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第三章 事業家となる法
 
 
発想の転換をすること
 
 
あなたは、プロカメラマンになることと事業家となること、とは関係ないと思っていることでしょう。ここで言うところの事業家とは、雇われカメラマンになるのではなく、小さくても自分で写真の仕事を運営していく人のことです。
そこでこの章では、あなたが事業家となる方法を考えていくわけですが、何も難しい事をしようというのではありません。事業を起すというと、何か途方もないことをするのではないかと思われがちですが、基本的なルールさえ知っていれば、誰にでも事業を起こし事業家となれるのです。
まず、あなたが事業家となるための準備段階として、その心得について考えてみましょう。
ビジネスの世界には大きく分けると二種類の人種が働いています。ひとつは、他人を使って仕事をさせる人種、そしてもう一方は人に命令されて仕事をさせられる人種です。人間は誰でも平等だと言われていても、何時の時代でも、人に使われようとする人達は、人を使おうとする人よりも少なくなった時代はありません。ですから、常に人を使う人達は少人数で、大勢の人達に仕事をさせているのです。
需要と供給とのルールでは、どちらが優位かでその支配側が決まります。仕事においては、仕事を命令される人が命令する人よりも多い、つまり過剰なため、仕事を命令する人が仕事をする人を支配しているのです。
何故、ひとに支配される人達が多いのかといいますと、簡単に言えば、人間はその人自身が弱いものだと自覚しているからです。弱いということは、肉体的、精神的にということです。ですから、その弱さを補填、補強しようと無意識に「むれ」つまり組織を作るわけです。
多くのヒーロー物語では、その主人公は一匹狼であるわけは、人々の願望が群れなくても事態にひとりで立向かいたい願望があるからです。人々のその願望を満たすこと、つまり、悪の大組織にひとりで立向かうことでヒーロー物語は成り立っているのです。
しかし、現実の世界では、人々は群れに入ることで自己防衛を計ろうとするわけです。この組織ができる過程で、人々の心の中に色々な感情が起こるのです。それらの色々な感情をいかにコントロール出来るかで、その人が人に使われる人か、それとも人を使う人になるかを決定してしまのうのです。以下では、それら二種類の人達を支配者、被支配者と呼ぶことにします。
さて、それらの感情の中で最も重視されるのが、「希望」と「恐怖」の相反する感情です。これらの感情はつねに心の中で戦っています。「希望」を前進する感情とすれば、「恐怖」は後退する感情です。この戦いにおいて、支配者と被支配者を観察して見ますと、支配者においては「希望」が「恐怖」を打ち負かして未知の世界へ前進して行けますが、被支配者では、「希望」は「恐怖」に敗れて過去の世界に戻ろうとします。
このことを喩えてみますと、ここに体育で使う平均台の板を地面の上に置いてみます。そして、端から端まで歩いて行けた人には、その人の好きなものを与えることにして、その板の上を歩くように促すとします。そうしますと、普通の運動神経の持ち主なら簡単に歩いて行けるでしょう。普通の子供などは、その平均台の板の幅より狭い鉄道レールの上をなんなく歩いていけるのですから。
この誰でも出来ることでも、環境をちょっと替えることで、多くの人達は、その平均台の板の上を歩けなくなってしまうのです。それはどのような環境かといいますと、十メートルの高さにその平均台を上げてしまうのです。この場合、無風なことは勿論です。
理論的には、平均台の板の幅は同じなのに、何故その上を歩いて行ける人が少なくなってしまうのでしょうか。
それは、その上を歩こうとする人達の心の中に戦いが起こるからです。それが、「希望」と「恐怖」の戦いです。多くの人達は、足を滑らして下に落ちてしまうのではないかという「恐怖」の感情が、平均台の先にある「希望」を打ち消してしまい、前進することが出来なくなってしまうのです。そのような人が被支配者ということです。支配者の場合、その心の中の戦いで、「恐怖」は「希望」に負かされ、その上を一歩一歩目標に向かって歩いて行けるのです。
ひとりがその平均台を渡りきるのを見れば、あとの人は続いて渡り始めます。それは、未知の「恐怖」が消えるからです。
このことは、ビジネスの世界でも言えます。ですから、ビジネスの世界には、先導する人とされる人が存在するのです。それらが支配者と被支配者ということです。
この平均台の板の上を歩いて行くということを、事業を運営していくことと置き換えて考えてみてください。そうしますと、事業において支配者となるための条件の一つが理解できると思います。その条件とは、大きな希望を持ち、そして未知の一歩先の闇も恐れずに着実に一歩一歩進んで行く姿勢が必要だということです。
一般的に、事業家を志す人は、その情報を得ようと事業の成功物語を読むようです。ビジネス書や雑誌などには時の成功者の物語が溢れているのはこのためでしょう。しかし、そのような情報は無駄とはいえないまでも、時間の浪費の可能性があります。
人が成功するのは、時代の流れの背景が、その人の考えている方向とたまたま一致していたからです。ですから、あなたが、ある人の成功物語を参考にビジネス成功物語を考えたとしても、時代背景が違うのですから、成功の可能性は低いということです。
ではどうすればよいかといえば、それは、成功者の物語ではなく、事業の失敗者の言葉を参考にするのです。
事業の成功者となるには、事業において致命的な失敗をしなければよいのです。ですから、その失敗の集大成をあなたの潜在意識にインプットし、もし、そのような場面に遭遇してしまった時、その対処方法を会得しておけば、失敗も大事に至らないことにより、再起することで成功者の道を歩んでいけるわけです。
そのためには、あなたは成功者ではなく失敗者の言葉に耳を傾けることです。失敗の大部分は「恐怖」に対する対処の仕方です。その対極に「傲慢」の心があります。失敗談において、「恐怖」と「傲慢」に対処するヒントを見出すことにより、あなたは、「平均台の板の上を」一歩一歩、歩いて行くことができることでしょう。
さて、ここであなた自身のことを考えてみて下さい。あなたは支配者タイプですか、それとも被支配者タイプですか。もし、あなたが被支配者タイプであったとしても、その状態があなたにとって最適であるとしたら、そのままの人生を歩んで行けばよいでしょう。
しかし、あなたが支配者タイプなのに、今現在の状態が被支配者の状態、つまり、人に命令され、指図されて仕事をしている状態の場合、あなたの心には葛藤があることでしょう。そして、そのことにより、あなたは人生を十分に楽しむことが出来ないでいるかもしれません。
人生は楽しむためにあるのです。人生は重き荷をおいて遠き道をゆくが如し、ではありません。それは、昔の経験則では正解でも、今の時代に合うかは疑問です。荷は出来るだけ軽くして、楽しく行きたいものです。
さて、あなたが現在の状態に満足せず、人生を楽しめないでいるとしたら、それを変える方法があります。その方法は、あなたが人に命令されるのではなく、命令する立場になればよいのです。つまり、平均台の板の上を先頭に立って歩いて行けばよいのです。
それでは、あなたが事業家となって支配者となること、つまり、人に使われるのではなく、自分の力で人生を切開いて行く方法を考えてみましょう。
あなたがする事業とは、カメラを媒介として仕事をすることですから、その売るものは決まっています。銀塩カメラであれデジカメであれ、その映像という情報を売ることです。物を売るということは、別の表現では、お金や対価物と交換することです。
事業を行なうとは、大企業であれ町の小売店であれ、それらの人達がおこなっていることは、物あるいはサーピスをお金や対価物と交換することなのです。このことを別の角度から考えてみますと、それは構造的に言って、子供の好きなゲームと同じことだと分かると思います。そうです、事業とは交換ゲームなのです。
そこで、事業を起すということを、ゲームをおこなうことと考えれば、肩の力が抜けて、誰でも出来ることだと理解できるでしょう。
ゲームをすることは楽しいものです。たとえゲームの途中で数々の困難があったとしても、諦めずゲームを続けてゴールにたどり着いて、後を振り返った時、その数々の困難は人生のエポックとなるはずです。
さて、この交換ゲームであなたが勝つ方法を考えてみましょう。あなたが交換するもの、つまり、映像の情報あるいはサービスは、他のカメラマンにはできない、または持っていないものであることが必要です。それらのことを一般的には付加価値といいます。その付加価値とは時代の流れが要求するものですから、あなたは時代の流れを読んで、それを探す必要があります。
その時代が要求することを映像の情報として商品化し、交換ゲームをすることにより、あなたはカメラマンとして人生を楽しむことができるでしょう。
このゲームで成功するヒントは、常にあなたは相手より不利な状態にいることです。つまり、お客様との交換ゲームをする時、「こんなに安くてもいいのですか」と言わせることです。そのような状態でゲームをすれば、お客様は、「どうもありがとう。また交換しましょう。」といって、このゲームは続くということです。ゲームが続くということは、成功の道を歩んでいることです。
お客様は、自分が満足しているゲームを他の人に話したがる傾向があります。ですから、あなたがお客様と長くゲームを続けるられるということは、そのことにより、お客様が増えていく可能性があるということです。
事業家としての目的のひとつは、利益を上げることです。ですから、お客様が他のお客様を紹介してくれることにより、ゲームの規模が大きくなっていきます。そのことにより、利益も多くなり、あなたは事業家として成功者となれるわけです。
ゲームは楽しむためにするのですから、事業を起せば当然人生も楽しくなることでしょう。しかし、ゲームですから、勝つことだけではなく、時には負けることもあるでしょう。でも、ゲームなのですから、勝ったからといって傲慢になり自惚れることもないでしょう。また、負けたからといって人生がそこで終わるわけでもないのです。負けたら、またチャレンジすればよいのです。それに、ゲームはやはり勝つことがわかりきっているとしたら、その面白味が半減してしまうでしょう。勝つか負けるか予測がつかないところにゲームのスリルと面白味があるのです。
人生には、人道に外れなければ、こうしなければならないというルールはないのです。人は時の流れとともにこの世にひとりで生まされ、時の流れとともにあの世にひとりで去って行きます。何も考えず時の流れに翻弄され、なすがままに日々を暮らすのも人生です。しかし、一度しかない人生ですから、大いに楽しみたいものです。
人生は苦しみの連続だ、などという先人の暗示を信じてはいけません。人生は、人生としてただ観念として存在しているだけです。それを他の人達の立場や状態と比較するのはやめましょう。ひとはひと、自分は自分です。人生を苦しいと思うか、楽しいと思うかはあなた自身が決めればよいのです。
もし、あなたが現在の状態に満足せず、何かをしたいと思っているとしたら、事業を起してはいかがですか。チャンスの神様との巡り合いを何もしないで待っていても、その神様はあなたのところにこないでしょう。天は自ら助くる者を助く、ということは真理です。何もしない人には、何ごともおこらないのです。
さて、そこで次の節であなたができるゲームを四つほど考えてみましょう。
 
ストックフォトエイジェンシーゲーム
 
 
 
[ゲーム概要]あなたの写真か、他のカメラマンから預かった作品を顧客に貸し出すか、販売するかによりお金と交換するゲーム。
[ゲーム相手]同業者、広告代理店、プロダクション、デザイン会社、出版社、雑誌社、その他。
[ゲーム備品]作品、連絡事務所、電話、ロッカー、スライドビュアー、ルーペ、コンピューター、その他一般事務用品。
[ゲームに勝つヒント]時代の要求する作品を集めること。
 
