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2003年10月09日
第31回 「反省力」が分かれ道
 
 「傾聴力」が「人物」から知識や智恵を学ぶ「メタ・ナレッジ」であるならば、
 「反省力」とは「経験」から知識や智恵を学ぶ「メタ・ナレッジ」です。
 すなわち、「傾聴力」とは、知的プロフェッショナルが語る
 高度な知識や深い智恵に耳を傾けることによって、
 それを掴み取るスキルやノウハウであるのに対して、
 「反省力」とは、自分自身の仕事の経験の中から
 高度な知識や深い智恵を掴み取るスキルやノウハウです。
 
 では、いかにすれば、我々は、
 この「反省力」という「メタ・ナレッジ」を
 身につけることができるのでしょうか?
 
 そのためには、「反省の方法」を学ぶことです。
 
 すなわち、ビジネスにおいて一つの経験をしたとき、
 その経験を深く反省し、その反省の中から
 知識や智恵を掴み取るための方法を学ぶことです。
 
 こう述べると、
 「何だ、そんなことか?」と思われる方々がいるかもしれません。
 なぜなら、「反省」という言葉は、世の中に溢れているからです。
 しかし、実は、この「反省」という行為を正しく行なうためには、
 それなりの深い「方法」があるのです。
 
 逆に言えば、現在のビジネスマン社会には、
 この「反省の方法」を正しく身につけていないため、
 せっかく仕事において貴重な「経験」をしても、
 それを「体験」にまで高めていない人が多いのです。
 
 そして、そのことが、実は、
 知的プロフェッショナルになっていく人と、
 そうでない人との「分かれ道」になっているのです。
 
 ■ 「後悔」と「反省」の違い
 
 例えば、ビジネスマンの成長の可能性は、
 一つの仕事が終わった後に「反省」をしてもらうと、
 その差が歴然と現れます。
 事前に綿密に計画を練り、一生懸命に仕事に取り組んだが、
 結果は失敗に終わってしまった。
 そうした失敗の経験は誰にでもあります。
 そして、そうした仕事での失敗の経験は、
 明日の成功を生むための貴重な機会に他ならないのです。
 
 しかし、知的プロフェッショナルになれない人は、
 「反省」をしてもらうと、必ずと言ってよいほど、
 その失敗の原因が何であったかを見つめる視線が甘いのです。
 
 特に、日本のビジネスマンに多いのは、
 理性的な「反省」を行うのではなく、
 情緒的な「後悔」や「懺悔」に流される人です。
 
 例えば、仕事が失敗したとき、
 
 「悔しいです。ほんとうに残念です」
 「すべての責任は私にあります。申し訳ありません」
 「私の未熟さがすべて出ました」
 「顔を洗って出直します」
 
 といった極めて情緒的な発言をして、
 深く「反省」をしたと思う人が多いのです。
 
 たしかに、こうした発言は、
 日本人的美徳の観点からすると極めて謙虚な姿勢であり、
 ときに周囲の涙を誘うときさえあるのですが、
 実は、知的プロフェッショナルが身につけるべき
 「反省の方法」という観点から見ると、大いに問題があるのです。
 
 なぜならば、こうした発言は、
 「後悔」や「懺悔」のコメントであって、
 決して「反省」のコメントではないからです。
 そのため、高い代償を払って得た貴重な「失敗の経験」から、
 何も学べないのです。
 
 ■ 「経験」を「体験」に高める
 
 これに対して、知的プロフェッショナルになっていく人は、
 失敗した後の「反省」が、極めて具体的です。
 すなわち、仕事で失敗したとき、
 「なぜ失敗したか」をとことん具体的に考えるのです。
 
 例えば、担当するプロジェクトが
 大きな赤字を出して失敗したとき、
 なぜ予算管理が甘かったのか、
 なぜ契約時に条件を確認しなかったのか、
 プロジェクト企画の何が問題だったのかなど、
 失敗した原因について徹底的に分析し、
 今後への教訓を引き出そうとするのです。
 
