写真関係資料 目次へ

--------------------------------------------------------------------------------
 
第四章 プロカメ入門篇
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
アマとプロの違いとは
 
 
あなたは、子供の頃あなたが将来なりたい職業の夢を親に話した時、こんな事を親から言われたことはありませんか。「夢と現実とは違う。世間は厳しいぞ。世の中そんなに甘くない。」などなど。
今を振り返って、親の言った言葉は、正しかったですか。
「親の言ったことは正しくなかった。」、と思った人は、この章を飛ばして読んで下さい。
「正しかった。」、と思う人は、その理由は分かっていると思います。それは、子供の世界(アマチュアの世界)は、自分中心に回っていたと気付いたことですね。しかし、現実はどうでしょう、あなた中心には世間は回っていませんでしたね。それとは反対に、あなたは世間に振り回されている、と思っていることでしょう。
そのことを、親が前述のような言葉で表現したのです。
人が世の中に振り回される原因は、大きく分けると二つあります。ひとつは、精神的なことで、もうひとつは、物質的なことです。このことを集約して簡単にいえば、「悩み」と「お金」のことです。
この二つのことを、人生において解決できる人は、おそらく神様以外にはいないでしょう。
しかし、「お金」のことは、考え方と対処の仕方により、ある程度は解決することは可能でしょう。
プロとして生きて行く上で、考えておかなければならないことのひとつとして、この「お金」のことがあります。
「お金」と言うと、生活臭プンプンでどうも苦手だと思う人が大部分だと思いますが、プロとして生きて行く上で避けて通れないことです。
それは、プロとは、代償を目的に仕事をする人だからです。
代償を目的に仕事をしたくない人は、アマのままでいたほうが、精神的「悩み」から開放されるでしょう。
さて、プロカメラマンは、撮影技術や写真作品を売ることにより、生計を立てるわけですから、アマチュアカメラマンのように撮影し、それを作品に仕上げたらそこで終わり、というわけにはいきません。
あなたはプロカメラマンですから、それらの代償としての「お金」を受け取らなければ、あなたのプロとしての仕事は終わったことにはならないのです。
ここが、アマのカメラマンとプロカメラマンとの大きな違いのひとつです。
プロの仕事は、生活のためにお金を稼ぐことが目的のひとつですから、良い仕事をすることを心掛けることと、その仕事の報酬であるお金をなんのトラブルもなしに受け取れるように対処することも大切な仕事なのです。
プロとして仕事をしたことによる代金を、受け取るにもルールがあります。友人との間なら簡単な口約束でもかまいませんが、企業相手となると、そのルールを知る必要があります。
例えば、あなたに企業から撮影の依頼が来たとします。それも、初めての取引です。
まず初めは、その撮影依頼条件を確認する必要があるでしょう。その仕事の難易度を考慮してお客様と料金交渉をすることになります。
企業などの仕事は、現在では総額にたいして10%の源泉徴収税を徴収されますから、5万円を手取りとして受け取りたいなら、あなたは55.555円を請求する必要があります。さらに、現在では消費税が5%が総額に課税されますから、外税か内税かを決める必要もあります。
話合いにより料金が決まりましたら、そのことを明記した見積書を依頼者に提示し、見積もりの控えに依頼者のサインをもらいましょう。
はじめてのお客様との取引では、色々なトラブルが発生する可能性があります。そのような手続きは、面倒だと思っていても、仕事を発注される側は何時の時代でも立場が弱いですから、トラブルを回避するためには必要なルールなのです。
見積もりを提示して、了解を得られましたら、次は支払条件を決める必要があります。
企業が支払う方法としては、手形支払が一般的なようですが、支払方法は大きく分けて三つあります。
1.現金支払。
2.小切手支払。指定銀行に行って現金と交換するか、あなたの銀行口座に振り込むことにより入金してくれます。
3.手形支払。3ヶ月とか6ヶ月とか、ある期間を過ぎると入金してくれます。
企業の場合、倒産ということが考えられますから、あなたは、はじめての取引では現金支払を希望することです。
支払方法が決まりましたら、次は支払日を確認することです。普通の企業でしたら、〆日と支払日は決まっていますから、それを聞くことです。
さて、無事に仕事が終わり、依頼された写真を納品するわけですが、あなたはその仕事の結果である写真を依頼者に渡す時、同時に見積もり額を記入した請求書と物品受領書を提出することです。そして、その物品受領書に、たしかに依頼の写真を渡したという証拠に、受取者のサインをもらいましょう。
そして、いよいよ支払日となるわけですが、支払日にあなたは領収書を持参し、現金なり小切手なり手形なりを受け取れることになるのです。
受取る金額が高額な場合、領収書にその金額に対しての収入印紙を貼付する必要があります。その収入印紙の金額については、経理に強い人に聞いておくとよいでしょう。
集金が苦手な人は、場合によっては銀行振込という手があります。もちろん振込み手数料は引かれます。
これらのルールに従って、あなたはやっと「お金」を手に入れることができるのです。
あなたの眼には華々しく感じられる世の中のプロは、生活を維持していく為に、以上のことをしているのです。
事務所を構え、事務員を雇えるカメラマンは、それらの事務手続きは、社員に代行してもらえますが、これからプロの道を歩こうとしている人は、自分自身で行うことです。
仕事の受注から納品、そして集金までをあなた自身ですることにより、アマの人が知りえない、「お金」を媒介として人間の心の不思議さの勉強ができるでしょう。
 
節税のための準備をする
 
 
あなたは、事業をして稼いだ所得に対して税金がかかるということは知っていると思います。
アマチュアカメラマンとプロカメラマンとの違いのひとつとして、プロは仕事をして所得があるため、それに対して税金を納める義務があるということです。
納税は、国民の義務の一つなのです。
税金を払うというと、なんだか損をしたように思う人もいるかもしれませんが、考えようによっては、誇りと思いたいものです。(ちょっと無理?)
なぜならば、その年の所得額によっては税金を払わなくてもよい低所得者もいるわけですから、税金を払うということは、その年はそれだけ多く稼いだことを意味しているからです。
納税と聞いただけでアレルギーを起す人もいるようですが、なにも難しく考える必要はないでしょう。あなたは税務の専門家を目指しているわけではないのですから、納税の基本を知るだけでよいでしょう。
納税額はあなたの申告所得により決まっていますから、あなたが得た前年の1月から12月までの所得と必要経費を、税務署で配布(おそらく1月下旬頃)する所得税の確定申告書に指示どうりに記入し、それを所轄の税務署に3月15日までに提出すればよいのです。
確定した税金は、後日銀行振込か引落としで納税します。
以上で、国民の義務のひとつが完了です。
計算が難しいと思う人は、税務署で相談にのってくれますから、分からないことがありましたら気軽に相談に行きましょう。
申告書には、一般向け白色申告と事業家向けに青色申告というものもありますが、何れにしろ、あなたが日々しておかなければならないことがあります。
それは、あなたの税金を安くするために、あなたがその所得を得るためにかかったお金(必要経費)の裏付けとなる領収書を集め、整理しておくことです。
ですから、これからあなたが仕事をするために使用するお金に対する領収書は必ずもらって、納税期間まで整理保管することです。
あなたが集める領収書とは、撮影に使う感材や現像代、仕事の打合せのための喫茶店での飲食代、移動のためのタクシー代や電車賃などの交通費、電話やハガキなどの通信費、事務所で使う備品費などなどです。
電車賃や外での電話代など領収書の発行が困難なものは、文具店などで出金伝票を購入し、それに使用目的、日付、支払先などの必要事項を記入して領収書とします。
仕事量が多い人は、一年間に集まる領収書の枚数が多くなりますから、毎日とか15日毎とか日を決めて整理しておきましょう。できれば、交通費とか通信費とか仕分けしておけば、納税時期にあわてなくてもすむでしょう。
これらのことをしておくことで、当然経費として税から控除されるべき出費の証拠を作ることが出来るのです。
税務署とは、証拠となるべき領収書がなければ、いくら説明しても控除してくれない所、と考えていても間違いではありません。
税金をごまかすことはいけないことですが、支払わなくても良い税金は支払いたくないですね。
あなたが得た前年の所得には、税金がかかるということを忘れないで下さい。そのために、税金の催促は、忘れた頃にやってきますから、あなたは、所得額を全部使い切るのではなく、納税のための貯金をしておいて下さい。
プロカメラマンとして歩んでいくために、「お金」にたいする基本を考えましたが、さらに印刷の基礎を勉強する必要もあります。
それは、あなたの写真作品の大部分は、印刷物の素材として扱われることがあるからです。
 
印刷の基礎を知ること
 
 
前章で、プロカメラマンもマーケティングをするべきです、と述べましたね。
消費材のマーケティングにおいて、商品開発から販売までを企画し実行する基本は、他社競合商品との差別化です。
あなたの場合のマーケティングとは、他のプロカメラマンと比べて、あなたの何処がどのように違っているのか、潜在顧客に示すことです。
その差別化とは、あなたの目指すテーマについての専門知識を身に付けること、そしてその知識を文章で表す能力を持つこと、なとなどです。
しかし、それらのことは、一流になるためには最低限のことですが、そのうえに印刷の知識を持つことで差別化をさらに図れるでしょう。
何故ならば、写真は、紙媒体であろうと、電子媒体であろうと他に複製されることが目的のひとつだからです。その複製する手段としては、現在では印刷が主流です。
たとえば、あなたが、クライアントにパンフレットを制作するための商品撮影を依頼された場合、その打合せで、印刷業界の専門語を知っているのと、知らないのとでは、クライアントのあなたに対する信頼感も違ってくるでしょう。
さらに、印刷専門用語を知らないと、仕事上クライアントとのコミニュケーションもうまくいかないため、次から撮影の仕事を発注してもらえなくなることも予想されます。
たとえば、写真は「キリヌキ」で使用しますから、そのつもりで撮って下さい、と言われて、そのことが理解できる人はよいのですが、理解できない人は、書店で印刷の入門書を購入することをお勧めします。
あなたは、印刷の基礎知識を勉強しているうちに、デザインの基礎知識や、さらにレイアウトの基礎知識が得られるでしょう。それは、デザイン、レイアウトそして印刷はひとつの流れとして繋がっているからです。
これらの知識は、これからのあなたの差別化の最大の武器となることでしょう。
なぜならば、これらの知識を持ち、出来るということは、あなたが、カメラマンとしての表現の幅が広がるだけではなく、誰にも真似られない企画を立てることが出来ることになるからです。
例えば、あるテーマを立ててそれを企画し、それを撮影し、それに相応しい文章を書き、写真と文章をデザイン・レイアウトして、印刷入稿原稿を作成することができるからです。このことは、あなたが「頭」の仕事ができることを意味しています。
「頭」の仕事は、誰にでも出来るわけではありませんから、そのような能力を持ったプロカメラマンは、差別化が図れ売り手市場でビジネスが出来るでしょう。
デザイン・レイアウトといっても、今では昔ほど難しくはないでしょう。コンピュータとソフトがあなたの有能な助手となるからです。
一昔は、写植屋さんとかレイアウトマンとか編集員などの専門職がいましたが、今ではコンピュータがそれらの代用をしてくれます。
時代の流れが、人の欲望を叶えてくれる機器を創りだし、あなたの潜在能力を引き出してくれますが、それはあなたにとって都合の良いことだけではないでしょう。
ある放送局では、番組の記録用にプロカメラマンにスナップ写真を撮影してもらっていました。しかし、経費節減で、フロアディレクターにその撮影をさせています。
それは、だれにでも失敗なく、その場で撮影チェックできるデジカメが創りだされたからです。デジカメは解像力を気にさえしなければ、従来のカメラと互角以上の働きをします。それも、失敗など無縁です。たとえ失敗しても、その場でチェックして、その場面を消去して撮り直せるのです。
現在のカメラマンは、撮影が上手に出来るだけでは生きてはいけない時代にいるのです。
現代は、職業のボーダレス化の流れになってきているのです。
ですから、プロカメラマンは、あらゆる可能性を見つけそれを伸ばしていくことです。
まず手始めとして、印刷の基礎を知ることです。
 