この節は、ステップ1の「ストックフォトエイジェンシーからのデビュー」の続きです。ですから、この節を読む前にもう一度読み直して下さい。
ストックフォトエイジェンシーにあなたの作品を預けたことにより、その作品に市場性があるかないかをモニターできたわけですから、そのことを分析することにより、このゲームをすることが可能かどうか分かるでしょう。
もし、あなたの作品に市場性、つまり、借り手がなかった場合、あなたの作品がプロの域に達していないか、そのエイジェンシーの顧客のニーズに合っていなかったからでしょう。その場合、エイジェンシーの人に素直に教を請うことです。原因が前者の場合、テーマの絞込みや撮影テクニックを勉強し直すことで解決できるでしょう。後者の場合、他に相応しいエイジェンシーに預け直すことで解決できるかもしれません。
運良く、あなたの作品が貸し出されているとしたら、このゲームを始めることは可能ということです。でも、あなたは考えるかもしれません。作品がどれほどあればよいのかと。それは、あなたがどれほどの事業家になりたいかによります。
現在一流といわれている大企業のオーナー社長も、その創業時代は家内工業的規模でその事業を起したのです。このように言うと、ある人は、「事業を起すには大資本がなければできない」とか「時の権力とのパイプがなければ事業は成功できない。」とか言います。しかし、考えて下さい。人がこの世に生まれて、初めから資本を持っていたり、権力とパイプを持っている人などいないのです。現在、大金持ちあるいは財閥と呼ばれている人達でも、その何代先の人達はただの庶民レベル時代もあったのです。歴史を辿って行けば、権力者などは時代の流れのうたかたのごとく、かつ結び、かつ消えてとどまるためしはないのです。先祖が一般レベルでも、志と才覚と運に恵まれた人が、何かのキッカケで財を手に入れる方法に巡り合い、そのチャンスをものにして事業を起こし、時代の流れがたまたま合ったことにより財が財を呼び、莫大な財となり、その結果財閥となれたのです。
こう考えてみますと、もし現在のあなたに大資本やチャンスがないとしても、このゲームができないということはないのです。あなたに今現在ある資産とアイデアとによりこのゲームはスタートできるのです。それでは、どのように考えればよいのかを述べることにしましょう。
一般的に、何かをおこなうには一人では何も出来ないのではないかと思われるのか、人は何かをおこなうことになると、まず組織を作ろうとするようです。特に、ビジネスゲームの場合そのような傾向があるようです。
そこで、あなたもこのゲームをおこなうために組織を作ろうと考えているかもしれません。この場合の組織とは、会社のことです。
それは、何かをするには、一人でするより会社組織を作って事業を起したほうが、大きいことが安心してできるように錯覚しているからでしょう。
事業の業種により、個人よりも会社組織を作ったほうが有利なこともありますが、あなたがこれからおこなおうとするストックフォトゲームでは、運営方法を工夫することであなた唯一人でも事業を起すことは可能です。むしろ、一人ではじめたほうが有利かもしれません。
ストックフォトゲームは、潜在顧客開拓がゲームを成功させるポイントですから、地道な営業が基本です。ゲームを始めてすぐに利益が計上できれば話は別ですが、潜在顧客開拓には、少なくても3年の覚悟は必要です。ですから、ゲームを始めた当初は収入が得られるかどうか分からないので、まずはあなた唯一人でゲームを始めることは賢いことです。そして、顧客開拓が徐々にでき、収入が確保できると思われたら、その時点で会社組織を作ればよいのです。
さて、あなたはこのゲームをするには、販売商品としての写真作品の品揃えとその販売をするわけですが、あなたは多分このゲームは一人では出来ないのではないかと思っていることでしょう。作品を撮影することとその作品を販売することの時間の配分が難しいと思われるからでしょう。
しかし、考え方を一寸変えることにより、あなた唯一人でこのゲームをすることは可能です。それではどのような方法でゲームを進めればよいかといえば、あなたが売り歩くのではなく、顧客のほうから買いにきて下さるようにすればよいのです。それには、あなたの作品が顧客の足を運ぶほどの魅力がなくてはなりません。
老舗といわれるお店に、長蛇の列をつくらせるのは評判です。そのようになるには、それなりの時間の経過が必要です。現在では、テレビなどのマスコミで瞬時にして有名店を創り出すことは可能でも、あなたの場合その手法を使えるかは疑問です。
あなたのお店は今はまだ有名店ではありませんから、地道な営業が必要です。それでは、作品創りの撮影と販売のための営業はどのようにすればよいのでしょうか。
一週間は7日間あります。この7日を作品の制作日と営業日に分けることにより、ひとりでゲームをこなせるでしょう。つまり、一般の会社が休みの土日曜を作品の制作日とし、月曜から金曜までを営業日とすればよいでしょう。
もし、あなたがインターネットに詳しければ、インターネットで作品を販売することも可能でしょう。しかし、インターネットビジネスは性善説を前提としていますので、思わぬ落とし穴があるかもしれませんから、慎重にいきたいものです。
やはりこのゲームは対面販売がよいでしょう。それは、あなたが、あなたの作品を持参して顧客に直に会うことで、プロカメラマンとしてのあなたをセールスできるからです。つまり、有名とは、どれだけ多くの人に知られているかで決まるからです。ですから、あなたが、ストックフォトゲームの営業で顧客に会うということは、有名ゲームも合わせてしていることになるのです。
それでは、営業の内勤と外勤はどのようにすればよいのでしょうか。それは、一日を午前と午後とに分けて、それぞれの業務分担をすればよいのです。つまり、電話の受付や来店の接客の内勤は午前中とし、午後は事務所を閉めて外勤の営業とすればよいでしょう。連絡は携帯電話を活用することで事務員も不要です。
このような営業形態は、自由業の一つである診療所では、昔から行なわれています。診療所の受付時間などは、診察は午後一時までで、午後の数時間は往診時間で、午後の診察時間は3時からです、とかの張り紙を診療所の待合室で見たことはありませんか。
何の事業でもそうですが、事業の仕方には、法律で決められた事は別ですが、絶対の決まりなどないのです。ですから、あなたが一番有利と思われるゲーム方法を考えだすことです。つまり、あなたのゲーム方法をお客様に納得してもらい、従ってもらうようにすればよいでしょう。
さて実際にゲームを始めるには、ゲームをする場所、つまり事務所が必要です。あなたがお金持ちの子息なら、一等地に事務所を構えることです。
しかし、そうでない場合、無理をしてまで事務所を借りないほうが得策です。ゲームを始めたばかりの時は、お客様も沢山来ないでしょうから、事務所のためにお金をかけるより、作品を多く集めるために使った方がよいでしょう。家賃はその場限りですが、作品は将来のための財産となるからです。
事務所はゲームが軌道に乗った時に構えればよいのです。ですから、ゲームの始めは、まずあなたの住居を事務所にすることです。自宅の人は、そこを事務所とし、賃貸マンションの人は、そこを事務所にすればよいでしょう。
このゲームは映像の素材を販売することですから、あくまでも作品の内容および質で勝負ということです。事務所ばっかり立派でも作品の内容や質がリッパでないと、先行き見込みがないでしょう。
事務所を構えたら、次はゲーム相手を探すことになります。あなたのゲーム相手とは、同業者、広告代理店、デザインプロダクション、印刷所、出版社等です。何故、同業者がゲーム相手となるのかは、有名エイジェンシーの軒下を借りることで、ゲームの幅を広げることができるからです。
ゲーム相手を探すとしても、あなたの作品がそのゲーム相手がさがしている写真でなければならないわけです。
プロカメラマンを目指す人は、その対象が何であれ美しいもの、綺麗な被写体を映像化しようとする傾向があるようです。例えば、花を被写体とした場合、花のなかでも美しいバラとかゆりなどを映像化することを考えるようです。しかし、それらの美しい花の写真はストックフォトエイジェンシーのボックスに溢れています。その溢れているテーマにさらに同じようなテーマの作品を売込むことは、困難が予測されます。
そこで、発想の転換をするのです。花の写真でも、たんぽぽ、ぺんぺん草そしてひまわりの洗練された写真はそれほど多くはありません。あなたは、美しくない草花の写真を借りる人はいないのではないかと思っていることでしょう。借り手はあるのです。その借り手とは教科書の出版社です。小中学校の理科の教科書は、テーマの決まっていないカメラマンの宝の山です。ですから、テーマの決まっていないカメラマンは、それらの教科書に掲載されている写真を撮り続けるのです。その場合、その写真はあくまでそのものの実体を表現していなくてはなりません。芸術ぽく逆光ではなく順光で素直に撮影することはいうまでもありません。
さらに、ブタクサやカモガヤなどの雑草も近年需要のある写真です。それらの写真は何に使用されるかといいますと、薬屋さんの販促用としての花粉症のポスターやリーフレットに使用されるのです。実際に、それらの雑草写真で家を建てたプロカメラマンはいるのです。ですから、あなたはそれらの写真を集めて医薬専門広告代理店を訪問することで、道は拓けることでしょう。
あなたはゲームの視点を変えて、そして時代の流れを読んで需要先を考えてテーマを決めることにより、このゲームを一歩有利に進めることができるでしょう。
そのように需要のある作品を集めながら、ゲーム相手を探すとしても、あなたの足だけに頼るのでは潜在顧客を回る範囲もそれほど広くはないでしょう。そこで、次の手として、見込み客へDM作戦を開始することです。電話帳や業界名簿などでリストアップして、あなたの作品を掲載したハガキをそこへ郵送することにより拡販面が広がるでしょう。
さらに資金的余裕があれば、デザイナーやクリエイターが購読している雑誌に広告を掲載することです。その場合、1回ではなく、継続することが必要でしょう。
インターネットという手もありますが、いずれにしても宣伝効果が現れるのは、時間がかかります。「石の上にも三年」などと言われているように、事がうまく行くには日数がかかるという事です。ですから、あなたはそのことをあなたのゲームスケジュールに組入れておくことでこのゲームの成功率を高めることができるでしょう。
そしてあなたが、このストックフォトゲームを続けて行くことにより、次の出版ゲームを開始できるのです。
 
出版ゲーム
 
 
 
[ゲーム概要] あなたのあこがれの写真集を出版社の手を借りずに、あなた自身で作り、それを販売するゲーム。
[ゲーム相手] あなたの親兄弟および親戚一同、あなたの友人、カメラメーカーの宣伝部、小さな書店、行きつけの喫茶店など。
[ゲーム備品] 出版資金、あなたの作品。
[ゲームに勝つヒント] ユニークな内容と装丁。
 
