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2003年07月24日
 第21回 自己投資についての「3つの誤解」
 
 では、これからの時代には、
 「自己投資」の戦略をどう考えるべきか?
 
 ここまで、知識社会のキャリア戦略を様々な角度から考えてきましたが、
 おそらく、この問いが、皆さんの頭に浮かんでいるのではないでしょうか?
 そこで、これからは、その「自己投資」の戦略について述べましょう。
 
 実は、この「自己投資」の戦略を考えるとき、
 「3つのポイント」があります。
 
 そして、多くの人々が、自己投資の戦略を考えるとき、
 この「3つのポイント」について「誤解」をしているのです。
 
 では、「3つのポイント」とは何か?
 
 第一が、「何を投資するか?」です。
 第二は、「何に投資するか?」です。
 第三は、「何を投資の成果とするか?」です。
 
 そして、多くの人々が、
 これら「3つのポイント」について誤解をしているのです。
 これから、それぞれについて述べていきましょう。
 
 ■ 投資すべきは「資金」か?
 
 まず、第一が「何を投資するか?」についての誤解です。
 
 例えば、「自己投資」と聞くと、
 多くの人々が、自己啓発書やパソコンを買うという日常的な投資から始まり、
 アフターファイブを使って英会話学校や専門学校に通うこと、
 さらには、ウィークエンドを使って社会人大学院に通うこと、
 そして、思い切って海外に留学してMBA(経営学修士)を取ることなどを
 イメージします。
 
 そして、そのとき、しばしば使われる言葉が、
 「貯金をはたいて」という形容句です。
 
 この言葉に象徴されるように、
 これまで「自己投資」における「資本」とは、
 給料や貯金などの「お金」であると考えられてきました。
 すなわち、手元にある貴重な「資金」を何に投資するかという観点から
 考えられてきたのです。
 しかし、これからの知識社会における「自己投資」の戦略を考えていくとき、
 「何を投資するか?」という意味での「資本」として、
 最も大切なものは、「お金」ではありません。
 では、何か?
 
 「時間」です。
 
 この「時間」という「資本」や「資産」をどう使っていくかということこそが、
 「自己投資」の戦略において極めて重要なのです。
 
 なぜでしょうか?
 例えば、年俸400万円を取っている人材を考えてみましょう。
 もし、彼が働いている時間が年間200日であるとすれば、
 1日2万円の価値を持って働いているわけです。
 すると、この人材が持っている、残りの160日を超える
 週末や休暇をどう使うかということは、
 実は、300万円以上の「投資」の戦略なのです。
 
 そして、この「見えない投資額」は、
 より高い年俸を取っている中高年のビジネスマンにとっては、
 当然のことながら、その何倍もの額になるのです。
 これに対して、平均的なビジネスマンを考えたとき、
 本やパソコン、英会話学校や専門学校などに
 300万円の「資金」を投資をできる人は必ずしも多くありません。
 
 しかし、この「時間」という資本は、
 誰にも平等に与えられているものなのです。
 
 言い換えれば、ビジネスマンなら誰もが、
 「時間」という形で数百万円の「見えない投資」を行っているのです。
 それにもかかわらず、そのことを自覚しているビジネスマンは
 決して多くはありません。
 
 しかし、不思議なことに、
 一方で、多くのビジネスマンが、
 数百万円の「貯金」をどのように資産運用したらよいかと
 頭を悩ませているのです。
 そして、「株式投資」「投資信託」「外貨預金」などについて、
 本や雑誌を読んで勉強と研究に熱を上げているのです。
 これは、大いなる「錯誤」です。
 
 もし、資産運用の方法を研究するのならば、
 「時間」という資産の運用方法をこそ徹底的に研究すべきです。
 
 なぜでしょうか?
 
 「時間」という資産は、
 誰にも平等に与えられている資産ですが、
 その運用ノウハウによって
 「ROI」(Return on Investment:投資収益率)に
 何百倍、何千倍もの差が生まれてしまう資産だからです。
 
 では、「時間」という資産の運用ノウハウとは何か?
 次回、そのノウハウを身につけていくためのポイントを述べましょう。
 
2003年07月31日
 第22回 「集中力」という基礎体力
 
 一つは、「集中力」です。
 
 恐ろしいことに、ビジネスマンにとって、
 この「集中力」ほど、個人差が存在するものはありません。
 そして、この「集中力」の差によって、
 同じ時間を与えられても、得られる「リターン」が決定的に違ってしまうのです。
 「ROI」に圧倒的な差がついてしまうのです。
 
 例えば、経営企画室の2人の若手社員が、
 資料配布などの事務手伝いのために、ある日、経営会議の場に同席したとします。
 会議後、この2人に「今日の経営会議に同席して何を学んだか?」と聞いてみると、
 その集中力の差によって、会議で学んだものに
 圧倒的な差がついていることが分かります。
 
 集中力のない若手社員は、「専務の意見は、こういう意見でした」
 「それに対して常務からこういう発言が出ました」といった
 「議事録」的な情報しか掴むことはできません。
 これに対して、集中力のある若手社員は、
 こうした「議事録」的な情報だけでなく、
 「専務の表情からすると、本音は、あの案件には反対ですね」
 「常務の首の傾げ方からすると、現場の反応は複雑なようですね」といった
 「空気」や「雰囲気」という高度な情報まで読み取ります。
 
 このように、ビジネスマンの「集中力」の差によって、
 同じ時間と経験が与えられても、
 得られる「リターン」が決定的に違ってしまうのです。
 
 従って、「時間」という資産の運用ノウハウを身につけるためには、
 まず、この「集中力」という能力を、いかに高めるかが課題となるのです。
 
 ■ 「工夫」という応用技術
 
 さて、もう一つのポイントは何か?
 
