伊豆の別荘

BEACHちゃんは、東京に居た頃、よくミスターTと休日を過ごしていたそうだ。

数年前の初夏、「BEACHちゃんよお、俺よお、別荘もってんだ。バケーショ
ンに行くぞお。お前も来いよお」、BEACHちゃんは「別荘?」、ひっかかる
ところはあったが、ミスターTについて行ったらしい。三泊四日のちょっとし
た旅行だ。
西伊豆に別荘を持っているとのことで、BEACHちゃんの車でミスターTの別荘に
向かった。
ミスターTは海が好きだ。特に釣りが好きだ。自称「海釣り評論家」と名乗っ
ている。そんなミスターTは西伊豆に別荘を購入したのだ。
「西伊豆だよお。海が近くてよお、魚がうめえんだ。おっ!着いたよ!あ
れだ、あれ」
指差す方を見ても、「別荘」とイメージさせる建物は無く、見えるのは、
かやぶき屋根。
「ならやまぶしこう」にでも出てきそうな家屋だ。
「いいだろお、別荘だで」
BEACHちゃんは幻滅を感じた。なにしろ、「別荘」と聞くと、軽井沢の洒落
た別荘が想像されたからだ。まさか、かやぶき屋根の下3日も泊まらなけ
ればならなくなるとは。
「...情緒ありますね」
「そうだろお。江戸時代に建てたんだぜ」
「ミスターTさん、江戸時代から生きてるんですか?」
「そんなわけねえだろ」
車を降り、ミスターTは玄関に入った。
「おばあちゃん!俺だよ、俺!ミスターTだあ!」
「ミスターTかい。久しぶりやのお」
老婆が出てきた。
BEACHちゃんはさらに幻滅を感じた。別荘〜軽井沢〜有閑マダムと、日活ロ
マンポルノ的に、美しく妖艶な軽井沢婦人が出てくるはずだった。
「た.ミスターTさん...これって別荘じゃなく、おばあちゃんの家でし
ょ?」
「そうだよ。いいだろ。海が近いんだよ。後で釣りに行くぞお」
説明を求めても仕方がなく、言われるままに土間に座った。
シルバースレッドの帽子をかぶっていたBEACHちゃんに老婆は、
「おにいちゃんの帽子、ええ帽子ずら」
「いえいえ、そんな」
「ミスターTもかぶったほうがいいずら」
老婆は箪笥からあずき色の帽子を出した。
ミスターTにかぶした帽子の前部には、「JA」の二文字。
「かっこいいずら」
「何言ってんだよお、こんなの似合わねえよ。俺はよお、ブランド志向な
んだぜ。なんで、農協の帽子かぶんなきゃなんねえんだよ」
などと言いながらも、まんざらではない様子だった。
「ミスターT、その帽子似合ってるずら」
「何言ってんだ、おばあちゃん。俺はブランド物しか身につけねえんだ。
なあ、BEACHちゃん」
「え.ええ.. まあ」
「帽子はよお、ミチコ・ロンドンとかよお、ダーバンとか、アーノルドパ
ーマーとかがいいんだよ。おばあちゃん、そういう超一流ブランドのやつ
ねえのかよお」
もちろん有るわけがなかった。
「BEACHちゃん。釣具屋に行くぜ。帽子買うんだよ。超一流ブランドじゃな
きゃなんねえんだ。ダーバンがいいよな。生地がいいんだよ」
「釣り用の帽子ですか?」
「あたりめえだよ。スキー用のかぶってどうすんだ」
「それはそうでけど。ダーバンは無いでしょう」
「ばあかやろお。釣り具屋に行けば、あるんだよ」
二人は、釣り具屋に向かった。
BEACHちゃんは、車を波止場にとめようとした。もう日が暮れて、視界が悪
かった。
バリバリッ!!!
車の床の方から嫌な音がした。
と同時に、
「おんどれ!!!わしの釣竿どないしてくれるんじゃあ!!!」
車窓ごしにパンチパーマ。顔を真っ赤に怒鳴っているパンチパーマが居
る。
「た.ミスターTさん... どないしましょ.. 置き竿を踏んでしまった
ようです」
「いや... ああ...」
「ミスターTさん。やばいですよ」
「あ... いや...」
