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稲盛和夫の思想を知るためのキーワード集
 
 <経営の心>
敬天愛人
経営理念
経営の原点12ケ条
心をベースとして経営する
公明正大に利益を追求する
原理原則を基準とする
お客様に喜んでいただく
ベクトルをそろえる
値決めが経営を左右する
未来進行形にとらえる
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する
動機善なりや、私心なかりしか
 
 
 <素晴らしい人生を送るために>
6つの精進
謙虚にして驕らず
自ら燃える
渦の中心で仕事をする
土俵の真ん中で相撲をとる
日々新たに創造する
大胆にして細心であれ
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
真剣勝負で生きる
足るを知る 
   
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 <経営の心>
敬天愛人
京セラの社是「敬天愛人」
 
常に公明正大謙虚な心で仕事にあたり
天を敬い 人を愛し 仕事を愛し
会社を愛し 国を愛する心
 
敬天愛人とは「西郷南洲翁遺訓」のなかにある言葉で、天は道理であり、道理を守ることが敬天である。また人は皆自分の同胞であり、仁の心をもって衆を愛することが愛人の意。
(『敬天愛人』より)
 
 
 
 
経営理念
京セラの経営理念
全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。
 
 
 
 
経営の原点12ケ条
1.事業の目的、意義を明確にする
公明正大で大義名分の高い目的を立てる
 
2.具体的な目標を立てる
立てた目標は常に社員と共有する
 
 
3.強烈な願望を心に抱く
目標の達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望をもつこと
 
 
4.誰にも負けない努力をする
地道な仕事を一歩一歩、堅実にたゆまぬ努力を
 
5.売上を最大限に、経費は最小限に
 
 
6.値決めは経営
値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である
 
 
7.経営は強い意志で決まる
経営には岩をも穿つ(うがつ)強い意志が必要
 
 
8.燃える闘魂
経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要
 
 
9.勇気をもって事に当たる
卑怯な振る舞いがあってはならない
 
 
10.常に創造的な仕事を行う
今日より明日、明日よりあさってと常に改良改善を絶え間なく続ける
創意工夫を重ねる
 
 
11.思いやりの心で誠実に
 
 
12.常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
 
 
 
 
心をベースとして経営する
 京セラの経営のベースとして、「人の心」というものが非常に強い規範になっています。創業当初、頼るべきものといっても、お金もありませんし、あるといえば私の持っているセラミックスの技術だけでした。その技術も日進月歩の技術革新の世界です。
 
 そのようななかで、私は一体何を頼りに経営していけばいいのか、確かなものとは何かを真剣に考えておりました。悩んだすえ「人の心」が一番大事ではないだろうかと考えました。
 
 歴史をひもといてみても、人の心というのは非常に移ろいやすく、頼りにならなくて不安定なものはないという事例をいくつも見出すことができます。しかし、同時に世の中でこれほど強固で頼りになるものもないという事例も数多く見出すことができるのです。私はそういう強くて頼りになる、物よりも何よりも頼りになる、人の心というものをベースにした経営をやって行くべきではないかと思ったのです。
 
 それでは、どうすればそういう強固で信頼のできる心というものを集めることができるのか。そのためには、中心になるべき経営者(私)が、まずそういう人々のすばらしい心が集まってきてもらえるようなすばらしい心を持たなければなりません。また、そういう心を一致団結させ、信じられる者どうしの集団にするには、経営者としてのわがままを自戒し、私心を捨ててこの集団のためなら生命をかけて尽くすというくらいの気持ちになって事にあたらなければならないと思っています。
 
(京セラ社史『果てしない未来への挑戦』より)
 
 
 
 
公明正大に利益を追求する
 経営者は、自分の企業、集団のために、利益を追求しなければなりません。
 
 これは決して恥ずべきことではありません。自由競争の原理が働いている市場において、堂々と商いをし、得た利益は正当なものです。厳しい価格競争の中で、合理化をし、付加価値を高める努力を払い、経営者とその集団が額に汗してかち取った利益ですから、堂々と得られてしかるべきです。
 
 しかし、利益を追求するあまり、人の道として恥ずべき手段をもって経営を行ってはなりません。公明正大に、仕事を通じて、製品を通じて、自分たちの努力の成果として、高い利益を得るという、正道を歩むべきです。
 
 人々の利益に反するような、卑劣な手段をもって、一攫千金を夢見るようなことがあってはなりません。石油ショックのころ、千載一遇とばかり、物を売り惜しみ、値をつり上げた企業がありました。しかし、今も成長発展を続ける企業の経営者に、あのとき我を忘れて、暴利をむさぼった者はいないはずです。もし、あったとすれば、その企業の余命はいくばくもないと私は思います。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
原理原則を基準とする
常に、原理原則を基準として判断し、行動しなければなりません。
 