プロカメラマンを目指す人なら誰でも写真集を出版することを願っている事でしょう。そこでこの節では、出版ゲームを考えることにしましょう。
ここで言う出版ゲームとは、前章で述べたプロカメラマンとして権威を付けるために有名出版社へアプローチすることではありません。目標としてはそこを目指すわけですが、このゲームはその前哨戦なのです。
有名出版社へ売込みに行ったことがあるカメラマンなら分かると思いますが、そこを訪ねるとまず言われるのは、「今まで写真集を出した実績はありますか。」ということです。そこでその実績作りをすることがこのゲームの目的の一つです。もう一つの目的は、プロカメラマンとして、自ら生活費を稼ぐことのノウハウの習得です。
それでは、写真集をいかにして作るかを考えてみましょう。
現在は、エレクトロニクスの発展で、色々な分野で仕事の内容が変化しています。そのひとつに出版業があります。それはインターネットを利用した販売方法だけではなく、本の作り方までも変えてしまいました。デジタルプリンタの出現で小部数でも、採算が取れる本作りが可能となったのです。一昔でしたら、印刷するには、分解フィルムとか刷版とかの仕掛けが必要でしたが、今は原稿をスキャナーで取り込みデジタルプリンタで出力可能です。その仕掛け費用が高額なため、初版は三千部が採算の分岐点でした。三千部を完売するのは大変なことなのです。ですから、出版社も本を出すのは、社運を賭けたゲームだったのです。しかし、昔の夢の受注出版(オンデマンド出版というそうです。)が、今は可能です。
そこで、出版資金のある場合、あなたは写真集を作るために、出版社に行くのではなく、街のデジタル出力ショップへ行くのです。そこで、あなたの企画した写真集制作の見積もりを取るのです。もし、その見積もりがあなたの予算に合えば、そこに写真集制作の発注をすれば、あなたのオリジナル写真集ができるのです。写真集作りは、昔に比べれば簡単なことなのです。
もし、資金不足なら、あなたにデジタルプリンタを所有している知人がいれば、その人に出力を頼み、プリントアウトされたバラの作品を本の装丁屋さんに持ち込めば、写真集が出来るでしょう。
出版資金のない場合、それらの自費出版ではなく、他の方法を考えてみましよう。
出版物には大きく分けると二種類あります。ひとつは有料出版物、つまりその出版物を売ることを目的に作られたものと、もうひとつは無料出版物です。無料出版物の代表的なものはカタログやPR雑誌です。無料出版物だといっても、今日では一般有料出版物と同等のような体裁のものもあります。
カメラ店に行きますと、各カメラメーカーのカタログが陳列されているでしょう。それも年々リッパな作りとなってきています。その内容には、作例としての写真作品が掲載されています。つまり、カメラメーカーのカタログも視点を変えてみれば、写真集とはいえないまでも、あなたの作品の発表の場であるとも考えられるでしょう。
そういう考えでみてみますと、カメラメーカーの宣伝広告部は、あなたの写真集出版の企画を売込む余地があることがわかるでしょう。
その場合、あなたの作品を撮影した機材・感材のメーカーの宣伝広告部を訪問することです。各カメラメーカーは、常に新鮮な広告宣伝作戦を考えています。特に、デジタルカメラメーカーは、銀塩カメラメーカーほど歴史が長くないため、作例写真の需要があることでしょう。
方法としては、あなたの企画する写真集の作品を撮影したメーカーの宣伝部に、アポを取り、あなたの写真集の企画書と、それに使用する作品を添えて、できれば撮影データを明記し、割付をしたダミー本を作って、訪問することです。
全ての売込みに言える事ですが、見ず知らずの人にいきなり売込みに行っても、それは成功しないでしょう。あなたは手当たり次第のゴムヒモの押し売りではないのです。まず、あなたは、見えない資本である友人に援助してもらうのです。つまり、人脈を使って、目指すメーカーの宣伝部の人を紹介してもらうのです。人脈がない場合、そのメーカーのサークルに入会することです。入会については、サービスステーションやインターネットで調べられるでしょう。入会し、サークル活動をしながら、宣伝部の人との人脈作りをするのです。「急がば回れ。」です。
あなたの売込む写真集の企画に、メーカーが何らかのメリットを認めた場合、あなたの作品は、メーカーの賛助を得て写真集になる可能性があるでしょう。そのようになるためには、あなたの写真集のスポンサーになることが、そのメーカーの営業上の見返りがあることを理解させる企画をたてることは言うまでもありません。
カメラ店の店頭で無料配布しているカタログは、一部当たり何百円も費用をかけている、ということを考えてみて下さい。金がない、チャンスがないなどといって無為に毎日を過ごすのはどうかと思います。あなたには、現在写真集を出版するための資金がなくても、アイデアを考え出す能力は無限にあることを忘れないで下さい。
良いアイデアを考え出すには、お金など必要ではありません。お金をひき付ける良いアイデアを思いつけば、チャンスは向こうからやってきます。そのチャンスの芽は、あなたのアイデアの種を蒔くことから始まるのです。種を蒔かない人には、滅多にチャンスは訪れないでしょう。チャンスは、あなたがアイデアを考え、そしてそれを実行することで巡り会えるのです。しかし、必要以上の努力は焦りを生みます。さりげなく毎日に期待を持っていれば、かならずチャンスに巡り会えるでしょう。
さて、あなたは、あなたの写真集を現実のものとしたとします。このゲームはそこで終わりではないのです。あなたが次にするのは、写真集の販売ゲームです。
一般の出版社なら、本の配送は取次店に依頼すれば、全国の書店に送られ、顧客の手に渡るわけです。しかし、あなたの場合そのようにはいかないでしょう。取次店に依頼するには、口座を開かなければなりません。口座を開くには実績と委託金が必要です。
てすから、あなたは他の方法で写真集を売らなくてはならないでしょう。
ビジネスにおける足、手、顔、頭のことを思い出して下さい。そこであなたの場合、足に仕事をさせることです。つまり、売り歩くのです。売り歩くといっても、見ず知らずの有名でもないカメラマンの写真集を購入してくださる人はいないとはいえないけれど、めったに遭遇しないことでしょう。
そこで、訪問先を、自動車や保険のセールスの新人と同じように、あなたが全然知らない人を訪問するのではなく、まず、親類縁者、学生時代の友人、先輩、後輩達を訪問することです。
あなた自身、見ず知らずのカメラマンの写真集をお金を支払って買おうと思いますか。しかし、そのカメラマンと少しでも面識があるとしたら、どうでしょう。
親類縁者を売り歩くといっても、あなたが持ち歩くのはサンプルの写真集です。写真集を大量に作ってから売り歩くのではなく、まず、注文を取ってから必要部数だけ写真集を作ることです。
プロカメラマンとは、生活の糧を稼がなくてはなりません。アマチュアであるならば、自費出版で無料配布という手もあるでしょう。そこが、プロとアマの違いのひとつです。ですから、投下資金は少なく、販売は多くを心掛けることです。
写真集一冊を売ることがどれほどのことか、実感することにより、あなたのプロカメラマンとしての心構えも変わる事でしょう。
売り歩くのはプライドが許さない、という人は、インターネットという手もあります。しかし、前述しましたように、性善説を前提にしたネットビジネスは慎重におこないたいものです。
親類縁者を一通り回ったら、次の訪問先を見つける必要があります。
今や有名な映画情報誌の創刊当時、その編集者達はリュックにその本を詰め込んで小さな書店巡りをしたそうです。あなたに、少しの勇気があるとしたら町の小さな書店を訪ねるのもひとつの方法かもしれません。
あなたの写真集が、もし美しい風景や花をテーマにしたものであるならば、病院の近くの花やさんを尋ねることで道が拓けるかもしれません。
あなたはこの販売ゲームをすることにより、ひとの心について色々な修行ができることでしょう。
販売ゲームで勝つには人の心の不可思議を知ることです。そのヒントとして、次のことを考えてみて下さい。
あなたは、友人と喫茶店に行ったとします。そこであなたは、友人に例えば競馬とかマージャンで何千円儲けたと言うのです。そうしますと、多分あなたの友人は、その喫茶代を払えというでしょう。しかし、株や宝くじなどで、その儲けた額が大きく何百万とか何千万とかの場合、友人は自ら進んでその喫茶代を払ってくれるでしょう。
 
 
モノクロラボゲーム
 
[ゲーム概要]時代の流れにながされ、日の目をみないモノクロ写真を専門にプリントするゲーム。もしくは、古い写真の修理・再生ゲーム。
[ゲーム相手]街の写真屋さん、冠婚葬祭屋さん。
[ゲーム備品]モノクロ用暗室及び現像備品、エアーブラシ。
[ゲームに勝つヒント]レトロ感覚を磨く事。
 
デジタル時代に銀塩モノクロ写真なんて、と思っている人。数年前のデジタル写真(プリント)を取り出してみてください。その写真褪色していませんか。していなかったらラッキーです。
デジタルの染料吹き付け写真は、染料が改良されないとすれば、はたして今の子供が二十歳になった時、その貴重な映像が残っているか疑問です。たとえ写真が褪色したとしても、デジタル媒体が残っているから大丈夫と思っていても、今のようなスピードでハードの開発が進むとしたら、再生ハードがあるかも疑問です。そのようなことは、ビデオで言えば、ベータ版、フロッピーでも5インチを再生するコンピュータなど博物館へでも行かないとお眼にかかれません。
そこえいくと、銀塩モノクロ写真は、時代の流れと共に風格が増します。たとえ、茶色く褪色してしまったとしても、化学処理をすれば、再び元の色調にできます。
そこで、デジタル写真が本流になろうとする今、モノクロプロラボゲームを提案するわけです。
写真もモノクロが本流の時代、カラー写真は新鮮な驚きを人々に与えました。時が経ち、カラー写真本流の現在でも、被写体によってはモノクロ写真の映像表現は深みを感じさせます。それは、モノクロの映像情報を、想像力によって色づけする過程で、より心の底に残すからかもしれません。
思想を表現する写真や芸術写真は、場合によってはカラーよりモノクロ写真のほうが適しているのはそのせいかもしれません。
デジタルカラーが現代的で、銀塩モノクロ写真は時代遅れと思われているのか、あのすっぱい匂いのするモノクロ写真の写真屋さんは街から消えてしまいました。それと、写真材料店の棚にもモノクロ写真現像備品がみあたりません。今や、モノクロ写真のDPE(団塊の世代には懐かしい響きでしょう。)をするのは、写真学校の生徒か趣味人か報道カメラマンでしょう。それも、デジタルカメラの簡便さにさらされると、写真現像という言葉もなくなってしまうかもしれません。
ですから、敢えてモノクロプロラボの看板を掲げとおすことにより、このゲームの勝者になれるのです。つまり、競争相手は時とともにいなくなってしまうからです。
銀塩モノクロ写真のDPEは、奥が深いものです。フィルム現像の温度や時間で微妙なコントラストが創れるし、プリント時の露光時間や覆い焼きなどのテクニックで、ネガフイルムの情報以上の表現が可能です。それは、まさに写真(真を写す)ではなく、光画(光で画く)です。筆のかわりに、光をコントロールすることで映像を創りだせるのです。
そのような光画のテクニックを習得することにより、プロとして独立できるでしょう。
では、どのようにしてこのゲームを進めていけばよいか考えてみましょう。
街には写真屋さんが溢れています。でも、それらの写真屋さんは、カラー専門で、銀塩モノクロ写真をDPEしていないでしょう。そこで、あなたが、銀塩モノクロ写真をDPEしますと街の写真屋さんにアプローチするのです。つまり、街の写真屋さんは、あなたのラボの受付と考えるのです。でも、銀塩モノクロ写真のDPEの依頼は多くは見込めないでしょう。ですから、ゲーム展開として、古いモノクロ写真の修理をするのです。この修理ゲームの受付は、街の写真屋さんと葬儀屋さんがよいでしょう。
モノクロプロラボゲームも修理ゲームも受付を頼むことになるのですから、その受付にゲーム内容を分かり易く表現した看板を作り、その受付に提供する必要があるでしょう。
修理ゲームとは、古くなって傷んでいる写真を、エアブラシを使って修理再生することです。
生まれた時の赤ちゃんの写真は腐るほどあるのに、あの世に旅立つ時の写真を用意している人は、あまりいないようです。人はこの世に生まれたら、必ずあの世へ旅立つのです。その旅立ちの時、やはりそれに相応しい写真が必要です。だからと言って、カメラで撮れれば問題はないのですが、その旅立ちは突然やって来るのです。その時、あなたの修理ゲームで、旅立ちに相応しい写真をつくりげることは、意義のあるゲームだと思えます。
プロカメラマンを目指している多くの人達は、ブロのイメージとして世間の人々の注目を浴びる華やかな写真の仕事を思い描いていることでしょう。そのようなことは、運の良い人や経済的基盤のある人にできることです。
華やかな仕事は、それほど多くはありません。その少ない仕事に多くのプロカメラマンが群がっているのです。たとえ華やかな仕事を獲得したとしても、生活を維持するだけの収入が得られるかは疑問です。
プロカメラマンとは、生活の糧を写真の技術で得ることが最低条件です。あなたに、もし日常生活を支えてくれる配偶者や親の遺産があるのなら別ですが、そのような環境下にないのならば、このゲームは一考の価値があると思われます。なぜならば、ゲームが地味で時代の流れに逆行しているので、競争相手が少ないからです。このことを昔の人は次のような言葉で表現しています。「人の行く裏に道あり花の山。」
あなたがこのゲームで成功して、生活基盤が整いましたら、次のゲームとして華やかな写真の仕事を考えればよいのです。
 
