back

 田坂 広志 なぜマネジメントが壁に突き当たるのか
http://events.nikkeibp.co.jp/skillupmail/
 
★21
┌─┐
│01│なぜマネジメントが壁に突き当たるのか - 成長するマネジャー 12の心得 -
└─┴───────────────────────────────────
 第21回 なぜ成功するマネジメントは「完璧主義」に見えるのか(その2)
     − 「細部」に宿る神
 
┌────────────────────────────────────┐
 成功するマネジャーは、意識的にも、無意識的にも、
 企業や市場という複雑系が、
「小さな変化が大きな変動を生み出す」という
性質を持っていることを知っています。
 言わば、これらのマネジャーは、あの言葉が真実であることを体得しているのです。
 
 神は細部に宿る。
 
 その言葉です。
 そして、それゆえ彼らは、
 「完璧主義者」と呼ばれるほどに「細部」にこだわるのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ こだわるべき「細部」
 
 それでは、これらのマネジャーは、すべての「細部」にこだわるのでしょうか。
 その答えは明らかです。
 もし、すべての「細部」にこだわるマネジャーがいたならば、
 彼は必ず、健康を損ねるか、寿命を縮めているのではないでしょうか。
 企業経営においても、映画作りにおいても、スポーツにおいても、
 マネジャーが行わなければならない仕事は無数にあり、
 それらの仕事の「細部」のすべてを一つひとつ「完璧」に成し遂げていったならば、
 時間と体がいくつあっても足りないからです。
 それゆえ、彼らは、
 仕事において、すべての「細部」にこだわっているわけではありません。
 それは絶対的に不可能なことでしょう。
 では、これらのマネジャーは、何をやっているのか。
 
 これらのマネジャーは、
 こだわるべき「細部」と、
 こだわらなくてもよい「細部」を明確に区別しているのです。
 
 複雑系の言葉で表現すれば、
 「大きな変動」につながる可能性のある「小さな変化」と、
 「大きな変動」につながる可能性のない「小さな変化」を見分けているのです。
 それは、意味のある「ゆらぎ」と、
 意味のない「ゆらぎ」を見分けていると言ってもよいでしょう。
 
 しかし、そのために彼らが用いているのは、決して分析力や推理力ではありません。
 彼らが用いているのは、やはり直観力や洞察力、さらには大局観なのです。
 彼らは、そうした力量を用いて、
 企業や市場の持つ極めて複雑な循環構造を全体的に見つめ、
 そこに生まれる可能性のある自己加速性を深く感じとっているのです。
 「天使のサイクル」や「悪魔のサイクル」を感じとっているのです。
 
 すなわち、彼らが「完璧主義者」と呼ばれ、「細部」にこだわり続けるのは、
 彼らが「完壁を求める執着」を強く持つからではありません。
 
 それは、彼らが「直観に導かれるこだわり」を強く持つからこそ示す姿なのです。
 
 彼らの耳には、
 「この部分だけは、おろそかにせず、細心の配慮で手を打っておいたほうがよい」
 という「声なき声」が聞こえるのです。
 そして、彼らは、その直観の声に従うだけなのです。
 
 さて、このような「細部に宿る神」を知るためにも、
 やはり、マネジャーには直観力や洞察力が求められるのですが、
 ここではさらに深く、こうした直観力や洞察力の背景にある
 人間心理の問題に触れておきましょう。
 
 ■ 細やかな「気配り」
 
 不思議なことに「あの人は完璧主義者だ」と評されるマネジャーに、
 「あの人は気配りの細やかな人だ」との評価を得る人物が多いのです。
 それはなぜなのでしょうか。
 それは、そのマネジャーが、
 人間関係にも「完璧」を期そうとしている姿では決してありません。
 
 彼らに与えられる「気配りの細やかな人」という評価は、
 人間や人間集団の「こころの流れ」を読む力が優れていることを
 意味しているのです。
 
 そして、この能力はマネジャーにとって最も大切な能力に他ならないのです。
 なぜならば、マネジャーは、企業という高度な複雑系において
 「最も高度な複雑系」に処することが求められるからです。
 それは、どのような複雑系でしょうか。
 
 職場の「こころの生態系」です。
 
 この「こころの生態系」とは、
 職場のメンバー一人ひとりの「こころ」が集まって、
 互いに結びつき、互いに影響を与えあいながら変化していく
 一種の「生態系」(eco-system)のことです。
 そして、この「こころの生態系」とは、
 企業、市場、社会の根底に存在する、ある意味で最も高度な複雑系であり、
 それゆえ、その中において「神は細部に宿る」という言葉が
 最も深い真実となるのです。
 すなわち、この「こころの生態系」においては、
 そこに生じる「小さな変化」が、
 極めて「大きな変動」を生み出してしまうのです。
 そのことは、熟練のマネジャーならば、
 誰もが経験的に知っていることでしょう。
 
 例えば、マネジャーが何気なく語ったほんの些細な一言が、
 職場に小さな波紋を生み出し、それが組織全体に大きく広がり、
 結果としてマネジメントに甚大な影響を与えることは、
 しばしば観察される出来事ではないでしょうか。
 
 従って、熟練のマネジャーは、
 こうした最も高度な複雑系としての「こころの生態系」の性質を、
 意識的にも、無意識的にも熟知しているのです。
 そして、この「こころの生態系」において、
 「天使のサイクル」を巡らせるために何が必要かを熟知しているのです。
 それゆえ、こうした熟練のマネジャーは、
 「言葉」の使い方が極めて細やかです。
 そして、「言葉」に「思い」を込めることの大切さを知っています。
 
 また、こうした熟練のマネジャーは、
 組織の中の「キーパーソン」を見抜く直観力に優れています。
 そして、そのキーパーソンの意識が高まることにより、
 組織全体の意識が急速に活性化することを知っているのです。
 しかし、この場合、キーパーソンとは、
 必ずしも言動が派手なメンバーや、
 行動的で活発なメンバーとは限りません。
 キーパーソンとは、
 あくまでも職場の「こころの生態系」において影響力のあるメンバーです。
 例えば、見た目に地味なメンバーであっても、
 周囲が信頼を寄せているメンバーや、言動に重みがあるメンバーは、
 職場の「こころの生態系」に深い影響を持っています。
 
 そして、こうした「完璧主義者」のマネジャーは、当然のことながら、
 メンバー一人ひとりに対するアドバイスも細やかです。
 
 しかし、誤解してはなりません。
 「細やか」であるという意味は、
 「細かい」という意味ではないのです。
 熟練のマネジャーが示す「完璧主義」とは、
 あくまでも直観力や洞察力にもとづく「細やかさ」に他なりません。
 しかし、そうした直観力や洞察力を持たず、
 ただ「細かさ」だけに目を奪われるとき、
 マネジャーは「瑣末主義」に陥るのです。
 だからこそ、我々マネジャーは、
 「細やか」であるということと、
 「細かい」ということの違いを理解しなければなりません。
 そのことを考えるために、次回一つの例を取り上げましょう。
 
