フィルムからデジタルへ移行の検証 2 (2005.1.17)


 2002年当時、私の写真趣味において、デジタルは副次的な使い方だけで、メインはフィルムだった。その理由と背景を以下のように書いている。記述は2002年12月28日。タイトルは「中心軸は何?」

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 デジタルの世界が「システマティックだ」というのは、今のデジタル画像処理は、すべてパソコンがないと成り立たないといっていい。最近はデジカメからダイレクトにプリントできる技術や規格が出てきたが、しょせん消費型写真処理の一手段に過ぎず、本格的に写真を趣味とするものにとっては、これはほとんど意味がない。(なぜならデジカメ画像をそのまま使えることが少ないから。これも詳細は別項で書く)
 パソコンがないと成り立たないのは、画像を保存したり修正(レタッチ)したり、プリントしたりすることなのだが、パソコンというこのシロモノが厄介のタネなのである。こんな不安定な家電機器はない。まあ、パソコンを家電機器と言っていいのかどうかという問題もあるが、いずれにせよ安心して使えるものではないということだけは確かである。システム会社でSEをやってる私が言うのだから間違いない。こんなトラブルメーカーの厄介者が手元にないと写真が楽しめないとは、いったいどういうことか。つまりデジタルをメインで写真を考えたとき、

写真趣味の中心軸が、カメラからパソコンへ移る

ということなのである。高価なデジカメ買って、高性能なプリンタを揃えても、パソコンが壊れたら何もできないのである。撮った画像、どこに保存しますか?メモリを買い足しますか? あるいは、パソコンもう1台買いますか?
ほら! もうパソコン中心の発想になってるでしょ。

 さらに、撮った画像はパソコンで管理するのだが(パソコン以外の実質的な管理手段が今のところない)これがまた厄介なのである。
 整理・保存方法を、かなりシステマティックに考えないと、そのうちにっちもさっちもいかなくなる。撮った画像を規則的な名前に変更し、規則的なフォルダに移動して、バックアップメディアに保存する。別にファイル名を変えなくてもいいのだけれど、デジカメが付番するファイル名のままでは管理をするうえで不便このうえない。この作業、どうも仕事の延長のようで、個人的には好きになれない。面倒くさいのではなく、趣味を楽しむという気分に浸れないのである。そう、パソコンを扱う(デジタルを扱う)というのは、かなり「仕事的な」要素が大きいのである。

 デジタルの世界が「システマティック」だというのは、このような理由からである。
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 ここではパソコンの脆弱性を強く説いている。当時使っていたパソコンはWindows98で、今思うとかなり不安定なOSだった。こんなふうに考えるのも無理ないと思う。その点、XPは完璧でないにしろ、かなり安定性が増した。実はデジタル切替のきっかけも、会社のパソコンがWindowsXPになり、その安定性を自ら体験したことが大きい。
 ファイル名の変更について、かなり主観的に述べているが、これも便利なソフトが出てきたことと、ある程度慣れたことにより全く気にならなくなった。
 ただ、作品づくりにおいて現状ではパソコンレスというのは難しい。よってパソコン等に投資が必要なことも相変わらずである。ただ、パソコンを単なる写真趣味を目的とするのではなく、こうやって文書を書いたり音楽を楽しんだり、クリエイティブツールと考えれば、投資についても多少は精神の安定に寄与する。

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