便さを考え、タクシーを利用する頻度が多くなりました。そうするうちに、またまた大幅賃上げで、タクシー待ちする不便を考え、自家用車を手に入れ、それで通勤することになりました。
しかし、世の中良い事も悪い事も続かないもので、ある日突然会社が倒産寸前になってしまいました。そして、大幅賃下げとなってしまいました。
さて、あなたならどのようにして対処しますか。
その対処の仕方のひとつとして、自動車を売却して、またもとの自転車で通勤することです。しかし、この対処の仕方を実行することが出来る人は稀でしょう。現在の生活レベルを下げて暮らすことは、勇気がいるからです。サラリーローン会社の繁栄が、このことを証明しています。
人生は、右肩上がりで続いていくことは稀です。人生、山あり谷ありです。もしも、あなたが金銭ピンチに陥ってしまったとしたら、生活レベルを一時的に下げる勇気を持つことです。その勇気を持つことで、金銭ピンチから脱出できることでしょう。
金銭ピンチ場面も見方を変えてみれば、あなたには貴重なものを手に入れるチャンス場面かもしれません。それは、あなたの数多い友人達の中から、真の友人を見出すチャンスかもしれないからです。不遇な時の友は、一生の友となるからです。
金銭ピンチに陥ってしまった時、「山高ければ谷深し、谷深ければ山高し」の呪文を唱えてみましょう。その呪文により、あなたは前進して行くことができるでしょう。
さて、この節の最後として、精神ピンチの脱出方法を考えてみましょう。
精神ピンチとは、複合のピンチです。その原因は、人様々で特定することは困難ですが、主に人間関係が絡んでいるようです。
この精神ピンチは、前述のピンチが成人に偏っているのに対して、幼稚園児から老人まで幅広く現われているようです。そして、その結果、登園拒否、不登校、出社拒否、そして引き篭もり等の状態になるようです。
この精神ピンチからの脱出方法は、前述と異なり、一般論では述べられません。それは、その人が、どのような人生ゲームをしてきたかによるからです。と言いますのは、人間関係のある状態があるとしますと、そのストレスの感じ方が、人それぞれ異なるからです。ある人には何でもない状態でも、ある人には耐えがたい状態に感じてしまうことがあるからです。
それでは、ストレスに関して、どうしてそのような個人差ができてしまうのかは、第一章「怒らず平常心でいること」で述べましたように、その人の幼児期の育てられ方によることが原因のひとつだからです。つまり、両親との触れ合いとか、満足とガマンとの訓練とかが幼児期にうまくできたか、そうでなかったかが、原因のひとつとなっているからです。
原因も様々なら、精神ピンチから脱出する方法も様々です。行動療法、薬物療法、宗教、アロマテラピー、ヨーガ、座禅、それにステップ2で述べました自律訓練法など、巷には色々な脱出方法を提供しているところがあります。あなたが、精神ピンチで絶体絶命の状態であるならば、それらの専門家に相談に行くことは、よい方法のひとつです。
しかし、あなたが精神ピンチに陥ってしまっているとしても、客観的に自分を見詰められるのならば、自分の力で脱出することができるでしょう。
それでは、精神ピンチから脱出するには、どのように考えたらよいのかを述べてみましょう。
たとえば、ある人が川を横切るのに船に乗っているとします。こちら側から向こう岸に向かっている川中で、大きな流木がその船に当たり、そのためその船は転覆してしまいました。そのように船が転覆してしまったとしても、その人が子供の頃水泳訓練をうけていれば、何の問題もないでしょう。岸まで泳いでいけばよいからです。
しかし、その人が水泳訓練を受けていないため、泳げなかったらどうでしょう。その人は「溺れる者はワラをも掴む」のたとえのように、ただ手足をバタバタさせるしか方法はないでしょう。
この話は、人生ゲームでの精神ピンチ場面でもあてはまるでしょう。
精神ピンチに陥ってしまった人の家の壁やドアーなどは、人生の荒波に巻き込まれまいと手足をバタバタした結果で、ボコボコに傷ついていることでしょう。でも、そのことを責めるのは酷です。泳ぐ方法を知らなければ、溺れることえの恐怖で、現状を冷静に把握することができないため、そのような行動をしてしまうのです。それでは、泳げない人の脱出方法はないのでしょうか。
泳げない人の脱出方法はないのかといえば、それはあります。
それは、どのような方法かといえば、船から投げ出されたら、むやみにもがかないことです。そのかわり、眼をカッと見開いて、水中の状態を観察するのです。
川底のない川などありません。ですから、身体が水面から沈んで行けば行くほど、川底に近づくことになるわけです。つまり、身体が沈んで行くことは、溺れることを意味しているのではないのです。と言いますのは、身体が川底に着く寸前を見極めて、足で川底を思いっきり蹴れば、身体は水面に向かって行くからです。水面から頭が出れば、そこで一息つくこともできますし、その時もし流木でも近くに流れていたら、それにしがみつくこともできるわけです。