 「工夫」です。
 
 やはり、この「工夫」ということも、
 「集中力」と同様、ビジネスマンによって大きな個人差があり、
 また、その差によって、得られる「リターン」が大きく違ってしまうのです。
 
 例えば、あるコンサルタントは、地方出張のとき、
 たとえ2倍の時間がかかっても飛行機ではなく、新幹線で出張します。
 その理由は、新幹線での出張では、移動時間をフルに仕事にあてられるため、
 ノートパソコンを使ってかなりの仕事ができるからです。
 これに対して、飛行機での出張は、移動時間そのものは短いのですが、
 飛行場までの移動時間、チェックインやゲートでの待ち時間が多いため、
 仕事に使えない「デッドタイム」が多すぎるからです。
 
 こうしたことが、「工夫」ということの一つの意味です。
 
 しかし、この「工夫」ということが大切な本当の理由は、
 少し深いところにあります。
 それは、何か?
 
 「努力」という幻想に陥らないためです。
 
 しばしば、多くのビジネスマンは「努力」という言葉を好んで使います。
 例えば、「もっと時間を上手く使えるように努力します」
 「もっと時間を集中して使えるように努力します」といった表現で
 「努力」という言葉を語ります。
 しかし、実は、この「努力」という言葉には大きな「落とし穴」があります。
 なぜか?
 
 この「努力」という言葉が、
 極めて「抽象的」で「主観的」な言葉だからです。
 
 すなわち、この「努力」という言葉は、
 油断をすると、極めて抽象的で主観的な精神主義に陥りやすい言葉なのです。
 例えば、しばしば耳にするのが、
 「私なりに努力はしているのですが」という言葉です。
 しかし、この言葉は、実は何も語っていない言葉です。
 なぜなら、いかなる「努力」も、
 「具体的」にどのような「工夫」をしたかという形で「客観的」に
 語られなければ、確かめようがないからです。
 
 そうした意味でも、この「工夫」ということは、極めて大切です。
 
 ■ 「心の工夫」の大切さ
 
 しかし、「時間」という貴重な資産の運用を考えるとき、
 決して忘れてはならない大切な「工夫」があります。
 
 それは、時間の無駄を無くしたり、時間を節約したりするという
 物理的な「工夫」ではありません。
 それは、最も深みある心理的な「工夫」です。
 何でしょうか?
 
 時間の「意味」を見いだす工夫です。
 
 例えば、仕事において、
 誰が見ても「無駄な時間」と思える時間があります。
 街頭での顧客との待ち合わせで、
 顧客が時間を間違え、大幅に遅れて来ることになった。
 その長い待ち時間を、ただ街頭に立って待つことになった。
 そのとき、その偶発的なトラブルを恨みながら、
 ただ漫然と無為に時間を過ごすか。
 それとも、心の世界で「工夫」をするか。
 
 例えば、「そうだ、この機会に、
 最近の若者達のファッションを観察してみよう」と考えて時間を過ごすならば、
 その「待ち時間」は、極めて有意義な時間に変わります。
 
 それが、心の世界での「工夫」です。
 そして、それが「工夫」ということの、最も深い意味です。
 
2003年08月07日
2003年08月07日 号
 
┌────────────────────────────────────┐
 多くの人々が、自己投資の戦略を考えるとき、
 「3つのポイント」について「誤解」をしています。
 
 では、「3つのポイント」とは何か?
 
 第一が、「何を投資するか?」です。
 第二は、「何に投資するか?」です。
 第三は、「何を投資の成果とするか?」です。
 
 今回は、第二の誤解、
 「何に投資するか?」について述べましょう。
└────────────────────────────────────┘
 
 第23回 投資すべきは「週末の時間」か?
 
 いま、多くのビジネスマンが、
 「自己投資」とは、
 仕事が終わった「アフターファイブ」や
 仕事のない「ウィークエンド」を使って、
 専門知識や語学などを身につけたり、
 専門資格を取得するため学校に通ったりすることであると考えています。
 
 しかし、これもまた大いなる誤解です。
 
 すでに何度も述べてきたように、
 これからの知識社会において活躍するためには、
 書物や学校で学ぶことのできる「ナレッジ」(専門知識)ではなく、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウ、
 さらには直観力や洞察力といった
 「ディープ・ナレッジ」(深層知識)をこそ
 身につけなければならないのです。
 
 もしそうであるならば、
 ビジネスマンが、その貴重な「時間」という資産を投資すべきは、
 実は、「アフターファイブ」の学校でもなければ、
 「ウィークエンド」の書物でもありません。
 ビジネスマンが、まず何よりも、
 その貴重な「時間」という資産を投資すべき対象は、明らかです。
 
 それは、「ワークタイム」の仕事です。
 
 すなわち、毎日の仕事に対してこそ、最大の投資を行うべきなのです。
 なぜか?
 
 書物や学校では、
 「ディープ・ナレッジ」を身につけることができないからです。
 
 日々の仕事の中でこそ、
 貴重な「ディープ・ナレッジ」を学ぶことができるからです。
 
 そして、実際の仕事を通じて身につけた「ディープ・ナレッジ」こそが、
 知的プロフェッショナルとしての「商品価値」となっていくからです。
 ビジネスマンの方々は、そのことをこそ理解すべきでしょう。
 
 こうしたことを述べると、意外に思われる方々もいると思いますが、
 この「逆説」を理解されるべきです。
 
 たしかに、しばらく前の「スペシャリスト不足の時代」においては、
 専門知識を学び、専門資格を取ることが、
 自分の「商品価値」を上げるための有効な方法でした。
 しかし、まもなく、単に書物で学んだ専門知識や、
 学校で取った専門資格を持っているというだけの
 「素人スペシャリスト」は世に溢れてきます。
 では、そのとき、何が問われるのか?
 
 繰り返しになりますが、「ディープ・ナレッジ」です。
 
 そして、日々の仕事を行う「職場」こそが、
 その「ディープ・ナレッジ」を学べる「最高の修業の場」なのです。
 逆に言えば、日々の仕事を通じて、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウ、
 直観力や洞察力を磨くことのできない人材が、
 これからの「スペシャリスト過剰の時代」の荒波を
 乗り越えていくことはできないのです。
 
 されば、ビジネスマンが、
 その貴重な「時間」という資産を投資すべきは、何か?
 それは、「アフターファイブ」の学校でも、
 「ウィークエンド」の書物でもありません。
 
 ビジネスマンが、最大の投資をすべきなのは、
 「ワークタイム」の仕事に他ならないのです。
 
 ■ 時間という「不思議な資産」
 
 しかし、これは何を意味しているのでしょうか?
 
