ロータスの達人
私は営業に居た頃、パソコンを使うことはほとんど無かった。数年前にこ の部署に移って来た。この部署では、膨大な量のデータをもとに分析する 作業がある。ロータス、エクセルなどの計算ソフトを使わなければ、いく ら時間が有っても足りない。 最初に与えられた仕事は、フィルム製品の輸送実績データを分析して、最 も効率の良いトラックの利用の仕方を見つけだすことだった。 その頃、私は、まだ計算ソフトの使い方を知らず、この膨大なデータをも とに電卓を叩いて、答えを割り出していた。いくら時間が有っても足り ず、家に仕事を持って帰り、翌日の明け方まで作業をしていた。 「早くロータスの使い方覚えなあかん。こんな生活してたら、体こわす わ」 このフィルム製品の物流効率化の仕事は、HKさんと一緒におこなってい た。HKさんは自分の分担の分析をロータスを使っておこなっていた。 そんな計算ソフトを駆使していたHKさんでさえ、朝は8時に出社して、 夜は8時まで残業していた。 「ロータス使っても、残業せなあかん仕事、手計算なんかでやってたら、 いつまでたっても寝る時間はないわな」、なんとか時間を作って、パソコ ンの勉強をする決心をした。 ある日、またしてもほとんど寝ずに出社した。 HKさんはすでに出社していて、パソコンに向かって作業をしていた。 「おはようございます」 「おう、I氏ちゃん。おはようさん」 「眠いっすわあ。作業すすんでます?」 「おう、また寝んと仕事してたんか?俺のほうもなかなか追いつかんわ」 「納期まで日が無いですもんねえ」 「頑張らなしゃあないで」 「そうですね。会議まで日がありませんもんね。でも、HKさん。やっぱ りパソコン便利ですよね」 「おう。お前も早く覚えなあかんぞ」 「はい。時間作って、勉強しますわ」 私はデスクにつき、電卓を叩いた。顔を上げ、パソコンに向かうHKさん の後ろ姿を見て、「いいなあ、早くパソコン覚えよ。便利な物は使わなあ かん」、さらに勉強する決心が固まった。 ところが、様子がおかしいことに気付いた。 「あれ?」 HKさんが電卓を叩いている。 「検算してるんやな」 私は、作業を再開した。だが、何か気になり、顔を上げた。 やはりHKさんは電卓を叩いている。私は立上り、近くに寄って、HKさ んの行動を見た。 電卓を叩き、それからパソコンのキーを打っている。 「おう。どないしてん?」 「あ、いえ。便利ですか?パソコン」 「おう。線が奇麗にひける」 「線?」 「おう。表や。表書くの、さし使って線ひいても、なかなか奇麗に書けへ んやん。これ使えば、奇麗な表になる。字も奇麗やしな」 まさか?!と思ったが、しばらく観察を続けた。 やはり... HKさんは、電卓で計算して、その数字をロータスで作っ た表に打ち込んでいた。 「あのお... これって、ロータスですよね?」 「そおや。表作るやつや」 「ロータスって計算ソフトですよね?計算式入れとけば、数字放りこんだ ら、勝手に計算してくれるやつですよね」 「おう。そんなんも出来るらしいわ。俺は知らんけどな」 「...ワープロとして使ってはるんですよね」 「おう。自分でさし使って表作ったら、汚いからな。これ使ったら、表も 奇麗やし、字も奇麗や。お前も早く覚えなあかんぞ」 「...はい」 そう言えば、思い当たることが有った。 HKさんと課長との間で、こんなやり取りをしていたのを何度か見かけた ことがある。 「はっちゃん。これ数字間違ってるよ」 「あれ?間違えてました?」 資料を見て、電卓を叩き、 「ほんまや。間違えてる。訂正しますわ」 「はっちゃん。これ、ロータスで作ったんやろ?」 「そうです」 「なんでかなあ?計算間違えるわけ無いしなあ... 他の数字あってる のに、これだけやろ。なんでかなあ?」 「なんでですかねえ?機械こわれてるんかなあ?」 「他の数字あってるから、計算式が間違ってるはずはないし... よお 分からんなあ」 「機械ですかねえ?」 「ちょっと分かれへんなあ。今度、UISの人に聞いてみ」 「はあ、聞いてみますわ」 電卓を打ち間違えただけなのだが、課長は「まさか、電卓で計算して、ロ ータスで作った表に答えを打ちこんでるだけ」などとは想像もつかなかっ たのだろう。課長は、この数字間違えが有るたびに「なんでかなあ?」と 腕を組み、頭を悩ませていた。 その頃、HKさんは長時間働いていた。なにしろ、パソコンを使えなかっ た私と実質的に同じやり方で分析作業をしていたからだ。 「HKさん。いつも8時に来て、夜の8時まで働いてますね。しんどくな いですか?」 「しゃあないやんけ。俺、HKやろ。8時のはっちゃんや。がははは!」 こんなHKさん、最近も忙しくされてはいるが、その当時ほど残業はしな くなった。 と言うのは、ロータスに計算式を入れて作業をしているからだ。当たり前 のことなのだが。 いつだったか、ついに気付いたのだ。 「はっちゃん!何してるんや?!」 目を丸くした課長の言葉に 「え?」 「『え?』やないよ!何してんの?!電卓で計算してどうすんの?!」 「え?数字計算せんと...」 「ちょっと見せてみ」 課長は、パソコンの画面をにらむように探った。 「計算式入ってへんやんかあ!!!」 それから、ロータスをロータスらしく使えるよう勉強するように命じられ たのだった。
|