back】 

喫煙者を救え!
 http://www.letre.co.jp/%7Eiwaki/smokers/ 
 
<目次>
きっかけ
やめられない理由
なぜ煙なのか
吸う理由
タバコは嗜好品ではない
死の商人
私の方法
「当たり前」と「不思議」が入れ替わる
嫌煙運動について
喫煙者の皆さんへ
 








































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 
●はじめに
今さら強調するまでもないことだろうが、世間ではタバコの悪口が増加の一途である。タバコによる健康障害、環境汚染、副流煙、受動喫煙...。

喫煙コーナーや喫煙席はますます狭くなり、禁煙の場所はますます増え、タバコや喫煙者に対する攻撃が日増しに強くなってきている。喫煙者は、ますます卑屈になり、嫌煙者はますます増長し、互いに反目するその姿は、まるで宗教対立の様相を呈しているようにも見える。

しかし、この争いは、実は巧妙に仕掛けられた罠である。少なくとも私は、罠だと確信している。それを言いたくて、この文を書いた。 喫煙者も嫌煙者も、お互い無意味な争いはやめるべきである。敵は別の所にいる。喫煙者と嫌煙者には、共通の敵がいるのだ。その敵の姿をあばき、喫煙者を不当な差別から救いたい。

喫煙者を救え! 彼らは被害者である。 もちろん、嫌煙者も被害者である。しかしその加害者は喫煙者ではない。嫌煙者は喫煙者に被害を受けていると感じるかも知れないが、実は、喫煙者が一次の被害者であり、嫌煙者が感じている被害は、「二次災害」と呼ぶほうが適切である。

--------------------------------------------------------------------------------
●きっかけ
私がタバコをやめて、そろそろ半年になる。タバコをやめる遠因となったのは、そのまた半年ほど前に見た一つの雑誌記事である。残念ながら元の雑誌は捨ててしまったので、何という雑誌の何月号かはわからないのだが、その記事の内容は

喫煙者がタバコをやめられないのはニコチンの中毒になっているからだ

というものだった。当時私は一日20本の、まぁいわば平均的スモーカーだった。私は既に、タバコをやめられない原因がニコチン中毒であるということは理解していた。だからその雑誌記事は、既に知っていることの確認として読んだに過ぎない。その記事では、喫煙者がどうしてタバコをやめられないか、ニコチン中毒とはどういうものであるかが、科学的根拠を示しながらなかなか上手に説明されていたように記憶している。ところが、その記事を読み終えて、ふと、ある考えが頭をよぎったのである。

まてよ。こういうことが記事として成立するということは、ひょっとして、 ニコチン中毒だからやめられないのだ、という事実自体、実はあまり理解されていないっていうことじゃないのか。

この疑問が元で、後にタバコをやめることになるとは、その時は考えもしなかった。

--------------------------------------------------------------------------------
●やめられない理由
一般に、タバコをやめるのは難しいとされている。マーク・トウェインの「禁煙なんて簡単だ。私は何百回もやっている」というセリフは有名である。禁煙に失敗する理由について、一部の人は何とも恐ろしい誤解をしているらしい。タバコを吸うことによって得られる何かがあり、禁煙しようとしてもその「得られる何か」の誘惑に負けるからタバコをやめられない、という誤解である。これはとんでもない誤解だ。タバコをやめられないのは誘惑に負けるからではない。誘惑ではなく、「欲求」に負けるからである。体がタバコを欲しがる状態、この強い欲求、これこそが、タバコをやめることのできない本当の理由である。

この「体がタバコを欲しがる状態」という感覚を、喫煙習慣を持った経験のない方に理解してもらうのは難しいと思うが、それは同時に、それだけ誤解もされやすいということでもあるので、頑張って説明してみようと思う。

まず例として、「空腹」という状態を考えてみて欲しい。空腹とは「食事をしたい状態」である。空腹になると、腹部がなんとなく空虚な感じになり、臓器が音を発したりする。さらにそれを我慢していると、体力が落ち、全体的にやる気がなくなってくる。場合によっては体温が下がったりすることもある。

では次に「喉が渇いた」という状態を考えてみて欲しい。「喉が渇いた」とは「水分を飲みたい状態」である。自覚症状としては、喉のあたりが乾いたような感じになり、声を出しにくくなったりする。ちなみに、喉が渇いた状態というのは、普通は物理的に体が水分を欲している状態なのだが、まれに、心理的なことが原因で喉が渇くこともある。

さて、タバコである。喫煙者がタバコを何時間も吸わないと、「ニコチン渇望」という状態になる。「ニコチン渇望」は、「空腹」とか「喉が渇いた」とかと同様に、身体の状態の一つである。自覚症状は人によって若干違いがあるようであるが、私の場合で言うと「ニコチン渇望」になると、舌や軟口蓋に鉛が埋め込まれたかのように、口の奥の方が全体的に重い感じになり、口の中の空間がやたら狭く感じるようになる。他の感覚でこれに近いものを探すなら「喉が渇いた」が一番近いと言えるだろう。しかし、一番近いというだけで、やはり全然違うものである。私の場合の「ニコチン渇望」の自覚症状は、「空腹」と「喉が乾いた」の共通点を取り出して、強くしたような感じ、といったところである。

