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田坂広志氏 「知的プロフェッショナルへの戦略」
 http://events.nikkeibp.co.jp/skillupmail/chiteki.html 
 
2003年03月06日 号
 
┌────────────────────────────────────┐
 今週より、シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学・大学院教授
 田坂広志氏に「知的プロフェッショナルへの戦略」と題し、
 “知的プロフェッショナル”へと成長するためのキャリア戦略を伺います。
└────────────────────────────────────┘
 
これからの時代に、ビジネスマンは何をめざすべきか?
 
この質問に対して、皆さんは、どう答えるでしょうか?
おそらく、少し時代の先を読まれている方は、
「ナレッジ・ワーカー」(知識労働者)と答えるのではないでしょうか。
 
たしかにその通りです。
これからやってくるのは
「ナレッジ」(知識)というものが最大の経営資源になる
「ナレッジ・キャピタリズム」(知識資本主義)の時代です。
 
そして、その知識資本主義の時代に求められるのは、
単なる肉体労働や事務労働を行う
「ワーカー」(労働者)ではなく、
「ナレッジ」(専門知識)を使って仕事をする
「ナレッジ・ワーカー」(知識労働者)に他なりません。
 
そう考えるならば、
これからのビジネスマンは「ナレッジ・ワーカー」をめざすべきと考えるのは、
正しいように思えます。
 
しかし、本当にそうなのでしょうか?
 
もう少し深く考えてみる必要があるようです。
 
先ほど、「知識資本主義の時代に求められるのは」と言いました。
この「求められる」という言葉に留意していただきたいのです。
たしかに、知識資本主義の時代に「求められる人材」は、
ナレッジ・ワーカーなのですが、
これから皆さんがめざすべきは、
はたして、そうした人材なのでしょうか?
 
 
■「求められる人材」の落とし穴
 
そこで、最初に大切なことを述べておきましょう。
我々は、実は、「二つの人材」を区別して考えなければならないのです。
それは、何でしょうか?
 
「求められる人材」と「活躍する人材」です。
 
この二つの言葉は、
しばしば混同して語られるのですが、
実は、違った人材を意味しています。
 
前者の「求められる人材」とは、
これからの企業や産業や社会が「労働力」として欲する人材という意味です。
 
一方、「活躍する人材」とは、
これからの企業や産業や社会で「影響力」を発揮していく人材という意味です。
 
従って、もし皆さんが、「職を失いたくない」ということを基準に、
これからのキャリアパスを考えているならば、
前者の「求められる人材」をめざせばよいでしょう。
そして、「ナレッジ・ワーカー」と呼ばれる人材をめざして、
専門知識の習得や専門資格の取得に努めればよいでしょう。
 
しかし、もし皆さんが、
「やり甲斐のある仕事をしたい」ということを基準に、
これからのキャリアパスを考えているならば、
後者の「活躍する人材」をめざすべきなのです。
 
では、これからの時代に「活躍する人材」とは何でしょうか?
冒頭に、その答えを述べておきましょう。
 
それは、「知的プロフェッショナル」です。
 
では、「知的プロフェッショナル」とは、どのような人材でしょうか?
それは、「ナレッジ・ワーカー」と呼ばれる人材とは、何が違うのでしょうか?
 
最初に、分かりやすい説明を述べておきましょう。
 
「ナレッジ・ワーカー」とは、
「専門的な知識」を使って仕事をしている人材です。
 
「知的プロフェッショナル」とは、
「職業的な智恵」を使って仕事をしている人材です。
 
2003年03月13日
第2回 「専門知識」だけでは活躍できない
 
まず、「ナレッジ・ワーカー」と呼ばれる人材ですが、
それは、文字通り「ナレッジ」を使って仕事をしている人材です。
 
例えば、大学教授、教育者、研究者、技術者、
弁護士、会計士、シンクタンカー、コンサルタント、
さらには、民間企業の法務、財務、人事、調査、
広報、企画、開発、戦略、等の部門で働くビジネスマンなど、
いわゆる「専門的な知識」を使って仕事をしている人々が、
「ナレッジ・ワーカー」と呼ばれる人材です。
 
しかし、これらの人材のうち、
その分野で「活躍している人材」とは、どのような人材でしょうか?
 
そこで、弁護士という
「ナレッジ・ワーカー」を例にとって考えてみましょう。
 
まず、弁護士という職業は、
当然のことながら、多くの「ナレッジ」(専門知識)を身につけています。
六法全書に書かれている様々な法律や規則、指針や手引などについて、
その内容を良く理解しています。
また、様々な判例や事例についても、良く知っています。
さらには、専門分野での学術論文などについても、良く勉強しています。
 
そして、こうした法律や規則、指針や手引、
判例や事例、そして学術論文などは、
高度な専門知識ですが、いずれも言葉で表せるものであり、
書籍や雑誌、新聞記事や報告書、
さらには講義やセミナー、研究会や学会発表などで学ぶことのできるものです。
 
