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新しいまちづくり〜環境負荷が小さく、人間主体の住みよいまちを考える
新しいまちづくり〜環境負荷が小さく、人間主体の住みよいまちを考える(1)
2004年11月22日 07時16分
都市は環境負荷が大きい。しかし、負荷が1カ所に集中しているため、同じ負荷であっても自然環境が受けるダメージが小さくて済むというメリットがある。また、充実したインフラを多くの住民が共有できるので、同じレベルの豊かさや利便性を、住民1人当たりに換算すれば少ない環境負荷で実現できる可能性も大きい。
近自然学では都市を必要悪とは考えない。むしろそのメリットを積極的に生かし、我々の豊かさを高めると同時に、地球環境の受けるダメージを減らしたい。
そのために我々にできることがある。「市街地の集中と高密度化」、「大都市のユニット分割」、「職・住・商・食・学・緑などの近在」である。
新しいまちづくりでは、以下のテーマを順番に取り上げていく。
都市は環境負荷が大きいか?
住みにくくなってしまった都市
市街地の集中と高密度化が環境へのインパクトを減らす
ユニット(小単位)分割により適度にコンパクトな都市を実現
職・住・商・食・学・緑などの近在が、日々の人の移動を減らす
都市における緑地の重要さ
ランドシャフト(気持良さ)は住民の共有財産
1.都市は環境負荷が大きいか?
地球環境がここまで悪化したのは、世界中の都市化が原因であるという見方もできる。都市は、存在するだけで環境負荷が大きいのだ。
しかし逆に、環境負荷が1カ所に集中しているため、「負荷は集中、対策は分散」の原則により、同じ負荷でも自然環境の受けるダメージが少なくて済む。また、整備されたインフラを多くの住民がシェアできるので、同じレベルの豊かさや利便性を、人口1人当たりに換算すれば、より小さな環境負荷で実現できる可能性もある。
そんなわけで近自然学では、都市を単なる必要悪とは見ない。我々の豊かさや環境のために、これを積極的に活用したい。そのために、我々の豊かさや利便性がさらに増し、それが同時に環境負荷の低減につながるような方策を模索し提案したい。
2.住みにくくなってしまった都市
都市とは何なのか? なぜ人々は都市にあこがれ、都市に暮らしたいのか?
多くの雇用と高い賃金
多様な教育の機会
活発な文化活動:映画、コンサート、演劇など
魅力的なブティック、デパート、専門店などと豊富な商品
多様で美味しい飲食店や歓楽街
整備されたインフラ
近代的で洗練された生活
いろいろな要素がすぐ近くにある
などが思い浮かぶ。どうやら、都市は我々にとって「物資的な豊かさ」の象徴であるようだ。いや、「あった」ようだ。現実の都市はどうだろう? 我々の期待に応えてくれているだろうか?
溢れる失業者、激しい受験戦争、劣悪な住環境、家賃を筆頭に高い物価、画一的で醜いまち並み、通勤通学に時間がかかる、日常的なラッシュや交通渋滞…。もちろん都市には素晴らしい面もある。しかし、今の都市はとても住みにくくなってしまったとは言えないだろうか。
近自然学では、環境負荷を低減するだけでは不足と考える。心の豊かさや精神的充足感なども含めて、気持のよい、住みよいまちにできなければ、共生共存を目指す近自然学としては失敗であると考えたい。
3.市街地の集中と高密度化が環境へのインパクトを減らす
同じ負荷で環境へのインパクトを低減するにはどうしたらよいのか?
