SDGsは美しいが  2020.12.25


上司から急遽説明会に同席してほしいとのメールが来た。
宛先は私以外にお隣の総務グループ長と、設備部の部長。
本社からSDGsの取り組みを本格的に始めるので、そのための説明会がweb会議で行われるという。

SDGsについては中期計画作成時に、事業所の施策として何点かSDGsのゴールに紐付けて提案したが、当時の上司はこのあたりにうとく、自分が説明できないからかどうかはわからないが、ボツとなった。1年半ほど前のことである。

なぜ今になって社長が急にこのことを言い出したのかは説明がなかったが、脱炭素の流れが急激に広まっていることと、サスティナブルなんとかという部署を作ったわりにはさっぱり成果がない(ように見えるだけ?)のが原因か。
あるいは、同業他社がかなり先行して取り組みを具体化しているのを見て、ウチものんびりしてられないと思ったのか。
この場合、入社以来よくある話で、SDGsのことよりも、なんの進歩もないということの印象の方が強くなってしまう。

ともかく、年明けの1月中旬までにまとめよとフォーマットを渡されたので、なんらか書き出さないといけない。
企業の立場からすると、策はいろいろ出てくるにしても、ほとんどがコストアップ要因につながる話なのと、理想を求めるとたんに事業所の部署で取り組む範囲を超えてくる。どういったレベル感で書けばいいのか。
ここは本部長曰く、まずは実現性やコストは無視しして書き出してほしいとのこと。

SDGsの思想は個人的には賛成なので、思いつくことはそれなりにある。自分の職域以外でもかまわないということなので、書き出しはそれほと苦労はしないだろう。
ただ、賛成の一方で、ほんとうにこういったことを継続的に世界全体が取り組んでいくのだろうか? EUあたりが先陣を切って提唱しているが、彼らが都合悪くなったら、あっさり方針転換したりしないのだろうかと、少し疑心暗鬼にもなる。

SDGsの目標設定はとても美しい。これらが全世界で実現すれば、とても素敵なことだと思う。
ただ、あまりにも美しすぎるので、その反対のことも考えたりしてしまう。
「すばらしい取り組みを行っているように見せかけて、一方で採算性を確保するために見えないところで何か問題になるようなことをしたりしないだろうか」とか
「パフォーマンスの部分と実務の部分は別」のような二重人格のような会社になったりはしないのだろうか、とか。
美しいものにはトゲがある、という考えが、50年以上も生きていると染みついてしまっている。やはり人間は非合理的だし、わがままだ。誠実さを装ったストレスが、どこか別のところで出てこないかと疑ってしまうのである。