トラブルは常に起こる
 
 
日常生活において、人が行動をおこすところ、常に色々なトラブルが発生することが予測されます。
コミニュケーションにおいては、思い違い、言い違い、考え違いなどは、一般的に起こりえるトラブルの原因のひとつです。これらの原因として考えられるのは、ひとの無意識の行動をコントロールしている、潜在意識の回路がうまく作動していなかったからです。
あなたも、人生を思い返せばそれらのトラブルは経験しているでしょう。そのトラブルも、同じようなことが二度三度なかったですか。
子供や学生であるならば、それらのトラブルも悩みのひとつとして考えられますが、プロカメラマンには、どんな些細なトラブルも許されることはないのです。それが、アマとプロとの違いのひとつです。
そこで、プロの道を歩んで行くためには、トラブルの回避を考えて行動する必要があるのです。
仕事の流れのなかで、このことを考えてみましょう。
まず、あなたが、売り込みをするための目指す会社を探しあてたとします。あなたは、電話でアポイントをとろうとします。その時、あなたの手には、筆記用具を持っていなければなりません。
用件を言って、アポイントが取れたとします。そうしたら、相手の言う、何時、何処で、誰と、何をする、といったことをすばやくメモしておくことです。そして、電話を切る時、もう一度ど、メモに書いてあることを確認のために復唱することです。
この動作をすることにより、時間の間違え(12時間か24時間かはよく間違えます。)などのトラブルは回避されるでしょう。
次に、ビジネスの話をすることになります。
この時も、メモと筆記用具はあなたの手になくてはなりません。知合いならば、このような事をすると、別の意味でトラブルの原因となるかもしれませんが、初対面の人には、仕事が出来るカメラマンだとの印象を与えるかもしれません。
撮影の仕事を受注したとします。
あなたは、クライアントの意向をメモします。電話の時と同じように、商談の終わりに、もう一度、メモに書いてあることを、相手の目を見ながら、復唱しましょう。
フィルムサイズや種類などは、後でトラブルの原因になりますから、写真の使用目的をクライアントに確認することで、このトラブルも回避できるでしょう。
さて、撮影にのぞむまえに、することがあります。それは、カメラの点検と感材をどの種類にするかということです。
それには、撮影する被写体と撮影場所を事前に知ることです。もしできなければ、できるだけクライアントから情報を得ておきましょう。
スピードライト禁止の舞台写真の撮影の仕事と屋外のスポーツ写真とでは、使うカメラも感材も違うことは、あなたは知っているでしょう。
さて、撮影となります。
撮影する場合、条件が許す限り、押さえのカットを別のフィルムで撮ることです。なぜならば、カメラに不都合が遭った時、トラブルが回避できるからです。長方形フィルムの場合、縦位置と横位置を撮っておくことです。露出をプラマイで撮ることなどあなたには常識でしょう。
さて、撮影も無事に終わりました。
クライアント立会いならばよいのですが、いない場合、電話で撮影終了の連絡をしましょう。そして、撮影写真の受け渡しの場所と日時を確認しましょう。もちろん、あなたの手には筆記用具があります。
撮影が終わったら、次は現像です。デジカメならば現像などしなくてもよいのですが、フィルムの場合、トラブルを回避するため、一度に現像しないほうがよいでしょう。そこで、押さえのフィルムが必要になるのです。
あがったフィルムをチェックして、希望の露出でなかった場合、押さえのフィルムで増感や減感でコントロールすることにより露出のトラブルを回避できるでしょう。
一本勝負の場合は、最初の数カットを試し現像(キリゲンと言うそうです)をすることで露出のトラブルを回避できるでしょう。
以上述べた、プロとして仕事をしていくための基本的なことを、あなたの潜在意識の自動行動回路にプログラムとしてインプットすることにより、トラブルの少ないプロカメラマンになれることでしょう。
人は神様と違って、完全ではありません。ですから、いくら行動を注意していても、トラブル無しというわけにはいけません。
起こってしまったトラブルは仕方ありませんが、その対処の仕方により、クライアントの態度も異なります。
プロとしては、トラブルの原因を他に転嫁したくないものです。自分自身で責任を負い、決して言い訳をせず誠実な態度で謝り、対処すれば、心有るクライアントは、一度のトラブルは許してくれることでしょう。
トラブルは常にある、ということを心に、プロの道をあなたの歩幅で歩んで行けば、必ず道は拓けるでしょう。
 
 
基礎篇ステップ2へつづく
 
--------------------------------------------------------------------------------
プロカメラマンになれる本(1)
基礎篇ステップ2
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
あなたは、どのようして一般レベルからプロ感覚へと飛躍するかの方法を考えたことがありますか。また、どのようにしたら有名になれるかを考えたことがありますか。さらに、どのようにしたらプロカメラマンとして生計をたてられるかを考えたことがありますか。このステップ2で、これらのことをあなたと一緒に考えていきましょう。きっとなにかのヒントがみつかると思います。
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第一章 写真がうまくなる法
 
 
なぜうまく撮れないか
 
 
プロカメラマンといっても、撮影が上手いカメラマンと、そうでないカメラマンとがいることは事実です。そこで、写真を上手に撮影するためには、やはり一流プロ機材を使用しないとダメだと考えるカメラマンが多いためか、新発売のプロ機材を専門に扱うプロショップが多く存在するのかもしれません。
しかし、撮影が上手くできるための条件は、カメラやレンズのスペックだけなのでしょうか。
写真を上手に撮影できる能力あるカメラマンは、アマチュアが使用するようなカメラ機材でも、そのカメラの能力限において、やはり素晴らしい写真を撮ることが出来ます。
それとは逆に、世界的一流カメラ機材を使って撮影したとしても、撮影が下手なカメラマンは、ひとびとを感動させる写真が撮れるかは疑問です。
という事は、写真を上手く撮ることにおいて、カメラ機材のブランドは、その必須条件ではないと言うことができるかもしれません。
それでは、何が原因で写真撮影が上手いカメラマンとそうでないカメラマンとの差ができてしまうのでしょうか。
このことを、人物を被写体として撮影する場合で考えてみましょう。
人物撮影の場合、二人のカメラマンが同じカメラ機材を使って、同じスタジオで、同じモデルを撮影したとしても、同じような作品ができないことは、あなたにも理解できるでしょう。
それは、撮影するカメラマンと撮影されるモデルとの関係、つまり撮影雰囲気が微妙に作品に影響を与えるからです。
人物撮影において、満足のいく作品が撮れない場合の原因の大部分は、このカメラマンとモデルとのコミニュケーションの上手、下手で決まってしまいます。
人物撮影が上手くいかない原因は二つ考えられます。それは、その原因が被写体であるモデル側にある場合と、カメラマンのあなた側にある場合とです。
つまり、モデルが、あなたの意図するとおりにポーズがとれない場合と、あなた自身が何らかの原因で撮影において、自分の思うように自由に行動できない場合とです。
前者の場合、あなたはプロカメラマンなのですから、モデルのポーズのとり方や雰囲気のつかみ方が悪いからと、撮影が上手くいかないのはモデルのせいだと原因を転嫁できないでしょう。
それは、ポーズのとり方や雰囲気のつかみ方が上手くないモデルに適切な指示を与えて、その意図するところを理解させ行動させることが、プロカメラマンの重要な仕事の一つだからです。
こう考えると、人物撮影が上手くできない原因は、モデル側ではなく、プロカメラマンであるあなた側に総てあるのではないかと思われます。
いくら撮影の場数をふんでも、まったく上達しないカメラマンもなかにはいます。それらのカメラマンは、ひとびとを感動させる素晴らしい写真が撮れないのは、モデルやカメラ機材のせいにして、自分のなかにその原因があるのではないかと認識していない人達です。
ですから、彼等は素晴らしい写真を見て、よくこういう言をいうでしょう。「自分だって、一流のモデルを使えば、これ以上の写真は撮れる」、「今使っているカメラを高級カメラにかえて撮ればこれ以上の写真は撮れる」と、こんな言葉をあなたは聞いたことがありませんか。
プロカメラマンとは、魔術師や催眠術師のような者ともいえるでしょう。
美しい人をより美しく、そうでない人でも、その人の魅力を最大限に引き出しすように暗示をかけることも、プロカメラマンとしての重要な仕事だからです。つまり、この暗示のかけ方が上手いか下手かで、人物撮影の良し悪しを決定してしまうと言っても過言ではないでしょう。
この暗示のかけ方が、人物写真の名人をつくる要素の一つです。
つまり、人物写真を上手く撮る方法の一つは、モデルに撮影の主導権を表面上与えておいて、実際は暗示を使ってカメラマンの思いのままに動かしてしまうことです。
あなたは、撮影が上手くならない原因が、被写体側にあるのではなく、あなた自身のなかにあると気付くことにより、今以上に撮影が上手くなるでしょう。
このことは、人物を被写体とするのではなく、風景や静物などを被写体として撮影する場合ハッキリと分かるでしょう。それらの被写体は感情や意志がありません。それらは、あなたが思うとおりの感覚を、あなたにあたえるだけの存在物にすぎないからです。
この簡単な原理が分かれば、あなたは今以上に写真が上手くなるでしょう。それでは、どのようにすればよいのかを次に考えることにしましょう。
 