実は、ここでも「負荷は集中、対策は分散」の原則が有効である。
都市などの土地利用において、我々が欲しいのは面積だ。しかし、市街地が周辺の自然環境に与えるインパクトは、その周辺の長さに依存する。周辺の長さが長いほど、自然環境の受けるダメージは大きく、短いほど小さい。つまり、同じ利用面積で周囲長が最短になるようにしたい。
同じ面積を分割せずにまとめると、その周囲の長さは減る。つまり、周辺へのインパクトが減るわけだ。これが、「市街地を集中すべき」という理由である。
同じ面積を四つに分割した場合、二つにまとめた場合、そしてさらに一つにまとめた場合の周囲の長さは、1→0.7→0.5としだいに小さくなる。それだけ、周辺へのインパクトが減ることを意味するのだ。
また、同じ面積を1層で実現するのではなく、2層、4層と階層化して実現すると、やはり周囲の長さが減る。つまり、環境へのインパクトが減るわけだ。これが高密度化である。
ただし、近自然学では高層建築を推薦しているわけではない。我々の身体的条件を考慮して、エレベーターなしでも苦痛にならない4階建て程度を目標としたい。ちなみにスイスのチューリッヒ市内では6階建てが一般的だ。しかし、最上階への階段での上下は、高齢者には厳しい。
もちろん、高層建築に意味がある特定の場所が存在する可能性は否定できない。
家を4軒建てるとする。これを自然の中に分散して建てるなら、環境へのインパクトは、1軒当たりのインパクトを4回加算したしたものとイコールになる。しかし、1カ所にまとめて団地とすると、環境が受けるダメージは減る。さらに4階建ての建物1棟にまとめれば、さらにダメージは減るのである。
逆に、同じ面積を分割し分散させたり、低層の一戸建てをずらーっと並べていくと、自然環境の受けるダメージはどんどん大きくなっていくので、できるだけ避けるのが得策だ。都市のコア部では一戸建てを禁止することも考えられる。現に、スイスやドイツでは「禁止」が普通だ。
低密度のまち(写真提供:中島淳司氏)
(クリックすると拡大表示されます)
次回は、「ユニット(小単位)分割により適度にコンパクトな都市を実現」、「都市における緑地の重要さ」などについて説明する。
(山脇 正俊=近自然学研究家)
■山脇 正俊 氏のプロフィール
近自然(工)学研究家
チューリッヒ州近自然工法アドバイザー
スイス連邦工科大学・チューリッヒ州立総合大学講師
北海道工業大学客員教授
電子メール:masayama@aol.com
ホームページ:http://members.aol.com/masayama/
最新著書:「近自然学」(2004年4月、山海堂より出版)
2004年12月02日 18時39分
前回に引き続き、新しいまちづくりについて考える。
4.ユニット(小単位)分割により適度にコンパクトな都市を実現
日本の多くの大都市は際限なく拡大してしまい、通勤通学に片道1時間、場合によっては2時間も必要なことが珍しくない。これは都市に住む住民にとって大きな精神的・肉体的負担であると共に、たいへんな時間とエネルギーの浪費である。
この通勤通学時間が長いという問題を解決するのが「大都市のユニット分割」だ。大都市を直径2kmほどのユニット(小単位)に分割することにより、まちは再び我々にとって感覚的に掌握できる規模となる。これは、歩いて10分、自転車なら5分程度でどこへでも行ける規模である。歩くスピードなど、自然が与えた我々人間の肉体的・感覚的な条件にフィットしたコンパクトなまちと言えよう。
このユニットの中心のコア地区に、集配センターと郵便局を兼ねた鉄道の駅を置き、長距離の移動や物流の拠点とする。この集配センターから各家庭や商店への輸送には、環境負荷の小さな小型トラックを使う。こうすることにより、トラックの走行距離をずっと短くすることが可能となる。
5.職・住・商・食・学・緑などの近在が、日々の人の移動を減らす
従来のゾーニングでは、住居地区、工業地区、商業地区といった機能別の地区割りをした。ある地区は住宅街、ある地区はオフィス街、ある地区は商店街、といったやり方だ。このやり方だと、毎朝同時刻に、しかも同じ方向に、大勢の人たちが自宅から仕事場へ移動する。夕方はその逆方向だ。それがラッシュアワーや交通渋滞の大きな原因となる。これは大きな環境負荷であると同時に、住民にとっても大変な苦痛である。