ペット専門写真館ゲーム
 
[ゲーム概要]ペットの葬儀屋さんがある時代です。ペット好きな人達にペット専門に撮影をするゲーム。
[ゲーム相手]ペット愛好家、ペットショップ、ペットの病院、ペットの葬儀屋さん。
[ゲーム備品]スタジオ及びスタジオ備品。(資金のないカメラマンは公園などで撮影することも可能でしょう。撮影依頼者への出張撮影も考えられます。)
[ゲームに勝つヒント]ペットの習性を熟知すること。
 
プロカメラマンとして一般大衆を顧客にする最良の方法は、写真館を経営することです。そのゲームとは、お見合いや七五三の写真を撮影することです。
しかし、これからプロカメラマンを目指そうとしている人が、その世界に新規参入するには困難が予測されます。それは、街にはその地域に古くから根ずいている何代にもわたってる著名写真館があるからです。
もし、あなたがその写真館の子息でしたら別ですが、そうでなかった場合、ゲームの内容を変えることで、写真館ゲームをすることができるでしょう。それがペット専門写真館ゲームです。
昭和時代の目標とするプロカメラマン像は、フォトジャーナリストとかファッションカメラマンだったでしょう。世の中の矛盾をカメラを武器に映像で暴き出すこと、そして物質的経済膨張の結果、消費拡大時代の背景とがそれらのプロカメラマンの登場を期待していたからでしょう。
しかし、平成の現代では、色々な背景を持った評論家の出現で、何が正義か分からなくなってしまっているし、またグローバルスタンダードの呪文により経済活動の萎縮により個人消費も萎縮しまっています。そのような時代背景では、一昔前のプロカメラマンイメージを目標としても、有名にも一流にもなれないかもしれません。
人物が時代を創るのではなく、時代が人物を創るからです。人生の舞台背景の時代の流れは静かにゆっくりと変化していきます。しかし、一度創られたイメージはなかなか変えることは困難なようです。小説に登場するプロカメラマン像を見てみればわかるでしょう。どのようにして収入を得ているのか分からないフォトジャーナリストとか美人モデルに囲まれているファッションカメラマンが未だに登場しているからです。一昔前でしたら別ですが、そのような昔活躍したプロカメラマン像は、現在のあなたの目標とはならないと考えられます。
そこで現在の時代の流れを眺めてみますと、義務を放棄し権利だけ主張した結果の表れか、孤立主義の時代になってしまっているのがわかるでしょう。人々は人間関係に疲れきってしまい、心が強烈に癒しを求めています。その隙間を埋めるひとつとして、ペットの需要が興ったのです。現在では、ペットはたんなるペットではなく、重要な家族の一員なのです。
一頃のペットは、残飯を整理する一員でしたが、今やグルメペットフード会社が乱立する時代となっているのです。
現在、ペットが家族の一員であるならば、その肖像を残しておきたいと思う人達もいることでしょう。家族に写真が上手な人がいるのであれば別ですが、なかには孤独な老人もいることでしょう。そのような人は、家族の一員のペットの写真を撮りたいと思ってもできないでしょう。そこで、ペット専門写真館の登場となるわけです。
ゲームの仕方としては、モノクロプラボゲームと同じで、潜在顧客を探すことがこのゲームの勝敗を決めてしまいます。このゲームも「受付」を見つけることから始まります。受付としては、ペットショップ、ペット専門病院、ペット専門葬儀社などです。
その受付に、ゲーム内容を記入したポスターを掲載してもらうのです。場合によっては、謝礼も必要でしょう。そのようにすることにより、潜在顧客を開拓できるでしょう。さらに資金的に余裕がある場合、ペット専門誌に広告を掲載することで市場を面拡できるでしょう。
このゲームの前提条件として、動物好きであることです。しかし、あなたが動物好きでない場合、動物好きの友人とチームを作ることで、このゲームをすることが可能でしょう。そして、このゲームで勝つことにより、あなたは動物写真家として世に認めてもらえる可能性があるでしょう。
 
写真を撮る技術は、機材の進歩でプロとアマとの垣根が年々低くなっています。そこで、プロとして生き残るには、どのようにしたら依頼者の要望を満たせるのかの技術を習得しておく必要があります。
それには、まずどのようなスモールゲームでも始める事です。書籍での勉強ではなく、実践をとおして、顧客との対応の技術を習得することです。その方法として、以上四つのゲームを考えたわけですが、これらはあくまでもヒントのひとつにすぎません。あなたは時代の流れを読んで、あなたに相応しいゲームを考えだすことにより、プロカメラマンを目指せることでしょう。
古い考えのアドバイスに振り回されてはいけません。ゲシュタルト心理学者のケラーという人が「過去の経験は、時には目の前の新しい思考の妨げになる。」と述べています。
あなたは、過去のプロカメラマン像に合わせて行くことはないのです。過去のカメラマンの概念や常識といわれてきた因習に囚われることもないし、それに従う必要もないのです。時代の流れを読み、あなたの思ったとおりに写真活動をしていけばよいのです。無限の可能性は、あなたの心のなかにあるからです。
 
事業家への道
 
ひとは、希望を打ち砕かれた人に言います。「夢と現実とは違うょ。」という言葉は真理です。だからと言って、あなたのプロカメラマンになる夢が現実の世界とはならないといっているのではありません。あなたが考え、そして信じたことは、潜在意識の力により、この世で実現されるでしょう。しかし、そのようになるのには、「時」が必要なのです。
夢と現実とは違うということは、こういうことなのです。つまり、夢とはあなたが行き着く所で、現実とはあなたが今立っている所ということです。別の表現では、夢とはゴールのことで、現実とはスタートということです。こう考えれば、「夢と現実とは違う。」ということは、信じたことは現実のことにはならない、ということではないことが理解できるでしょう。
それでは、夢が実現するまでの「時」とはどのように考えればよいのでしょうか。
時は流れています。丁度川の流れのように。時の流れというと、時計の針が回っていくことを考えている人がいるでしょう。ここで言う時の流れとは、そのような物理的な約束事により決められた流れではなく、心のなかに流れている時のことです。「楽しい時の流れ」は「退屈な時の流れ」より速いことは実感できるでしょう。この「時の流れ」は、どのような時計でも計れません。
この時の流れは、宇宙の法則とでも言うような偉大な力に支配されていますから、人間の浅知恵などでは、流れをかえることはできません。
一部の人は、自分が不都合な状況に陥ってしまった時、時の流れを自分の都合の良い方向へ変えようと、一生懸命努力してしまいます。しかし、その努力の甲斐もなく、結局流れをコントロールすることができず、時の流れにながされてしまいます。そして、その人は言うのです。「夢と現実とは違う。」
あなたの場合、「夢と現実とは違う。」ことの意味を知っているわけですから、時の流れに闇雲に流されることはないでしょう。
もし、あなたが考えたゲームをしてゴールの夢を目指している時、何かの不都合が起こってしまったらどのように対処すれば良いかと言いますと、あなたはその流れを自分に都合よくしようと努力するのではなく、その流れから一時退いて、その流れを客観的に読むことで、あなたがなにをすべきかを感じとれるでしょう。
対処が取れない場合、何もしないことも、最良の対処のひとつなのです。
何か不都合が起こってしまった時、そのゲームに成功する人と失敗する人との思考の仕方は異なるようです。
成功しない人は、不都合が起こってしまった時、それに対処しょうと普段にも増して五感を駆使するようです。五感とは、視覚、聴覚、味覚、臭覚それに触覚のことです。それらは意識が覚醒している時の情報収集機関です。それらが集めた情報の塊が知識となるわけです。つまり、その人達は不都合を回避、改善するために、知識に頼ろうとするのです。ある人は、著名な知識者に相談したり、その類の(この本もひょっとしたらそうかもしれませんが)本を読み漁ったり、または解決の糸口を見つけるための情報収集として、自分と同じような状態の人達と仲間になろうと動き回る傾向があるようです。
そのようにして、不都合が回避、改善できたとしたら、それはそれで良い対処の仕方です。しかし、知識の力だけでは解決できない可能性があります。
それでは、成功する人はどのような行動を執るのでしょうか。それらの人は、五感を遮断します。そして、信心深い人でしたら神仏に祈るでしょう。無神論者は、知恵の声に耳を傾けるでしょう。
成功する人とは、時の流れは偉大な力により支配されていて、人の力ではコントロールできないことを知っている人です。そして、無駄な努力をしてエネルギーの放出をするのではなく、好期が来るのを信じて待ち、五感を遮断することによりエネルギーの充電を図れる人です。
つまり、成功する人とは、無駄な努力をしない人なのです。
 
喩え話をします。
大きな川の船着場の近くで、みすぼらしい修行僧が、川に向かってブツブツ呪文を唱えています。そこに馬に乗ったみるからに立派な僧が通りかかります。
「そこの人、なにをブツブツ唱えておるのじゃ。」
「わしゃ、ゼニがねえのでこの川を歩いて渡ろうとおもおて呪文を唱えておるのじゃ。」
「ほう、あのブツブツは呪文だったのか。」
そう高貴な僧は言って、弟子に分厚い書物を持ってこさせ、
「あなたの発音は間違っておる。わしが正しい発音を教えて進ぜよう。」「ありがとうごぜえます。」修行僧はお礼を言って、小一時間ほど発音練習をしましたが、
「わしぁ、よおできんわ」
そう言って、また川に向かってブツブツ呪文を唱えだしました。
「旅の僧よ、そのような発音では呪文の効き目はでんぞ、しっかり書物を読んで知識を蓄えんとな。」
高僧は、そういって船に乗り込みました。船が川中に行くころ、
「さきほどは知識をつけていただき、ありがとうごぜえますだ。」
と旅の僧は、船の中の高僧に礼を述べると、スタスタと川を歩いて渡って行きました。
 