 
★22
第22回 なぜ成功するマネジメントは「完璧主義」に見えるのか(その3)
     − 「細部」に宿る神
 
┌────────────────────────────────────┐
 熟練のマネジャーが示す「完璧主義」とは、
 あくまでも直観力や洞察力にもとづく「細やかさ」に他なりません。
 
 しかし、そうした直観力や洞察力を持たず、
 ただ「細かさ」だけに目を奪われるとき、
 マネジャーは「瑣末主義」に陥るのです。
 だからこそ、我々マネジャーは、
 「細やか」であるということと、
 「細かい」ということの違いを理解しなければなりません。
 
 そのことを考えるために、一つの例を取り上げましょう。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「細やか」と「細かい」の違い
 
 1997年度のプロ野球日本一に輝いたヤクルトの野村監督のエピソードです。
 日本シリーズが終わった後のテレビのスポーツ番組で、
 野村監督は、キャスターの質問を受けました。
 その質問は、当然ながらヤクルト優勝の勝因についてのものでした。
 
 「監督。やはり勝因は、『データ重視の野球』にあるのでしょうね」
 
 この質問に対して野村監督は憮然として答えました。
 
 「データ重視の野球ならば、いまどき、どのチームでもやっています。
  肝心なことは、その膨大なデータの中から、
  試合に勝つための大切なポイントを掴み取り、
  それぞれの選手に合わせて、分かりやすく簡潔に教えてあげることです。」
 
 このエピソードから我々マネジャーが学ぶべきは、
 仏教で言う「対機説法」の重要性です。
 選手一人ひとりに適切なアドバイスをするということは、
 相手の「機」に応じてアドバイスをするということに他ならないからです。
 それが、「細やか」なアドバイスという意味です。
 それは、ただ「細かい」アドバイスを数多くすることではありません。
 そのアドバイスは、相手の「機」に応じたものならば、
 たった一つでもよいのです。
 
 しかし、それは、言葉にすることは簡単ですが、
 実際にそれを行おうとすると、極めて難しいのです。
 なぜならば、そうした「細やか」なアドバイスをするためには、
 メンバーの力量や性格をどこまで深く理解しているか、
 そのアドバイスを行う瞬間のメンバーの状況や気持ちを
 どこまで深く理解しているかが問われるからです。
 
 我々マネジャーが、日々処する「こころの生態系」とは、
 極めて高度な複雑系です。
 それゆえ、「こころの生態系」のマネジメントにおいては、
 極めて高度な直観力や洞察力が求められるのです。
 しかし、そうした高度な力量を発揮するためには、
 我々マネジャーに、深く問われることがあります。
 
 「部下のこころを理解しているか」
 「人間のこころというものを理解しているか」
 
 そのことが、深く問われるのです。
 
 そして、そのことに気づくとき、我々マネジャーは、
 「人間学」や「人間通」ということの真の意味を理解し始めるのです。
 
 
★23
┌─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐ ────────── 2004-11-11 No.85 ─
│N│i│k│k│e│i│B│P│
└─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┘     N i k k e i B P E v e n t s
  │E│v│e│n│t│s│        ス キ ル ア ッ プ メ ー ル
  └─┴─┴─┴─┴─┴─┘ ────── http://events.nikkeibp.co.jp/ ─
 
┌── I N D E X ─────────────────────────────
├─┐
│01│(連載)なぜマネジメントが壁に突き当たるのか
├─┤
│02│集合研修クリックランキング
├─┤
│03│ついにリリース!PostgreSQL技術者認定制度(ピアソンVUE提供)
├─┤
│04│講座主催者別人気講座ベスト3
├─┤
│05│お役立ちビジネス講座
├─┤
│06│トレーニングスクール紹介ページのお知らせ
├─┤
│07│キャンペーン/試験情報
├─┘
│※講座情報などは、最新の情報を掲載するようにしておりますが、
│ 実際に、お申し込みの際は、講座主催者のホームページで詳細をご確認下さい。
│※NikkeiBP Eventsスキルアップメールは、等幅フォントでご覧ください。
└─────────────────────────────────────
 
----------------------------------------------------------------------PR----
  ダ┃イ┃ヤ┃ル┃ア┃ッ┃プ┃無┃制┃限┃月┃額┃1┃0┃0┃円┃
  ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛
フレッツ・ADSL12Mbps 月額1,000円 ★ Bフレッツ100Mbps 月額2,000円
   【格安】プロバイダ誕生!⇒ http://acnw.jp/VCoG/cMtK/
 
----------------------------------------------------------------------------
┏━ 上司も納得!ストリーミング導入ガイド・無料小冊子進呈中 ━━━━
┃   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┃ ■「ストリーミングを導入したいけど、社内の説得が難しい‥‥」
┃ ■ そんなご担当者様のために、稟議書に便利な数値データを満載!
┗━━━━━━━> http://acnw.jp/MU0Q/DQwM/
----------------------------------------------------------------------PR----
 
┌─┐
│01│なぜマネジメントが壁に突き当たるのか − 成長するマネジャー 12の心得 −
└─┴───────────────────────────────────
 第23回 なぜ「成功者」を模倣することができないのか(その1)
     − 「バランス」という奥義
 
 ■ 余人をもって代えがたい人材
 
 皆さんの職場には、「余人をもって代えがたい」という人材がいるでしょうか。
 
 例えば、仕事のできる個性的な営業マネジャーです。
 彼を見ていると、営業を心から楽しんでいるように見えます。
 なぜならば、顧客との折衝も特に気を使っている風でもなく、
 横で見ていると、顧客に対してもかなり率直に意見を言っています。
 それでいて、決して顧客から嫌われているわけではない。
 むしろ、顧客から好かれ、うまく商談がまとまっていくのです。
 皆さんの職場に、こうした個性的な営業マネジャーはいないでしょうか。
 
 しかし、不思議なことがあります。
 このマネジャーの個性的な営業スタイルに感心し、影響を受けた部下が、
 彼のスタイルを真似しようとすると、決してうまくいかないのです。
 表面的なスタイルは真似できるのですが、何かが違ってしまうのです。
 
 例えば、彼のスタイルを真似して、顧客に対して率直に意見を言うと、
 なぜか、顧客から疎まれてしまい、商談を逸してしまう結果となるのです。
 
 企業には、必ず、こうした「余人をもって代えがたい」という人材がいます。
 他の人間がそれを真似しようとしても決して真似できない、
 個性的な「何か」を持った人材です。
 言葉を換えれば、「個性的な成功者」とでも呼ぶべき人材がいるのです。
 しかし、このような人材を見ていると、誰しも、次のような疑問を抱きます。
 