 「ワークタイム」の仕事に投資するとは、
 何を意味しているのでしょうか?
 
 そもそも、「ワークタイム」の時間は、
 給料や年俸と引換えに、会社に売り渡したものです。
 もしそうであるならば、
 その「時間」を自分のために投資することはできないはずなのです。
 
 しかし、そこが「時間」という資産の不思議なところです。
 
 この「資産」は、不思議なことに、
 会社に売り渡しながら、同時に、
 自分のために投資することができるのです。
 
 例えば、会社の業務命令で、
 売上目標達成のために必死の営業活動の日々を送る。
 それは、後ろ向きに考えれば、会社に時間を売り渡し、
 会社のために嫌な営業活動に従事させられているとも考えられます。
 しかし、もしこれを前向きに考えれば、
 会社が買い上げてくれた時間を使って、
 会社という実践の舞台を利用して、
 自分の営業スキルを徹底的に磨くという
 自己投資を行っているとも考えることができるのです。
 
 その二つを分けるのは、
 ほんのわずかな物の見方の違いだけなのです。
 
 従って、もし我々が、物の見方を変えるならば、
 実は、「ワークタイム」の時間とは、
 最高の自己投資の資本であり、最も贅沢な運用資産なのです。
 
 だから、嘆く必要はないのです。
 「アフターファイブは客先とのつきあい。
 ウィークエンドは家族サービス。
 これでは、自己投資の時間など作れない」と
 嘆く必要はないのです。
 
 ほんのわずかな視点の転換だけで、
 我々は、毎日10時間以上の時間を
 自己投資していることに気づくのです。
 
 求められているのは、
 その「ほんのわずかな視点の転換」だけなのです。
 
 
2003年08月21日
第24回 「知識と智恵」だけが自己投資の成果か?
 
 そもそも、通常の投資においては、
 「投資の成果」とは「金銭」に他なりません。
 では、自己投資において得られる成果は何か?
 
 「ナレッジ」(専門知識)が成果である。
 
 多くの人々が、そう思っているのではないでしょうか?
 例えば、自己投資として海外留学をして
 「MBA」(経営学修士)を取得したとしましょう。
 この場合の自己投資の成果は、
 明らかに、経営学に関する「専門知識」です。
 
 しかし、ここで、
 「目に見えない4つのリターン」のことを思い出して頂きたい。
 仕事には「目に見えない4つの報酬」があるという話です。
 それは、何か?
 
 (1) 「ナレッジ・リターン」  (知識報酬)
 (2) 「リレーション・リターン」(関係報酬)
 (3) 「ブランド・リターン」  (評判報酬)
 (4) 「グロース・リターン」  (成長報酬)
 
 その4つです。
 すなわち、この考えにもとづくならば、
 自己投資においても、
 単に「ナレッジ」だけが「成果」なのではなく、
 これら「ナレッジ」「リレーション」「ブランド」「グロース」の
 4つすべてが「成果」なのです。
 
 例えば、MBA取得のために海外留学をするならば、
 たしかに、経営学に関する最先端の「専門知識」は学べます。
 しかし、このとき、決して忘れてはならないのが
 「リレーション・リターン」(関係報酬)です。
 海外ビジネススクール留学経験者の多くが、
 留学して良かったことは、経営学の勉強ができたこと以上に、
 世界の企業で活躍する仲間の
 国際的ネットワークができたことであると語っています。
 
 また、世界的に有名なビジネススクールに留学し、
 MBAを取った場合には、
 「あのビジネススクールの卒業生」という
 「ブランド」を手にすることになります。
 従って、この「ブランド・リターン」(評判報酬)も、
 決して忘れてはなりません。
 
 しかし、さらに大切な成果があります。
 「あの厳しい2年間を耐えて、MBAの資格を取った」という自信です。
 その自信をつかむことによって、
 さらに一回り、人間として成長したという成果です。
 これが「グロース・リターン」(成長報酬)です。
 
 ■ 自己投資にも求められる「長期投資」の視点
 
 このように、自己投資においても、
 単に「ナレッジ」だけでなく、
 これら「リレーション」「ブランド」「グロース」を含めた
 4つの「リターン」(成果)があるのです。
 従って、自己投資においては、
 これら4つのリターンそれぞれについて、
 何が成果として得られたかを考える必要があるでしょう。
 そして、そのとき、理解しておくべき大切なことがあります。
 
 それは、リターンの「即効性」と「持続性」です。
 
 これらのリターンには、
 そのリターンの効果を得るためにかかる時間(即効性)と、
 そのリターンの効果が持続する時間(持続性)があるのです。
 そして、「ナレッジ」「リレーション」「ブランド」「グロース」という
 4つのリターンにおいては、
 前者ほど「即効性」が高く、後者ほど「持続性」が高いのです。
 
 分かりやすく言えば、
 専門知識のような「ナレッジ・リターン」は、
 すぐに手に入れられますが、すぐに陳腐化し、古くなってしまうのです。
 また、「リレーション・リターン」は、
 リレーションやネットワークを形成するのに時間はかかりますが、
 ひとたび形成されたネットワークは、すぐには古くなりません。
 
 さらに、「ブランド・リターン」は、
 それを形成するのにはかなり時間がかかりますが、
 ひとたびそれを形成したならば、その価値は長く続きます。
 そして、「グロース・リターン」は、
 正しい心構えで臨むならば、
 どのような自己投資においても、
 かならず手に入れることのできるリターンであり、
 決して失われることのない成果です。
 
 すなわち、自己投資においては、
 「即効性」のある「ナレッジ・リターン」だけに目を奪われるのではなく、
 長期投資の視点から、「リレーション」はもとより、
 「ブランド」や「グロース」というリターンにも
 目を向けておく必要があるのです。
 
 ■ 自己投資の戦略の「3つのポイント」
 
 さて、このように、「自己投資の戦略」を考えるとき、
 「何を投資するか?」
 「何に投資するか?」
 「何を投資の成果とするか?」という
 「3つのポイント」について、考え方を誤らないことが大切です。
 