あなたが五感により感じているだけが現実の世界ではありません。意識が覚醒している時だけの世界と、意識が眠っている世界とがあるのです。意識が眠っているのですから、その世界がどのような世界かを、知識を使って解明はできません。
だからといってその世界の手がかりかないわけではありません。その世界からの情報は、直感とか啓示とかによりもたらされるのは、多くの人達から聞くことです。それらは、「知恵」などともいわれています。
それらの超感覚は、五感を遮断した時に多く現れることが、昔からわかっています。ですから、偉大な人物となった人や物事に成功した人は、不都合がおこってしまった時、そのことに対処するための答えを、他の人から得ようと努力するのではなく、自信の五感を遮断する瞑想に入り、自分自身の潜在意識により答えを見出したのです。
あなたの場合、ステップ2でリラックスの仕方を習得しているのですから、それが座禅や瞑想の代わりとなるでしょう。その時に思い浮かべる暗示語は、「わたしは正しい判断をする。」です。解決の答えを得るために、「ああしよう、こうしょう」、と考えないことです。その暗示語が、潜在意識に入り込んだ時、あなたは、対処の仕方の答えを得ることでしょう。
人生ゲームにおける色々な問題を、他の人の力を頼り解決するのではなく、あなた自身の内なる力により解決できると確信できた時、あなたは事業家として成功の道を歩み始めたのです。それが、プロカメラマンへの道です。
 
 
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プロカメラマンになれる本(1)
基礎篇ステップ2
 
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あなたは、どのようして一般レベルからプロ感覚へと飛躍するかの方法を考えたことがありますか。また、どのようにしたら有名になれるかを考えたことがありますか。さらに、どのようにしたらプロカメラマンとして生計をたてられるかを考えたことがありますか。このステップ2で、これらのことをあなたと一緒に考えていきましょう。きっとなにかのヒントがみつかると思います。
 
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第一章 写真がうまくなる法
 
 
なぜうまく撮れないか
 
 
プロカメラマンといっても、撮影が上手いカメラマンと、そうでないカメラマンとがいることは事実です。そこで、写真を上手に撮影するためには、やはり一流プロ機材を使用しないとダメだと考えるカメラマンが多いためか、新発売のプロ機材を専門に扱うプロショップが多く存在するのかもしれません。
しかし、撮影が上手くできるための条件は、カメラやレンズのスペックだけなのでしょうか。
写真を上手に撮影できる能力あるカメラマンは、アマチュアが使用するようなカメラ機材でも、そのカメラの能力限において、やはり素晴らしい写真を撮ることが出来ます。
それとは逆に、世界的一流カメラ機材を使って撮影したとしても、撮影が下手なカメラマンは、ひとびとを感動させる写真が撮れるかは疑問です。
という事は、写真を上手く撮ることにおいて、カメラ機材のブランドは、その必須条件ではないと言うことができるかもしれません。
それでは、何が原因で写真撮影が上手いカメラマンとそうでないカメラマンとの差ができてしまうのでしょうか。
このことを、人物を被写体として撮影する場合で考えてみましょう。
人物撮影の場合、二人のカメラマンが同じカメラ機材を使って、同じスタジオで、同じモデルを撮影したとしても、同じような作品ができないことは、あなたにも理解できるでしょう。
それは、撮影するカメラマンと撮影されるモデルとの関係、つまり撮影雰囲気が微妙に作品に影響を与えるからです。
人物撮影において、満足のいく作品が撮れない場合の原因の大部分は、このカメラマンとモデルとのコミニュケーションの上手、下手で決まってしまいます。
人物撮影が上手くいかない原因は二つ考えられます。それは、その原因が被写体であるモデル側にある場合と、カメラマンのあなた側にある場合とです。
つまり、モデルが、あなたの意図するとおりにポーズがとれない場合と、あなた自身が何らかの原因で撮影において、自分の思うように自由に行動できない場合とです。
前者の場合、あなたはプロカメラマンなのですから、モデルのポーズのとり方や雰囲気のつかみ方が悪いからと、撮影が上手くいかないのはモデルのせいだと原因を転嫁できないでしょう。
それは、ポーズのとり方や雰囲気のつかみ方が上手くないモデルに適切な指示を与えて、その意図するところを理解させ行動させることが、プロカメラマンの重要な仕事の一つだからです。
こう考えると、人物撮影が上手くできない原因は、モデル側ではなく、プロカメラマンであるあなた側に総てあるのではないかと思われます。
いくら撮影の場数をふんでも、まったく上達しないカメラマンもなかにはいます。それらのカメラマンは、ひとびとを感動させる素晴らしい写真が撮れないのは、モデルやカメラ機材のせいにして、自分のなかにその原因があるのではないかと認識していない人達です。
ですから、彼等は素晴らしい写真を見て、よくこういう言をいうでしょう。「自分だって、一流のモデルを使えば、これ以上の写真は撮れる」、「今使っているカメラを高級カメラにかえて撮ればこれ以上の写真は撮れる」と、こんな言葉をあなたは聞いたことがありませんか。
プロカメラマンとは、魔術師や催眠術師のような者ともいえるでしょう。
美しい人をより美しく、そうでない人でも、その人の魅力を最大限に引き出しすように暗示をかけることも、プロカメラマンとしての重要な仕事だからです。つまり、この暗示のかけ方が上手いか下手かで、人物撮影の良し悪しを決定してしまうと言っても過言ではないでしょう。
この暗示のかけ方が、人物写真の名人をつくる要素の一つです。
つまり、人物写真を上手く撮る方法の一つは、モデルに撮影の主導権を表面上与えておいて、実際は暗示を使ってカメラマンの思いのままに動かしてしまうことです。
あなたは、撮影が上手くならない原因が、被写体側にあるのではなく、あなた自身のなかにあると気付くことにより、今以上に撮影が上手くなるでしょう。
このことは、人物を被写体とするのではなく、風景や静物などを被写体として撮影する場合ハッキリと分かるでしょう。それらの被写体は感情や意志がありません。それらは、あなたが思うとおりの感覚を、あなたにあたえるだけの存在物にすぎないからです。
この簡単な原理が分かれば、あなたは今以上に写真が上手くなるでしょう。それでは、どのようにすればよいのかを次に考えることにしましょう。
 
一所懸命努力しないこと
 
 
撮影がうまくいかなかった場合、一般的にカメラマンは次のような二つの行動をとるでしょう。ひとつは、その原因を他に転嫁する。もうひとつは、自分自身がまだ未熟だから、撮影がうまくいかなかったと反省する。
前者は前に進むことができませんが、後者は前進できる可能性があります。
そこで、自分の責任でうまく撮影できなかったと考えるカメラマンは、次の撮影をうまくするために、前にも増して一所懸命努力して撮影にのぞもうとすることは、一般的なことのようです。
日本人の多くは、事がうまくいかなかった場合、そのことの原因の総ては、一所懸命努力しなかったからであると結論づけるようです。
そのことを裏付けるように、一般的な挨拶のなかでも、「一所懸命努力せよ」との別表現の「ガンバッテ」を連発しています。
何故、そのように一所懸命努力すると総てがうまく解決する、と単純に考えてしまうかと言いますと、それは、幼児期から今にいたるまで、一所懸命努力することを、強制的かあるいは無意識的に訓練されて来ているからです。
そして、「ガンバッタリ」、「一所懸命努力」しなかったら、人生の落伍者となってしまうぞ、と幼児期から今まで暗示をうけてきたからなのです。
あなたは、むかし子供の頃、両親や教師などから、このような言葉を言われませんでしたか。「もっとしっかりやりなさい」、「努力がたりない」、「もっとガンバリなさい」、「一所懸命努力しなさい」等々。
一所懸命努力することだけにより、撮影が上手になり、一流プロカメラマンとして成功できるのならば、それはそれでよいでしょう。
しかし、結果的にいって、そのような方法が成功するための重要条件であるならば、この世は成功者で溢れているでしょう。でも、現実はどうでしょうか。
人生において果たして、一所懸命努力することは、そんなに良いことなのでしょうか。
場合によっては、必要以上に努力してしまうことは、精神衛生上好ましくない状態を作り出してしまうこともあるのです。
一所懸命努力することにより、事が上手く行った場合はそれでよいのですが、努力してもダメだった場合、ひとは前よりももっと努力しょうと一所懸命になり、しまいにはその人の能力限界以上に努力してしまうことになります。
そのような行動をとるのは、子供のころからの「一所懸命努力せよ」という暗示の刷り込みによるためです。
しかし、人間には、生命維持のための安全弁がありますので、その人の能力の限界まで努力してしまいますと、その人の潜在意識の緊急回路が作動して、その人に二つの道を示します。
そのひとつは、努力してもダメだった事に対して百八十度の回転を与えて、そのことを意識外のものとしてしまいます。つまり、目標を無視することです。
もうひとつは、意識に過度の緊張を与えて、一般社会との断絶を与えるのです。つまり、ノイローゼ状態です。
一所懸命努力することで総てが解決して、総ての人達が成功するのでしたら、この世は大金持ちや大芸術家達で満ち溢れていなければなりません。皆、毎日の生活において、一所懸命努力しているのですから。現実はどうでしょう。不平、不満の人達で溢れていませんか。
それでは、一流になれた人や成功者は、どのようにしてそのようになれたのでしょうか。
成功した彼等は、他のカメラマンと比べて特殊な才能があったのでしょうか。それとも、生まれがよかったからでしょうか。さらに、運がよかったからでしょうか。
誰だってプロカメラマンを目指すからには、一流と世間から認められて、成功者の仲間入りをしたいのは、当たり前の事です。
しかし、現実として、プロカメラマンとなるために努力して一所懸命やっていた人ほど、その道から外れて行ってしまうのはどうしてなのでしょうか。
あなたの昔のカメラマン仲間に、そのような人達が見当たりませんか。平凡なサラリーマンとなった人達や、公務員となった人達を。
その人達に、何故プロカメラマンの道をすてたのかを問うと、「オレはツイていなかった」、「運がなかった」、「生まれが悪かった」などの言い訳を言うことでしょう。
それでは何故、一所懸命努力しても成功しない場合が多くて、それとは逆に、その道から外れていってしまうのかを考えてみましょう。
たとえば、努力するということを、エネルギーに置き換えて考えてみましょう。
人が行動するために必要なエネルギーをバランスシート的に考えてみれば、その最も理想的な仕事の仕方は、その仕事が完了した時点で、エネルギーの収支がゼロとなっていることです。
つまり、仕事に必要なだけゼンマイを巻いて、その仕事が終わった時点でゼンマイが元通りになっていることが、理想的な仕事の仕方です。言い換えれば、ある仕事をするのに、最大限のエネルギーを使用するのではなく、自然と出てくる最低限のエネルギーを用いて仕事を完了し、そのエネルギーの残存をのこさないことが理想的だということです。
そこで、「一所懸命努力する」、ということをもう一度考えてみることにしましょう。
一所懸命努力するということは、自然に出てくるエネルギー以上のものを、意識の力を用いて作りだすということです。その意識の力を用いるとは、意識して緊張状態を作りだすと言換えることもできます。
撮影等で仕事が上手くいかなかった場合、「今度は一所懸命努力します」という言は、今度は、自然に出てくるエネルギー以上のものをもって撮影にのぞみます、ということです。
そのように一所懸命努力して撮影が上手く行った場合、自然に出てきたエネルギーで撮影を完了した場合と比べて、数倍の満足感がえられることでしょう。それは、エネルギーの放出量に比例して満足度も大きくなるからです。
しかし、それとは逆に、一所懸命努力したとしても撮影が上手くいかなかった場合はどうでしょうか。
その意識して作りだされた膨大な不必要なエネルギーは、放出されないまま身体に溜まったままで、それによりなんとも落着かないイライラ状態を作りだしてしまう原因となってしまうことでしょう。
そして、その不必要なエネルギーは、身体内で完全燃焼ができないため、筋肉にコリという緊張状態を作る原因となってしまうことでしょう。
一般的に言って、一所懸命努力した結果として成功した人は、確率から言えばほんの一握りの人達でしょう。そして、成功しない大部分の人達は、一所懸命努力したためにそのようになってしまったのでしょう。
人の体は、自然な行動の結果による疲労は、エネルギーがゼロになっても一日寝ればエネルギーを再充電して、次の日には体が元気になり、また仕事に取り掛かれるように創られています。
しかし、不自然な過度の緊張によりつくられた疲労は、一日寝たぐらいでは、その不必要なエネルギーが放出されないため、回復できません。
そのような状態を数日間も続けたら、精力が日々衰えていくのはあたりまえのことです。
人生で成功するということは、確率の問題でもありますから、チャンスに対して一度のチャレンジよりも二度のチャレンジ、二度でだめなら三度と、チャレンジする回数を無限に増やして行けば、行き着くところは、成功への道を歩んで行くことになります。
しかし、一所懸命努力して不必要なエネルギーを使い続けることにより、次のチャンスにチャレンジしようとしても、エネルギーの再充電ができないために、チャンスを見過ごすことになってしまうことにもなります。
つまり、人生に疲れるとでも言いましょうか、チャレンジする気力もなくなってしまいます。その結果、カメラマンになることを諦めるか、人間の限界に行着くまで一所懸命努力して、精神のバランスを崩すことにもなってしまいます。
このことは次のようにも説明できるでしょう。
あなたをニッカド電池に喩えれば、ニッカド電池は、その能力内の仕方で使用すれば、再充電は二百回以上できるといわれています。
しかし、その電池のパワー以上のものを得ようとして許容充電時間をオーバーして充電してしまいますと、二百回繰返し使えるところを、数回充電しただけで、まったく電池として使物にならなくなってしまうことになります。
あなたが、プロカメラマンとして認めてもらうために、あるいは撮影が上手くなれるようにと、必要以上の努力、つまり一所懸命してはいけない、と言っているのはこのためなのです。
一所懸命努力してはダメで、そのようにすることは、かえってプロカメラマンの道から外れて行ってしまうことになるのなら、それではあなたは、一体どのようにしたらよいのでしょうか。
それは、さりげない態度で撮影にのぞめばよいのです。
 