人生ゲームにおける、精神ピンチからの脱出方法もそれと同じです。
もし、あなたが人生の川中で溺れかかっているとしたら、周りに助けを求めてやたらとバタバタ動き回らないことです。何も方法がないのであれば、引き篭もるのもひとつの方法です。その代わり、じっとあなたの人生を振り返るのです。そして、精神が退行して「幼児がえり」まで落ちて行くことです。その途中で、両親への潜在していた反発心が湧きあがるかもしれません。その時、「なんで生んだ」、「こんな性格にしたのはおまえらのせいだ」などといって暴れても精神ピンチから脱出できません。それに、そのような両親も、その両親からそのように育てられた、実は被害者なのです。因果応報なのです。ですから、許すことです。両親を許す気持ちが出てきたら、川底はまじかです。川底が見えたと思ったら、あなたは、次の言葉を潜在意識に暗示を使って刻印するのです。「私は正しい判断をする」、この言葉は、足で川底を蹴ることと同じ働きをすることでしょう。そして、その暗示が、あなたの潜在意識に刻印された時、あなたに相応しい「流木」を見つけることでしょう。
精神ビンチは、自分を見詰め直すチャンスなのです。一度、精神的幼虫に戻り、繭の中で養生し、そして、さなぎから脱皮することにより、美しい蝶に変身することができるのです。
あなたは、人間関係に疲れたとしたら、無理して群れることもないし、その必要もないのです。気持ちが安らぐまで引き篭もることです。そして、その時、「人の行く裏に道あり花の山」の呪文を唱えてみましょう。今までと違う世界が見えることでしょう。
以上考えてきましたように、ピンチ場面も角度を変えて見れば、チャンス場面となることが理解できたと思います。そのようにものごとを両面から見ることができる思考パターンを持ち、あなたの人生ゲームを楽しんで行くとすれば、必ずチャンスに巡り会うことができるでしょう。そのために、あなたは何時チャンスが訪れてもあわてないように、心の準備をしておくことです。つまり、衣装をととのえチャンスを待つことです。
 
衣装をととのえチャンスを待つ
 
 
 
 
世間一般では、人間皆平等だと言っているようですが、良い事も悪い事も永遠には続きませんが、良い時期が長く続く人と悪い時期が長く続く人とがいることは事実のようです。
さらに、善良で努力家で人間として良い人なのにその努力が報われず、それとは対照的な人が人生の表街道をスイスイ進んで行くのが現実のようです。
それでは、そのような不平等の差を作る原因はいったい何なんのでしょうか。その原因のひとつに考えられるのは、時代の流れを読むのが上手なことがあげられるでしょう。その他としては、「努力の仕方」も、その原因のひとつとなるでしょう。人の内在エネルギーには限りがあるからです。その使い方の差が人生の結果として現われるわけです。そこで、この節では努力の仕方を考えることにより、チャンスの種子を開花させる方法を述べてみましょう。
どうも人間の行なう事には、努力の割には報われない事と、努力に比例して報われる事とがあるようです。たとえば、稲作において、せっせと努力して必要以上2倍の肥料を与えたからといって、2倍の収穫を得ることはないでしょう。それに対して、田畑の雑草をこまめに除草するとすれば、実りの増加を望めることでしょう。
そのような見方で、生活全般に目を通してみますと、それらの区別ができることが分かるでしょう。それらの区別のことを、昔の人は、「天道」と「人道」と呼んでいたようです。
天道とは、お天道様の道で、太陽が東から出て西に沈むように、人間がとやかくしてもどうしょうもないことです。人間の努力では何ともし難い事のことです。
人道とは、人の行なうべき道で、コツコツと荒地を耕作し美田にするよう努力するとすれば、報われるようなことです。
そのように、ことを行なう場合、天道と人道の考え方を基準にするとすれば、天道の事に努力してしまうような「無駄な努力」、つまり無駄なエネルギーの放出もしないですむわけです。しかし、そのようにスパッと天道と人道とを区別できるのであれば良いのですが、人生において、その境界線が曖昧なことも多々あることでしょう。
そこで事に対しての考え方の差が、努力の報われ方の差となって現実のものとなるわけです。天道における無駄な努力であるならば、何もしないほうが良い場合もあるからです。
たとえば、あなたが稲作をすることを思いついたとします。そのためには、田畑を手に入れなくてはならないでしょう。稲作に適した場所は先人に占領されてしまっています。ですから、あなたは、自分の力で雑木林を開墾して田畑を作らなければなりません。稲作に適した場所を探し、そこを開墾することは「人道」の範疇でしょう。その努力は報われます。
稲作には水が必要です。あなたは水源を見つける必要があります。その場合、あなたが探す方向は、その田畑よりも低い所ではなく、高い所でしょう。水は高きより低き所へ流れるからです。これは「天道」です。ですから、低い所を探し回ることは「無駄な努力」です。
