知らぬが仏
5月31日月曜日、取引先の偉いさんと二人で飲みに行った。 この●◎さんという偉いさんは、7月に石川県に転勤になる。いつも私をかわいがってくれていたので、非常に寂しい気持ちだ。 昨夜は第一回送別会だった。特に約束をしていた訳ではない。 ●◎さんは、いつも夕方に突然現れて、「おう。忙しい?」 「そうですね。資料ばっかり増えちゃって」 「ちゃうやん。仕事の話してどうすんの?」 「え?」 「夜の打合せや」 おちょこでグイッと飲む仕草。 「ははは。いうことですね」 この物流業界の方々は、なぜかストレートに「飲みに行きましょう」とは言わない。 ●◎さんは、紙に 銀行 ーーーーーー 御堂筋 ーーーーーー U社 と簡単な地図を書き、銀行をペンで丸く囲み、「6時15分。じゃあな」 この物流業界の方々は、なぜかストレートに待ち合わせを口にしない。 待ち合わせ場所に行くと、 「おう。お疲れ」 横にはすでにタクシーがドアを開けて待っている。 「どっか行くんですか?」 この本町界隈には、飲み屋がたくさん有る。なにもタクシーで遠くに行かなくとも。 「不景気やからのお」 「不景気?」 「このご時勢、いくら仲がいいって言っても、取引先同志連れだって行くのを誰かが見たら、体裁良くないわな」 「そんなもんですかね?」 「南行こ」 ●◎さんはキャバレーが好きだ。体裁云々と言うが、すでに「二次会は南のキャバレー」と決意されているのがバレバレだった。 キャバレーの真向かいの居酒屋で飲んでいた。 ●◎さんは自称「歴史家」と名乗るほど歴史が好きだ。 「I氏ちゃんよお、司馬遼太郎は読むか?」 「子供の頃に少し読んだ記憶があります」 「俺、好きやねん。最近も読んでるんや。面白いこと書いてたわ。神様と仏様についての話や。神社でお祈りする時、パンパン!て手叩くやん。あれってなんでか知ってる?」 「いえ、知らないです」 「寺に対抗してるんよ。仏さんの前では手合わすだけやろ。それに対抗して、神社はオリジナリティーを出すために、手合わせる前に手叩くんや」 本当なのだろうか?とりあえず「そうなんですかあ」、納得しておいた。 「それとかな、仏さんて仏像があるやん。神さんて仏像みたいな形が無いやん。なんでか分かるか?」 「元々、自然現象を神様として崇拝してたからじゃないですか?」 「おう!それ!よお知ってるやんけ。自然信仰や」 「アニミズムですよね」 「おう。阿弥陀や。阿弥陀さんも、そういうたぐいやな」 「いえ... アニミズムです」 「そうや。阿弥陀くじなんかも、阿弥陀さんに由来してるんや。いいねえ、歴史探訪。ロマンを感じるねえ」 歴史家は、独自の解釈をしておられるようだ。 「おう。散歩しようや」 「散歩?」 「おう。大将。おあいそしてくれ。I氏ちゃん。忘れ物すんなよ」 二次会に行こうという意味だ。 この物流業界の方々は、なぜかストレートに「二次会に行こう」とは言わない。 よく使われる言葉だが、若い女の子が居る飲み屋に行く時は、「眺めのいいとこ行こうか」、「楽しいところ行こうや」など。 「I氏ちゃん。ちょっと近くを散歩しようか」 真向かいのキャバレーに行くのだと理解した。 案の定、「おっ。ちょっと寄り道しよか」 路地を渡っただけだ。非常に短い散歩だった。 ●◎さんの行きつけのキャバレーで、何度か連れて行っていただいた。 席につくと、ボーイが来た。 「いらっしゃいませ。ご指名はいかがいたしましょう?」 「おう。あの子や。いつもの子。あずさ」 「すいません。今日は、あずささんはお休みをいただいております。他の女の子はいかがでしょうか?」 「なにっ?休み?しゃあないなあ。じゃ、あけみ」 「すいません。