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「当たり前のことを当たり前にできない人が多い」 経営コンサルタント・堀紘一氏
〜PHP研究所 THE21・'97/12号 不況に克つビジネスの極意
 
<経済の成熟期には「大」と「小」が生き残る>
 今年に入ってから、東京・兜町では「株の二極化現象」という言葉が使われはじめました。株が二ケタ台の企業は、事実上の倒産企業ですからさておき、現在の東京株式市場をみると、百円台や二百円台に株価が急落する企業が続出する一方で、五千円以上という優良企業も少なからず存在するからです。なかには、ソニーやロームのように、五ケタ台の企業さえあります。
 自慢するわけではありませんが、私は十年以上前から、「二極化現象が起きる」と断言していました。バブル崩壊直後にも、「これからの時代は、勝ち組と負け組がはっきりしてくる」といいました。それがいま、奇しくも証明されたのです。しかし、私は経営学的にごく当たり前のことをいっていたに過ぎません。成熟社会になると企業はどうなるか―――という経営学の理論です。
 経済の成長期と成熟期では、企業社会の構造は大きく違います。たとえば、左ページの図のように「企業の規模」という概念を横軸に、「経常利益」を縦軸にとったグラフで考えてみましょう。単純にいえば、「経済の成長期には、企業の規模が大きいほど利益率が上がる」右肩上がりの直線になります。要するに、「大きいことはいいことだ」という図式です。
 ところが、「成長期になると、V字曲線を描く」ようになります。業界最大手やトップクラスの企業については、相変わらず利益率が高いのですが、準大手や中堅と呼ばれる企業は、利益率が大きく落ち込み、V字型の谷の部分(死の谷)に位置するようになります。そして、むしろブティック(特化型)経営をしているような中小企業の方が高い利益率をあげるのです。
 ここで、仮に利益率がゼロとなる線を横軸に引くと、不況になればなるほど、この「ゼロ線」の位置は上にいくことになります。つまり、ゼロ線より下に位置する企業はつねに中堅クラスの企業であり、赤字が続けば、吸収合併などで淘汰されてしまいます。かくして日本の産業界が成熟期に入るにしたがって、大きな企業と小さな企業への二極化が進んでいくのです。こうした「二極化現象」は、今後さらに顕著になってくるはずです。
 では、実際に元気のある企業と元気のない企業との違いはどこにあるのでしょうか。
 その最大の違いは、意志決定のメカニズムです。たとえば、ソニーでは、経営権限は社長が握っていますが、企業全体に関する問題は各事業部の長(同社はカンパニー制を採っているので、各カンパニーのプレジデント)が決定権をもっています。そのため、意思決定が迅速にできるのです。
 一方、元気のない企業では、管理部門が事業部門の交通費や交際費にまで口を挟んできます。しかも、「他の部署に比べて経費が多い」というヨコ比較と、「去年に比べて経費が多い」というタテ比較だけで文句をいいます。本来、経費を多く使おうと節約に努めようと、結果的にどれくらいの利益をあげられるかが経営なのです。ところが、元気のない企業では、管理部門に事業部門が牙をぬかれてしまい、プラス志向よりマイナス志向の空気が支配しているのです。
 
