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田坂広志 「風の便り」
 
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 田坂広志 「風の便り」 第146便
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 無意識の権力
 
 
 
 政治の権力について
 しばしば語られる小話があります。
 
 ある国で、軍事クーデターが起りました。
 クーデターの首謀者である将軍は、
 民政を倒して独裁体制を敷いたのですが、
 そのクーデターを国民が支持しているかが気になりました。
 
 そこで、その将軍は、年寄りの労働者に変装し、
 人々の集まる映画館に行ってみました。
 
 映画の前のニュース放映のとき、
 最近のクーデターが報道され、
 画面に、戦車に乗った将軍が登場しました。
 すると、映画館にいた観客は全員総立ちになり、
 将軍を誉め讃える拍手を送ったのです。
 
 満場の観客の拍手する姿を見て、
 「このクーデターは、国民から支持されている」と
 感激して椅子に座り込んでいた将軍に、
 隣で立って拍手をしていた若い労働者が、ささやきました。
 
 
 おい、じいさん、
 拍手しな。
 拍手しないと、
 殺されるぜ。
 
 
 思わず笑いを誘う、この小話。
 
 しかし、一人のマネジャーとして
 この話を読むとき、
 それが、政治についての風刺であることを超え、
 マネジメントについての警句であるように
 思えてきます。
 
 なぜなら、
 
 マネジャーが無意識に振り回す権力
 
 それは、しばしば、メンバーから、
 自分の好む意見を引き出してしまうからです。
 
 
 
 2004年11月1日
 田坂広志
 
 
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 田坂広志 「風の便り」 第147便
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 仏性の宿る場所
 
 
 
 昔、台湾を旅行したとき、
 知人の勧めで、ある寺院を訪問しました。
 
 その寺院は、地元の人々の信仰の中心であり、
 訪問したときも、多くの人々の参拝で賑わっていました。
 
 「この寺の仏像に宿る仏様は、ご利益のある仏様ですよ」
 
 その知人の言葉を思い出しながら人々を眺めていると、
 一人の老婆が目に入りました。
 
 仏像の前で、何を祈っているのでしょうか。
 文字通り、一心不乱に祈り続けています。
 家族の病気か、不慮の厄災か、
 ひたすらに祈り続けています。
 
 そして、改めて周りを見渡すと、
 仏像の置かれた堂内のあちこちで、何人もの人々が、
 一心に祈りを捧げているのです。
 
 しばし、それらの人々の姿を眺めていると、
 心の深くから、
 一つの思いが湧き上がってきました。
 
 
 これまで、この寺院に、
 どれほど多くの人々がやってきて、
 祈りを捧げていったのだろうか。
 
 どれほど多くの人々がやってきて、
 救いのない苦しみの中で、
 一筋の光を求めたのだろうか。
 
 
 それは、手を合わせたくなるほどの
 真摯に生きる人々の姿でした。
 
 そして、その姿から、
 大切なことを教えられました。
 
 
 仏性。
 
 
 それは、寺院の仏像の中に宿っているのではない。
 それは、仏像に祈る人々の、心の中に宿っている。
 
 そのことを教えられたのです。
 
 
 
 2004年11月8日
 田坂広志
 
 
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 田坂広志 「風の便り」 第148便
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 「目標」と「結果」
 
 
 
 プロ野球大リーグで、
 「年間最多安打262本」という
 前人未踏の記録を達成したイチロー選手が、
 インタビュアーから、質問を受けました。
 
 
 イチローさん、
 この記録の次にめざす「目標」は、何ですか。
 
 
 この質問に対して、イチロー選手は、
 「年間打率4割をめざします」と答えるのではなく、
 静かな表情で、こう答えました。
 
 
 もっと野球が上手くなりたいですね。
 でも、それは、数字には表れないものであり、
 きっと、自分にしか分からない世界なのでしょうね。
 
 
 このイチロー選手の言葉は、
 プロフェッショナルの道を歩む人間に
 大切なことを教えてくれます。
 
 
 理想形。
 
 
 プロフェッショナルとしてめざす
 自分にとっての理想の姿。
 
 それを心に描くことの大切さを
 教えてくれます。
 
 そして、この言葉は、
 もう一つ、大切なことを教えてくれます。
 
 数字の目標を達成する。
 周囲の評価を獲得する。
 
 それは、理想形を求め続ける人間にとっては、
 
 「結果」にすぎない。
 
 そのことを教えてくれるのです。
 
 
 