一所懸命努力しないこと
 
 
撮影がうまくいかなかった場合、一般的にカメラマンは次のような二つの行動をとるでしょう。ひとつは、その原因を他に転嫁する。もうひとつは、自分自身がまだ未熟だから、撮影がうまくいかなかったと反省する。
前者は前に進むことができませんが、後者は前進できる可能性があります。
そこで、自分の責任でうまく撮影できなかったと考えるカメラマンは、次の撮影をうまくするために、前にも増して一所懸命努力して撮影にのぞもうとすることは、一般的なことのようです。
日本人の多くは、事がうまくいかなかった場合、そのことの原因の総ては、一所懸命努力しなかったからであると結論づけるようです。
そのことを裏付けるように、一般的な挨拶のなかでも、「一所懸命努力せよ」との別表現の「ガンバッテ」を連発しています。
何故、そのように一所懸命努力すると総てがうまく解決する、と単純に考えてしまうかと言いますと、それは、幼児期から今にいたるまで、一所懸命努力することを、強制的かあるいは無意識的に訓練されて来ているからです。
そして、「ガンバッタリ」、「一所懸命努力」しなかったら、人生の落伍者となってしまうぞ、と幼児期から今まで暗示をうけてきたからなのです。
あなたは、むかし子供の頃、両親や教師などから、このような言葉を言われませんでしたか。「もっとしっかりやりなさい」、「努力がたりない」、「もっとガンバリなさい」、「一所懸命努力しなさい」等々。
一所懸命努力することだけにより、撮影が上手になり、一流プロカメラマンとして成功できるのならば、それはそれでよいでしょう。
しかし、結果的にいって、そのような方法が成功するための重要条件であるならば、この世は成功者で溢れているでしょう。でも、現実はどうでしょうか。
人生において果たして、一所懸命努力することは、そんなに良いことなのでしょうか。
場合によっては、必要以上に努力してしまうことは、精神衛生上好ましくない状態を作り出してしまうこともあるのです。
一所懸命努力することにより、事が上手く行った場合はそれでよいのですが、努力してもダメだった場合、ひとは前よりももっと努力しょうと一所懸命になり、しまいにはその人の能力限界以上に努力してしまうことになります。
そのような行動をとるのは、子供のころからの「一所懸命努力せよ」という暗示の刷り込みによるためです。
しかし、人間には、生命維持のための安全弁がありますので、その人の能力の限界まで努力してしまいますと、その人の潜在意識の緊急回路が作動して、その人に二つの道を示します。
そのひとつは、努力してもダメだった事に対して百八十度の回転を与えて、そのことを意識外のものとしてしまいます。つまり、目標を無視することです。
もうひとつは、意識に過度の緊張を与えて、一般社会との断絶を与えるのです。つまり、ノイローゼ状態です。
一所懸命努力することで総てが解決して、総ての人達が成功するのでしたら、この世は大金持ちや大芸術家達で満ち溢れていなければなりません。皆、毎日の生活において、一所懸命努力しているのですから。現実はどうでしょう。不平、不満の人達で溢れていませんか。
それでは、一流になれた人や成功者は、どのようにしてそのようになれたのでしょうか。
成功した彼等は、他のカメラマンと比べて特殊な才能があったのでしょうか。それとも、生まれがよかったからでしょうか。さらに、運がよかったからでしょうか。
誰だってプロカメラマンを目指すからには、一流と世間から認められて、成功者の仲間入りをしたいのは、当たり前の事です。
しかし、現実として、プロカメラマンとなるために努力して一所懸命やっていた人ほど、その道から外れて行ってしまうのはどうしてなのでしょうか。
あなたの昔のカメラマン仲間に、そのような人達が見当たりませんか。平凡なサラリーマンとなった人達や、公務員となった人達を。
その人達に、何故プロカメラマンの道をすてたのかを問うと、「オレはツイていなかった」、「運がなかった」、「生まれが悪かった」などの言い訳を言うことでしょう。
それでは何故、一所懸命努力しても成功しない場合が多くて、それとは逆に、その道から外れていってしまうのかを考えてみましょう。
たとえば、努力するということを、エネルギーに置き換えて考えてみましょう。
人が行動するために必要なエネルギーをバランスシート的に考えてみれば、その最も理想的な仕事の仕方は、その仕事が完了した時点で、エネルギーの収支がゼロとなっていることです。
つまり、仕事に必要なだけゼンマイを巻いて、その仕事が終わった時点でゼンマイが元通りになっていることが、理想的な仕事の仕方です。言い換えれば、ある仕事をするのに、最大限のエネルギーを使用するのではなく、自然と出てくる最低限のエネルギーを用いて仕事を完了し、そのエネルギーの残存をのこさないことが理想的だということです。
そこで、「一所懸命努力する」、ということをもう一度考えてみることにしましょう。
一所懸命努力するということは、自然に出てくるエネルギー以上のものを、意識の力を用いて作りだすということです。その意識の力を用いるとは、意識して緊張状態を作りだすと言換えることもできます。
撮影等で仕事が上手くいかなかった場合、「今度は一所懸命努力します」という言は、今度は、自然に出てくるエネルギー以上のものをもって撮影にのぞみます、ということです。
そのように一所懸命努力して撮影が上手く行った場合、自然に出てきたエネルギーで撮影を完了した場合と比べて、数倍の満足感がえられることでしょう。それは、エネルギーの放出量に比例して満足度も大きくなるからです。
しかし、それとは逆に、一所懸命努力したとしても撮影が上手くいかなかった場合はどうでしょうか。
その意識して作りだされた膨大な不必要なエネルギーは、放出されないまま身体に溜まったままで、それによりなんとも落着かないイライラ状態を作りだしてしまう原因となってしまうことでしょう。
そして、その不必要なエネルギーは、身体内で完全燃焼ができないため、筋肉にコリという緊張状態を作る原因となってしまうことでしょう。
一般的に言って、一所懸命努力した結果として成功した人は、確率から言えばほんの一握りの人達でしょう。そして、成功しない大部分の人達は、一所懸命努力したためにそのようになってしまったのでしょう。
人の体は、自然な行動の結果による疲労は、エネルギーがゼロになっても一日寝ればエネルギーを再充電して、次の日には体が元気になり、また仕事に取り掛かれるように創られています。
しかし、不自然な過度の緊張によりつくられた疲労は、一日寝たぐらいでは、その不必要なエネルギーが放出されないため、回復できません。
そのような状態を数日間も続けたら、精力が日々衰えていくのはあたりまえのことです。
人生で成功するということは、確率の問題でもありますから、チャンスに対して一度のチャレンジよりも二度のチャレンジ、二度でだめなら三度と、チャレンジする回数を無限に増やして行けば、行き着くところは、成功への道を歩んで行くことになります。
しかし、一所懸命努力して不必要なエネルギーを使い続けることにより、次のチャンスにチャレンジしようとしても、エネルギーの再充電ができないために、チャンスを見過ごすことになってしまうことにもなります。
つまり、人生に疲れるとでも言いましょうか、チャレンジする気力もなくなってしまいます。その結果、カメラマンになることを諦めるか、人間の限界に行着くまで一所懸命努力して、精神のバランスを崩すことにもなってしまいます。
このことは次のようにも説明できるでしょう。
あなたをニッカド電池に喩えれば、ニッカド電池は、その能力内の仕方で使用すれば、再充電は二百回以上できるといわれています。
しかし、その電池のパワー以上のものを得ようとして許容充電時間をオーバーして充電してしまいますと、二百回繰返し使えるところを、数回充電しただけで、まったく電池として使物にならなくなってしまうことになります。
あなたが、プロカメラマンとして認めてもらうために、あるいは撮影が上手くなれるようにと、必要以上の努力、つまり一所懸命してはいけない、と言っているのはこのためなのです。
一所懸命努力してはダメで、そのようにすることは、かえってプロカメラマンの道から外れて行ってしまうことになるのなら、それではあなたは、一体どのようにしたらよいのでしょうか。
それは、さりげない態度で撮影にのぞめばよいのです。
 
さりげなく撮影すること
 
 
カメラマンが撮影をする時、適度な緊張は時には必要ですが、それが過度なものとなっている場合、撮影上色々なトラブルの原因となってしまうでしょう。
もし、あなたが撮影中に必要以上に緊張してしまいますと、それによりあなたの動作は自然の流れにのれないため、ぎこちなくなってしまい、あなた自身を思うようにコントロールすることができなくなってしまい、あなたの意図した作品を創ることができなくなってしまうことでしょう。
このことは、撮影上のことだけではなく、日常のあらゆる場面でも言えるでしょう。
初めての試みの失敗の大部分の原因は、この過度の緊張のために起こるのです。
あなたの撮影上での緊張は、あなた自身だけに影響するのではありません。あなたが過度に緊張することにより、他の人、たとえば被写体であるモデルやアシスタントなどのあなたの回りにいる人達にも影響を与えることにもなります。
人物写真の上手なカメラマンは、この原理を良く知っている人です。
ですから、そのカメラマンは、その撮影の意図により、自分自身が緊張したり、ある場面ではリラックスしたりして、モデルを緊張させたりリラックスさせたりコントロールできるのです。
話術の上手なカメラマンは、言葉だけにより、モデルを緊張させたりリラックスさせたり自分の意図するようにコントロールすることができることにより、素晴らしい作品が撮れるのです。
それらの素晴らしい作品を撮影した場面には、カメラマンとモデルとには不必要な緊張感はなく、ただ自然の流れがあるだけです。写真を上手く撮影するために、カメラマンは意図する雰囲気を創りだす話術を身につけておくべきでしょう。
では、どのような態度で撮影にのぞめばよいかといえば、さりげない態度でいればよいのです。さりげない態度とは、自然の流れの状態ですから、そこには余分で不必要なエネルギーは存在しません。つまり、さりげない態度で撮影にのぞめば、不必要な緊張感も存在しないことになります。
撮影現場に不必要な緊張感がないということは、あなたが、あなたの思うままに行動できることを意味しています。
そして、あなたが思うままに行動できることは、被写体であるモデルも自然にポーズをとることができるのです。
カメラマンもモデルも思いどうり行動できることにより、その状態で撮影すれば、結果として素晴らしい作品が撮れるということです。
しかし、さりげない態度だけではなく、時には緊張感が必要な場面もあるかもしれません。
その時は次のように考えればよいでしょう。
緊張しっぱなしで撮影している場合と、さりげなく撮影している場合とでは、その切替が大変でしょう。
緊張しっぱなしで撮影している時に、緊張を一時的に緩めてリラックスすることはなかなか困難なことです。しかし、さりげない態度で撮影している場合は、いつでも必要な緊張が割合簡単にできるでしょう。そして、それが必要でなくなった場合には、緊張を簡単にとくことができるでしょう。
このことを例えば、弓をあなたに喩えて考えれば理解できるでしょう。
あなたがリラックスしている状態、つまり、さりげない態度でいることを弓から弦をはずしている状態と考え、緊張するということを弓に弦をかけること、と考えてみます。
このように考えてみますと、リラックスしているさりげない状態は、弦をはずしている状態ですから、緊張が必要な時には、弓に弦をはればよいのです。
しかし、緊張しっぱなしの場合、つまり、弦を弓にはりっぱなしの状態を続けていますと、リラックスしようとして、弓から弦をはずしたとしても、弓はしばらくの間、弦をはっていた状態の形をとどめていることでしょう。
実際に、弓道家は、弓を使用しない場合、弦を弓からはずしています。このことにより弓のパワーを保持しているのです。
人のパワーの保持の仕方も、弓と同じでしょう。ですから、何事におていも、リラックスしたさりげない態度で事にのぞむことは大切です。
そのような態度でいることが、撮影を上手にできる仕方であると理解できても、日本の教育方針かわかりませんけれど、幼い頃から緊張する訓練ばかりやらされて、どのようにしたらリラックスできるのか学校で教わらなかったでしよう。
そこで、緊張のため撮影が上手くいかないカメラマンのために、リラックスの仕方を次に考えてみましょう。
 