タバコを何時間も吸わないと、この「ニコチン渇望」の状態になり、タバコを吸いたくてたまらなくなる。ここで間違って欲しくないのだが、先ほど「舌や軟口蓋に鉛が埋め込まれた感じ」と書いたが、その不愉快な感じが吸いたい「理由」というわけではない。例えば、空腹の時は腹部に空虚感があるが、別に食べたい「理由」が腹部にあるわけではなく、あくまで空腹とは「全身の状態」であることはおわかりであろう。同様に、ニコチン渇望も全身の状態である。全身がニコチンを欲しがるのである。空腹の時に全身が食べ物を欲しくなるように、あるいは、喉が渇いたときに全身が水分を欲しくなるようにである。そこには理由や理屈はない。体の部位も関係ない。そこにあるのは「欲求」のみである。

タバコを吸いたいという欲求は、喫煙を中断して数時間で現れ、その後どんどん強くなる。3日程度でピークに達し、以降は下降を続けるものの、欲求はなかなかゼロにならない。その間のどこかの時点で禁煙者の精神力は限界に達し、タバコに火が付けられる。こうして禁煙は失敗する。おわかりだろうか。とても「誘惑」などというなまやさしい言葉で語れるものではないのである。

体内のニコチンが減ったときに「渇望」となる、これが「中毒」ということである。喫煙者はニコチン中毒であり、中毒だから渇望を感じ、渇望するから喫煙し、喫煙するから中毒状態が継続する。非喫煙者の中には、この「中毒」という実態を理解せず、喫煙者が自ら好んで喫煙を継続しているのだと誤解している人もいるようであるが、それは重大な誤りである。喫煙者は、中毒→渇望→喫煙→中毒という無限連鎖の奴隷になっているのである。

--------------------------------------------------------------------------------
●なぜ煙なのか
喫煙習慣の本質がニコチン中毒にあることはわかったとして、じゃぁなぜあんな、火をつけてその煙を吸い込むという、はた迷惑な方法が採られているのであろうか。その答えは、ニコチンの摂取スピードにある。

タバコに火を付けてから、ニコチンが脳に達して満足感をもたらすまで、どれくらい時間がかかるかご存じだろうか。

1分? 3分? 5分?

特別に知識のない非喫煙者なら、およそこれくらいの数字を出すのではないだろうか。

喫煙者のみなさん、いかがですか? タバコに火を付けて、一服めを吸い込んでから、その効果を感じるまでの時間はどれくらいですか?

そう、その時間は、なんとわずか数秒なのである。

煙を吸うというのはつまり、煙に含まれるニコチンを、肺から摂取する、ということである。人体の血流の経路をご記憶だろうか。

心臓→動脈→(全身)→静脈→心臓→肺動脈→肺→肺静脈→心臓

である。(全身)が最初と最後に来るように書き直すと、

(全身)→静脈→心臓→肺動脈→肺→肺静脈→心臓→動脈→(全身)

おわかりだろうか。脳は当然全身に含まれる。静脈からスタートすると、脳に至るまでに心臓を二回通るが、肺からスタートすると心臓は一回しか通らない。それだけ脳に近い、ということである。つまり、肺からの摂取は、何と静脈注射よりも早い効果をもたらすのである。

この、圧倒的な摂取スピード、これこそが喫煙が廃れない理由である。経口など、他のニコチン摂取手段が開発されたとしても(というか既に医療用には開発されているのだが)、その満足感は、スピードの点で「喫煙」にとても及ばないはずである。


--------------------------------------------------------------------------------
●吸う理由
喫煙欲求の本質は「ニコチン渇望」であるのだが、普段の喫煙習慣の場合には、自覚できるほどの強いニコチン渇望でなく、もっと弱い、本人も気づかない程度の弱い渇望が喫煙の理由になっている。そのため、喫煙行為は「不快感からの回復」ではなく、「快感の獲得」であると誤解している人が多い。特に喫煙者は、ほとんどの人がこの誤解をしているのだが、実はそれはむしろ当然である。喫煙習慣は、ニコチンへの肉体依存とタバコへの心理依存という両側面があり、喫煙を快感の獲得と誤解することと、タバコへ心理依存していることとは、ほぼイコールだからである。この依存の二面性については後述する。

ここで、私が考案した、「非喫煙者のための喫煙感覚疑似体験法」をご紹介しよう。この方法は、タバコを吸わない方にも喫煙の感覚をかなりリアルに理解していただける方法だと私は自負している。この方法では、脳が感じる「感覚の変化」を引き起こすのに、薬物の替わりに「物理的な力」を使う。喫煙者がこの方法を見たら、おそらく「全然違うよ」とバカになさることであろう。でも非喫煙者がこれを行った場合の感覚は、実際、喫煙した時の感覚にかなり近いのである。18年間喫煙していた私が言うのだから間違いない。こういう言い方をしては悪いが、この疑似体験法がかなりリアルであるという事実は「タバコを吸う人にはわからない」のである。