 なぜ、「成功者」を模倣することができないのか。
 
 ここでは、そのことを考えてみるために、一つのエピソードを紹介しましょう。
 
 ■ 「普遍的な成功方法」の幻想
 
 かつて、プロ野球において「安打製造機」という異名をとった打撃の名手、
 張本勲選手のところに、ある若手選手が相談に来ました。
 
 「張本さん。理想のバッティング・フォームについて
  教えて頂きたいのですが」
 
 この若手選手の質問に対して、張本選手は、こう答えました。
 
 「理想のバッティング・フォーム?
  もし、君がそれを知りたいのならば、一晩中、素振りをしなさい。
  一晩中素振りをし続けて、疲れ果てたときに出てくるフォーム。
  それが、君にとって一番無理のない理想のフォームだよ」
 
 これは、ビジネスとは異なったスポーツの世界の話ですが、
 学ぶべき大切なことが語られています。
 我々マネジャーが、このエピソードから学ぶべきことは、二つあります。
 
 一つは、「普遍的な成功方法は存在しない」ということです。
 
 これは、「普遍的な成功法則は存在しない」ということと
 言い換えてもよいでしょう。
 
 なぜならば、「成功」とは常に「個性的」なものだからです。
 
 正確に言えば、「成功」というものに、もし「奥義」があるとすれば、
 それは「バランス」だからです。
 そして、そのバランスとは、
 一人ひとりの能力と個性によって異なるからです。
 それが、先ほどのエピソードに紹介した営業マネジャーの仕事のスタイルを、
 部下が真似できない最も深い理由なのです。
 
 たしかに、この営業マネジャーは、顧客に対して率直に意見を言いながらも、
 なぜか、顧客から嫌われません。
 そればかりか、顧客の側も彼に対して率直に意見を言い、
 むしろ彼に対して好感を持っているのです。
 しかし、この営業マネジャーを良く見ていると、
 彼は、そうした率直な物言いの営業スタイルの一方で、
 実は、無類の可愛気があり、
 また、肝心のところで礼儀を失しない配慮や、
 客の顔を立てる気配りなどがあるのです。
 そして、こうした能力によって、まさにバランスを取っているのです。
 
 従って、「率直に意見を言う」というスタイルの陰に隠れた
 彼のそうした能力に気がつかず、そのバランスの妙を理解することなく、
 ただ表面的に彼の営業スタイルだけを真似しようとしても、
 決して成功しないのは当然なのです。
 
 特に、まだ人間の力量を深く見つめる目のない若手社員が、
 こうした「成功者」を模倣しようとすると、
 必ずと言ってよいほど失敗します。
 
 なぜならば、仕事のできるビジネスマンには、
 「クセ」のある人材が多いからです。
 
 そして、若手社員は、その「クセ」に幻惑され、
 その「クセ」が成功の秘訣であると錯覚し、
 それを表面的に真似しようとするからです。
 しかし、それでは決してうまくいきません。
 
 従って、こうしたとき、このような若手社員に対して、
 熟練のマネジャーがするアドバイスがあります。
 それが、我々がしばしば耳にする、あの言葉です。
 
 「あのスタイルは彼だから成功する。
  あのスタイルを他の人間がやっても毒になる」
 
 その警句です。
 
 ■ 「バランス」という奥義
 
 さて、もう一度、大切なことを繰り返しましょう。
 
 「成功者」は、一つや二つの「秘訣」によって成功しているわけではありません。
 
 何よりも、そのことを理解すべきでしょう。
 「成功者」は、様々な能力のバランスが良いことによって成功しているのです。
 そして、このバランスとは、一人ひとりにとって
 極めて「個性的」なものなのです。
 
 例えば、人一倍相手に対して細やかな気配りができるからこそ、
 人一倍相手に対して率直に物が言えるのです。
 後者だけが勝った状態は、バランスが崩れた状態であり、
 必ず失敗が待ち受けています。
 
 そして、このバランスは、その人の能力と個性によって決まるのです。
 
 もし、十分な気配りができない不器用なタイプの営業担当者であれば、
 率直に意見を言うスタイルよりも、
 礼儀正しさに徹することが優れたバランスを生み出すかもしれないのです。
 また、「話し下手」の営業担当者は、
 表面的なテクニックを磨いて「話し上手」を目指すよりも、
 「言葉の重み」を身につけることによってバランスを
 取るべきかもしれないのです。
 
 このように、必ず、
 その人それぞれの能力と個性に合った
 バランスというものが存在するのです。
 そして、「成功」というものに、
 もし「秘訣」や「奥義」というものがあるとすれば、
 それは、何よりも、
 自分の能力と個性に合ったバランスを見出すことに他ならないのです。
 そして、このことが、張本選手が語った
 「それが、君にとって一番無理のない理想のフォームだよ」という言葉の中の
 「君にとって」の意味なのでしょう。
 
 
★24 第24回 なぜ「成功者」を模倣することができないのか(その2)
     − 「バランス」という奥義
 
┌────────────────────────────────────┐
 「成功者」は、一つや二つの「秘訣」によって成功しているわけではありません。
 その人それぞれの能力と個性に合ったバランスというものが存在するのです。
 そして、「成功」というものに、
 もし「秘訣」や「奥義」というものがあるとすれば、
 それは、何よりも、
 自分の能力と個性に合ったバランスを見出すことに他ならないのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 成功原因の単純化
 
 さて、このことを理解するならば、
 世の中で「成功方法」や「成功法則」というものが
 しばしばブームを呼ぶにもかかわらず、
 なぜ、数多くの成功例が出てこないかの理由が分かります。
 
 例えば、書店には、
 『○○成功の方法』や『××成功の法則』といったタイトルの書籍が
 溢れています。
 一般に、こうした書籍は、人々が注目する「成功者」や「成功事例」を取り上げ、
 「成功方法」や「成功法則」を分析して解説する書籍です。
 しかし、率直に言って、
 こうした「成功方法」や「成功法則」は、あまり参考になりません。
 なぜならば、こうした書籍の前提には、
 「成功のための普遍的な方法や法則が存在する」という幻想があるからです。
 そして、「成功の普遍的な方法や法則を見極め、
 その方法を実行し、その法則を活用すれば、誰でも成功が得られる」
 という錯覚があるからです。
 
 しかし、こうした
 「成功するための方法」や「成功するための法則」という議論には、
 二つの過ちがあります。
 その一つはすでに述べました。
 
 それは「成功原因の単純化」という過ちです。
 
 すなわち、「成功するため方法」という議論は、
 成功者を分析し、成功のための方法を学び取り、
 その方法を真似することによって成功しようと考えるわけですが、
 そもそも成功者とは、
 一つや二つの原因によって成功しているわけではないのです。
 
 しかし、それにもかかわらず、
 こうした「成功するための方法」や「成功するための法則」の議論においては、
 しばしば「成功原因の単純化」が行われてしまうのです。
 いわく
 「あの人は、○○という方法で成功した」
 「あの企業は、××という方法で成功した」という議論です。
 実は、ビジネス社会に溢れる
 「成功するマネジャーは○○がうまい」
 「××企業の躍進の秘密」といった議論の多くが、
 こうした「成功原因の単純化」の過ちに陥っているのです。
 