 もう一度、その基本を述べておきましょう。
 
 第一に、自己投資において大切なのは、
 「給料」や「貯金」などの資産をいかに投資するかではありません。
 最も大切なのは、「時間」という貴重な資産をいかに投資するかなのです。
 
 第二に、その貴重な「時間」という資産を投資すべき最も大切な投資対象は、
 実は、専門資格を取るための学校や、
 専門知識を学ぶための書物ではありません。
 最も大切な投資対象は、
 すでに毎日10時間以上の「時間」を投資している
 「日々の仕事」なのです。
 本当に実り多い投資対象は、
 実は、いま我々が働いている職場であり、
 そこでの「日々の仕事」に他ならないのです。
 
 第三に、自己投資において得るべき「リターン」(成果)は、
 まず第一義的には、新しい「専門的な知識」を学び、
 「職業的な智恵」を身につけるという意味での「ナレッジ・リターン」です。
 そして、そのうえで、「人間関係」や「人的ネットワーク」などの
 「リレーション・リターン」を得るべきであり、
 さらに「社内での評価」「業界での評判」「顧客からの人気」といった
 「ブランド・リターン」を得ていくべきです。
 しかし、最も大切な「リターン」は、
 やはり、「人間としての成長」という
 「グロース・リターン」に他なりません。
 
 こうした「自己投資の戦略」における「3つのポイント」を、
 我々は、正しく理解しておかなければなりません。
 
 さて、それでは、「日々の仕事」において、
 これら「目に見えない4つのリターン」をいかに最大化していくか、
 そのことを次回から述べていきましょう。
 
 
2003年08月28日
第25回 個人にも求められる「知識管理」の発想
 
 いかにして「日々の仕事」における「ナレッジ・リターン」を最大化するか?
 
 まず最初に、そのことについて述べましょう。
 
 この「ナレッジ・リターン」という言葉は、
 実は、すでにアメリカにおいては良く使われている言葉なのですが、
 要するに、働いたことによって、
 どのような新しい知識や智恵が「リターン」として得られたかということです。
 
 例えば、我々がマーケティング活動に携わって働くならば、
 「マーケットのニーズがよく把握できた」とか、
 「商品開発のアイデアを得た」など、
 新しい知識や智恵をリターンとして得ることができます。
 
 これが「ナレッジ・リターン」です。
 
 では、どうすれば「日々の仕事」における
 「ナレッジ・リターン」を最大化することができるのでしょうか?
 まず、一つの発想を明確に身につけることです。
 
 「ナレッジ・マネジメント」の発想です。
 
 この「ナレッジ・マネジメント」(知識管理)という言葉は、
 最近、企業情報化のブームのなかで注目されている言葉であり、
 現在、多くの企業が、企業情報システムの導入とともに、
 この「ナレッジ・マネジメント」の方法を導入しています。
 しかし、これからの知識社会においては、
 「企業」ではなく「個人」が、
 この「ナレッジ・マネジメント」の発想と方法を
 身につけていく必要があるでしょう。
 
 すなわち、これからの時代には、
 ある仕事やプロジェクトに携わったとき、
 その結果として、
 「どのような価値ある知識や智恵が得られたか」を考える
 ナレッジ・マネジメントのスタイルが「個人」にも求められるのです。
 
 ■ 個人のナレッジ・マネジメント「3つの心得」
 
 では、その「個人」における
 「ナレッジ・マネジメント」を実行するためには、
 どのような発想と方法が求められるのでしょうか?
 それは、あまり難しいことではありません。
 次の「3つの心得」をしっかりと身につけて、
 日々の仕事に携わることです。
 
 第一は、ある仕事やプロジェクトに携わって働いたとき、
 ただ「色々と勉強になった」「学ぶことが多かった」という
 「感想」のレベルで終わらせず、
 具体的に何を学んだのかを言語化して確認することです。
 
 すなわち、「感想」を「反省」のレベルにまで深めるということです。
 
 それは、業務日誌をつけることでも、
 数人のメンバーで反省会を行うことでも構いません。
 学んだことを「客観化」し、「言語化」することが大切なのです。
 そうした「客観化」と「言語化」の作業をしないかぎり、
 ナレッジ・マネジメントは始まりません。
 
 第二は、その仕事やプロジェクトを通じて学んだことが
 「専門的な知識」なのか、
 「職業的な智恵」なのかを区別することです。
 それは、学んだことが、
 書類や研修で身につけた「ナレッジ」なのか、
 職場の体験で身につけた「ディープ・ナレッジ」なのかを
 区別することでもあります。
 こうした区別をすることが重要な理由は、
 すでに何度も述べたように、
 これからの時代には、単に「専門的な知識」を身につけただけでは
 自分自身の付加価値が高まっていかないからです。
 
 従って、第三は、こうして区別した「専門的な知識」と「職業的な智恵」のうち、
 後者の「ナレッジ・リターン」を意識的に増やしていくことです。
 すなわち、最新の技術や最先端の動向などの「専門的な知識」だけでなく、
 企画力や発表力、会議力や交渉力など、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウと呼ばれる
 「職業的な智恵」のリターンを意識して増やしていくことです。
 
 ■ 書物や学校では決して学べないもの
 
 では、なぜ、こうした「ナレッジ・マネジメント」のスタイルが大切なのか?
 
 もし我々が「知的プロフェッショナル」をめざすのならば、
 日々の仕事を通じて身につけるべきは、
 単なる「専門的な知識」ではないからです。
 例えば、法務室で働く人材にとっての関連法規の知識や、
 技術研究所で働く人材にとっての製品技術の知識などは、
 必ず身につけていなければならない知識です。
 
 しかし、それを身につけることは、
 「知的プロフェッショナル」への道の単なる「入り口」にすぎないのです。
 すなわち、「専門的な知識」を身につけることは、
 知的プロフェッショナルになるための「必要条件」ではあっても、
 「十分条件」ではないのです。
 
 これは「専門的な資格」についても同じです。
 しばしば、専門資格を取得することが
 知的プロフェショナルへの道であるという誤解をする方々がいます。
 しかし、資格を取ることは、
 単にその分野における必要最低限の「専門的な知識」を
 身につけているということの証明にすぎないのです。
 