そこで、弁護士をめざす人々は、
書物を読んだり、学校に通うことによって、こうした専門知識を修得し、
司法試験などの資格試験を受けることによって専門資格を取得するわけです。
そして、弁護士になったばかりの頃は、
まずは、こうした専門知識をうまく使って仕事をするわけです。
 
しかし、こうした弁護士の世界で活躍している人材を見ていると、
これらの人々は、決して、
単なる「ナレッジ」(専門知識)だけで仕事をしているわけではありません。
 
例えば、優れた弁護士は、依頼人が来たとき、
まず、相手の話を良く聞き、その話から問題の本質を把握する
鋭い直観力や洞察力があります。
 
また、不安になっている依頼人の気持ちを和らげる
見事な対人スキルや言語センスも持っています。
さらに、訴訟を起こす場合には、
相手方の弁護士との交渉テクニックも巧みです。
そして、裁判を進めていくための
様々な法廷闘争のテクニックも身につけています。
 
すなわち、弁護士という職業をとっても、
その分野で活躍している人材は、
例外なく、こうした鋭い直観力や洞察力、
見事なスキルやセンス、巧みなテクニックなどを持っているのです。
 
2003年03月20日
第3回 「言葉で表せない知識」の大切さ
 
 直観力や洞察力、スキルやセンス、テクニックやノウハウといったものは、
 いったい、いかなる能力なのでしょうか?
 
 それは、「ディープ・ナレッジ」(深層知識)と呼ばれるものです。
 それは、単なる「ナレッジ」ではない、
 「ディープ・ナレッジ」と称されるものです。
 
 では、なぜ、この言葉には、
 「ディープ」(深層)という形容詞が用いられるのでしょうか?
 
 なぜなら、それは、「言葉で表せない知識」だからです。
 
 この「ディープ・ナレッジ」とは、
 単なる「ナレッジ」(知識)とは異なり、
 言葉で表すことのできない、極めて高度な知識なのです。
 そのため、それは、書物で学んだり、学校で学んだりすることはできません。
 
 すなわち、それは、書物や学校での「学習」を通じてではなく、
 仕事や職場での「体験」を通じてしか身につけることのできない
 「職業的な智恵」と呼ぶべきものなのです。
 
 ちなみに、この「ディープ・ナレッジ」と同じことを、
 科学哲学者のマイケル・ポランニーは、別な言葉で述べています。
 
 「暗黙知」(tacit knowledge)という言葉です。
 
 この言葉は、ポランニーの著書、
 『暗黙知の次元』の中で述べられている言葉ですが、
 この「暗黙知」の意味を、彼は、印象的な言葉で定義しています。
 
 「我々は、語ることができるより、多くのことを知ることができる」
 
 このことは、裏返して言えば、
 「我々は、言葉で語ることのできない知識を持っている」
 ということに他なりません。
 
 すなわち、ポランニーの語る「暗黙知」とは、
 まさに、ここで述べる「言葉で表せない知識」、
 すなわち「ディープ・ナレッジ」を意味しているのです。
 
 ■ 「ディープ・ナレッジ」で仕事をする人々
 
 さて、このように、弁護士という職業を例にとっても、
 その分野で活躍している人材は、単なる「ナレッジ」だけでなく、
 優れた「ディープ・ナレッジ」を使って仕事をしています。
 単なる「専門的な知識」だけでなく、
 優れた「職業的な智恵」を使って仕事をしているのです。
 
 これは、他の「ナレッジ・ワーカー」においても同じです。
 大学教授、教育者、研究者、技術者、会計士、
 シンクタンカー、コンサルタント、そして、民間企業のビジネスマン。
 
 いずれの職業においても、
 その分野で活躍している人材は、
 専門的な書物を通じて修得した「ナレッジ」だけで
 仕事をしているわけではありません。
 
 これらの人々は、優れた直観力や洞察力、
 見事なスキルやセンス、巧みなテクニックやノウハウなど、
 永年の職業的な体験を通じて獲得した
 「ディープ・ナレッジ」を使って仕事をしているのです。
 これが「知的プロフェッショナル」と呼ばれる人々です。
 
 すなわち、「知的プロフェッショナル」とは、
 単なる「専門的な知識」だけでなく、
 極めて優れた「職業的な智恵」とでも呼ぶべきものを持っており、
 それを遺憾なく発揮して仕事をしている人材なのです。
 
2003年03月27日
第4回 「知識社会」に対する素朴な誤解
 
 なぜ、言葉で表せる「ナレッジ」と
 言葉で表せない「ディープ・ナレッジ」を区別し、
 書物や学校で学べる「専門的な知識」と
 仕事や職場でしか学べない「職業的な智恵」を
 区別しなければならないのでしょうか?
 
 そして、その観点から、
 「ナレッジ・ワーカー」と「知的プロフェッショナル」を
 区別して論じなければならないのでしょうか?
 