 こうした「反省の方法」を身につけているビジネスマンは、
 たとえ仕事で失敗しても、
 その貴重な経験の中から実に多くのことを学び、
 その結果、仕事についての
 高度な知識や深い智恵を身につけていくのです。
 
 すなわち、こうしたビジネスマンは、
 失敗だけでなく成功も含め、
 仕事における様々な「経験」をしたとき、
 それを徹底的に「反省」することによって多くの知識や智恵を学び、
 そのことを通じて、
 「経験」を「体験」にまで高めていくことができるのです。
 
 さて、「探索力」、
 そして「傾聴力」と「反省力」。
 理解されたでしょうか?
 
 世の中には、知的プロフェッショナルになるための、
 何か特別な「虎の巻」があるわけではありません。
 
 知的プロフェッショナルになっていく人は、
 こうした「メタ・ナレッジ」を身につけ、
 それを日々、黙々と深め、活かしているだけなのです。
 
 
2003年10月16日
第32回 「リレーション」が「ナレッジ」を呼ぶ
 
 さて、日々の仕事における「目に見えない4つのリターン」の第二は何か?
 
 「リレーション・リターン」(関係報酬)です。
 
 この「リレーション・リターン」という言葉も、
 最近、アメリカで使われ始めている言葉ですが、
 これは、仕事をすることによって、
 社内や社外の人材との新たな「リレーション」(関係)が
 生まれるということです。
 
 そして、知的プロフェッショナルをめざすためには、
 日々の仕事をするとき、
 この「リレーション」というリターンを最大化するように努力することが、
 「収穫逓増」のプロセスを加速するうえで、極めて重要になってくるのです。
 それは、なぜか?
 
 「リレーション・リターン」を大きくすることによって、
 自然に「ナレッジ・リターン」も大きくなっていくからです。
 
 分かりやすく言いましょう。
 ある仕事をすることによって、我々は色々なことを学びます。
 様々な知識や智恵を学ぶのです。
 
 従って、それはまず最初に、
 直接的な「ナレッジ・リターン」となって返ってくるのですが、
 同時に、この仕事を通じて、
 高度な知識や深い智恵を持った知的プロフェッショナルと
 親密な関係が生まれることがあります。
 また、そうした知的プロフェッショナルが数多く所属する企業の
 キーパーソンとの友好的な関係が生まれることもあります。
 そして、こうした「リレーション」は、
 将来、ある問題に関する知識や智恵が必要になったとき、
 非常に役に立つのです。
 
 例えば、過去の仕事で親密になった
 知的プロフェッショナルに智恵を借りるということもできます。
 また、友好関係にあるキーパーソンに、
 その企業内の適切な知的プロフェッショナルを
 紹介してもらうこともできます。
 
 ■ 「潜在的」なナレッジ・リターン
 
 このように、「リレーション・リターン」というものは、
 ある意味で、「潜在的なナレッジ・リターン」なのです。
 従って、この二つのリターンを結びつけ、
 相乗効果を生み出すことによって、
 知的プロフェッショナルは、
 「収穫逓増」の戦略を加速することができるのです。
 
 このことは、すでに述べました。
 仕事を通じて価値ある「ナレッジ・リターン」を得る人物は、
 そのナレッジを求めて周りに多くの優秀な人材が集まり、
 自然に「リレーション・リターン」を増大させていきます。
 そして、その優れた人材との「リレーション」が、
 さらに価値ある「ナレッジ」を、その人物にもたらしてくれるのです。
 これが、「収穫逓増」の好循環サイクルであり、
 「リレーション・リターン」が
 「潜在的なナレッジ・リターン」になる理由でもあります。
 
 しかし、ここで注意しておくべきことがあります。
 それは、こうした話を聞いて、日本企業に勤める多くのビジネスマンが、
 「ああ『人脈』のことか」と考えてしまうのです。
 しかし、この発想には、大きな落とし穴があります。
 