リラックスの仕方
 
 
あなたは、プロカメラマンになるために、何故リラックスの仕方など研究する必要があるのか疑問を持っていることでしょう。
今現在、過度の緊張感もないし、ノイローゼでもないのに、何故そんなことを研究する必要があるのか、と思っているでしょう。
そうあなたが思っているのは、あなたが今現在、カメラマンの世界でトップクラスにいないことを意味しています。
それはどういう意味かと言いますと、どのような業界であれ、トップに位置している人達は、常に緊張を与え続けられているからです。
例えば、日本で一番悪口をいわれているのは誰だと思いますか。
それは、政界では内閣総理大臣であり、財界では一流企業のトップです。政界のトップである内閣総理大臣は、常に国会内だけでなく、マスコミや三流漫画での攻撃や嘲笑の的にされています。それらの人達は、常に内閣総理大臣の一挙手一投足を監視し、失敗や失態をすることを期待するかのように覗って、もし、そのようなことがあれば、それらの人達は、鬼の首でもとったように喜び、その失敗なり失態を誇張して攻撃してくるのです。
財界のトップも、常にそのような状態に身を置いているのです。
それに、ナンバーワンは、常にその地位をナンバーツーに狙われているわけですから、毎日毎日が、緊張の連続と言ってもよいでしょう。
一流になれば、トップになればなるほど、マスコミや評論家から攻撃されるという言は、攻撃する人達が、一流になりたい願望が心の底にあるからです。
一流やトップの人達を攻撃することにより、攻撃する自分も一流だという認識を持ちたいからです。自分が一流だと思っているマスコミや評論家の人達は、三流の人や作品などは、同情こそすれ、攻撃さえもしないで無視するのはこのためです。
一流やトップに立った者は、常にひとびとから称賛だけ得ると思っていると、思わぬ迷路に入り込んでしまうことにもなります。
一流やトップに立つということは、常に回りの人達から、良い意味でも、悪い意味でも監視されている、ということです。ですから、称賛の時はよいのですが、攻撃された時にそれなりの処世術を身につけていないと、心が乱れ、人としてバランスが取れない状態になる可能性もあるということです。
逆説的に言えば、それらの諸々の緊張状態を潜り抜けることが出来た人達が、その業界の一流やトップになれた、と考えることもできるかもしれません。
そのような業界のトッブの処世術の仕方を、「武士道」、「葉隠れ」あるいは「徳川家康」などの処世訓の記事を、経済誌などで良く見ることでしょう。
そのような意味において、あなたも、一流プロカメラマンの道程において予測される緊張に対して、その緊張を解く方法を研究する必要があるというわけです。
古来から人がリラックスできる方法が研究されてきています。
心身がリラックスすることにより、人に本来から備わっている色々な能力を発揮できる、と古代の知恵者は知っていました。
古代では、それらは魔法とか魔術とかいわれていましたが、歴史の流れと共に体系化され、インドではヨーガとなり、日本では座禅という形態になったようです。世界には、それら以外にも様々な有益なリラックスする方法も考えられてきています。
近代になり、精神分析という科学的(?)な思考により、過度の緊張を取り除く方法も研究されてきました。
しかし、それら有益なヨーガも座禅も精神分析も、その効果を得るためには特別な訓練や指導を必要とします。そのため、特別な症状がある人達や特別興味のある人達以外の、一般の人達には受け入れられていないのが現状のようです。
それに、それらの有益な方法の効果が現れるのは、一週間や一ヶ月の訓練や指導では期待できない可能性があるため、それらの価値ある方法も一般的ではないのかもしれません。
そこで、ドイツの学者シュルツという人が、誰にでも簡単にリラックスできる方法を研究開発しました。それは、昔から行われてきた精神療法を経験的に解明して、それを応用することを考え出したのです。
古代から現代に至るまで、宗教や魔術である種の病気が治るということは、疑いの余地はありません。現代医学でも、プラセボ効果を否定できないのです。
それでは、それらの術が病気を治すのかといいますと、そうではないことか明らかになったのです。それは、その宗教の神様や呪文などがその病気を治すのではなく、宗教家や術者の「動作」や「言葉」などが暗示となり、その病の人の想像力を描きたて、それによりその人が本来から備わっている自然治癒力により病気が治るということなのです。
このことは、現代医学でも知られています。それは「医師が手当てし、病人が直す」という言葉で表現されています。さらに、薬を使用しないで、「言葉」だけにより治療する、ムントテラピー(業界用語ではムンテラというそうです)も実際に現在もおこなわれています。
シュルツは、この自己暗示という不可思議な力を研究しました。
シュルツは、この暗示語により起こる体の微妙な変化を研究したのです。そして、日常で使う言葉を使って、緊張状態をリラックス状態に変える方法を考えだしたのです。それは、日本では、自律訓練法とか自己催眠法とか呼ばれているようです。
シュルツは、人が緊張している状態では、身体各部に色々な反応が表れていることを確認しました。それらのことは、だれでも感じられ、そして、それらの身体の状態を、私達は、日常語として使用しています。
緊張している状態とは、
1.腕と足::腕や足の重さを感じられない。それは、腕や足には本来その重さがあるにもかかわらず、無意識に緊張していることにより、その重さを感じとれないからです。
この緊張状態が過度のものとなりますと、腕や足が硬直してしまいます。人が緊張している動作を見て、「コチコチになって、まるで人形みたいだ」という表現をしていませんか。
2.腕と足::緊張していることにより、血液の循環が悪くなり、腕や足、特に手のひらが冷たくなる。このことは、「手が冷たい人は情熱家である」と一般に言われています。手の冷たい人は、緊張のしやすい人とも言えるでしょう。
3.心臓::脈が乱れ、鼓動が早くなる。これも、「心臓がドキドキしてあがってしまった」などと日常で表現しています。
4.呼吸::呼吸が乱れ、早くそして浅くなる。見知らぬ大勢の人を前に、演説したりする時、「声がうわずる」ことがありませんでしたか。深い呼吸ができないため、落着いた発声ができないためによるのです。そのような時、「大きく深呼吸」することをアドバイスされたことはありませんか。
5.腹部::胃のあたりが重苦しくなる。背中が痛くなる。このような状態を「胃がキリキリする」、などと言います。
以上の緊張状態は、日常ではありふれたものです。
さて、リラックスしている状態とは、
1.腕と足::なんとなく重さを感じる。それは、重いというほどでもなく、力が抜けて、だるい、あるいは、重ったるい、という感じです。丁度、風呂あがりの感じを思い出せば、その状態を理解できるでしょう。
2.腕と足::血液の循環がよいため、温かい感じがする。特に、手のひらがポカポカする。
3.心臓::規則正しく、静かに脈打っている。かすかだが体全体の脈拍を感じることができる。
4.呼吸::規則正しく、深く、ゆったりと呼吸している。呼吸しようとする意識がまったくない。時として、吸気と呼気とのきりかえしが分からない。
5.腹部::胃のあたりが温かい。軽い感じがする。背中がポカポカするように感じる。背部や胃の回りに温湿布をすると、なんとなく気持ちよくなる感じを思い浮かべればその状態を理解できるでしょう。
以上のリラックスしている状態は、風呂上り、楽しい食事の後、満足のいった仕事の後などに現れます。
そこで、次に、どのような暗示語を用いて、どのような方法で緊張状態をリラックス状態に変えるかを述べてみましょう。
まず、あなたはゆったり腰をかけて座るか、あるいは顔を天井に向けて寝ることにします。
その時の腕と足は自然のままの状態、つまり、力を抜いて、それらがなるがままにしておきます。
そして、あなたが次にすることは、心のなかに今までに経験した、心がゆったりできた情景を想い浮かべて下さい。思い浮かばない場合は、無理をしないでそのままでいて下さい。思い浮かべられたら、その情景で、今寛いでいるところを想像して下さい。
例えば、夏の浜辺で寝転んでいるところとか、春の暖かい日差しの中で、緑の草原に寝転んでいるところとかを思い浮かべるとよいでしよう。そのような経験のない人は、風呂上りで寛いでいるところを想像してみるとよいでしょう。
そのような状態を準備できましたら次に進みます。
いよいよ暗示の言葉を自分にかけるのですが、その前に暗示のかけ方を思い出してください。
自己暗示をうまくかける方法は、さりげなくするのでしたね。努力してそうしようとすると、それがかえって緊張の種となり、かえって暗示の言葉と反対の状態を創りだしてしまうでしょう。ですから、さりげなくその暗示語を思い浮かべるようにしていることがコツです。
そのような心の準備ができましたら、いよいよ自己暗示をかけるわけです。
暗示語1::「腕、足が重たい」
腕や足が重たくなるのではなく、重たいという状態をただ思い浮かべてください。長い間訓練をすることはないでしょう。5分から長くても20分位で良いでしょう。思い浮かべられない人は、心のテレビ画面にその暗示語が表示されているところを想像してみて下さい。そうしますと、しばらくすると、腕、足がほぐれて、腕、足のかったるさ、重ったるさを感じとれるでしょう。早い人で、その時点で、遅い人でもニ三日で感じとれることができるでしょう。もし、感じ取れない人は、努力してそのような状態にもっていこうとしないで、次にすすみます。
暗示語2::「腕、足が温かい」
この暗示語をただ思い浮かべるのです。決してそのような状態にしようと、意識して努力してはいけません。さりげなくただその暗示語を思い浮かべていればよいのです。あなたが信じ受け入れた言葉は、潜在意識の力によりそのような状態に必ずなります。そのようにしていると、早い人で、その日のうち、遅くても二三日で、手先がムズムズして温かくなってくることが感じとれるでしよう。
自己暗示がうまくかかった人は、もうこの段階で、心の落着きが感じとれるかもしれません。しかし、うまくかからなかった人は、あせる必要はありません。
感じ取れない人も、感じとれないままで次にすすみます。それとは反対に、腕や足がまえより緊張してしまった人は、暗示の仕方が間違っておこなっているのかもしれません。意識して努力することをやめ、さりげなくすることにより、うまくいくことでしょう。
暗示語3::「心臓が静かに脈打っている」
この暗示語を、「腕、足が重たい」、「腕、足が温かい」に続いてただ思い浮かべてください。けっして、そのような状態にもっていこうと努力してはいけません。その暗示がうまくかかると、かすかですが体全体の脈箔を感じとれる場合があります。ドキドキするような場合、暗示が強すぎるのです。あくまでも、さりげなく、です。
もし、そのように感じとれなくても、あせる必要はありません。さりげなく暗示をつづけてください。
暗示語4::「呼吸が楽くだ」
この暗示を練習するころになってきますと、だいぶ緊張がとれてきますので、練習中に眠たくなり、時には眠ってしまいます。眠くなったり、眠ってしまうということは、緊張がない状態ですから、暗示がうまくかかった証拠です。
暗示がうまくかからなかった人は、そのままで次にすすみます。
暗示語5::「胃のあたりが温かい」
この暗示をかける頃になりますと、からだ全体の緊張がだいぶほぐれて、なんとなくだるく、そして体温が少し上がることにより、なんとなくほんわかした気持ちになっていることでしよう。腹筋の緊張がとれることにより、お腹がゴロゴロなる人もいるかもしれません。それは、いままでの緊張がとれ、お腹がリラックスしてきた証拠です。
以上の五つの暗示語を用いた自己暗示の練習時間は、長ければよいというものではありません。長くても、20分位の範囲で行うとよいでしょう。だからといって、ストップウォッチで時間を計る必要はありません。時間を計ることにより緊張してしまいますから。
練習する時期は、寝る前、朝起きた時、そして、昼休みの時などが理想的です。
練習は、毎日さりげなく行って下さい。
練習方法は、暗示語をひとつずつマスターしてから次の段階にすすむようにしましょう。
練習がうまくいく人では、四週間もあれば、それらの効果が現れるでしょう。そのことにより、日常生活で気が付かなかったことが見えてくるかもしれません。リラックスできると、心の視野が広がるからです。
以上がリラックスの仕方の総てです。このような簡単な術を使いこなすことにより、あなたが人生の旅において緊張状態に陥った時、あなたをその迷路から脱出させることができるのです。
さて、リラックスしている状態とは、他の暗示もかかりやすい状態ですから、その時に、あなたの将来の夢を描くことは賢い方法です。
その時の暗示語としては、「わたしは一流のプロカメラマンの道をすすんでいる」、「素晴らしい作品を撮影できる」などです。
五つの暗示語の練習の後、リラックスしている状態の時、それらの暗示語を視覚化して、心の中に、ありあり映像として描くのです。そして、そのことは真実である、と信じるのです。
「信ずる者は救われる」という言葉は真理です。この言葉の意味は、意識が受け入れ、そして信じたことはなんでも、潜在意識により叶えられるということです。
あなたが、この自己催眠法とか、自律訓練法とかよばれているリラックスできる方法を信じれば、その効果を得られることができますが、信じることができなければ、その効果を得ることができない、ということです。
あなたが、このことを信じるか、信じないかは自由です。人は言葉で説得できないものですから。
いずれにしても、あなたが一流プロカメラマンとなる過程や道程には、色々な緊張状態が待受けていることでしょう。それらの思わしくない状態を回避または、緩和させることができる方法を、あなたは身につけておくことは重要なことなのです。
一流プロカメラマンとなるには、写真を上手に撮影できることも大切なことですが、その作品を発表することや、売り込むことも大切なことなのです。
そのような活動をする時には、必ず人間関係という複雑なことが存在します。
そのような複雑怪奇の人間関係をうまく立ち回るためにも、不必要な緊張を除去または緩和できる仕方を知ることです。
リラックスする仕方をマスターしたあなたは、あなたの秘めた潜在能力をうまく引き出せます。そのことにより、今一歩まえに進むことが出来るでしょう。
カメラの知識や、カメラの使い方を知っていても、それらを実際の撮影の時に活かせなければ、上手な撮影はのぞめません。
そこで、一般のカメラマンは、カメラ書籍などで先輩達の知識や経験を学びとろうとします。
しかし、一流の道を進むカメラマンは、その人自身の内にある能力のことを研究します。このことはどういうことかといいますと、自分自身の本当の姿を知ることに時間を費やすことです。そして、自分の中に無限の知恵があることを認識することです。
さて、撮影を上手にするには、さりげなく撮影すること、と前述しましたが、そこで次にそのことを考えてみることにしましょう。
 
