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著者:田坂広志
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│ │なぜ、時間を生かせないのか
│01│− かけがえのない「人生の時間」に処する十の心得 −
└─┴───────────────────────────────────
 第20話 いかにして「成長」をするか / 課題(その2)
┌────────────────────────────────────┐
 その時々の自分の「成長の課題」を知ること。
 それは、成長していくために、極めて大切なことです。
 なぜなら、自分にとっての「成長の課題」を知っている人と、
 それを知らない人とでは、その成長に、大きな違いが生まれてしまうからです
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ なぜ「成長の課題」が大切か
 
 しかし、では、なぜ敢えて、この「課題」ということを述べるのか。
 成長のための心得として、この「課題」ということを申し上げるのか。
 
 それは、この「成長の課題」というものには、
 一つの不思議な「理(ことわり)」があることを述べたかったからです。
 それは、何でしょうか。
 
 卒業しない課題は、追いかけてくる。
 
 その「理」です。
 
 すなわち、我々が、ある職場で、一つの「成長の課題」に直面したとします。
 しかし、もし、その職場で、その「課題」を卒業することなく、
 転職などの形で、その「課題」から逃げたならば、
 不思議なことに、その「課題」が追いかけてくるのです。
 
 例えば、ある職場で相性の悪い上司がいた。
 この上司との葛藤に嫌気がさして、他の会社に転職する。
 ところが、気がつくと、新しい職場にも、その上司と似たタイプの
 相性の悪い人物がいる。そして、また同じような葛藤が始まる。
 
 そうした形で、「課題」が追いかけてくるのです。
 これが、「卒業しない課題は、追いかけてくる」ということの意味です。
 
 従って、我々が、もし「転職」ということを考えるならば、
 その前に一度、このことを考えてみる必要があります。
 
 自分は、現在の職場での「成長の課題」を、卒業しただろうか。
 
 この問いは、大切な問いです。
 
 心理学の用語に、「Unfinished Business」という言葉があります。
 
 これは、「心の深くで、いまだ決着がついていない問題」という意味の言葉です。
 実は、我々の無意識の世界は、表面意識の世界よりも、
 この「Unfinished Business」をよく知っているのです。
 
 表面意識の世界では、「よし、この職場は卒業だ」と考えても、
 無意識の世界は、「まだ、この課題は卒業していない」と
 正直に感じているのです。
 そして、その無意識の世界は、その課題を卒業しようとして、
 新しい職場でも、同じような問題を生み出し、同じような葛藤を生み出すのです。
 
 ■ いかにして「課題」を卒業するか
 
 では、どうすればよいのでしょうか。
 この「成長の課題」を前に、どうすればよいのでしょうか。
 もう一度、大切なことを述べましょう。
 
 「引き受け」です。
 
 その職場で卒業していない「課題」を、正面から見つめ、
 その「課題」に取り組むことの大切さを、自覚する。
 
 すなわち、その「課題」を「引き受ける」。それが大切です。
 
 しかし、この「引き受け」が、難しい。
 例えば、私自身、前職において、数多くの転職希望者の採用面接をしましたが、
 そのとき感じたことがあります。
 
 採用面接において、現在勤めている職場についての不平・不満を述べる人は、
 まず、例外なく、新しい職場でも同じような問題に直面します。
 そして、また、同じような不平・不満を述べるようになります。
 
 これに対して、採用面接において、現在勤めている職場で何を学んだか、
 それが自分の成長にいかに役立ったか、そして、次の自分の成長の課題が何か、
 そうしたことを語る人は、新しい職場でも、さらに大きく成長していきます。
 
 これは、我々が転職を考えるとき、一度、謙虚に考えてみるべきことです。
 
 なぜなら、人間は、自分の都合の良いように世界を解釈する傾向があるからです。
 
 問題に直面したとき、
 常に、責任は職場にある、上司にある、仕事にある、と考えてしまうのです。
 そして、「自分に責任があるのでは」とは、あまり考えないのです。
 
 もとより、一つの問題が生まれる背景には、様々な要因があります。
 その意味で、客観的に見れば、たしかに職場にも、上司にも、仕事にも、
 そして、自分自身にも、それなりの責任があるのですが、
 もし、その問題の責任を「自分以外の何か」に押しつけてしまったとき、
 我々は、大きな壁に突き当たります。
 