 それは、異業種交流会などで互いに名刺を交換しただけで、
 「人脈」ができたと考え、
 それだけで、いつでもその「人脈」の智恵を
 借りることができると考えてしまうことです。
 
 実は、日本企業のビジネスマンには、
 こうした誤解をしている方々が少なくありません。
 しかし、こうした形で安易に作られた「人脈」は、
 仕事において何らかの知識や智恵が必要となる問題に直面し、
 いざ実際にその「人脈」を活用しようとすると、あまり役に立ちません。
 それは、なぜか?
 
 「智恵を借りる」ことができないからです。
 
 ■ 智恵は「等価交換」される
 
 すなわち、そもそも「他人の智恵」というものは、
 「智恵を借りる」という言葉に象徴されるように、
 いつか「智恵を返す」ことが前提となっているのです。
 
 言葉を換えれば、智恵というものは、
 本来、「等価交換」されるものなのです。
 
 日本語で、「智恵を貸してください」という言葉は、暗黙に、
 「いつか智恵を返しますから」ということが約束されているのです。
 
 もちろん、こうした「智恵の貸し借り」は、
 決して定量的に計れるものではありませんから、
 厳密にそれが行なわれているわけではありません。
 しかし、知的プロフェッショナル同士は、無意識に、
 その「智恵のバランスシート」を読んでいるのです。
 
 すなわち、知的プロフェッショナル同士の「リレーション」というものが、
 本当に意味を持つのは、
 お互いに持っている知識や智恵のレベルが等価のレベルにあり、
 「ギブ・アンド・テイク」が成立するような状況においてなのです。
 従って、この「リレーション・リターン」というものを、
 「潜在的なナレッジ・リターン」に結びつけていくためには、
 そもそも自分自身が知的プロフェッショナルとして、
 何らかの分野における高度な知識や深い智恵を
 身につけていることが大前提なのです。
 
 しかし、日本のビジネスマンの多くは、
 「知的怠惰」に流される傾向があります。
 
 すなわち、自分自身の専門的な知識を広げ、
 職業的な智恵を深めるという努力を抜きにして、
 ただ、赤提灯やカラオケ、接待やゴルフなどで「人脈」とおぼしきものを築き、
 それで、いざとなったら「智恵を借りよう」と
 安易に考えてしまう傾向があるのです。
 しかし、これからの知識社会においては、
 こうした形で「人脈」というものを安易に考えてきたビジネスマンは、
 知的プロフェッショナルとの「リレーション」を生み出していこうとすると、
 大きな壁に直面することになるでしょう。
 
 繰り返しになりますが、
 知的プロフェッショナルの世界で「リレーション」が広がるというのは、
 「智恵の貸し借り」が成立する関係が生まれることに他なりません。
 「智恵を貸してくれ」と頼んで、相手がそれに応じてくれるということは、
 相手もいつか困った時にこちらから「智恵を借りる」ことができるという
 暗黙の了解が成立しているのです。
 
 そして、そういう意味において、
 智恵というものは「等価交換」されるわけです。
 しかも、不思議なことに、
 高度な知識や深い智恵ほど「等価交換」されるのであり、
 それは、金を払えば誰でも買えるといった
 「商品売買」されるものではないのです。
 このことを深く理解しておかないと、
 ここで述べた「リレーション・リターン」というものを最大化し、
 うまく活用していくことはできません。
 
 従って、我々が、知的プロフェッショナルをめざすのならば、
 古い意味での「人脈」ではなく、
 こうした意味での「智恵の等価交換」のネットワークをこそ、
 築いていかなければならないのです。
 
 
2003年10月23日
 第33回 「パーソナリティ」という課題
 
 しかし、まずこの意味において「リレーション・リターン」を理解したうえで、
 もう少し深い世界を見ておく必要があります。
 
 なぜなら、知的プロフェッショナルの世界においても、
 決して金銭報酬や等価交換を求めず、
 相手に一方的に智恵を提供するだけという関係が生まれてくるからです。
 それは、どのような場合でしょうか?
 