 とかく陥りがちな、常識とか慣例などを例に引いた判断行動があってはなりません。常識や経験だけでは、新しいことに遭遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。
 
 かねてから原理原則に基づいた判断をしていれば、どんな局面でも迷うことはありません。
 
 原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人として正しいことを正しいままに貫いていこうということです。人としての道理に基づいた判断であれば、時間、空間を超えて、どんな環境でも通じていくものです。そのため、このような判断基準を常に持っている人は、未知の世界に飛び込んでも、決してうろたえたりはしないのです。
 
 新しい分野を切り開き、発展していくのは、豊富な経験を持っているからではありません。常識を備えているからでもありません。人間としての本質を見すえ、原理原則に基づいた判断をしているからです。
 
 
 
 
お客様に喜んでいただく
 企業が利益を追求する集団であることの意味をはき違え、自分たちだけが儲けんがため、という仕事の進め方をしているケースがあります。
 
 これは絶対にあってはならないことです。社外の客先は当然ながら、社内の部門間であっても、相手に喜んでいただくということが商いの基本です。
 
 私たちが納期に追われて一生懸命に働くのも、お客様が必要とされるときに品物を届けたいと思うからです。また、“手の切れるような製品”をつくらなければならないのも、お客様の要望に応えたいと思うからです。そして、お客様がさらに高い利益をあげられるように、新製品の開発を行わなければならないのです。全ては、お客様に喜んでいただくという一点から出ているのです。
 
 自分たちの利益のみを考えるケースが今非常に多いようですが、そのように自己中心的にものごとを考えている人には、ビジネスチャンスは訪れにくいものです。素晴らしいビジネスができる人とは、相手が儲かるようにしてあげる人です。これがビジネスチャンスをもたらし、ひいては自分の利益も生むのです。
 
 
 
 
ベクトルをそろえる
 人間は、個として生まれ、自由に生きているのですから、いろいろな発想をする人があってもいいと思います。組織においても、各人が全く自由な発想のもとに行動し、それでいて調和がとれているというのが、最高の姿だと思います。
 
 しかし、私の経験からすれば、これは理想であって、実際のところは力がそろわず、決してうまくいくことはありません。歴史を見ても、勝手な連中が集まって長く栄えた集団はありません。
 
 集団を構成する、個々の人々の志向が一致していないと、力が分散してしまい、大きな力を発揮し続けることができないからです。そのため、常に集団のベクトルをそろえておく必要があるのです。
 
 ベクトルをそろえるとは、考え方を共有していこうということです。人間として考え行動していくための、最もベーシックな哲学をともにし、それを座標軸に、各人が持てる個性を存分に発揮していこうということなのです。
 
 同好サークルならば、自由な発想と個性の発揮だけでいいでしょう。しかし、目的を持った集団(会社)であれば、価値観を共有してはじめて、達成への永続的、集中的な取り組みが可能となるのです。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
値決めが経営を左右する
 私は「値決めは経営だ」ということを言っています。
 
 値決めにあたっては、市場で競争するのですから、市場価格より若干安いという価格になるはずです。市場価格より大きく下げて利幅を少なくして大量に売るのか、それとも市場価格よりあまり下げないで利幅を多くして少量を売るのか、その価格設定は無段階でいくらでもあるはずです。
 
 つまり、量と利幅との積の極大値を求めるわけですが、これには様々なファクターが入り、簡単に解くことはできないのです。どれほどの利幅をとったときに、どれだけの量が売れるのかを予想するのは、非常に難しいものです。この値決めは、経営を大きく左右するだけに、私はトップ自らが行うべきものと考えています。
 
 そうすると、どの値をとるかということは、トップが持っている哲学に起因してきます。強引な人は、強引なところで値段を決めるし、気の弱い人は気の弱いところで値段を決めるでしょう。
 
 もし値決めによって会社の業績が悪くなるとすれば、それは経営者の器の問題であり、心の問題であり、経営者の持つ貧困な哲学のなせる業だと私は思います。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
未来進行形にとらえる
 私は、新たなテーマを選ぶとき、あえて自分の能力レベル以上のものを選びます。
 