心で見る、頭で撮る
 
 
上手に撮影するには、さりげなく自然の流れで行動することが第一です、と前節で述べましたが、そのようにするにはどうすればよいかを考えてみましょう。
カメラマンのあなたが、カメラのシャッターを切るまでの動作を単純化して考えてみますと、まず、被写体を前にして、あなたは二つの行動をします。
第一に、カメラのフレーム内にどのような構図で被写体を捉えるのか。
第二に、あなたが切取りたい時間を、被写体がどのような状態の時にするのか。
極端に言ってしまえば、写真が上手か下手かは、その二つの動作の執り方で決まってしまいます。
あなたが、その二つの動作をさりげなく自然の流れのなかで的確にできれば、撮影の上手なカメラマンとなれるわけですから、この二つの動作をもうすこし説明してみましょう。
まず初めに、撮影の上手なカメラマンと、そうではないカメラマンとが、いかに撮影にのぞむのかを見てみましょう。
撮影の上手なカメラマンは、まず被写体をよく観察します。
一流カメラマンが、モデル撮影をする場合、ポラロイドなどでテスト撮影するのはこのためです。肉眼で見たモデルと、レンズをとおしてフィルム上に表現されたモデルとは、同人物であるのに異なる雰囲気を現します。日常でも、写真写りが良いとか悪いとかいっているでしょう。つまり、レンズをとおすことにより、被写体は変化するのです。
ですから、被写体を観察する場合、あなたの眼は「カメラのレンズ」となっていなければなりません。
そして、被写体をよく観察した後、撮影の上手なカメラマンは、その被写体を自分のイメージに合わせて心のなかに描きます。そのイメージができあがれば、あとはシャッターを切れば、カメラマンの意図する作品が撮れるということです。
しかし、撮影が上手くないカメラマンは、被写体をよく観察しません。それに、自分が表現したいイメージも描きません。さらに、偶然を狙ってやたらにシャッターを切ります。ですから、彼等がいくらモードラで連写したとしても、出来上がった作品には、彼等が望むような作品がないのです。
一般的に、それらの動作を一瞬にして上手に行える人のことを、良いセンスを持っているカメラマンというわけです。そこで、あなたが良いセンスを持ったカメラマンとなる方法を考えてみましょう。
まず初めに、あなたは、あなたの見ている森羅万象をありのままに見てはいない、ということを認識することです。つまり、あなたは、あなたの眼に入ってくる映像を総て見てはいない、ということに気付くことです。
もし、あなたが見ているものを総てそのままに見ているとしたら、この世には見間違えということは存在しないでしょう。見間違えは、思い違いと同じほど日常のトラブルの原因となっています。それほど見間違えということは一般的なことなのです。
それでは、何故見間違えという現象が起こるのでしょうか。
それは、あなたの先入観、つまり、あなたの潜在意識の一部の回路が、あるパターンをもっているからです。つまり、眼から入ってきた映像の信号が、何らかの原因で、正規の回路をとおらないで、つまり、常識を司る意識という関所でチェックを受けないで短絡してしまい、その潜在意識の回路に前もって刻印されたものを誤って認識してしまうからです。
次のようにも説明できるでしょう。
それは、見間違えということは、良い意味でも悪い意味でも、そうあってほしいと望んだ方向で視覚してしまうということです。このことが、「眼で見ているのではなく、心で見ている」と言う意味です。
ですから、あなたが興味を持っているものは、そうでないものより、より多く視覚される可能性があるということです。言い換えれば、興味があるということは、潜在意識の回路に前もってそのことが刻印されている、ということです。
このことは、美術品を観ることにも当て嵌まるでしょう。美というものは、世界共通ではないでしょう。江戸時代、ベトナムで使用されていた糞壷が、大名の床の間に鎮座していたこともあるし、中国でタン壷として使用されていた実用生活品が高価な美術品となっていたりするわけですから。
でも、そういう時代を笑えません。それは、何を美と観るかは、その人個人の主観(潜在意識に刻印されていること)によるからです。さらに、美とは、科学的に分析は不可能で数値化できません。それは、感覚により評価されるのです。その感覚は、個人の歴史がそれぞれ異なるように、ひとりひとり異なっています。ですから、ある人にとっては美しくても、またある人にはそう感じられないことも実際にあるのです。
つまり、美とは個人の感覚による選択ともいえるでしょう。
そこで、あなたが美について良いセンスを持つための手段の一つとして、一流と世間一般でいわれている美術品を鑑賞することです。つまり、潜在意識の回路に、美とはこういうものだという概念を刻印する訓練を、美術品を鑑賞することにより刻印するのです。「一流になりたければ、一流のものを観よ」というわけです。
潜在意識に、その分野で一流になるための手段として、その人に良いセンスを刻印するための手段は色々あります。例えば、絵画の世界では、美術学生の腕を伸ばす手段として、一流画家の作品を模写することなどです。模写をすることで、一流画家の筆使いや絵の具の色使いを潜在意識の回路に刻印し、その学生に潜在している美に対するセンスを開発しようとするわけです。
もし、あなたが写真の構図に対するセンスや被写体のとらえ方がうまくなく、そのため上手に撮影できないならば、あなたの潜在意識の回路にあなたに都合の良い回路を刻印することは、賢い方法のひとつです。
すなわち、あなたが尊敬するカメラマンの写真集や写真展などで、それらの作品を鑑賞したり、書籍などでそのカメラマンの物の見方や考え方を研究することです。そして、それらの情報をデータとしてあなたの潜在意識に刻印するのです。そのような訓練をしているうちに、あなたは、そのカメラマンの感覚を身に付けることができるでしよう。
しかし、このことはあなたが、そのカメラマンを超えるカメラマンになれないことを意味していますから、時がきたら、あなたは、あなた独自の方法で物の見方や考え方を研究する必要があるでしょう。
いくら模写が上手くても、その人物のことを一流作家とは、世間では言いませんから。
さて、次にシャッターチャンスのことを考えてみましょう。
シャッターチャンスがいかに良い作品を撮るための要素であるかは、動きの速い被写体になればなるほど理解できると思います。
写真とは、空間と時間とを切撮ることにより創られるものです。空間を切撮るための作業は、カメラのファインダーで確認することができます。
しかし、時間を切撮る作業においては、そのことを確認するのは出来ない事はないにしても困難を感じるでしょう。シャッタースピードが超高速の場合で動きの早い被写体などの被写体を狙う時などは、人の眼にはストップモーション機構などありませんから、その被写体の一瞬の動き、形、表現などを確認するのが困難を生じます。
身近な例として、人物を撮影した時に、常に眼をつぶった状態を撮ってしまうカメラマンを思い浮かべられませんか。それらのカメラマンは、傑作を狙ってシャッターを切るわけですが、タイミングが合わないことにより、被写体は眼をつぶってしまうのです。
タイミングを上手くとれないカメラマンは、人の動作の流れのメカニズムを研究する必要があります。
カメラマンがシャッターを切る動作の流れを単純に考えてみましょう。
カメラマンが被写体を見ています。そして、その被写体が自分の描くイメージに合った時、シャッターを切ります。この動作において、眼に入った信号が脳に行き、そこでシャッターを切るかどうか選択します。切るとなったら、今度は腕や指を動作させる信号を脳から発信します。そのことにより、写真が撮れるわけです。この動作の流れは一瞬ですが、それでも一秒の何十分の一の時間がかかるのです。
ですから、あなたは、その時間をマイナスした被写体の状態をイメージする訓練が必要でしょう。つまり、動態予測というわけです。このことが、頭で撮る、という意味です。
「心で見る、頭で撮る」ということを理解したあなたは、被写体の最高の状態を撮ることが今まで以上にできるようになることでしょう。
さらに、あなたが一流の道を歩んで行くために、被写体を観察する方法を次に考えてみましょう。
 
