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脱「風景写真」宣言 宮嶋康彦

岩波書店 2006年3月 2200円(税別)







 自然をテーマに撮影をしている宮嶋氏の写真論。自然というとネイチャーフォトと短絡的に捉えがちだが、それこそ写真の世界を狭く閉ざしている悪しき先入観と述べている。氏の自然観とは、人間や街もその範疇に含まれている。そういった世界観で作品を作るアドバイスはとてもためになった。氏が日光に通う理由も書かれていて印象的。人生にはいろいろあるのだと感じる。
 作品制作に取り組む上で、とても参考になる本。自分もこれを読んで、自分だけの自然写真を撮りたくなった。

本書から 

 ・・・できればデジタル写真に移行したい。フィルムカメラを完全に止めてしまいたい。罪悪感を伴った思いがぼくにはある。古くなった現像液の廃棄は、長年の痛みとなってのしかかっている。
 ・・・自分のことを棚に上げて勝手ないいようだけれど、銀塩プリントの廃液を少なくするために、フィルムからデジタルへ、暗室現像からインクジェットへシフトする人の多からんことを願っている。

 ・・・自然を撮影するカメラマンは常に美しい対象と向き合っている。しかし、それだけでは足りない。それがなぜ美しいのか、考え重ねることが写真表現の大事である。何度もいうが写真の幸福は思索の果てにあると信じている。

 ・・・自然写真に、これといった出発をしていない人があったら、そしてその人が、これから自然写真を撮っていこうと願ったとしたら、ぼくは迷うことなくテーマを持つように勧める。写真の深みへ迷い込むには、最も有効な手段と考えているからである。
 海山、ご近所、昆虫や鳥、あるいは池や沼や小川、何でもいい。オーソドックスな対象でいいから、一つのものに徹底的にこだわって写真を撮ることを提案する。特別の被写体である必要はない。テーマそのもので他人をびっくりさせようなどとは考えないことだ。長く愛することのできる対象を選んで、こつこつと、様々なシーンを撮り続けることだ。
 地道な撮影を継続していくうちに、ある日突然、大きな閃きを得ることになるものだ。些細なテーマが偉大なテーマに行き着いたり、自分の立脚点に気づいたり、この先の行く道が拓けたりする。ぼくはこれまで何度もそんな体験をしてきた。現在進行中のテーマはいくつかあるけれども、長く風にこだわってきたおかげで、風の本ができそうな手応えを得ている。地道なこだわりは時に偏執狂的、オタク的評価のマトになるだろうけれど、そうなったらしめたもの、作品は半ば出来上がったも同然だ。
 参考までに、これまでテーマにしてきたものを書き記しておこうと思う。
 木、みずうみ、日本海(夕日に照らしだされる人やモノ)、渡来仏(長崎県対馬のルポ)、朱鷺、カバ、だいこん(日本各地の大根文化)、夜、さくら、花、海(漁労を主に)、あおぞら、風、盆、正月、死生、などを同時進行で追っている。
 こんな御託を並べてみたのは、テーマを持つことの重要性を繰り返したかったからだ。あれやこれや、テーマを探しながら、唯一のものを早い時期に見つけることが、何より写真生活を豊かにする。もっと端的にいえば、上達が一段と加速する。