 なぜなら、いま世の中に、素朴な「誤解」が溢れているからです。
 そのため、これらの違いを明確に理解しておかなければ、
 これからの「知識資本主義社会」(知識社会)における
 ビジネスマンのキャリア戦略を考えるとき、大きな誤りを犯してしまうからです。
 
 例えば、いま、世の中の多くの人々が、こう考えています。
 
 これから「知識資本主義」の時代がやってくる。
 そして、「知識社会」がやってくる。
 こうした時代や社会においては、
 「知識」が資本になり、商品になり、価値になっていく。
 
 従って、これからの時代に活躍するためには、
 「知識」を身につけなければならない。
 そして、そのためには、書物で「専門的な知識」を学び、
 学校で「専門的な資格」を取らなければならない。
 
 いま、多くの人々が、こう考えているのです。
 
 しかし、これは、素朴な「誤解」です。
 たしかに、これからやってくる知識社会において、
 「書物で修得した専門的な知識」や
 「学校で取得した専門的な資格」を持っている人材は、
 「求められる人材」になることはできます。
 
 しかし、それだけでは、
 決して「活躍する人材」になることはできません。
 
 これからの知識社会で活躍する人材になるためには、
 「書物で修得した専門的な知識」や「学校で取得した専門的な資格」ではなく、
 「仕事で体得した職業的な智恵」や「職場で獲得した職業的な体験」をこそ
 身につけていなければならないのです。
 
 それにもかかわらず、いま、多くの人々が、
 「専門知識」と「専門資格」を身につければ、
 これからの知識社会で活躍することができると思い込んでいるのです。
 
 しかし、それは、明らかな「誤解」です。
 
 ■ 知識社会で活躍するのは「知識労働者」か?
 
 そのことは、例えば、「過去」を振り返ってみても明らかでしょう。
 
 これまでに我々が歩んだ
 「工業社会」や「情報社会」では、どうだったでしょうか?
 かつて、「工業社会」において、
 工場労働者という人材は、「求められる人材」でした。
 工場を操業するためには、必要不可欠な人材だったからです。
 
 しかし、「工業社会」において活躍したのは、
 いわゆる「ブルーカラー」と呼ばれた工場労働者ではなく、
 「ホワイトカラー」と呼ばれた事務労働者でした。
 
 ところが、「情報社会」がやってくると、
 この事務労働者という人材は、
 「求められる人材」ではありましたが、
 「活躍する人材」ではなくなりました。
 
 なぜなら、企業において、
 大半の人々が書類業務やコンピュータ業務といった仕事に
 携わるようになったからです。
 そして、代わりに、専門的な知識を使う「知識労働者」が
 活躍するようになったからです。
 
 では、これからやってくる「知識社会」においては、何が起こるでしょう?
 
 同じことが起こります。
 すなわち、これからの「知識社会」においては、
 多くの人々が専門的な知識を使った仕事に携わるようになっていくため、
 「知識労働者」は「求められる人材」ではあっても、
 「活躍する人材」ではなくなっていくのです。
 
 これからの時代にビジネスマンがめざすべきは、
 「ナレッジ・ワーカー」(知識労働者)ではなく、
 「知的プロフェッショナル」であると述べる理由は、
 まさに、そこにあります。
 
 これからの知識社会において活躍するのは、
 「専門的な知識」を身につけた
 「ナレッジ・ワーカー」ではありません。
 活躍するのは、「職業的な智恵」を身につけた
 「知的プロフェッショナル」なのです。
 
 我々は、そのことに気がついておかなければなりません。
 もし、そのことに気がつかなければ、
 我々は、知識社会におけるキャリア戦略を誤ることになるでしょう。
 
 なぜなら、必死になって書物で専門知識を学び、
 学校で専門資格を取って「ナレッジ・ワーカー」になっても、
 ただ「求められる人材」になるだけだからです。
 
 「求められる人材」にはなれても、
 「活躍する人材」にはなれないからです。
 
 これからの知識社会において活躍する
 「知的プロフェッショナル」になることはできないからです。
 
2003年04月02日
第5回 「プロフェッショナル」とは何か?
 
 そもそも「プロフェッショナル」とは、どのような人材でしょうか?
 
 これについては、色々な定義がありますが、一つの定義を述べておきましょう。
 
 それは、「置き換え」のできない人材です。
 すなわち、世の中に「余人をもって代えがたい」という言葉がありますが、
 そもそも「プロフェッショナル」とは、この言葉のごとく、
 他の誰によっても置き換えることのできない能力を持った人材のことです。
 
 しかし、この「置き換えることのできない能力」という定義は、
 間違っても、その業界や分野で「ナンバー・ワン」の能力を持った人材を
 意味しているわけではありません。
 では、ここでいう「置き換えのできない能力」とは何か?
 