 相手に対する深い「共感」が生まれたときです。
 
 例えば、若手のビジネスマンが
 必死になってプロフェッショナルの世界に這い上がろうとしている姿を見て、
 昔の自分の姿がオーバーラップし、
 つい色々なアドバイスをするということがあるかもしれません。
 そうした共感の延長に、師匠と弟子の関係が生まれてくることもあるでしょう。
 
 また、例えば、相手の人間としての真摯な姿勢に打たれ、
 思わず親切なアドバイスをすることがあるかもしれません。
 相手の人間性に深く共感したときです。
 
 逆に、たとえ知的プロフェッショナル同士の
 「智恵の等価交換」が成立する関係でも、
 あまりにも強く「ギブ・アンド・テイク」の感覚が伝わってしまい、
 お互いの「計算」が透けて見えてしまうと、
 かえって良い関係が築けないことがあります。
 実は、そこに、知的プロフェッショナルとしての
 深みある大切な課題があるのです。
 何でしょうか?
 
 それは、「パーソナリティ」という課題です。
 
 すなわち、一流の知的プロフェッショナルは、
 あまり「計算」を感じさせない自然体を身につけているのです。
 自由に、しなやかに、楽しく会話しているようでいて、
 どこかでバランスをとることができる。
 その絶妙なバランス感覚そのものが、
 一流の知的プロフェッショナルになっていくための不可欠の資質なのでしょう。
 
 そう考えるならば、前回の言葉を修正しておく必要があります。
 
 前回は、知的プロフェッショナルの世界は、
 「ギブ・アンド・テイク」だと言いました。
 しかし、正確に言えば「ギブ・アンド・ギブン」の世界なのです。
 
 すなわち、まず自分から相手に対して「与える」のです。(ギブ)
 そのとき、なぜか自然に相手から「与えられる」のです。(ギブン)
 
 「与えよ、さらば、与えられん」ということでしょうか。
 
 一流の知的プロフェッショナルというのは、
 見事なほど、そうした自然なバランス感覚を身につけています。
 そして、一流の知的プロフェッショナルは、
 やはり一流のパーソナリティを持っているのです。
 
 これは私自身のささやかな経験からも、そう感じています。
 
 かつて私は、アメリカのシンクタンクであるバテル記念研究所で
 客員研究員として働いた経験があります。
 このバテル記念研究所は、
 ゼロックス、バーコード、ホログラムなどの革新的技術を開発した
 世界最大の技術系シンクタンクであり、
 技術のプロフェッショナルや発明の天才が集まっているような研究所です。
 私は、世界中で8000名が働くこの研究所で、
 幸いなことに、世界のトップ20と言われる研究者達と
 同じ職場で働くことができました。
 そのとき、深く勉強になったことがあります。
 
 それは、この研究所におけるトップランカーの天才的な研究者達が、
 皆、非常に優れたパーソナリティの持ち主だったことです。
 
 なぜなら、彼らは、寸暇を惜しんで仕事をする
 超多忙のプロフェッショナルであるにもかかわらず、
 日本からやって来た若い研究者の質問に、
 嫌な顔一つせずに時間を割いて懇切丁寧に教えてくれたからです。
 そのパーソナリティには、正直、深く感銘を受けました。
 
 しかし、現在の日本社会には、誤解があるようです。
 
 すなわち、仕事ができる人は、少しくらい偏屈でも許されるという誤解です。
 
 もちろん、それが音楽や絵画の世界ならば許されるかもしれません。
 また、コンピュータのプログラミングの世界で、
 何万人に一人の天才ならば許されるかもしれません。
 
 しかし、「人間」というものを相手にする
 ビジネスの世界で仕事をするかぎり、やはり、
 一流の知的プロフェッショナルは、
 一流のパーソナリティを持っているのです。
 
 我々は、そのことを、決して忘れてはならないでしょう。
 
 
2003年10月30日
第34回 「個人カンパニー」の時代には「個人ブランド」を生み出せ
 
 さて、「目に見えない四つのリターン」の第三は何か?
 