 では、何が必要なのか?
 すでに述べたように、
 知的プロフェッショナルになるためには、「職業的な智恵」、
 すなわち「ディープ・ナレッジ」をこそ身につけなければならないのです。
 
 例えば、しばしば企業には「営業の達人」と呼ばれる人物がいます。
 顧客の気持ちを敏感に感じ取るセンスや、
 相手の気持ちを遠ざけないように交渉するスキルなどを持った
 営業マネジャーです。
 また、「企画のプロ」と呼ばれる人物もいます。
 顧客の心を打つ「言霊力」に溢れた企画書を作成するノウハウや、
 相手が思わず唸るような切れ味の良いプレゼンテーションのテクニックを持った
 企画マネジャーです。
 
 こうしたスキルやセンス、テクニックやノウハウこそが、
 「職業的な智恵」、
 すなわち「ディープ・ナレッジ」と呼ばれるものです。
 従って、知的プロフェッショナルをめざすためには、
 職場での日々の仕事の体験を通じて、
 こうした「ディープ・ナレッジ」を身につけなければならないのです。
 書物や学校では決して学ぶことのできない、
 価値ある「ディープ・ナレッジ」を身につけなければならないのです。
 
 
2003年09月04日
第26回 師匠から学ぶ「職業的な智恵」
 
 では、我々は、日々の仕事を通じて、
 その「ディープ・ナレッジ」をどうやって身につけていけばよいのでしょうか?
 その答えは、意外に「東洋的」です。
 
 「師匠」から体得することです。
 
 なぜならば、「ディープ・ナレッジ」とは「言葉で表せない知識」であるため、
 そもそも書物によっては学ぶことができないからです。
 従って、それを学ぶには、その「ディープ・ナレッジ」を持っている人物から、
 直接に「体得」という形で掴み取るしかないのです。
 
 すなわち、スキルやセンス、テクニックやノウハウ、
 さらには直観力や洞察力などの「職業的な智恵」を身につけた「師匠」のもとで、
 一緒に仕事を経験しながら「体で覚え」「呼吸で掴む」しかないのです。
 
 それが、「師匠から体得する」という意味です。
 
 しかし、先ほど「東洋的」と述べましたが、
 こうした「師匠」と呼ぶべきプロフェッショナルの先達と一緒に仕事をしながら、
 その豊かな「ディープ・ナレッジ」を体で直接に学び取るという
 修業のスタイルは、決して東洋の専売特許でもなければ、
 日本の独自文化でもありません。
 それは、洋の東西を問わず、
 プロフェッショナルをめざす人々の世界には共通のスタイルなのです。
 
 例えば、アメリカ映画『ウォール・ストリート』においては、
 金融ビジネスのプロフェッショナル、ゴードン・ゲッコーの下で修業する
 若いビジネスマンの話が出てきますが、
 全身全霊を込め、気迫に満ちたゲッコーの仕事に対する姿勢から、
 何かを掴み、そして、その師匠を乗り越えていく
 若いビジネスマンの姿が描かれています。
 
 このように、洋の東西を問わず、
 一流のプロフェッショナルが育つためには、
 一緒に仕事をしながら、仕事に対する姿勢のすべてを通じて、
 言葉に表せない「職業的な智恵」、
 すなわち「ディープ・ナレッジ」を伝えてくれる、
 そうした厳しい「師匠」の存在が不可欠なのです。
 
 ■ いかにして「師匠」を見いだすか?
 
 しかし、ここで我々は、最初の問題に突き当たります。
 
 そのような素晴らしい「師匠」を、どうやって見つけるのか?
 
 その問題です。
 もちろん、現在働いている職場の直接の上司や先輩が、
 こうした「職業的な智恵」を豊かに持った人物であり、
 「師匠」と呼べる人物であるならば、何も問題はありません。
 その自分の幸運に感謝しつつ、修業を続けるだけです。
 
 しかし、多くの方々は、こう考えているのではないでしょうか?
 
 自分の職場には、そうした「師匠」と呼べるような優れた人物はいない。
 だから、「ディープ・ナレッジ」を学ぼうと思っても、学べない。
 
 実は、現在の日本企業においては、
 こうした状況にいる方々が決して少なくないのです。
 では、どうするか?
 
 もとより、この「師匠との邂逅」の問題は、
 我々の人生において
 「縁」や「天の配剤」というものがいかにして与えられるかという、
 実は、非常に深い問題なのですが、
 ここでは、もう少し現実的なレベルで答えておきましょう。
 
 「陰の師匠」を持つことです。
 
 すなわち、職場の直接の上司や先輩が「師匠」と呼べる人物でないならば、
 他に「師匠」を見いだし、その人物から学ぶことです。
 
 例えば、自分の直接の上司が「師匠」と呼ぶべき人物ではなくとも、
 隣の課のマネジャーに「師匠」と呼ぶべき人物がいるかもしれません。
 また、同じ社内にいなくとも、社外の取引先にそうした人物が
 いるかもしれません。
 そうした人物を「陰の師匠」として見いだし、「私淑」することです。
 
 「私淑」とは、優れた人物をひそかに尊敬して師と仰ぎ、
 模範として学ぶことです。
 すなわち、隣の課のマネジャーや取引先のビジネスマンなど、
 学ぶべき「ディープ・ナレッジ」を持った人物を「陰の師匠」として私淑し、
 折に触れて、その「職業的な智恵」を学ぶことです。
 
 しかし、この「私淑」という言葉は、最近、あまり使われなくなりました。
 
 その背景には、そもそも「師匠から学ぶ」という
 学びのスタイルの大切さが見失われてしまった文化の問題や、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウまで
 ハウツー本やノウハウ本で手軽に学べると
 安易に考える現代の錯覚があります。
 しかし、実は、これからの時代には、
 この「陰の師匠」や「私淑」ということが、
 極めて大切な「学びのスタイル」になっていくでしょう。
 なぜなら、これからの時代には、手軽なハウツー本やノウハウ本で学べる程度の
 スキルやセンス、テクニックやノウハウは、誰もが身につけてしまうため、
 体験を通じてしか学べない
 本当に深みある「ディープ・ナレッジ」を身につけていることこそが、
 ビジネスマンにとって「最大の差別化戦略」になっていくからです。
 