 「成長」できなくなるのです。
 
 「自分以外の何か」に責任を押しつけてしまうと、
 表面意識の気持ちはすっきりするのですが、
 無意識の世界は、その問題を「Unfinished Business」として抱えてしまい、
 一人の人間として「成長」できなくなるのです。
 
 
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  第21話 いかにして「成長」をするか / 課題(その3)
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 その職場で卒業していない「課題」を、正面から見つめ、
 その「課題」に取り組むことの大切さを、自覚する。
 
 すなわち、その「課題」を「引き受ける」。それが大切です。
 
 「自分以外の何か」に責任を押しつけてしまうと、
 表面意識の気持ちはすっきりするのですが、
 無意識の世界は、その問題を「Unfinished Business」として抱えてしまい、
 一人の人間として「成長」できなくなるのです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「声」が聞こえてくるとき
 
 これに対して、「その責任は自分にある」と考え、
 その問題の「引き受け」を行うと、
 我々は、心の奥深くの「Unfinished Business」に光を当てることができ、
 その結果、それは、大きな「成長の機会」となります。
 
 すなわち、その「引き受け」を行うことによって、
 その課題を、自分自身の課題として自覚し、
 決して逃げることなく、その課題との格闘を行っていくと、
 いつか、自分なりにこの課題を卒業できたかなと思えるときがやってくるのです。
 
 そして、不思議なことに、自分自身が「卒業」を感じ始めた時期に、
 なぜか、「天の声」が聞こえてくることがあります。
 
 それは、例えば、転属や、転職などの形での「天の声」です。
 
 そして、ときに、その「天の声」に従って動くとき、
 新しい職場が与えられ、そこで我々は、
 新しい課題へと向かうことになるのです。
 
 「卒業」とは、しばしば、そのような形で訪れるものです。
 
 だから、敢えて、申し上げたい。
 いま、転職を考えている方、そして、
 いま、人生の転機を迎えている方は、一度、
 この「課題」ということを考えてみるべきでしょう。
 この「Unfinished Business」ということを考えてみるべきでしょう。
 
 自分は、この職場における「成長の課題」を卒業しただろうか。
 その「卒業」を伝える「天の声」が聞こえてきただろうか。
 
 そのことを考えてみるべきでしょう。
 
 ■ 「転機」に求められる心得
 
 しかし、この「天の声」が聞こえてくるためには、
 一つ、大切な心得があります。
 それは、何でしょうか。
 
 「思い定める」ことです。
 
 「いま、ここが、成長の場」と、思い定めることです。
 
 なぜなら、我々は、しばしば、
 「いま、ここ以外に、成長の場がある」という幻想を抱いてしまうからです。
 そして、その幻想が、我々の目を曇らせてしまうからです。
 
 例えば、我々は、現在の職場の仕事が嫌になってしまったとき、
 しばしば、「Anywhere but Here」という気持ちになってしまうことがあります。
 
 ここ以外の場所なら、どこでも構わない。
 そういう逃避的な気持ちになってしまうのです。
 
 また、例えば、我々は、現在の職場に満足できないとき、
 「Become There Tomorrow」という気持ちになってしまうこともあります。
 
 いつの日か、(Tomorrow)
 ここ以外のどこかの場所に行けば、(There)
 いまの自分ではない何かになれる。(Become)
 
 そう考えてしまうのです。
 
 しかし、それもまた、
 「未来への希望」の形をとった、
 「未来への幻想」であり、「未来への逃避」になってしまいます。
 そして、我々の心の中に、「幻想」や「逃避」があるかぎり、
 それは、必ず、我々の目を曇らせてしまいます。
 そして、その結果、我々は、人生の転機において
 大切な判断を誤ってしまうのです。
 
