当社の診療室の先生
HKさんがデスクに戻ってきた。病院に行ってきたようだ。 薬の白い袋を持っている。 「風邪ですか?」 「おう。調子悪いわ。なかなか治らんのや」 「10階の内科ですか?」 「おう。ごっついこんでたぞ。儲かってるやろなあ。そやけどな、あの先生、親切や。丁寧に説明してくれる。うちの3階の診療室はあかんわ。いつ行っても、『寝ときなさい』ばっかりやん。あんなん誰も行かんようになるわ」 そう。HKさんが言う通り、当社の診療室の先生は非常にいい加減だ。 先生は、得体の知れないおじいさんだ。 出勤する時間、退社する時間はばらばらだ。 また、どんな病気で診てもらいにいっても、「寝ときなさい」 風邪などで「寝ときなさい」というのは分からないでもない。たしかにおっしゃる通りだ。 怪我をした同期が血を流しながら、診療室に行った。 「寝ときなさい」 数年前、もう会社を辞めた女性の先輩だが、仕事中に倒れた。 いきなりバタッ!と前に倒れた。 診療室からベッドの布団を持ってきて、皆で布団に乗せ、診療室に担ぎ込んだ。 先生は、すでに意識を失ってる患者に「寝ときなさい」 「もう寝てるようなものですが」 「もっと寝ときなさい」 患者を永眠させる気なのか? 先輩は、意識を取り戻してから、近くの別の病院に入院した。病院を変えたのは、適切な判断だっただろう。 この先生、聞くところによると、カウンセラーの資格も持っているそうだ。 もう会社を辞めてしまった同期が、会社のことで悩んでいた。人事に相談すると、この先生に相談しなさいと言われた。 早速、先生を訪ねて行き、悩みを打ち明けた。 「寝ときなさい」 やはり、アドバイスはこの言葉だった。 私の部署の前の部長は、この先生を信頼していた。この会社では例外だ。 仕事にやる気が起きない時、暇な時、二日酔いの時に診てもらいに行っておられた。 「寝ときなさい」 部長は、先生に言われるまま、診療室で寝ていた。 今思えば、ただ昼寝しに行ってただけだったのだろう。 この会社、医者も医者だが、患者も患者である。 酒Iさんだ。 この人は、体のあちこちにガタがきている。 原因は、酒の飲み過ぎだけではなく、酔うと尋常ではないことをするからだ。そのつけがまわってきているのだろう。 酒Iさんも、HKさんと同じく、このビルの10階の内科に通っている。ここの先生は、黒坂先生という真面目な先生だ。丁寧に病状を説明してくれるので、非常に安心出来る。 以前、酒Iさんと飲み屋に向かう途中のことだった。 「おう。肇ちゃん。今日、黒坂行ってきてん。検査の結果聞きに行ったんや」 「結果はどうでした?」 「あいつ、あかんわ」 「え?あいつって?」 「黒坂や。数値変えてくれ言うたらな、怒られたがな」 詳しく話を聞くと、 検査結果の数値が非常に悪く、黒坂先生は「酒Iさん。いい加減、お酒を控えなさい」と注意したらしい。 すると、酒Iさんが「先生。すんません。数値書き換えて下さい」と頼んだ。先生にすると、会社に悪い検査結果を知られると査定の上で問題が有るのかと思い、「何か会社で都合の悪いことが有るんですか?」と聞いた。 「いえ。会社は楽勝です。こんなん関係ありません。こんな数値嫌なんです。だから、変えて下さい。気分悪いですわ」 ただの気分の問題だった。 「悪い数値が嫌だったら、早く治せ!!!」 普段は温和な先生だが、怒らせてしまったそうだ。 「おう。肇ちゃん。あいつ、真面目やなあ。数値ぐらい書き換えてくれたっていいよなあ。黒坂のやつ、かたすぎるわ」 「酒Iさん。そら、先生怒りますよ」 「なんでやねん。こんな数値、気分悪いやんけ。まあ、ええわ。あいつ、かた過ぎるけど、ええ奴や。悪い奴とちゃう。だけど、真面目過ぎるわ」 その晩も、酒Iさんは深夜まで飲んでいた。
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