 ■ 「陰の師匠」と「私淑」という学びのスタイル
 
 しかも、幸いなことに、これからの時代は、
 こうした「陰の師匠」や「私淑」という学びのスタイルを実行するためには、
 昔に比べて極めて有利な条件が整っているのです。
 
 例えば、最近の企業では、
 「社内横断プロジェクト」が数多く組織され、実行されています。
 これまでならば、毎日、
 一つの部署で同じ上司や先輩の下で仕事をしていたのですが、
 最近では、社内の他部門のマネジャーや先輩ビジネスマンと
 一緒に仕事をすることが増えてきています。
 その結果、我々の側に「陰の師匠」を見いだし、
 「私淑」しようとの心構えがありさえすれば、
 優れた「ディープ・ナレッジ」を持った人物と巡り合い、
 それを学ぶ機会は増えているのです。
 
 それは、社外の人物についても同じです。
 「社内横断プロジェクト」と同様に、
 最近では、「異業種提携プロジェクト」や
 「コンソーシアム・プロジェクト」などが増えています。
 従って、こうしたプロジェクトを通じて、
 社外の優れた人物とも出会う機会が増え、
 「陰の師匠」に巡り合える機会は増えているのです。
 
 また、こうした状況に、さらに「追い風」となるのが、ネット革命です。
 これまでならば、同じ社内といえども、
 他部門のマネジャーや先輩ビジネスマンと連絡を取り、
 知識や智恵を学ぶことは容易ではありませんでした。
 また、社外の人物の知識や智恵を学ぶことは、さらに難しいことでした。
 
 しかし、最近では、「電子メール」という
 優れたコミュニケーションの手段があります。
 電子メールを使うことによって、
 打合せの申込みをしたり、会合のアポイントメントを取ることが、
 これまでに比べ、はるかに容易になったのです。
 そして、「陰の師匠」に対してこちらの真摯な思いを伝え、
 教えを請うことができるのです。
 
 こうした状況を背景として、
 これからの時代には、
 ますます「陰の師匠」や「私淑」という「学びのスタイル」が
 主流になっていくでしょう。
 
 
2003年09月11日
第27回 「一芸」を学ぶ心構え
 
 しかし、こうした「陰の師匠」や「私淑」という
 「学びのスタイル」を実践していくとき、
 我々が、心構えとして持っているべきものがあります。
 それは、何か?
 
 「一芸を学ぶ」ということです。
 
 もとより、「師匠」もしくは「陰の師匠」と仰ぐ人が、
 すべてにおいて優れた力量を持った人物であるならば、
 「人物全体を学ぶ」ということができます。
 そして、そのような「全人的学び」ができる「師匠」との邂逅を得たならば、
 それは素晴らしい出会いに他なりません。
 
 しかし、そうした「全人的に優れた人物」との出会いがなければ、
 「ディープ・ナレッジ」を学ぶことができないかといえば、
 決してそうではありません。
 なぜなら、真剣に生きてきた人物や、真剣に仕事をしてきたビジネスマンは、
 必ず一つは優れた「芸」や「技」を身につけているからです。
 もちろん、お互いに生身の人間であるかぎり、
 様々な欠点や未熟さを持ってはいますが、
 一生懸命に生き、働いてきた人物は、
 必ず一つは学ぶべき「芸」や「技」を持っているのです。
 されば、我々は、その「芸」や「技」をこそ学ぶべきなのです。
 その「優れた一芸」「優れた一技」をこそ、謙虚に学ぶべきなのです。
 
 「自分の周りには大した人物はいない」
 「自分の周囲には優れた師匠がいない」と嘆く前に、
 縁あって巡り会った人々の「優れた一芸」「優れた一技」をこそ虚心に見いだし、
 それを謙虚に学ぶべきなのです。
 そうした虚心な姿勢、謙虚な心構えを抜きにして、
 我々は、決して「陰の師匠」を見いだすことはできないでしょう。
 
 ■ 「技」の持つ全体性
 
 さて、こうして「師匠」もしくは「陰の師匠」を見いだしたとき、
 我々は、どのようにして、
 その「ディープ・ナレッジ」を学んでいくことができるのでしょうか?
 例えば、その師匠が持つ「企画のセンス」や「発表のスキル」、
 「会議のノウハウ」や「交渉のテクニック」といった「職業的な智恵」を、
 どうすれば身につけていくことができるのでしょうか?
 優れた師匠の持つ「技」とでも呼ぶべき
 見事なスキルやセンス、テクニックやノウハウを、
 いかにして掴むことができるのでしょうか?
 
 そのことを語るためには、
 おそらく、数冊の本を書くことが必要でしょう。
 そこで、ここでは、「3つの心得」に絞って、
 大切なことを述べておきましょう。
 では、まず、第一の心得は何か?
 
 師匠の「技」の背景を見よ。
 
 それが、第一の心得です。
 もとより、優れた師匠から、その「技」を掴むためには、
 単に言葉による教えを請うだけでは、それを掴むことはできません。
 やはり、現実の仕事の場面で、その「技」が実際に発揮されている瞬間を
 観察し、真似し、体得していく必要があります。
 
 しかし、このとき、師匠の発揮する「技」そのものに目を奪われてはなりません。
 
 そのとき、「技」だけでなく、「背景」を見なければならないのです。
 
 なぜならば、プロフェッショナルのスキルやセンス、
 テクニックやノウハウといったものは、
 それだけが単独で発揮されるのではなく、
 「全体性」を持って発揮されるからです。
 
 例えば、「発表の名人」と呼ばれる人物の
 素晴らしいプレゼンテーション・スキルというものを考えてみましょう。
 実は、この人物のプレゼンテーションは、
 単なるスキルだけで素晴らしいものになっているわけではありません。
 すなわち、例えば、「迫力あるプレゼンテーション」というスキルの背景には、
 そのスキルを支える「声の強さ」や、顧客に理解してもらおうという「情熱」、
 身振り手振りを交えて説明する「リズム感」、
 さらには、顧客の反応を敏感に感じながら
 プレゼンテーションの内容を修正していく「細やかさ」など、
 様々な「個性的能力」が組み合わさって、
 全体としてそのプレゼンテーション・スキルを支えているのです。
 