 いわば、今どうあがいてもできそうもないテーマを選び、未来の一点で完成するということを決めてしまうのです。
 
 そのためには、新しいことに携わる者、あるいはリーダーは、自らの持つ能力、並びにグループの力を育成していく構想を持たなければなりません。
 
 つまり、目標となる未来のある一点にターゲットを合わせ、現在の自己およびグループの能力を、テーマに対応できるようになるまで高める方法を考えなければならないのです。
 
 今の能力をもって、できるできないを判断することは誰にでもできます。しかし、それでは新しいことなどやれるはずがありません。今できないものを、何としても成し遂げようとすることからしか、画期的な成果は生まれません。
 
 「自己の能力を未来進行形でとらえる」ことが、新しいことを成し遂げようとする人には要求されるのです。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する
 新製品開発、新技術開発など新しいことを進めて成功していくのは、まず構想を楽天的に描く人だろうと思います。
 
 つまり、何としてもやり遂げたいという夢と希望をもって、超楽観的に目標設定をすることが、新しいことに取り組むうえでは、最も大切なことなのです。
 
 自分で壁をつくってしまっては、夢みたいなことをやろうという気にはなりません。天は無限の可能性を与えているということを信じるのです。それには、「できるのだ」と繰り返し自らに言い聞かせ、自らを奮い立たせていかなければなりません。
 
 もちろん、計画の段階では、悲観的に構想を見つめ直す必要があります。悲観的とは、どのくらい難しいのかを慎重に、小心に考え尽くすことです。
 
 そして、この悲観的な要素に対する対策を練った上で、今度は楽観的に行動へ移るのです。実行段階でも悲観的に考えていたのでは、成功への果敢な行動などとれるはずがありません。
 
 新しいことを始めるには、このように頭を切り換えていくか、さもなければ、それぞれの段階に見合った人を配することが必要です。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
動機善なりや、私心なかりしか
 「動機善なりや」。私は、企業経営をする上で、こう自問することを常としています。
 
 それは、新しい事業に展開する場合などに、「動機善なりや」ということを自らに問うのです。何かをしようとする場合、自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。
 
 善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは、誰から見てもそうだということです。自分の利益、都合、格好などだけでものごとは全うできるものではありません。その動機が自他ともに受け入れられるものでなければならないのです。
 
 また、仕事を進めていくに当たって、「プロセス善なりや」ということをも問うています。結果を出すために不正な行為もいとわないということでは、いつかしっぺがえしを食らうことでしょう。実行していく過程も、人の道を外れるものであってはならないはずです。
 
 言い換えれば、「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。自分勝手な心、自己中心的な発想で事業を進めていないかを点検するのです。
 
 私は、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功すると固く信じています。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
 
 <素晴らしい人生を送るために>
6つの精進
1.誰にも負けない努力をする
 
2.謙虚にして驕らず
 
3.毎日の反省
(利己の反省及び利己の払拭)
 
4.生きていることに感謝する
(幸せを感じる心は“足を知る”心から生まれる)
 
5.善行、利他行を積む
 
6.感性的な悩みはしない
 
 
謙虚にして驕らず
 現在(1976年)、当社の株価はソニーをはるかに抜いて日本一の座にあります。一昨年には多国籍元年と銘うって国際化を進めてまいり、昨年はKIIサンディエゴ工場を新しく拡張しました。また本年は、1月に当社株式のADRの発行をいたしました。米国でまったく知名度もないのにかかわらず、すばらしい成功裡に終わりました。
 
 そういうすばらしい環境のもとで、本日、ここに創立満17周年記念式典を迎えたわけですが、私はちっとも気持ちは晴れないのです。すばらしい環境下にあり、また当社は過去に誰もが成し得なかった発展をしてまいりましたが、電子工業界というのは、非常に変化の激しい業界です。技術開発に若干の遅れをとっただけで、もう落伍者になってしまいます。現在我々がつくっている商品でも年々商品の寿命が短くなっておりますし、これらの商品の代わりに新しい製品を我々が次から次へと生み出していく力があるかというのが、当社の今後に課せられた問題であります。
 
 古くからよく言われておりますが、こういう絶頂期にあって、そのときにすでに滅びていく原因を我々の心の中に宿すと言われます。
 
 ことわざに「治に居て乱を忘れず」という言葉があります。つまり、平和で非常によく治まっているときに世の中が乱れるということを忘れてはならないと、いわゆる平和であるがゆえに、この繁栄のなかにあってこそ次の大きな困難に備えて心しなければならないと教えてくれております。
 
 また「驕る者久しからずや」ともい言われております。得意絶頂のときに驕る者は、たちまちにして亡びていきます。我々は常に謙虚にして驕らず、さらに努力をしつづけていこうと、申し上げているのです。私の心の中に、皆さんの心の中にいくらかでも驕る心があったならば、また過去に我々が払ってきた努力を惜しむような心が少しでも芽生えておるのならば、私は今後大変なことになっていくのではないかと思います。
 