 「ブランド・リターン」(評判報酬)です。
 
 この「ブランド・リターン」とは、
 ある仕事に一生懸命に取り組み、優れた業績を残すことによって、
 そのビジネスマンの「評価」が高まり、「評判」が生まれ、
 「ブランド」が形成されてくるということです。
 
 そして、これからの時代には、
 知的プロフェッショナルをめざすビジネスマンにとって、
 この「ブランド・リターン」というものが大切になっていきます。
 なぜでしょうか?
 
 「個人カンパニーの時代」がやってくるからです。
 
 これまでの時代は、ビジネスマンのアイデンティティは、
 「いかなる大企業に属しているか」や
 「いかなる有名企業で働いているか」でした。
 そのため、「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれると、
 多くのビジネスマンが胸を張って、
 「私は、根っからの三菱マンです」
 「住友で働いて30年です」などと語り、
 そうした企業グループ名や会社名を
 自分自身のブランドとして仕事をしてきました。
 
 しかし、こうした「大企業中心」の発想は、
 これからは、通用しなくなります。
 
 なぜならば、これから、日本の企業社会においては、
 大企業の終身雇用制が崩れ、
 中小・中堅企業への転職や、ベンチャー企業の創業などが
 ビジネスマンにとって自然な選択肢になっていくからです。
 そして、こうした時代にビジネスマンに問われるのは、
 「いかなる大企業に属しているのか」や
 「いかなる有名企業で働いているのか」ではなく、
 一人の知的プロフェッショナルとして、
 「いかなる仕事をしてきたのか」や
 「どのような仕事ができるのか」なのです。
 
 すなわち、「大企業の一員」としてではなく、
 「一人の個人」としてのアイデンティティが問われるようになるのです。
 
 また、こうした状況に加え、
 これからの日本の企業社会においては、
 アウトソーシング(外注)、パートナリング(共同)、
 アライアンス(提携)などが日常茶飯事となっていきます。
 そのため、多くのビジネスマンが、
 一日の仕事の大半を他企業のビジネスマンとの協働作業に使うようになり、
 むしろ、同じ企業内のビジネスマンと仕事をしている時間の方が少ない
 という状況さえ生まれるようになります。
 
 これは、まさに「個人カンパニー」です。
 
 ■ 「個人カンパニー」の時代
 
 すなわち、こうした状況は、ある意味では、
 まず「自分」という「個人カンパニー」が核にあり、
 それらが社内外の個人カンパニーと集まって、
 「バーチャル・コーポレーション」的に
 一つの企業を形成して活動している状況と言えるのです。
 
 従って、こうした時代における知的プロフェッショナルの条件は、
 たとえ大企業に所属していても、
 自分自身が一つの「個人カンパニー」であるとの意識を持ち、
 自立した個人としての自覚をもって働くことです。
 
 しかし、もし、これからの時代が「個人カンパニー」の時代であるならば、
 その「個人カンパニー」に求められるものがあります。
 
 「ブランド戦略」です。
 
 しばらく前から、「企業」にとって
 「ブランド戦略」が重要であることは共通の認識になってきていますが、
 これからは「個人カンパニー」にとっても
 「ブランド戦略」が重要になっていきます。
 すなわち、これからの時代には、
 「企業」だけでなく「個人」にとっても
 「ブランド戦略」が重要になっていくのです。
 