 これは「企画の達人」と呼ばれる人の企画センスでも、
 「交渉のプロ」と呼ばれる人の交渉テクニックでも、すべて同じです。
 
 「技」というものは、それだけで発揮されているのではないのです。
 
 従って、師匠から「技」を学ぶとき、その「技」の背景にある、
 その師匠の「個性的能力」をしっかりと理解する必要があります。
 
 例えば、「声の強さ」「情熱」「リズム感」「細やかさ」などの
 様々な個性的能力を、全体として理解する必要があるのです。
 
2003年09月18日
第28回 「カバン持ち」という仕事の意味
 
 では、どうすれば、そうした「技」の背景にある師匠の個性的能力を、
 全体として理解することができるのでしょうか?
 それが第二の心構えです。
 
 師匠と同じ部屋の「空気」を吸え。
 
 師匠とは、できるだけ長く、同じ部屋の「空気」を吸うことです。
 言葉を換えれば、師匠とは、できるだけ長く一緒にいることです。
 そして、師匠が素晴らしい「技」を発揮している瞬間だけでなく、
 仕事をしている時間、さらには、日常の生活をしている時間さえも、
 一緒にいることです。
 そうした努力によってしか、師匠の持つ様々な個性的能力を、
 全体として理解することはできません。
 
 例えば、日本企業においては、
 しばしば「カバン持ち」という言葉が使われます。
 これは、文字通り、上司のカバンを持って客先に行く
 ビジネスマンのことを表現したものですが、
 「師匠から学ぶ」という視点で見るならば、
 この「カバン持ち」とは、決して卑下すべき仕事ではありません。
 
 なぜならば、「カバン持ち」をすることによって、
 我々は、その師匠と同じ部屋の空気を長く吸えるからです。
 そして、そのことによって、「師匠」という人物の持つ
 様々な個性的能力を全体として理解し、
 師匠の個性の「全体像」を理解することができるからです。
 では、なぜ、個性の「全体像」が大切なのか?
 
 「技」の本質は「バランス」だからです。
 
 例えば、「迫力あるプレゼンテーション」という「技」が生まれてくるのは、
 その背景に「声の強さ」や「情熱」というその人物の個性があるからです。
 すなわち、その「技」は、
 その人物の「声の強さ」という身体的個性と
 「情熱」という精神的個性を考えたとき、
 最も「バランス」の良い「技」なのです。
 
 逆に言えば、もし「声が小さい」という身体的個性や
 「物静か」という精神的個性を持った人物が
 プレゼンテーションのスキルを磨いたときには、
 むしろ「静かだが妙に説得力のあるプレゼンテーション」
 とでも形容されるような「技」こそが、
 最も「バランス」の良い「技」になるのです。
 
 従って、師匠の「技」を学ぶためには、
 何よりも師匠の個性の「全体像」を理解しなければなりません。
 そして、その「バランスの妙」をこそ、深く理解しなければならないのです。
 
 ■ 真似するときの「落とし穴」
 
 しかし、もし、そのことの大切さを理解せず、
 師匠の「技」の切れ味に目を奪われ、
 師匠と自分の個性的能力の違いに気がつかず、
 その「技」だけを真似しようとすると、
 必ず陥る落とし穴が待ち受けています。
 それが、あの言葉です。
 
 「猿真似」
 
 表面的なスキルやテクニックだけは師匠を真似しているが、
 そもそも自分の個性的能力を理解していないため、
 「技」の本質である「バランス」を掴んでいない姿。
 それが、昔から「猿真似」と呼ばれる状態なのです。
 それゆえ、我々が、この「猿真似」に陥ることなく、
 師匠から「技」を掴み取りたいならば、
 決して忘れてはならない大切な心得があるのです。
 それは何か?
 
 己を知る。
 
 その心得です。
 自分自身の個性的能力が何であるかを、深く知る。
 それが、第三の心得です。
 
 そして、この心得こそが、
 師匠から「ディープ・ナレッジ」を学んでいくための、
 最も大切な心得に他ならないのです。
 
 
2003年09月25日
第29回 「メタ・ナレッジ」の3つの方法
 
 では、そもそも「メタ・ナレッジ」とは何か?
 
 それは、端的に言えば、「知識や智恵を学ぶための方法」(方法知識)です。
 そして、それは、さらに「3つの方法」があります。
 
 第一は、書物や映像などの「知識や智恵を伝える媒体」から、
 その知識や智恵を学ぶための方法です。
 これは、「探索力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」です。
 
 第二は、識者や師匠などの「知識や智恵を持った人物」から、
 その知識や智恵を学ぶための方法です。
 これは、「傾聴力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」です。
 
 第三は、仕事や生活などの「自分自身の主体的な経験」から、
 その知識や智恵を学ぶための方法です。
 これは、「反省力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」です。
 
 それでは、
 これら「3つのメタ・ナレッジ」について述べていきましょう。
 
 ■ 進化する「探索力」
 
 まず第一の「探索力」ですが、
 これは知的プロフェッショナルにとっては
 最も基本的な「メタ・ナレッジ」です。
 
 なぜならば、どれほど優秀な人間であっても、
 一人の人間が身につけ得る知識や智恵の量には限界があるからです。
 従って、自分が持っていない
 「専門的な知識」や「職業的な智恵」が必要なときには、
 その知識や智恵を、図書館やデータ・ベース、
 さらには映像・音声ライブラリーなどから探索してくるスキルやノウハウが、
 知的プロフェッショナルには求められるのです。
 
 もとより、こうしたスキルやノウハウは、
 図書館の司書やデータ・ベースのサーチャーなどの
 プロフェッショナルが持っていた「メタ・ナレッジ」ですが、
 これからの時代には、さらに新しいスキルやノウハウを
 身につけることが必要になっていきます。
 それは何か?
 
 「ウェブ探索力」です。
 
 これは、インターネットのウェブという
 壮大な「ナレッジ・ベース」を調べることによって、
 求める知識や智恵に到達するスキルやノウハウです。
 そして、この「ウェブ探索力」のスキルやノウハウは、
 これからさらに進化していきます。
 何でしょうか?
 