 だから、思い定めることです。
 
 もし、我々に「成長の場」というものがあるならば、
 それは、「いま、ここ」以外には、ない。
 
 「いま、ここ」で、掴むべきものを、掴むことができなければ、
 「いつか、どこか」で、それを掴むことは、ない。
 
 そう思い定めることです。
 
 いま、ここが、成長の場と思い定め、
 その成長の場で、どこまでも成長を求めて悪戦苦闘しようと、
 覚悟を定める。
 
 その思いを定め、覚悟を定めるとき、
 なぜか、静かに、一つの心境がやってきます。
 
 「いつか、どこかで、何かになろう」(Become There Tomorrow)ではなく、
 
 「いま、ここに、ある」(Be Here Now)
 
 その心境がやってくるのです。
 
 そして、そのとき、我々に、
 
 本当の転機が、訪れるのです。
 
 
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│01│なぜ、時間を生かせないのか
│ │− かけがえのない「人生の時間」に処する十の心得 −
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 第22話 いかにして「成功」を得るか / 一瞬
 
 前回は、「成長」について話をしました。
 
 我々は、大切な人生の時間のなかで、様々な「経験」を与えられます。
 そして、その「経験」を通じて、「感得」と「反省」によって、
 多くの「智恵」を学んでいきます。
 
 また、我々は、大切な人生の時間のなかで、様々な「人間」と巡り会います。
 そして、「師匠」からの学びを通じて、「自分」を見い出し、
 人々との「関係」を通じて、「共感」と「自立」の大切さを学んでいきます。
 
 こうして「経験」や「人間」を通じて「智恵」を学んでいくことは、
 言葉を換えれば、一人の職業人として、一人の人間として
 「成長」していくことに他なりません。
 
 そして、前回は、我々が「成長」していくために大切なことは、
 「いま」「ここ」における自分の「課題」を知ることであると述べました。
 
 しかし、この「成長」ということを申し上げると、皆さんは、
 これと似た言葉を、心に思い浮かべるのではないでしょうか。
 
 「成功」です。
 
 たしかに、いま、多くの人々が、大切な人生の時間を費やしてめざすべきものは、
 この「成功」であると思っています。
 
 では、「成功」とは何でしょうか。
 
 もし人生において「成功」というものが大切であるならば、
 そもそも、その「人生の成功」とは何でしょうか。
 今回は、そのことを話したいと思います。
 
 しかし、現代は、寂しい時代だと思います。
 なぜなら、この「成功」という言葉すら、あまり使われなくなってしまいました。
 いま、マスメディアに溢れるのは、「生き残り」と「勝ち残り」
 そうした寂しい言葉ばかりです。
 
 我々が、一生懸命に働くのは、生き残るため。
 我々が、一生懸命に学ぶのは、勝ち残るため。
 そうした寂しい論調ばかりです。
 
 それは、現代における「思想」の喪失を象徴しています。
 「仕事の思想」というものが失われた、この時代を象徴しています。
 
 我々は、何のために働くのか。
 我々は、何のために学び続けるのか。
 それは、決して、生き残るためでも、勝ち残るためでもない。
 それ以上の「価値ある何か」のためではないでしょうか。
 
 では、その「価値ある何か」とは、何か。
 
 それを考えることが、「人生の成功」の意味を考えることに他なりません。
 そして、その答えは、決して誰かが与えてくれるものではありません。
 それは、我々一人ひとりの思索に委ねられています。
 しかし、この「人生の成功」の意味を考えるとき、大切な心得が二つあります。
 
 ■ 「自分にとっての成功」とは何か
 
 第一の心得は何か。
 
 「自分にとっての成功」を考えるということです。
 
 前回、アメリカの教育界で使われる言葉を紹介しました。
 
 Find Your Own Uniqueness.
 あなただけの唯一無二の何かを発見しなさい。
 
 その言葉です。
 しかし、これは、実は、もう一つの言葉と一対で使われる言葉なのです。
 それは何でしょうか。
 
 Define Your Own Success.
 あなたにとっての成功とは何かを定めなさい。
 
 この言葉です。
 すなわち、「自分にとっての成功とは何か」
 この言葉は、それを定めることの大切さを教えてくれているのです。
 
 しかし、これが難しい。
 なぜなら、社会は、常に、我々に押しつけてくるからです。
 「成功とは何か」という定義を、押しつけてくるからです。
 
 例えば、良い大学、良い会社、高い収入、高い地位、大きな名声、大きな名誉。
 そうしたものを「成功の定義」として、暗黙に押しつけてくるからです。
 そして、その力は強い。
 