 ■ 成功原因と成功結果の混同
 
 そして、「成功のための方法」や「成功のための法則」という議論が陥りがちな、
 もう一つの過ちがあります。
 
 それは、「成功原因と成功結果の混同」という過ちです。
 
 要するに、成功の「原因」と「結果」を混同してしまい、
 「結果」を「原因」であると考えてしまうのです。
 
 一つの例を挙げましょう。
 例えば、不世出のホームラン打者、王貞治のバッティング・フォームです。
 「一本足打法」と呼ばれた彼の打撃スタイルはよく知られていますが、
 しばしば、「王選手は、一本足打法によってホームラン王になった」
 という議論を耳にします。
 しかし、正確に言えば、一本足打法は王選手が成功した「原因」ではありません。
 それは、「結果」なのです。
 
 「投手から投げられた球をフェンスの向うまで打ち返す」ということをめざして、
 血の滲むような修練を究めた結果が、あの一本足打法であったに過ぎないのです。
 そして、その打法は、人並み外れて強靱な下半身や、卓抜な選球眼、
 さらには高度な集中力など、
 王貞治選手の数々の優れた個性的能力が結びついて生み出した
 総合的な「結果」に他ならないのです。
 従って、このことを理解しない者が、
 王選手の「一本足打法」だけをどれほど正確に真似してみても、
 ホームランを打つことは決してできません。
 
 そして、このような、
 「成功の原因」と「成功の結果」を混同する議論が、
 マネジメントの世界には溢れています。
 かつての京セラの「アメーバ経営」でも、ソニーの「カンパニー制」でも、
 世の中がその企業の成功に注目すると、
 その成功の原因を探り、それを模倣することによって、
 同様の成功を収めたいという気分がビジネス界に蔓延するのです。
 
 しかし、これらの成功企業にとって、こうした方式や制度は、
 その企業の文化や人材や業務に適した方式や制度を模索した
 「結果」に過ぎないのです。
 しかし、ビジネスの世界においては、
 先に述べた「成功原因の単純化」の過ちとともに、
 こうした「成功原因と成功結果の混同」の過ちもまた、
 一種のブームとして繰り返されてきました。
 そして、そのブームの背景に、
 「成功のための方法」や「成功のための法則」というものを手軽に求める、
 我々ビジネスマンの精神の安易さがあることは、
 深く自戒すべきでしょう。
 
 
★25
 第25回 なぜ「成功者」を模倣することができないのか(その3)
     − 「バランス」という奥義
 
┌────────────────────────────────────┐
 成功企業にとって、方式や制度は、
 その企業の文化や人材や業務に適した方式や制度を模索した
 「結果」に過ぎないのです。
 しかし、ビジネスの世界においては、
 「成功原因の単純化」の過ちとともに、
 こうした「成功原因と成功結果の混同」の過ちもまた、
 一種のブームとして繰り返されてきました。
 そして、そのブームの背景に、
 「成功のための方法」や「成功のための法則」というものを手軽に求める、
 我々ビジネスマンの精神の安易さがあることは、
 深く自戒すべきでしょう。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「バランス」を掴み取るための方法
 
 お分かりでしょうか。
 成功者や成功事例から我々が学ぶべきは、
 一つや二つの「成功原因」ではありません。
 また、手軽な「成功方法」や「成功法則」でもありません。
 
 我々が、成功者や成功事例から学ぶべきは、
 何よりも、数多くの「成功原因」が織り成す「バランス」なのです。
 
 そして、我々が、成功者や成功事例からさらに深く学ぶべきは、
 自分の能力と個性に合ったバランスを掴み取るための「方法」なのです。
 
 逆に、我々が決して陥ってはならないことは、
 成功者や成功事例が示す
 表面的な「成功の結果」を見て、それを「成功の原因」と思い込み、
 さらには、それを「成功の方法」と考えてしまう過ちです。
 
 繰り返しましょう。
 もし、世の中に「成功の方法」とでも呼ぶべきものがあるとするならば、
 それは「自分の能力と個性に合ったバランスを掴み取る方法」に
 他ならないのです。
 そのための「方法」をこそ、学ばなければならないのです。
 
 さて、それでは、我々は、
 「自分の能力と個性に合ったバランス」というものを、
 いかにして掴み取っていくことができるのでしょうか。
 
 その答えもまた、前回に述べた張本選手の言葉の中にあります。
 
 彼の語る
 「一晩中、素振りをしなさい。
  一晩中、素振りをし続けて、疲れ果てたときに出てくるフォーム。
  それが、君にとって一番無理のない、理想のフォームだよ」
 という言葉の中の
 「一晩中、素振りをしなさい」という言葉が、その答えです、
 
 これは、すなわち、
 「現実との格闘の中から掴み取りなさい」
 「現場での実践の中から見つけ出しなさい」という意味に他なりません。
 
 そして、彼が若手選手にこうしたアドバイスをした理由は、
 いかなる名選手といえども、
 若手選手にとっての「理想のフォーム」そのものを
 直接に教えることはできないからです。
 そこで、張本選手は、若手選手に対して、
 「理想のフォーム」ではなく、
 「理想のフォームを見出すための具体的な方法」を教えようとしたのです。
 それが「一晩中、素振りをしなさい」という言葉の意味なのです。
 
 ■ 「体験の方法」を伝える
 
 そして、こうしたアドバイスの方法は、
 マネジメントにおいても正しい方法なのです。
 そもそも「自分の能力と個性に合ったバランス」とは、
 文字通り極めて個性的な暗黙知なのです。
 従って、いかに優れたマネジャーであろうとも、
 こうした個性的な暗黙知について、
 部下に対して「何を身につけるべきか」を直接的に教えることはできません。
 そこで、熟練のマネジャーは部下に対して、
 「何を身につけるべきか」を教えるのではなく、
 「何を行えば身につくか」をこそアドバイスすべきなのです。
 
 例えば、永年の修練を通じて
 顧客との応対の見事な「呼吸」を身につけた営業マネジャーがいるとします。
 彼が、部下からその「呼吸」について教えを請われたとき、
 教えるべきは、「呼吸」そのものではありません。
 なぜならば、「呼吸」そのものは極めて個性的な能力だからです。
 従って、この場面で、この営業マネジャーが部下に教えるべきは、
 「自分に合った呼吸が身につく方法」なのです。
 すなわち、例えば
 「顔の見えない電話での顧客応対の修練を積みなさい」や
 「自分の顧客との応対をテープにとって何度も聞き直しなさい」などの
 アドバイスこそが求められるのです。
 