「おいこら!お前ら、どこのもんじゃ!ただで済む思うなよ!おいこら。
出すもん出してもらおうか。とりあえず、これ一式弁償してくれや。弁償
制限無しの念書書いてもらうで」
「た.ミスターTさん... どうしましょう」
「あ... いや...」
「た.ミスターTさん!なんとか言って下さいよ!」
「い.い.いいんだ、いいんだ」
「よくないですよ!」
「おいこら、ロンゲ(ミスターT)!何がええんや?!あん?俺の60万の
竿、ぐちゃぐちゃにしといて、何がええんや?こら!お前、どつきまわっ
そ!」
「ろ.ろ.ろくじゅうまん?!ど.どこのブランドなんですか?」
「ミスターTさん!ブランド聞いてどうするんですか?!」
「だ.だいじなんだよ、BEACHちゃん。ブランドだけは確認しないと」
「おいこら、ロンゲ。この竿、特注や。がまかつの特注や。60万や。す
ぐ払ってもらおか」
「なあ〜んだ。ミチコ・ロンドンじゃねえのかよお」、ミスターTは急に安心
した表情に変わった。
「あほか!お前!どこにそんな竿あるんじゃ!こら!」
お気に入りのブランドにケチをつけられたと思ったミスターTは、
「なあに言ってんだあ、このおっさん。ミチコ・ロンドンはいいんだよ。
なあ、BEACHちゃん。俺のあげたあの服いいだろお?」
「は.はい... 襟ちぎれてましたが」
「いいんだ、いいんだ。あの服はいいんだ」
「で.でも、ミスターTさん。服のことより。どうします?釣り竿」
「ばあかやろお。竿なんてどうでもいいんだ。今はブランドの話してんだ
よ。ミチコ・ロンドンだよ」
「で.でも、壊した竿ですけど... がまかつの特注品ですよ」
「がまかつ?BEACHちゃん、何言ってんだあ?俺があれほど教育してやった
じゃねえか。過剰なブランド志向は良くないってよお。今さら何言ってん
だあ?たとえば、なんちゃん見てみろ。なんばらだ。うっちゃんなんちゃ
ん知ってるだろ?なんちゃんなんて、ブランド志向の固まりだぜえ。女ま
でブランド
志向だ。車だって、外車だろ。ブランド志向が顕著にあらわれてると思わ
ねえか?何の考えも無い。ああいうセンスのねえ奴は駄目なんだよ。その
点、俺は本物志向だぜ。本物志向ってのは、いい物しか買わないってこと
なんだよお。ブランドの名前にだまされたら、駄目なんだよ。俺なんか、
いい物ば
かり買ってんだよ。いい物を買ったら、たまたまミチコ・ロンドンばっか
だぜ。俺とミチコはセンスが一緒なんだなあ」
「ミチコって誰です?」
「ばあかやろお。ロンドン・ミチコさんだ。世界的なデザイナーだよ。そ
れぐらい知っとかなきゃ駄目だぞ」
「そんな名字でしたっけ?」
「そうだよ。俺はよお、ミチコと同じくらいセンスが有るんだよなあ。世
界に通用するんだよ。BEACHちゃん。本物志向じゃなきゃ駄目なんだぞ。そ
こら辺の買ってちゃ駄目。だ〜めだ、駄目駄目。ダイエーとかよお、Dマ
ートで買物してちゃ駄目なんだよ。ちゃんとブランドを見てよお、確かめ
てから買わ
なくちゃ駄目。『いいなあ、この服』なんて思ってよお、ブランドを確認
せずに買っちゃ駄目なんだよ。ちゃんとミチコ・ロンドンて書いてるか調
べなきゃ駄目だぞ」
「ミスターTさん。それって、モロにブランド志向じゃないですか」
「ばあかやろお。何言ってんだ、BEACHちゃん。ミチコ・ロンドンはいいん
だよ。今さら何言ってんだよお。ミチコ・ロンドンはいいよなあ、おっさ
ん」
車窓の外から返事は無かった。
「あれ?おっさんは?」
そこには捨てられた釣り竿しか無かった。
その後、釣り具屋で、
「そんな帽子置いてません」と言われたそうだ。

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