大変申し訳ないのですが、あけみさんもお休みをいただいておりまして」 「なんだなんだ?タイミングが悪かったなあ。じゃ、かおり」 「誠に申し訳ありません」 「かおりも休みかよお。じゃ、マミ。マミちゃん」 「マミさんですか?」 ボーイは、ホステスさんのリストを見ながら、 「すいません。マミさんという方はいらっしゃらないのですが... もうやめてしまったのかもしれません」 「なんだ?やめた?俺に一言も無しにやめたんかよお。冷たいやっちゃなあ。じゃ、しゃあないな。レミ。レミちゃん居る?」 「はい。レミさんですね。すぐにお呼びいたします」 ボーイが戻って行き、 「●◎さん。よく来てるんですねえ。いろんな子知ってるんですねえ」 「へ?全然知らんで」 「え?」 「適当な名前言うていったんや。こういうでっかいキャバレーや。女の子たくさん居るから、適当な名前言うてたら、どれかひっかかるで」 「じゃ、レミさんていうのも、適当なんですか?」 「おう。そんな奴知らん。どんな子来るやろな」 しばらくすると、「レミです。こんばんは」 「おう!レミちゃん!久しぶりい!元気にしとったか?」 「え?あ.あのお... すいません。会ったこと有りましたっけ?」 「冷たいなあ。どうして、そんな冷たいこと言うのお?」 「いえ。すいません。ちょっと思い出せなくて...」 「うそや。うそ、うそ。会ったこと無いで」 「なんだあ!びっくりするじゃないですかあ!でも、どうして私を指名していただいたんですか?誰かのご紹介ですか?」 「おう。あんたの仕事関係の方や。レミちゃんを指名してくれって言われてな」 「え?え?誰です?私の仕事関係?私、この仕事以外に昼の仕事はしてないんです。ということは、このお店の人ですね。誰かなあ?」 「いや。店の人とちゃう」 「え?え?仕事関係ですよね?」 「そうや。あんたが、仕事に出勤する時の関係の方や」 「え?出勤の途中ですか?」 「そうや。家からこの店に来る間に会ってる人や」 「ええっ???誰とも会いませんよお。誰ですかあ?」 「分からん?いつも犬連れてる人や。いつもあんたのことを見てはるんや」 「犬連れてる人?私の近所の人ですか?分からないですよお」 「そらそうや。その人はな、あんたとしゃべったことが無いんや。いつも影から見てはるんや。いわゆるストーカーや」 「えええっっっ?!!!ほんとですかあ?!!!」 「うそや」 「もうっ!びっくりするじゃないですかあ!でも、どうして指名して下さったんですか?」 「分からん」 「え?分からないって?」 「適当に言うたんや。レミなんて、どこにでも居そうやん。適当にレミちゃんて指名したんや」 「●◎さん。言葉挟むようですが、レミさんなんて名前、あまり無いです」 「そうか?俺は好きやけどなあ、レミって名前。おう。レミちゃん。あんた、さっき、昼間は働いてないって言うてたやんけ。就職せえへんのか?」 「したいんです。でも、就職活動でうまくいかなかったんです」 「やりたい仕事は?」 「資格取ったんですけど」 「資格?ええやんけ。それをいかせよ。何の資格やねん?」 「秘書です」 「秘書!俺も、秘書の資格持ってるんや」 「え?!ほんとですか?!男の人でも秘書の資格取るんですねえ」 「そうや。秘書の仕事は難しいぞ。極意を教えたろか?」 「教えて下さい!どんなんですか?」 「社長に話をする時や。社長に対する話し方が難しいんや」 「どんなんですか?」 ●◎さんは、レミさんの耳に口を近づけ、 「ひしょひしょ」 小声で言った。 あまりのくだらなさに「おにいさん。このおじさん、どうしよう?」 「がははははは!!!」、●◎さんは大満足だ。 私も、とりあえず笑った。「ははは」 「なははははは!!!」 しつこく笑っていらっしゃる。 