 ある仕事に一生懸命に取り組み、優れた業績を残すことによって、
 そのビジネスマンの「評価」が高まり、「評判」が生まれ、
 「個人のブランド」が形成されてくる。
 
 そういう意味での「個人のブランド戦略」が重要になっていくのです。
 
 
2003年11月06日
第35回 「個人のブランド」が生まれるとき
 
 では、この「個人のブランド」というものは、
 いったい、どのようにして生まれてくるのでしょうか?
 そこには、いくつかのプロセスがあります。
 
 前回は、「そのビジネスマンの評価が高まり、評判が生まれ、
 ブランドが形成されてくる」と言いましたが、
 まず最初に大切なのは「評価」(evaluation)が高まることです。
 このうち特に重要なのは、「人事部からの評価」ではなく、
 むしろ「顧客からの評価」です。
 
 その理由は、二つあります。
 まず第一に、これからの時代には、
 「人事部からの評価」そのものが、
 そもそも「顧客からの評価」に重点を置いて行われるようになっていくからです。
 そして第二に、「顧客からの評価」は、
 そのまま業界での「評判」(reputation)につながっていくからです。
 
 しかも、この「業界での評判」は、その業界の内外へ急速に広がっていきます。
 
 特に、これらの評判のなかでも重視すべきは、「同業者からの評判」です。
 すなわち、同業種のプロフェッショナルの中での評判です。
 なぜ、そうした評判が重要なのか?
 
 「同業種のプロフェッショナルの中での評判」は、
 極めて伝播力が強いからです。
 
 そして、この「同業種のプロフェッショナルの中での評判」が、
 過去の優れた業績と結びついて「伝説」や「神話」のような物語になっていくと、
 「個人のブランド」が形成され始めます。
 
 ■ 求められる「個性的なスタイル」
 
 しかし、実は、プロフェッショナルの世界で「ブランド」が形成されるためには、
 単に、過去に優れた仕事を成し遂げたり、
 大きな業績を挙げたことだけでは不十分なのです。
 では、何が必要なのでしょうか?
 端的に述べましょう。
 
 「スタイル」です。
 
 プロフェッショナルの世界で「ブランド」が形成されるためには、
 他のプロフェッショナルとは異なる「独自のスタイル」が必要なのです。
 
 それは、「個性的なスタイル」と言ってもよいでしょう。
 
 では、そうした「独自のスタイル」や「個性的なスタイル」というものは、
 どのようにして生まれてくるのでしょうか?
 
 「思想」や「美学」です。
 
 すなわち、プロフェッショナルの個性というものは、
 究極、その内面深くに持つ「思想」や「美学」が映し出されたものなのです。
 
 それは、「何のために、この仕事に取り組んでいるのか?」や
 「いかにして、この仕事を成し遂げるのか?」といったことに対する
 思想や美学です。
 
 そうしたことに対する「こだわり」が、
 そのプロフェッショナルの仕事に独自の個性的なスタイルを生みだし、
 その仕事を評する人々のなかに「ブランド・イメージ」を生み出していくのです。
 
 ■ もたらすべき「精神的な何か」
 
 逆に言えば、こうした「個性的なスタイル」を持たない人が、
 どれほど大きな業績を挙げても、
 「あいつは史上最高の売上を達成したらしい」という噂話にはなりますが、
 それは、決して、「伝説」や「神話」として語り継がれることはありません。
 やはり、プロフェッショナルの世界で「伝説」や「神話」を残す人々は、
 単なる業績や実績などの数字的なものを超えて、
 より精神的な何かを、その業界にもたらすのです。
 
 例えば、将棋で七冠を達成した羽生善治棋士は、
 勝負そのものに対するこだわりよりも、
 「後世に伝えられる棋譜を残したい」というこだわりを持っています。
 そのため、名人戦などの重要な対局においても、
 手堅い戦術を選ばず、あえてリスクを取ってでも新しい戦術の創造に挑戦する
 という姿勢を持っています。
 
