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〜日刊デジクリから引用
バカヤローの魅惑
 
永吉克之
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●論理破壊
 
病気をして以来、映画監督の大島渚氏がテレ朝の討論番組『朝まで生テレビ』
で怒鳴りちらすのを聞けなくなったのが淋しい。私は氏の極論が大好きだった。
 
「もし在日米軍がいなくなったら、日本人はどうやって自分の国を守るのか」
というアメリカ人パネリストの意見に怒髪天をついた大島氏が「日本は日本人
が守る! アメリカは出ていけ出ていけー!」と、シュプレヒコールのように
吠えるのを、私は激り落つ涙が頬を伝うのを拭いもせずに聞いていた。
 
大島氏が虚勢を張っているのは明らかであったが、ハイブロウな文化人知識人
を相手に、いい大人が感情的になって論理性も客観性もない発言をぶちかます
光景は、同じく論理性に乏しい私にはまことに心地よかったのである。
 
大島氏は京都大学法学部出身のインテリジェントのはずなのだが、議論が紛糾
してくると業を煮やして「バカヤロー」で論理破壊をするという原始的な行動
に出る。しかし日韓の歴史問題をテーマにした、また別の討論番組で、朝鮮語
で話している相手までも「バカヤロー」と怒鳴りつけるのだから、通訳者も、
さぞや困ったことだろう。
 
●論客になろう
 
私は学生時代は議論に弱く、友人のアパートで深夜まで人生論などを闘わせて
言い負かされると、口惜しさのあまり部屋を飛び出し、近くの畑でキュウリや
キャベツを盗んでは、インスタントラーメンに入れて夜食にしたものである。
しかし、言い負かされたのは私の考えが間違っていたからばかりではなく、方
法にも問題があったのだ。
 
論争の場で優位に立つ人間が、必ずしも論理的思考に長けているわけではない。
じっくり話を聞いていると、そんなに高度なことは言っていない場合が多い。
ではなぜ彼らが強いかというと、
 
・誰よりも大きな声で話す。
・自信に満ちあふれた態度をとる。
・誰かが発言している最中に自分の発言をネジ込ませる。
・異なる意見をとなえる者には殴りかからんばかりに反論する。
・激昂して机を叩く。
・冷笑を浮かべながら相手の意見を聞く。
・バレる可能性がなければウソをつく。
といったスキルを身につけているからに他ならない。
 
●詭弁
 
人間というのは結局、自分や自分が属する集団(家族、会社、政党など)の利
害が行動のモーティベーションになっているのだ。理屈はあとからつける。
 
党首討論会で「あなたの党が提案する制度では低所得者層の負担がふえるでは
ないか」と言われてナルホドと納得しても、党首としては「こりゃあ一本とら
れましたな。じゃコレ廃案にしますわ」というわけにもいかないだろうから、
なんとか正当化する理屈を発明して、あくまで国民のためには最善の策である
という印象を作り出し、党の面目を保たなければならない。
 
政治家だけではない。連続殺人犯を舌先三寸で無罪放免にするアメリカの辣腕
弁護士や、SF作家のように、自分でもまだ見たことのない世界のことを見てき
たように話し、巨額の布施を集める宗教指導者をみれば、「人のため」という
論理が、個人に利益をもたらすための口実として利用されているのが分る。
 
ソフィストと呼ばれる古代ギリシャの一部の哲人たちは、どうせ人間は絶対的
真理に到達することなどできないのだから、その場しのぎの詭弁を弄してでも
自分が有利な立場に立てばいいと考えたが、これは現代にも通じることである。
 
●危険な論理
 
エゴイズムは人間の性だからしかたがないとしても、それによって人類を滅亡
に導くような論理はことごとく圧殺しなければならない。
 
「なぜ人を殺しちゃダメなの」
「ダメだからダメなんだ、バカヤロー」
「アタシの身体なんだから、お金もらってヤらせるのは勝手でしょ」
「ヤらせるな、バカヤロー」
「13歳以下で刑事罰がないから、今のうちに悪いことしてやる」
「今のうちに悪いことをするな、バカヤロー」
「言論の自由が保障されているんだから、某掲示板で個人を誹謗中傷してやる」
「某掲示板で個人を誹謗中傷するな、バカヤロー」
 
ちなみに私は関西人だから「バカヤロー」は使わないが「アホー」よりも熱血
青春感動巨編な趣があるので、これを採用した。
 
〜日刊デジクリから引用 終