洞察力をつけること
 
 
もし、あなたが長期間写真の勉強をしていたにもかかわらず、全く写真がプロ並にならないとしたら、その原因の一つは被写体を観察する仕方が良くなかったからかもしれません。
もし、それが原因でしたら、あなたに合った観察の仕方を見出すことにより、プロ並の写真を撮ることは可能でしょう。
それでは、あなたがどのような仕方で被写体を観察すれば良いのかを考えてみましょう。
あなたは、あなたが見ている視野とベテランカメラマンとの視野が、同じだと思いますか。それは、同じではないのです。
あなたは、人の体の機能は基本的には同じに出来ているようだから、眼の機能の一部である視野も同じだと思っていることでしょう。しかし、眼としては同じだとしても、視野、つまり確認できる範囲は、個人差があるのです。
例えば、あなたは自動車免許を持っていますか。もし、持っているとしたら、あなたが仮免許で初めて路上実習した日の事を思い出せば、このことが理解できると思います。
その日、あなたは始めて一般道路に出たことにより、安全な教習所コースでの冷静さを失い、自動車の運転操作に気を取られて、前方の景色に意識が集中出来なかったことを思い出せるでしょう。
対向車や、信号や、横断歩道などの事故に直接つながる要素は眼に入ったとしても、町並みや、歩道を行き交う人達や、街路樹やカンバンなど直接事故に結びつかないと思われるものなどは、全く気付かずに路上実習したことでしょう。
しかし、時が経ち自動車の運転に段々慣れて来ますと、あなたは自動車の周りの風景や歩き行く美人などを観察する余裕が出できたことでしょう。
あなたの眼は、自動車運転が未熟な時と運転に慣れた時とは同じなのに、どうして物を確認できる視野に変化が起こったのでしょうか。
このことは、前節の「心で見る、頭で撮る」を理解していれば分かると思います。
つまり、こういうことです。あなたの意識が、運転に不慣れのため、手や足の動きに向けられているため、あなたの視覚機能には、あなたという固体を安全に維持できる最低限の情報しか受け入れられなかったからです。つまり、不慣れな事をする時とか、不慣れな場所に行った時は、視野が狭くなるのはこのためなのです。
このことは、撮影においても言えます。
ですから、あなたの観察の仕方を向上させる手段の一つとして、視野を広げる訓練をすることです。
撮影の場数が少なく未熟であると、カメラ機材の操作やその他撮影上のことに気をとられ、被写体を十分に観察することが出来ないでしょう。
ですから、あなたは、カメラ操作を無意識で行えるほど訓練しておく必要があります。それに、撮影の雰囲気に慣れる為の手段として、人目に慣れる訓練をする必要もあります。
訓練をして、カメラ機材の扱いや撮影の雰囲気に慣れてきますと、一瞬の内に、いままで気がつかなかったこと、例えば、モデルの髪の一寸した乱れや、服のしわやネクタイの曲がり、あるいは背景の小さなゴミなどが眼にとまることでしょう。
そのように、一瞥して全体を見て取ることを、洞察力といいます。
カメラマンは、一秒一秒が勝負です。てすから、撮影においてその洞察力のあるなしが作品に重大な影響を与えます。
剣の達人には、この洞察力はその人の命を左右します。敵は前だけにいるのではありません。カメラマンのあなたの場合も、あなたが注意する対象は目の前の被写体だけではありません。撮影現場の総てをあなたの注意対象として撮影に望まなくてはなりません。
そのような洞察力を付けるには、特別な訓練は必要ないでしょう。緊張のない自然の流れで撮影できるようになれば、徐々にその境地に到達できるでしょう。以上、写真がうまくなる法を長々述べてきましたが、要は、あなたの身体から緊張感を取除き、視野を広げ、被写体を観察し、あなたのイメージを描き、フレーム内に構図を決め、被写体の動態予測をし、思う時シャッターを切れば望む作品が撮れるということです。
今のカメラは、デジカメであれ銀塩カメラであれエレクトロニクスの導入により、シャッターを押しさえすれば、誰だって写真を写すことはできます。しかし、現在の技術では、カメラのスペックとして個人の主観を表現するための機構を組入れられる可能性は少ないでしょう。
機械には、機械にしか出来ないこと以上のことはできません。ですから、あなたはカメラテクニックを研究すると同じように、物の見方や考え方を研究する必要があるでしょう。
つまり、写真がうまくなるには、あなた独自の物の見方や考え方を確立することです。
写真を撮るということは、あなたの主観をカメラを媒介として、空間と時間を切取る思考の一形態だからです。つまり、あなたの主観を表現する動作の一つなのです。
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第ニ章 有名になる法
 
 
有名になるとは
 
 
あなたが有名になるということは、どういうことなのでしょうか。それは、あなたがどれだけ沢山の人達に知られているか、ということです。
それでは、何人の人に知られていれば有名というのでしょうか。有名とは、数値で計れるのでしょうか。
結論から言ってしまえば、有名とは実体のないイメージの集合体なのです。
辞書で引くと、有名とは、「世間にひろく名が知られていること」、などと説明がありますが、ひろくとはどの範囲を言うのでしょうか。村で有名でも町では有名でない場合もありますし、町で有名でも都市では有名ではない場合があります。
あなたは、友人との会話で「あの写真家は有名」だとか、「有名でない」とかを言ったことはありませんか。その場合の基準はなんでしたか。
簡単に言ってしまえば、あなたが有名カメラマンになれるには、あなたが考えている有名の基準に合うような人物になればよいわけです。
その基準とは、有名新聞社系か有名出版社から写真集を発行した。有名写真展に作品を発表した。有名写真コンテストで入賞した。有名写真評論家から作品を絶賛された。有名人の知己をブレインに持っている。等等。
つまり、無名から有名になるには、有名○○のバックアップが必要だということです。
それでは、このバックアップを得るにはどのようにすればよいのでしょうか。
そのためには、有名についてもう少しその実体を知る必要があるでしょう。
有名になるということを、たとえば次のようなゲームとして考えると理解し易いかもしれません。
同心円の椅子の輪があるとします。同心円の輪が多ければ多いいほど、その団体は権威があるとします。そこで、あなたが外側の椅子から、中心の椅子へいかにして進んで行くかというゲームです。
同心円の椅子の輪では、その同心円の外側より、内側に座っている人のほうが、人数が少ないため人々の注目率が高くなっていきます。注目率が高くなるということが、有名になるということです。
このゲームを応用したのが、名門(有名)ゴルフクラブのブランド作りでしょう。
このゲームでは、まず世界的有名ゴルファーにコースを設計させます。そして、有名建設業者にコースを造成させます。その造成中に、メンバーを集めるのです。ゴルフコースが出来上がっていないのに、名門ゴルフクラブの会員を募集するのです。すこしおかしいと思いませんか。
そのゴルフクラブ会員募集は青田買いですから、名門(有名)のイメージ作りが大切なのです。
そのイメージ作りとメンバーの集め方が、同心円の椅子のゲームというわけです。
まず一次縁故者募集をするわけです。同心円の中心ですから人数は少なく、理事という肩書きがつきます。この募集でいかに超有名人を集められるかで、そのゴルフクラブの運命が決まってしまうといってもよいでしょう。
ですから、一次縁故者は、政界の超有名人、財界の超有名人、そして超有名文化人などです。そのメンバーを顔写真を載せた豪華パンフレットで世間に宣伝し、名門イメージをアピールするのです。そして、その次に募集するのはその業界の少し有名人です。最後に、そのトリックにひっかかるのは、世間的に誇れる中小企業のオーナーなどの成金です。
そのような同心円を構成して、一番外側の椅子を覗き込むのが一般人というわけです。決して一般人はメンバーに入れません。もし、一般人をメンバーに入れたとしたら、名門のイメージが壊れてしまうからです。そのようにして、一般人の入会希望の羨望を喚起させることによりそのゴルフクラブは有名になれるのです。
基本的には、有名といわれる組織はこのメカニズムで構成されているといっても過言ではないでしょう。
以上の説明で、なんとなく「有名」のイメージ作りの方法が理解できたと思います。
もし、あなたが有名になることを望んでいるのなら、このゲームに参加しなければなりません。しかし、参加する前に、このゲームで勝つポイントを知っておく必要があります。
それは、同心円の中心に向かって行こうとしても、同心円の椅子は、外側と内側とは接触していないということと、何処にあなたの座れる空いている椅子があるか分からないことです。それに、中心に行けば行くほど、目標に向かう反発力が強くなって行くことです。
このゲームで、あなたが勝者となるには、そのポイントを理解し解決する方法を知ればよいでしょう。
それらのヒントは、空いている椅子をあなたに教えてくれる人は、あなたの外側に座っている人ではなく、内側に座っている人です。
それと、中心に向かっていくことによる反発力とは、人間関係ということです。
有名カメラマンとなるには、撮影が上手でなければならないということは異論の余地はないと思います。しかし、現実として、腕の良いカメラマンが総て有名カメラマンになれないということは、どうしてなのでしょうか。
それは、有名になるためのゲームのメカニズムを知らないことと、知っていたとしても心情として参加しないからです。
あなたがこのゲームに参加する前に、もう一度、あなたが知っている有名カメラマンをどのようにして知ったかを考えてみましょう。
あなたが、直接会ったこともない外人カメラマンを、あのカメラマンは有名だとか、このカメラマンは有名ではないという基準は何によったのでしょうか。
その基準とは、多分評判だと思います。あなたが、一度もそのカメラマンに会ったこともなく、ましてやそのカメラマンのオリジナル作品を鑑賞したこともないのに、そのような判断を下すのは、あなたが読んだ写真関係の書籍とか写真学校の講義などで聞いた評判などを基準にしたからでしょう。
このことから考えられるのは、有名になる方法のひとつは、権威ある人達に良い評判を語ってもらう必要があるということです。
このことは、箴言第二十七章に「自分の口をもって自らほめることなく、他人にほめさせよ。自分のくちびるをもってせず、ほかの人にあなたをほめさせよ。」と書かれています。
そこで、あなたが有名になるためには、あなた自身があなたをほめるのではなく、ほかの人にほめさせればよいのですが、あなたの何をほめさせればよいのでしょうか。
写真評論家が、写真の歴史上有名なカメラマンの誰それの作品は、どうとかこうとかを論評する場合、その例に持ち出される作品は、その評論家の眼に触れた作品以外にはありえないわけです。その作品は多分オリジナル作品ではなく、写真集などの書籍の中の作品でしょう。
あなたも、ほかの人に知られるために、作品集を創ることは、このゲームに参加するための必須条件でしょう。もし、あなたが創った作品集が歴史に残るものであるならば、あなたは必然的に有名カメラマンになれる可能性があるでしょう。
歴史の流れの中には、写真の教科書で有名なカメラマンより腕のあったカメラマンが沢山いたかもしれません。それらのカメラマンは、作品をひろく知られる手段としての写真集などを創らなかったから、後世の人に知られることなく、歴史から去っていったのでしょう。
さて、このゲームに参加するわけですが、あなたが座るべき椅子を教えてもらうために、あなたは、あなたの内側に座っている人と知り合いになる必要があります。
あなたが、もし有名人の子息であるとしたらこのゲームの勝者になるのは簡単です。しかし、そうでない場合、あなたは、あなたの力で内側の人と接触する方法を考える必要があるでしょう。
その方法のひとつとして、有名カメラマンの助手となることも考えられますが、それとても、採用されるための条件をあなたが兼ね備えていなければなれないでしょう。
ではどうすればよいかといえば、地道ですが、あなたは、あなたの存在を示す作品を創り、同心円の規模の大きな内側の、できるだけ中心の人に観てもらう方法を考え、そしてそのことを実行することです。
つまり、同心円の椅子のゲームで、あなたがまずやることは、あなたの存在をその内側の人達に知らせることです。
その方法のヒントは、「有名人は有名人を友達にする。」ということです。
人に知られるということは、簡単なようで、なかなか難しいことです。それも、マイナスのイメージであるならともかく、プラスイメージで人に知られることはなおさらです。
世の人達は、自分の人生ゲームに夢中になっています。その基本は、状況を自分に有利になるような情報を優先的に取り入れることです。それは、自分と他とを区別して、自身の生命を維持増進させることが潜在意識の回路に刻印されているからです。
ですから、あなたが、あなた中心の人に知られるための方法を色々駆使したとしても、世間の人達は、あなたの存在を意識することはないでしょう。
しかし、あなたのカメラマンとしての存在が、世間の人達の利益になると知れたら話は別です。
ここに、あなたが世間の人達に知られるためのヒントがあります。
あなたのカメラマンとしての活動は、あなた自身のためではなく、広く世間の人達のために行っている、ということをひろくアピールするのです。その基盤の上で、行動することにより、あなたの存在は徐々に知れ渡っていくことでしょう。もしかしたら、その人達の中に、同心円の椅子の内側に座っている人がいるかもしれません。
人に知られるための行動において、人間関係という問題が生じます。同心円の外側であるならば、その問題も大したこともないかもしれませんが、中心に進めば進むほど、その問題も大きくなってきます。
その人間関係の問題の一つは、「嫉妬」です。
人間関係における嫉妬の感情をコントロール出来るとしたら、有名になれる確率は高くなることでしょう。それほど嫉妬の感情をコントロールすることは難しいのです。
嫉妬とは、支配と被支配、あるいは優位と劣位との関係において、自分が被支配あるいは劣位の立場に立ったことを認識し、その状態を変えようとしたが、結果として出来ないと思った時に起こる感情です。つまり、自分が他の人と比べて、不利な状態にされたことに対する怒りの感情をその人に見出す心の動きです。
この感情は、表面上はともかく心の中では強力なエネルギーを内在しています。ですから、このエネルギーをプラスに使えば、これほど強い素材はないのですが、これがマイナス、それも自分の対象者に向けられた場合、厄介なことになります。そのことを一般的には、「足を引っ張る」と表現しています。
ひとは、自由がひとに与えられた特権だと言うのに、思うままに自由に行動したり、暮らすこととは別のことだ考えているようです。一般的に、ひとは自由に楽しく、何の悩みもなく暮らしている人は嫉妬される可能性があるのです。
それとは反対に、何の不自由もなくスイスイと出世したのではなく、個人的に不幸な歴史を持っているとか、苦労に苦労を重ねて暮らしている人には、嫉妬の感情ではなく、同情の感情を示します。
この同情の感情は、嫉妬の感情と拮抗します。つまり、その苦労の人の足を引っ張るのではなく、上に持ち上げてくれる作用を示します。
ここに、あなたを同心円の内側に導いてくれるヒントがあります。
それには、あなたのカメラマンとしての行動は、嫉妬心ではなく同情心を起させることを基本にすることです。
次のことを考えてみて下さい。
例えば、ここに二枚の山岳風景写真があるとします。それらの二枚の写真は客観的に観て、それぞれ同じように人々の心を感動させるものだとします。
しかし、その写真を撮影した裏話として、その一枚はカメラマンがヘリコプターを使い、その写真を撮影したものであるとします。他の一枚はカメラマンひとりで数十キロの写真機材を背負い何日もかかって登山し、その写真を撮影するのに数日間その場で狙って撮影したものであるとします。
さて、その裏話を知った後で、この二枚の写真に、人々は前と同じ称賛をあたえるでしょうか。
前者は評判を落とすことでしょう。しかし、後者は有名カメラマンに変身できる可能性があります。
このように作品を文章で修飾することで有名カメラマンをデビューさせることは、マスコミの常套手段です。そこで、次にマスコミについて考えて見ることにしましょう。
 