 また、例えば、アメリカの大リーグ野球でMVPを獲得したイチロー選手は、
 打率やタイトルそのものにこだわるよりも、
 「自分で納得のいく野球ができたか」にこだわり続けています。
 彼にとっては、打率や安打数、タイトルは、
 「自分で納得のいく野球ができた」ことの結果にすぎません。
 逆に言えば、彼は、
 たとえ最高打率や最多安打を記録し、数多くのタイトルを取っても、
 「自分で納得のいく野球」ができなければ決して満足しないという、
 精神の厳しさと強さを持っているのです。
 
 このように、どの分野であろうとも、
 一流のプロフェッショナルは、
 「思想」や「美学」とでも呼ぶべきものを持っており、
 数字的なものよりも、
 むしろ精神的な「こだわり」を大切にして仕事に取り組んでいます。
 そして、そのような「思想」や「美学」、「こだわり」こそが、
 そのプロフェッショナルの「独自のスタイル」や
 「個性的なスタイル」を生み出し、
 それが、そのプロフェッショナルの「ブランド」を生み出していくのです。
 
 我々が、もし、一流の知的プロフェッショナルをめざすのならば、
 そのことを深く理解しておかなければならないでしょう。
 
 ■ 「ブランド」が好循環のサイクルを加速する
 
 さて、以上述べてきたように、
 「目に見えない四つのリターン」の第三は、この「ブランド・リターン」です。
 
 そして、ここまで述べた、
 「ナレッジ・リターン」「リレーション・リターン」「ブランド・リターン」
 という「三つのリターン」が一つになって相乗効果を生み出すとき、
 いよいよ、その知的プロフェッショナルは、
 「収穫逓増」の好循環のサイクルに入っていくことができるのです。
 
 その好循環のサイクルを、もう一度、述べておきましょう。
 
 まず第一に、仕事を通じて価値ある「ナレッジ」を学び続ける
 知的プロフェッショナルの周りには、
 その高度な知識や深い智恵を求めて、
 多くの優れた人材や知的プロフェッショナルが集まってきます。
 
 第二に、そのようにして形成された
 優れた人材や知的プロフェッショナルとの広汎な「リレーション」は、
 さらに多くの「ナレッジ」をその知的プロフェッショナルにもたらしてくれます。
 
 第三に、それらの価値ある「ナレッジ」と
 広汎な「リレーション」がもたらす「仕事の成功」は、
 その知的プロフェッショナルの「ブランド」を高めていきます。
 
 そして第四に、その「ブランド」が、
 さらに多くの優れた人材や知的プロフェッショナルを周囲に集め、
 「ブランド形成」→「リレーション拡大」→「ナレッジ増大」→
 「仕事の成功」→「ブランド強化」という好循環のサイクルを
 生み出していくのです。
 
 これが、「ナレッジ」「リレーション」「ブランド」という
 「三つのリターン」を結びつけることによって生み出される
 好循環のサイクルであり、
 これからの時代の知的プロフェッショナルがめざすべき
 「収穫逓増」のキャリア戦略に他ならないのです。
 
 
2003年11月13日
第36回(最終回) 「パーソナリティ」こそが「最高の戦略」となる
 
 しかし、最後に、もう一つの「リターン」を忘れてはなりません。
 
 「目に見えない四つのリターン」。
 その第四の「リターン」です。
 
 それは何でしょうか?
 
 「グロース・リターン」(成長報酬)です。
 
 すなわち、「成長」(growth)というリターンです。
 
 我々は、仕事を通じて成長していきます。
 働くことの苦労や喜びを通じて、人間として成長していきます。
 
 そして、この「人間としての成長」というものが、
 知的プロフェッショナルにとって、
 働くことの「究極のリターン」なのです。
 
 なぜでしょうか?
 
 「自分」というものが、「究極の作品」だからです。
 
 知的プロフェッショナルにとっては、
 「自分自身」が、「究極の作品」なのです。
 
 では、「作品」とは何か?
 