 「ウェブ・コミュニティ探索力」です。
 
 これは、ウェブの上に存在する
 様々な「ウェブ・コミュニティ」に参加し、
 そこに集うメンバーから「智恵を借りる」スキルやノウハウです。
 
 もとより、インターネットのコミュニティは、
 互いに必要な知識や智恵を教えあうという「教えあい」の文化、
 いわば「情報ボランティアの文化」が基盤になっています。
 そして、特定の興味や関心を同じくする人々が集まるウェブ・コミュニティ、
 すなわち「コミュニティ・オブ・インタレスト」は、
 現在も、増えつづけています。
 従って、こうした「ウェブ・コミュニティ探索力」というスキルやノウハウは、
 これからますます大切になっていくでしょう。
 
 
2003年10月02日
第30回 「傾聴力」に求められる深み
 
 「傾聴力」とは、端的に言えば、
 「人物」から知識や智恵を学ぶための「メタ・ナレッジ」です。
 
 もし「探索力」だけでは
 必要とする「専門的な知識」や「職業的な智恵」を得られなかった場合、
 そうした知識や智恵を持っている
 専門家や知的プロフェッショナルを何らかの方法で見つけ出し、
 その人物から必要な知識や智恵を学び取ることが
 大切なスキルやノウハウになります。
 特に、優れた知的プロフェッショナルが語る
 知識や智恵に深く耳を傾けることによって、
 それを掴み取るスキルやノウハウが極めて重要になります。
 
 それが「傾聴力」です。
 
 この「傾聴力」とは、ある意味で、
 通常の「インタビュー」と呼ばれるスキルやノウハウと似ていますが、
 その意味するところは、かなり違います。
 なぜならば、同じ相手にインタビューをしても、
 通常では言葉にならないような非常に深いレベルの話まで聞き出してくる人と、
 すでに本に書いてある程度の話しか聞いてこない人に分かれるからです。
 
 では、こうした違いは何によって生じるのでしょうか?
 最も大切なことを述べましょう。
 
 「聞き届け」ができるか、否かです。
 
 言葉を換えれば、相手の気持ちに深く共感しながら「聴く」行為と、
 ただ自分の知りたいことを相手に伝え、相手の回答を「聞く」行為との違いです。
 
 そして、この二つの行為の違いの本質は、
 相手の言葉を腹の奥底で深く聞く、
 すなわち「聞き届ける」ことをしているか、否かなのです。
 これが「傾聴力」です。
 
 すなわち、この「傾聴力」と呼ばれる
 高度なインタビューのスキルやノウハウは、
 相手の話をただ「ウン、ウン」と聞くだけではなく、
 この「聞き届ける」レベルで聴くことなのです。
 
 そして、不思議なことに、
 我々が腹の奥底で深く聴く姿勢を持っているならば、
 相手は何も聞かれなくとも、自然にその深い智恵を語ってくれることがあります。
 逆に、いくら相手の話を熱心に聞いているふりをしていても、
 心の浅いレベルでしか聞いていない場合には、
 それが場の空気を通じて伝わり、相手は多くを語る気がしなくなるのです。
 そうした不思議なことは、
 インタビューを受けている相手が
 知的プロフェッショナルとしての力量があればあるほど、顕著に現れます。
 
 ■ インタビューの「鉄則」
 
 例えば、小さなことですが、
 大切なインタビューの最中は絶対に時計を見ないという
 「インタビューの鉄則」というものがあります。
 なぜならば、相手が知的プロフェッショナルとして
 力量のある人物であればあるほど、
 こちらが時計をチラリと見ただけで、
 「ああ、この人は次の用事があるのだな」と判断し、
 話を打ち切ろうとしてしまうからです。
 
 力量のある人物ほど、他人に対する気配りが細やかですから、
 相手が時間を気にしていると感じた瞬間に、
 話をまとめにかかってしまうのです。
 そして、その結果、大切な話をせずに終わってしまうのです。
 
 だからこそ、本当に大切なインタビューにおいては、
 たとえ「1時間の予定でお願いします」と約束してあっても、
 できることならば、インタビューが3時間に延びても
 まったく問題ないようなスケジュールにしておくことです。
 
 そうすれば、インタビューの相手が興に乗り、
 たとえ3時間話が続いたとしても大丈夫だからです。
 そして、多くの場合、
 そうした「思わず興に乗る」という状態で語られる言葉にこそ、
 高度な知識や深い智恵が含まれているものなのです。
 
 ■ 「インナーワーク」の大切さ
 
 そして、この「傾聴力」においては、
 「聞き届け」ということに加えて、もう一つ大切な心の姿勢があります。
 それは何か?
 
 「共感の心」です。
 
 相手の話を聴くとき、「共感の心」を持って聴くことが大切なのです。
 
 人間の心とは不思議なもので、
 あからさまなお世辞やお追従にはあまり反応しないのですが、
 意識下(サブリミナル)に伝わってくるメッセージに対しては、強く共鳴します。
 従って、表面的にはただ黙って聞いているようにみえても、
 深い部分で「共感の心」を持って聴いていると、
 相手はそのことを敏感に感じ取り、心を開いて自然に多くを語ってくれるのです。
 
 実は、知的プロフェッショナルとは、
 そうした心の深い世界で仕事をしているのです。
 
 だから、そうした世界では、誤魔化しの利かないことが起こります。
 例えば、仕事で初対面の人と打合せをしたとき、
 相手が打合せの最中にどれほど笑顔を振りまいていても、
 打合せの後、なぜか後味の悪い余韻が残ることがあります。
 逆に、打合せの最中は少しも愛想が良くないのに、
 その人が去った後、爽やかな余韻が残ることがあります。
 
 その違いは、心の深い世界の違いなのです。
 
 だから、もし、力量ある知的プロフェッショナルから
 高度な知識や深い智恵を聴きたいと思うならば、
 「インナーワーク」、つまり、
 内面的な心の流れで相手と無言の対話をする力を磨いていくべきでしょう。
 
 それが、私が「傾聴力」と呼ぶ「メタ・ナレッジ」であり、
 知的プロフェッショナルをめざす人間が、
 かならず身につけていくべき「職業的な智恵」なのです。