 
★26
第26回 なぜ「成功者」を模倣することができないのか(その4)
     − 「バランス」という奥義
 
┌────────────────────────────────────┐
 「自分の能力と個性に合ったバランス」とは、
 文字通り極めて個性的な暗黙知なのです。
 従って、いかに優れたマネジャーであろうとも、
 こうした個性的な暗黙知について、
 部下に対して「何を身につけるべきか」を直接的に教えることはできません。
 そこで、熟練のマネジャーは部下に対して、
 「何を身につけるべきか」を教えるのではなく、
 「何を行えば身につくか」をこそアドバイスすべきなのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「全体性」を獲得する瞬間
 
 このように、マネジャーは部下に対して
 「自分の能力と個性に合ったバランスを掴み取る方法」をこそ
 教えなければならないのです。
 しかし、この「バランス」ということを考えるとき、
 もう一つ忘れてはならないことがあります。
 
 それは、「全体性」ということです。
 
 そのことを説明するために、私のささやかな体験を紹介しましょう。
 
 学生時代、スキーで足を揃えて回転する
 「ウェーデルン」というパラレル・ターンの技術を修得しようと
 練習を重ねていたときのことです。
 この回転方法を身につけるために、
 最初、若いコーチに教わっていたのですが、
 彼は、基本的な技術を正確に教えることには、
 非常に優れた能力を持っていました。
 
 すなわち、彼の教え方は、
 スキーのテクニックを一つひとつの部分に分けて、
 膝の屈伸はこう、抜重はこう、上体の姿勢はこう、
 エッジ・ワークはこう、ストック・ワークはこう、と個別に教えるやり方でした。
 
 この若いコーチの指導を受け、それぞれのテクニックについては何度も練習し、
 それなりにできるようになったのですが、
 なぜか、実際に滑ってみるとうまく「ウェーデルン」ができないのです。
 エッジ・ワークに気をとられるとストック・ワークがおろそかになり、
 ストック・ワークに注意が集中すると上体の姿勢が崩れるといった具合に、
 うまくいかないのです。
 そうして何度も転びながら悪戦苦闘をしているとき、
 年配の熟練コーチがしばらく私の滑り方を見ていたのですが、
 突然、近づいてきて、一言、アドバイスをくれたのです。
 
 「君は斜面に突っ込むのを怖がっている。
  転んでもよいと腹をくくって、
  怖がらず、思い切って斜面に飛び込んでみなさい」
 
 この一言のアドバイスを聞いて、
 「転んだら騙されたと思おう」と腹をくくり、
 いざ、斜面に身を投げ出すように飛び込んでみたのです。
 
 すると、驚いたことに、
 体全体が自然に滑らかに動き出したのです。
 そして、それまで身につけてきた、
 膝の屈伸、抜重、上体の姿勢、
 エッジ・ワーク、ストック・ワークといった個別のテクニックが、
 一瞬にして「一つ」になり、
 気がつけばウェーデルンが滑れるようになっていたのです。
 
 私がこのささやかな体験で学んだものは、
 「全体性を獲得する瞬間」ということでした。
 
 すなわち、成功者とは、
 すべての部分的な技術が見事なバランスの中に「一つ」になっているのです。
 言葉を換えれば、すべての部分的な技術が
 「全体性」を獲得しているのです。
 
 同様に、ビジネスにおいても、
 個別に身につけてきた技術が「一つ」になる瞬間があります。
 例えば、「ビジネス・プレゼンテーション」がそうです。
 これは、単なる「話術」ではなく、ある意味で「総合技術」です。
 すなわち、プレゼンテーションという技術は、
 単なる企画説明だけでなく、
 企画立案、資料作成、司会進行、会議進行、発声、身振り、
 さらには、会議室の音響と照明、席の配置など、
 様々な「個別技術」が総合的に集まった「総合技術」です。
 従って、本当に大切なビジネス・プレゼンテーションにおいては、
 真剣勝負で取り組んだとき、
 それまで個別に身につけてきた様々な技術が「一つ」になり、
 最高のプレゼンテーションが生まれる瞬間があるのです。
 
 それもまた、「全体性を獲得する瞬間」と言ってもよいでしょう。
 そして、そのときには、自然にすべてが調和したバランスの中に収まるのです。
 
 それは、張本選手の言葉を借りれば、
 「無理のない」という自然な状態でもあります。
 膝の屈伸、抜重、上体の姿勢、
 エッジ・ワーク、ストック・ワークといった個別の技術を
 「一つ」にまとめようと悪戦苦闘している瞬間というのは、無理があります。
 それに対して、優れた「バランス」と「全体性」を獲得した瞬間というものは、
 自然であり、無理がないのです。
 
 そして、それまで身につけてきた個別の技術が
 「バランス」と「全体性」を獲得するために必要なアドバイスは、
 コーチの「斜面に飛び込め」というたった一言だったのです。
 
 このように、部下の能力に
 「バランス」や「全体性」を獲得させるための指導というものは、
 古来、「阿吽(あうん)の呼吸」や
 「卒啄(そったく)の機」などの言葉で表されてきた
 「一瞬の気合」のようなものなのです。
 
 そして、この機微を伝えようとしたものが、例えば、
 オイゲン・ヘリゲルが、その著書『弓と禅』において語った
 「直指単伝」の精神に他ならないのです。
 
 
★27
第27回 なぜ「成功者」を模倣することができないのか(その5)
     − 「バランス」という奥義
 
┌────────────────────────────────────┐
 「成功の体験」を持つマネジャーが、部下に対して伝えるべきは、
 その成功体験から学んだ「成功の方法」ではありません。
 むしろ、その成功体験から掴んだ「体験の方法」をこそ伝えるべきなのです。
 部下が自分自身の能力と個性に合った彼独自の「成功の方法」が掴み取れるような
 「体験の方法」をこそ伝えなければならないのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「体験」ということの重さ
 
 しかし、ここでマネジャーは、一つの重い問題に直面します。
 
 それは、「成功の体験」を持たないマネジャーは、
 部下に対して「体験の方法」を教えることができないという問題です。
 
 この問題は、マネジャーにとって、たしかに重い問題です。
 しかし、マネジャーは、
 何よりもその「重さ」を正面から受け入れる覚悟をこそ
 持たなければならないのではないでしょうか。
 そもそも、深い暗黙知とは、
 現場での悪戦苦闘と、それを通じた成功体験の中からのみ、体得されるものです。
 マネジャーは、その真実から目を背けるべきではありません。
 
 ときおり、「書物を通じて現場体験の智恵を学ぶ」といった議論を聞きます。
 「言語知によって暗黙知を獲得する」という発想とも言えるでしょう。
 
 しかし、率直に言って、こうした発想は、
 ある種の「自己矛盾」を含んでいます。
 たしかに、書物によって何がしかの智恵を学んだという感覚を
 抱くことはあります。
 言語知によって暗黙知が獲得された感覚を抱くことはあります。
 しかし、それは、すでに自分の中にある暗黙知が、
 言語知との接触によって深みから浮かび上がってきた瞬間に他ならないのです。
 従って、こうした議論を耳にして、マネジャーが抱くべきは、
 「言語知によって暗黙知を獲得できる」という甘い幻想ではありません。
 抱くべきは、
 「言語知では決して伝えられない暗黙知が存在する」という冷静な認識であり、
 「深い暗黙知は体験を通じてしか伝えられない」という厳しい覚悟なのです。
 