さて、方法はいたって簡単である。用意していただくのは普通のタオル。折りたたんだタオルで鼻と口を押さえたり離したりする、基本的にはこれだけである。まず、たたんだタオル(何重に畳むかはいろいろお試しあれ)で、鼻と口を押さえていただきたい。息が横から漏れないように。火災時の避難訓練で指導されるような、煙を吸い込まないように鼻と口を押さえる、あのイメージである。さらに、呼吸がややきつくなる程度に、少し強く押さえてみて欲しい。といっても、完全に息を止めないように、あくまで呼吸は可能な強さである。そして、強く押さえたまま大きく息を吸ったり吐いたりしてみて欲しい。当然、ちょっと苦しいはずである。これが「ニコチン渇望」の状態である。では、そのままタオル越しに大きく息を吐き、吐き切った瞬間にタオルを外し、そして、タオルが無い状態で空気を思いっきり吸ってみて欲しい。息を吸う時の気持ち良さを感じていただけただろうか。これが「喫煙の快感」である。「ニコチン渇望」と「息苦しい」は実は相当違うのだが、「タバコを吸った瞬間の満足感」と「呼吸が自由になったときの開放感」はわりと近いと思う。

もう一つこの実験で注目していただきたいのは、、あらかじめ呼吸に負荷を作ることで、「息を吸う」という普段行っている行動がとても気持ち良いこととして感じられるという点である。これは、喫煙での満足の得かたと同じ原理である。喫煙者は喫煙により、ある種の満足感を感じる。しかしそれは実は、あらかじめニコチン渇望によって弱い不快状態になっているのが、喫煙によって普通の状態になる、ということに過ぎない。では、次のようなことをイメージしながら、このタオルの実験を何度かやってみて欲しい。

タオルを取った直後の吸気は、息がおいしい感じがする。
タオルを取った直後の吸気で、目が覚める感じがする。
タオルを取った直後の吸気で、イライラが解消する感じがする。
タオルを取った直後の吸気で、感覚が鋭くなる感じがする。
いかがだろう。人にもよるだろうが、非喫煙者であれば、上記の4つとも「言われてみると確かにそうだ」とお感じになる方が多いと思う。上記のイメージは、おわかりの通り、喫煙の理由としてあげられる代表的なものと一致している。

もう少し理解を深めていただくために、このタオルの実験を発展させて、ちょっとしたSFにおつきあいいただきたい。

今はタオルを自分の手で鼻と口にあてていただいたが、これが自動的に鼻と口に押しつけられるような機械を想像していただくと、喫煙習慣のモデルができる。タオルを自動的に鼻と口に押しあてるような、頭部に固定された機械を想像していただきたい。タオルは機械の力により、鼻と口に押しあてられている。この機械の横の部分、耳の下あたりに(別に場所はどこでも良いのだが)温度センサーがついており、その温度センサーをライターでちょっとあぶってやると、その瞬間、顔のタオルがすっと離れ、呼吸が楽になる。顔から離れたタオルは、その位置から非常にゆっくりと顔に近づいて来て、1時間ほどで顔に触れ、やがて鼻と口に押しつけられて、最初の状態となる。

タオルが押しつけられている状態の時に温度センサーをあぶるとタオルが離れて開放感が得られる。タオルが離れている状態が実は普通の状態なのだが、普段からタオルを押しつけられる生活に慣れてしまっているため、何が普通の状態なのかわからなくなっており、タオルが離れて普通に呼吸することが、「気持ち良いこと」として感じられる。

そして実は、温度センサーで得たエネルギーが、この装置全体の硬度を保っている。したがってセンサーの加熱を行わなければ、装置全体がだんだんと軟化し、ついには変形させて装置を頭から取り外すことができる。しかしその際、加熱をやめてから装置全体が十分軟化するまでの間は、息苦しい状態に耐えなければならない。

これで、かなり的確に喫煙習慣がシミュレートされている。タオルによる息苦しさが「禁断症状」あるいは「ニコチン渇望」であり、センサーの加熱が「喫煙行為」である。そして、「喫煙行為」自体が、装置全体(喫煙習慣)の動力源となっている。

この「タオル押しあて装置」を装着された事態を想像してみて欲しい。タオルが一日中顔にあてられ、センサーの加熱によって顔からはずされる、これが何ヶ月、何年と続くとする。そうしたら誰だって、タオルがはずれる瞬間を「喜び」だと感じるようになるであろう。本来は、タオルが無い状態が当たり前の状態だったのだが、年月を経る間にそれを忘れて、タオルが無い状態が、何か「良いこと」のように感じるようになるに違いない。それと同様に、弱いニコチン渇望状態に何年も置かれていれば、喫煙によるニコチン補充を「喜び」だと感じてしまうし、ニコチン補充によって「良いこと」があるように錯覚するようになる。これが、喫煙者が「喫煙に利点がある」と誤解する原理である。

普通の社会人なら、タオルを顔にいつも押しあてられるのは理不尽なことだとわかる。普通の神経の持ち主なら、そんなことをされるいわれはない、と言って怒ってしまうに違いない。ニコチン渇望も同じはずである。本来なら、「こんな渇望感に悩まされるいわれはない」と怒って良いはずである。しかし、そうする喫煙者はいない。それがどんなに隷属的であろうと、怒ったって何も解決しないし、だいいちタバコに点火すれば渇望感は数秒で消えるのだから、何も問題はない、というのが喫煙者の心理である。