 「個性的な能力」ということです。
 
 それは、その人材だけが持っている個性的な能力という意味です。
 すなわち、それは、
 その業界や分野で「ナンバー・ワン」の能力を持っているという意味ではなく、
 他の誰も持っていない「オンリー・ワン」の能力を持っているという意味です。
 
 そもそも、「プロフェッショナル」の世界とは、
 それほど簡単に「ナンバー・ワン」や「ナンバー・ツー」を
 決められる世界ではありません。
 たしかに、「売上実績」や「人気投票」などの
 客観指標を決めてランキングを行えば、
 あえて「順位」をつけることはできます。
 
 しかし、それはあくまでも一つの指標に過ぎません。
 
 では、なぜ、「プロフェッショナル」の世界は、
 「ナンバー・ワン」や「ナンバー・ツー」を決められないのか?
 
 その理由は、明確です。
 なぜなら、「プロフェッショナル」の人材が持つ、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウといったものは、
 その人物に固有のものだからです。
 
 それは、彼らが、永年の職業的な修練を通じて発見し、体得し、
 開発し、洗練させてきた個性的能力だからです。
 
 自分の体格や体型、筋力や神経、性格や気質、知性や感性に合った、
 まさに自分だけの能力だからです。
 そして、こうした「プロフェッショナル」の人材が持つ、
 直観力や洞察力といった能力にいたっては、
 まさに、その瞬間の、その人物に固有のものです。
 
 ■ プロフェッショナルの「究極の姿」
 
 そして、こう述べるならば、
 「プロフェッショナル」という人材が成長していく
 「究極の姿」が理解できるのではないでしょうか?
 これも、誤解を恐れずに述べましょう。
 
 それは、「アーティスト」です。
 
 本当の「プロフェッショナル」とは、
 まさに、その人物限りの個性的な能力を使って、一回限りの作品を残す、
 まさに「アーティスト」なのです。
 
 もちろん、ここで述べる「知的プロフェッショナル」とは、
 直ちに、そうした高度な能力を持った人材を意味しているわけではありません。
 しかし、もし我々が、
 真剣に「知的プロフェッショナル」というものをめざすならば、
 その心の深くには、この「アーティスト」という人間の姿がなければなりません。
 
 なぜでしょうか?
 
 「目標」が大切だからです。
 
 プロフェッショナルの世界で成功していくためには、「目標」が大切だからです。
 すなわち、山に喩えて言えば、
 プロフェッショナルへの登山道の入り口に立ったとき、
 これから何年もかけて登っていくべき山頂を見上げることが大切だからです。
 そして、その山の姿を心に刻むことが大切だからです。
 
 なぜなら、プロフェッショナルの世界では、
 「どこまでの高みをめざすか」という若き日の決意が、
 そのプロフェッショナルの登り得る高みを決めてしまうからです。
 
 さて、その覚悟を定め、
 次回から「知的プロフェッショナル」へと成長していくための
 キャリア戦略について、語っていきましょう。
 
2003年04月10日
第6回 「知識の流通革命」が始まり「中抜き現象」が起こる
 
 では、我々は、どうすれば、
 その「知的プロフェッショナル」へと成長していけるのか?
 
 すなわち、「知的プロフェッショナルへのキャリア戦略」
 それを、これから述べていきましょう。
 
 しかし、「戦略」を考えるためには、
 その前に必ずやるべき、大切なことがあります。
 それは何か?
 
 「形勢」を読むことです。
 
 いま、時代が向かっている方向、社会が向かっている方向、
 それを深く読んでおくことが必要です。
 それ抜きに、「戦略」はありません。
 
 では、これから、時代はどこに向かうのか?
 これから、社会はどこに向かうのか?
 これからの時代や社会において、何が起こるのか?
 そのことを、述べたいと思います。
 
 では、これからの知識資本主義の時代、知識社会と呼ばれる社会において、
 何が起こるのでしょうか?
 
 ■ 壮大な「ナレッジ・ベース」の誕生
 
 最初に、一言で述べておきましょう。
 これから、社会全体で「専門知識の共有化」が起こります。
 
 これからの時代に「ナレッジ・ワーカー」や
 「知的プロフェッショナル」をめざす人材は、
 まず、そのことを覚悟しておくべきでしょう。
 
 これからの時代には、
 「ナレッジ・ワーカー」にとっての「商品」である「専門的な知識」が、
 いともたやすく社会全体で共有されてしまうのです。
 そして、そのため、誰でも「専門的な知識」を
 容易に活用することができるようになってしまうのです。
 それは、なぜでしょうか?
 
 インターネット革命が到来したからです。
 
 このネット革命が、「専門的な知識」というものを、
 多くの人々が使えるものにしていくのです。
 
 例えば、いま、インターネットの上に無数に生まれているウェブサイトの多くは、
 様々な分野の専門家によって運営されているものです。
 そして、こうしたサイトにおいては、様々な分野の「専門的な知識」が、
 一般の人々にも分かりやすく語られ、理解しやすい形で提供されています。
 
 それだけでなく、これらのサイトの多くでは、
 一般の人々からの質問に対しても、専門家が親切に答えてくれるのです。
 しかも、こうしたウェブサイトにアクセスして、
 これらの「専門的な知識」を手に入れることは、
 パソコンと電話があれば、誰でも手間と時間とコストをかけずにできるのです。
 かかるコストは、ほとんどの場合、パソコン代と通信費だけです。
 
 これは、いったい何が起ころうとしているのでしょうか?
 
