この23年で3分の1  2020.12.14



 部下と賞与の話をしていて、そういえば昔はウチ(当社)も売上高が3000億円もあったんだよなあ、というような話題になった。たしか入社した頃はそれぐらいのスケール感があった記憶がある。
 でも、売上高の変遷っていったいどんなものだなのだろうと気になり始めた。会社のホームページを見ると、現在と同レベルで比較できるグループ連結の決算情報は1997年度からの開示されているようだ。そこで、2019年度まで23年間のグループ連結売上高と経常利益を洗い出してみた。

 1997年といえば、入社して4年。長男が生まれた年、バブルがはじけて世の中に不穏な空気が流れ始めた頃。山一証券がこの年の11月、自主廃業を決めた。北海道拓殖銀行も破綻し、金融危機がピークに達した年である。

 その年度、暦でいえば1998年3月の決算は、売上高が3526億円あった。たしか1993年度ぐらいは単体でも3000億円を越えていたと思うが、バブル崩壊後にグループ連結とはいえ、3500億円というそれなりの販売スケールを抱えたわけだ。経常利益は61億円。

 売上高に関して言えば、この1997年度以降下がり続けていく。2019年度はなんと1195億円。ほぼ3分の1である。よくこれで倒産しないで持ち越えてきたなと別の意味で感心する。
 経常利益は32億円をキープした。

 それにしても、である。この売上高の下がり方はなんだろう。23年間で売上高が前年より上回ったのは3年度だけ。2004年、2006、2007年。この年に何があったかよく覚えていない。世間はそれなりに好景気だったのだろうか。
 あとはずっと下がり続けている。経常利益は平均的に2桁億の前半をうろうろしているが、これだけ売上が下がって経常利益を維持しようと思うと、かなりのリストラや不採算事業の撤退を行ったいたと思う。もちろん、売り手がつく事業はこれまたたくさん売った。たまたまその事業部や関連会社にいた人たちは複雑な心境だっただろう。待遇が改善した人もいるだろうが、多くの人は給与も下がり、知らない会社の上司の下について苦労されたはずだ。なので、当期利益の欄を作ると、数年おきに大きな赤字が出ていたと思う。実際、ボーナスがほとんど出なかった時期も一度や二度でなかった。

 いまあらためて振り返らなくても、会社の将来に対する不安感は多い少ないを繰り返しながらも、ほぼ常にあったような気がする。当然、辞めていった人間も多い。正直、給料もらいすぎじゃないかと思うような仕事ができない、あるいはしない人間が、転職していったりした。内心、あんなので外で通用するんだろうかと思ったりもした。
 辞めた人間がそういう人間ばかりならよかったのだが、実際は優秀な人間もたくさん辞めていった。そうやって会社の力はどんどん小さくなっていったと思う。

 上記で、売上高はほぼ3分の1と書いたが、正確に計算してみると33.9%。これで借金も減らしているので、ある意味すごいということも言えるのだが、問題はこの先である。

 少数精鋭集団となってこの先勝ち組の方へシフトできるかと言えば、とてもそんなレベルではないだろう。勝ち組というより、生き残ることができるかどうか、というのが現実だと思う。

 この売上高推移と抱えてる課題に加え、ここに来て急に「脱炭素」の話が出てきてる。マイクロプラスチックごみの件で逆風にさらされた(実際、食品等で個別包装のフィルムが紙に移行した話もあった)が、脱炭素では会社の事業にどう影響するのか。
 マイナスの話もあるだろうが、プラスの内容もあるだろう。問題は、新しい流れにいかにスピーディーに乗ることができるか。長年この会社にいて、その機動力のようなところに欠陥があると認めざるをえない。戦略も描けない。このままいくと、どこか大きな外国資本に吸収されるのが関の山。自立で生き残っていくのは、かなり難しいのではないかと思っている。