--------------------------------------------------------------------------------
●タバコは嗜好品ではない
タバコそのものについても誤解されていると感じることが多い。タバコについては、中毒性が不当に隠されて情報が流布されているのではないかと思う。例えば、タバコは普通嗜好品に分類されている。断言するが、タバコは断じて嗜好品ではない。タバコ(正確にはニコチン)は「依存性薬物」である。依存性薬物は、摂取が一度習慣化すると摂取を中断した時に禁断症状が起こるようになり、やめにくくなる。タバコはこの性質を満たす薬物である。

他に嗜好品に分類される依存性薬物に、酒(アルコール)やコーヒー(カフェイン)があるが、アルコールは「酔う」という効果、カフェインは「目が覚める」等の効果があり、また酒やコーヒーには「おいしさ」がある。「おいしい」というのは、味付けに使われる、ということである。「お酒の入った菓子」や「コーヒー味のケーキ」などがあるのは、お酒やコーヒーにある種の「おいしさ」があるからである。またお酒やコーヒーは、「摂取をやめなさい」と仮に医者に指示されれば、普通の人はやめることができる。ということは、依存性もかなり低い。だからこれらは「嗜好品」と言っても差し支えないと思う。

ところが一方、タバコは摂取したときの「効果」がほとんどゼロである。つまり、良い気持ちになったりとか幻覚を見たりとか、ハッピーな気分になったり目が覚めたりということが無い(「いや効果はある」と思っている方、それは「効果」ではなく、禁断症状の緩和が自覚されているだけである−−前述)。その上、味もまったくおいしくなく、味付けや香り付けには使えない。例えば仮に、タバコの香りのケーキを作ったとしても、ヘビースモーカーだってそんなものは食べたくないはずである。タバコは本質的に「まずい」ものなのである。また、「タバコをやめなさい」と医者に指示されてもやめられない人がたくさんいる。つまり依存性は非常に高い。こんなものは嗜好品とは言えない。

今、タバコは本質的に「まずい」と述べたが、実際はタバコを「おいしいから吸っている」と思っている喫煙者がいるようである。しかしそれは錯覚である。私はずいぶん前から、「タバコはまずい」ということに気がついていた。

愛煙家のあなた、「タバコはまずい」という私の意見に納得できないですか?

では「自分はタバコの味が好きだから吸っている」という方にお尋ねしよう。市販のタバコの中で、「まずい」と思う銘柄はありますか?

あるはずです。市販の全銘柄を「全ておいしい」と思う喫煙者はいません。はい、まずいと思う銘柄は見つかりましたね。その銘柄はあなたにとって、確実に「まずい」。では、明日突然、ほとんどの銘柄のタバコが発売中止になり、その「まずい」銘柄しか入手できなくなったとします。あなたはその銘柄は「まずい」から吸わないですか?つまり、まずいタバコしかない状態になれば、あなたはタバコをやめますか?

残念ながらあなたの答えはNOである。喫煙者は、どんなにまずい銘柄でもタバコであれば吸う。それは、求めているものが「マイルドセブン」でも「キャスターマイルド」でも「マールボロ」でもなく、実は「ニコチン」だからである。今は「まずい」と思う銘柄でも、吸い続ければ必ず慣れ、まずさを忘れてしまう。そもそも、どんな銘柄も、最初はまずいのである。生まれて初めてタバコを吸った時のことを覚えているだろうか。あの時はあんなにまずかったのに、今ではもうすっかり慣れてしまっているでしょう。

タバコはまったくおいしくない。効果も無い。しかし依存性は強い。タバコを吸うと、吸った時点では何も自覚効果がないが、ニコチンは肺から確実に吸収される。そして喫煙をやめると体内のニコチンは減少を始め、数時間も吸わないでいると弱い禁断症状がやってくる。しかしそれはあくまで弱い。どこも痛くも痒くもならず、寒くも暑くもならない。ただひたすら「タバコが欲しい」という感じがするだけである。TVドラマの麻薬中毒患者に見るような悲惨な禁断症状に比べれば、全く軽く、弱いものである。しかし、依存状態を保つのには十分な強さである。 このように、タバコは「依存性」という性質だけをピュアに持った、中毒になる以外は何の役にも立たない、無意味なドラッグである。 こんなつまらないものが、なぜこれほど広く出回っているのか。

この素朴な疑問。「依存性だけしかない」ものが、なぜ出回っているのか。タバコを 18年間吸い続けて、一度も考えなかった疑問。 この疑問に答えが出た瞬間、私はタバコをやめることを決意した。


--------------------------------------------------------------------------------
●死の商人
依存性だけしかない、つまらない薬物が、なぜこれほどに出回っているのか。依存性薬物が出回る理由は一つしかあり得ない。他の依存性薬物と比べて考えればおわかりだろう、そう、これを商売にしているやつがいる、ということである。