 インターネットが、壮大な「ナレッジ・ベース」になりつつあるのです。
 要するに「知識の宝庫」です。
 一般の人々でも、簡単にアクセスして、
 欲しい知識を自由に得られる「知識の宝庫」が生まれつつあるのです。
 いま、我々の社会に、まさに壮大な「ナレッジ・ベース」が
 生まれつつあるのです。
 
 例えば、最近では、
 専門知識の載った新聞記事や雑誌特集、調査報告書や研究論文などは、
 その専門分野に関連するウェブサイトにアクセスし、検索機能を使うと、
 簡単に探し出し、手に入れることができるようになってきています。
 
 また、そうしたウェブサイトの多くは、
 使いやすい「FAQ」(Frequently Asked Questions)という形で、
 手軽な「ナレッジ・ベース」を提供しています。
 多くのユーザーから頻繁になされる質問に対して、
 専門家が分かりやすく丁寧に答えた回答集です。
 
 さらに、こうしたウェブサイトの中には、
 「エキスパート・システム」を用いて、
 ユーザーに対して専門家の観点から「簡易診断」を提供するものも
 少なくありません。
 
 また、これらの「ナレッジ・ベース」や「エキスパート・システム」は、
 単にウェブサイトだけでなく、CD-ROMなどの形で
 パソコンのソフトウエアとして提供されているものも増えています。
 
 では、こうして、インターネットが壮大な「ナレッジ・ベース」になっていくと、
 いったい何が起こるのでしょうか?
 
 端的に述べましょう。
 「知識の流通革命」です。
 
 すなわち、ネット革命は、「流通革命」を引き起こすのです。
 
 
2003年04月17日
第7回 「知識の流通革命」が始まる
 
 では、こうして、インターネットが壮大な「ナレッジ・ベース」になっていくと、
 いったい何が起こるのでしょうか?
 端的に述べましょう。
 
 「知識の流通革命」です。
 
 すなわち、ネット革命は、「流通革命」を引き起こすのです。
 これまで、一般の人々にとって、
 「知識」というものは、
 それを入手するのに手間と時間とコストがかかりました。
 
 例えば、大学で専門知識を学びたいと思えば、
 まず大学に授業料を払い、わざわざ時間をかけて通学し、
 長時間の講義を忍耐強く受けて、
 ようやく高度な専門知識を手に入れることができたのです。
 
 また、法律の問題にアドバイスを受けたいと思えば、
 わざわざ弁護士のところに相談に出かけ、
 短い時間で難しい説明を受け、質問も自由にできず、
 そして高い料金を払わなければならなかったのです。
 
 これは、要するに、「専門的な知識」というものが、
 「それを持っている人間」から「それを欲する人間」に、
 うまく伝わっていなかったのです。
 喩えて言えば、「知識」というものが、
 「生産者」から「消費者」に、うまく「流通」していなかったのです。
 
 そこに、インターネットが、
 「知識の流通革命」をもたらそうとしています。
 
 すなわち、一般の人々でも、手間と時間とコストをかけずに、
 欲しい「知識」を自由に手に入れ、
 それを使うことのできる革命が起ころうとしているのです。
 
 これは、一般の人々にとっては素晴らしいことです。
 しかし、それは、専門家にとっても素晴らしいことであるとは限りません。
 
 なぜなら、「専門的な知識」を商品として仕事をしている人々にとって、
 これは、極めて厳しい革命になる可能性があるからです。
 それは、なぜでしょうか?
 
 ■ 流通革命を貫く「鉄則」
 
 「流通革命」には、鉄則があるからです。
 「ミドルマン・ウィル・ダイ」(Middleman will die.)という鉄則です。
 
 「中間業者は死に絶える」、もしくは「中間業者は不要になる」。
 それが、流通革命の鉄則です。
 
 そもそも、「流通革命」というものは、
 生産者から消費者まで商品が流通していくとき、
 その中間で流通を支えていた「中間業者」を不要にしていく革命なのです。
 
 要するに、生産者から消費者へ直接的に商品を流通させることによって、
 中間業者の「マージン」を削減していこうとする革命なのです。
 だから、「流通革命」においては、
 あの言葉が、もう一つの鉄則として語られるのです。
 
 流通革命は、いつまで続くか?
 中間マージンがゼロになるまで続く。
 
 従って、いま、
 インターネットがもたらしつつあるものが、「知識の流通革命」であるならば、
 ここでも、「中間業者は不要になる」という鉄則と、
 「中間マージンがゼロになる」という鉄則が貫かれるのです。
 
 このことは、「専門的な知識」を商品として仕事をしている人々にとっては、
 極めて厳しいことを意味しています。
 
 なぜなら、既存の「専門知識」をただ伝達するだけの
 「中間業者」の役割をしていた職業は、不要になっていくからです。
 そして、もし不要にならないとしても、
 その「中間マージン」が限りなくゼロに近づいていくため、
 あまり大きな収入を得られない職業になっていくからです。
 