 それは、我々が、限りある人生の中で、仕事というものを通じて、
 そして、働くことを通じて、心を込めて残していくものです。
 
 そして、もし世の中に、
 「プロフェッショナルの条件」と呼ぶべきものがあるならば、
 この「作品」という視点こそが、その条件なのです。
 
 なぜならば、プロフェッショナルが、
 仕事というものを通じて生み出しているのは、
 単なる「商品」ではないからです。
 
 プロフェッショナルが、
 働くことを通じて生み出しているのは、
 心を込めた「作品」なのです。
 
 それはときに、建築物やファッションのような「形に残る作品」かもしれません。
 それはときに、教育や介護のサービスのような「形に残らない作品」かも
 しれません。
 
 しかし、いずれにしても、プロフェッショナルは、
 自分が仕事を通じて生み出しているものを、
 単なる「商品」とは思っていないのです。
 
 プロフェッショナルは、
 自分が働くことを通じて生み出しているものを、
 かけがえのない「作品」であると思っているのです。
 
 限りある人生の中で、心を込めて残していく「作品」であると考えているのです。
 
 そして、もし我々が、プロフェッショナルとしての自覚を持ち、
 仕事において、こうした「作品」という視点を深めていくと、
 いつか、一つの「思想」に逢着します。
 
 それが、冒頭に述べた「思想」です。
 
 「自分自身」が、「究極の作品」である。
 
 その「思想」です。
 
 プロフェッショナルは、
 数々の「作品」を生み出し続けていく自分自身が「究極の作品」であるという
 思想をいつか抱くようになっていくのです。
 
 そして、もし、この思想を胸に抱くならば、
 プロフェッショナルは、その人生における長き道のりを、
 「自分という作品」を創り上げていくという矜持を持って歩み、
 日々の仕事に取り組んでいくでしょう。
 
 そして、「人間としての成長」をどこまでも求め続けることによって、
 「自分という作品」を高め、磨き続けていくでしょう。
 
 これが、「グロース・リターン」ということの、
 本当の意味です。
 
 「人間としての成長こそが究極の報酬である」ということの、
 最も深い意味です。
 
 ■ 「自然(じねん)の智恵」の世界に向かって
 
 そして、この「グロース・リターン」が、
 「ナレッジ」「リレーション」「ブランド」という
 三つのリターンの好循環のサイクルに加わるとき、
 知的プロフェッショナルにとっての「収穫逓増」の戦略は、
 最も強力な段階を迎えるのです。
 
 なぜでしょうか?
 
 「パーソナリティ」こそが、最高の戦略だからです。
 
 すなわち、「グロース・リターン」を求め続けることによって
 人間としての成長を遂げていく知的プロフェッショナルは、
 その成長の結果、優れた「パーソナリティ」を身につけていきます。
 
 そして、優れたパーソナリティを身につけた知的プロフェッショナルの周りには、
 自然に、多くの人々が集まり、多くの智恵が集まるだけでなく、
 自然に、多くの機会が集まり、多くの仕事が集まってくるのです。
 
 知的プロフェッショナルが、究極、めざすべきは、
 まさにこうした世界に他なりません。
 
 しかし、おそらく、そのとき、この知的プロフェッショナルの心の中には、
 すでに「収穫逓増」の戦略もなく、「波乗り」の戦略思考もないでしょう。
 
 そのとき、この知的プロフェッショナルが身につけているのは、
 欧米的な思考のスタイルや戦略思考をはるかに超えた、
 東洋思想に語られる「自然(じねん)の智恵」とでも呼ぶべきものなのでしょう。
 
 いかなる企図も人為もなく、自然に物事が善き方向へと巡っていく。
 
 そうした「自然」の世界を現ずる、「深い智恵」を身につけているのでしょう。
 
 我々ビジネスマンが、これからの永い歳月の歩みを通じて、
 先達のプロフェッショナルから学ぶべきは、
 究極、この「深い智恵」に他ならないのです。