 その覚悟を抜きにして、
 現在の我が国におけるマネジメント論の再生はないでしょう。
 
 ■ 「知行合一」のマネジメント論
 
 なぜならば、いま、ビジネスの世界において、
 永年続いた偏差値教育の弊害のためか、多くの若いビジネスマンが、
 苦しい「体験」を経ることなく、
 楽に「智恵」を身につけたいと願望し、
 かつて受験教育において教科書や参考書を求めたのと同様の発想で、
 ビジネス書や経営書を求めているからです。
 そして、こうした安易な願望に応えようと、
 やはり、世の中には手軽なマニュアル書やテクニック論が溢れているからです。
 
 しかし、書物だけでビジネスの「知識」を勉強し、
 現場での様々な「体験」を持たない若いビジネスマンは、
 「智恵」と呼ぶべき深い「暗黙知」を身につけた
 熟練のビジネスマンに成長していくことはできません。
 
 それにもかかわらず、現在の我が国には、
 「知識」から入ってくるビジネス論が多すぎるのではないでしょうか。
 不思議なことに、
 最も「体験」が重視されるビジネスの世界において、
 単なる「知識」によってビジネスを語るということが行われているのです。
 そして、言葉の奥から「体験」の重さが伝わってくるビジネス論や、
 語る人間の深い「智恵」が感じられるビジネス論が少ないのです。
 
 その根底には、すでに述べたように
 「書物を通じて深い智恵を学ぶことができる」という幻想があるのですが、
 その幻想は、さらに深くは、
 「体験」と切り離して「知識」や「智恵」を扱う発想、
 言い換えれば、
 「行」と切り離して「知」のみを扱う発想に根を持っています。
 
 しかし、この「知行分離」とでも呼ぶべき発想こそが、
 現代のビジネス社会における「知の力」を衰弱させ、
 マネジメント論の水準を低下させていることに、
 我々マネジャーは気づかなければなりません。
 
 そして、そのことに気づくならば、我々マネジャーは、
 現場での体験を通じて獲得された自身の暗黙知に光を当て、
 その暗黙知を、やはり現場での体験を通じて、
 新しい世代に伝えていく努力をすべきなのです。
 
 こうした努力によってのみ、我々は、
 無意識に身についた「知行分離」の発想から脱し、
 新しい「知行合一」の思想にもとづく、
 21世紀のマネジメント論を創造していくことができるのでしょう。
 
 
 
★28
第28回 なぜ「経験」だけでは仕事に熟達できないのか(その1)
     − 成長するための「基礎体力」
 
 ■ 「現場主義」という文化
 
 「現場主義」とでも呼ぶべき文化が、日本企業には存在しています。
 
 皆さんは、職場において、このような声を聞くことはないでしょうか。
 
 「現場を踏んでいないから、彼は駄目だ」
 「現場経験が無いと、この話は分からない」
 「現場の空気を、一度吸ってみたらどうだ」
 
 こうした声は、現場主義と呼ぶべき日本企業の文化を象徴しているのですが、
 それは、ある意味で、「現場での経験」を大切にする文化とも言えるでしょう。
 前回においては、マネジメントにおける「体験」の大切さを述べました。
 では、そうした観点から、
 この日本企業における現場主義は、正しいのでしょうか。
 
 暗黙知の観点から見るかぎり、こうした現場主義は正しいでしょう。
 すなわち、それが
 「体験を通じて獲得される暗黙知の大切さ」を強調しているものであるかぎり、
 極めて正しいでしょう。
 しかし、実は、この日本企業の現場主義には、
 一つの大きな落とし穴があることを忘れてはなりません。
 例えば、皆さんは、
 こうしたタイプのビジネスマンに会われたことはないでしょうか。
 
 初対面で、あるビジネスマンと会います。
 最初は、自己紹介をかねて、
 これまでの仕事の経歴などが問わず語りに語られます。
 話を聞いていると、実に多くの仕事を経験しているのです。
 開発部門での製品開発の経験。
 地方の工場での生産現場の経験。
 営業部門でのマーケティングの経験。
 海外工場での現地スタッフのマネジメント経験。
 こうした様々な現場での仕事を経験してきていることに感心するのです。
 しかし、しばらくして、さらに話が盛り上がり、
 これらの仕事に関する具体的な話に入ると、
 なぜか奇妙な感覚に囚われるのです。
 
 その奇妙な感覚を一言で表せば、
 「智恵」が伝わってこないのです。
 現場経験の豊かなマネジャーが持っているべき
 深みのある「暗黙知」が伝わってこないのです。
 しかし、それは決して、
 このビジネスマンが「話下手」だからではありません。
 こうした暗黙知というものは、それを持っているビジネスマンからは、
 まさに「暗黙」に伝わってくるのです。
 
 皆さんは、こうしたタイプのビジネスマンに会ったことはないでしょうか。
 実は、現場主義を標榜する日本企業において、
 こうしたタイプのビジネスマンは、決して少なくないのです。
 では、このような「経験の豊富さ」を持っていながら、
 「智恵の貧困さ」を感じさせるビジネスマンが、なぜ生まれてくるのでしょうか。
 
 ■ 「経験」と「体験」の違い
 
 その理由は、明らかです。
 
 彼は、「経験」はしても、「体験」をしてこなかったからです。
 
 そして、こうした「経験はしても、体験はしない」という問題は、
 実は、日本の現場主義が抱えている大きな落とし穴なのです。
 では、「経験はしても、体験はしない」とはどのような意味でしょうか。
 これは、別な言葉で言えば、「経験を突きつめる姿勢が弱い」、
 さらに言えば、「経験に徹する姿勢に欠ける」ことを意味しているのです。
 そのことを考えるために、ある営業マネジャーのエピソードを紹介しましょう。
 
 熟練のマネジャーの田中氏は、
 社内からは「営業の達人」と呼ばれています。
 連日のように顧客との折衝に走り回る日々ですが、
 彼は特別な習慣を持っています。
 
 それは、「営業の反省会」を行うという習慣です。
 
 例えば、部下と一緒に顧客を訪問して営業折衝を行います。
 
 その帰り道、田中マネジャーは、
 部下を喫茶店に誘って、必ず「反省会」を行うのです。
 しかし反省会といっても、決して、部下に説教をするわけではありません。
 彼自身の営業折衝の出来がどうであったか、部下の意見を聞くのです。
 例えば、次のような質問を部下にするのです。
 
 「先方からは、部長、課長、係長の三人が出席したが、
  実質的に、この件の意思決定をするのは誰だろうか」
 
 「こちらからの提案について、先方の部長は最後まで黙っていたが、
  こちらの説明に対する肯き方からすると、
  かなり前向きに受け止めてくれていたと思うが、どうか」
 