さりげなく撮影すること
 
 
カメラマンが撮影をする時、適度な緊張は時には必要ですが、それが過度なものとなっている場合、撮影上色々なトラブルの原因となってしまうでしょう。
もし、あなたが撮影中に必要以上に緊張してしまいますと、それによりあなたの動作は自然の流れにのれないため、ぎこちなくなってしまい、あなた自身を思うようにコントロールすることができなくなってしまい、あなたの意図した作品を創ることができなくなってしまうことでしょう。
このことは、撮影上のことだけではなく、日常のあらゆる場面でも言えるでしょう。
初めての試みの失敗の大部分の原因は、この過度の緊張のために起こるのです。
あなたの撮影上での緊張は、あなた自身だけに影響するのではありません。あなたが過度に緊張することにより、他の人、たとえば被写体であるモデルやアシスタントなどのあなたの回りにいる人達にも影響を与えることにもなります。
人物写真の上手なカメラマンは、この原理を良く知っている人です。
ですから、そのカメラマンは、その撮影の意図により、自分自身が緊張したり、ある場面ではリラックスしたりして、モデルを緊張させたりリラックスさせたりコントロールできるのです。
話術の上手なカメラマンは、言葉だけにより、モデルを緊張させたりリラックスさせたり自分の意図するようにコントロールすることができることにより、素晴らしい作品が撮れるのです。
それらの素晴らしい作品を撮影した場面には、カメラマンとモデルとには不必要な緊張感はなく、ただ自然の流れがあるだけです。写真を上手く撮影するために、カメラマンは意図する雰囲気を創りだす話術を身につけておくべきでしょう。
では、どのような態度で撮影にのぞめばよいかといえば、さりげない態度でいればよいのです。さりげない態度とは、自然の流れの状態ですから、そこには余分で不必要なエネルギーは存在しません。つまり、さりげない態度で撮影にのぞめば、不必要な緊張感も存在しないことになります。
撮影現場に不必要な緊張感がないということは、あなたが、あなたの思うままに行動できることを意味しています。
そして、あなたが思うままに行動できることは、被写体であるモデルも自然にポーズをとることができるのです。
カメラマンもモデルも思いどうり行動できることにより、その状態で撮影すれば、結果として素晴らしい作品が撮れるということです。
しかし、さりげない態度だけではなく、時には緊張感が必要な場面もあるかもしれません。
その時は次のように考えればよいでしょう。
緊張しっぱなしで撮影している場合と、さりげなく撮影している場合とでは、その切替が大変でしょう。
緊張しっぱなしで撮影している時に、緊張を一時的に緩めてリラックスすることはなかなか困難なことです。しかし、さりげない態度で撮影している場合は、いつでも必要な緊張が割合簡単にできるでしょう。そして、それが必要でなくなった場合には、緊張を簡単にとくことができるでしょう。
このことを例えば、弓をあなたに喩えて考えれば理解できるでしょう。
あなたがリラックスしている状態、つまり、さりげない態度でいることを弓から弦をはずしている状態と考え、緊張するということを弓に弦をかけること、と考えてみます。
このように考えてみますと、リラックスしているさりげない状態は、弦をはずしている状態ですから、緊張が必要な時には、弓に弦をはればよいのです。
しかし、緊張しっぱなしの場合、つまり、弦を弓にはりっぱなしの状態を続けていますと、リラックスしようとして、弓から弦をはずしたとしても、弓はしばらくの間、弦をはっていた状態の形をとどめていることでしょう。
実際に、弓道家は、弓を使用しない場合、弦を弓からはずしています。このことにより弓のパワーを保持しているのです。
人のパワーの保持の仕方も、弓と同じでしょう。ですから、何事におていも、リラックスしたさりげない態度で事にのぞむことは大切です。
そのような態度でいることが、撮影を上手にできる仕方であると理解できても、日本の教育方針かわかりませんけれど、幼い頃から緊張する訓練ばかりやらされて、どのようにしたらリラックスできるのか学校で教わらなかったでしよう。
そこで、緊張のため撮影が上手くいかないカメラマンのために、リラックスの仕方を次に考えてみましょう。
 