薬物の持つ恐ろしい依存性を不当に隠し、中毒患者が量産されるのを看過し、その患者達に薬物を売りつけて生計を立てている連中がいる。他にシノギのないヤクザがやることならいざ知らず、独占企業が、役所の認可を受けて、そういう汚い商売を堂々とやっている。しかも「嗜好品」だと触れ回っている。全く腹が立つ話である。この怒りこそが、私がタバコをやめる決意をした直接の理由である。ところで、日本においてタバコ事業の許認可を行う役所はどこだかご存じだろうか。厚生省ではない。農林水産省でもない。なんと大蔵省である。おそらく歴史的な理由で大蔵省なのだとは思うが、今は省庁再編だ行政改革だと盛んに言われる時代なのだから、タバコ事業の許認可を大蔵省がやっているのというのは、どうも胡散臭い、ぐらいは言っても良かろう。

2001年以降、厚生省は厚生労働省に、大蔵省は財務省になった。タバコ事業の許認可は財務省に引き継がれている。(2001.3.10補足)

さてこの汚い商売は、様々な迷信に支えられている。その迷信とは以下のような ものである。

タバコを吸うと気分が落ち着く
タバコをやめると強い禁断症状があらわれる
意志が強くないとタバコはやめられない
タバコをやめても「吸いたい」気持ちからは一生逃れられない
タバコは嗜好品であるから、吸うかどうかは本人の自由である
またまた断言してしまうが、これらは全て、嘘である。喫煙者でも非喫煙者でも、上記の迷信のうちのいくつかを信じている人は多かろう。そういう人達は、この汚い商売を助けるのに一役買っていることになる。上記の迷信は、「死の商人」が市場を確保するために流布しているプロパガンダである、と私は思う。上記の各文を、一つ一つ、もう一度じっくりと見て欲しい。どれも「タバコを売る」ための宣伝文句としてふさわしい。しかし、こんなものにだまされてはいけない。少なくともこれらは全て嘘であり、おそらくは宣伝用に流布されたデマである。まぁ流布されたデマであるかどうかはともかくとして、少なくとも嘘である。それだけは間違いない。タバコを18年間吸い、そしてやめた私が言うのだから、どうか信じて欲しい。

「あなたと私は違う、私は禁煙したときに強い禁断症状が出た」「以前禁煙しようとした時、吸いたい気持ちがいつまでも無くならず失敗した」といった反論をされる方もいるだろう。それも理解できる。仕方のないことである。だって、あなたは完全にだまされ、迷信を信じ切ってしまっているのだから。迷信を信じ切ってタバコを吸えば、気分が落ち着いたような気になるのである。タバコをやめられないと信じ切っていれば、絶対にやめられないのである。信じ切っている人にとっては、危機にあっては神風が吹くし、ネックレスをしているだけで病気が治るし、壺を持っているだけで幸運がやってくるし、存在しない禁断症状だって感じるのである。あなたは迷信を信じ込まされている。あなたはマインドコントロールされている、という言い方をしても良い。

実は私は5年前に一度、禁煙にチャレンジしたことがある。その時は強い禁断症状を自覚し、「吸いたい」気持がなかなか消えず、二週間で禁煙を断念してしまった。その時の私は、まだ迷信を信じていた、つまり、マインドコントロールが解けていない状態で禁煙しようとしたから失敗したのである。タバコをやめる前にあらかじめマインドコントロールを解くことさえできていれば、タバコは確実にやめることができるのである。今の私のように。


--------------------------------------------------------------------------------
●私の方法
私がタバコをやめるのに使ったメソッドは「ALLEN CARR'S EASY WAY TO STOP SMOKING」と言う(Webサイトもあるが、ものすごく重いページなので注意)。このメソッドは、日本に上陸して間もないので、まだあまり知られていないらしい。このメソッド名は同時に、メソッドを記述した本のタイトルでもある。この本の日本語訳が発売されており、それを読んで、それに従うことで、私はタバコをやめることができた。その本はこれである。

この文章を執筆した当時は日本ではまだ新しかったこのメソッドだが、それから4年を経過した現在では一般に広く知られるものとなり、もっとも有名なメソッドの一つとなっている。(2004.11.18補足)

「読むだけで絶対やめられる 禁煙セラピー」
アレン・カー 著 阪本章子 訳 KKロングセラーズ ISBN 4-8454-1163-6

これまでここに私が書いてきた主張は、私一人が考えたものではなく、この本の影響を強く受けている。というより、かなりの部分はこの本に書かれていることである。この後に続く部分も同様である。

これまで私は、この文を書くための資料用も含め、禁煙に関する書籍を何冊か入手したが、本当に禁煙を志すつもりなら、この「禁煙セラピー」以外はまったくおすすめできない。この本のメソッドは、態度や内容が他の禁煙メソッドの本と全く異なる。

例えば、この本は唯一、ニコチン製剤(ニコチンガムやニコチンパッチ)の使用を否定している。また、この本は唯一、タバコの健康被害でない話題から始まっている。この本にはタバコと健康との関係の話がほとんど出てこない。このメソッドは、アレン・カー氏という元ヘビースモーカーにより考案された方法であり、喫煙者の心理を実にうまく突いた記述に満ちあふれている。