 「先方の雑談のときに出た話から推察すると、
  最後は、当社とA社との競争になると思うが、どう考える」
 
 そもそも「営業の達人」と呼ばれるマネジャーです。
 素朴に部下の意見を聞く目的で、こうした質問をしているわけではありません。
 顧客との営業折衝の直後、こうした質問を部下にする理由は、二つあります。
 
 一つは、営業折衝の最中、
 どのような「問題意識」を持って顧客と接するべきかを、
 部下に教えているのです。
 こうした質問をされた部下は、必ず数分前の営業の場面を、
 明確な問題意識を持って「追体験」します。
 そのとき、部下が無意識に掴みとる暗黙知があるのです。
 田中マネジャーは、こうした方法によって、
 部下に対して、一つの経験から多くの暗黙知を学び取る方法を教えているのです。
 
 もう一つは、部下の感じたことを参考にしながら、
 事前の「仮説」を検証しているのです。
 どのような「経験」も、事前に何らかの「仮説」を持って臨むのと、
 何も考えずに臨むのでは、その経験から得られる暗黙知が決定的に違います。
 田中マネジャーは、事前に「仮説」を立て、
 事後にそれを「検証」することによって、
 一つの経験からできるだけ多くの暗黙知を学び取ろうとしているのです。
 
 この「営業の達人」と呼ばれる田中マネジャーのエピソードの中に、
 「経験」ということと「体験」ということの違いが明確に示されています。
 すなわち、冒頭に引用した「経験豊かなビジネスマン」は、
 この田中マネジャーのように、
 「問題意識」と「仮説」を持って経験に臨むというスタイル、
 そして、その経験の後にそれを「反省」するというスタイルを持たないため、
 その「貴重な経験」から「深い智恵」を学ぶことができなかったのです。
 そして、その結果、それを「豊かな体験」にまで高めることが
 できなかったのです。
 
 
★29
第29回 なぜ「経験」だけでは仕事に熟達できないのか(その2)
     − 成長するための「基礎体力」
 
┌────────────────────────────────────┐
 現場主義を標榜する日本企業において、しばしば、
 「経験の豊富さ」を持っていながら、
 「智恵の貧困さ」を感じさせるビジネスマンがいます。
 
 こうした「経験豊かなビジネスマン」は、
 「問題意識」と「仮説」を持って経験に臨むというスタイル、
 そして、その経験の後にそれを「反省」するというスタイルを持たないため、
 その「貴重な経験」から「深い智恵」を学ぶことができなかったのです。
 そして、その結果、それを「豊かな体験」にまで
 高めることができなかったのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「問題意識」と「仮説」の役割
 
 しかし、仕事において
 こうした「問題意識」や「仮説」を持って臨むことの大切さは、
 つとに指摘されていることです。
 従って、いまさら、しばしば言われる
 「正しい現状認識に到達するための科学的アプローチ」としての
 「問題意識」や「仮説」の大切さを強調しようとしているのではありません。
 そもそも、そうした「科学的アプローチ」で認識できるほど、
 ビジネスの現実は単純ではないでしょう。
 
 ここで「問題意識」や「仮説」の重要性を強調するのは、
 そのことによってこそ、我々は自分が持っている
 「言語知」と「現実」とのギャップを知ることができるからです。
 そのためにこそ、経験に際して「問題意識」や「仮説」を持つべきなのです。
 なぜでしょうか。
 
 「言語知」と「現実」とのギャップを感じる瞬間こそが、
 まさに「暗黙知」が獲得される瞬間だからです。
 
 たしかに、ビジネスの現実というものは、
 こうした「問題意識」や「仮説」によって解明できるほど
 単純なものではありません。
 しかし、「問題意識」や「仮説」を土台として、
 「論理」によって突きつめる努力や、
 「言葉」によって表現する努力を尽くしてみるとき、
 「論理」にも「言葉」にもならない「何か」が感じられるのです。
 
 そして、それこそが「暗黙知」に他ならないのです。
 
 第7回において述べた
 哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉を思い出してください。
 
 「我々は、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき、
  言葉にて語りえないものを知ることがあるだろう」
 
 この言葉の意味は、まさに、そこにあるのです。
 
 ■ 「集中力」という基礎体力
 
 このように、前回述べた「経験豊かなビジネスマン」は、
 こうした問題意識や仮説を持って「経験」に臨む
 というスタイルを持たないがために、
 そして、それを用いて「反省」するというスタイルを持たないがために、
 せっかくの「経験」を「体験」にまで高めることができなかったのです。
 すなわち、その「貴重な経験」から
 「深い智恵」と呼ぶべき暗黙知を獲得することができなかったのです。
 
 それは、このビジネスマンが、「経験を突きつめる姿勢が弱い」
 「経験に徹する姿勢に欠ける」という弱点を持っているからですが、
 実は、こうした弱点を持ったビジネスマンは、決して少なくありません。
 それでは、なぜ、こうした弱点が生まれるのでしょうか。
 
 もとより、こうした弱点の背景には、
 その人間が生まれ持った気質から、
 後天的に形成された人生観にいたるまで様々な原因があるのですが、
 もし、「経験を突きつめよう」「経験に徹しよう」
 と考えているにもかかわらず、
 それができないビジネスマンがいるとするならば、その原因は一つです。
 
 それは、「基礎体力」が無いからです。
 
 ビジネスマンとしての基礎体力が不足しているからです。
 では、ビジネスマンの基礎体力とは何でしょうか。
 
 「集中力」です。
 
 この「集中力」という力が欠如していると、
 いかなる豊かな「経験」が与えられても、
 それを実り多き「体験」にすることはできないのです。
 
 一つの例を挙げましょう。
 企業においては、経営会議や戦略会議など、
 経営幹部が出席する極めて重要な会議に、
 資料配布や記録作成などの様々な理由から
 若手社員を同席させることがあります。
 
 そこで、会議が終わった後、
 その会議に同席して何を学んだかについて個別に面接をして話を聞くと、
 集中力のある若手社員と、集中力のない若手社員では、
 学んだことの量は、確実に10倍以上の開きが生まれてしまうのです。
 集中力のある若手社員は、会議を傍聴しながら、
 経営幹部の一つひとつの発言に集中して耳を傾けるだけでなく、
 その微妙なニュアンスを掴み取り、
 さらにはその表情や目の配りさえも実に細やかに観察しながら、
 多くの暗黙知を掴み取ります。
 しかし、集中力のない若手社員は、
 長時間続く会議にただ同席しているだけで精神のエネルギーを使い果たし、
 そこで交わされる議論を
 単なる「議事録」のレベルでしか掴むことができないのです。
 そして、その若手社員の時代の開きは、それから何年にもわたり、
 それぞれの問題意識の深さの差や、集中力という基礎体力の差によって、
 さらにさらに大きく開いてしまうのです。
 
 そうしたことを理解するならば、
 マネジャーが若手社員に対する指導において、
 まず最初に身につけさせるべきは、
 「精神のスタミナ」とでも呼ぶべき、
 こうした「集中力」に他なりません。
 