水源が見つかりました。あなたは自分の田畑まで、用水路を作る必要があります。その場合、用水路を掘ることは「人道」ですが、水の流れの「天道」に逆らって掘ることは「無駄な努力」です。
そのようにして用水路を自分の田畑までひいたとします。しかし、あなたの田畑は少し高台にあり、用水路の水は流れ込みません。そこで、あなたは桶で水を汲み上げる努力をします。この努力は無駄ではありませんが、効率が極端に良くないです。そこで知恵を働かせて、水車で水を汲み上げることを考えつきました。水車を作ることは「人道」で、その努力は報われます。
田畑に水を引いて、種籾を蒔きます。その時、この種籾は芽を出すかどうか思い悩むことは、無駄なことです。種子が芽を出すかどうかは「天道」だからです。蒔いた種子は何時しか稲穂となります。
田畑に雑草が生えてきます。それをせっせと除草します。その努力は報われます。早く稔るようにと、せっせと肥料を必要以上に施します。それは「無駄な努力」です。種子はその決められたプログラムどうりにしか成長しないからです。
刈入れ間じかになって、台風が来るかどうか思い悩むことは無駄なことです。台風などの天変地変などは「天道」だからです。天変地変に対しては、「備え」そして「祈る」より方法はないのです。
以上のような過程で、目的の稲作が完結するわけです。
この考え方は、あなたがプロカメラマンとなる目的を達成する仕方に応用できるでしょう。
あなたがプロカメラマンとなるために行なう「人道」と、不必要な「天道」とを点検してみましょう。
撮影テーマを決めることは、何処に田畑を作るか、とのことと対比できます。潜在顧客を開拓することは、田畑を開墾すること、と対比できます。これらのことは「人道」ですから、その努力は報われます。
写真の仕事先を求めるために、人脈を探さなければなりません。その場合、あなたの探す人脈の条件としては、あなたに写真の仕事を発注できる地位にいる人にたどり着かなくてはなりません。そうでない人脈ならば、それは田畑よりも低い所で水源を探すようなことです。それは「無駄な努力」となるでしょう。
人脈も見つかったとします。しかし、あなたの田畑に引き入れるには一寸距離があります。あなたは知恵を使い「水車」を作らなくてはならないでしょう。この場合の「水車」はそれぞれの人の個性や趣味人格などが異なりますから、自分に相応しい「水車」を考え出して、人脈を取り入れるようにしましょう。
あなたが、あなたの田畑に種籾を蒔くということは、写真作品を集め、そしてそれらを発表するために「写真展」開催や「写真集」を作ることです。このことは「人道」ですから、その努力は報われます、と言いたいところですが、それらの評価は世間の人達がおこなうことですから、「天道」に限りなく近いでしょう。ですから、それらのことを一生懸命努力したからといって、その努力は報われるかどうか「お天道様」に聞くよりほかはないのです。だからといって、田畑に種籾を蒔かないとしたら、芽がでないことは確実です。
実際には、お百姓さんは、種籾を直播きするよりも、まず早苗を作ります。そのようにすれば、勢いの良い苗を選ぶことができますから、その良い苗を田畑に植えることで、効率良く農作業ができるわけです。
あなたの場合も、いきなり大規模な写真展開催や写真集作りをする前に、あなたの「種籾」が発芽の条件を持ち、且つ順調に成長していける潜在能力を保持しているかを見極めるために、まず、苗床に「種籾」を蒔いてみることです。それらとしては、写真ハガキかもしれませんしカレンダーかもしれません。そのような小さな写真活動の発表をしながら、それらの成長を観察するのです。もし、成長が見込めると思ったら、あなたの田畑にその早苗を植えることです。そして、あなたの望む早苗ができるまで、あなたの「種籾」を蒔き続けることです。その場合、何時できるかと計算しないことです。あなたの望む芽が出るかでないかは「天道」なのです。ですから、それらに対しては、「備え」そして「祈る」しか方法はないのです。
人がチャンスを得て成功するとは、その人が活躍できる場面が必要です。でも、その活躍できる場面、つまり時代背景は、「天道」ですから、人がいくら一生懸命努力したからといっても、その人が望む時代背景を創り出すことはできません。人は、人生の役者とも考えられるでしょう。ですから、時代背景に合わない演技をいくら一生懸命努力したとしても、世間には受け入れてもらえないでしよう。
それではどのようにすれば良いかと言えば、それは、時代の流れを読み、そしてその舞台に合わせた演技(行動および活動)をすることです。そのためには、舞台衣装をととのえておくことです。あなたの出番が何時来るか、分からないからです。つまり、衣装をととのえチャンスを待つことです。
あなたはこの章で、チャンスについて色々考えてきました。チャンスの掴み方が分かったとしても、そのチャンスを育てることができなければ、チャンスを掴んだことにはならないのです。結果から振り返ってのチャンスだからです。
実生活でチャンスの育て方が分からない人は、もう一度学習し直す必要があるかもしれません。そこで次章でその実践を考えてみることにしましょう。