 企業も人間の生命と同じように発展し、そして栄えていき、そして亡びていくのはもとよりです。決して、我々だけが最高の状態をいつまでも続けられるとは思いませんが、しかし我々が常に謙虚にして驕ることなく、過去に払ったと同じような、いやそれ以上の努力を払っていけば、少しでも我々の、この繁栄を残し、維持できるのではないかと思っております。
 
 私自身も心を引き締めて、今後の経営にあたっていきたいと思っております。
 
 
 
 
自ら燃える
 ものには、他からエネルギーを受けて燃えるものと、それでも燃えないものと、そして自分自身で燃えるものとがあります。
 
 つまり、火を近づけると燃え上がる可燃性のもの、火を近づけても燃えない不燃性のもの、自分で勝手に燃え上がる自燃性のものと、物質は三つに分かれるのではないかと思います。
 
 人間も同様です。ものごとを成そうとする人は、自ら燃える人でなければなりません。それは、熱意、情熱が、ものごとを成就していく基本となるからです。
 
 火を近づけても、エネルギーを与えても燃えない者、つまり多少能力はあったとしても、ニヒルで、少しの感受性も持たず、感動することができない人は、ものごとを成し遂げられない人です。せめて、燃えている者の周囲にいるときには、一緒に燃え上がってくれる人であってほしいと思います。
 
 しかし、我々にとって本当に必要な人は、自ら燃え上がる人です。さらに言うならば、自ら燃え上がり、そしてあり余ったエネルギーを他にも与えることのできる人こそが集団にとって必要なのです。
 
 
 
 
渦の中心で仕事をする
 自分一人では大した仕事はできません。上司、部下、同僚等、周囲にいる人たちと協力して進めていくのが仕事です
 ただし、自分から積極的に仕事を求めて、周囲の人たちが自然と協力してくれるような状態にしていかなければなりません。これが、“渦の中心で仕事をする”ということです。
 
 下手をすると、他の人が渦の中心にいて、自分はそのまわりを回るだけ、つまり協力させられるだけに終わる場合があります。
 
 会社の中には、“鳴門の渦潮”のように、あちらこちらに仕事の渦が巻いています。その周囲に漫然と漂っていると、たちまちに渦に巻き込まれてしまいます。
 
 自分が渦の中心にいて、周囲を巻き込んでいくような仕事の取り組み方をしなければ、仕事の喜びも、醍醐味も知ることはできないでしょう。
 
 自ら渦を巻き起こせるような、主体的で積極的な人材であるかどうか、これによって仕事の成果は言うに及ばず、人生の成果も左右されると私は思います。
 
 
 
 
土俵の真ん中で相撲をとる
 私はいつも「土俵の真ん中で相撲をとれ」と言っていますが、それは土俵の真ん中を土俵際だと思って行動しろという意味です。
 
 学生時代、皆さんも試験直前になって、あわてて一夜づけをした経験があると思います。そして間に合わず、破れかぶれで試験に臨んできた人も多いことでしょう。試験の日時は決まっているのですから、いい点を取りたいと思っているなら、早くから準備をしていればいいのに、多くの人はそうしようとはしないのです。
 
 また、相撲を見ていても、俵に足がかかると馬鹿力を発揮して、うっちゃりをする力士がいます。あのくらい馬鹿力が出るなら、土俵の真ん中で出せばいいのに、といつも私は思います。
 
 実は、人生も同じなのです。土俵の真ん中にいるときには、余裕があるから安心してしまい、行き詰まってからあわてるのです。
 
 常に余裕がないと考え、瀬戸際にまで追い詰められる前に力を振り絞るようにしなければなりません。また、土俵際つまり窮地に陥らなくても、リスクが想像でき、事前に手を打てるようでなければなりません。
 
 安全弁を置いた進め方をしなければ、人生も仕事も経営も決して安定したものとはなりえないのです。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
日々新たに創造する
 仕事に就いて、最初からいい仕事にめぐりあえるわけではありません。まずは、自分に与えられた仕事を、明るさと素直さを持ち続けながら、粘りに粘ってやり続けることが必要です。絶対にやめてはいけません。
 
 それは、苦労に苦労を重ねてただ一つのことを極めた人だけが、素晴らしい真理に触れることができるからです。
 
 しかし、最初に決まった仕事を、生涯の仕事としてただ辛抱すればいいというわけではありません。ひたむきに努めながらも、常にこれでいいのかということを考えるのです。決して、昨日と同じことを、同じ方法で、同じ発想でやってはいけません。
 