 なぜならば、それは成長していくための「基礎体力」だからです。
 
 それゆえ、その基礎体力づくりを怠って新人時代を過ごした若手社員は、
 大きく成長できる「貴重な経験」を与えられても、
 その経験を突きつめることができず、
 その経験に徹することができず、
 目に見えない大きな「機会損失」を被ってしまうのです。
 そして、怖いことに、そうした機会損失は、
 それを被った本人には決して分からないのです。
 従って、そのことの怖さを、部下の成長に責任を持つべきマネジャーは、
 まず、何よりも強く自覚しておくべきでしょう。
 
 ■ 常住坐臥禅
 
 それでは、この「集中力」を鍛えるための方法は、あるのでしょうか。
 これは難しい質問ですが、敢えて答えておきましょう。
 「集中力」を鍛えるための方法は、一つしかありません。
 
 それは、「集中力」が求められる場面を数多く経験することです。
 
 特に、極めて重要な会議など、
 長く強い集中を求められる場面を数多く経験することです。
 しかし、現実には若手社員に、
 そうした重要な会議への出席の機会がしばしば与えられるわけではありません。
 そうであるならば、さらに方法は一つしかありません。
 
 いかなる小さな会議においても精神を集中して臨むという訓練を
 自己に課することです。
 しかし、このことは極めて難しいことです。
 
 禅の世界に、「常住坐臥禅」という言葉があります。
 
 「寝ても覚めても、日常のふるまいのすべてが禅になっている」
 という意味の言葉です。
 そして、こうした形での一隅における日々の修行は、
 深山の禅寺における特別な修行よりも、
 むしろ難しいことであるとさえ言われているのです。
 
 そうした意味では、
 いかなる小さな会議においても精神を集中して臨むという修練は、
 最も難しい修練であるのかもしれません。
 
 しかし、すべての成長への道は、
 そうした日常の修練からしか始まりません。
 
 その真実をこそ、我々マネジャーは、
 深く理解するべきでしょう。
 
 
 
★30
第30回 なぜ「ベスト・チーム」が必ずしも成功しないのか(その1)
     − 「設計」できない人間集団
 
 ■ 「ベスト・チーム」の失敗
 
 皆さんは、仕事において、
 「ベスト・チームの失敗」を経験したことがないでしょうか。
 
 例えば、職場で、ある業務を進めるために
 「プロジェクト・チーム」を結成します。
 そのとき、職場のマネジャーが、職場のメンバーの専門的能力を考え、
 「ベスト」のチーム編成を考えるのです。
 すなわち、メンバーの中から、
 そのプロジェクトの遂行に必要な専門的能力を持ったメンバーを選び出し、
 彼らの能力が組み合わさることによって、
 最高の組織的機能が発揮できるようにプロジェクト・チームを組むのです。
 そして、そのチーム・メンバーの中から、
 最上席のメンバーである鈴木君をチーム・リーダーに指名します。
 
 しかし、しばらくすると、
 プロジェクト・チームのメンバーから、不満の声が聞こえてきます。
 その新しいチームでは、うまく仕事が進まないという声です。
 まず、鈴木チーム・リーダーは、
 人柄は良いのですが、リーダーシップが発揮できないので、
 プロジェクトがうまく動かないというのです。
 また、プロジェクト・メンバーの山本君は、
 専門的能力は優れているのですが、少し「一匹狼」的で、
 他のメンバーと良いチームワークで動けないというのです。
 
 そこで、こうした不満の声を耳にしながら、
 そのプロジェクト・チームを見ていると、
 いつのまにか「陰のチーム・リーダー」が生まれてきます。
 鈴木君より年次は若いのですが、リーダーシップ型の斎藤君を中心に、
 プロジェクトが回り始めているのです。
 また、良く見ていると、「陰のチーム」も生まれています。
 チームのメンバーは、専門的な問題については、
 チームの山本君よりも、チーム外の佐藤君に相談に行っているのです。
 
 これが「ベスト・チームの失敗」と呼ばれる問題です。
 
 専門的能力の組み合わせとしては
 「理想的」で「ベスト」であるはずの組織が、
 実際には、うまく動かず、
 その組織に「陰のリーダー」や「陰のチーム」が生まれてしまうという問題です。
 
 マネジメントにおいては、ときおり、こうした問題に直面します。
 
 実は、企業の現場においては、
 このような「陰のリーダー」を中心とする
 「陰のチーム」が生まれることは決して珍しくありません。
 しかし、なぜか、そうした陰のリーダーや陰のチームは、
 マネジャーとして「上」の立場から見ていると分かりにくいのですが、
 若手社員などの「下」の立場から見ると、極めて明瞭に見えるのです。
 では、なぜ、こうした「陰のリーダー」や
 「陰のチーム」が生まれてくるのでしょうか。
 
 もとより、それは、
 決して現場の「謀反行動」として生じるのではありません。
 現場のメンバーにしてみれば、
 そうしなければ現場が動かないから自然にそうしているだけなのです。
 それは、ある意味で、
 現場の自己防衛的な「生理現象」として現れているに過ぎないのです。
 すなわち、こうした「陰のリーダー」や「陰のチーム」は、
 組織の自然な生理現象として現れてくるのです。
 
 ■ 「組織設計」という発想
 
 では、なぜ、「ベスト・チーム」を編成したにもかかわらず、
 このような「現場が動かない」という状況が生まれてしまったのでしょうか。
 
 それは、我々が無意識に、組織を「機械」のように設計しようとしたからです。
 
 あたかも、「優れた部品」を組み合わせて「性能の良い機械」を設計するように、
 「能力の高いメンバー」を組み合わせて「優れた組織」を
 作ろうとしたからなのです。
 しかし、そもそも企業とは、
 様々な「性格」や「感情」を持った生身の人間の集まりです。
 
 単に「能力」の観点からだけ人材を選定し、あたかも機械を設計するように、
 望ましい「機能」を発揮する組織を作ろうとしても、
 思うようにはいかないのです。
 
 しばしば、経営学の世界では「組織は戦略に従う」という原則が語られます。
 この言葉は、ある意味で極めて正しいことを述べているのですが、
 しかし、実際の現場のマネジメントにおいては、
 むしろ「組織は人材に従う」とでも呼ぶべき原則が支配しているのです。
 
 それにもかかわらず、その原則を無視して、
 「仕様書」のようにビジョンや戦略を描き、
 「設計図」のように組織をデザインし、
 「機械組立」のように人材を組み合わせようとすると、
 我々マネジャーは、常に「生きた現実」によって裏切られるのです。
 
 そういう意味で、「陰のリーダー」や「陰のチーム」の出現とは、
 ある意味で、企業という生命体が
 「抗体反応」のように示す生理現象に他なりません。
 それゆえ、我々マネジャーは、
 「組織は人材に従う」という原則を理解しておかなければならないでしょう。