 例えば、弁護士という職業でも、そうしたことが起こります。
 なぜなら、最近では、
 簡単な法律の専門知識を必要とする「法律相談」などは、
 「FAQ」という形で、一般の人々が必要とする知識を提供している
 法律専門ウェブサイトも増えているからです。
 
 また、やはり簡単な契約の専門知識を必要とする「契約書作成」などは、
 最近では、質問に答えてデータを入力していくだけで、
 自動的に契約書を作成してくれるエキスパート・システムが提供されています。
 
 こうした時代においては、たとえ弁護士といえども、
 単に専門知識を提供するだけの仕事をしている人材は、
 「不要」になっていきます。
 
 いや、かりに「不要」にならなくとも、
 そうした専門知識の提供によって得られる「対価」は、
 極めて小さなものになっていくのです。
 
2003年04月24日
第8回 自己幻想の中にある「知的職業」
 
 インターネットによる「知識の流通革命」は、
 「専門的な知識」を商品として仕事をしている人々にとっては、
 極めて厳しい状況をもたらします。
 
 しかも、このことは、これらの人々にとって、
 「厳しい」ことを意味しているだけではありません。
 
 それは、「怖い」ことを意味しているのです。
 
 なぜなら、いま世の中で「知的職業」と思われている人々の多くが、
 実は、単なる「知識」の伝達と流通で仕事をしているからです。
 そして、「怖い」ことに、
 これらの人々が、そのことを自覚していないのです。
 
 例えば、「大学教授」という職業がそうです。
 もちろん、大学教授の中にも、
 素晴らしい創造的な業績を挙げている方々もいますが、
 旧態依然とした大学には、
 いまだに「専門知識の切り売り」で講義をしている人がいます。
 
 しばしば笑い話になっている例ですが、
 20年も使っている古びた講義ノートを、
 ただ黒板に丹念に書き写し、それを学生にまた書き写させるだけで
 「講義」をやっていると思い込んでいる教授がいたことは有名なエピソードです。
 
 こうした教授の「講義」は、その講義ノートをコピーして学生に配れば、
 それで終わってしまう内容のものであり、
 そもそも「講義」などする必要のないものです。
 そして、これほど極端な例でなくとも、大学教授の中には、
 教科書や専門書を読めば得られる程度の知識を、
 「講義」と称して話している人も、決して少なくありません。
 
 そして、この話は「笑い話」と言いましたが、実は「笑えない話」です。
 例えば、私が永年活動してきた「シンクタンク業界」でも、
 同様の問題があります。
 
 昔、まだ、パソコンはもとより、ワープロもなかった時代のシンクタンクには、
 「ノリ・ハサミ」という言葉がありました。
 要するに、クライアントから委託された調査の報告書を作成するのに、
 様々な本や雑誌、新聞記事から関連する情報をコピーしてきて、
 それらをハサミで切って、ノリで貼り付け、
 清書や印刷をして報告書にするという仕事のスタイルを指したものです。
 
 もちろん、この「ノリ・ハサミ」という言葉は、
 ワープロやパソコンの普及に伴って「死語」となりましたが、
 仕事の実態は、基本的に変わっていません。
 ただ、言葉が「カット・アンド・ペースト」と英語になっただけです。
 
 また、「コンサルティング業界」でも、似たような問題があります。
 あるベテランのコンサルタントから聞いた笑い話ですが、
 若いコンサルタントを指導するときに、
 「専門書を一冊読んだだけで、その分野の専門家として話ができないと、
 プロのコンサルタントにはなれない」と教えるそうです。
 
 もう一つ例を挙げれば、「広告代理店業界」です。
 こうした業界では、大手代理店の傘下に
 数多くの下請けの中小代理店やプロダクションがあります。
 そして、こうした大手代理店の担当者に仕事を依頼すると、
 これらの下請けの会社の「クリエイター」と呼ばれる人々に
 智恵やアイデアを出させ、
 彼らの作った企画書の表紙だけを替えて持ってくる例があります。
 これはまさに、「智恵のアウトソーシング」です。
 
 もちろん、こうした、大学、シンクタンク、
 コンサルティング会社、広告代理店の世界に、
 極めて優れた知的力量を持つ人々がいることも事実です。
 これらの業界の名誉のために、一言、付け加えておきます。
 
 ただ、どのような「知的職業」の世界にも、
 単なる「知識」の伝達と流通で仕事をしているだけの人材がいます。
 そして、そうした人材は、実は、決して少なくないのです。
 しかも、そうした人材は、不思議なことに、
 自分ではそのことを気がついていないのです。
 
 その事実を、「知的プロフェッショナル」をめざす方々は、
 よく理解しておく必要があるでしょう。
 
 ■ 「編集」という魔法の言葉
 
 ところで、なぜ、こうした人材は、
 自分の仕事が単なる「知識の伝達と流通」であることに
 気がつかないのでしょうか?
 