日々の人の移動を抑えるためには、「職・住・商・食・学・緑・育・医・遊などの近在」が有効である。特に職・住の近接が決め手となろう。そのためには、従来の住居地区、工業地区、商業地区といった地区割りのゾーニングを、様々な要素が混在する新しいゾーニングに改める必要がある。
多くの住民がオフィスから徒歩5分ほどの場所に住むなら、人々の日々の移動距離が激減すると共に、その移動方向がバラバラになり、ラッシュや渋滞は解消する。これをバックアップするために、オフィスから1km以内に住む人に対して、国や都道府県などの地方自治体が家賃の10%を援助するなどの環境貢献プレミアム(環境貢献を促進するため、環境貢献者に対して提供する心理的・物理的バックアップのこと。報奨金、奨励金、補助金、ラベリング、名前公表などの形を取る)を出しても、経済的に十分にペイするだろう。
新しいゾーニングにより、従来の地区の性格を尊重しながらも、住居、オフィス、商店、学校、レストラン、緑地などがすべて近くにある、全く新しいまちに生まれ変わる。どこへでも歩いて行け、自転車を使えばさらに時間を短縮できる。このユニット内では住民は皆顔見知りとなり、「我がまち」という意識も高まるに違いない。それは住民がまちを良くしていこうというエネルギーになるはずだ。
この新しいゾーニングを実現しているまち、チューリッヒ市内のウェスト地区を紹介しよう(上の写真)。右側の建物が道路からの防音壁を兼ねるオフィス棟で、オフィス、商店、レストラン、会議室などがある。左側が住居棟で、住居のほか、保育所もある。この二つの建物は歩道橋によって結ばれ、自宅のドアを出て数分でオフィスやお店に行ける。住居棟の裏側はリマット川の緑地だ。
6.都市における緑地の重要さ
「市街地の集中と高密度化」により、平面の面積は小さくなる。それにより生まれた空間は「緑地」としたい。そうすることにより、都市にさまざまなメリットをもたらすだろう。
緑地周辺の土地の不動産価値が上がる
気持良いランドシャフトを提供する
子どもたちの楽しい遊び場、冒険の場となる
大人たちの憩いの場となる
災害に対する安全性が上る
雨水の地下浸透などを増やし、水循環が健全化する
緑陰をつくりヒートアイランド現象を抑える
騒音を吸収し排ガスを遮へいする
CO2を固定し酸素を供給する
バイオマス(生物資源)として太陽エネルギーを蓄積する
動植物の貴重な生息空間となる
などであろうか。
多くの住民が緑地のそばに住みたいし、窓外に木々の見えるオフィスで仕事をしたい。これは自然な欲求だろう。だから、緑地周辺の不動産価値が上がる。皆が少しずつ土地を供出して緑地空間を作っても、経済的にペイすると言われる。都市内の緑地に川やせせらぎが流れるなら、その価値はさらに倍増すると言えよう。読者の皆さんも、そういう場所がお好きなのではないか?
7.ランドシャフト(気持良さ)は住民の共有財産
「道づくり」の章で、ランドシャフトについてお話しした。良いランドシャフトとは極限すれば「気持良い」ことである。これは何も「道づくり」だけのことではない。「まちづくり」にも「川づくり」などにも当てはまる重要な概念と言えよう。
スイスのまちは美しいと言われる。これは偶然ではない。それなりの理由があるのだ。「ランドシャフトは共有財産」というコンセンサス(共通意識)である。
「だれも他人に不快感を与える権利はない」と言い換えることができようか。
スイスには、見た目、騒音、悪臭などを統制する法律がある。
例えば、
建物の外観に自由はない
看板や広告やネオンサイン禁止
洗濯物は外から見えるところに干してはならない
ラジオ・テレビ・ステレオは窓を開けて視聴してはならない
工事は、昼食時・夜間・週末・祝祭日は禁止
トラックの走行は、夜10時から翌朝までと、週末・祝祭日は禁止
悪臭禁止
クルマのアイドリング禁止
など、挙げていけばきりがない。規則で縛るのは窮屈だと感じるかもしれない。しかし、その結果として、美しく気持良く住みやすいまちが維持されていることは認めざるを得ないのではないか。要は、どちらを採るか、選択の問題であろう。