 2004年11月15日
 田坂広志
 
 
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 田坂広志 「風の便り」 第149便
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 「熱意」の落し穴
 
 
 
 遠い昔、大学の近くの喫茶店で目にした光景が、
 いまも、心に残っています。
 
 それは、二人の男性でしたが、
 一人は、ゴルフ場の経営者、
 一人はプロゴルファーをめざす若者でした。
 
 その若者は、ゴルフ場で働きながら、
 プロゴルファーをめざして修業をしたいとの希望を、
 その経営者に熱心に語っていました。
 
 その経営者は、鋭い眼光と厳しい表情から察するに、
 かなりの人生経験を積んだ人物のようでしたが、
 長い時間、その若者の熱意溢れる話を、
 腕を組み、黙って聞いていました。
 
 若者は、人の良い人物のようでしたが、
 周囲の人々の耳も気にとめず、夢中になって懇願する姿は、
 熱意の表れのようでもありながら、
 なぜか、軽さを感じさせるものでした。
 
 しかし、懇願を繰り返す若者の熱意に根負けしたのでしょうか、
 その経営者は、遂に、押し出すように言いました。
 
 「では、本当にプロになる気があるならば、
  うちで働きながら修業をするか」
 
 その言葉に対して、若者は、喜びのあまり、こう言いました。
 
 「有難うございます。一生懸命に修業します。
  私は、ゴルフのボールに触っているだけで幸せなんです」
 
 その瞬間、経営者の表情が変わりました。
 そして、厳しい声で言いました。
 
 「やはり、やめておこう。あんたは、プロには向いていないよ」
 
 この光景が、いまも心に残っています。
 
 
 「自己陶酔」
 
 
 それは、我々が「熱意」を心に抱くとき、
 密やかに存在する、落し穴なのかもしれません。
 
 
 
 2004年11月22日
 田坂広志
 
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 田坂広志 「風の便り」 第150便
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 遥かなる旅路
 
 
 
 宇宙物理学において
 「対称性の破れ」という言葉があります。
 
 137億年前、この宇宙は存在しなかった。
 ただ、「真空」だけが存在した。
 そこには、時間も空間も、まだ生まれていなかった。
 それゆえ、過去も未来も無く、上下も左右も無い、
 完全な「対称性」だけが存在した。
 
 しかし、あるとき、その「真空」がゆらぎ、
 大爆発が起こり、一瞬にして、この壮大な宇宙が誕生した。
 そして、それは、世界の「対称性」が破れ、
 時間と空間が生まれた瞬間でもあった。
 
 「インフレーション宇宙論」と「ビッグバン宇宙論」
 
 この現代科学の最先端の理論を学ぶとき、我々は、
 「物理」の世界と「心理」の世界の
 不思議な相似に気がつきます。
 
 心理学の世界に
 「タブラ・ラサ」という言葉があります。
 
 英国の経験論哲学者、ジョン・ロックが用いた
 「白い板」という意味の、この言葉。
 我々が、この世に誕生したとき、
 まだ、我々の心は、「対称性」の世界にあった。
 真偽を知らず、善悪を知らず、美醜を知らず、
 愛憎を知らず、幸不幸を知らない、無境界の世界。
 
 しかし、まもなく、
 心の中に、世界を二つに区分する自意識が生まれ、
 その「対称性」は失われていった。
 そして、我々の心は、
 その「白い板」に、様々な区分と境界を描き出し、
 その境界において、様々な葛藤と苦悩を生み出していった。
 
 そのことを考えるとき、
 深遠なる一つの問いが、心に浮かびます。
 
 
 この宇宙は、なぜ「対称性」を破り、旅に出たのか。
 我々の心は、なぜ「対称性」を破り、この旅を続けているのか。
 
 
 その問いが、心に浮かぶのです。
 
 
 
 2004年11月29日
 田坂広志
 
 
 
 
 
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 田坂広志 「新しい風」 第150号
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 田坂です。
 
 「風の便り」も、今回で第150便を数えました。
 この毎週一通の便りも、三年間続けたことになります。
 毎週、お読みいただいた方々に、改めてお礼を申し上げます。
 
 この第150便を、一つの区切りとして、
 しばらく、この「風の便り」を休ませていただきます。
 また、新年より、新しい形で、
 この「風の便り」をお送りしたいと考えています。
 
 まずは、三年間のご愛読に、そして、このご縁に、
 深く、感謝申し上げます。
 
 有難うございました。
 
 それでは、また来年。
 
 良い年をお迎えください。