マスコミの使い方
 
 
あなたが有名カメラマンになる方法として、同心円の椅子ゲームに参加することを前節で提案しました。そのゲームで勝者となるには、内側の人にあなたの存在を示し、知ってもらうことだと述べました。
そこで、この節では、効率良く沢山の人達に知ってもらう手段として、マスコミの使い方を考えてみましょう。
マスコミは、一度に多くの人達に情報を発信して、瞬時にして人々に知らしめる手段として、時代の流れと共に、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなどの流れのなかで発展してきました。
一昔前でしたら、印刷物であれ電波であれ情報を発信する手段としての設備投資が莫大なものでしたから、選ばれた企業でしか起業できないため、その発信元は権力を持っていましたし、啓蒙活動をして世の中を少しでも良くして行こうというポリシーが感じられました。
しかし、電波媒体が発達した現在はどうでしょうか。
マスコミが地に落ちたといわれて久しいですが、まだ発信情報の信頼性がゼロになったわけではないようです。ある調査によりますと、情報の信頼性の序列は、新聞、テレビ、専門雑誌、ラジオ、一般雑誌、そしてインターネットという事らしいのです。
この順序は、そのマスコミに情報を載せ易いことを示唆しているようです。
インターネットなどに情報を載せるには、誰の許可(プロバイダーによってはチェックがかかることもありますが)も指導もなくフリーです。しかし、信頼性の最も高い新聞などは、いくらお金を積んでも、情報の掲載基準をパスしなければ、情報の掲載は不可能です。
ですから、あなたの存在を示す情報を掲載するところの最終目標は、信頼性が高いといわれる新聞ということになるでしょう。
目標は遥か遠くても、そこに到達するための手段と方法とが見つかれば、それは不可能なことではないでしょう。
マスコミなどど言うと、権威がありなんだか近寄りがたく得たいの知れないものだと思われがちですが、良く観察してみますと、そこに近づく方法を見つけることができるでしょう。
それは、マスコミが啓蒙元としていくらエリート意識の態度で活動しているとしても、そのマスコミ活動が一般大衆の支持を得られなければ、一般企業と同じく倒産ということになるということです。
一社が取り上げた情報が、一般大衆に評判が良いと、各社いっせいにその情報を扱います。それは、マスコミが一般大衆に迎合しなければ企業として存続できない運命にあるからです。一般大衆に迎合しなければ、どんなに立派なマスコミ企業も倒産する、ということは、一般大衆が渇望している情報をあなたが提供できれば、マスコミはあなたの存在に注目する可能性があるということです。
でも、そのように最初から最終目標の新聞にあなたの存在を示す情報を掲載することは不可能ではないにしても、今現在としては可能性は低いでしょう。
では、どのようにすればその可能性に近づけるか考えてみましょう。
次のように考えれば、マスコミの使い方のヒントが得られるでしょう。
マスコミ企業とは、記事にするための情報を仕入れ(取材)、それを自社のイメージに合うように加工(編集)して、それぞれの媒体の店先に並べ(出版・放送)、一般大衆にその情報を販売するビジネスをする所です。
マスコミも情報を売るビジネスをしているわけですから、一般大衆の望む情報を市場調査をして集めるわけです。
ですからあなたも、マスコミ企業と同じく市場調査をして、一般大衆がのぞむ情報を作品として発表することは、マスコミに一歩近づいたことになります。
それでは、もう一歩近づく方法を考えてみましょう。
さて、マスコミ企業は、一般企業と同じく情報という原材料を仕入れているわけです。その仕入れ方法は、自社の社員を使い取材をして情報を集めるわけですが、規模の大きなマスコミ企業では、どうしても社員だけでは手薄になります。そこで、他に情報の仕入れ先を求めるのです。それらの大仕入先としては、ロイターや共同通信などの情報収集販売企業や各業界のプレスクラブ、官庁の記者クラブなどです。
これらの仕入先は、やはりそれなりのニュース価値を持った情報でなければ、あなたが売り込みに行こうと思っても近寄れません。
民間企業のマスコミは、純粋の情報を販売するだけでは、企業を正常に運営することは難しいでしょう。ですから、スペースを売ることで収益増を図るわけです。
そのスペース売りをビジネスとしているのが広告代理店とPR会社などです。
広告代理店とPR会社との違いを喩えますと、玄関から訪問するのが広告代理店で、勝手口から入り込むのがPR会社とでもいえるでしょう。
PR会社とは、ある情報をマスコミに流したいとする企業に対して、その情報を目的とするマスミ媒体に掲載する手伝いをすることにより、報酬を得るところです。
それでは、広告代理店と何処が違うかといえば、PR会社の情報の載せ方です。それらは、広告情報としてではなく、記事の中に紛らわしたり、記事風として情報を発信させるところです。
ですから、マスコミ側との窓口もちがいます。広告代理店でしたら広告局ですが、PR会社は広告局ならびに記者です。
優秀なPR会社の社員なら、一流マスコミ記者とは友達関係です。その仕事はアフター5に行なわれていると一部では噂されています。
ここにあなたが、マスコミに近づけるヒントがあります。
もし、あなたの見えない資産のなかに、それらPR会社と関係のある人がいるとしたら、その人を、同心円の椅子の内側の人にすることです。その人は、もしかしたら、あなたの座るべき椅子を教えてくれるかもしれません。
さらに、マスコミに近づくための別の方法としては、ストックフォトエージェンシーが考えられます。
もし、あなたが、ステップ1で提案したように、ストックフォトエイジェンシーからデビューいているとしたら、その営業マンが、椅子の内側の人になるかもしれません。
マスコミの規模の小さい企業は、その情報の仕入先として、ストックフォトエイジェンシーをよく利用しているからです。
マスコミとは、大きな声を出す口です。それに喋らせるのは、一般大衆の小さな口です。マスコミには、その小さな口に反したことは喋れません。
ですから、マスコミは、つねに小さな口からでる情報に注意し、収集し、それを分析しているのです。
そのようなマスコミにあなたの存在を示す情報を載せる方法として、直接大きな口に喋らせようと努力するのではなく、まず、小さな口に喋ってもらえる方法を考えることです。
小さな口から、あなたのカメラマンとしての評判がでて、それが沢山の小さな口から評価されるとしたら、あなたの名前は、大きな口から自然と出でくることでしょう。
 