この本のカバーには、下記のようなことが書かれている。

強い精神力は必要ない
禁断症状がない
太らない
代用品がいらない
ヘビースモーカーほど簡単にやめられる
この宣伝は正しいと思う。私の場合もほぼこの通りであった。タバコをやめようと考えている方は、ぜひこの本を買って、実践していただきたいと思う。また、家族や友人、恋人の喫煙をやめさせてあげたいと思っている方、この本を買って、できればまず自分で読んでから、プレゼントしてあげて欲しい。

このメソッドの実践方法もここでご紹介しようかと思ったのだが、こればかりはどうしても難しい。中途半端に紹介しては、せっかくのメソッドの効果が半減する。方法自体は、やはり本を直接お読みになったほうが良いと思う。だからここでは、このメソッドを実践する上で、私自身が気づいたことを二、三点補足するだけにとどめよう。

まず一つ気をつけなければならないことは、「柔軟な理解力が必要」ということである。自分にかかっているマインドコントロールを解くのだから、頭をうんと柔らかくして、気持ちを最大限に開く必要がある。これは実はなかなか難しい。

もう一つのポイントは、喫煙衝動の二つの原因、

ニコチン中毒
心理的な癖(本書中の言葉では「心理トリガー」)
の、違いの認識である。ここがおそらく、このメソッドの最大のつまづきポイントだと思う。というのは、喫煙している間はこれら二つの区別をするのはほとんど不可能なぐらい難しいからである。しかし、二つの違いがあるということを十分に学習してからタバコを実際にやめると、喫煙停止後に、「あ、今、本当にニコチン渇望だ」「あ、これは単に癖でタバコが吸いたい気がするだけだ」と、自分で区別できるようになる。喫煙を停止してからこの区別ができるようになるまでが勝負となる。この区別ができるようになれば、勝ちである。この区別さえできるようになれば、二度と、絶対にタバコを吸うことはあり得ない。

もう一つ、本書には書かれていないことだが、禁断症状への対処について述べておこう。ニコチンは依存性薬物だから禁断症状はある。私の場合、以下の禁断症状が出た。

目がチカチカする
頭がボーッとする
眠気
頭痛
しかしどれも大した症状ではない。普通の仕事なら問題なくできる程度である。二日酔いのほうがよっぽどつらい。しかし、症状が出ている間は寝ていられるなら、そのほうが楽である。禁断症状は、喫煙をやめて二〜三日目ぐらいがピークなので、例えば土日が休みという方なら、水曜日の夜か木曜日の午前中に喫煙を停止すると良いと思う。金曜日は少し眠くなるかも知れないがちょっと頑張って、続く土日を寝て過ごせば、以後は身体的な禁断症状は減少する一方だから、仕事等への影響を最小限にできる。


--------------------------------------------------------------------------------
●「当たり前」と「不思議」が入れ替わる
さて、こうして私はタバコをやめることに成功した。タバコをやめた理由が「怒り」に始まっていることは述べたが、実際にやめてみると、他にも、予想外の収穫があるものである。

顔色が良くなったとか、胃のむかつきに苦しめられることがなくなったとか、そういう、健康についての収穫もたしかにある。しかし、何と言ってもタバコをやめて得られた最大の収穫は、「タバコを我慢する必要がなくなった」ということである。おわかりだろうか。この文は、喫煙者が読むと変な感じがする表現かも知れないが、逆に、元からタバコを吸わない方には、この文のどこが変なのかわからないと思う。

タバコをやめたので、タバコを我慢する必要がなくなった

タバコをやめるというのは、タバコを我慢することではない。私がここまで意図的に「禁煙」という言葉を避けてきたのにお気づきだろうか。「禁煙」という言葉は、「喫煙者が喫煙習慣をやめること」という意味も確かにあるが、多くの場合はそうではなく、「ここで喫煙してはいけません」という意味で壁に貼られる言葉である。そこには「タバコを我慢する」というニュアンスが入っている。それは今の私にはあてはまらない。したがって私は「禁煙している」のではない。

私はタバコをやめたのである。私流に「禁煙」という言葉を定義させてもらうなら、喫煙者が一時的に喫煙を停止するのが「禁煙」である。私はもはや喫煙者ではなく、タバコをやめて既にノンスモーカーなのであるから、「禁煙した」という表現は不適切に思えてならない。「禁煙」とは、喫煙者に対して使う言葉であると思うし、「禁煙」を繰り返すだけでは、絶対にタバコをやめることはできない。なお、「タバコをやめる」という意味の的確な熟語が存在しないのも、私は何か陰謀的なものを感じてしまいそうになるが、まぁそれはさすがに無いであろう。

思えばしかし、以前はずいぶんみじめな生活をしていたものだ。喫煙時代は、よくよく考えてみれば、日常が我慢の連続であった。

家を出る前にタバコを吸い、外を歩く間は我慢する。
電車に乗る前に「喫煙コーナー」でタバコを吸い、電車に乗っている間は我慢する。
芝居を見る時もやる時も、開演直前にタバコを吸い、上演中は我慢する。終演後は直ちに吸う。
これでは日常生活のほとんどの時間が、タバコを吸っているか、タバコを我慢しているかのどちらかである。しばらく吸わないと吸いたくなって、吸えばその時は満足するが、吸ったことにより次にまた吸いたくなることが約束される、という悪循環である。なぜこんなアホらしいことに18年間も縛られ続けていたのか。しかも、なぜそのことに何の疑問も持たなかったのか。まったく不思議である。