 その理由は、ある「魔法の言葉」にあります。
 
 それは、「編集」という言葉です。
 
 この言葉は、本来、極めて深い意味を持ち、
 また、編集のノウハウとは、非常に高度な力量なのですが、
 一方で、この言葉ほど、
 知的職業の人々の「自己幻想」を支えてくれるものはありません。
 先ほどの「ノリ・ハサミ」においても、「専門書一冊の専門家」においても、
 これらの人々の言い分は、
 「私は、既存の情報を編集して、付加価値をつけた」ということです。
 
 たしかに、「編集」という行為は、
 既存の情報に新しい価値を付け加える行為です。
 
 しかし、それが、まさに「編集」という価値を生み出すためには、
 実は、極めて高度な知的力量が求められるということを、
 我々は、深く理解しておくべきでしょう。
 世の中には、単なる「情報整理」を「情報編集」と思い込んでいる例が多いのも、
 たしかな事実です。
 
 
2003年05月01日
第9回 ビジネスマンが自省すべきこと
 
 このように、これまで世の中で「知的職業」と思われていた人々が、
 実は、あまり「知的」ではない仕事をしていたことに気がつかれたでしょうか?
 すなわち、こうした「知的職業」の多くが、
 実は、単なる「知識の伝達と流通」で仕事をしていたのです。
 そして、こうした、単なる「知識の伝達と流通」によって仕事をしてきた職業は、
 ネット革命によって、その「知識」が直接的にエンド・ユーザーに伝達されたり、
 社会全体で共有された瞬間に、その存在意義を失ってしまう職業なのです。
 
 このことは、決して、大学教授や、シンクタンカー、コンサルタント、
 広告代理店業者、編集者といった職業だけの問題ではありません。
 
 それは、すべての職業に共通の問題です。
 
 従って、民間企業のビジネスマンも、一度、自らを省みる必要があるでしょう。
 
 例えば、「教育研修」と称して単に専門知識の伝達をしているだけの研修部、
 「市場調査」と称して単に既存情報の整理をしているだけの調査部、
 「顧客提案」と称して単に専門書の受け売りをしているだけの営業部、
 「企画立案」と称して単にコンサルティング会社の企画案を
 修正して使っている企画部など、
 ビジネスマンの世界にも、何ら新しい「知識創造」を行うことなく、
 単なる「知識伝達」や「知識流通」を行っている人々も決して少なくないのです。
 
 こうしたことを自らに問うてみるならば、
 ビジネスマンの人々も、
 先ほど述べた大学教授や、シンクタンカー、コンサルタント
 広告代理店業者、編集者の人々を、
 気楽に笑えなくなるのではないでしょうか?
 
 少し耳の痛いことを述べました。
 
 しかし、これからの知識社会において、
 単なる「ナレッジ・ワーカー」ではなく、
 「知的プロフェッショナル」をめざすためには、
 やはり、こうした厳しい自己認識から出発しなければならないのです。
 
 ■ 急速に古くなってしまう「商品」
 
 さて、お分かりになったでしょうか?
 これからの知識資本主義の時代に何が起こるのか、お分かりになったでしょうか?
 もう一度、述べましょう。
 
 これから、ネット革命によって、社会全体で「専門知識の共有化」が起こります。
 
 そして、このことは、
 「専門的な知識」を使って仕事をしている「ナレッジ・ワーカー」に対して
 厳しい問題を突きつけてきます。
 単なる「知識の伝達と流通」を仕事としている「ナレッジ・ワーカー」は
 生き残れないという厳しい問題を突きつけてくるのです。
 
 しかし、実は、これからの時代には、
 もう一つ厳しい問題が「ナレッジ・ワーカー」に突きつけられるのです。
 それは何か?
 
 「専門知識の陳腐化」という問題です。
 
 これからの時代には、
 新たに身につけた「専門的な知識」が急速に古くなり、
 短期間に陳腐化していきます。
 
 なぜなら、これからの時代には、
 「ドッグ・イヤー」という言葉に象徴されるように、
 科学も技術も急速に進歩し、企業も市場も社会も急速に変化していくからです。
 そして、その急速な進歩と変化の結果、
 それまで最先端であった「専門的な知識」が
 急激に時代遅れになってしまうのです。
 
 このことは、「ナレッジ・ワーカー」に対して、
 さらに別の厳しい問題を突きつけてきます。
 
 すなわち、せっかく身につけた「ナレッジ」という「商品」が、
 急速に古くなってしまい、「価値」がなくなってしまうという深刻な問題です。
 
 
2003年05月08日
第10回 求められるのは「知識のための知識」
 
 では、この問題に対して、どうするか?
 