「ひしょひしょ...だって。んなははははは!!!ひぃ〜〜〜 最高」 一人で満足されていた。 「おう。レミちゃん。女の子、もう一人呼べよ」 「指名料かかりますけど、いいんですか?」 「アホ!そんなん気にしてどうするんや。指名料ぐらいええんや。あんたのお友達の子連れといで。そしたら、あんた、気つかわんでいいやろ」 「有難う!すぐに呼んできます!」 なかなかイキな人だ。 身長170cmほどの細身の美女が来た。 「ひらりでえす。よろしくお願いしまあす」 ●◎さんと握手した。 私にも、「ひらりでえす。よろしくう」、握手した。 私は、彼女の手を見たままかたまってしまった。 「どうしたんですかあ?」 「あ.いえ... いえ、何も」 「ひらりちゃん。I氏ちゃんなあ、あんたの美しさに見とれとるんや。あんた、ほんとに奇麗のお。俺、太ってるから、あんたみたいに細い人が好きなんや」 ●◎さんは、ひらりさんの手をずっと握っていた。 私は、その手から目が離せなかった。 「どうしたんですかあ?」 「いえ...」 「I氏ちゃん。この子、タイプか?」 「あ.そ.そうですね。奇麗ですねえ」 「いやぁ〜〜〜ん。照れるわあ」 私は、横のレミさんに小声で耳打ちした。「後で、帰りしに、一つ教えて」 「え?いいですよ」 レミさんは、名刺に電話番号を書いた。 「ちゃう。ちゃうよ。電話番号じゃなくて、ちょっと」 「なんです?」 「いいから。後で」 ●◎さんは、ひらりさんの手を握り、彼女の美貌に見とれていた。 しばらくすると、●◎さんがトイレに行った。 すると、ひらりさんが「お兄さん。●◎さんの部下?」 声が変わった。先ほどまでは、かわいい高い声だったのに、しゃがれた低い声に変わった。なぜだ?急にへんとうせんが腫れたのか? 「部下じゃないよ。取引先」 「へえ。いいおじさんやん」 「そうやね。かわいがってもらってる」 「お兄さん、おっちゃん受けするやろ?」 話し方も変わった。先ほどまで「いやぁ〜〜〜ん」とかわいらしく話していた女性とは思えない。 ●◎さんがトイレから戻って来る姿が見えた。 ひらりさんは咳払をして、声を整え、 「お帰りぃ〜〜〜 はい、おしぼりどうぞぉ〜〜〜」 「ひらりちゃんに早く会いたくて、急いで戻ったんや」 急いだのであろう。ズボンが濡れていた。 「お兄さん。結構遊び人て感じい〜〜〜」 「そんなことないで」 「I氏ちゃんはなあ、見た目と違って、真面目なんや」 「ほんとぉ〜〜〜?夜の世界のこと、何でも知ってそぉ〜〜〜」 「知らんて」 「I氏ちゃんは真面目な人や。見た目とちゃう。いい男や」 「いい男って分かるけどぉ〜〜〜 でも、夜の世界に詳しいでしょ?ふふふ。分かってんでしょ?」 「え?あ、あははは... ま.まあね」 「I氏ちゃん、何やねん?分かってるって、何のことやねん?」 「あ.いえ... 何でもないです」 そう。私は分かっていたのだ。 彼女が彼女ではなく、彼と呼ぶべきことを。 そう。ひらりさんは男なのだ。 握手する時に、手の大きさで気付いたのだ。 背の高さだけでは判断出来なかったが、握手をした時に気付いた。 声も不自然だった。 無理に作っていた。 ●◎さんがトイレに行っている間は、男の声だった。 ひらりさんは、私にバレてしまったと、本性を出したのだろう。 ●◎さんと私は、キャバレーを出た。もちろん●◎さんは何も気付くことが無いまま。 「いやあ、楽しかったなあ。あの子最高。ひらりちゃん。ほんま奇麗やったなあ。おう。I氏ちゃん。また行こう。第二回送別会もせなあかん。今度もあの子指名するぞお!ひらりちゃん!また行くからなあ!」
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