 小さなことでも、毎日これでいいのかということを反省し、改良するのです。あらゆるものに対して、「これでいいのか」という問いかけをするのです。これを長年繰り返しますと、素晴らしい進歩を遂げるはずです。基礎を教わったら、自分自身で工夫をしていく、これが創造です。
 
 日々新たな創造をしていくような人生でなければ、人間としての進歩もないし、魅力ある人にはなれないだろうと思います。
 
 
 
 
大胆にして細心であれ
 人間には、大きく分けて、緻密で繊細できちょうめんな内気な人と、豪快で大胆で外向的な人の二つのタイプがあります。私は、仕事をしていくには、この両面をあわせ持つことが必要だと考えています。
 
 テレビの時代劇を見ていると、着流しで、そのうえ酒まで食らっていながら、背後から忍び寄る敵の足音に気づいて、肩越しにバッサリと切る剣豪がいます。そんなシーンに私たちは喝采を送り、一見豪快に見える主人公の中に、一分のすきもない繊細な神経を見いだすのです。
 
 ただ単に大胆なだけでは、パーフェクトな仕事はできません。一方、繊細なだけでは、新しいことにチャレンジする勇気は生まれません。仕事をする場合、どうしても豪快さと緻密さという、二律背反するような性格を備え、局面によって使い分けられる人が必要です。私は、繊細でシャープな神経の持ち主が、場を踏むことによって、真の勇気を身につけていったときにはじめて、本物になると思っています。
 
 しかし、最初からそういう人が多くいるわけではありません。繊細な神経の持ち主は、積極的に機会と場を求め、勇気と大胆さを身につけていくことが必要です。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
 この公式は、平均的な能力しか持たない人間が偉大なことをなしうる方法はないだろうかという問いに、私が自らの体験を通じて答えたものです。
 
 能力とは、頭脳のみならず健康や運動神経も含みますが、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意志で決められます。この能力と熱意はそれぞれ〇点から一〇〇点まであり、それが積でかかると考えると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができるのです。
 
 そして、これに考え方が加わります。考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス一〇〇点からプラス一〇〇点まであります。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の結果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなります。
 
 素晴らしい考え方、つまり人生哲学を持つか持たないかで、人生は大きく変わってくるのです。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
真剣勝負で生きる
 私は、競馬、競輪の類は一切しません。人生という長丁場の舞台で、生きている毎日、いや瞬間瞬間が真剣勝負だと思っていますから、ギャンブルで勝った負けたには興味がないのです。
 
 そして、自ら望んで人生を賭けた大勝負をしていますから、仕事が楽しくて仕方がないのです。もし、やらされている仕事だったら、毎日がしんどくてたまらず、他に楽しみを求めたことでしょう。
 
 私は、まじめくさった聖人君子になれ、と皆さんに言うつもりはありません。また、遊びをするからだめな人間だと思うような、けちな料簡は持ち合わせていないつもりです。
 
 遊んでも一向に構いません。自分の人生にプラスになる遊びならいいのです。しかし、現実にはそれは難しいことです。また、いくら遊びと仕事を両立させているといっても、二またかけて立派な仕事ができるほど、人生や仕事は、簡単でも、甘いものでもありません。
 
 自分から仕事をする楽しみを見いだしていかなければ、遊びにおぼれて人生の本来の目的を見失ってしまう、ということだけは忘れてはなりません。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)
 
 
 
 
足るを知る 
 「足るを知る」という仏教の教えがある。人間の欲望にはきりがない。だから、その欲望を満たすことを考えても意味はない。現在の姿をあるがままに受け入れ、それを素直に感謝する。「これでもう十分じゃないか」「もうこれくらいでいいではないか」と欲望の肥大化を自ら否定する。こうして「足るを知る」なかに本当の幸福があるという教えである。私は、この教えのなかに地球環境問題を解決するためのヒントがあると思う。
 
 我々はいつまでも豊かさを追いつづけることはできない。永久に経済的な成長を続けることは、この地球上ではできないのである。日本は世界第2位の経済大国、大変富める国になった。だから「足るを知り」、現在の豊かさに感謝し、これ以上の物質的繁栄を追い求めることはもうやめるべきではないか。そのような考え方を持つべきときがきていると思う。
 
 私自身も1人の経済人として、環境問題を解決しながら、経済的成長を追い求めたいという気持ちはある。しかし、現在、環境の破壊も汚染もすでに限度を超えつつある。だから、私はせめて経済的な豊かさをすでに獲得している先進国の人々は、「足るを知る」という考え方をベースに経済社会のあり方を見直すべきだと思う。
 
(『心を高める、経営を伸ばす』より)