 我々が、よほどの強い覚悟と、深い思想を持たないかぎり、
 この暗黙の社会的規範としての「成功の定義」は、
 我々の意識と無意識に、沁み込んできます。
 
 だから、それは戦いなのです。
 極めて厳しい戦いなのです。
 
 Define Your Own Success.
 あなたにとっての成功とは何かを定めなさい。
 
 この言葉は、ある意味で、優しい響きを持つ言葉です。
 しかし、この言葉は、厳しい意味を持つ言葉なのです。
 
 「自分にとっての成功とは何か」
 
 その問いに対する答えは、実は、
 「社会の規範との格闘」、そして「自分のエゴとの葛藤」を通じてしか、
 掴み取ることはできないものだからです。
 
 
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│ │なぜ、時間を生かせないのか
│01│− かけがえのない「人生の時間」に処する十の心得 −
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 第23話 いかにして「成功」を得るか / 一瞬(その2)
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 我々は、何のために働くのか。
 我々は、何のために学び続けるのか。
 それは、決して、生き残るためでも、勝ち残るためでもない。
 それ以上の「価値ある何か」のためではないでしょうか。
 
 では、その「価値ある何か」とは、何か。
 
 それを考えることが、「人生の成功」の意味を考えることに他なりません。
 そして、その答えは、決して誰かが与えてくれるものではありません。
 それは、我々一人ひとりの思索に委ねられています。
 しかし、この「人生の成功」の意味を考えるとき、大切な心得が二つあります。
 
 第一の心得は、「自分にとっての成功」を考えるということです。
└────────────────────────────────────┘
 
 ■ 「生き方としての成功」を求めて
 
 では、第二の心得は何か。
 
 それは、「生き方としての成功」を考えるということです。
 
 人生の夢を描く。
 人生の目標を持つ。
 
 そうしたことの大切さは、しばしば、言われることです。
 
 しかし、そこには、冷厳な事実が、あります。
 
 どれほどの願いを込めて、夢を描いても、人生の目標を持っても、
 必ずしも、それを実現できるわけではない。
 誰もが、それを実現できるわけではない。
 
 いや、むしろ、それを実現できないことこそが、
 多くの人々の人生の、真実の姿ではないでしょうか。
 
 我々の人生の、冷厳な事実ではないでしょうか。
 
 では、我々が、その夢を、目標を、実現できなかったとき、
 それは「失敗」なのでしょうか。
 
 それは、「人生の成功」ではなく、
 「人生の失敗」なのでしょうか。
 
 「人生の成功」ということを考えるとき、
 実は、その問いが、我々に問われるのです。
 
 では、この問いに対して、いかに答えるか。
 
 そのことを考えるために、一つのエピソードを紹介しましょう。
 
 ■ 「努力」が報われるとき
 
 1990年にアカデミー賞を受賞した女優のウーピー・ゴールドバーグが、
 ニューヨークのアクターズ・スタジオで、
 俳優修業をする若者たちからの質問に対して、味わい深い答えをしています。
 
 「我々は、将来、役者になることを夢見て、
  毎日、毎日、厳しい修練を積んでいます。
  こうした我々の努力は、いつか報われるのでしょうか」
 
 この質問に対して、ゴールドバーグは、温かいまなざしで答えています。
 
 「いま、あなたがたは、いつか役者になりたいとの夢を持ち、
  素晴らしい仲間とともに、励ましあい、助けあいながら、
  毎日、その夢を求め、目を輝かせて生きているのでしょう」
 
 その言葉に対して、若者たちは、うなずきます。
 
 その若者たちを見つめながら、ゴールドバーグは、静かに語りました。
 
 「そうであるならば、
  あなたがたの努力は、
  既に報われているではないですか」
 
 この言葉は、我々が、人生において、夢を描き、目標を持って生きることの、
 本当の意味を、教えてくれます。
 
 いま、この一瞬を、輝いて生きること。
 いま、この一瞬を、精一杯に生き切ること。
 
 夢を描き、目標を持って生きることの、本当の意味は、
 そのことに、あるのです。
 
 そして、もし我々が、そうした「生き方」をすることができるなら、
 たとえ、夢や目標を実現できなくとも、
 それは、決して「人生の失敗」ではない。
 
 むしろ、それは、
 素晴らしい「人生の成功」なのではないでしょうか。
 
 
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│ │なぜ、時間を生かせないのか
│01│− かけがえのない「人生の時間」に処する十の心得 −
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 終話 かけがえのない「人生の時間」 / 覚悟
 