寿命を延ばすためには経営学の基本に忠実であれ
 
 意志決定に関わる人数が多い企業も、元気がありません。私は以前から、「これからの企業は役員の数を減らすべきだ。とくに、専務や常務なんて必要ない」と主張してきました。企業の組織は、(1)社長と(2)ごく少数の取締役、(3)事業部の長と(4)平社員の四つだけで構成すれば十分であり、それ以上あっても何のメリットにもなりません。意思決定に関わる人数が多いとほんとうに必要な議論よりも根回しのほうが重視され、時間がかかるだけだからです。
 その点、元気のいい企業は、意思決定がスムーズで速い。決済を得るためのハンコの数も少なければ、社内会議のも少ないのです。つまり、企業を活性化させるには、意思決定のメカニズムを簡素化して、各事業部に自治権を与えることが大切です。社長と事業部の長がいったん決定したら、平社員を信頼して任せればいいのです。そこに責任と自覚が生まれて、活気が出てきます。経費がどうのこうのと管理部門の細かいチェックばかりが先行する企業が”青菜に塩”になるのは、当然のことなのです。
 政府と規制によって業界が保護されていた時代は、それでもかまいませんでした。うるさいことをいいながらも、役所がすべて面倒をみてくれてましたから、経営者は何も考えなくてもすんだのです。その間、かなりおカネを貯めることはできましたが、企業が成長しつづけなければ、いずれ貯めたおカネはなくなります。
 たとえば、カルピスや養命酒、御幸毛織などは、三十年、四十年前は超優良企業でした。しかし、そのときの利益を人材の育成や新しい事業に使わなかったために、昔日の面影はどこにもみられなくなってしまいました。このように、経営者が金庫の上に寝ているのはまだマシなほうで、”バブル紳士たち”は、知恵がないうえに傲慢でした。「外国から学ぶものは何もない」と豪語し、国内外の不動産や印象派の名画などに大金を注ぎ込みました。要するに成金なのですが、成金はしょせん経営のプロではありません。
 ソニーにしても、ホンダやキヤノンにしても、いま成長している企業に共通していえるのは、まず第一に、バブル時代に財テクに走っていないこと、第二は、必死になって合理化やスリム化に努めて、巨大組織の弊害を取り除くことに力を入れてきたこと、そして第三に、研究開発に資金と人材を投入して、次の時代への布石を敷いてきたことです。
 結局、ごく当たり前のことを当たり前にやってきたのです。ビジネスの極意は何かといえば、「社長に専念して利益を追求しつづける」という経営学の基本を、どれだけ忠実に力強く実践できるかに尽きるでしょう。だがこれは、経営の達人にのみできることであり、素人芸が通用する世界ではありません。ビジネスには極意はあっても、秘策はないのです。その意味では、経営トップの資質こそが重要なのです。
 一般に企業の寿命は三十年といわれています。それを五十年、百年と生き延びさせるには、つねに自己改革をしなければなりません。そうした視点から現在の日本企業を分類すれば、四つのカテゴリーに分類されます。
 まず最初は、伝統的大企業。経営者がサラリーマンの雇われ社長であるケースが多く、何も決められなければ、人は斬らないし、痛みを伴うことはしません。したがって、こうした企業はすでに衰弱死しかけています。二番目は、経営者は創業者でないサラリーマン社長ですが、本音の実力主義経営をする企業。寿命が近づく前に大転換をするチャレンジ経営の企業ともいえます。
 第三は、戦後の焼け野原からスタートし、いまだに創業社長ががんばっている企業。大手スーパーなどに多く、トステムやセコムなどもこの部類に入ります。これらの企業は、家族経営を脱し、企業組織になってから約三十年、いまのところはワンマン経営ですから、意思決定も迅速ですが、そろそろ代替わりする時期になっており、これからが正念場といえるでしょう。
 いずれ、第一カテゴリーの企業と第三カテゴリーの企業の一部は消えることになり、産業界の活力が低下するでしょう。此の状況を救うのが第四のカテゴリー、すなわちベンチャー企業です。「企業の寿命は、たとえ三十年でもかまわない。とにかくチャレンジしよう」という若い力です。ベンチャーは玉石混淆で、いまのところ石コロのほうが多いようですが、大数の法則(確率論の基本法則)にもあるように、一定の比率でダイヤモンドが出てきます。
 アメリカでは、年間約百万社のベンチャー企業が出ているのに対し、日本は十数万社ほどです。やる気のある若い人には、どんどんチャレンジしてほしいと思います。幸い、今の日本は豊かですから、失敗しても食べていくことだけはできます。私自身、次の世代のビジネス・リーダーが登場することを願ってやみません。