リラックスの仕方
 
 
あなたは、プロカメラマンになるために、何故リラックスの仕方など研究する必要があるのか疑問を持っていることでしょう。
今現在、過度の緊張感もないし、ノイローゼでもないのに、何故そんなことを研究する必要があるのか、と思っているでしょう。
そうあなたが思っているのは、あなたが今現在、カメラマンの世界でトップクラスにいないことを意味しています。
それはどういう意味かと言いますと、どのような業界であれ、トップに位置している人達は、常に緊張を与え続けられているからです。
例えば、日本で一番悪口をいわれているのは誰だと思いますか。
それは、政界では内閣総理大臣であり、財界では一流企業のトップです。政界のトップである内閣総理大臣は、常に国会内だけでなく、マスコミや三流漫画での攻撃や嘲笑の的にされています。それらの人達は、常に内閣総理大臣の一挙手一投足を監視し、失敗や失態をすることを期待するかのように覗って、もし、そのようなことがあれば、それらの人達は、鬼の首でもとったように喜び、その失敗なり失態を誇張して攻撃してくるのです。
財界のトップも、常にそのような状態に身を置いているのです。
それに、ナンバーワンは、常にその地位をナンバーツーに狙われているわけですから、毎日毎日が、緊張の連続と言ってもよいでしょう。
一流になれば、トップになればなるほど、マスコミや評論家から攻撃されるという言は、攻撃する人達が、一流になりたい願望が心の底にあるからです。
一流やトップの人達を攻撃することにより、攻撃する自分も一流だという認識を持ちたいからです。自分が一流だと思っているマスコミや評論家の人達は、三流の人や作品などは、同情こそすれ、攻撃さえもしないで無視するのはこのためです。
一流やトップに立った者は、常にひとびとから称賛だけ得ると思っていると、思わぬ迷路に入り込んでしまうことにもなります。
一流やトップに立つということは、常に回りの人達から、良い意味でも、悪い意味でも監視されている、ということです。ですから、称賛の時はよいのですが、攻撃された時にそれなりの処世術を身につけていないと、心が乱れ、人としてバランスが取れない状態になる可能性もあるということです。
逆説的に言えば、それらの諸々の緊張状態を潜り抜けることが出来た人達が、その業界の一流やトップになれた、と考えることもできるかもしれません。
そのような業界のトッブの処世術の仕方を、「武士道」、「葉隠れ」あるいは「徳川家康」などの処世訓の記事を、経済誌などで良く見ることでしょう。
そのような意味において、あなたも、一流プロカメラマンの道程において予測される緊張に対して、その緊張を解く方法を研究する必要があるというわけです。
古来から人がリラックスできる方法が研究されてきています。
心身がリラックスすることにより、人に本来から備わっている色々な能力を発揮できる、と古代の知恵者は知っていました。
古代では、それらは魔法とか魔術とかいわれていましたが、歴史の流れと共に体系化され、インドではヨーガとなり、日本では座禅という形態になったようです。世界には、それら以外にも様々な有益なリラックスする方法も考えられてきています。
近代になり、精神分析という科学的(?)な思考により、過度の緊張を取り除く方法も研究されてきました。
しかし、それら有益なヨーガも座禅も精神分析も、その効果を得るためには特別な訓練や指導を必要とします。そのため、特別な症状がある人達や特別興味のある人達以外の、一般の人達には受け入れられていないのが現状のようです。
それに、それらの有益な方法の効果が現れるのは、一週間や一ヶ月の訓練や指導では期待できない可能性があるため、それらの価値ある方法も一般的ではないのかもしれません。
そこで、ドイツの学者シュルツという人が、誰にでも簡単にリラックスできる方法を研究開発しました。それは、昔から行われてきた精神療法を経験的に解明して、それを応用することを考え出したのです。
古代から現代に至るまで、宗教や魔術である種の病気が治るということは、疑いの余地はありません。現代医学でも、プラセボ効果を否定できないのです。
それでは、それらの術が病気を治すのかといいますと、そうではないことか明らかになったのです。それは、その宗教の神様や呪文などがその病気を治すのではなく、宗教家や術者の「動作」や「言葉」などが暗示となり、その病の人の想像力を描きたて、それによりその人が本来から備わっている自然治癒力により病気が治るということなのです。
このことは、現代医学でも知られています。それは「医師が手当てし、病人が直す」という言葉で表現されています。さらに、薬を使用しないで、「言葉」だけにより治療する、ムントテラピー(業界用語ではムンテラというそうです)も実際に現在もおこなわれています。
シュルツは、この自己暗示という不可思議な力を研究しました。
シュルツは、この暗示語により起こる体の微妙な変化を研究したのです。そして、日常で使う言葉を使って、緊張状態をリラックス状態に変える方法を考えだしたのです。それは、日本では、自律訓練法とか自己催眠法とか呼ばれているようです。
シュルツは、人が緊張している状態では、身体各部に色々な反応が表れていることを確認しました。それらのことは、だれでも感じられ、そして、それらの身体の状態を、私達は、日常語として使用しています。
緊張している状態とは、
1.腕と足::腕や足の重さを感じられない。それは、腕や足には本来その重さがあるにもかかわらず、無意識に緊張していることにより、その重さを感じとれないからです。
この緊張状態が過度のものとなりますと、腕や足が硬直してしまいます。人が緊張している動作を見て、「コチコチになって、まるで人形みたいだ」という表現をしていませんか。
2.腕と足::緊張していることにより、血液の循環が悪くなり、腕や足、特に手のひらが冷たくなる。このことは、「手が冷たい人は情熱家である」と一般に言われています。手の冷たい人は、緊張のしやすい人とも言えるでしょう。
3.心臓::脈が乱れ、鼓動が早くなる。これも、「心臓がドキドキしてあがってしまった」などと日常で表現しています。
4.呼吸::呼吸が乱れ、早くそして浅くなる。見知らぬ大勢の人を前に、演説したりする時、「声がうわずる」ことがありませんでしたか。深い呼吸ができないため、落着いた発声ができないためによるのです。そのような時、「大きく深呼吸」することをアドバイスされたことはありませんか。
5.腹部::胃のあたりが重苦しくなる。背中が痛くなる。このような状態を「胃がキリキリする」、などと言います。
以上の緊張状態は、日常ではありふれたものです。
さて、リラックスしている状態とは、
1.腕と足::なんとなく重さを感じる。それは、重いというほどでもなく、力が抜けて、だるい、あるいは、重ったるい、という感じです。丁度、風呂あがりの感じを思い出せば、その状態を理解できるでしょう。
2.腕と足::血液の循環がよいため、温かい感じがする。特に、手のひらがポカポカする。
3.心臓::規則正しく、静かに脈打っている。かすかだが体全体の脈拍を感じることができる。
4.呼吸::規則正しく、深く、ゆったりと呼吸している。呼吸しようとする意識がまったくない。時として、吸気と呼気とのきりかえしが分からない。
5.腹部::胃のあたりが温かい。軽い感じがする。背中がポカポカするように感じる。背部や胃の回りに温湿布をすると、なんとなく気持ちよくなる感じを思い浮かべればその状態を理解できるでしょう。
以上のリラックスしている状態は、風呂上り、楽しい食事の後、満足のいった仕事の後などに現れます。
そこで、次に、どのような暗示語を用いて、どのような方法で緊張状態をリラックス状態に変えるかを述べてみましょう。
まず、あなたはゆったり腰をかけて座るか、あるいは顔を天井に向けて寝ることにします。
その時の腕と足は自然のままの状態、つまり、力を抜いて、それらがなるがままにしておきます。
そして、あなたが次にすることは、心のなかに今までに経験した、心がゆったりできた情景を想い浮かべて下さい。思い浮かばない場合は、無理をしないでそのままでいて下さい。思い浮かべられたら、その情景で、今寛いでいるところを想像して下さい。
例えば、夏の浜辺で寝転んでいるところとか、春の暖かい日差しの中で、緑の草原に寝転んでいるところとかを思い浮かべるとよいでしよう。そのような経験のない人は、風呂上りで寛いでいるところを想像してみるとよいでしょう。
そのような状態を準備できましたら次に進みます。
いよいよ暗示の言葉を自分にかけるのですが、その前に暗示のかけ方を思い出してください。
自己暗示をうまくかける方法は、さりげなくするのでしたね。努力してそうしようとすると、それがかえって緊張の種となり、かえって暗示の言葉と反対の状態を創りだしてしまうでしょう。ですから、さりげなくその暗示語を思い浮かべるようにしていることがコツです。
そのような心の準備ができましたら、いよいよ自己暗示をかけるわけです。
暗示語1::「腕、足が重たい」
腕や足が重たくなるのではなく、重たいという状態をただ思い浮かべてください。長い間訓練をすることはないでしょう。5分から長くても20分位で良いでしょう。思い浮かべられない人は、心のテレビ画面にその暗示語が表示されているところを想像してみて下さい。そうしますと、しばらくすると、腕、足がほぐれて、腕、足のかったるさ、重ったるさを感じとれるでしょう。早い人で、その時点で、遅い人でもニ三日で感じとれることができるでしょう。もし、感じ取れない人は、努力してそのような状態にもっていこうとしないで、次にすすみます。
暗示語2::「腕、足が温かい」
この暗示語をただ思い浮かべるのです。決してそのような状態にしようと、意識して努力してはいけません。さりげなくただその暗示語を思い浮かべていればよいのです。あなたが信じ受け入れた言葉は、潜在意識の力によりそのような状態に必ずなります。そのようにしていると、早い人で、その日のうち、遅くても二三日で、手先がムズムズして温かくなってくることが感じとれるでしよう。
自己暗示がうまくかかった人は、もうこの段階で、心の落着きが感じとれるかもしれません。しかし、うまくかからなかった人は、あせる必要はありません。
感じ取れない人も、感じとれないままで次にすすみます。それとは反対に、腕や足がまえより緊張してしまった人は、暗示の仕方が間違っておこなっているのかもしれません。意識して努力することをやめ、さりげなくすることにより、うまくいくことでしょう。
暗示語3::「心臓が静かに脈打っている」
この暗示語を、「腕、足が重たい」、「腕、足が温かい」に続いてただ思い浮かべてください。けっして、そのような状態にもっていこうと努力してはいけません。その暗示がうまくかかると、かすかですが体全体の脈箔を感じとれる場合があります。ドキドキするような場合、暗示が強すぎるのです。あくまでも、さりげなく、です。
もし、そのように感じとれなくても、あせる必要はありません。さりげなく暗示をつづけてください。
暗示語4::「呼吸が楽くだ」
この暗示を練習するころになってきますと、だいぶ緊張がとれてきますので、練習中に眠たくなり、時には眠ってしまいます。眠くなったり、眠ってしまうということは、緊張がない状態ですから、暗示がうまくかかった証拠です。
暗示がうまくかからなかった人は、そのままで次にすすみます。
暗示語5::「胃のあたりが温かい」
この暗示をかける頃になりますと、からだ全体の緊張がだいぶほぐれて、なんとなくだるく、そして体温が少し上がることにより、なんとなくほんわかした気持ちになっていることでしよう。腹筋の緊張がとれることにより、お腹がゴロゴロなる人もいるかもしれません。それは、いままでの緊張がとれ、お腹がリラックスしてきた証拠です。
以上の五つの暗示語を用いた自己暗示の練習時間は、長ければよいというものではありません。長くても、20分位の範囲で行うとよいでしょう。だからといって、ストップウォッチで時間を計る必要はありません。時間を計ることにより緊張してしまいますから。
練習する時期は、寝る前、朝起きた時、そして、昼休みの時などが理想的です。
練習は、毎日さりげなく行って下さい。
練習方法は、暗示語をひとつずつマスターしてから次の段階にすすむようにしましょう。
練習がうまくいく人では、四週間もあれば、それらの効果が現れるでしょう。そのことにより、日常生活で気が付かなかったことが見えてくるかもしれません。リラックスできると、心の視野が広がるからです。
以上がリラックスの仕方の総てです。このような簡単な術を使いこなすことにより、あなたが人生の旅において緊張状態に陥った時、あなたをその迷路から脱出させることができるのです。
さて、リラックスしている状態とは、他の暗示もかかりやすい状態ですから、その時に、あなたの将来の夢を描くことは賢い方法です。
その時の暗示語としては、「わたしは一流のプロカメラマンの道をすすんでいる」、「素晴らしい作品を撮影できる」などです。
五つの暗示語の練習の後、リラックスしている状態の時、それらの暗示語を視覚化して、心の中に、ありあり映像として描くのです。そして、そのことは真実である、と信じるのです。
「信ずる者は救われる」という言葉は真理です。この言葉の意味は、意識が受け入れ、そして信じたことはなんでも、潜在意識により叶えられるということです。
あなたが、この自己催眠法とか、自律訓練法とかよばれているリラックスできる方法を信じれば、その効果を得られることができますが、信じることができなければ、その効果を得ることができない、ということです。
あなたが、このことを信じるか、信じないかは自由です。人は言葉で説得できないものですから。
いずれにしても、あなたが一流プロカメラマンとなる過程や道程には、色々な緊張状態が待受けていることでしょう。それらの思わしくない状態を回避または、緩和させることができる方法を、あなたは身につけておくことは重要なことなのです。
一流プロカメラマンとなるには、写真を上手に撮影できることも大切なことですが、その作品を発表することや、売り込むことも大切なことなのです。
そのような活動をする時には、必ず人間関係という複雑なことが存在します。
そのような複雑怪奇の人間関係をうまく立ち回るためにも、不必要な緊張を除去または緩和できる仕方を知ることです。
リラックスする仕方をマスターしたあなたは、あなたの秘めた潜在能力をうまく引き出せます。そのことにより、今一歩まえに進むことが出来るでしょう。
カメラの知識や、カメラの使い方を知っていても、それらを実際の撮影の時に活かせなければ、上手な撮影はのぞめません。
そこで、一般のカメラマンは、カメラ書籍などで先輩達の知識や経験を学びとろうとします。
しかし、一流の道を進むカメラマンは、その人自身の内にある能力のことを研究します。このことはどういうことかといいますと、自分自身の本当の姿を知ることに時間を費やすことです。そして、自分の中に無限の知恵があることを認識することです。
さて、撮影を上手にするには、さりげなく撮影すること、と前述しましたが、そこで次にそのことを考えてみることにしましょう。
 