 さて、この話も、終りがやってきました。
 そこで、この終話においては、最も深い視点からの話をしたいと思います。
 
 なぜ、時間を生かせないのか。
 
 これまでの24話を通じて、このテーマで話をしてきました。
 それは、いま、多くの方々が、一つの悩みを抱いているからです。
 
 時間を大切にできない。
 
 その悩みです。
 
 我々は、忙しい仕事と生活のなかで、
 時間を大切にしたいと願っています。
 そのため、タイム・マネジメントをはじめ、様々な努力をします。
 しかし、どれほど努力をしても、時間を大切にできない。
 気がつけば、無為に時を過ごしてしまう。
 
 そして、その無為に過ごした時を悔いる。
 
 それは、なぜでしょうか。
 
 「努力」が足りないからでしょうか。
 
 そうではありません。
 
 それは、
 
 「努力」が足りないのではない。
 
 「覚悟」が足りないのです。
 
 なぜ、我々は、時間を大切にできないのか。
 
 それは、我々が、無意識に、
 「時間は無限にある」と思っているからです。
 
 しかし、実は、我々に与えられている時間は、
 無限には、ない。
 
 一人の人間に与えられている時間は、
 たかだか八十年。
 
 その時間の長さを、
 「無限」と思うか、
 「一瞬」と思うか。
 
 その「覚悟」が、問われているのです。
 
 もし、それが「一瞬」のごとき短い時間であると覚悟するならば、
 我々は、与えられた時間のかけがえのなさを、知る。
 そのとき、我々は、
 黙っていても、時間を大切に使えるように、なる。
 
 人生には必ず「終り」がある。
 そして、その「終り」がいつ来るかは、誰にも分からない。
 そして、この人生は、たった一度しかない。
 
 そのことを、本当に深く覚悟するならば、
 与えられた時間のかけがえのなさは、
 黙っていても、体に沁み込みます。
 
 では、その「覚悟」を、いかにして掴むか。
 
 「砂時計」の音に耳を傾けることです。
 
 我々の横には、目に見えない「砂時計」がある。
 さらさらと砂が落ち続ける「砂時計」です。
 そして、この「砂時計」の砂が落ち切ると、我々の命は終わる。
 けれど、その砂の残量は、誰にも見えない。分からない。
 しかし、その砂が落ち続ける音は、聞こえてくる。
 
 その「砂時計」の音に耳を傾けることです。
 
 その「砂時計」の音を耳にしながら、この一日一日を、生きていく。
 
 そのとき、我々のなかに、一つの「覚悟」が生まれます。
 
 かけがえのない「人生の時間」を生きる、
 その「覚悟」が生まれます。
 
 世の中には、
 時間を大切にして生きる人がいます。
 人生を大切にして生きる人がいます。
 
 そして、
 密度の濃い時間を生きる人がいます。
 密度の濃い人生を生きる人がいます。
 
 しかし、そうした人々の生き方の根本には、
 必ず、一つの「覚悟」がある。
 
 かけがえのない「この一瞬」を生きる。
 
 その「覚悟」があります。
 
 されば、我々の日々の時間の密度、
 そして、人生の密度を定めるのは、何か。
 
 それは、その人間の「いかに生きるか」の覚悟に他ならない。
 
 そのことを理解するとき、
 我々は、大切なことに気がつきます。
 
 「なぜ、時間を生かせないのか」という問いは、究極、
 「いかに生きるか」という問いに他ならない。
 
 そのことに、気がつくのです。
 
 そして、そのことに気づくとき、
 我々は、古くから語られる
 あの心得の意味を、掴むのです。
 
 過去はない。
 未来もない。
 あるのは、永遠に続く、いまだけだ。
 いまを生きよ。
 いまを生き切れ。
 
 
 
                                     了