 当然のことながら、
 この問題に対する一つの答えは、「新しい専門知識を学ぶ」ということです。
 そこで、これからの時代の「ナレッジ・ワーカー」は、
 社会人大学院に通ったり、専門学校で資格を取ったり、
 通信教育を受けたりという努力をすることになります。
 しかし、こうした方法だけでは、問題は解決しません。
 
 なぜなら、これからの時代には、
 「専門的な知識」が陳腐化する速度も、ますます速くなっていくからです。
 そのため、「新しい専門知識を学ぶ」ということも、
 通常の努力では、なかなか追いつかなくなっていくからです。
 
 いや、それだけではありません。
 中高年層のビジネスマンにとっては、この問題は、さらに深刻です。
 かりに貴重な時間と費用をかけて新しい専門知識を身につけても、
 同じ程度の専門知識を身につけた若年層のビジネスマンがいるという
 問題に直面するからです。
 それは、自分よりも人件費の安い人材が、
 自分と同程度以上の専門知識を持っているという深刻な問題なのです。
 これは、例えばIT分野などでは、特に顕著に表れている人材市場の問題です。
 
 では、どうするか?
 こうした問題に対して、いったい、どうすればよいのでしょうか?
 一つの方法を述べましょう。
 
 「メタ・ナレッジ」(方法知識)を身につけることです。
 
 では、「メタ・ナレッジ」とは何か?
 それは「知識を学習するための知識」「知識を編集するための知識」
 「知識を創造するための知識」です。
 いわば、「通常の知識のメタ・レベルにある知識」
 「通常の知識より一段上位にある知識」のことです。
 
 少し表現が難しいので、分かりやすく言いましょう。
 いわゆる「読書方法」「学習方法」「整理方法」「評価方法」
 「編集方法」「企画方法」「発想方法」などと呼ばれる
 「方法」に関する知識です。
 
 すなわち、こうした「メタ・ナレッジ」を身につけることによって、
 我々は、効率的に新しい専門知識を学習したり、
 他の人材の持つ新しい専門知識を編集したり、
 仕事の体験から新しい専門知識を創造したりすることができるのです。
 
 従って、急速に「専門知識の陳腐化」が生じる時代に処するための一つの方法は、
 この「メタ・ナレッジ」を身につけることです。
 
 ■ 決して陳腐化しない商品
 
 しかし、やはり、「ナレッジ・ワーカー」が、
 こうした問題に処するための方法は、究極、一つしかありません。
 それは何か?
 
 「ディープ・ナレッジ」(深層知識)を身につけることです。
 
 「ナレッジ・ワーカー」として企業や市場に提供している「商品」の本質を、
 単なる「ナレッジ」(専門知識)ではなく、
 「ディープ・ナレッジ」(深層知識)にしていくことです。
 すなわち、最新の情報や最先端の動向といった「専門的な知識」ではなく、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウといった「職業的な智恵」を
 自分の強みにしていくことです。
 例えば、企画センスや発表スキル、会議ノウハウや交渉テクニックなどの
 「言葉で表せない智恵」を身につけ、磨いていくことです。
 
 実は、先ほど述べた「メタ・ナレッジ」も、
 その入門の部分は「言葉で表せる知識」ですが、
 その奥義の部分は、「言葉で表せない智恵」なのです。
 従って、「読書方法」「学習方法」「編集方法」
 「企画方法」「発想方法」などと呼ばれる知識も、
 それを単に「マニュアル的な方法」として身につけるのでは不十分です。
 それを、「読書力」「学習力」「編集力」「企画力」「発想力」とでも呼ぶべき、
 スキルやセンス、テクニックやノウハウの体系としての
 「職業的な智恵」へと高めていかなければならないのです。
 
 そして、こうした「専門知識の陳腐化」が急速に生じる時代には、
 自分の強みを、「専門的な知識」から「職業的な智恵」へと深めていくことが
 「最強の戦略」となります。
 それは、なぜか?
 
 「職業的な智恵」は、時代が変化しても陳腐化しないからです。
 「職業的な智恵」は、経験を積めば積むほど深まっていくからです。
 
 これからの時代には、「ナレッジ・ワーカー」ではなく、
 「知的プロフェッショナル」をめざすキャリア戦略が重要であると述べる理由は、
 ここにもあります。
 単に「ナレッジ・ワーカー」をめざすだけの素朴なキャリア戦略は、
 必ず、こうした「専門知識の陳腐化」という深刻な問題に直面するからです。
 
 ■ 専門知識の「共有化」と「陳腐化」
 
 さて、このように、これからネット革命が「知識の流通革命」をもたらし、
 知識の伝達と流通だけで仕事をしてきた人々の「中抜き現象」が起こります。
 
 そして、その結果、
 一般の人々でも容易に「専門的な知識」を使うことができるようになり、
 社会全体での「専門知識の共有化」が進んでいきます。
 
 また、これからは、
 科学や技術が急速に進歩し、企業や市場や社会が急速に変化していくため、
 「専門知識の陳腐化」も急激に進んでいきます。
 
 これからの知識資本主義の時代において
 「知的プロフェッショナル」へのキャリア戦略を考えるとき、
 我々は、まず何よりも、このことを理解しておかなければなりません。
 
 しかし、実は、これからの知識資本主義の市場について、
 我々が理解しておかなければならない大切なことが、もう一つあるのです。
 
 次回は、そのことを述べましょう。