プロとして認められるとは
 
 
前節で有名になるためのヒントを述べましたが、有名カメラマンが全て一流カメラマンとして、世間から認めてもらえるわけではありません。しかし、アマチュアであるにもかかわらず有名カメラマンとして認めてもらえる人も存在しています。
あなたは、昔プロカメラマンを目指していた頃、写真が上手だからという理由で、誰かの結婚式の撮影を依頼されたことはありませんか。
今でも、写真が上手だと評判の人は、冠婚葬祭の撮影を依頼されていることでしょう。
それでは、そのカメラマンは、依頼者からプロとしての待遇が受けられるのでしょうか。
そのアマチュアカメラマンの腕がプロ並と認められたとしたら、当然その待遇としての報酬を支払らわなければならないわけですが、実際はどうでしょう。現像代ぐらいの薄礼が受け取れればまだしも、実際、無報酬ということもありえるわけです。
アマチュアカメラマンの腕をプロとして認めているのなら、当然ギャラを想定して撮影の依頼をすることでしょう。
ということは、一般的に、写真の撮影が上手なだけでは、プロとして認めてもらえない、ということになります。
それでは、アマチュアではなく写真学校を卒業したてのカメラマンはどうでしょうか。
写真学校でプロとして営業するための技術を習得しているわけですから、アマチュアより数段プロに近づいているのですが、その人は卒業と同時にプロとして認めてもらえるのでしょうか。
一体全体、世間の人達のプロのイメージとはどのようなもので、なにを基準にしているのでしょうか。
長い間、カメラマンを職業としているのなら、当然世間の人達は、腕の良し悪しはあるにせよそのカメラマンをプロとして認めることでしょう。
では、写真学校を卒業したての人や転業してこれからプロカメラマンとしてビジネスを始めようとしている人は、どのようにしたら世間の人達からプロとして認めてもらえるのでしょうか。
そもそも、プロカメラマンという職業の定義はあるのでしょうか。
プロカメラマンとなるには、今現在では資格や許可証を必要としません。国家試験を受けて資格を得ることや写真学校の卒業証書がなければ、なれないということはないのです。
誰でも、「私はプロカメラマンです。」、と宣言すれば、今からでも自称プロカメラマンになれるのです。だからと言って、その自称プロカメラマンを、世間の人達はプロカメラマンとして認め、仕事を依頼するでしょうか。
それでは、その自称プロカメラマンがプロフェショナル機材で身を固め、一流ロケーションに写真事務所を開業して世間にアピールしたらどうでしょうか。
一歩プロカメラマンのイメージに近づくことはできたとしても、やはり世間の人達は疑問を持つことでしょう。
それでは、どのようにしたら無名カメラマンが、プロデビューできるのでしょうか。
そのヒントは、権威ある写真団体の入会規約に見つけることができるでしょう。
その団体の入会条件の重要な規約は二つです。一つは、カメラマンとしての実績。もう一つは、その会員二人の推薦があることです。たしか、このような入会条件は有名ゴルフクラブでも掲げています。
ということは、あなたがプロの仲間に入るには、まず、カメラマンとしての実績を作る必要と、プロカメラマン仲間からプロとして認めてもらう必要とがあるわけです。
プロカメラマンから推薦してもらう方法は、前節での同心円の椅子ゲームを研究することで解決できることでしょう。
そこで、次節では、カメラマンの実績作りを考えてみることにしましょう。
 
あなたの実績をつくる写真展
 
 
あなたは職安(現在ではハローワークスというそうですが)へ職探しにいったことがありますか。ある人なら理解できると思いますが、自分の能力を他人にアピールすることは大変なことなのです。
職安の職員は、職をさがしている人に問います。「ところで、あなたは今まで何をしてきました。誇れることを列記して下さい。そして、お持ちの資格も。」、この質問の答え方で、その求職者の運命は半ば決まってしまいます。
この質問は、カメラマンのあなたにも言えます。
「あなたはカメラマンとして今まで何をしてきましたか。誇れる実績は何ですか。」この問にすらすら答えられるカメラマンは、プロ予備軍です。時の流れに上手く乗れば、プロとして世間から認めてもらえることでしょう。
しかし、この問に答えられないカメラマンは、今から実績を作る必要があります。それでは、プロカメラマンとして世間から認めてもらうための実績とは何んなのでしょうか。
そのひとつに、写真展開催があります。
あなたは近くの本屋さんへ行って、著名写真家の写真集の奥付を見て下さい。そこには大抵その写真家のプロフィールが書かれています。そして、その下にずらずらと今までの実績としての写真展開催を時系列で列挙しているのを見ることでしょう。
写真集に限らず、著名写真家の紹介記事などにも、その写真家がいかに立派かを証明する手段のひとつとして、写真展開催の時系列情報を掲載しています。
こうみてみますと、写真展開催はプロカメラマンとして世間から認めてもらうための重要な条件のひとつであることが分かると思います。
写真展開催のための作品を創ることは、今までこの本を読んでそのヒントをもとに実行したカメラマンには容易くできることでしょう。しかし、開催のための手段と実行には、開催資金と会場の問題が発生します。
言い忘れましたが、写真展開催の場合、その会場を何処にするかは重要です。書籍の奥付をもう一度見て下さい。その写真展開催の日付の横に、その開催地、例えば外国ですと、パリ、ロンドン、ニューヨーク、国内ですと銀座、渋谷、新宿などの記載があり、もっと詳しい記述は、有名○○サロン、有名○○画廊などの記載があることでしょう。
一流プロとして世間一般に認めてもらうには、写真展開催地も重要な条件なのです。
話をもとにもどして、開催資金と会場のことを考えてみましょう。
開催資金は、バイトなどしてコツコツ貯めることで解決できますが、開催会場、それも一流の会場などは、無名カメラマンがいくら金を積んでも貸してくれる所はないとはいえませんが、稀でしょう。それでは、無名カメラマンは、有名会場で写真展を開催できないのでしょうか。
無名カメラマンが一流会場で写真展を開催する方法はあります。その方法のひとつは、あなたが使用しているカメラや感材あるいはデジタル媒体にヒントがあります。
それは、そのメーカーの宣伝部に作品を持参することです。
普通のメーカーは、自社製品の優位さを証明する手段として、宣伝をします。もう少し資金的にゆとりがあり戦略に長けているメーカーは、写真サロンなどを運営しています。
つまり、自社製品愛用者向けに、作品の発表の場を提供しているのです。
てすから、あなたは、あなたが使用している機材や感材またはデジタル媒体のメーカーが作品発表の場を運営しているか、その会社の広報部に電話をして確かめることです。
もし、あるとしたら、次に宣伝部に連絡して、作品を観てもらえるか尋ねることです。その時、あなたが見えない資本を使えるのなら、それを利用することは賢いことです。
そのようにして、もし、写真展が開催できたら、そのことを情報として媒体に掲載してもらう方法を考え、実行することです。一番可能性があるのは、開催メーカーの情報誌でしょう。
なぜそのようにしておくことが必要かというのは、「他人にあなたをほめさせる」ことになるからです。
もし、運悪く目指すメーカーが、あなたの才能を認めてくれなかった場合は、外国それも先ほどの写真書籍の奥付に記載されている所で、写真展を開催することです。その場合、一流でも有名でもない所でもよいでしょう。外国で写真展を開催した事実だけでも誇れる実績となるからです。
写真展を開催する戦略とそれを実行するための戦術を計画しましたら、後は行動あるのみです。
写真展開催は莫大な資金を必要としますが、それは浪費ではなく、見方をかえてみれば、見えない財産を作っているともいえるでしょう。それが、時系列的に羅列され、その数が多くなるにつれて、あなたは有名プロカメラマンへの道を歩いていることになるのです。
あなたの存在を示す手段としての写真展は、マーケティングでいえば、ピンポイント戦略です。もっと広く知らしめる面拡戦略もしなければなりません。
それでは、カメラマンにとっての面拡する方法とは、何んでしょうか。それは、写真集です。
 
コミニュケーションツールとしての写真集
 
 
あなたのカメラマンとしての存在を示す手段として、前節で写真展開催について述べましたが、プロカメラマンとしての実力を示す手段のひとつとして写真集があります。
面識のないプロカメラマンを値踏みする基準としては二つあります。ひとつは写真展開催会場と回数、それに写真集を出しているかです。
写真集を出している場合、必ず聞かれるのは、「どこの出版社から出していますか。」ということです。写真集ならその作品に相応しい装丁で作られていれば、どこの出版社から出ていようと関係ないことです。
しかし、この質問は必ず出ます。それは、世間の人達は、その写真作品自体を評価するのではなく、その写真集を発行している所を評価の対象とする傾向があるからです。勿論、基準の最高は新聞社系の出版社です。それに対して、名の知れない出版社からの写真集は低く評価される傾向があります。
何故かといいますと、エレクトロニクスの発達した科学時代の現代でも、人の心の奥深い所では、今だ魔術時代にあるからです。科学的に分析しても説明できないイメージの伝達メカニズムが潜在意識の回路にあるからです。それは、接触したものは、その感染源のイメージが移るという「感染魔術」によるからです。このことは、プロカメラマンになれる本(2)「魔術篇」で詳しく述べるつもりです。
人に広く情報を発信して、送り側の意図する状態を作り出そうとするコミニュケーションの手段のひとつとして、広告・宣伝があります。広告代理店がいくら科学的な言葉で広告・宣伝を理論的に説明しようとも、その根底は魔術そのものです。
さて、話を写真集にもどしましょう。そのように考えれば、あなたのカメラマンとしての実力を示すには、新聞社系の出版社から写真集を出すことでしょう。しかし、誰でも出来ないところであるから、そこから出版することに価値があるわけです。
それでは、あなたはどのようにしたらその出版社から写真集を出せるのでしょうか。
その方法のひとつとして、あなたの見えな資本のなかに、その流れにいる人がいたら、その人を仲立ちとして、その出版社と交渉してもらうのです。その交渉とは、あなたがその写真集を何割か引き取る条件を提示することです。その場合、あなたの作品が、世間の人達に広く受け入れられるという前提条件があってのことです。
写真集を出すということは、プロカメラマンとしての権威付けのためだけではありません。それは、あなたのカメラマンとしての存在を示す媒体と考えられます。そう考えれば、なにも有名あるいは一流出版社から出版することもないでしょう。
写真展であるならば、それを鑑賞するには、時間と空間の制限がありますが、写真集であるならば、その制限から解放されます。つまり、コミニュケーシヨンの手段としては、写真展より写真集のほうが優位でしょう。
写真集をコミニュケーションの手段と割り切るならば、その媒体として出版としてではなく、他の方法も考えられるでしょう。オリジナルプリントで作成することでもよいし、インターネットで作品を発表することもよいでしょう。
しかし、考えなければならないことは、出版社から写真集を出せば、それは全国の本屋さんの店頭に並ぶことになるわけですが、インターネットは別として自分自身で写真集を作った場合、それを配布する手段を考えなければならないわけです。
そこで広告・宣伝ということになるわけですが、その方法のひとつとして、あなたの作品をハガキにして友人知人に、写真集購入の情報を発信することです。それも定期的に発信することです。そのことにより、あなたのカメラマンとしての存在を示すことができるでしょう。
この章で、あなたは有名になる方法を考えてきたわけですが、それらのことを実行したからといって、直ぐ有名にはなれないかもしれません。それにはやはり時代の流れに乗る必要があります。それは、あなたが時代の流れを創っているのではなく、あなたは時代の流れの役者のひとりなのです。
今有名な役者にも、無名時代はあったのです。その無名役者は何かのキッカケで有名役者に変身したのです。あなたも有名になる方法を実行しながら、何かのキッカケがくるのを待つことです。そのキッカケは多分、同心円の椅子の内側の人からもたらされるでしょう。あなたがその望みを持ちつづけていれば、必ずそのようになります。
「ひとは、その思うところの人物となる。」ということは真理です。