夜中に帰宅して、タバコが尽きそうなことに突然気づいた時の恐怖。慌てて時計を見る。この時間ならまだ買えるか? いや自動販売機はもう「販売中止」だ。しかしあそこの店まで行けば店内で買えるか...非喫煙者の方、身近なスモーカーに聞いてみると良い。喫煙者なら誰でも、夜、自宅近辺のどこの店で、あるいは販売機で、何時までタバコを買えるかを正確に把握しているはずである。深夜にタバコが切れる時のあの怖さは、味わった者にしかわからない。マインドコントロール下で与えられる恐怖だから、それはそれはとてつもなく怖い。しかしその恐怖も、もう二度と味わわずにすむのだ。これは大きな収穫である。

そして私にとってはもう、その恐怖感は遠い記憶の彼方に去りつつある。もちろんそれで全くかまわないのだが、当時の気持ちを思い起こすと、私はできるだけ長い間、喫煙者の気持ちがわかる人間でいてあげたいと思う。


--------------------------------------------------------------------------------
●嫌煙運動について
今の時代、さすがに「嫌煙権」という言葉はほとんどの皆さんがご存じだと思う。 この「嫌煙権運動」(嫌煙運動とも言う)の主張を簡潔に言うと、

タバコを吸う人は、他の人の迷惑にならないように吸って下さい。 他の人に迷惑をかけなければ、タバコを吸うこと自体はかまいません。

ということである。おそらく、日本の非喫煙者のほとんどが、この嫌煙運動の考え方に同調すると思われる。しかし、私は違う。私は上記の考え方には反対である。だまされてはいけない。嫌煙運動のような考え方をすることは、「死の商人」の思うつぼである。

嫌煙運動は、タバコを吸うのは自由意志である、ということが前提になっている。 しかしそれは違う。喫煙習慣は自由意志ではない。

趣向を変えて、こんなたとえ話を作ってみた。

ある駅に列車が止まっていた。試しにみんなで車両の中に入ってみた。行き先はどこにも書いていない。何か面白いものがあるわけでもない。

一部の人は、すぐその場で降りた。残りの人は、どこに行くのか興味を持ち、そのまま降りなかった。気がつくと列車は動き始めていた。ゆっくりだが少しずつ加速している。いったいどこまで行くのだろう。列車はゆっくりと走り続け、いつまでたっても止まらない。扉は開いているから、いつでも飛び降りられる。でももう少しだけ、乗り続けてみよう。

そうしているうちに、列車の速度は加速し、今となっては、もうかなり速い。この速度で飛び降りたら怪我をしそうだ。もう飛び降りられない。こんなことなら、もっと速度が遅いときに飛び降りておくんだった...

この状態のとき、列車に「自由意志で乗っている」とは言わない。最初は自由意志が関与したかも知れないが、今はただ降りられないだけである。このたとえ話は、喫煙習慣を完全には説明していないが、あてはまる所もある。

ほとんどの成人は(ノンスモーカーでも)、いままで一口ぐらいはタバコを吸い込んだことはあると思う。最初の一口は誰にとっても「けむい」。そのけむさを受けて、続いてどういう行動をとるかが、喫煙者となるか非喫煙者のままで済むかの分かれ目となる。

ある人は、こんなけむたいもの、もう二度といらない、と思う。そういう人は非喫煙者となる。 しかし、別のある人は、 こんなにけむたいけど、いかにもおいしそうに吸っている人がいる、何か秘密があるに違いない という好奇心を持ってしまう。そして、「けむく感じないような吸い方」を研究し始めてしまう。この瞬間、喫煙者となることが確定する。タバコが仮に本当においしければ、そんな研究をすることも無いだろうに。タバコはその「けむさ」や「まずさ」が好奇心を呼び、好奇心からある一定量の摂取をし、一定量の摂取が依存症を生むのである。これは史上最強の罠である。タバコは、けむく、まずいからこそ、依存症になるのである。

おいしく感じるような「秘密」など、もちろん何もない。しかし、本人は何かあると信じて、二口、三口と吸ってしまう。そして、軽いめまいがしていることに気付く。喫煙習慣の初期だけに見られるニコチンの「効果」である。今までに体験したことのない、恣意的なめまいの体験。これで完全に喫煙者の仲間入りだ。あとは坂道を落ちるように、違う吸い方をしてみたり、別の銘柄を試したりしながら、知らず知らずのうちに体内のニコチン濃度をどんどん上げていく。もう抜けられない。このレベルで既に、やめようと思ってもかなり難しい段階まで中毒は進行している。本人はまだ好奇心のつもりでいても、中毒は確実に進行している。依存症を自覚して後悔するのは、ずーっと後のことである。

「死の商人」の策略は見事である。毒性や依存性についての情報を巧みに隠し、「リラックス」とか「味わい」とか「大人の嗜好品」といった誤った情報をリークし、新しい依存患者を確実に生み出していく。青少年向けの覚醒剤使用を防止するポスターはよく見かけるが、同枚数の喫煙を防止するポスターも作ってはどうか。たまに喫煙防止ポスターを見かけても、同じ薬物である覚醒剤に比べその記載内容はずっと甘く、まるで「アルコールと似たようなもの」という扱いである。なぜか。正しい情報を出し過ぎて新たな喫煙者が生まれてこなくなってしまうと、「死の商人」としては困るからである。こうして喫煙者は作られる。

タバコを吸うのが自由だなんて、とんでもない話である。覚醒剤中毒患者が覚醒剤を摂取するのは自由か? コカイン中毒患者は、他人に迷惑をかけなければ自由にコカインを吸っても良いのか?