心で見る、頭で撮る
 
 
上手に撮影するには、さりげなく自然の流れで行動することが第一です、と前節で述べましたが、そのようにするにはどうすればよいかを考えてみましょう。
カメラマンのあなたが、カメラのシャッターを切るまでの動作を単純化して考えてみますと、まず、被写体を前にして、あなたは二つの行動をします。
第一に、カメラのフレーム内にどのような構図で被写体を捉えるのか。
第二に、あなたが切取りたい時間を、被写体がどのような状態の時にするのか。
極端に言ってしまえば、写真が上手か下手かは、その二つの動作の執り方で決まってしまいます。
あなたが、その二つの動作をさりげなく自然の流れのなかで的確にできれば、撮影の上手なカメラマンとなれるわけですから、この二つの動作をもうすこし説明してみましょう。
まず初めに、撮影の上手なカメラマンと、そうではないカメラマンとが、いかに撮影にのぞむのかを見てみましょう。
撮影の上手なカメラマンは、まず被写体をよく観察します。
一流カメラマンが、モデル撮影をする場合、ポラロイドなどでテスト撮影するのはこのためです。肉眼で見たモデルと、レンズをとおしてフィルム上に表現されたモデルとは、同人物であるのに異なる雰囲気を現します。日常でも、写真写りが良いとか悪いとかいっているでしょう。つまり、レンズをとおすことにより、被写体は変化するのです。
ですから、被写体を観察する場合、あなたの眼は「カメラのレンズ」となっていなければなりません。
そして、被写体をよく観察した後、撮影の上手なカメラマンは、その被写体を自分のイメージに合わせて心のなかに描きます。そのイメージができあがれば、あとはシャッターを切れば、カメラマンの意図する作品が撮れるということです。
しかし、撮影が上手くないカメラマンは、被写体をよく観察しません。それに、自分が表現したいイメージも描きません。さらに、偶然を狙ってやたらにシャッターを切ります。ですから、彼等がいくらモードラで連写したとしても、出来上がった作品には、彼等が望むような作品がないのです。
一般的に、それらの動作を一瞬にして上手に行える人のことを、良いセンスを持っているカメラマンというわけです。そこで、あなたが良いセンスを持ったカメラマンとなる方法を考えてみましょう。
まず初めに、あなたは、あなたの見ている森羅万象をありのままに見てはいない、ということを認識することです。つまり、あなたは、あなたの眼に入ってくる映像を総て見てはいない、ということに気付くことです。
もし、あなたが見ているものを総てそのままに見ているとしたら、この世には見間違えということは存在しないでしょう。見間違えは、思い違いと同じほど日常のトラブルの原因となっています。それほど見間違えということは一般的なことなのです。
それでは、何故見間違えという現象が起こるのでしょうか。
それは、あなたの先入観、つまり、あなたの潜在意識の一部の回路が、あるパターンをもっているからです。つまり、眼から入ってきた映像の信号が、何らかの原因で、正規の回路をとおらないで、つまり、常識を司る意識という関所でチェックを受けないで短絡してしまい、その潜在意識の回路に前もって刻印されたものを誤って認識してしまうからです。
次のようにも説明できるでしょう。
それは、見間違えということは、良い意味でも悪い意味でも、そうあってほしいと望んだ方向で視覚してしまうということです。このことが、「眼で見ているのではなく、心で見ている」と言う意味です。
ですから、あなたが興味を持っているものは、そうでないものより、より多く視覚される可能性があるということです。言い換えれば、興味があるということは、潜在意識の回路に前もってそのことが刻印されている、ということです。
このことは、美術品を観ることにも当て嵌まるでしょう。美というものは、世界共通ではないでしょう。江戸時代、ベトナムで使用されていた糞壷が、大名の床の間に鎮座していたこともあるし、中国でタン壷として使用されていた実用生活品が高価な美術品となっていたりするわけですから。
でも、そういう時代を笑えません。それは、何を美と観るかは、その人個人の主観(潜在意識に刻印されていること)によるからです。さらに、美とは、科学的に分析は不可能で数値化できません。それは、感覚により評価されるのです。その感覚は、個人の歴史がそれぞれ異なるように、ひとりひとり異なっています。ですから、ある人にとっては美しくても、またある人にはそう感じられないことも実際にあるのです。
つまり、美とは個人の感覚による選択ともいえるでしょう。
そこで、あなたが美について良いセンスを持つための手段の一つとして、一流と世間一般でいわれている美術品を鑑賞することです。つまり、潜在意識の回路に、美とはこういうものだという概念を刻印する訓練を、美術品を鑑賞することにより刻印するのです。「一流になりたければ、一流のものを観よ」というわけです。
潜在意識に、その分野で一流になるための手段として、その人に良いセンスを刻印するための手段は色々あります。例えば、絵画の世界では、美術学生の腕を伸ばす手段として、一流画家の作品を模写することなどです。模写をすることで、一流画家の筆使いや絵の具の色使いを潜在意識の回路に刻印し、その学生に潜在している美に対するセンスを開発しようとするわけです。
もし、あなたが写真の構図に対するセンスや被写体のとらえ方がうまくなく、そのため上手に撮影できないならば、あなたの潜在意識の回路にあなたに都合の良い回路を刻印することは、賢い方法のひとつです。
すなわち、あなたが尊敬するカメラマンの写真集や写真展などで、それらの作品を鑑賞したり、書籍などでそのカメラマンの物の見方や考え方を研究することです。そして、それらの情報をデータとしてあなたの潜在意識に刻印するのです。そのような訓練をしているうちに、あなたは、そのカメラマンの感覚を身に付けることができるでしよう。
しかし、このことはあなたが、そのカメラマンを超えるカメラマンになれないことを意味していますから、時がきたら、あなたは、あなた独自の方法で物の見方や考え方を研究する必要があるでしょう。
いくら模写が上手くても、その人物のことを一流作家とは、世間では言いませんから。
さて、次にシャッターチャンスのことを考えてみましょう。
シャッターチャンスがいかに良い作品を撮るための要素であるかは、動きの速い被写体になればなるほど理解できると思います。
写真とは、空間と時間とを切撮ることにより創られるものです。空間を切撮るための作業は、カメラのファインダーで確認することができます。
しかし、時間を切撮る作業においては、そのことを確認するのは出来ない事はないにしても困難を感じるでしょう。シャッタースピードが超高速の場合で動きの早い被写体などの被写体を狙う時などは、人の眼にはストップモーション機構などありませんから、その被写体の一瞬の動き、形、表現などを確認するのが困難を生じます。
身近な例として、人物を撮影した時に、常に眼をつぶった状態を撮ってしまうカメラマンを思い浮かべられませんか。それらのカメラマンは、傑作を狙ってシャッターを切るわけですが、タイミングが合わないことにより、被写体は眼をつぶってしまうのです。
タイミングを上手くとれないカメラマンは、人の動作の流れのメカニズムを研究する必要があります。
カメラマンがシャッターを切る動作の流れを単純に考えてみましょう。
カメラマンが被写体を見ています。そして、その被写体が自分の描くイメージに合った時、シャッターを切ります。この動作において、眼に入った信号が脳に行き、そこでシャッターを切るかどうか選択します。切るとなったら、今度は腕や指を動作させる信号を脳から発信します。そのことにより、写真が撮れるわけです。この動作の流れは一瞬ですが、それでも一秒の何十分の一の時間がかかるのです。
ですから、あなたは、その時間をマイナスした被写体の状態をイメージする訓練が必要でしょう。つまり、動態予測というわけです。このことが、頭で撮る、という意味です。
「心で見る、頭で撮る」ということを理解したあなたは、被写体の最高の状態を撮ることが今まで以上にできるようになることでしょう。
さらに、あなたが一流の道を歩んで行くために、被写体を観察する方法を次に考えてみましょう。
 
洞察力をつけること
 
 
もし、あなたが長期間写真の勉強をしていたにもかかわらず、全く写真がプロ並にならないとしたら、その原因の一つは被写体を観察する仕方が良くなかったからかもしれません。
もし、それが原因でしたら、あなたに合った観察の仕方を見出すことにより、プロ並の写真を撮ることは可能でしょう。
それでは、あなたがどのような仕方で被写体を観察すれば良いのかを考えてみましょう。
あなたは、あなたが見ている視野とベテランカメラマンとの視野が、同じだと思いますか。それは、同じではないのです。
あなたは、人の体の機能は基本的には同じに出来ているようだから、眼の機能の一部である視野も同じだと思っていることでしょう。しかし、眼としては同じだとしても、視野、つまり確認できる範囲は、個人差があるのです。
例えば、あなたは自動車免許を持っていますか。もし、持っているとしたら、あなたが仮免許で初めて路上実習した日の事を思い出せば、このことが理解できると思います。
その日、あなたは始めて一般道路に出たことにより、安全な教習所コースでの冷静さを失い、自動車の運転操作に気を取られて、前方の景色に意識が集中出来なかったことを思い出せるでしょう。
対向車や、信号や、横断歩道などの事故に直接つながる要素は眼に入ったとしても、町並みや、歩道を行き交う人達や、街路樹やカンバンなど直接事故に結びつかないと思われるものなどは、全く気付かずに路上実習したことでしょう。
しかし、時が経ち自動車の運転に段々慣れて来ますと、あなたは自動車の周りの風景や歩き行く美人などを観察する余裕が出できたことでしょう。
あなたの眼は、自動車運転が未熟な時と運転に慣れた時とは同じなのに、どうして物を確認できる視野に変化が起こったのでしょうか。
このことは、前節の「心で見る、頭で撮る」を理解していれば分かると思います。
つまり、こういうことです。あなたの意識が、運転に不慣れのため、手や足の動きに向けられているため、あなたの視覚機能には、あなたという固体を安全に維持できる最低限の情報しか受け入れられなかったからです。つまり、不慣れな事をする時とか、不慣れな場所に行った時は、視野が狭くなるのはこのためなのです。
このことは、撮影においても言えます。
ですから、あなたの観察の仕方を向上させる手段の一つとして、視野を広げる訓練をすることです。
撮影の場数が少なく未熟であると、カメラ機材の操作やその他撮影上のことに気をとられ、被写体を十分に観察することが出来ないでしょう。
ですから、あなたは、カメラ操作を無意識で行えるほど訓練しておく必要があります。それに、撮影の雰囲気に慣れる為の手段として、人目に慣れる訓練をする必要もあります。
訓練をして、カメラ機材の扱いや撮影の雰囲気に慣れてきますと、一瞬の内に、いままで気がつかなかったこと、例えば、モデルの髪の一寸した乱れや、服のしわやネクタイの曲がり、あるいは背景の小さなゴミなどが眼にとまることでしょう。
そのように、一瞥して全体を見て取ることを、洞察力といいます。
カメラマンは、一秒一秒が勝負です。てすから、撮影においてその洞察力のあるなしが作品に重大な影響を与えます。
剣の達人には、この洞察力はその人の命を左右します。敵は前だけにいるのではありません。カメラマンのあなたの場合も、あなたが注意する対象は目の前の被写体だけではありません。撮影現場の総てをあなたの注意対象として撮影に望まなくてはなりません。
そのような洞察力を付けるには、特別な訓練は必要ないでしょう。緊張のない自然の流れで撮影できるようになれば、徐々にその境地に到達できるでしょう。以上、写真がうまくなる法を長々述べてきましたが、要は、あなたの身体から緊張感を取除き、視野を広げ、被写体を観察し、あなたのイメージを描き、フレーム内に構図を決め、被写体の動態予測をし、思う時シャッターを切れば望む作品が撮れるということです。
今のカメラは、デジカメであれ銀塩カメラであれエレクトロニクスの導入により、シャッターを押しさえすれば、誰だって写真を写すことはできます。しかし、現在の技術では、カメラのスペックとして個人の主観を表現するための機構を組入れられる可能性は少ないでしょう。
機械には、機械にしか出来ないこと以上のことはできません。ですから、あなたはカメラテクニックを研究すると同じように、物の見方や考え方を研究する必要があるでしょう。
つまり、写真がうまくなるには、あなた独自の物の見方や考え方を確立することです。
写真を撮るということは、あなたの主観をカメラを媒介として、空間と時間を切取る思考の一形態だからです。つまり、あなたの主観を表現する動作の一つなのです。