ものを書くことの考察  2020.12.12 (939字)



 そういえば、理系から文系への転向は作家もしくは、物書きになりたいと思ったから。

 高校3年の6月末、期末試験前の夜明け頃。ふとそう思ってあっさり決断した。当時の成績は数学、物理等がよく、英語や国語の古典系はひどい状況だった。そこから逆転できるかどうかとか、そのような計算はなかった。ただ、ふとその瞬間そう思って、とくに迷いもなくそう決めたのだった。

 1学期が終わった時点で、地元にある公立の理系大学はB判定が出ていた。さらに勉強を続ければ国立も狙えただろう。だけどいったんそう決めたのだから、それはあっさり捨
てることにした。実際、惜しい気持ちなどもなかった。

 2学期が終わる頃、文系の成績は惨憺たるものだった。どこも受かりそうもない。実際、その年はどこにも受かることはなく、浪人の道を選んだのだった。

 なんとか浪人は1年で終えることができたが、作家や物書きの夢はあっさり消えていた。いったいどこで消滅してしまったのだろう。当時バブル景気で、世の中が浮かれていて、自分もそれに乗っかっていたのは事実だろうけど、それだけを理由にするのは少し違うような気もする。

 いま考えてみると、ものを書くといっても本格的になにかを書いたわけでもなく、ただ高校時代に迷っていたことや悩みみたいなものを、日記のような形で書いていただけのことだ。なにかを表現したいという気持ちはあったけれど、それをどのような形で表現するのか。小説なのか、小説でなければ何なのか。その具体性が欠けていたのは確かだ。

 やはり具体性がないことを続けるのは難しいことなのだろう。ほんとうにその道をめざそうとするなら、細かいディティールまで詰めていくことが大切な気がする。そして鍛錬すること。少なくとも文章を書こうとするなら、まずは毎日なにか文章を書き、その量をどんどん拡大していく必要があるのだろう。

 様々な楽器に演奏するまでの練習量の目安があったり、野球でヒットを打てるようになるまで素振りの回数が必要であったりするように、文章も自分の思いが適切な言葉で紡ぎ出され、他人に読んでもらうようになるまでは、ある程度の量が必要な気がする。
 質は少し置いておいて、まずは累積文章量をとにかく増やすことを目指すのがいいという気がする。