喫煙者は病気である。病名は「ニコチン依存症」。その病人達を、喫煙所という場所に隔離し、「どうぞその中ではご自由に毒物を摂取して下さい」と言う。これが嫌煙運動というものの実態である。嫌煙運動家の人たち、あなたがたはタバコの毒性を主張し、受動喫煙の害を言う。それだけタバコの毒性を知っているということだ。それなのに、喫煙者に対しては「毒物の摂取は個人の自由だ」という言い方をするのか。

喫煙は本人の自由意志ではなく、薬物依存によるものである。いや、喫煙者自身に尋ねたら、「喫煙は自由意志だ」と誤った答えを言うかも知れない。それもやむを得ぬ。マインドコントロールされているのだから。薬物依存やマインドコントロールには、治療が必要なのである。その実態に目を向けなければならない。どうか、「毒物の摂取は個人の自由だ」などと言わないでいただきたい。そんな嫌煙運動は喫煙習慣を温存させ、「死の商人」の商売を助けるだけである。

嫌煙運動家の方たちにお願いする。喫煙者は病人なのだ。どうかいたわってあげてほしい。「喫煙者なら死んでもかまわぬ、本人が悪いのだ」と言う態度だけはやめて欲しい。「喫煙の問題はノンスモーカーには一切関係ない、とにかく迷惑だけはやめて欲しい」と言いたくなるのも理解はできる。そういう権利ももちろんある。でも、本当に無関係で済ませて良いことなのか?

では、同様に無関係と思われる薬害エイズの問題はどうだろうか?

オウム真理教の問題は?

増加する少年犯罪は?

その他の社会問題は?

これらをすべて、あなたには全く無関係だと言い切るのか? もし、これらの問題のどれか一つでも自分に引き寄せて考える余地があるなら、喫煙の問題も同様に考える余地をいただけないだろうか。


--------------------------------------------------------------------------------
●喫煙者の皆さんへ
あなたはタバコをやめたいですか?

ある統計によると、喫煙者の大部分は過去にタバコをやめようと試みたことがあり、また喫煙者の過半数は今現在タバコをやめたいと思っているそうです。タバコをやめるのは、もちろん酒やコーヒーをやめるほど簡単ではありません。しかし、世間で言われているほど難しくもありません。前述の通り、喫煙習慣は二つのことが原因となっています。一つは「ニコチン中毒」、もう一つは「心理的な癖」です。前者は、2〜3週間タバコを断てば完治します。しかし後者は、正しく治療しないといつまでも残ります。禁煙しようとして失敗するのは、大抵の場合、この「癖」の治療が不十分なためです。自分の癖を排除するのにはコツがいります。癖を直すには、それが癖であるということを自覚すればよいのです。一度正しい自覚を持てれば、その後は癖に引きずられることは無くなります。そして二度とタバコを吸わない、という確かな自信を持つことができるようになります。

私はタバコを吸わない人間になりました。しかし、タバコを「吸えない」人間になったわけではありません。非喫煙者は、タバコの煙を吸い込めば、むせたり、せき込んだりするでしょう。しかし、私は非喫煙者ではなく、元喫煙者です。ですから今でもおそらく、喫煙者と同様に上手にタバコを吸うことができると思います。でも、私はもはや、全然タバコを吸いたくなりませんし、試しに吸ってみようとも思いません。タバコを上手に吸えたからって、何の得にもならないし、全く無意味なことだからです。

やめたい人にも、やめたくない人にも、私が言いたいことは一つだけです。

あなたの喫煙習慣は自分の意志ではありません。 ニコチンの依存性は、薬物の中でもトップクラスです。そんな強い薬物を、自分の意志で摂取している人はいません。あなたは中毒患者であり、薬害の被害者なのです。

しかし、この大スキャンダルとも言うべき薬害は、残念ながらその産業規模があまりに巨大であるため、行政もおいそれと手が出せない状況にあります。タバコによる税収もバカになりません。タバコ産業は、言うなれば国家公認のドラッグ事業です。これをいきなり根絶してしまったら、景気にも影響するでしょうし、失業者も多く出ることでしょう。しかし、世界の麻薬産業がだんだんと規模縮小しているように、いつか、タバコ産業も、地球上からなくなるべきものであると私は思います。こんな産業が許されて良いはずはありません。

あなたがたのような病人の弱みにつけこむ、こんなあくどい商売を、絶対に認めるわけにはいかない、私はそう思います。